「第七学区、中央ハブ変電施設。
「任せろ!」
「おう……それで上条、もうちょっとそっち寄ってくんね?」
「これ以上無理だっつうの⁉︎ 何が嬉しくて法水と相乗りしなきゃならないんだよ⁉︎」
一つの座席に男二人。飾利さんの時と同じく、木山先生の車が二人乗りのスポーツカーである所為だ。
顔の横にあるツンツン頭から目を背けながら、目的地に着くまで少しばかり時間があるので、パワーウィンドウを下ろした扉に肘をつき、久々にペン型携帯電話のインカムを耳に付けて小突く。ライトちゃんに電話をかけて貰う先は木山先生。別に『ラジオゾンデ要塞』についての事が聞きたい訳ではない。やる事は単純に発信機の破壊だけだ。これまで手にしていながら詰めて来なかった技術をこそ、時間のある限り詰めたい。敵になりうる者は既に動いているのだ。どれだけ時間を掛けても足りない。
数度のコール音の後、「何か問題かい?」と心配してくれる木山先生にそうではないと笑って答え、インカムを数度指で小突く。
「俺の新たな感覚の話だよ先生。時間の許す限り煮詰めたくてね。共感覚を用いての振動を使い続けた副作用で、物事を振動に変換して捉えられるようになったという話だったろう? 具体的にどういう使い方をすればいい? 俺は一種のレーダーのようにしか今は使ってないんだけど」
俺の言葉に木山先生は少しの間考えるように口を閉ざす。インカムの先では小さく黒子や
「取り敢えずその感覚は『共感覚性振動覚』とでも名付けようか。共感覚というもの自体色々な種類があるし、その全てはまだ把握されていない。何をもって別の何を感じるかは十人十色だからね。文字を見て色を感じる者もいれば、音を聞いて温度を感じる者もいる。それこそ君達の言う『技術』の中で特殊な分類に入る事は間違いないだろう。ただそれをわざわざ磨こうと思う者は少ない。だからこそ磨いた結果何が生まれるのか分からないのが少し怖いね」
木山先生の話は小難しい階段を駆け上がり始めない限り相変わらず分かりやすくてありがたいが、木山先生が怖いと言うぐらいには底が見えないものであるらしい。共感覚は本来受容器が受け取った情報を違った知覚として認識する症状であるが、その症状が多様性に富んでいるからこそ、その全てを把握する事が難しいのだ。個人によって誘因や症状の度合いが異なり、中には自分が共感覚であると気付かない者もいる。ただ共感覚自体はそこまで珍しいものでもない。
誰もが知る有名人の中にも共感覚を持っていると言われる者は数多くいる。例えば絵画『叫び』で有名なエドヴァルド=ムンク。日本人でも詩人、童話作家である
「共感覚によって生じる脳に掛かるストレスがどの程度なのかが分からない。特に法水君の場合は振動に感じるという事だから、共感覚の中でも、ストレスが強い部類ではあるだろう。急に意識を失うような事にはならないだろうが、あまりに強い振動を受けると感覚が麻痺してしまうかもしれない。……いや、法水君は痛覚が麻痺しているからこそ、ひょっとするとその程度で済んでいるのかもしれないね」
だからって日本にある実家には感謝したくないなと少し不機嫌にインカムを小突く。脳に負担が掛かっているというのはその通りなのかもしれない。実際にロシアで『ナニカ』の波紋を拾った時は、鼻や目から血が垂れた。ただ──、
「負担が掛かると言ってもそれは俺が理解できていないからって事はないのか? 漠然と言葉にできないものを考えるより、ある程度分かってるものなら負担は少ないとか」
「それはあるだろうね。例えば恐怖とは理解の外側にあるものから受け取るものでもあるし、無理矢理にでも『これ』と何か名前を付けて言葉にできるようにした方がいいだろう。『分からない』を操るよりも、その方が負担は軽くなるし、その感覚の理解が深まるはずだ。君のよくやる枠に落とし込む作業といったところだね」
なら早速『共感覚性振動覚』という呼び名は貰っておこうと考えながら、共感覚の話は一先ず置いておき、実際の使い方の話に移る。理論的な話を煮詰めても限界はある。何より今は時間がないので、簡単に大枠に囲んで纏めておきたい。そう告げれば、木山先生はまた少し考えるように一拍開ける。
「……レーダーのような使い方というのは正しいだろう。というよりも、それは無意識に拾ってしまうものだろうから切り替えるにはもう脳を弄るしか手がないだろうね。御坂君が無意識に電磁波を発していたり、第六位が無意識に肉体を調整しているのに近い。ただ法水君との違いは、能力者とそうでない点だ」
「と言うと?」
