「急げ! 十分から二十分ぐらいしか猶予はねえぞ!!」
マンホールを出た端から、トールの声が俺と上条の背を叩く。真っ先に『窓のないビル』へと到達した上条が、穴を開けるためのラインを赤いマーカーを使って描き、トールは盗んできた電動工具を詰めていたバッグから取り出し組み立てる。二人の作業を目にしながら、懐から取り出した
「……おっと」
金属音さえ響かず、
「マークした!!」
「掘削機を! 木原加群のバックドアで算出した衝撃パターンはすでに入力してある!!」
巨大な杭が取り付けられた機関銃のような工具を二台組み立てると、一台を上条に、もう一台を俺に向けて投げ渡す。なるほど。一度ではなく何百回、何千回と連打で穴を穿つのか。確かにこれを一撃で叩き破るのは無理だろう。建物全体で衝撃を吸収分散しているのなら、どれだけ渾身の一撃を拳で放ったとしても、砕けるのは拳の方。全体で吸収拡散し、余剰のエネルギーを更に打ち込まれたエネルギーの相殺にでも使っているのか。
壁から手を離し、
「自分で描いたラインに沿う形で杭を押し付けろ。後は引き金を引け。それで掘削機が作動する。亀裂が入ってもそのまま突き込め。根元まで刺さったら引っこ抜いて、ライン上の少し離れた別の場所にもう一度突き刺す。分かったか!?」
トールに返事を返す暇もなく、上条の引いた赤い丸を時計盤と見立てれば三時と九時の位置に掘削機の先端を押し付ける。息を吸って息を吐く。狙撃銃の引き金を引くように掘削機の引き金を押し込んだ。
ドガガガガガガガガガガガガガガッ!!!!
耳痛い音を奏でながら、ゆっくりと、ほんの僅かに掘削機の杭が壁にめり込む。……そうかなるほど、強弱の違う間隔の短い連打で僅かに浮かぶ波紋が消える前に、重なる波紋を更に重ねるようにして削る訳か。人の手でこれ程の威力の異なる連打を繰り出すのは不可能に近い。もっと喜ぶか驚くかした方がいいのかもしれないが、そんな時間がない。波の世界の技術の一つ。それを余す事なく骨身に吸い込む。喋っている時間が勿体無い。僅かに上がってしまう口端を舌で舐め、喜ぶのはトールが、焦るのは上条が代わりにやってくれる。
「刺さった!!」
「だがペースが遅い!! このままじゃ所定の時間内に風穴を空けられるかどうか分かんねえぞ!!」
「ふはは、いや全く」
大した壁だ。『
「こんなのじゃ気づかれる!! 事情を知らない消防なんかにバレて妨害を受けたら十分二十分なんてあっという間に過ぎてしまうぞ!!」
「消防の人間は自前のサイレンで耳を覆ってる。そうそう簡単には気づかれねえさ!! それより問題なのは、思ったよりもこの装甲板がお利口さんだったって事だ。くそ、理論値を算出したはずなのにここまで硬いかよ……っ!!」
「全く最高だな‼︎ あっはっは! これまでなんで手を出さなかったか悔やまれるぞ! まあ学園都市に来たばっかの頃じゃ意味なかったろうがな! この装甲板は大した先生だよ‼︎」
「「なんでお前は喜んでんだッ‼︎」」
上条とトールに怒られてしまったが、喜ばずにはいられない。波を消す技術の極致が目の前にある。そして、それがそうだと分かる事が何よりも。技術が積み重なってゆく。今この瞬間も。場違いに笑ってしまったのがいけなかったのか、ガジャリッ‼︎ と歯車の外れる音が響き、俺の掘削機の杭が半ばからへし折れた。
「スパイクを交換する!! 上条はそのまま続けてろ。これ以上のロスは許容できねえ!!」
「スペアパーツはあるのか!?」
「どこがぶっ壊れても良いように、もう一機丸ごと組み立てられるようにな。ただ、逆に言えばスパイクはこれで在庫切れだ。上条の方はへし折るなよ!!」
「ああ頼むよトール、それまで
杭のへし折れた掘削機をトールに向けて投げ渡し、床に置いていた
「上条そのまま続けていてくれ、一人じゃ無理だ。今はその衝撃が必要だ」
「いや、でも……」
赤い線の上、三時四時の場所に穴を開け、三つ目の穴を開けようと掘削機を押し付ける上条の隣に並ぶ。ビリヤードの玉を打つように、狙いをつけるための左手を柔らかく
