時の鐘   作:生崎

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ナチュラルセレクター ③

 赤く染まった視界。

 目の前に並んだ大量のモニタを眺めて、ライトちゃんの指示に従いキーボードを叩く。バゲージシティ各所へ温水暖房を供給するための管制室、供給不可能になっている場所は、まず間違いなく戦闘中か戦闘の終わった場所。地下通路のどこが通れるのか確認しながら、額に張り付いた血を拭う。自らの出血ではなく返り血だ。キーボードを叩いていると、不意に視界が柔らかな白色に包まれた。手に取ればタオル。何処からか持ってきたらしいメイドに投げつけられた。

 

「そのケチャップにダイブしたみたいな化粧をさっさと拭って貰えるかね? 目に痛くて敵わない。流れ作業のように殺し出すものだから躊躇なさ過ぎて引いたよ実際」

「学園都市の兵士を潰せばそれだけ参加選手の被害が減る。鎮圧に動いている、あまり戦力にならないバゲージシティの軍と違って不確定な要素が動いてくれた方が隙ができると。何よりバゲージシティ側もテクノロジーが奪われるくらいならと此方を殺す勢いだ。問答無用で殺しに来てる連中を殺したところで誰が文句を言うのか。お前も分かってここに来てるんだろう?」

「そりゃまあね」

 

 やれやれと首を振り、肩を竦めるメイド、雲川鞠亜(くもかわまりあ)の目が俺から壁を背に床に座り込んでいる近江手裏(おうみしゅり)さんの方へと向く。学園都市の最新装備と、垣間見えた魔術の技。近江さんの想像を超えていたらしい現実に軽く頭を揺さぶられたらしい。とは言えそれでもまだ入り口も入り口。超能力者(レベル5)や一級の魔術師と比べると話にならない。やって来ている『木原』と『グレムリン』に会敵していないからこそ、まだそれで済んでいるとも言えるのか。

 

 立て掛けてある軍楽器(リコーダー)を連結した狙撃銃を背負い、メイドに頭からタオルを掛けられている近江さんに歩み寄って身を屈める。

 

「大丈夫ですか?」

「……あぁ、大丈夫だ。……あれが法水、お前の戦場なのか」

「増えたのは半年ぐらい前からですけどね。最近はこんなのばかりです」

「イヤだね殺伐としていて。血生臭くて困ったものだよ」

「ほとんど俺がやったのに、なぜ一番頑張りましたって顔をしてるんだお前は」

「私は行くのを勧めなかったのに引っ張り込まれたからさ。キラーマシンの我儘に付き合うなんて、あぁまた強度が上がってしまうな!」

「……そうですかよかったね」

 

 謎の喜びに打ち震えているメイドはどうだっていい。後ろからついて来て見てただけだし、ってかマジで見てるだけだったな! 俺が前衛として進み、零した敵を近江さんが殺ってくれたおかげで、背後を気にしなくてよかった。ある程度大々的に見せびらかしている能力者の存在と違い、未だ魔術はそこまで世界の表に浸透していない。裏に潜む忍者でこの有様。近江さんならすぐに立ち直るだろうが、魔術師の世界を先に知っているアドバンテージと恐ろしさが改めて分かる。それもこの戦場の更に奥で蠢いているのは一級品だ。

 

「おいメイド、あんまり歩き回るな。もう少しで多少は安全なルートを割り出せる」

「キラーマシンの命令はあまり聞きたくないね。そもそも私は人捜しに────」

 

 メイドの言葉が衝撃に飲まれた。

 

 声を掛ける暇もなく、吹き飛んだ出入り口の破壊音に飲まれ、避けはしたものの部屋の中で着弾した砲弾の衝撃波に弾かれて床を滑るように転がってゆく。近江さんに被さるように身を屈め、煙の中に消えたメイドを追って瞳を動かす。

 

 

 ガツンッ‼︎

 

 

 骨の軋む音が響き、煙の奥から蛍光イエローのメイド服が床を転がり滑ってきた。頭からは血を垂らし、首筋に手を添えれば意識を失っただけで死んではいない。恐らく殴られた際に身を逸らして衝撃を逃した。強かなメイドの姿に小さく息を吐き、管理室に砲弾を撃ち込んだバズーカ砲を傍らに捨てる人影を目に、横になっているメイドの前へと足を伸ばす。

 

「ええと、あのやっぱり気が引けるなあ。戦わずに済むならそれが一番なんだけど……」

 

