時の鐘   作:生崎

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ナチュラルセレクター ⑦

「…………くそ」

 

 マズイ。近江さんが的確に応急処置をしてくれたが、木原加群の出血量が多過ぎる。何より傷が塞がった訳でもないし千切れている左腕が重症だ。病院が近いならまだいいが、ここは戦場。何よりマイナス二十度の白銀の世界。脅威は穿てる。ただ俺には怪我を綺麗さっぱり消せるような技もなければ異能もない。できるのなんてせいぜいが木原加群の心臓の音が止まる瞬間が分かるなんて必要ない事だけだ。

 

 手の打ちようがない。分かる。分かってしまう。素人だらけだったならどれだけいいか。俺も近江さんも雲川さんもサフリーさんも、それが分かってしまうからこそ何も言えない。そして木原加群も当然それは分かっているのだろう。これでは所詮少しばかりの延命をしただけだ。

 

「済ま、なかっ、た……」

 

 木原加群の口が動く。誰に言っているのか考えなくても分かる。この場で木原加群をよく知る者は一人だけ。何に対しての謝罪であるのか、それを知っているだろう者も一人だけ。雲川鞠亜の目から溢れた雫はすぐに雪の結晶となって吹雪に巻かれて飛んでゆく。

 

「知ってるよ……ずっと調べてきたんだから知ってるよ!! 先生が私達を助けるためにやった事も、私達が人殺しに憧れないようにって黙って消えた事も! あの通り魔が『誰か』に用意されたらしい事も、先生はその事をずっと気に掛けていたんじゃないかって事も!! せんせいがっ、あなたが今、本当は誰に謝っていたのかも!! だから私に謝らないでくれよッ‼︎ 先生が知らなかった事も私は知ってる!! あなたが助けてくれた命は、各々の道にきちんと進んでいる! みんなあなたに感謝していたし、みんなあなたを心配していた。無駄じゃなかったんだ。先生がどれだけ自分の行いを憎悪したかは知らないけど、それは絶対に無駄な事なんかじゃなかったんだ!!」

 

 雲川鞠亜の感情の大波が骨を揺さぶる。その叫びは床に埋もれることも無く、降り積もる雪さえ溶かすように木原加群に降り注ぐ。薄っすら笑ったような、泣いたような、悔しそうな顔を浮かべる木原加群の顔を見ないように目を背けるが、嫌でもその光景を第三の瞳が見つめてしまう。くそッ、手をどれだけ握り締めようが絶対拭えぬ剥がれぬ知覚。木原加群に雲川鞠亜の言葉は確かに届いたよかったねで満足しろとでもいうのか。そんな事の為に技術を磨いている訳ではない。

 

 特殊な技術を磨いていても、雲川鞠亜は一般人。それがただ感謝の言葉を伝える為に捜し人を追って追ってここまで来て、辿り着いたのが別れだと?

 

 見合っていない。戦場も知らなかっただろう俺より幼い少女の必死とまるで釣り合っていない。これが運命だとでもいう気なのか? 走って走って追いかけて、指先が触れるもダメでした? 喚いたところでどうにもならないのは分かっている。俺が叫んでいい事でもない。だから息を吸って息を吐く。少女の必死に釣り合うように、逆に冷静に冷徹に、呼吸を整え狙撃銃を握り締める。

 

 戦場での別れなど見飽き過ぎて見たくもない。親しい者が消えるなど瑞西でもう嫌という程この目で見てきた。もう十分だ。戦争は終わった。善が消えるところは見たくはない。輝きが消えないように俺達がいる。気に入らないなら穿つしかない。

 

 だから探せッ‼︎ 俺は狙撃手ッ!俺は『時の鐘』だッ‼︎

 

 誰より遠くに手が届くから。ここには、バゲージシティには、木原加群を治せる奴が一人いる。できるだろう魔術師が、家具に加工とか知った事じゃないが、少なくとも人体を弄るのが得意なのなら、傷を塞げる奴が一人いる。そこまでできればッ‼︎

