時の鐘   作:生崎

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ナチュラルセレクター ⑥

 木原円周(きはらえんしゅう)が野菜工場に向かっているらしい。

 

 別段野菜の収穫に向かっている訳でも、お腹が減っている訳でもない。別の木原が持ち込んだらしい戦闘用のカビを応用し、突然変異を起こして感染力と毒素を増し増しにした生物兵器を野菜工場で培養しばら撒こうとしていると。そう、サフリーさんが教えてくれた。

 

  生物兵器禁止条約(BWC)を知らないのか? 知ってて踏み倒しているなら尚悪い。それを上条に負けずお人好しであるらしい蛍光メイドとサフリーさんが見逃すはずもなく……てか見逃すと死ねるので見逃せない。

 

 しかし……。

 

木原加群(きはらかぐん)か……」

 

 零した小さな呟きは、誰に届く事もなく吹雪に巻かれてすぐに埋もれてしまった。医務室を借りていたドーム状競技施設から場所は既に外。アルプスで見慣れた銀世界の中に足を落とす。そもそも木原円周の行動をサフリーさんに伝えたのは、メイドの追っている捜し人。木原加群さんだとか。

 

 唯一木原加群の動きが読めない。『木原』が動いたのは分かりやすい。学園都市から離反した反学園都市サイエンスガーディアンへの報復。それを予見して『グレムリン』が反学園都市サイエンスガーディアンに自らを売り込んだのだとして、『グレムリン』の目的がはっきりしない。なるべく学園都市の戦力を削る為なら、そもそも来る道中で潰すか、さっさと学園都市に攻めればいい。それだけの戦力があるだろう。

 

 誘き寄せて各個撃破を狙うのだとしても、それなら『グレムリン』の直接戦闘担当様とやらがいないのがおかしい。何か目的があるはずだ。学園都市と戦う事は分かっていたのだろうから、それ以外の何かが。ただその『何か』がなんなのか分からない。そしてそれと同じぐらい木原加群の目的も不明。

 

 『木原』と戦い、目に付いた参加選手を助け、助言をするも姿を消す。未成年の死亡事案に深く関わっていると言ったが、メイドの立ち振る舞いとここでの木原加群の動きを見る限り、シリアルキラーという訳でもない。なら何故ここにいる。『グレムリン』の目的と木原加群の目的。別に知りたいとも思わないが、必要なら知るしかない。

 

 細く息を吐き出して狙撃銃を握る。目にするのは少し遠くを歩くメイドとサフリーさんの後ろ姿。狙撃での援護をする為。再びマリアン=スリンゲナイヤーのような相手がひょっこり出て来た時の対策だ。吹雪の所為で前を歩く二人の会話はほとんど聞こえないがそれならそれで構わない。声は拾わず、ただ周囲の波だけを拾う。

 

 等高線に支配されたような波の世界を感覚の眼で感じながら、白む息には目もくれずにただ自分の動きを頭の中で繰り返す。これまであった想像と現実のズレ。それを極限まで削り落とす為に。歩きながら波の世界で先を行く俺を追う。一歩一歩足を出す。ただ追っても追っても追いつかない。理想なんて永遠に辿り着けるかも分からない。ただ歩き続けていると、足を止めていた二人の背には追いついた。

 

「どうした?」

「変電施設だ‼︎」

「変電施設がどうした? 木原円周が居るのか?」

「そうじゃない! 全ての野菜工場を停止させる為に変電施設を破壊すれば止められる!」

「あぁ、そういう」

 

 縦に横に、周囲に並んだ数百個はあるコンテナ状の野菜工場。それを見てメイドが告げた。学園都市に続いてまた変電施設を目指すなんて『グレムリン』も『木原』も変電施設が好きらしい。吹雪の先に佇むフェンスで四角く囲まれた空間へとメイドは顔を向け、その視線を引き付けるように、音を立てて野菜工場のコンテナの一つの扉が吹き飛び宙を舞う。

 

「……ま、ちょっと考える頭があれば弱点だって分かっちゃう、よね?」

 

 木原円周。コンテナの扉を蹴破ったのか、差し出していた足を緩く振るい、首元の携帯端末を揺らしながら、手に持つ紅茶の缶を握り直し足を下ろす。それを横目に見ながらすぐに引き金を押し込んだ。

 

「あっ」

 

