プロローグ
世界は変わる。
狭い世界に広い世界、世界の大小に関わらず、絶えず世界には大小様々な変化が起きる。己の法則を描く絶対の世界を持っていたとしてもそれは変わる。絶えず変化する。進化しようと退化しようと時の流れに巻き込まれて前に進み続ける。
別の世界と触れるが故に。英雄、殺人鬼、魔術師、超能力者、老人、大人、子供、先生、コンビニの店員であろうとも、狭い世界を包み込む大きな世界の中で触れた世界に大なり小なり影響を受け、別の狭い世界から溢れる波が波紋を呼び、世界に波風立ててしまう。
それを受け入れようが拒もうが、変化になる事だけは絶対だ。誰かがいるから自分であり、誰かの世界が存在するからこそ、自分の世界があるのだろう。師弟、親子、兄弟、友達、ライバル、宿敵、どんな形であろうとも個と個は必ず関わり合う。
ただどんな結果が訪れようと、変化を誰より実感できるのは自分の世界。その変化をより大きく、波風立てて、最高の瞬間、世界を突き破る頂点を欲する。
それが
己が究極の頂点を手にする為には、より強く輝かしい洗練された世界に触れてこそ。だからこそここに帰って来た。自分だけの現実。例え目指すものは違くても、自分の世界を持ち得る者達が詰まっている街に。蠱毒の街に。恐ろしくも輝かしく、狭くて広い、高くて深い箱庭に。
────学園都市。
東京西部の多摩地域、そこを開拓して作られた総面積東京の三分の一に及ぶ巨大な完全独立教育研究機関。あらゆる分野の教育機関、研究機関が犇めき合い、人口の八割が学生である科学の都。ありとあらゆる科学技術を研究し、学問の最高峰とされるこの街には、もう一つの顔がある。人工的かつ科学的なプロセスを経て組み上げられた、超能力者養成機関である。
授業の一環として学園都市に住まう学生は『開発』を受け、通常の人間にはできないことを実現できる特別な力を操る。自分だけの現実、超絶な思い込みによってミクロな世界を操り超自然的な現象を起こす力。曰く超能力。
だから街を歩く俺の足取りは重く、しかし、俺の世界は狭いまま。それならそれで構わない。ただ見える世界の変貌に頭が少なからずくらくらする。千鳥足で路地の裏へと足を進め、壁を背に軽く息を吐く。
「気持ち悪……」
AIM拡散力場。正式名称は『An_Involuntary_Movement』拡散力場。強度に関係なく、能力者である学生が無自覚に周囲に発している微弱なエネルギーフィールド。百八十万人に及ぶ学生のAIM拡散力場に満たされた学園都市は、俺にとって大シケの大海原と同じ。四方八方から体を叩いてくる強さの違う微弱な波が、絶えず脳裏で蠢いている。外の世界でも同じであったが、学園都市では毛色の違うその波が、よりはっきりと骨を小突くように揺さぶってくる為タチが悪い。
そして、その感覚が絶対に手放せないこそ尚タチが悪かった。
超能力でも魔術でもなく、俺が居座るのは技の世界。一流の武人は気の形が読める。一流の航海士は風の流れを読む。一流の大工は立つ木を見て、家のどの部分に使えばいいか分かると言うように、磨いた技術と経験によって生まれた感覚は、手放したくても手放せない。
顔に付いている二つの瞳で見ている訳でもなく、感覚の瞳と言える第三の視界を漂う波が鬱陶しい。英国で振動の感覚を掴むまでと見える世界がガラリと変わってしまった。
俺の所属する傭兵組織、瑞西傭兵を元とするスイス特殊山岳射撃部隊『
俺の初めての協力者である、大脳生理学女教授、
その理論を用いた技を磨き続けたおかげか、バンカークラスターの規格外の振動を受けた後遺症で、これまでの感覚が花開き、体が波を拾う音叉人間のようになってしまった。特別な現象など起こせないが、ただそれを起こす者の余波を感じる事ができる。
嬉しさと鬱陶しさと面倒臭さが入り混じった内心を抱えながら、ため息を零してビルの挟まれた細い路地の上、切れ目から雲が泳ぐ空を見上げて首の骨を鳴らす。
学園都市の防犯カメラの位置ならだいたい頭に入っている。これ以上人混みに紛れて道を歩いている訳にもいかず、ビルの壁に沿って走っているパイプに手を掛けて、壁の壁面を上って行く。山の壁を上る事に慣れていれば、手に取れるものが多いビルの壁を上るのは容易。屋上まで上り切り、周りに人がいない事を確認して煙草を咥えた。
