とある建物の屋上で煙草を咥えて寝転がる。気持ちよさそうに空を流れて行く白い雲が恨めしい。上条の護衛が仕事だというのに、ハワイに到着して早々に離れる事になるとは、相変わらず投げられる仕事は思った通りに進んでくれず何よりだ。サンドリヨンを操り口を封じた魔術師。グレムリンの目的は未だ分からないが、その裏に潜み人を操るくそったれの存在を知る事はできた。サンドリヨンが戦線を離脱しても問題がないという事は、ハワイで動いているグレムリンの計画は未だ進んでいるという事でもある。
口から紫煙を吐き出してハワイの街並みへと目を這わす。観光客で賑わう南の島のどこに敵が潜んでいるのか分かったものではない。食蜂さんのように、ある程度問答無用で他人を操れるのとは違うのか、サンドリヨンと人をマリオネットのように操る人形使いは、体を明け渡す為に合言葉のようなものを口にしていた。自分は大丈夫であると絶対の自信がある訳もないが、自分が操られていないとしても、ハワイにいる誰が敵なのか分からない現状、ゆっくり散歩もできやしない。それに今は俺が時の鐘だという事も少し足を引いている。
ゲルニカに軍服。一目で時の鐘だと分かる風貌は、知っている者への抑止にもなるが目印にもなる。レイヴィニアさんに他の服もバッグの類も焼かれちゃったし、上条を護衛するにしたって隣にいれば一発でバレる。監視衛星のように遠くから見守るのが一番いいという歯痒さに口を引き結んでいると、俺の隣で寝転がる
「世界最高峰の傭兵集団ってのは知ってたがなァ、魔術の世界にまで手ェ出してるとか、俺よりよっぽど裏にどっぷりじゃねェかオマエ」
「……遅いか早いかの違いだよ。暴力の絡む世界で目立つ立場にいるなら嫌でもあれもこれもそれにまつわる事は知る事になる。俺が入る以前から時の鐘はその位置に居ただけの話だ。言い方を変えれば学園都市最強の能力者も遂にその位置に足を踏み入れちゃったって訳だ。自分から踏み入ったにしろ、引き込まれたにしろ、これからの方が大変だ」
そういう意味では
それに知っていたとしても、それと相対した数はそこまで多くもない。その数が一段と増えたのは、上条と共に禁書目録と相対した後。今思えばアレこそが契機だった。時の鐘がより深く本格的に魔術絡みの仕事も請け負い始めたのはあの日からだ。
なんにせよ、一度新たな世界への一歩を踏み出してしまったら、此方が新たな物事に気付くように、彼方も踏み入って来た此方に気付く。ドイツの哲学者であるフリードリヒ=ニーチェが言った、『深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいているのだ』というやつだ。これはミイラ取りがミイラになるなという注意であるが、観測者とは観測しているだけでなくされているという事を覚えておけという戒めでもある。この世はプラスマイナスゼロ。なんとも時の鐘らしくニーチェの本は気に入っている。
「まああれだ、目的は大事だがその為になんでもしていい訳でもないってね。本当に何でもするならそれは自分の法則すら無視しているのと同じ事。どんな時でも自分ではいたいものだろう? それさえ捨てなきゃ相手が魔術師だろうが能力者だろうが同じだ同じ」
「オマエの割り切りよォには感心するがな、外の世界で有名なのも考えもンだ。こォいった相手が手合いの時はどォしても動きが制限されンだろ。オマエの顔グレムリンに割れてるみてェじゃねェか」
呆れる
「そうなんだよ、なんでだろうね? 能力者が基本能力者しか気にしないように魔術師も魔術師しか気にしない事多いんだけど、アレかな? スイスのクーデターの時に土御門が最後映像を際限なく垂れ流したんだけど他の国にも幾らか流れたらしいし見られたかな」
放送範囲に細かな調整ができる状況ではなかったとはいえ、ナルシス=ギーガーとの一戦は諸各国の一部にも拾われたらしい。
「スイスで何してたか知らねェが、グレムリンにオマエのファンでもいンじゃねェのか?」
「俺のファンとか、そう名乗った奴にロクな奴がいた試しがないぞ。魔術結社の『グレムリン』にバトルマニアでも居るって?」
「気が合いそォじゃねェかオマエと」
「そんな冗談言うなよ、言っておくが俺は別にバトルマニアじゃあない」
薄く笑いを零す
「こういう仕事の時に
「何で俺がオマエに奢ってやらなきゃなンねェンだ、オマエが奢れ、タカってンじゃねェぞ傭兵」
