時の鐘   作:生崎

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一端覧祭 ⑦

「……ッ」

「起きたか?」

 

 窓辺から差した日差しに目を細めて垣根帝督が身を起こす。窓を開けて煙草を吸い、携帯を弄っている俺に目を向けると、気怠そうにベッドから足を下ろす。とあるホテルの一室。グロッキー状態の垣根を寮に連れて行くわけにもいかず、デパートから程近かったホテルの部屋を借りて転がり込んだ。多くの学生が学校に泊まってるおかげでホテルも客は少なく警戒も楽に済みはした。昨夜よりも大分顔色のよくなった垣根は頭を掻いてため息を零す。

 

「今何時だ?」

「八時を少し過ぎたところだ。学園都市がそこまで騒がしくないあたり、まだ大きな動きは誰もしていないらしい。こちらである程度情報を探ってもいるんだが」

 

 あまり状況は芳しくない。一端覧祭もついに始まり、面では多くの学生が動いている裏で警備員(アンチスキル)なども動いているようだが、フロイライン=クロイトゥーネの動きがまるで掴めない。何より、トールと上条に今はもう連絡を取る訳にもいかない。状況が拮抗している中で、わざわざ連絡を取り動き、他の者まで勝手に動き出されてはどうしようもないからだ。事前の打ち合わせの通りなら、トールはマリアンさんと一緒のはず、上条はオッレルス側に接敵しわざと負けたはずであるが、どうなっているのやら。

 

「まだ未元物質(ダークマター)の怪物も動いてないらしいぞ」

「だろうな……要は初めて外に出た赤ん坊だ。ある程度能力を慣らしてから動くだろうぜ」

 

 その過程で垣根の存在を喰らった訳か。とんだ暴食の化身だ。

 

「それで? 行き先は分かってると言ってたな? 場所は……」

「第一位様のトコだろうよ」

 

 垣根は吐き捨てるように即答する。それに少し眉を顰める。フロイライン=クロイトゥーネを捕らえるために学園都市側が外に出したのに、狙いが一方通行(アクセラレータ)とはどういう事だ? 用意されていた答えの中から答えが出なかったような違和感に首を傾げれば、忌々しそうに垣根は舌を打つ。

 

「力から自我が芽生えた野郎だぞ? それもとんでも能力でな。なら当然」

「上にいる奴が気に入らないって? それが分かって動くって事は奴は垣根さんの記憶をある程度引き継いでる訳か……にしたってわざわざ」

「一人しか上にいねえってのは相当なコンプレックスになり得る」

「そう言われれば分からなくもないか」

 

 学園都市の大多数を占める無能力者(レベル0)とはまた違う葛藤。能力が使えない事にコンプレックスがあったとしても、無能力者(レベル0)には同じ無能力者(レベル0)が数多くいる。だが学園都市第二位は一人だけだ。そして上にいる能力者も一人だけ。超能力者(レベル5)という学園都市の最高峰の能力者であって、その中で勝手に順位を決められた中での二番。何人も上にいるよりもよっぽど上にいる者が気になるだろう。スポーツの世界でも三位より二位の方が悔しいといった話は聞く。

 

「フロイライン=クロイトゥーネは放っといてか?」

「それが『窓のないビル』から逃げたって野郎か。テメェがどうやってあのビルを破ったかは後で聞くとして」

 

 後で聞くのか……、垣根さんの強さというか怖さは、能力にかまけない情報収集への貪欲さだな。一方通行(アクセラレータ)さえ知らないような情報を一人で誰より早く集めていた訳だし、あのドレスの少女も能力が情報収集にうってつけだからこそ、今も垣根は連んでいるのかもしれない。

 

未元物質(ダークマター)が勝手に動いたとしても元は俺だぞ? 上の言う事を素直に聞くと思うかよ?」

「……すごいな、全然思わないぞ」

「うるせえ。だからこそ、奴は間違いなく一方通行(アクセラレータ)を目指す。だからテメェに会いに来た。一方通行(アクセラレータ)と連絡取れんだろ?」

「いや、それなら垣根さんも」

 

 暗部での抗争の後、病院で電話番号等交換したはずなのだが、自分で連絡取りたくないから俺に会いに来たの? 能力を断ち切るついでに? 確かに垣根が一方通行と電話で話している姿など想像はしづらいが、どんだけ自分で連絡取りたくないんだ。第一位へのコンプレックスというのは、未元物質の怪物にとってだけでなく、垣根の本音も少し含まれている気がする。

 

「……まあダメ元で掛けてはみるけども……俺と組むと決めた理由はそれだけか?」

「まあそれだけでもねえ。癪だがな。二つ理由がある。一つは単純だ。未元物質(ダークマター)と真正面からやり合える弾丸をテメェが持ってるからだ。第一位よりも鬱陶しい弾丸をな。超能力者(アクセラレータ)を除けば未元物質(ダークマター)とやり合える数少ない一人だからなテメェは」