「能力者は言わば発信機だと思えばいい。AIM拡散力場を発してそれで情報を得ている。対して君は受信機といった具合だね。曖昧な境界ではあるのだろうが、君の場合はAIM拡散力場を発していない。吸い込んでいるだけだ。周りから影響を受けたからといって、それで君自身が変わる訳ではない」
俺は別に環境によって肉体が最適化されたり、電磁波に波を感じられても指先から電気が出せる訳でもないからか。そうなると本当にただの受信機だな。人型振動探知機で間違いはないらしい。ただ例えばAIM拡散力場の認識能力がある釣鐘とはどう違うのか分からない。
「釣鐘君だったかな? 君との研究にとっては面白い子を連れて来てくれた。言ってしまえば実際に見えているのと見えていないのが大きな違いだろうね。極論を言えば法水君のは勘違いだ。波を受けてそう見えているように感じているだけで、逆に釣鐘君は実際に見えている。釣鐘君の場合はAIM拡散力場が観測機の役割を果たしているといった具合かな。対して法水君はただ感知しているだけ。ただその感知の精度を上げるのなら、釣鐘君と散歩でもして見える世界の擦り合わせをするといい。アプローチの方向性は違っても、結果同じような事ができるようになると思うよ」
俺のは勘違いとは言ってくれる。まあ波を感じているだけで、この揺れはAIM拡散力場じゃね? と俺が判断しているだけという事か。確かにAIM拡散力場自体は目に見えるものではないのだから、そういう意味では勘違いというのも当たらずしも遠からずなのだろう。釣鐘と意識の擦り合わせをする事によって、どの波がどんな系統のAIM拡散力場の振動なのか精査すればいい訳か。やっぱりあの忍者は手放すには惜しい。俺の為に必要だ。
「じゃあレーダー以外に一つ。他人の鼓動というかリズムに合わせて動く技を少しばかり齧ったんだけど、それはどうかな? ある程度相手の動きも分かったりするけどそれも勘違いなのか?」
「なるほど……、いや、勘違いというよりも予測が正しそうだ。君はプロの傭兵として多くの戦闘を経験しているからね。筋肉の軋む音や呼吸の仕方から相手の次の動きを経験で無意識に弾き出していると私は予想する。相手の考えも読めるというなら、それは共感覚性から派生した共感能力が働いているからかもしれない。声も光も、波はこの世を構成している大事な要素の一つだ。くれぐれも扱いは気を付けてくれ。のめり込み過ぎるとどうなるか」
木山先生も心配してくれるが、石橋を叩き回って歩いている訳にもいかない。『やつら』とやらは既に動いている。街一つ容易く消し去れそうな要塞をぷかぷか浮かべて喜んでいる連中に遠慮などできない。だからこそ、俺も一つ思い付いた事がある。先程のレイヴィニアさんとの話で気が付いた事がある。リズムや鼓動を合わせられるのは、別に生物や機械に限った話ではないと。
「……木山先生、もし、もしもだ。この惑星の鼓動とリズムを合わせて星の胎動を叩きつけられると思うか? おそらく
「オススメはしないね」
ばっさりと木山先生に断ち切られる。少し厳しめの声で否定をしながら、その理由を木山先生は紡いでいく。
「星の胎動と共振させて体に流しては、拳一発放った瞬間、下手をすれば腕が弾け飛ぶだろう。腕だけならいい。体が四散する可能性さえある。自分の体に余剰が残らないように完全に通せたとして、僅かなズレが致命的だ。バードウェイ君も言っていただろう? 十年かけて準備をしても、たった一度で血を撒き散らし死んでは元も子もないと。法水君、できればそれは試しもしないと約束して欲しいね」
「……でも可能ではあるんだな?」
「まったく君は……白井君の苦労が身に染みて分かるよ。少し待ってくれ」
そう言って木山先生へ口を閉ざした。深呼吸するような音が聞こえ、紙のひらめく音とその上にペンを走らせる音。それが少し続く中で、上条と浜面の方へと目を向ければ、なんとも白い目を向けられている。何こっち見てるんだ。浜面は前を見ろ。
「……なあ法水、なんか腕が弾け飛ぶとか言ってなかったか?」
「気のせいだろう」
「時の鐘って……やべぇ、俺もう入っちまった」
「頑張ろうな浜面」
「いや、それ絶対俺には無理だぞ⁉︎」
俺だって腕が弾けるのなどごめんだ。たった一発で腕一本犠牲というのは、一度の戦いで身を犠牲にし過ぎている。体が資本であるからこそ、最低限大事に使わなければ、若狭さんにも申し訳ない。しばらくするとペンの走る音は止み、木山先生のため息が聞こえて来た。
「……ただやるなと言うだけでは君はやるだろうからね。教師泣かせの不良生徒だよ君は。『
木山先生の言葉に息が詰まり、熱を持った笑いが喉の奥から転がり出る。持ち上がる口端を隠せない。木山先生と約束?