息を吸って息を吐く。視覚情報が邪魔。両の眼の瞼を落とす。波の世界を見つめる第三の瞳だけで世界を見る。細かく曼荼羅のように広がり吸収されてゆく波紋。穿つのはその重なった一点。一つや二つでは穿てない。上条が手に持つ掘削機の杭から溢れる波紋の重なり、衝撃が完全に消え去っていないその一点に、体重と力を集中した刺突を、コルク抜きを差し込むように突き付ける。息を吸って息を吐く。息を吸って────。
息を鋭く吐き穿つ。
────ピィィィィンッ‼︎
「硬ったいなぁ……マジで」
「すげえな法水‼︎ お前一人でいけるんじゃないか‼︎」
「それは無理だ。掘削機があるからだな。俺一人じゃ百パー無理」
とはいえ若干ながらコツは掴んだ。波の打ち消し。機械というある程度パターンが決まっているからこそ多少凹ませられた。これが無限にパターンの変わるマジの底なし沼のようなものであったら打つ手なし。ていうか一人でも打つ手なし。人の力にはどうしようもない限界がある。これはその一つだ。分かってる。俺の底に燻るモノも恒星のような力あるものではない。力の方向性が違う。
「……何だ?」
息を吐いて肩の力を抜いたところで、上条の呟きが耳を撫ぜた。掘削機の音に混じって別の音が混じりだす。音に引かれるまま顔を上げる。既に黒く染まっている学園都市の夜の空を。
「トール! 法水! 何かおかしい。こっちも故障かもしれない!! 法水の方の掘削機はまだ直せないのか!?」
「……いいや上条、掘削機じゃない。おいでなすった」
「何がだ‼︎ 来たっていったい‼︎」
「これは空気を叩く音だ‼︎ 学園都市の無人兵器群が近づいてきてやがる‼︎」
トールの叫びに上条は掘削機から指を放す。ババババババッ‼︎ と、壁を削る掘削機の代わりに響く空気を叩く羽の音。夜空に星明かりとは違う赤と緑の人工灯が瞬いた。それが肉眼では何かよく見えずとも、第三の瞳が教えてくれる。四枚の羽を持つ無人攻撃ヘリ。『窓のないビル』からではなくわざわざ空からお出ましとは、人手が足らないのか、『六枚羽』を準備する費用さえないのか。持って来ていたゲルニカM-003へと
「……『六枚羽』とか呼ばれていたモデルの廉価版か。ストレートなネーミングなら『四枚羽』ってトコか? 無駄を削いだ分、機動性はさらに向上していそうに見えるが……」
「つまり何なんだ!?」
「無人操縦の攻撃ヘリ。音響兵器で人間を折り畳んでから機銃やミサイルを降らせる極悪仕様ってヤツだろうさ!!」
「みたいだな。ここからは選手交代だ。トール、俺の代わりに掘削機を持て。魔術を放つ訳にもいくまい。俺が落とす」
狙撃銃のボルトハンドルを引き弾丸を込める。空に揺らめく赤と緑のランプの数を見るだけでも一機ではないと分かる。空気を掻き混ぜる羽の音を骨で感じながら、ゆっくりとスコープを覗かず狙撃銃を構えた。息を吸って息を吐く。射撃音を消す為に
「法水やれるのか‼︎」
「あれだけバタバタ煩ければな。
喧しい羽音を手繰り寄せるように引き金を押し込む。消音器のおかげで音は小さく、すぐに羽音に飲み込まれ、夜空に炎が瞬き黒煙を噴いて赤と緑の人工灯が落ちてゆく。火薬の匂いに鼻を啜り、再び響き始めた掘削機の轟音に小さく頭を振って狙撃銃を構え直す。……掘削機の振動が邪魔で狙いが付けづらい。舌を打って呼吸を整え、羽音だけを拾うように足先で地面を叩きリズムを合わせる。……今。
「……二機目。どうだいけそうか?」
「くそッ‼︎ 思ったより進まねえぞ‼︎ トール‼︎ ここで俺達がやられたらフロイライン=クロイトゥーネを助けようと思う人間がいなくなっちまう!! このまま続けるのか⁉︎」
「『グレムリン』やオッレルスがフロイライン=クロイトゥーネ確保のために動き出せば、もう俺達に介入する隙はなくなる。どっちに確保されたって彼女はろくな目に遭わねえぞ!!」
「くそっ!!」
幸先は良くなさそうだ。舌を打って狙撃銃を持ち直す。とは言え『四枚羽』だけが戦力というわけでもあるまい。未だ空を舞っている二機との他にも続々と姿を見せ始めるだろう。物量で押し潰され始めたら終わりだ。まだ遠い無人攻撃ヘリは落とせても、ミサイルでも撃たれ出したら堪らない。撃ち落とせてもただでさえ量の多くない銃弾が減る。
壁を砕く時間もなければ、その場に留まっていられる時間も少ない。表情に出さずとも焦りが顔を出し始める中で、ふいに壁を叩く波が捩れた。掘削機の故障……ではない。掘削機から感じる振動は変わらない。
────ビシィッ!!!!