 

 ─────ボンッ‼︎

 

 

 呆気ない声を木原円周は上げ、変電施設が吹き飛んだ。上がる黒煙と吹雪が混じり合い、木原円周の零した間の抜けた言葉を飲み込んでゆく。手から紅茶の缶を滑り落として呆然と立つ木原円周に銃口を向け直すと、両側からメイドとサフリーさんに肩に強く手を置かれる。なんだいったい。

 

「ちょ、ちょっとちょっと! 年端もいかない少女を無惨に吹き飛ばしちゃうのはお姉さん感心しないよ?」

「多分だけど彼女のプライドをぽっきり折って、更に命までへし折るのは流石に可哀想じゃないかな?」

「え? 俺が悪いの?」

「悪くはないんだけどね、この破壊には爽快感より悲壮感が漂ってるような……」

 

 破壊に爽快感だの悲壮感だの関係ないように思うのだが、サフリーさんの美学はよう分からん。だいたい弱点だって分かっててなんの対策もしない相手が悪い。

 

 ただ突っ立っていたのも少しの間、すぐに木原円周は足元に落とした紅茶の缶を蹴り上げる。的確に正確に俺の手から狙撃銃を弾き、瞳の中に揺れ動くグラフを浮かべた少女が俺へとゆっくり顔を持ち上げた。マイナス二十度。湯気を立てていた紅茶の缶は、僅かな時間でも中身を凍らせてしまい鈍器と何も変わらない。風に押されたのか小さく身を揺らしながら、懐からチャッカマンのような物を取り出して、木原円周は首を傾げた。

 

「なんでこんな事するの?」

「それはお互い様だろうが、生物兵器育ててる奴に言われたくないぞ」

「こうなったらもう戦争だよ? やられたらやりかえさなくっちゃ、『木原』だったら、きちんとグチャグチャにしなくっちゃ‼︎ そうだよね、数多おじさんッ‼︎」

 

 数歩下がった木原円周がコンテナに向かってチャッカマンの口先を伸ばす。押し込まれた引き金に合わせて、コンテナの一つが火に包み込まれる。ライターの起こす火には見合わぬ大きさに目を見開き、後ろへ飛んで弾かれた狙撃銃を急ぎ拾う。コンテナを燃やす理由。その訳は。

 

「スキーやスケートで上手く滑るのって、雪や氷じゃなくて、摩擦で溶けた水の力を借りている。……そうなんだよね、数多おじさん」

「知ってる。スキーならアルプスで死ぬ程やった。だからアイスホッケーもついでにやろうか。上手く避けろよお二人さん」

 

 目を見開いて走り出すメイドとサフリーさん、銃撃を避けようと見つめてくる木原円周に笑みを返し、溶けた氷が滑らせる燃えたコンテナの二段目に向けて引き金を引いた。変電施設を吹っ飛ばした炸裂弾が、だるま落としのようにコンテナの二段目を激しく弾く。雪と共にコンテナが上から降ってくる。

 

「ッ‼︎」

「『木原』のびっくり科学教室は他所でやれ、ここは戦場なんだよ木原円周」

 

 一辺二メートルのコンテナ達が積み木崩しのように零れ落ちた。鉄の肌をする音と衝撃音が、燃え盛る変電施設の音と雪を掻き回す風の音を飲み込んでゆく。どうせ崩れるなら、こちらで力を加えて敢えて崩す。炸裂弾の衝撃によって生まれた力の向く先とその逆にメイドとサフリーさんは足を向け、それぞれを分断するかのように間へと足を落とし出したコンテナを睨み、木原円周に向けて足を踏み込んだ。

 

 ここは木原の実験場ではなくただの戦場。一々相手の御高説に付き合ってやる必要などない。駆け上がり跳んでコンテナに飛び乗りその先へ。爆風に巻き込まれて倒れていた木原円周の姿は既になく、あるのは炎に包まれている幾つかのコンテナ。

 

「やろうッ」

 

 コンテナ崩し合戦を繰り広げるつもりか? 一対一で此方の動きを見られている距離だと、弾丸を当てるのはおそらく厳しい。それだけの技術が『木原』にはあるのだろう。ならやるべき事は、弾丸を吐いても避けられぬ位置まで近寄るか打撃で潰す。もしくは誰かとやり合っている中で狙撃で撃ち抜く。