「万事承知したよ先生。木山先生は約束を破らない。枝先さんとの約束も破らなかった先生だ。先生の必死は知ってる。約束するよ。必ず守る」
「その言葉を聞けて嬉しいよ。なに要は置き換えだ。魔術師の使う『霊装』のような物を作ればいいという訳だ。君の技術を一二〇%発揮できるものをね。君は狙撃銃を握ってこそだろう? 任せてくれたまえ『
そう締めて木山先生は電話を切り、俺は耳から外したインカムを握り締める。サンタクロースに頼み事をした子供の気分だ。生憎俺にサンタクロースが来てくれた事はなかったが、学園都市に来て随分美人なサンタクロースに出会えた。丁度中央ハブ変電所の前で止まった車から外へと降り、固まった体を伸ばす。
待っているのは有刺鉄線で囲まれたコンクリートの壁。『ラジオゾンデ要塞』と比べるとなんともこじんまりとした施設だ。人影もなく、動いているのは幾つかの警備用ロボットだけ。これだけ警備が手薄なら、防犯カメラも警備用のロボットもライトちゃんの力を借りればなんとかなる。有刺鉄線に電流が流れているのを確認するためか、落ちていた空き缶を有刺鉄線目掛けて投げる上条を横目に見ながら懐の
「先に行ってるぞ」
「え?」
浜面の返事を聞いて壁に向かって駆け、棒高跳びの要領で
「の、法水お前はオリンピック選手か何かか?」
「……本当にこういう時は頼もしいな」
「悪かったなこういう時だけ頼もしくて。発信機は施設のほぼ中央らしい。さっさと行くとしよう」
壁から落ちて来る上条達を確認しながら、施設裏口の扉を鍵を開けるのも面倒なため蹴り破る。「おいおい」と上条と浜面が呆れたような声を絞り出すのを聞きながら中へと踏み入れば、蛍光灯の青い光に照らされて立ち並んでいるパソコン達。敷地内に人がいないのは先程
ただそこには大型のコンピュータが並んでいるばかり。霊装の類は確認できない。コンクリートの床を
「法水なにやって……地下? 発信機は地下にあるってのか⁉︎」
「らしいな上条、ちょっと離れていろ。魔術相手は苦労するが、ただのコンクリートが相手ならそうでもない。ただ小突くだけでは大変だが、螺旋回転を加えて一点に力を集中すれば砕ける」
「人間重機かよ……スイスで嫌という程見たけどさ……」
後からやって来て呆れたように肩を竦める浜面に笑みを返しながら、
「はい砕けた! 後はシャベルの方が早い!」
「土方になった気分だぞおい……魔術と戦うってこんなんでいいのか? それに掘るんだったら外にあったボーリングマシン使った方が速えんじゃねえか?」
「……それもそうだ」
「……平和な方がいいと思うけど、俺もこんな土木工事みたいなやり方で魔術の相手するのは初めてだ」
建設重機を取りに外へ走っていく浜面の背を見つける。俺も下手に技を持っている所為で、逆に非効率に走る時がある。それは上条も同じだろう。幻想を壊せる右手を持っているからこそ、いざという時の幻想との向き合い方が俺や浜面とは違うはずだ。
「浜面! 丁度床を砕いたその真下だ! 遠慮なくガンガンいっちゃっていいぞ! ここ掘れワンワン」
「あいよ! 危ないかもしれないから離れててくれよ!」
掘削用の杭が取り付けられているアームが伸びて来る。耳痛い掘削音が狭い空間に響く中、上条と二人腕を組んでそれを見つめる。……暇だ。楽なのはいいんだけどスゴイ暇。こんな事なら部屋から爆薬の類を持って来ておくんだった。掘削風景を漠然と眺めていると、なにやら手を上げて口をパクパクしている。掘削音が凄まじ過ぎて何言ってるかさっぱり聞こえん。唇の動きを読む限り、『どこまで掘ればいい?』か?