 椅子やテーブルの破片を踏み付けて立った先、煙を掻き分け奥から姿を見せるのは小柄な少女。バズーカ砲を放ったとは思えない気の抜けた言葉を並べながら、左右に結われた黒髪の団子を傾げる。柔らかそうなセーター、ミニスカート、黒いストッキング、これから町にお出掛けしますと言うような、戦場には似つかわしくない日常から切り取ったような服に身を包み、気弱そうな態度は戦士のものではない。

 

 だからこそ冷や汗が頬を伝う。

 

 メイドは、雲川さんは弱くない。それを一方的に鎮圧できるとするのなら、それは普通ではない証拠。戦場の奥から『本物』がやって来た。取ってつけたような武器を振るうだけでない、何かしらの技を携えた者。魔術か能力か、それとも……。

 

 首から下げた幾つもの携帯端末を揺らしながら、少女は諦めたように首を傾げる。

 

「でも、『木原』なんだから仕方がないんだよね?」

「木原ッ⁉︎ 下がれ近江さん! 相手は一級の技術者だッ!」

 

 少女の言葉に呼応するように、一斉に部屋のモニターに電源が通う。俺の弄っていたモニターも侵食されたように画面を変えて、変化を続けるグラフ群の映像が場に溢れた。それを少女は己が瞳で吸い込んでゆく。その波の動きには覚えがある。他人の狭い世界に触れた時のような世界の鼓動。その振動。それを瞳で食らうように、少女から感じる波が恐るべき速度で動きを変える。イタコの口寄せのようにその身に他人の思考を写し取ったかの如く。

 

「分かったよ、数多おじちゃん。辛いけど、本当に辛いけど、『木原』ならこういう風にするんだね……ッ!!」

「お前ッ、俺と同タイプか⁉︎ ははっ! 初めて見た! そうだよな、技術ってのはそういうもんだ! 不思議と嬉しくなっちまうがそれはそれぇッ!」

 

 おどおどとしていた動きを変えて、突っ込んで来る少女に合わせ、近江さんへと狙撃銃を投げ渡して一歩を踏む。

 

 少女の動きに合わせて体を揺らす。

 

 その俺の動きを縫い付けるように少女もまた足を踏み込んだ。精密に正確に。その動きには覚えがある。初見の一撃であろうとも、タイミングを合わせて来た猟犬部隊(ハウンドドッグ)を従えた男。その男の名を少女も口にしていなかったか? 

 

 距離を詰めるその間に、チェスの駒を進めるように足を運ぶ少女は、拳を撃ち合う距離に達する頃には、己が有利な立ち位置へと俺を誘導する気だ。体の振りの動きを変えて、無理矢理相手の足運びを引き千切る。自ら危険地帯へと踏み込むように、大きく足を踏み込み踏み抜いた。

 

 ミシリッ! と骨の軋み音が響いた。

 

 懐に飛び込まれれば一方的に殴られるからこそ、強引に距離を潰し相手の拳が伸び切る前に拳を振り切る。それでも相打ち。脇腹に少女の拳が差し込まれる。ただ距離さえ潰せれば後は単純に体格差と膂力差で弾き飛ばせる。少女の顔面を横薙ぎに殴り飛ばし、後方のテーブルを巻き込んで転がっていく少女を目で追い呼吸を整える。勢いに乗る前だったおかげで骨にヒビは入っていない。

 

 ()()()()

 

「……いたた、女の子の顔を迷いなく殴るなんて、怒られるよ? お兄ちゃん」

「ただの女の子はこんな所に来ないし、相手の急所目掛けて拳振らないし、殴られたと同時に身を捻って威力を殺したりしないんだよお嬢さん。戦いたくないと言ったな? できるなら俺もだ。回れ右してお家に帰れ。それとも俺達に協力でもしてくれるのか?」

「死ぬお手伝いならしてあげるけど?」

 

 可愛い顔して言う事酷いな。

 同じような技術を扱う者として、できるなら語りたいところであるが、少女にそんな気はないらしい。舌を打って目を細める。波に合わせる。似たような技術でも、俺は相手に合わせるだけで、相手の技術まで拾い込む事はしない。だが少女は違う。動きどころか、思考パターンまで恐らく変えている。模倣と言うよりは憑依型の自己暗示に近いか? 他人の波に同調する事に掛けては、俺より上なのは間違いないが、ある程度事前に知っている相手しか無理なのか? 