 

 気に入らないと垣根は隠す事もなく顔に浮かべるが、必要ないと思うなら垣根もわざわざ来ないだろう。不死身の存在なのだとしたら殺せないかもしれないが、足を止める事はできる。一度垣根自身撃ち落とされた事があるからか、瑞西の技術力は信頼してくれているらしい。

 

「もう一つはテメェが無能力者(レベル0)だからだ。一度やられたってもな、奴はより強力な能力が自我を持った存在だ。能力者以外はゴミにしか見えねえだろ。お前が動いても気にはされねえ。それこそが付け入る隙ってな」

「なるほど、今度は天狗になってる奴を穿てばいいのか」

 

 能力が自我を持つとは、ライトちゃんと似たような存在なのか知らないが、危険度ならより高いらしい。人体細胞を生み出せるようになったと言われても、想像しづらくて仕方がない。能力が肉体を形作るというのは、幻想猛獣(AIMバースト)に近い感じなのか、ただ一つの能力しか使われていない事を考えると、それよりももっと統一性はありそうだが。インカムを小突いて一方通行(アクセラレータ)に電話を掛けてみるが、当然のように繋がってくれずに肩を竦める。

 

「それで? 未元物質(ダークマター)の怪物の行動は分かっても実際にどう倒すんだ? マジで無限に再生するような奴だとどうしようもないぞ」

「奴は俺のAIM拡散力場まで飲み込んで俺に成り代わろうとしやがった。要はその逆をすればいい。俺の知らない未元物質(ダークマター)だか知らねえが、未元物質(ダークマター)である事には変わりねえ。奴に近付き未元物質(ダークマター)を操るパターンを読み取り能力まるごと喰らってやりゃ、元の人形に逆戻りだ」

「失敗したら逆に能力に取り込まれておしまいか」

 

 未元物質(ダークマター)同士の喰らい合い。未元物質(ダークマター)が自我を持つなど一体誰が予想した。人体細胞を作る未元物質(ダークマター)を発見した科学者の根気が凄いと言うべきか、未元物質(ダークマター)を凄いと言うべきか。ただそんな能力を発現したという事は、少なくとも元になった垣根自身にそれを願う想いが少なからずあったからかもしれない。AIM拡散力場は個が持つ狭い世界の結晶。そこから溢れる波紋に近い。ドレスの少女も言っていた、太陽に近づけるかもしれないという言葉が気にかかる。

 

「垣根さんも、やっぱり誰かを救う為に反逆したのか?」

「……なんだ急に」

「少し思っただけだ」

「例えそうだったとしても今はご覧の有様だ。今それは関係ねえ。必要なのは奴を潰し、人体細胞を作る未元物質(ダークマター)を得る事だけだ」

 

 それはもう答えを言っているような気がするのだが、あまり突っ込むと白い翼で殴られるだろうから止めておく。吸い切った煙草を手近の灰皿へと押し付けて外の賑やかな人波に目を向けた。誰も彼も楽しそうに、トールもあっちに混ざりたいと言っていたが、そうだったならどれだけいいか。だが、そんな中で気付かぬところに必死がある。今俺が求めているもの。それに一番近いところにいるのが垣根帝督。だから勝手に口が動いてしまう。

 

「垣根さんは後悔してるか?」

「……何をだ?」

未元物質(ダークマター)に目覚めた事に……だよ。自分で選んだ能力という訳でもないだろう? 素晴らしい力を持っていても、暴走して勝手に動いている。自分の意志とは無関係にな。もし選べたとしたら、それでも垣根さんは未元物質(ダークマター)を得る事を選ぶか?」

 

 垣根には目を向けず、人波を眺めたまま言葉を投げる。超能力者(レベル5)。その称号を学園都市にいる学生の誰もが欲している。ただ、そんな超能力者(レベル5)の苦悩を知っているのは一握り。超能力者(レベル5)に伸びる後ろ暗い手の存在を知っているのは更に少ない。一方通行(アクセラレータ)絶対能力者進化(レベル6シフト)計画が付き纏い、御坂さんも妹達(シスターズ)という問題を抱えている。能力に振り回されて青髮ピアスも一度壊れ、麦野さんは能力をただ振るっていただけで暗部まで落ちた。俺の知らない何かしらが、超能力者(レベル5)にはまだまだあるのかもしれない。垣根にだってきっと何かあるのだろう。統括理事長への直接交渉権さえ欲した何かが。超能力者(レベル5)にならなければ、そんな必要もなかったかもしれない。そんな俺の問いに、垣根はしばらく口を閉ざしていたが鼻で笑った。