その浜面の問いに答えるよりも早く、硬いものにぶち当たった金属音が部屋を満たし、火花と共に重機の杭が何かに弾かれた。ストップゥッ! と浜面に向けて手を上げて、アームを退けてもらい、上条と掘れた穴の中を覗き込む。赤く濁った結晶が闇の奥で光っており、上条と顔を見合わせサムズアップしエールを送る。ここから先は上条の仕事。唯一無二の魔術解体ショーの時間だ。
「……終わったみてェだな」
中央ハブ変電所から外へと出れば、落ちる事なく学園都市上空を通過して行った『ラジオゾンデ要塞』を確認してか、空から
『労いの言葉でも贈ってやりたい所だが、そう言えばまだ本題に入っていなかった事を思い出してな』
「また説明したがりかよ。あと一体何時間拘束するつもりなんだ……?」
『いいや。残るは核心だけさ。……「ヤツら」の名前だよ、そう……『やつら』の名前はな……」
ようやっとだ。たかが一組織の名前を教えてもらうのに馬鹿みたいに時間が掛かった。この先、きっと何度も耳にするのであろう名前をレイヴィニアさんは口にする。その名前を聞き逃さぬように俺も、上条も、
『……
「グレムリンの次の狙いはアメリカ合衆国らしい」
動きが速い。『やつら』の名前が分かった途端に次の狙いも分かっているとはどうなのだろうか。グレムリン。機械の誤作動を誘発し、飛行機などの兵器を使い物にならなくさせると信じられてきた妖精だったか。生憎俺はジョー=ダンテ監督の映画の方しか知らない。真夜中に食べ物を与えたら凶暴化しそうだ。学生寮に戻りレイヴィニアさんの話に耳を傾けながら、手の中で連結させていない短い
ただグレムリンの次の狙いを話すレイヴィニアさんの話に、
「お前にも何か言葉が必要か?」
「別に……ヒーロー談義なんてされても俺にはさっぱりだ。要はあれだろう? 平穏の中に居れば刺激が欲しくなるし、刺激の中に居れば平穏が欲しくなるってな。結局俺が聞くとしたら一つだけさ。俺を雇うかい? レイヴィニアさん。アメリカでもどこでもそれなら行くぜ」
「馬鹿を言え、なんで私がわざわざお前に金を払ってやらねばならん。……それに私が手を出さなくてもお前は行く。己が法則を貸し出す
何を言っても意味はないとか言いながら大分言葉を並べている気がするが、そういう事なら余計に俺から言う事もないだろう。どうせ戦場に呼ばれるのであれば、いつものように引き金を引くだけ。そこに必死があるのならば、俺も必死を込める。ただそれだけのこと。争いが起こっているのなら、どんな理由がそこにあっても、呼ばれたら終わらせるだけだ。
「
「……法水が一緒にいてくれるなら安心だな。どんな仕事で来るのか知らねえけど、どうせまた、隣を見ればお前がいるんだろ?」
笑う上条に笑みを返し、禁書目録のお嬢さんにも手を振って玄関から出る。……ただ俺の帰る場所は隣だけども。上条の部屋から一つ隣の扉の前で足を止めると、服の端を軽く黒子に引っ張られた。
「……また行ってしまうんですのね」
「まだなんの仕事も来てないからそうだとも言えないが……次はハワイだってさ。もし行くことになったらお土産何がいい?」
「はぁ……もう、孫市さんのそれに関しては諦めましたの。だから学園都市はわたくしに任せておいてくださいな。孫市さんのいない間に潰させたりなどさせませんから」
「なら何の心配もいらないな。さて、久々の我が家に帰るとしますか」
「ここは私が貰うっス!」
やべえ……居候が一人増えたの忘れてた……。
「……お前も大変だな、アレイスター」