 

 ただそうなると、知る必要があるのは相手の居場所。悩んでいる時間も惜しい。連結していた狙撃銃の銃身、軍楽器(リコーダー)を取り外し、力強くコンテナに打ち付け耳に近付けた。コンテナの雨が強い振動を打ち鳴らす。衝撃を吸い込む雪の中であろうとも、これだけ喧しければ関係ない。隠れた少女を波が追い、浮かび上がった少女に向けてコンテナの上から飛び出した。

 

 着地した所で勢いで身を滑らせ、置かれているコンテナを通り過ぎながら軍楽器(リコーダー)を振るい叩く。鉄の振動が共鳴し見えない安全な道を描いてくれる。走り出したと同時に元の位置にコンテナが落ち、その衝撃を避けるように身を捻った背後に新たなコンテナが転がった。一寸先に危険があろうが、落ちる前に走り抜ければないも同じ。コンテナの影から転がり出た先でお団子頭が俺へと振り向き、首元で大きく携帯端末を揺らした。

 

「見つけたぞ」

「やっぱり来た、束縛も恐怖も関係ないなんてお兄ちゃんはおかしいの!」

「……それ、俺だけじゃないようだがな」

 

 ガツンッ‼︎

 

 骨の軋む音が響き、眉を顰めていた木原円周の体が真横に吹き飛ぶ。吹雪を掻き分け、蛍光イエローのメイド服が空から木原円周に飛来した。コンテナを踏み台に、自ら危険に突っ込んで走り向かって来たメイドの鼓動に目を細める。

 

「ぐっ……、が……う、二人、目ッ? 私の『木原』が動作不良を起こしているから、束縛の効果が足りなかった……っ!?」

 

 怒りを覗かせ見下ろしてくる雲川鞠亜から木原円周は転がるように距離を取る。『木原』が動作不良を起こすってなんだ? 動作不良を起こすようなものなのか知った事じゃないが、少女にとっては重要らしい。メイドと挟むような形で立つ俺へと木原円周は目を走らせるものの、すぐに口を開いたメイドの声に引っ張られるように顔を戻す。

 

「……私の知ってる『木原』とは随分違うね。木原加群っていうのは、こういうのを用意するとは思えないんだけどな。そこまで器用な人なら、そもそもあんな事件を起こして学校を去る事もなかっただろうし」

 

 メイドの滲んだ怒りの訳はそれか。追っている捜し人の狭い世界をチラつかせて悪用するような木原円周が気に入らないか。一歩。メイドと目配せし、僅かに足を下げる。雲川鞠亜の目が手を出すなと言っている。その必死を汲み取って、俺がすべきはここから木原円周を逃がさぬ事。マリアン=スリンゲナイヤーの時とは訳が違う。微温湯のような戦場ではない。俺にとっても、メイドにとっても。木原円周は雲川鞠亜の怒りに火を付けた。

 

「数多おじさんを押し返したぐらいで、『木原』を圧倒できたとでも? 乱数おじさん、幻生おじいさん、病理おばさん、那由他ちゃん、唯一お姉ちゃん、蒸留お兄ちゃん、混晶お姉ちゃん、直流クン、導体おじさん、加群おじさん、分離お兄ちゃん、相殺ちゃん、顕微おばさん、分子お兄ちゃん、テレスティーナおばさん、公転お姉ちゃん」

 

 それに気付いているのかいないのか、木原円周は名前を並べる。俺も顔すら知らない『木原』の名を。そんな中に混じっているつい最近聞いた名が一つ。携帯端末の画面に浮かぶグラフが動く。木原何某のリズムは写せても、他人の心に合わせるつもりはないらしい。小さく眉の端を跳ね上げたメイドの姿に気付かずに、体の内側で周波数を変えるが如く木原円周はリズムを変えた。

 

「私は確かに『木原』が足りないかもしれないけど、そんな私は五〇〇〇人の『木原』の戦闘パターンによって支えられている!! たかだか学園都市製の、『闇』にも踏み込めない程度の下草ごときに折られる巨木じゃない!!」

 

 

 ────メゴンッ‼︎

 

 

「ば……?」

 

 木原円周の口から漏れ出た空気の音。木原円周が叫んだと同時に、メイドの靴底が顔に埋まった。

 

 ()()()()()()だ。

 