「はいはい、じゃあコーヒーブレイクの前に仕事を終わらせるとしましょうか。運のない一般人に俺の分も祈っておいてくれ」
口に咥えていた煙草を屋上の床に置き、狙撃銃のスコープを覗く。狭い世界の中にいるのはスーツの男。名前は知らない。仕事も家族構成さえ分からない。魔術を知っているかも分からない一般人に銃口を向けるのは気が咎めるが、殺す訳でもなく、最悪を打破する為であるのなら仕方がない。
「……当たるか賭けるか? 負けた方がコーヒーを奢る」
「賭けにならねェだろォがアホか」
衝突音と悲鳴が遠くから聴こえてくる中で、不機嫌に煙草を咥え直して息を吐いた。上手い具合にレイヴィニアさんが男を引っ張ってくれていればいいのだが、少しタイミングしくじったとか言ってぐしゃぐしゃの男を引き摺って来られたら堪らない。あのレイヴィニアさんのこと、そんな事もないと思うが。
「やっぱりハワイって言ったらコナコーヒー? それともカウコーヒー?」
「二つとも買えばいいだろ」
なぜ出費を増やす提案をするんだ。そんなコーヒーばっかり飲みたくねえぞ。好きだなコーヒー。お土産にコーヒー豆とか超買いそう。ただそんなもの買って帰ったら
「……
「要らねェ気を回してンな、無駄にマメだなオマエ」
「仕事先でお土産買って帰らないとロイ姐さんやスゥに怒られるんだもん。後で見て回ろうぜ、第三者の意見が欲しい。俺だけだと黒子へのお土産どうしていいやら」
「……俺を巻き込ンでンじゃねェ、第三位にでも聞け」
……が、よく考えれば御坂さんもハワイに来てるんだから御坂さんは御坂さんでお土産買うだろうし、その手を使ったら俺の黒子へのお土産選びの適当さが露呈するだけだ。しかも御坂さんと行動したとか言ったらまず怒られる未来しかない。危うく引っかかるところだった!
「この野郎! 危うく地雷を踏み掛けたぞ!
「誰もンな事頼ンじゃいねェ! 何言ってンだオマエは! オマエも旅行客気分じゃねェか!」
「軍服着て狙撃銃背負った旅行客が居て堪るか! 楽しい事でも考えてないとやってられないんだよ! それよりもライトちゃんから
「ッ⁉︎ その携帯こっちに寄越せ法水ッ! 砕いて海に捨ててやるッ!」
「わぁ馬鹿止めろ! 暴力反対! 首の電極から手を放せ馬鹿!」
「傭兵が暴力反対してンじゃねェ! このクソ覗き魔が!」
「いや
「あのガキッ!」
ミサカネットワークで普段どんな会話がなされているかなど知った事じゃないが、少なくとも俺と
『喧しいぞ男子高校生ども、そういう会話は学び舎でしていろ。二人目は回収した。後もう一人くらいサンプルが欲しい。次だ。さっさと働け紅白コンビ』
レイヴィニアさんは言うだけ言って通話を切る。人間を操るタイプの魔術師の術式を解析、逆算する為の見本が欲しいのは分かるのだが、まだ哀れな一般人を巻き込まねばならないのか。黒幕を暴くまではその一般人も気付いていないとしても安心できないだろうが、どこかで失った分の運が戻る事を祈ってやろう。
「……二人目は俺がやったから次は
「……別に構わねェがな、あのチビ俺達の事を小間使いか何かと勘違いしてンじゃねェのか?」
「……そう言えばレイヴィニアさんは辛い物が苦手らしいぞ」
「これで三人目」
可哀想な新たな被害者をマンホールから下水道に引っ張って
「……かじゅは、んんッ! 数は揃った。仕事に免じてお前達のお茶目は許してやらないでもない」
「別に許してくれなくてもいいがな、本当に操っている野郎にはバレねェのか?」
「多分な」
何とも心許ないレイヴィニアさんの返答に肩が落ちる。折角こっそりバレないように動いているのに、これで動きが全てバレていたらただの間抜けだ。下水道の小汚い空間と腐ったような匂いに鼻を鳴らし、
「こいつらを操っている魔術師は、おそらく被害者の五感を使って情報を集めている。だから下手に襲撃すればその事がバレる訳だが……逆に言えば、自然な形で意識を失えば、ヤツは危機を抱かない」
「とは言え急に人身事故が増えれば気にはされるだろう? 被害者の姿が消えているとしても、大規模な事故が増えれば怪しまれるってもんだ」
「分かっている。だから手早く済ませるとしよう」
「大丈夫なのか? 対象が意識を失っても目玉を動かし続けている可能性は」
「一人二人と襲って特に怪しい動きがないあたり大丈夫なんじゃないか? 手駒が狩られていたら嫌でも気にはするだろうさ」