 

 調子を確かめるように軽く跳ねる少女の前で深く考えている時間はないらしい。息を吸って息を吐く。その技術は素晴らしいが、自分の色の薄い少女は気に入らない。自分の人生を蔑ろにしている。少女の必死はどこにある? 誰かになりたいと願っても、誰かになれる事などなかろうに。

 

「金槌レベルの破壊力を顕微鏡サイズで制御する。それが数多おじちゃんの戦闘パターンなんだよね……ッ!!」

「そうなんども似た技見せられて、仮初めの技術でやられるかよ」

 

 木原数多の一撃はもっと重かった。少女との体格の違い、鍛えられた肢体。自分の技術を十全に振るう為に積み上げた結果それがある。技術だけを取ってつけたようにパクったところで、それを振るう土台を少女が積み上げたとは思えない。突っ込んで来る少女に合わせて再び突っ込む。相手の足運びに合わせて同じように足を運ぶ。衝突地点が同じなら、リーチの差で此方が上回る。ただそれは相手も分かっているはず。だから必要なのは、拳を振るうよりも、そこに到達するまでの道のり。

 

 一歩、二歩、三歩。迷わず差し出される精密な少女の動きに乗るように、同じように足を出す。少女の足が床に転がる椅子の破片を蹴り上げながら一歩を踏む。

 避けない。

 頬を擦り裂く破片の感触を感じながら、前に体を押し出しテーブル破片を蹴り出すように足を出す。

 分かっていたように少女は足を滑らせ飛んで来る破片に足を擦らせながらも更に一歩。

 一歩。

 一歩。

 間合いだ。

 

 頬から垂れる血を振り払うように身を揺らして拳を握る。体全体で一つの拳を放つように波に乗って、身を捻り点を撃つように腕を振るう少女に向けて。

 

 ズルリッ、と。拳と拳の距離が近付く中、三つ目の拳が衝突しようという拳の間を割って伸びた。

 

 肘で俺の拳を弾くように腕を振るい、少女の顔へと三つ目の拳が飛来した。

 

 ただ距離が距離だ。少女の拳の方が早く当たる。

 

 俺と少女の間に割り込んで来た三人目。白いコートに白いフルフェイスヘルメットの男は、それを見越したような踏み出した足で少女の足を払い、バランスを崩した少女の拳は、ヘルメットを擦り上げるように動きを変えた。身を反らし数歩下がった男に合わせ、少女もまた足を下げる。

 

「……木原円周(きはらえんしゅう)か。『木原』としては及第点に達していないとは聞いていたが」

「あなたはだあれ?」「誰だお前?」

「話は後だ軍楽隊(トランペッター)。その娘達を守るなら私は敵ではない」

 

 急にやって来て敵ではないとか言われても信用しづらい。しかも俺の事を知ってるらしいが、生憎白尽くめのコート男に知り合いなどいない。しかも戦闘能力も馬鹿にならないとなれば……警戒し近江さん達への進路を塞ぐように足を動かせば、正解だと言うようにヘルメット男は小さく頷き、木原円周と呼んだ少女へ向き直る。なんだその頷きは、なんか見た事あるぞ。木山先生や小萌先生がするような……。

 

「アドバイスお願いね、数多おじちゃん、ううん。乱数おじちゃん、混晶お姉ちゃん、測量クン、解法おばちゃん……。だめだめ、違う違う。そう、そうじゃない。ええと、ええと、うん、唯一お姉ちゃん!!」

「……マジか

 

 思わず口からぽろりと声が漏れる。

 少女が誰かしらの名を呼ぶのに合わせ、グラフ群の動きの変化に合わせて少女の鼓動もまた変わる。この野郎いったい何人に合わせられる? 波を拾うにしても一つのことに特化している。誰かの技術や思考パターンと同化する技術か? 少し幻想御手(レベルアッパー)の技術に近いが、やりたい技ではない。

 

「……足りない分の思考を外部からのスクリプト入力で補っている訳か。そもそもの専門は『学習装置(テスタメント)』辺りかな。人格が原型を留めているかはかなり疑問ではあるが」

「うん、うん、唯一お姉ちゃん。こういう時は『木原』ならこうするんだよね……ッ!!」

 

 また少女の波が変化する。粗暴にして過激。さっきと動きがまるで違う。俺の天敵みたいな少女だな。穿つとするなら借りた技術を使う体格の違いによって生まれる差だろう。

 

「そんな訳でーえ、体内の二酸化炭素揺さぶって全身の血管ぶち破ってやるぜえ!! ……っていうのが『木原』らしいので一つよろしくっ!!」

「いいや」

「凸式の……指向性地雷!?」

「これが『木原』だよ」

「……えげつな」

 