学園都市第三学区の高級ホテルへとレイヴィニア=バードウェイは歩きながら、部下の黒服達との連絡事項を終えてふと呟いた。黒服達に言った訳ではない。独り言に見えなくもないが、それが目的の相手に届いていると分かっているからこそ、バードウェイは言葉を紡ぐ。
「先の『新入生』の騒ぎもそうだが、今回の『ラジオゾンデ要塞』で確信したよ。おそらくグレムリン側もそう結論付けただろうがな。……お前は、自由に動く事ができない。あの『新入生』の発生と行動がお前の目的に合致するとは思えないし、それが野放しにされたという事実も見逃せない。『ラジオゾンデ要塞』に至っては、学園都市上空を通過させる理由は何一つなかった訳だしな」
アレイスター=クロウリーの私兵部隊であるはずの『シグナル』に何の命もなかったのも証拠の一つ。古今東西の指導者やカリスマを調べ上げ、効率的に社会の中心構造を掌握する事を目的に行動しているバードウェイだからこそ、知っている。サンプルの一人としてアレイスター=クロウリーを追っていたから。
「『プラン』の誤差が許容を超えた、か。……私はお前が今何をやろうとしているのか、その詳細は分からない。……だが、一九〇〇年代、お前がまだ死亡扱いにされる前に何をやろうとしていたかについては一通り学んでいるつもりだ。その観点から言わせてもらえば……今の状況は、明らかにお前の目的から遠ざかっているはずだ。違うかね?」
返事が返って来ないと分かっていても、そのままバードウェイは言葉を続ける。返事はない。そのはずだった。ただ、バードウェイの歩く先、風に揺れるテンガロンハットを目に、僅かにバードウェイの足が緩む。前に出ようと動く黒服達をバードウェイは手で制し、変わらず足を出し続けた。そんな少女をテンガロンハットの影から見つめ、時の鐘の一人、ガラ=スピトルは口笛を吹く。
「第三次世界大戦、あれは困ったもんだな。私も久しぶりに冷や汗を掻いた。何十年も居たスイスを追い出される羽目になるとは、ナルシス=ギーガーを甘く見たか。私も歳を取ったもんだ。アレイスターの奴も同じさ。見た目は若かろうが、歳に嘘はつけないものだ。一度傾いた天秤を元に戻そうとして、より重いものを乗せてより傾いては意味もないとな。銃を撃つ時と同じ、ある程度場を見る事も大事だという事だお嬢ちゃんよ」
目の前まで歩いて来たバードウェイと隣り合うカウボーイをバードウェイは横目でチラッと見上げ鼻を鳴らす。現時の鐘の創立者の一人であり、その中心人物でもあり、学園都市の創立の際は護衛を請け負った傭兵の一人。バードウェイがサンプルとして追った一人。齢八十を過ぎている筈が、伸びた背筋で肩で風を切る老体の圧に黒服達の足が重くなってゆく。
「……ガラ=スピトル。お前も学園都市に来ていたんだったな。
「ここまで苦労した。誰もが夢を見る。どうしても幻想は消えない。幻想を幻想のままにしておけない人の知的好奇心の罪深さは面白いと思わないか? アレイスターの『プラン』の手助けなどする必要はない。『
笑うガラに合わせてバシッ! と軽い音が響き、テンガロンハットが宙に舞う。風に泳いでいくツバの斬り裂かれた帽子を目にガラは頭を掻き、地に落ちた帽子を手に取り埃を払うと被り直す。アレイスターからの挨拶。それを受け取り呆れるバードウェイの隣でガラは大きく頷いた。
「よし決めたぞ、今から蹴りに行く」
意気揚々と夜の街へと消えて行くテンガロンハットの男の背を見つめてバードウェイは肩を竦め、深く大きなため息を吐いた。当たり前に人々が自由に動き回り、それ故に大局の見定められなくなった混沌。これまでがそうであろうがなかろうが、結局自分の為にしか動かない馬鹿の動きを予測するだけ無駄である。