 

「じゃあテメェは? 何がどうあっても時の鐘にはならなかったのか? んな訳ねえだろ。もし初めから自分がそうだと知ってたとしても俺は掴んだ。気に入らねえ事も反吐を吐くような事も当然ありはしたがな。それで止まるような俺じゃねえ。確かにこれまで最低だったが、俺が望んで得た力だ。これから最高にすりゃあいい。それを教えたのはテメェだろ」

 

 垣根の言葉に新たに取り出した煙草を咥えようとした手が止まる。そんな事を教えるような事などした覚えはないのだが、垣根とはそれほど話した記憶さえない。なのにいったい何を知った? 部屋へと振り向けば、ポケットに手を入れた変わらぬ垣根が立っている。

 

「これまでやって来た事を後悔もしねえ。それが俺だからだ。テメェらに負けて久しぶりに日常に塗れてみたが、駄目だ。ウロチョロする非常識が目に付いて鬱陶しい。常識だけじゃ非常識に潰される。だが、非常識だけじゃ常識に勝てねえ。常識を守りたきゃ非常識を振るう常識ってやつがいりやがる。悪党だの善人だの今はどうでもいい。気に入らねえ奴は潰す。これまでそうしてきた。これからもだ。望んでもねえ力に振り回されるのが気に入らねえならそんな常識覆すしかねえだろうが。テメェだってそうなんだろ? 力も悪も非常識も、どう使うかは俺が決める。言いたい奴には言わせとけばいい。俺の決定が気に入らねえなら潰してみせろってな」

「それは……なんだ? 結局自分が間違っていたら誰かが止めるだろうから好きにやるって? それはなんとも」

 

 無責任なように思えるのだが、少し違う。間違っていたら止めてくれる者がいる。そう信じるなどと、垣根の口から聞く事になるとは。一方通行とも戦闘中に悪党談義していたらしいが、自分以上の悪をただ知りたかったのか。それでも止めてくれる者がいるのかと。そして実際抗争は止まった。死者が出なかった訳ではない。それでも止まった。おそらく垣根の想像とは違う形で。俺にはもう繋ぎ止めてくれる少女がいる。そんな者がいなくても止まるのか。多分垣根はそれが……。

 

「ぐだぐだするのはお前には合わねえな。俺がお前に会いに行った理由の一番は、お前が一番俺に近いと思ったからだ。能力どうこうの話じゃねえ。好きに動いた俺とテメェの何が違うのか。考える時間だけは腐るほどあったからな。暗部も解体されたついでだ。最高ってヤツをたまには俺が掴んでもいいだろうが」

「……それを見せてくれる訳か?」

「特別だぞ。今回だけだ。俺が何者か今一度学園都市に教えてやる。時の鐘、俺が一番上手くお前を使ってやるよ」

 

 壁に立て掛けられていた狙撃銃を垣根は投げ、俺は掴んだ。

 

「凸凹コンビ結成かね?」

「ハッ! それぐらいの方が俺には丁度いい」

 

 

 

 

 

 ────ドォンッ!!!! 

 

 砲撃音が街の中に響き渡る。祭りを彩る花火でもない破壊の音。幽鬼のような永遠の少女を吹き飛ばすが、不死身の怪物が消える事はない。情報を得る為に打ち止め(ラストオーダー)に襲い掛かろうとしたフロイライン=クロイトゥーネへの一撃に、打ち止め(ラストオーダー)を守る為に立ちはだかった一方通行(アクセラレータ)は少し呆気に取られるも、すぐにフロイライン=クロイトゥーネを蹴り飛ばし、新たな襲撃者に顔を向ける。

 

 逃げ惑う人々の中からのっそりと姿を表すのは、戦車といった機械仕掛けの怪物ではない。

 

 全長十五メートル程の白いカブト虫。角を砲身に。緑色の目を光らせたシュールの国からの襲撃者は、白い風貌より何よりも、ありえないベクトルの屈折をもって誰かを一方通行(アクセラレータ)に教えていた。多くの能力者達がいる学園都市の中で唯一超能力で一方通行(アクセラレータ)に傷を負わせた存在。白いカブト虫は折り畳んでいた羽を展開すると、その羽の振動で声を生む。

 

『見つけたぜ』

「……相変わらず小煩ェ声だ。前からメルヘンな野郎だとは思っていたが……一度ボコられて懲りなかったのか? 随分と滑稽になっちまったモンだ」

『自覚はある。ただ、誰のことを言ってるのか知った事じゃねえがな』

 

 眉を顰める一方通行(アクセラレータ)を嘲るように白いカブト虫は笑う。声は垣根帝督。振る舞いもそれに近いが、少なくない違和感がある。暗部の抗争で一度へし折れた牙が戻っただけなのか、ただそれだけではないような違和感。蠢く一方通行(アクセラレータ)の思考を、白いカブト虫の声が遮る。