 木原とは何かみたいな禅問答を繰り広げながら、男はコートの内側に隠された指向性地雷を迷う事なく起爆する。地雷を格闘戦に使うってなんだ……。

 

 凸型の指向性地雷は、凸型をした板に爆薬を貼り付ける事で、扇状に爆風を拡散させる地雷。面で制圧し大多数の人間を一纏めに潰す兵器。爆風と共に仕込まれた五百発の散弾が少女を蜂の巣にする為ばら撒かれた。

 

 耳痛い轟音と壁を砕く散弾の雨音の中で、ただし肉を抉るような音は聞こえない。重なり合った波紋のおかげで木原円周の波や他の波紋が塗り潰される。

 

「……逃げたか。距離が近すぎたかもしれないな。引き付け過ぎたか。扇の根元に近い部分なら、横方向への殺傷域は狭くなる訳ではあるのだし」

「いや、逃すなよ、寧ろ逃したんじゃないのか? 敵じゃないと言うなら挟んでタコ殴りにした方が早かったろ」

「……それは『木原』を甘く見積もり過ぎだ。木原円周がどんな手を残しているのか分からなかったからこそ、纏めて吹き飛ばすつもりだったのだが」

「や、やめろ、その微妙にうっかりしてたみたいな発言をするな。知り合いの姿がちらつく」

 

 なんかこのヘルメット男は苦手だ。初めて木山先生に会った時の事を思い出す。少なくとも、敵ではないと言った男の言葉に嘘はないらしく、殺気も敵意も感じない。ただ、あの地雷の衝撃でなぜ男に怪我がない? 胸部から凹んだ鉄板を落としたが、それで無事で済むような威力ではなかった。俺から目を移しメイドと近江さんへとヘルメット男は顔を向けると、警戒し近江さんが園芸シャベル型のクナイを構える。

 

「やめておけ。それじゃ私には勝てない。君を軽んじている訳じゃない。むしろ威力が高すぎるから私を殺せないと言っているんだ。それに正直、君達と戦っても私に得はない。私は『木原』に特化しているしな」

「……言ってる事がよく分からないが、なんだ? そこのメイドもそうだったけど、今日はお前は俺に勝てない宣言が流行ってるのか? ってかお前は誰だ? どっち側だ? まさか観光客じゃないだろう? 『木原』に特化ってなんだそりゃ」

「法水孫市、君が居て少し安心した。敵対者でない者にとっての最悪を君は穿つ。ただ君では少し弱い。戦場において死を否定しない君では、絶対とは言い切れない。ヒーローではなく悪魔(デビル)の君では誰に幕が降りるのか分からないからな」

 

 話聞かないなこの人。しかも何かよく分からない事を言い出すし。レイヴィニアさんも言っていたヒーロー談議か? 流行ってるのか? ヒーローだのデビルだのニチアサのテレビ番組の話か?

 

「だからこそ、必ず上条当麻を捜し出せ」

「……はい?」

「彼もこのバゲージシティに入り込んでいる。事態が事態なので振り回されてはいるがね。上条当麻と遭遇できるかどうかは、君達の生死に直結する。率直に言えば、会えなければ死ぬ可能性が高い。木原円周が君達を襲ったのは、木原病理(きはらびょうり)の周りにいた不確定因子を排除するという、おおよそ『木原』らしくない思考を持った円周の配慮によるものに過ぎない。とはいえ、『木原』から登場人物として認識された以上、まっとうな方法で生き残る事は難しい。それこそ、上条当麻クラスを引き合いに出さなくてはな」

「いやちょっと待て⁉︎ 上条⁉︎ なんで居るんだ⁉︎」

 

 ハワイから帰ってねえのかよ⁉︎ なに来ちゃってるんだ? だいたいレイヴィニアさんも先に帰ったし、俺も先に出たしで気付かなかったけど、上条の奴一人で来たのか? いや、いやいや、ハワイの一件を自分の所為とか考えれば来るか上条なら。来てんだろうな……。あれ? ひょっとして学園都市に帰ってないから上条の護衛も自動的に継続してるなんて事ないよね? 