 

 こんな必死は必要ない。欲しいのは最低ではなく最高だ。ボルトハンドルを引き弾丸を込め、空に向けて引き金を引く。遠くのコンテナを吹き飛ばすように、振動する空間が広げる波紋だけに感覚を合わせろ。深く深く。コンテナの影、建物の隙間どこにいようと掴む為に。雪で思ったように広がらなかろうが知った事ではない。掴むまで撃ち続ける弾丸が尽きるまで撃つしかない。吹雪を散らす振動の花火を空に向けて打ち上げ続ける。

 

「法水、それは……」

「静かにしててくれ近江さんッ、今は僅かな揺らぎが邪魔だ。俺は見たい必死を追うッ、その為ならばッ」

「だが」

 

 でもも、もしも、しかしも要らない。まだ終わってはいない。決まった悲劇など存在しない。例えどれだけ大きな手をそれが伸ばして来ても、極限まで足掻く事だけはできる。そうでなければ『これまで』もやって来なかった。誰かが諦めていたならば、学園都市も、英国も、瑞西も、露西亞も、米国にだって『今』はない。

 

 だからボルトハンドルを引き動きを止める。

 

「冗、談……だろ……?」

 

 その声を拾う。確かに一度聞いたその声を。近江さんに追われてぼろぼろで、雲川さんにやられた右足を引き摺るような影を確かに掴む。コンテナの近く、目を向ければ見えるその距離に。何故ここにいるのかは知らない。何故この近くにいてそこまで動揺しているのかも聞く暇はない。ただよく居た。よく居てくれたッ! 神になんか祈らんぞ! 死神が幕を引く前によくぞそこに立っててくれたッ‼︎

 

「なんだかんだで死なないもんだと思っていたんだぞ。ていうか、そういう風にならないように私は私の技術をお前に叩き込んだんだぞ。それが、何だ、何でだ? こんな、まるで、パズルを完成させるみたいに…………ベルシッ‼︎」

 

 ベルシ? 誰だ? 木原加群か? マリアンが名を呼ぶという事は木原加群は『グレムリン』か? ただの魔術師がそりゃ都合よくこんなところにいる訳もない。急激に膨らんだ情報が頭の中で駆け巡るが『今』はどうでもいい。木原加群とマリアン=スリンゲナイヤーが仲間なのなら手っ取り早い。

 

「マリアン=スリンゲナイヤーァッ!!!!」

 

 俺が名を叫びマリアンは肩を跳ねさせる。近江さん達の目もそちらへ向く。瞳を揺り動かし何故一歩足を下げるッ⁉︎ そんな時間は今はない‼︎

 

「何ぼうっと突っ立ってんださっさと来いッ‼︎ 木原加群の傷を塞げ‼︎ お前ならできるだろうが魔術師ッ‼︎ 仲間だったら尚更今はさっさと動けッ‼︎ 時間が惜しいッ‼︎ こうしてる今も秒針は絶えず動いてるッ‼︎」

「あ、う……」

「ッち、足が動かないなら引っ張ってやるッ‼︎ お前らドクターの為の場所を開けろッ‼︎」

 

 足を絡めて腰を落とすマリアンに走り寄り、無理矢理抱え上げて横になっている木原加群の横へと滑り込む。呼吸はしているが既に意識がない。血を失い過ぎだ。迫る死の足音に硬直したのか、動かぬマリアンの目で指を弾いた。

 

「馬鹿これは夢じゃない! さっさと黄金の工具を振るうなりなんなりしろッ‼︎ お前は何の為に技術を研いだ‼︎ 今振るわずにいつ振るう‼︎ さっさとしろッ‼︎」

「でも、なんで、お前、だって、私はおまえを」

「寝ぼけてんな前を見ろ! 助けられるはずの善人を助けられませんでしたなんてオチはいらないんだよッ! 別にお前のためじゃない! 技を見せろお前の技術を‼︎ 死神の手を引き千切れッ‼︎ お前がやるんだッ‼︎ これはお前にしかできないんだよッ‼︎」