壁一面に大きな亀裂が走る。掘削機が砕いたのではない。空いた穴に水を詰めて凍らせたように、膨れ上がった圧力に耐え切れなくなった壁が悲鳴を上げた。外からではない。
「な、にが……っ!?」
崩れ出した壁に上条が掘削機を手放し横に転がり、トールも同じように横に跳ぶ。壁と同じように突き刺さったままの掘削機が、火花を上げて潰れてゆく。弾ける紫電に目を細め、舞い上がった塵の奥、単純な核攻撃ではビクともしないはずの『窓のないビル』の壁が砕けた先、呆ける上条と動かないトールの間に立つように足を出す。
ぺたりっ。
硬質な音ではない。裸足で地面を踏む音が近づいて来る。他でもない砕けた穴のその先から。
長い銀髪が外気に触れて小さく揺れた。背の大きい、二メートルはある女性が一人、暗闇からゆっくり頭を伸ばす。薄いワンピースを身に纏い、白い陶器のような肌を持つ少女と言うには現実離れし過ぎていた。何より感じる鼓動が、リズムが人とは違う。ただどう違うのか理解できない。まず会うのが初めてだ。永遠に囚われた不死身の少女。
永遠。不死身。
不死の霊薬。人魚の肉。仙桃。食せば不老不死となるもの。不滅の存在の話は神話や伝承に溢れているが、その存在を見た事はない。
ただ、話に聞いた事はある。くそったれな日本の実家で。北条の一族が、当主ずっと追っているらしいもの。一族が何をやっているかなど、詳しい事は俺の知った事ではないが、唯一日本にいた間、よく聞いた話だったからこそ気に掛かった。竹取物語。御伽噺とされる物語。遥か昔から一族が追っているらしい永遠が今目の前にいる。
感じる鼓動の違いこそがその証。どんな狭い世界を持っているのかすら分からない。口端がどうにも持ち上がる。
「……まさか、お前が……なよッ……それとも」
「……フロイ、ライン=クロ……イトゥーネ……?」
茫然としたトールの呟きを聞いて口を閉じ、小さく頭を左右に振る。そうだ。中世の魔女狩りの記録に名が残され、それ以前に何をしていたのかは知らないが、彼女はフロイライン=クロイトゥーネ。今はそれだけ分かっていればいい。名前を呼ばれた永遠の少女はトールに向けて首を傾げ、同時に気持ちの悪い波が肌を撫で回し思わず背後に向けて小さく跳び下がる。
「上条‼︎ トール‼︎ 下がれ‼︎ 何かヤバイッ‼︎」
叫び警告するが一手遅い。フロイライン=クロイトゥーネに見つめられていたトールが、急に口から血を吐き地面に崩れる。波に乗るようにナニカが空間を滑り踊っている。叫んだ所為かフロイライン=クロイトゥーネの目が俺へと向き、視線に乗るように波を伝って体に何かが滑り込んだ途端、呼吸の代わりに口から血が溢れ膝が落ちた。
「法水‼︎ トール‼︎」
馬鹿来るなッ‼︎ クソッ! 声にならねえッ‼︎
不自然な呼吸を繰り返し、体に力が入らない。体を起こそうと力を入れるが、心と体が剥離したように動けない。僅かに動く指先で地面を掴む這いずろうとするも指は地面を撫ぜるだけ。視界の中で不明瞭な光が瞬き、視界さえもはっきりしない。波を掴む知覚さえも狂っている。大シケの海原に突っ込まれたように意識が回る。そうしてる間にも上条も口から血を吐き地面に崩れ、『四枚羽』の羽音に誘われるようにフロイライン=クロイトゥーネは空を見上げると俺達の事など視界に入っていないかのように空に向けて姿を消した。
「待……ッ、て……ッ」
泥酔したような体を引き摺るように動かすが身が僅かに捩れるだけ。意識を手放さなかったのは痛みを感じづらいおかげなのか知らないが、無力感が積み重なってゆくだけだ。荒い呼吸を吐き出す先で、トールの指先が瞬いたと思った瞬間、電撃がトールの身を包む。
「痛……ッ」
「トー……」
言葉にならずもトールの名を呼べば、気怠そうに頭を振ったトールの目が俺へと向き、指を俺に向けてゆっくり伸ばした。閃光と電撃。勝手に痙攣する体の気持ち悪さを拭うように身を起こせば、体は正常に戻ったのか、言うことを聞いて身が起き上がる。口に残った血を吐き捨て、口を拭ってぼやけた頭をひっ叩く。
「……上条は?」