 敵を前にしてかちゃかちゃかちゃかちゃッ、俺達はヒーローの変身シーンを待つ怪人か? んな訳ない。何よりも、思考のリズムさえ切り替えられるのが強みだとして、切り替え過ぎのお陰で周波数のつまみを持つ木原円周自身の鼓動(リズム)が透けて見えてしまう。続けて振るわれたメイドの横薙ぎの蹴りが木原円周の側頭部を打ち抜き、雪の上に赤い線と呻き声を引きながら木原円周は転がって行った。

 

「ばごヴぇるごぶちゃえ!?」

 

 何語だそれは。口と鼻から血を垂らした木原円周の言葉が言葉になっていない。そんな少女に向けて表情変えずにメイドは一歩足を出す。俺には撃つな的な事を言っていたメイドにまで嫌われ敵に回すとはどうしようもない。虎の尻尾を見事に踏み付けた。

 

「君の敗因は二つ。五〇〇〇人の『木原』だか何だか知らないが、君はどうやってその戦闘パターンを分析した? 心理テストでもしたのか、読心能力者(サイコメトラー)の手でも借りたのか、あるいはストーカーのようにじっと観察し続けたのか。いずれにしても言えるのは一つ……君が分析したと思っている各人の戦闘パターンは、本当に一〇〇%分析する事に成功していたのか? 外付けで実力を補う程度の人間に、そんな完璧な結果を導き出せるとでも?」

「……っ!?」

「気に入らないって顔だな。だったら試しにやってみろ。私としても気になるんだ。君の口から、木原加群の名前が出てきた事がね。まあそれが本当なら、私は君の手で再現された木原加群に為す術もなくやられるしかない訳だが」

 

 雲川鞠亜の言葉を否定するように木原円周のリズムが変わっていく。携帯端末に描かれたグラフが揺れ動く。口にされた木原加群に切り替えた。それだけは波を見ずとも分かる。

 

「うん、うん、分かっているよ、加群おじさん。こういう時、『木原』ならこうす……っ!!」

 

 カチリッ、と歯車が嵌ったように木原円周が顔を上げたのと同時。

 

「ふざけんな」

 

 雲川鞠亜の振り抜かれた拳が木原円周の顔に吸い込まれるように沈み込んだ。血の弾ける音がする。本人を深く知ってる者なら嫌でもよく分かるだろう、思考のリズムを変えたところで、その本人になる訳ではない。磨かれた技術を完全に再現できる訳がない。その粗が木原円周の足を引く。見て知っている者には大きな穴にしか見えない。雪の上を転がり俺の足元まで転がって来た木原円周を見下ろせば、周りさえ見えていないのか、俺の体に手を付き足取り悪く立ち上がる。

 

「この程度か? この程度で木原加群を名乗るのか? ……だったら、これでクオリティは証明されたようなものだな。とてもじゃないが、そんなオモチャじゃ誰も再現なんてできやしない。大方、事前に木原加群だの木原数多だのの名前を出しておいて、その名前を知っている個人を怯ませる程度の効果しか生んでいない。二つ目の敗因が知りたければ後ろの彼にでも聞いてみろ」

「かみじょ……っ‼︎」

「テメェ舐めるなよ、それを俺の前でこんな事のためにひけらかすのか?」

 

 右拳を握る少女の足を払い雪の上に転がす。殴ってやるのも馬鹿らしい。弾丸一発さえもったいない。握られた右拳は握られたようでその実何も握ってなどいない。木原以外まで写し取れるのは驚きだが、それを写す意味が分かっていない。

 

「分かってるよ、()()()()なら……っ!!」

「本気で言っているのか?」

 

 メイドに向かって立ち上がる木原円周の顎が跳ね上げられた。本人に本人ぶつけてどうする。修練の跡が、積み重ねの差が、努力の色が、削って来た時間を比べて勝てる訳もないだろうに。

 

「技術とは、借りるものではなく身に付けるもの。泥水啜って血反吐を吐いて、自分の血肉としたものを技術と呼ぶ。借り物競走なら、借りるまでならお前は一番だおめでとう。だが一着には絶対なれない。ただ借りてるばかりじゃそれは技術と呼ばないんだよ。走り直してから出直せボケが。どれだけ借りるのが上手くても肝心の足が遅いんじゃどうしようもねえってな。他の『木原』はどうでもいい。お前の底は透けて見えた」