「分、かった……分かった‼︎ ベルシッ! ベルシベルシッ‼︎ 今私が治してやるッ‼︎ だから一人で行くなんて言うなッ!」

 

 魔術師がなにかを紡いでゆく。自分の怪我を治せないあたり、黄金の工具は使えないのか知らないが、回復魔術の一種くらいは落ち着いていれば使えるらしい。薄い輝きが確かに木原加群の傷を塞ぐ。千切れた左腕は戻らないが、それでも荒かった呼吸が少し落ち着く。魔術ってのは便利だよほんと。

 

 安堵の息が零れ落ちた。一先ず容態は落ち着いた。へたり込んで涙を流すマリアンと雲川鞠亜の姿に小さく微笑むが、すぐに手を叩き視線を集める。落ち着いている時間などない。唯一分かっているように近江さんが木原円周を担ぎ上げる。

 

「落ち着くな、安定したのは一先ずだ。失った血が戻ったわけじゃないんだろう? 何より気候が最悪だ。すぐに暖かい場所に移して病院に突っ込まないとどっちみちヤバイのに変わりはない。さっさと戦場を離脱するぞ! 『グレムリン』、お前達なら脱出経路を確保してるはずだ」

「……そ、そりゃまあ。で、でも、なんでだ? 私達は『グレムリン』だ。それにお前……なんでベルシを」

「俺は別に『グレムリン』が全部敵なんて思ってない。一応トールなんていう敵だかも分からん知り合いがいる。戦場を抜ける過程で邪魔してくる戦人をぶちのめしてただけだこっちは。一時休戦してくれるならそれでいい。場所を教えろ。木原先生は俺が担ごう。お前のその足じゃ無理だろう?」

「……分かったよ、一時休戦だ。私が案内するから」

 

 ────ポン、と。

 

 立ち上がろうとしたマリアンの言葉を遮るように、マリアンのスマートフォンが鳴る。誰からの着信か知らないが、通話ボタンも押していないのに通話が繋がった。魔術の波を漂わせて。

 

『離脱は許さんぞマリアン。今動けるのはお前だけだ。その邪魔な連中を取り敢えず殺せ。実験はまだ終わっていない』

 

 冷ややかな女の声が場を満たす。聞かれていると分かっているのか、死ねば同じと零される『死』の言葉に目を細める。マイナス二〇度の世界が更に温度を下げたような声にマリアンは周囲に目を走らせ、最後に木原加群に目を落とす。

 

「で、でも喇叭吹き(トランペッター)はベルシを……」

『それがどうした? 最悪を穿つ? 全てを救う? 第三次世界大戦で出て来た連中は邪魔者ばかりだ。たかが傭兵の一人など居ても居なくても変わらない』

 

 誰かは知らんが好き勝手言いやがる。自分でやらずに殺せとか何様だ。堪らずマリアンのスマートフォンを引っ手繰る。

 

「あ、ちょ⁉︎」

「此方居なくても変わらない傭兵だ。どちら様か知らないが、オレオレ詐欺は今はいらないんだよ。何故魔術師って奴らは電話を掛けて来て名乗りもしない。戦争はもうずっと前に終わったんだ。ハワイでもここでも戦いはもう十分やった。ゲームみたいに他人に人を殺させようとしてんじゃねえ。このまま俺達はもう帰る。実験だかなんだか知らないが、眺めてたいならそうやってずーっと勝手に眺めてろボケ」

『おいマリアn────』

 

 もううるさいので携帯を握り砕く。顔を青くしたマリアンの前で、壊れたコンテナからメイドが持って来てくれた毛布ごと木原加群を背に背負えば、なにかを諦めたようにため息を吐いた。

 

「……悪いけど道は教えるから行ってくれる? 最低でも私は残らないとダメみたいだ。流石にこれだけの人数に囲まれてちゃね。殺すなんて無茶だって。動けないベルシも居るのにアレを抜く訳にもいかないし……借りを作ったかな傭兵?」

「見逃して道を教えてくれればいいよ別に。だいたい実験って何やってるんだ? それが今回の『グレムリン』の目的か?」

 

 困ったように首を傾げるマリアンの姿に首を傾げる。敵でも味方でもないようなのと話すのが苦手なのか知らないが、ようやく何かを決めてマリアンが口を開こうとしたのに合わせ音が鳴る。

 

 

 ビギリッ!!!!