世界に流れる波から逃れるように身を捩り、数歩足を出し煙草に火を付ける。久し振りの学園都市の街。離れて久しく、街を眺めると懐かしい気分になってしまう。英国のクーデター、瑞西のクーデター、第三次世界大戦。学園都市を離れて一ヶ月も経っていないはずなのであるが、多くの事があり過ぎて数年ぶりな気さえする。
そうして街を眺めていると、風に流れて来た香の匂いに鼻を擽られ、見知った鼓動のリズムが第三の視界の端を泳ぎ俺は後ろへ振り返る。ビルのペントハウスの影から歩いて出て来る一つの影。
逆立たせた目立つ金髪。サングラスに金のネックレス、それに加えて学生服という胡散臭い風貌の男。科学側と魔術側の多重スパイ。俺の学校生活を彩る悪友の一人。
「悪霊退散だぜい!」
「あっぶねッ」
振り切られる拳を分かっていたようにぺしりと叩き落せば、土御門は触れた手の感触に何やら満足気に頷きながら苦笑する。学生服を着て立っている俺の姿がそんなにおかしいのか、土御門は肩を竦めると拳を緩めて俺の肩を軽く小突いた。
「全くひどいにゃー、生きてるんだったら電話の一本くらい入れといてくれよ。流石にオレもちょっとばかり肝が冷えたぞ」
「携帯が海水に攫われて行方不明になっちまったんだよ、ついでに財布もな。盗聴も怖いから連絡取るのもどうかと思ったけど、身分証も紛失したおかげで学園都市に入る手立てもなかったんだ。土御門に連絡が取れてよかったよ。それにそこまで驚いてないのを見るに、多少は掴んでたんだろう?」
「つっても多少だけどにゃー。孫っちが居るって事はカミやんもだろう? 二人して黙って小旅行か? 友達甲斐のない奴らだぜい」
仕事と称してよく人をこき使っておいてよくそんな台詞が出るものだ。と言っても、俺も学園都市の友人の顔を見れて少しばかり落ち着いた。俺こと
俺と上条を助けてくれた魔術結社『明け色の日差し』のボス、レイヴィニア=バードウェイ曰く、『やつら』なる者が上条を追っているらしい現状、上条や、共に行方不明になった俺の動きが大きく騒がれるのはそこまで宜しくない。例え生きている事がバレていたとしても、せめて学園都市に入るまではこっそりしなければならなかった。
魔術と科学は基本不可侵であるが故に、学園都市は堅牢な隠れ家足り得る。とは言えそれも第三次世界大戦前の話。魔術師。近年急激に発達した科学技術によって数を増やし姿を現した超能力者と対照的に、古来より延々と魔術という学問を研鑽してきた者達。祈りで風を呼び、奇跡を再現する異能者が、大戦の前から学園都市に居た事も思えば、その暗黙の了解も緩い一線ではあったが、今はよりあってないようなものである。能力者でも魔術師でもない俺には関係ないが。
「いやー、それにしても孫っちもいよいよ化け物染みて来たにゃー。真正面からじゃもう拳も当たらないときた。今の孫っちにはどう世界が見えているのやら」
「説明が難しいな。前にも言ったが振動音響解析ソフトを脳に突っ込まれた気分だよ。鼓動も骨の軋む音も、筋肉の稼働音、風の音足音呼吸音、AIM拡散力場が空気を震わせる振動も分かる。とは言えそれで俺の手から火が出るわけでもないんだがなぁ。相手のリズムに自分を合わせる術だけは覚えたが」
「能力者も顔負けの特技だにゃー、研究者に捕まらねえように気を付けた方がいいぜい。他の『
どれだけぶっ飛んだ技を掴んだところで技は技。能力測定をしたところで、俺の能力者としての強度は
「上条とは別行動だ。俺は一足先に戻って来た。追われているらしいのは上条であって俺ではないし、上条共々俺までゆっくり動く必要はない。だから上条が到着する前に学園都市の様子を見に来たんだ。瑞西で土御門は聞いていただろう? 時の鐘としての仕事もあるからな」
スイス特殊山岳射撃部隊『
瑞西のクーデターの際に半数が裏切り、瑞西の騒動も終わったが、そのおかげで組織はほぼ壊滅、現在は各々休暇中であり、学園都市に来ている筈だ。休止した『
だからこそ、崩壊した組織を再興する為、その準備期間の間、学園都市で『
「それで? 第三次世界大戦が終わっても暗部は大忙しなのか? 大戦が終わったからこそ忙しくなってる気もするが」