「……命に別状はねえらしいけどな。コホッ、ったく」
上条に向けて同じようなトールは右手に触れないように電撃を飛ばし、遠く落ちた『四枚羽』の爆発音で上条は肩を跳ねさせる。その音のする方へ顔を上げれば、残った一機の無人攻撃ヘリに飛び乗り、銀髪の少女が雲でも握るかのように軽やかに鉄の翼を捥ぎ取り夜空から大地へ落ちてゆく。小さなキングコングかあいつは。
「……なん、だ……?」
「気づいたか?」
上条は意識を失っていたのか、ただそれも一瞬。顔を覗き込んでのトールの言葉を聞いて身を起こし、周囲に目を走らせる。そんな上条に現状を伝えるためにトールは口を開き話を続ける。
「無人攻撃ヘリの『四枚羽』なら全部落ちた。あのフロイライン=クロイトゥーネが、まるで子供が興味を持った昆虫の羽を毟っていくようにぶっ壊しやがったんだ。俺達の方に追撃の手が伸びてねえのは、多分優先順位が大きく変わったからだ」
「見てた感じ音に反応してたぞ。一番に名を呼んだトールに顔を向け、次に叫んだ俺、次に上条、で、残った喧しい『四枚羽』に行ったのか。出て来たのも掘削機の音に誘われたからかもな」
最初俺の呟きに反応しなかったのは、小声で無人攻撃ヘリの羽音に遮られたからか。名前を呼ばれたという事の方が気に掛かったからなのか知らないが、鼓動も人間っぽくなければ、反応もなんとも原始的だ。話を聞いても訳が分からないと上条は首を捻るが、俺も訳が分からない。急に御伽噺の世界に足を突っ込んでしまったかのようだ。
「……そもそも、何が起きたんだ」
「分かんねえ。体の中にあった異物を高圧電流でぶっ壊したら体の制御が元に戻った。臓器の拒絶反応に近かったな。ひょっとしたら、肉眼じゃ確認できねえサイズの体組織を俺達の内部に突っ込まれたのかもしれねえな」
「波に乗ってナニカが体に滑り込んだ。『
「なんにせよ、そもそもフロイライン=クロイトゥーネが何を操っているのか、その根幹の部分はまるで理解できねえ」
「え? だって、体組織を操るんだろ。それに何やっても死なないって評判なんだ。だったら、自分の肉体を普通の人間とは違うレベルで操る能力者みたいなものなんじゃあ……?」
「何やっても死なない、なんてのが言葉通りの意味だとは思っちゃいねえよ。そこには絶対に何かがある。……かと言って、別にトリックがあるからお粗末なものだなんて考えてもいねえがな。多分、フロイライン=クロイトゥーネの正体は、単純に死なないなんてレベルには留まらねえ。何かとんでもねえ法則に根付いたものじゃねえかと思う」
「法則どころか、感じた鼓動もリズムも人とは違う。人に似た別の生物と言われた方が寧ろ納得できるぞ」
三人揃って小さく肩を落とす。フロイライン=クロイトゥーネ。予想の斜め上に突き抜けた。永遠に囚われるなど普通ではなく、その通り普通ではなかった。しかもまだ終わりではない。「……守る必要なんてあるのか、って思ったか?」とトールは嘲るように言う。正直俺は少し思った。
「保護欲をかき立てる弱さがなけりゃ助けねえか? 特別な過去や事情を説明されなきゃ助けねえか? 感情移入できる可愛らしさがなけりゃ助けねえか? 良く話し合って仲良しこよしのお友達にならなきゃ助けねえか? ……おいおい上条さんよ。上条当麻っていうのはそういう生き物だったっけ?」
「そうだな」
そう上条は即答する。こういうところが上条らしい。口に残った血を吐き捨てるように上条は続ける。
「そんな理由で助けるかどうか決めるんだったら、ぐじぐじ悩んでいる暇でさっさとフロイライン=クロイトゥーネの友達になれば良い。あいつの目が、こっちを向いているかどうかなんて関係ない」
「あのお嬢さんと友達か。そりゃ……確かに素敵そうだ」
「素敵とか言う孫ちゃんも相当だぜ。分からなくはねえけどな」
永遠を持つ少女と友達ですなんて言えば馬鹿に見られるかもしれないが、見て知った自分だけが分かっていればいい。それには確かに夢がある。軋む体を捻って解していると、『窓のないビル』の穴へと上条は目を向けた。アレイスターさんがいるらしい家。未だ一度も会ったどころか声も聞いていない学園都市の全てを知るだろう雇い主の大元。