 

 

 と何かを砕くような音。空間にヒビを入れたような黒い亀裂が走り広がる。雛が卵から孵るように、何かが奥から伸びてくる。

 

「……やっと、追い着いたぞ」

 

 聞き慣れた少年の声が吹雪に混じる。殻を破るように見慣れた右手が伸びてくる。破れないはずの檻を引き千切るように、握られた右拳が閉じられていた世界を割った。

 

「ここまで来るのが遅かったかもしれない。入ってくるのに時間がかかり過ぎたかもしれない。それでも、俺はお前に追い着いたぞ、グレムリン。空間の歪みが座標を教えてくれた。そして追い着いてしまえばもう好き勝手はさせない。お前達の操るモノを壊す力が、この右手には宿っているんだから」

 

 割れた世界を蹴り抜いて、少年が一歩足を出す。見慣れたツンツン頭を振るい、上条当麻が顔を出す。そして止まった。俺と顔を見合わせて目を瞬く。俺も首を捻る。空間の歪み? 多分それ特殊振動弾撃ちまくった時のやつだ……ってか今来たの? 上条まだ着いてなかったの? そりゃ大会にエントリーしたわけでも大会観戦者でもないのに易々と入れる訳もないか……じゃあ木原加群が言ってた上条当麻に会えってほぼ無理ゲーじゃねえか。遅いよ。

 

「……法水、お前なんで居るんだ?」

「…………お仕事」

「ですよねぇ、じゃあねえ⁉︎ 何がどうなってるのか説明してくれ!」

「あぁ……うん、取り敢えず私も残る必要なくなったかな?」

 

 砕けた世界を見つめながら、呆れて笑うマリアン=スリンゲナイヤーの声が静かに響いた。よく分からないが、どうやら実験とやらが終わったらしい。

 

 

 

 

 

「どっちが正しいって訳じゃない。私達が今までいた場所も、今立っている場所も、座標で言えば同じ地点だった。……ただしブラックホールが空間自体を歪めるように、同じ地点Aの位置がビフォアとアフターでズレていたんだ」

「つまりなんだ? 並行世界の親戚か何かか? 悪いが頭の良さそうな話はパスだ俺は」

「アンタそれでも学園都市の学生なの? ベルシが聞いたら鼻で笑いそうだよ」

 

 そのベルシとやらを背負ってやった俺にそれを言うのか。マリアン=スリンゲナイヤーの説明は分かりづらくて仕方ない。上条が空間を破ってみれば、場所が野菜工場からバゲージシティの格闘大会『ナチュラルセレクター』が行われる金網のフェンスに覆われたリングの中に変わっていた。

 

 なんでも全体論の超能力検証実験だか知らないが、そんなのに巻き込まれたらしい。俺達狭い世界を持つ者達を取り巻いている大きな世界。要はその大きな世界を持つ者を探す的な実験であり、小が大に影響を及ぼすのではなく、大が結果として小の事態を起こすのを観測するためだのどうたらこうたら。その結果、世界がズレたかのように、バゲージシティを普段の法則とは違う法則が上条が来るまで包んでいただのよう分からん。だいたい俺は学園都市の学生でも、結果として半年も学園都市にいないんだからしょうがない。

 