 

「……上条、当麻って言うのは……?」

 

 近江さんの当然の疑問にヘルメット男は小さく頷き、俺に向けて人差し指を伸ばした。

 

「彼の学友、ただの一般人の少年だ」

 

 ここまで期待できなさそうな上条の紹介を初めて聞いたぞ。怪訝な表情を浮かべた近江さんに見つめられ、その視線から逃げるように俺も微妙な顔をヘルメット男に向けると、ヘルメット男は気にする事もなく話を続ける。スルー力が凄い。

 

「あらゆる危機を解決できる訳ではないし、おそらく『木原』と『グレムリン』が闊歩するバゲージシティの崩壊は止められないだろう。しかし一方で、あれは目についた登場人物を片っ端から救い上げる性質を持つ。『木原』が片っ端から破滅させるのと同じように。『木原』から逃れるためには、あのレベルの人物を使うしかない。……本来なら対『木原』戦は一方通行がベストなはずだが、法水孫市、君がいれば補えるはずだ。最高を掬い、最悪を穿てれば活路がある」

 

 ヘルメットの男は、気を失っている蛍光メイドに近寄ると、屈み込み、脈拍や呼吸を確かめる。「命に別状はないよ」と補足するように伝えれば、ヘルメット男は小さく頷き立ち上がった。男から感じる鼓動の変化に目を細める。このヘルメット男は……。

 

「メイドさんが好きなのか?」

「違う。目が覚めたらこの娘にも伝えてくれ。このままでは高確率で死亡するのは同じだ」

「……お前は占い師かよ。死ぬだの生きるだの今決めないで欲しいんだけどな」

「だが嘘は言っていないと君なら分かるはずだ。悪いが、私は私で目的がある。『木原』に特化していると言っただろう。何より、今の私には君達の身柄を保護できる自信がない。私も『木原』の一人だからな」

「なんだって?」

 

 ヘルメット男はもう疑問に答える事なく、ボロボロのコートをはためかせて出口から外へと歩いて行った。追おうかとも思ったが、気絶しているメイドと近江さんを一瞥しやめる。なんとも色々押し付けられた気がしないでもない。その振る舞いがうちの居候の一人に似ているからこそ気が抜ける、やはりどうにもあのヘルメット男は苦手だ。

 

 

 

 

 

 少ししてメイドは目を覚ました。近江さんが学生鞄の中に入れていた医療道具で応急処置をした頭を撫ぜ、木原円周とヘルメットの男の話をすれば悔しそうに舌を打つ。

 

「私が追っている人間だ。木原加群(きはらかぐん)。しかしプライドを折るにはまだ甘い。ここにいるって事が分かったのは進展だ。目撃情報は間違っていなかった」

「知り合いだったのか、そうか、俺はてっきりあのヘルメット男はメイド愛好家か何かかと思ったぞ」

「なんでそんな風に思ったんだ……?」

 

 ゴミを見るような目でメイドに見られる。だってメイドを見た時のヘルメット男の波が落ち着いたからさ。知り合いに義妹狂いのメイド大好き人間がいるから同族かと……。ってかそれより名前だよ。マジで『木原』か。木原が木原と戦ってるって? 第三勢力とかならやめて欲しい。

 

 悪かったからその目で見つめ続けるな蛍光メイド。

 

「アンタが何を抱えているかは知らないが、私達も移動しよう。バズーカ砲の女もまだ生きている。あいつが仕留め損なった私達を追うため、再び戻ってこないとも限らない」

 

 俺とメイドを見比べて呆れたように肩を竦めて近江さんが言う。確かにいつまでも使用不能になった管制室に居るものでもない。木原円周とヘルメット男のおかげで安全なルートを割り出す前に部屋が壊れた。

 

「……その前に、だ」

 

 そう一言挟んでメイドは立ち上がると、途端にメイド服を叩き出し、前後ろと満遍なく自分の服へと目を向ける。

 

「身嗜みを確認しなくても安心しろ。無事埃だらけで確認する必要もない」

「そうではない。盗聴器や発信器の有無の確認。意識を失っていた間に何をされたか分かったものじゃない。目的の木原加群にこちらの位置や会話が知られていては、同じフィールドにいたっていつまでも逃げ続けられるに決まっている」

「服にチップをつけられているようには見えないが」

「目で見えるような大きさじゃないかもしれない。ナノデバイスでも使われていたら、衣服の繊維の網目に潜り込ませる事だってできるぐらいだ」

 

 俺と近江さんの言葉を否定し、丹念に服を見回すメイドの姿がどうにも可笑しい。確かに盗聴器だの発信機だの付けられていては堪ったものではないが、それならそれで俺はライトちゃんに聞いた方が早い。そうでなくても波の当たり具合で分かる。

 