「欲をかくなよ」
湧き出る好奇心を咎めるようにトールは呟く。それは俺と上条だけでなく自分にも言っているのか、トールも壁に穴に目を向けながら。
「……これは明らかに寄り道だ。本道から外れてる。穴の奥に何があるかは知らねえが、どうせ外壁をぶち破った程度で白日の下にさらされるようなもんじゃねえ。この誘いは、ブラフだ。迂闊に踏み込めばそのまま捕食されちまうぜ」
「分かってる……」
「好奇心は猫をも殺すか。自分の領分から踏み外せば餌でしかないって?」
「今の最優先はフロイライン=クロイトゥーネだ。彼女を追い駆けよう」
上条の言葉に肩を竦め返し、好奇心を削ぎ落とすように軋む体を持ち上げた。世界を取り巻く謎の数パーセントでも『窓のないビル』に踏み入れば分かるかもしれない。それを知りたくないと言えば嘘になるが、それは甘美な毒だ。軽く口に含めば命に関わる。許可されてもいない家に踏み入り撃たれたところで文句は言えない。
「良かったよ。お前達が昔話に出てくるような哀れな被害者にならなくて」
「……フロイライン=クロイトゥーネはどっちに消えた?」
「今も爆音が響いている方だろうよ」
「分かりやすくて結構じゃないか。目印ばら撒きながら移動してくれるなんてな」
「『グレムリン』やオッレルス側はいつ気づくと思う?」
「今も状況の変化に気づいていねえとしたら相当の馬鹿だ」
「馬鹿なことを祈るか?」
そう聞けば二人に揃って肩を竦められた。『グレムリン』はまだしも、相手はレイヴィニアさんに右方のフィアンマまで居たりする。気付いていない訳がない。そんな能天気な馬鹿にハワイに誘われたなどと思いたくもない。
「逃走中の被疑者の詳細は不明だが、おそらくは『
「遠からず検問が強化されるな。当然、俺達にはそんなもんに付き合っている暇はねえ」
「『グレムリン』はお前の他に誰が派遣されているんだ?」
「誰だろうと、そっちはまだ動いちゃいねえさ。動いていたら学園都市の形はとっくに変わってる。降って湧いたチャンスが罠じゃねえか確認を取っている最中なのかもな。オッレルス側も『水面下に出ない動き』をしているはずだ。フロイライン=クロイトゥーネはどっちの手に渡っても悲惨な末路を辿る。早く見つけねえとヤバいぜ」
「……いいや。お前の推測が正しければ、『グレムリン』もオッレルス側も、突然放り出されたフロイライン=クロイトゥーネの情報に半信半疑になっているはずだ。直接接触している訳じゃない。……今ならまだ誤魔化せる。デコイの情報を流して『やっぱりあれは罠だった。迂闊に触れるな』って思い込ませる事ができれば、フロイライン=クロイトゥーネから遠ざけられないか?」
「なるほどねえ。具体的に必要なものは?」
「俺やトールや法水が、それぞれの勢力に直接『アドバイス』をしたって多分信じてもらえない。だったらフロイライン=クロイトゥーネの正しい情報が伝わる前に、誰よりも早く俺達がこっそり撒き餌を仕掛ける。あいつの周りで『いかにも罠だ』って行動を示したい。例えば、法水、フロイライン=クロイトゥーネは音に反応してるって言ってたよな? お前の狙撃である程度動きをコントロールできたりは」
上条とトールの会話を静かに聞きながら、
「可能か不可能かで言えば、可能だろう。ある程度の効果は期待できるかもしれないが、問題がある」
時の鐘を知ってる者にバレる。ただでさえ問題が起きた中で時の鐘の狙撃音など響かせれば、学園都市に居るらしいボス達に気付かれ、黒子や御坂さん、
「何より、今はここから脱出しないと動くのもままならないしな」
「なら、セオリー通りに行こう」
そう言って上条は消防車を指差す。
「分厚い防火服は顔も体のシルエットも全部隠してくれる。人相も年齢も分かりゃしない。あれをちょっと借りて、安全に包囲網を抜け出そう。それに確か法水は運転免許持ってたよな?」
「……なるほど、任せておけ」
久々に学園都市で運転するとしよう。多分きっとおそらく大丈夫なはずだ。事故った時は上条の不幸の所為にしてしまおう。