 

 木原円周は空っぽだ。なぜ技術を借りるのか、自分に何もない故か。他人の物語に憧れるまま、そこで足を止めて自分の物語を描いていない。自分であって自分じゃない。それは俺が最も忌避するもの。木原円周は何者でもない。殺すのすら馬鹿らしい。何者でない者を殺したところで、覚えることもできなさそうだ。これでは大きな赤ん坊と変わらない。

 

「勝て、ない……?」

「そうだ」

 

 木原円周の疑問に、メイドは断言し、俺は肩を竦める。

 

「私では、私の頭脳では、どんな『木原』を使っても、上条当麻や雲川鞠亜をコマンド実行しても、絶対に勝てない……?」

「率直に言わせてもらえば、ヘタクソなゲーム用のAI相手にチェスをやっているような気分だよ」

「しかも頭脳は関係ないだろう。お前の心は脳味噌に詰まってるのか?」

 

 木原円周の携帯端末の描かれたグラフが狂ったように乱れ動く。目の焦点が定まらず、俺とメイドの顔を少女の目が何度も往復する。ただ、その動きが時が止まったかのようにぴたりと止んだ。

 

「いいや勝てる!! 私には解法がある!! だって私は『木原』なんだから!『木原』は、『木原』っていうだけで『木原』なんだって、数多おじちゃんも乱数おじちゃんも加群おじちゃんも病理おばちゃんも言っているんだから!!」

「……木原加群ならそう言うんだろうって思っている時点で、君が解析した木原加群はもう間違っているんじゃないかな。私の知ってる木原加群は、多分それは言わない」

 

 顔を染めている血を拭う事もなく木原円周は口端を持ち上げ舌舐めずりする。瞳の奥で瞬いている勝機。木原円周がリズムを合わせた。グラフの静まった携帯端末に合わせられたそれは即ち木原円周自身のリズム。ようやく垣間見えた少女の狭い世界の断片にどうしようもなく眉間にしわが寄ってしまう。底が透けて見えるといった意味を理解していないらしい。メイドに向かい身を落として突進する少女は、マリアンのように人質にでもする気なのか知らないが──。

 

「お前分かってる? ここにいるのはメイドと傭兵。磨いてもいない技術で俺達の技術と競う気なのか?」

 

 マリアン=スリンゲナイヤーもヤバい奴だったが、彼女には彼女自身が磨き抜いた魔術があった。雲川鞠亜も奇襲や異能が相手だったからこそ一手届かなかったが、自らの技を磨く者。それに比べて何ともちっぽけな脅威。いや、脅威にすらなり得ない。メイドの回し蹴りが木原円周のこめかみを蹴り抜き、回りながら飛んで来た少女を俺も上へと蹴り上げる。振り切ったコンテナを追うように、少女の体と手放されたチャッカマンが雪の上に落ちる。勝負の先は見えた。

 

 だが、それでも木原円周は弱々しく雪を握り立ち上がる。

 

「まだ……まだッ」

「……執念だけは立派だが、やめておけ、そのまま寝てろ」

「イヤ、だ……私は……並ぶ。私の……必死ッ、……欲しい、私に……なりたいッ。()()()()なら……そう言うんだよね?」

「お前……」

「────」

 

 ぼそり、と。木原円周から零された言葉に目を見開く。俺の底の底の底。そこから掬い上げたような言葉に思わず足が一歩下がった。声にならないような小さな呟きであったとしても、無意識に骨がその揺らぎを拾ってしまう。血で汚した顔の口端を持ち上げて、ヨタつきながらも木原円周が一歩を踏んだ。身を揺らし流れに乗ろうと腕を振るが、波の世界からはズレている。力ない少女の拳を受け止めれば、血に濡れた紅い少女の瞳が。静かに俺を見上げている。

 

「……私は、私になりたいな」

「……そうだな、そうだよな……本音か嘘か知らないが、俺もそうだ。お前がその気なら、きっと世界一のカウンセラーになれるよお前。……知れたお礼だ、『木原』が何か、詳しく俺は知らん。だからその代わり、俺がお前に『時の鐘』を教えてやる。今は寝てろ」

 

 木原円周の意識を削ぐ。意識の波を断つように、顎を擦るように拳を振るう。雪の上に四肢を投げ出した木原円周を担ぎ上げれば、微妙な顔のメイドが待っていた。

 