「くそ……やはりこれだけでは何とも言えないな。一度服を脱いで、高温のドライヤーでも浴びせるしかないか。それなら目に見えない機材の内部構造を破壊できるはずだ」

「盗聴器にしても発信器にしても、電波の送信状況を調べれば有無は確認できるのでは? ラジオ一つで変化は摑めるはずだ」

「それよりも、単純な機械相手なら此方でどうとでもなる」

 

 そうなのか? と首を傾げる近江さんに、ペン型の携帯電話を小突いて応える。俺の相棒の一人は本当に頼もしいよ。ただそれだけでは心許ないと、メイドが静かに首を左右に振った。

 

「大きな餌を発見したアリが、どうやって仲間に位置を教えて行列を作らせると思う? フェロモンだよ。匂い。情報の送受信に電波を使う必要なんてない。化学薬品系なら電子回路を使う必要すらない。学園都市だと電気とか磁力とか操る連中も珍しくないからな。そうしたものを迂回した機材の開発だって当然進められている」

「それはドライヤーで温めるとどうなる?」

「『情報送受信用薬品(データフェロモン)』の組織構造が壊れる。塗り立ての絵の具にドライヤーの温風を浴びせるようなものかね。絵の具自体は残っていても、色合いは自然乾燥とは全く違う、いびつなものになるはずだ。中のデータはボロボロになる。寒さには強いんだがね」

「嗅覚センサーの発信機バージョンみたいなものか。しかしよく知ってるな。メイドってのは歩く百科事典の代名詞だったか?」

「万全を提供するのがメイドというものさ」

 

 マジかよメイド凄いな。バッキンガム宮殿にいたメイドは全然そんな感じじゃなかったのに、ただ蛍光メイドよりもずっとお淑やかであったけど。しかもそんな偉そうじゃなかったし……。

 

 そんな訳でドライヤーが必要だと管制室を出て探す羽目になった。至る所で戦闘継続中の戦場の中でドライヤーを探す日が来ようとは驚きだ。ただ、メイドが少し前にタオルを持って来てくれた時にある程度ありそうな場所に当たりを付けていたらしい。すぐに職員用のロッカールームに辿り着くと、ドライヤーを探り当てる。

 

 そうしてすぐにメイド服に手を掛けると、メイドは服を脱ぎ捨てて床に広げドライヤーの温風を浴びせ始めた。ついでにシワも多少伸ばしているらしく、その姿はさながらアイロンかけ。暖房が点いていても寒いのか、メイドは内腿を擦り合わせながら僅かに鼻を啜る。

 

「……化学繊維だからビニール袋みたいにならないか心配なんだよね」

「作業にはどれぐらいかかる?」

「まんべんなくやったら一〇分から二〇分ってところかな。君はどうする?」

「こちらは問題ない。元々、忍者は戦闘や諜報で頻繁に薬物を使う集団だからな。それを見分けるための試薬がある。服のどこかに小細工されていれば、その箇所に『別の色』が浮かび上がっているはずだ」

「白衣の進化バージョン?」

「そんなところだ。お前が語るようなミクロな機材が本当にあるなら、試薬に使われる弱い酸でも壊れてしまいそうなものだしな」

「便利なもんだな、うちの軍服は言わば軽い甲冑ってな具合なものだけど。忍者の技術とは面白い」

「あぁ全くだね……うん…………そう……────何故まだいる?」

 

 ロッカーに背を付け上手いものだとメイドの作業を眺めていると、急に冷ややかな目をメイドと近江さんに向けられた。いったいどうしたというのか。出入り口から敵でもやって来たのかと二人の視線の先へ振り返ると、何故か「誤魔化すな」と言われる。どういうこっちゃ。

 

「別に誤魔化してもないんだが、こんな状況じゃあ纏まって動いた方がいいだろう。ドライヤーかけの作業中に背後から撃たれて死にましたじゃ死因が残念過ぎる」

「そんな事を聞いているんじゃないのだよ。というか君……よくそこまで無表情でいられるな……枯れてるのかね?」

「んな訳あるか失礼な奴だな、お前の裸体に全く興味がないだけだ。女の裸一つで騒ぐかよ。俺に襲い掛かって欲しかったら、せめて背を縮めて髪を結え」

 

 そう言って肩を竦めてやれば、数歩俺から離れた近江さんが何かから守るように学生鞄を盾に突き出した。

 

「の、法水お前ッ、それで私に近付いたのか⁉︎」

「違えんだよなァッ⁉︎ 何言ってんのッ⁉︎」

「それは君だ。出てけ変態様め」

 

 ロッカールームからメイドに雑に蹴り出される。冷ややかな床がとても冷たかった。


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