「とにかく、これで術式の解析さえできれば、哀れな被害者を操っているヤツの居場所を辿る事も、一般人に混じって私達を襲おうとしている手駒を割り出し、一〇〇%完璧な防備を敷く事もできる。率直に言えばチェックメイトだな」
「……って事は、今までは一〇〇%じゃなかったのか? 自信満々にただの一般人を襲ってた可能性もあったと?」
「そうだったら最悪だな。狙撃銃を捨てたくなってくる。理由もないマンハントをする為に傭兵やってる訳じゃないぞ俺は」
「今のままでも十中八九は正解だ。それを一〇〇%に上げようと言っているだけさ」
小さく目を釣り上げる俺と
「それじゃ、材料も揃った所だし、具体的な解析に入るか。魔術について学ぶ気があるなら見学でもしていくと良い」
もちろん、と
オアフ島にあるショッピングモール、コーラルストリート、ウォールアートが点在する中からモールのエントランスへと足を向け、レイヴィニアさんは手に持った厚手の紙、パピルスをこれ見よがしに振る。
「なぁに。相手の術式を割り出すためのデータはすでに採取した。あとは時間がヤツの弱点を露呈する。自動作業完了までおよそ一時間。こうしている今も少しずつ情報は
あぶらとり紙というか、写真の現像というか、マーブリングに近い。水よりも比重の軽い絵の具を水面に垂らして浮かべ、水面にできた模様を紙などに写しとる絵画技法。人間を操る術式、滲む魔力などを吸い取ってどんなものであるのか形にするという訳だ。
レイヴィニアさんの横を歩く
「具体的に言えば、ロシア成教崩れだな」
「ロシアだと?」
「ヤツらは妖精の名を冠した術式を振るう。こいつの場合はレーシーかね。森の支配者、そこに住む全ての動物達の王。サンドリヨンが制御を預けた時、赤の何とか、黒の何とかって言っていただろう? さて、妖精と言えばロシア成教以外にもそんな伝承をよく使う魔術師集団がスイスに居たな? さて傭兵、レーシーとは?」
術式が分かるまでの時間潰しでもしたいのか、レイヴィニアさんはニヤリとした笑みを俺に向けてくる。学校の先生の真似事か? 「はい! 法水ちゃん!」と教卓から俺を指差す小萌先生の姿を幻視し、ほとんど答えはレイヴィニアさんが言ったような気がするのだが、それを補足する形で口を開く。
「……確か、足まで届く長く真っ白な髪と髭で体を隠した妖精だったか? 世界各地の森に住んでるとか言って、出どころはスラヴ神話じゃなかったっけ? 不思議なんだが、妖精って女か髭生やしたおっさんみたいなのが多いのなんでだろうね」
知るか、と
「それに、レーシーってのは森の動物を賭けてギャンブルをするのが好きなんだ。当然、負けた方は勝った方に動物の支配権を奪われる。サンドリヨンが言っていたのはそれを成立させる為だ。今回の場合、レーシーは周囲の環境を『森』とみなし、そこに住む人間を『動物』とみなして操作しているんだろう。その条件までは摑めないが、それも
「つまりそいつと何かの賭け事して負けたら体の支配権を奪われるって事か?」
「それも今に分かる」
歯痒い事だが、時間を掛ければ答えが出るのであればそれに越した事はないか。相手がギャンブル狂いなのか知らないが、手掛かりを手にできたのは大きい。「
「今のままでも十中八九、操られている被害者の割り出しぐらいはできるんだ。奇襲があったとして、それが成功する確率はほぼゼロさ」
自信満々に微笑を浮かべるレイヴィニアさんに肩を竦め、一歩足を出し僅かに足を止める。
聞き慣れた金属音が耳を撫ぜる。
聞き慣れた過ぎた音が。
音の出どころは────
────パンッ! パパンッ‼︎
乾いた聞き慣れ過ぎた音がショッピングモールの中を跳ね回り、衝撃が背中に突き刺さる。時の鐘の軍服を着ていて助かった。レイヴィニアさんに他の服を燃やされて結果的に助かるとは、腕の中で見上げてくるレイヴィニアさんに防弾耐性のある軍服だから大丈夫だとウィンクを送り、リロードの為か一度止んだ銃声に合わせて立ち上がり振り返る。
怒号と悲鳴が搔き混ざり、観光客達が蜘蛛の子を散らすように逃げていく中で立っている黒人の男が一人。鍛えられた屈強な肢体、ある程度正確な銃撃から軍関係者であると当たりを付けて一歩を踏む。立ち上がり首の電極へと手を伸ばす
「待て、軍関係者なら何に銃を向けているか分かっているだろう? 次にその引き金を引くようならその必死を返してやるぞ。誰の命令か知った事じゃないが……」
拳銃を握り大きく体を震わせた黒人の男。その屈強な体とは裏腹に、目からは涙を流し、噛み合わぬ歯を食い縛るように佇んでいる。サンドリヨンが操られていた時のように他人の気配を感じず、男の目から床に落ちる感情の結晶を睨み付け、強く大きく舌を打った。