「ま、それも幻想殺し(イマジンブレイカー)喇叭吹き(トランペッター)みたいな変な奴らが相手だと引き千切られるみたいだけど」

「なあ法水、なに言ってんのこの人?」

「俺に聞くなよ、知らんよそんなの」

「あー……要は法則の塗り替えに、そっちは質量の違いみたいな? めんどくさー。もういいでしょそんな感じなのとにかく」

 

 この野郎説明役ほっぽり捨てやがった。取り敢えず室内に移ったのならと、軽い休息する意味でも床に横にした木原加群の側からマリアンさんもメイドも離れる気がないらしい。睨み合って静かに喧嘩するんじゃない。呆れて肩を竦めていると、上条が少し目を鋭くさせてマリアンさんを睨む。

 

「おい、それより」

「分かってるって、家具にした連中は勿体無いけど戻したげるよ。その代わり今はベルシの側に居て欲しいね幻想殺し(イマジンブレイカー)。それならベルシも安心だし」

()()だ」

()()()だよ」

()()だ」

()()()だって」

「どっちでもいいわ。もうベルシ先生でいいだろもう」

「「よくない‼︎」」

 

 知らねえわ‼︎ お前ら本当は仲良しか‼︎ メイドとマリアンさんに揃って睨まれる。上条がいればどう安心なのか知らないが、確かにベルシ先生の容態はさっきよりも安定して見える。なんなの? 上条にはオートで周りの者を回復させる特殊能力まであるの? いや、単純に室内だからか? 

 

「それより法水、あっちの人達はなんなんだ?」

「同盟を結んだ忍者と、拾った時の鐘学園都市支部の研修生その二だ」

「に、忍者? ……それに、研修生ボコボコですけど?」

「ボスが言っていた。欲しい人材を見つけて言う事聞かないなら無理矢理引き摺り回せばいずれ言う事聞くようになると。曰く犬の散歩。あんなでもライトちゃんと同じで知らないが故のアレみたいだし。時の鐘の隊訓の一つ、馬鹿と鋏は使いようってやつだ」

「上手くいくとも思えないけどねー、だってそれ『木原』でしょ?」

 

 ちょこちょこ憎まれ口を叩かなくては気が済まないのか知らないが、マリアンさんが口を挟んでくる。そんな少女に振り返り、ベルシ先生を顎で差した。

 

「ベルシ先生だって『木原』だろうが、復讐だのなんだの話は聞いたがな。ならそれこそ起きたら『木原』の更生に知恵を貸してくれと伝えてくれ。根が研究者なら了承してくれるんじゃないか? ある意味で『木原』の枠組みを壊す最高の復讐になるかもよ?」

「『木原』専門の教師という訳かね? うん、それなら先生も学園都市に戻って来てくれるかもしれないな!」

「戻す訳ないじゃん、なに言ってんのアンタ」

「君がなにを言ってるんだね?」

「喧嘩は止めろ今休戦中だぞ。喧嘩するなら外でやれ」

「ヤダよ寒いし、アンタのとこのメイドならしっかり躾といてよ。趣味は疑うけど」

「それは俺のところのメイドじゃねえ」

 

 蛍光メイドを俺に押し付けようとするんじゃない。勝手に仲間に入って来るとかスゥかそのメイドは。あんなのは一人いれば十分であって何人も必要ないんだよ。ってかヤベエよ、時の鐘の学園都市支部、今のところ元半グレか元犯罪者ばっかなんだけど。これじゃマジで出張少年院じゃないか。一応ライトちゃんに頼んで土御門に木原円周貰ったからとメールでも送っといて貰おう。

 

「にしても上条、お前どうやって来たんだ? 一人で単身乗り込んでくるあたり流石だと言ったところか?」

「ベルシだよ、ここまでにいくつかヒントを置いといてくれたんだ。俺が一人でハワイからバゲージシティまで来れると思うか?」

「思わないね」

「即答かよ⁉︎ そこはちょっとでも思うって言って欲しかったぞッ」

「だって上条外国語しょぼしょぼだし、ヒッチハイクしたら綺麗なお姉さんに送ってもらえたとかなら寧ろ」

「……法水、お前見てたのか?」

 