「私は雇ってくれないのに少女誘拐はするのかい?」

「人聞きの悪い事を言うんじゃない。木原円周の言う事が本当ならこれは歩く『木原』大全集みたいなものだぞ。学園都市で仕事をするならあって悪いものでもない。『木原』だかなんだか知らないが『時の鐘』流を叩き込んで調律してやる。でなきゃ不発弾を抱えてるみたいでおっかないし」

「そんな警察にお世話になりそうな事言って大丈夫かい?」

「マジでやめろ、お前それは……マジでやめろッ!」

 

 そういう事言ってるとマジで来るぞ! 誰とは言わないけど、凄い目敏い二人の審判が学園都市にはいるのだから、そういった発言は控えていただきたい。メイドを睨み付けていると、円周を担いでいる肩とは反対側の肩を叩く軽い衝撃。目を向ければ、揺れているポニーテール。くノ一が微笑み残念そうに手に持ったクナイを遊ばせていた。

 

「あら、私の出番はなしかなこれは?」

「近江さん! どこ行ってたんですか? 心配したって言わない方がいいですかね?」

「いやいや、マリアンとやらには逃げられちゃってね。私もあんまり得意な顔できないんだけど。その代わり面白いのを収穫したみたいじゃない法水」

「あぁそうか……傭兵と忍者に捕まったのか。少しだけ同情するね。少しだけだけど」

「どう言う意味だよメイドおい」

 

 言わなきゃ分からないのかい? と言いたげに鼻で笑うメイドの視線を手で払う。すっかり蚊帳の外と言いたげに、ようやくコンテナ群を掻い潜って降りて来たサフリーさんが両手を上げて姿を現し、知り合った者達の顔を見てホッと息を吐く。

 

 

 ────ガッキャンッ!!!! 

 

 

 その吐息が途中で止まる。吹雪に紛れて甲高い音が響いた。

 

 場所は未だ積み上がったままの少し離れたコンテナの上。吹雪の中でも音を奏でた者のその姿は瞳に映る。ヘルメットの欠片を振り撒いたボロボロのコートの男。それともう一人。もう一人? そもそも人か? 人影から何かを突き破ったように異形がその姿を白銀の世界に晒す。

 

 ただ、なによりも。波を和らげる雪の中でもその波長を変えない異端な波が二つ。魔術と超能力。生命力の波紋を浮かべるのはコートの男。もう片方は異形から、異形のリズムこそ違うが、コートの男の一撃に千切られたような異形の修復する姿は見た事がある。アレに似ている。無理矢理粒子を広げて衝撃を流し、何度も白い翼を広げた学園都市第二位に。未元物質(ダークマター)に。

 

「木原加群……あいつ、魔術師だったのか?」

 

 異形の一撃がコートの男、木原加群を貫いた。雲川鞠亜が息を詰まらせる。その先で舞うはずの朱色は舞う事なく、木原加群は佇んだまま。見れば分かる致命傷だ。そのはずだ。どこにどう食らえばヤバイのか、それは俺も嫌という程知っている。貫かれたのは頭に心臓。そのはずなのに木原加群は無傷。どころか、自分から致命傷になるように動いているようにさえ見える。そういう魔術? どんな魔術だ。

 

 不死身。一瞬過ぎったその予想は、木原加群が腕を裂かれたと同時に血が舞い否定された。

 

「なんだあれ……即死無効みたいな魔術なのか? ただ相手の再生速度を見るにあれじゃあ消耗戦だぞ。このままじゃあの男……」

 

 間違いなく死ぬ。即死せずとも出血多量で死んでしまう。そんなの俺だけでなく、近江さんやメイドにだって分かるだろう。木原加群に分からないはずがない。それなのになぜあんな戦い方をする?