「……動くな。そのままでいい。銃を構えたままでいいから動くなよ。今は俺も動かないでおいてやる。銃口は俺に向けたままにしろ。人質を取られたな。イタリアンマフィアが似たような手を使ってきた事がある」
「っ⁉︎」
目を見開き一歩足を下げる男の目を見つめ、震える手がブレるのを目に、銃口は俺からズラすなと自分の胸を小突く。わざわざ手間を掛けて刺客を仕立て上げるとは、相手は魔術師の癖に随分と此方の領分に近い事をしてくれる。胸糞悪さが突き抜けてしまいそうな中で、レイヴィニアさんが俺の横へと並んで鼻を鳴らすと、胸元から一枚のタロットカードを取り出しひらめかせた。大アルカナの十二番、『
「クロウリーのタロットに当てはめれば、一つの時代としての『神の子』の死の象徴が対応する。本来は処刑の話とは違う象徴だが、意図的に曲解させれば特に『体に突き刺す』事には滅法相性が良くなる。……私だって銃大国へ足を踏み入れる時は防弾装備ぐらいしておきたいと思うさ。ただ、分厚い防弾ベストで汗だくになるのは勘弁願いたいがな。わざわざ守ってくれずともよかったんだ、私はただのか弱い乙女ではないぞ」
「知ってるさ。ただ銃のことなら俺が一番知ってるからな。一般人に向けるのも、向けられるのも嫌いだ。特に撃つ気もないのに撃たせられた銃弾が知り合いに当たるのは見たくないな」
当たらなくてよかったと、差し向けられた刺客から目を離すこともなくレイヴィニアさんに言葉を投げる。
「最初に動いたのはお前だ
レイヴィニアさんの助言に感謝して手を振り、また一歩男に向けて足を踏み出す。気圧されるように足を下げる男の手は震えたまま拳銃の引き金から指が離される事もなく、一度は引き金を引いたものの上手くはいかなかった為に再び迷いが生まれたらしい。危害は加えないと言うように両手を上げて男に向かい足を出す。銃声を聞きつけ、いつ警察が来るのかも分からない。来られれば今の均衡は崩れる。
「その一線は超えるべきじゃない。超えてはならない。人質を思えばこそな。……誰が奪われた? 恋人か? 親友? 妻か? 息子? 娘?」
最後の言葉に男は小さく肩を跳ねる。人質に取られたのは娘か。細く息を吐き出して男に向けて微笑む。
「良い父親だなあんた。俺を撃った事は気にするな、慣れてるし、忘れていい。娘のヒーローのままでいてやってくれ。銃を撃つのは俺がやる。喋らなくて結構だ。ただ俺が銃口を向けるべき先を教えてくれ。 『
男に近寄り拳銃の上に手を乗せる。男に向けて笑いかければ、ゆっくりと男の瞳が揺れ動き背後を差した。通路の奥へ目を向けるが人影はなく、目に見える場所にはいなくとも、その視線の先に居るという事。男に「
「弾丸は込められた。人質を救出し首謀者の顔を証明写真と区別がつかない程歪めてやる。どうやら相手は俺が心の底から嫌うタイプの相手だ。止めるなよ」
「そこに黒幕がいるなら止める理由もない。ただこれは『私が相手の術式を解析している事を知っていて対策を練っている』アクションだった。だが、グレムリンはその根拠はどこで得た? 私のやり方は完璧だったし、お前達の回収作業にも不手際はなかった。にも拘らず……楽しくない状況だ。だが調べてみれば楽しいものが出てくるかもしれない」
考えるように言葉を紡ぐレイヴィニアさんに頷き、「それじゃあ行ってくる」と手を上げる。黒幕の居場所が分ったなら、さっさと倒せば上条の護衛も捗る。
「待て待て! 放たれた銃弾かお前は! 少しぐらい考える時間を作れ! 向けられた襲撃者が一人な訳もないだろう、他の者とも連絡を取るから少し待て!」
携帯を取り出し上条に電話を掛けるレイヴィニアさんから目を離せば、黒人の男は床に膝をついたまま俺を未だ見上げてくる。首を傾げれば、男の目は煙草に向いているらしく、吸いたいのかと差し出せばそうではないらしい。煙草臭いと娘に嫌われたくはないという事でもないようで……男に向けて煙草を指差して見せると頷かれる。
「ちょっと煙草吸いに
「だから待てと言っているだろうが! だが場所は分かったようだな」
「俺達の居場所も完全にバレたらしィがなァ」
逃げた観光客達とは逆に、此方に走って来る幾つかの足音が聞こえてくる。使い捨てバッグから狙撃銃を取り出し
「
「舐めンな法水、回り道なンざする必要はねェ、こっから先は一方通行だ」