 マジかよコイツ。どこからどこまで送って貰ったとか聞きたくないので掘り下げない。俺が『将軍(ジェネラル)』からの仕事で忙しい時にコイツはトラックの旅? 車の旅? どっちでもいいけどふざけてんな。神様とかいう野郎はマジで平等じゃないんだよ。帰ったら禁書目録(インデックス)のお嬢さんに告げ口しよう。今決めた。

 

「なあなんで急に黙ってんの? 法水? 法水さん⁉︎」

「察せ、そして学園都市への帰還を恐れろ」

「なんでそうなる⁉︎ お前だっていいのか? 学園都市から出る時白井に」

「やめろ! 言うな! そんなのは俺が一番分かってるんだよ! このまま好感度が下がり続けると一端覧祭を一緒に回ってくれない最悪の事態に」

「妻を怖がる夫かよお前は……しかもそれが最悪の事態か」

「その言葉そっくりそのまま返してやる」

「それは言うな」

 

 最近めっきり仲良くなってしまった黒子と禁書目録(インデックス)のお嬢さんをどうしたものか。今もバゲージシティに上条と一緒にいるとか言ったら間違いなく雷が二つ落ちる。ってか黒子に聞かれたらつるっと喋る自信しかない。学園都市を出てまだ十日も経っていないのに、もう随分黒子に会っていない気がする。これが単身赴任のサラリーマンの気分なのか? この歳で知る羽目になるとか……。ため息を吐いて肩を落とせば、同時に上条もため息を吐き、俺を横目に見ると右拳で軽く肩を小突いてくる。

 

「……法水、お前が守ってくれてたんだろ。俺が着くまでずっと」

「守った? それは幻想だよ上条。結果そう見えるだけだ。それ以上に俺は相手を殺している。ずっと前に言っただろう? 俺は信用するなとな」

「……そうだな。分かってる。でも、俺は頼りにしてる。法水ってさ、本当は優しい奴だろ? なんか『グレムリン』とも仲良くなってるし」

「その理屈でいくと何度も襲われてる『必要悪の教会(ネセサリウス)』と仲良くしてるお前も相当だからな……なにより、それ、俺を口説いてんの? 俺男はちょっと……黒子がいるから」

「違えよ! でも、ステイルに一方通行(アクセラレータ)に土御門に法水もさ、俺は頼りにしてるんだ」

「……そうかい」

 

 あまりそういう事を言うのはやめて欲しい。顔を直視できなくなる。ステイル=マグヌスも一方通行(アクセラレータ)も土御門も、上条をある種苦手にしているのは間違いなくこういうところだ。他人に恥かしげなく好きに喋るとか言う癖に上条だって相当だ。ため息を吐いて上条へと顔を向ける。

 

 その視界の端に先端の尖った鍔広帽子が映り込む。

 

 俺と上条の間、息遣いさえ聞こえるような距離に空間移動でもしたかのように佇む少女。毛皮のコートの下に黒い革の装束を身に纏っている。右目を覆う仰々しい眼帯を見せつけるように小さく顔を上げ、少女は上条の右手首に手を添える。

 

「……まだ終わらないぞ」

 

 いつ来た? 扉を開ける音も聞こえなければ、鼓動も波にも変化がなかった。それが今は、小さな波紋を飲み込むような大きな波に空間が支配されている。それこそ小石どころか惑星でも一つ降って来たような気軽さで。

 

 この鼓動は。この波紋は。

 

「……逃げろ」

 

 口を万力で締め付けるような重圧を引き千切り、小さく言葉を放ったのと同時。少女が上条の右手首を白く小さな手で握り潰す。鮮血が散る。千切れた上条の右手に先が床に落ちる。その場に居る誰も動かない。動けない。重力が急に増したかのように、意識を手放し床に崩れた上条を支える事も許されない。

 