 

「木原加群ッ‼︎」

 

 雲川鞠亜が男の名を呼ぶ。考えている時間が惜しい。

 

「近江さん!」

 

 木原円周を近江さんに投げ渡し、軍楽器(リコーダー)を狙撃銃に連結する。ボルトハンドルを引き弾丸を込める。狙う相手は分かっている。弾丸で穿つ相手はただ一人。

 

「法水……ッ」

 

 メイドが俺の名前を呼ぶ。向けられた瞳が揺れ動く。期待するような目。その目を受け止め前を向く。他のものに目を向けている暇はない。

 

「法水頼む先生をッ!!!!」

「……俺の報酬は高いんだよ。だからきっちり払え。俺は俺の為にしか引き金は引かない。だからお前の必死を俺に見せろ。その代わり俺の必死を見せてやる」

 

 男の顔を見れば分かる。あんな戦い方をして恐怖の色もない。死ぬ気だ。ここで死ぬ気。それが木原加群の必死なら、俺もその必死に合わせよう。気に入らないものは穿つ。死ねばそこで物語(人生)は終わる。俺の見たいメイドの必死にはまだ木原加群が必要だ。ここで死ぬ気の木原加群の必死と、『今』が見たい俺の必死。どちらが上か比べてやる。時の鐘は外さない。二度はない。一キロさえ離れていない。ちらりと木原円周に目を向ける。ぼそりと零された言葉の通り。持ち上がった口端を隠す事なく引き金を引いた。

 

 

 ────ゴゥンッ!!!! 

 

 

 歪んだ空気が線を引く。瑞西の至宝が飛んで行く。かつて第二位を、イカロスを撃ち落とした弾丸が。垣根帝督(かきねていとく)は受け止めてみせた。学園都市が超能力者(レベル5)の能力を掠め取って利用しているのは知ってはいるが、垣根自身が積み上げた技術を異形の者が扱い切れるかどうなのか。垣根も垣根で、アレはそんな安い男じゃないぞ。

 

「受け止めろ」

「ガァァァァァ────ッ⁉︎」

 

 放たれた弾丸が異形を包む弾けた空間に押し出され、空に舞った木原加群が落ちてくる。その影が地面に叩きつけられないように、メイドが走り手を広げた。受け止め、巻き込まれ、左腕の千切れた木原加群と雪に塗れる。

 

「近江さん止血だッ! 木原加群の左腕を縛れッ!」

「法水孫市……ッ、何故手をッ、出したッ……これは私のッ」

「敵対者でない者の最悪を穿つだったか? ああ穿ってやるよ! お前は敵じゃないだろう木原先生。何より教師が生徒に死に方を教えようとするんじゃねえッ、俺の担任だったら絶対にそんな事はしないし、させないし、泣かれながらぶっ飛ばされる。せいぜいメイドに介抱されてろ! あの怪物には俺が終止符(ピリオド)穿ってやるよッ‼︎」

 

 破裂した異形の体が膨らんでゆく。傷を飲み込むように再生していく異形を睨み、首長竜のようなシルエットへと変貌する異形に向けて銃口を向けた。

 

「あ、なたッ‼︎ 邪魔をッ‼︎」

「うるせえな、お前みたいなのに負けたら垣根さんに殺されそうだ。これまで撃たなかった特殊振動弾全部まとめてくれてやる。狙撃合戦するか俺と? 時の鐘の音を聞けッ」

無能力者(レベル0)の分際でッ!!!! なんの生産性もない癖にッ‼︎ その愚行、諦めさせてあげますッ‼︎」

「『今』を諦めるなんて、それは俺に一番程遠い」

 

 雪崩のような振動が異形の叫び声を流し閉じ込め揺れ溶かす。コンテナと吹雪を巻き込んで、粒子を震わせ雪と混ぜる。

 

 

 ────ドドドドドッ!!!! 

 

 

 近江さんのように影に紛れて災を断つような事はできない。目立ち敵対者の指標となって立ち塞がるのが瑞西傭兵。白銀の槍を掲げるのが時の鐘。天に向けて銃口を築き上げた先、音の雪崩が過ぎ去った後には、静寂しか残らない。

 

 

 




 百五十話ですね。ここまで読んでいただきありがとうございます。毎回感想や誤字報告を下さる方々、本当にありがとうございます。

 新約も進んで来ましたが、旧約よりも過密スケジュール過ぎて余計な話を挟み込み辛いのが少々もどかしいところ。折角ですから忍者の話だの北条編は挟みたいですけど、オリキャラ考えるのがこれまた……。後垣根さんは活躍させてあげたいですね。折角生きていますので。折り返し地点さえまだ見えませんが、二百話になったらまた会いましょう。法水の『底』に関しては、きっとトールが暴いてくれます。

  これからもどうぞよろしくお願い致します。

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