第三次世界大戦で学園都市はロシアやスイスと比べて被害はとても少ないはずだ。
「学園都市の『闇』は
学園都市最強の
「
「ああ、それがちょいと問題でな。一見して学園都市に平和が戻って来ているように見えるが、解放を望まず、そこに居続ける事を求める者達がいたりする」
「あんまり聞きたくない話だなおい。耳に痛いし、面白い話じゃなさそうだし……」
磨いた技を使いたい。鍛えた暴力を使いたい。戦争の為に戦うのではなく、戦う為に戦争をする。
スイスのクーデターを扇動した、バチカンに派遣されていたスイス傭兵を起源に持つスイスの魔術結社『
今もまだ残っているかもしれない瑞西クーデターの残党の何も変わらない。誰もが平和でそれを受け入れてくれるなら、俺達も喜んで廃業、俺も退役万歳であるが、そうはなってくれないらしい。
「そいつらは『新入生』と名乗っているらしい。集まった理由からして面倒そうな連中だぜい。暗部から抜けた奴らを『卒業生』と皮肉ってるそうだからにゃー」
「卒業生は快く見送ってやれよ……。お礼参りにでも来る気なのか? 何をしたいのかよく分からん。それで? 『新入生』と『卒業生』は分かったけど、『在校生』はどうするんだ? それは仕事の話なんじゃないのか?」
解体された暗部に反発したのが『新入生』。暗部から抜けたのが『卒業生』であるならば、『在校生』も存在する。土御門の言うほとんどに含まれない者達。元々暗部という分類とも少し違う立場にいた者にとっては、暗部が解体されたところであまり関係はない。
即ち『シグナル』。対暗部であり対魔術師、学園都市の防衛や、護衛を請け負う特殊部隊。曰くアレイスター=クロウリーの私兵部隊。俺、土御門、学園都市第六位、
「俺は雇われているという立場上、解雇されない限りは仕事を続けるし、青髮ピアスだって、名前を貸している延長みたいなものだろう? 上条はそもそも知らない訳で……そう考えると何ともビジネスな関係に見えるけど……、どうなんだ?」
帰って早々にキナ臭い話。『
「それがこの件に関しちゃ上はうんともすんとも言わなくてにゃー。黙って見てろって事なのか、まだ考え中なのか知らないがな」
「上ってアレイスターさんか? 前の暗部抗争の時は
「オレにもさっぱりだぜい。そもそもアレイスターの野郎が何を考えてるかなんてオレにだって分からねえし。そんな訳でオレも多少は暇なんですたい」
苦笑する土御門を見る限り、そこまで暇とも思えないのだが、そういう事なら『
各部門にスペシャリストを置いての部門ごとの傭兵機関にするつもりなのかは知らないが、その実験部隊として、『
腕を組んで空を見上げ、風に攫われてゆく紫煙を見つめていれば、隣に寄って来た土御門が一台の端末を投げて寄越して来る。中を見てみればずらずらと名前が書かれた一覧表。首を傾げる俺に土御門は言葉を続ける。
「スイスで話は聞いてたからにゃー。暗部が解体されたって言っても、その分必要な場所に手が回ってねえんだぜい。とは言えそれで暗部をまた作ってちゃ世話ねえし、
「あくまで『シグナル』が雇ってるのは俺個人ではあるものの、『
「学園都市に支部を構える『時の鐘』が大きくなる分にはオレも歓迎って訳だ。時の鐘学園都市支部のボスは孫っちなんだしな。一応その端末には暗部だった奴や今少年院に入ってる犯罪者の名前が網羅されてる。手早く仲間に引き込むとしても一般人はマズイだろう?」
「おぉマジか、すげえ助かる。持つべきものは友達だな」
どうせこき使われる羽目にはなるのだろうが。「調子いいにゃー」と呆れたように口遊む土御門から端末へと目を落とし一覧を眺めれば、元暗部や犯罪者と言った通り、学園都市第二位、
そうなると犯罪者として捕まっている者の方が、遠慮する必要もなければ、手荒く扱ってもよさそうだし、捕まっている分プロフィールも元暗部の者達より詳細で分かりやすい。とは言え、下手な者を誘う訳にもいかず、『
ただ『
「そんな訳で孫っち。仕事だ」
「えぇ…………今? 結局かよ……結局仕事じゃん。人をぬか喜びさせる趣味とかあるのかお前には」
「いやまぁ、上は何にも言ってきてねえんだけど、逆に何も言わないのが気に掛かってな。
「つまり土御門からの依頼って訳か?