 異物感が異常だ。ある意味で部屋で蜚蠊を見た時に近いというか、急に空から宇宙人が降りて来たような、それほど現実離れした存在。人間と同じ形をしていても、その内側がまるで異なる。

 

「ふむ。何を戯れているマリアン。最低限の結果が拾えているからいいものの、そうでないなら腕の一つでも刎ねているところだ。ベルシもまだ使えるならそれでいい。あまり組織をないがしろにするなよ」

「……誰だお前」

「オティヌス。お前が通話を断ち切ってくれた相手だよ。要望通り見に来てやったぞ。どこぞの出来損ないと違って、純粋な魔神といった所か。ここまで言って理解できないなら、どれだけ言葉を積んでも無駄だ。理解は放棄した方が良い」

「魔人? いや魔神か。……神様とは驚いた。そうか、そうかい」

 

 重い足を上げて一歩を踏む。上条の前に塞がるように。

 

「なんだお前?」

「……脅威の前に立つのが、俺達だ。俺達は帰る。だからほっとけ」

 

 勝てる気がしない。これ程勝てる気がしないのはロシアで見たアレ以来だ。何故こんな奴が居てこれまで全く気付かない。これでは広がった知覚も意味がない。自嘲の笑みが口を歪める。必死などという言葉さえどうだっていいような死が形を得たような存在。睨まれるだけで膝が笑う。オティヌスが僅かに首を傾げる。

 

 それと同時。俺とオティヌスの間を割るように、上条の右手から『ナニカ』が伸びる。魔神を世界から追いやるように、飲み込むように、ロシアで感じた波紋が世界を揺らす。

 

「……こんなものか?」

 

 それをオティヌスは手で掴む。まるでなんでもないように。

 

「第三次世界大戦の終盤にはそれなりの結果を生んだらしいが、蓋を開けてみればこの程度だったのか?」

 

 そしてそのまま握り潰す。『ナニカ』の波紋が霧散する。思わず肺から呼吸が漏れ出る。このレベル。オティヌスが立つ位置はその位置か。俺が動けず見つめていただけのそれを片手間に潰すような存在がこの世にいる? 

 

 くそッ。

 

 くそくそくそくそくそッ。

 

 血塗れの手をゆっくり伸ばすオティヌスに目を細める。合わせろ。普通じゃ足りない。下手に波を手繰りよせようものなら、飲み込まれて拾えもしない。もっと深く、もっと広く。

 

「お……ッ?」

 

 膝が落ちる。視界が眩む。床に赤い雫が落ちる。目と鼻から血が垂れていると少し遅れて気が付いた。どれだけ手を伸ばそうが拾い切れない。手にした重さに知覚が引き千切られるように悲鳴をあげる。ギリギリと骨を締め付けるような痛みが内側で広がり、立ち上がろうにも足が上がらない。

 

「限界を越えようとして自滅か。だから言っただろう。居ようがいまいが変わらない」

「ふ、ざけ……ぶッ」

 

 口から垂れた血に咳き込む。足を上げろ。立て。体が脳の言う事を聞かない。違うのか? 他人の世界を掴むのには限界があるのか? どうしようもない限界が。だから立てない? だから立たない?

 

 違う。立つと思ったのなら立つ。立たねばならない。座り込んでなどいられない。それだけは手放さない。俺は並ぶ。止まってなどいられない。手を伸ばす方向が違うと言うなら潜れ。深く。奥に。波の世界の奥底に。俺の鼓動の底の底に。完璧の俺に。いや、待て、奥の、それは────。

 

「────鄒ィ縺セ縺励>縺ッ」

「うるさい」

 

 膨れ上がったオティヌスの鼓動に飲み込まれるように意識が崩れる。床に落ちた体が上がらない。瞼が落ちる。まだ届かない。まだ並べない。それでもいつかきっと────。

 

 薄れてゆく意識の中で、新たな影が円形リングの上に降り立った。金色の髪の青年と、金網を支える柱の上に赤い髪を揺らす男が一人。その姿を最後に意識が完全にプツリと途切れた。


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