「オレがあいつに? あっはっは! 言う訳ないにゃー」
この野郎言い切りやがった。わざわざ
「大天使に『
「孫っちとカミやんが大天使とどう戦ったのかも気になるが、孫っちの言ってる『やつら』ってのも気に掛かるしな。スイスとロシアにちょっぴり抜け出したツケが回って来ちまってて、オレもそこまで動けないんだぜい。武器やインカムなら準備できるんだけどにゃー」
そういう言い方されると俺も強く頼めないじゃないか。……そうなると、ライトちゃんもいないし困った。前に出れる者か、諜報ができる者、猟犬みたいな者がいると助かるのだが。休暇中で俺が死んでると思ってるかどうかは怪しいが、ボス達に早々に泣きつくのはありえない。そんなの俺が嫌だ。
しかし、ライトちゃんもいないとなると
「大丈夫か孫っち? なんか生きてるのを疑いたくなる程顔色悪くないか?」
「ほっとけ……ちっ、こうなったら折角お前から端末貰ったんだし、肉壁でもなんでも使える人員が至急一人は欲しいな。上条達が来るまで表立って動けない俺の代わりに動ける奴が。青ピに会ったら騒がれそうだし、浜面とクロシュに頼もうにも、どこにいるか分からない二人を探す時間がもったいない。『新入生』がどういった奴らなのかも分からないんだ。ある程度戦闘ができ、素早く動けてそれでいて連携が取れやすそうな人材でもいてくれれば万々歳なんだが、そうでないなら上条が来るまで待ってて欲しいなぁ」
仕事を受けるにも学園都市に帰って来て早速厳しい条件で取り組むのはしんどいし、さり気なく「もう少し待たねえ?」と土御門に訴えて見たところ、笑って端末を覗き込んで来た土御門に端末を操作され一つの名前を指差される。
「そう言うと思って、オレも孫っちの欲しそうな人材に目星付けといたぜい。こいつなんてどうだ?」
……あぁ、そうですか。優秀で助かるよマジで。そんなに俺に働かせたいのか……仕事がなければ上条が来るまで遠巻きに黒子でも眺めてようと思っていたのに……。ただおいおいこれは……。
「……えぇ……これマジで言ってる?」
土御門が指差す名前をタッチすれば、詳細な情報が映し出される。一番最初に、能力よりも先になんか『忍者』とか書かれてるんですけど……。ジャパニーズアサシン? マジで存在するの? 能力はAIM拡散力場の観測能力か……、俺も空間を微弱に揺らしている振動は手に取れるが、能力として見られるっていうのはどう違うんだろうか。興味は湧くが……。
「忍者って……、時代劇からでも引っ張って来たのか? 甲賀忍法帖とかなら読んだ事あるけども……」
「気持ちは分からなくもないけどにゃー、本人がそう言ってたそうだぜい? 傭兵の癖に信じないのか? 極東の傭兵を」
言ってくれる。分身したり、手裏剣投げたり、煙玉でボワっと消えるような奴が本当にいるのか疑問ではあるが、本当にいるとすれば土御門の言う通り人材としては申し分ない。それにちょっと忍術とやらは見てみたい。魔術や超能力と何が違うのか。技を重んじる者であるならば俺達と同じ。何より極東の傭兵という呼び名と能力が気に入った。俺の技を鍛えるのにも使えそうだ。それに本人の名前が。
「死人の亡霊らしく掻っ払うとしようじゃないか。時の鐘学園都市支部として、早速人材を確保できればボスにもあんまり怒られないかもしれないからな。どうせ仕事をするなら俺も旨味が欲しいしね。これからの為にまず勧誘に動くと────」
──ッッッドンッ‼︎
重い衝撃が空気を揺らす。遠く視界の先で土煙を上げている路地。能力の爆発などではない、聞き慣れた砲撃音が薄っすらと聞こえる中で、深く大きく口から紫煙を吐き出して肩を落とす。相変わらず学園都市の治安はお察しレベルから変わらないようで何よりだ。
「……おい土御門、まさかとは思うけど、まさかまさかとは言わないだろうな?」
「いやぁ……そのまさかまさかなんじゃないかにゃー? ほら、『新入生』ってだけに入学早々はっちゃけるもんだろう? 他の奴らが平和にやってるだけに目立ちたいんじゃないか?」
「悪目立ちするだけだろ。はぁ……、土御門は早速武器の調達と情報を拾って来てくれよ。俺も人材を調達して来ますかねぇ、あぁ黒子に会いてえなぁッ!」
「オレを睨んでボヤくなよ……、インカムならやるから頼むぞ孫っち。教えてやれよ、学園都市に『
だから今バレまくるのは宜しくないと言うのに。まあいい、『
だからこそ今の内に、上条とレイヴィニアさんが来るまでに黒子達諸々への言い訳を考えておかないと死ねる。ただでさえよくない一日が最低になる。よりよい一日を迎える為にも、早速新たな世界に隣り合ってみるとしよう。
まず会うのは、極東の傭兵、忍者だ。