 

『味方を庇いながら戦えるか、なんてつまらねえ事は言わねえよ。……お前以外はどうでも良い。誰が巻き込まれて誰が粉々になろうとな』

「……退屈な野郎だ」

「ああ全くだ。欠伸が出るな。粉々になるのはテメェだけだってのに」

 

 吐き捨てるように悪態を吐く一方通行(アクセラレータ)の言葉を搔き消す声。白いカブト虫が発する声と同じ声。振り向いた多くの顔の先、路地の奥から男が茶髪を振って歩いて来る。ポケットに手を突っ込み、不敵な笑みを張り付けて。白いカブト虫は垣根帝督。だがその男も学園都市第二位、その男。一方通行(アクセラレータ)も見慣れた垣根帝督の姿に、白いカブト虫は大きく笑った。

 

『おいおいおい! まさかそっちから登場かよ! 偽物が何しに来やがった! それともパパとでも呼べばいいのか? 学園都市第二位に甘んじてるような腑抜けをそう呼びたくはねえけどな!』

「……こいつはなんだ? ドッペルゲンガーか? いつから第二位のくそったれは二人になりやがった?」

「お前の目は節穴かよ第一位。垣根帝督はこの世にたった一人だけだ。アレは未元物質(ダークマター)、それ以上でも以下でもねえ。俺の能力が一人歩きした不出来な玩具だ」

『言ってくれるじゃねえか出来損ない』

「どっちがだ?」

 

 同じ声の応酬に、訳が分からないと打ち止め(ラストオーダー)の目が行ったり来たりする。かつては自分を狙ってやって来た襲撃者。敵なのか味方なのか。あるいはどちらも敵なのか。そんな中で、科学者である芳川桔梗は、垣根帝督の言葉を聞き、誰より早く白いカブト虫に振り向き見つめる。それと同じく、表通りの屋上に立ち並んだ人影を。

 

『どうやったか知らねえが、一度俺の手を払い除けたからって、勝てるつもりか? 第一位と協力しようが結果は変わらねえ。俺は無限に自分を作れる。今も成長しっぱなしだ。将棋で言えば、駒台に無限に駒の湧き出る魔法の壺があるようなもんだ。俺はテメェを、テメェらを超えたんだよ。これから始まるのは一方的な虐殺だぜ? 準備はいいか?』

 

 言うが早いか、白いカブト虫の砲身が火を噴く。現れた本物の垣根帝督によって生み出された隙を突くように打ち止め(ラストオーダー)に向けて。舌を打った一方通行(アクセラレータ)が動こうとするが、それより早く白い羽が空に舞う。撃ち出された砲弾を柔らかく包み込むように白い翼は打ち止め(ラストオーダー)の前に広げられ、逸れた砲弾がビルを砕いた。

 

『おいおい正義の味方気取りかよ‼︎』

「そうじゃねえ。ただ気に入らねえだけだ。おい第一位、逃すならさっさと逃せ。俺はテメェら程お優しくねえぞ」

「……礼は言わねえ」

 

 床を一方通行(アクセラレータ)は踏み砕き、できた穴に打ち止め(ラストオーダー)、芳川桔梗、滝壺理后、フレメア、浜面仕上達を巻き込み地下へと落とす。砕けた大地から第一位と第二位だけは下に落ちず、逆にビルの上まで舞い上がった。軽く一方通行(アクセラレータ)と垣根は目配せし、立ち並ぶ白い人影に目を這わせる。

 

「テメェも逃げて構わなかったんだがな」

「オマエに借りは作らねえ」

 

 一方通行(アクセラレータ)と垣根帝督。学園都市第一位と第二位。多くの能力者から見れば学園都市の頂点に君臨する違いさえ分からない二人。ただ二人にしか分からない事がある。お互いがお互いにだけには絶対借りを作りたくない相手。どちらが上かなど最早どうでもよかったとして、下につく事だけはありえない。

 

『安心しろ、揃って叩き潰してやる』

 

 白い未元物質(ダークマター)の怪物達が全方位から一方通行(アクセラレータ)と垣根に殺到する。目前の一体を一方通行(アクセラレータ)は蹴飛ばし、ドミノ倒しのように吹き飛んでゆく未元物質(ダークマター)の怪物達の中、垣根も白い翼を振り落として殺到するうちの一体を叩き落とす。その衝撃が竜巻を呼び、他の白い影を巻き込んで纏めて大地に叩き付けた。

 

「……チッ」

 

 その翼の感触に、忌々しそうに垣根帝督は舌を打つ。相手は全身未元物質(ダークマター)未元物質(ダークマター)の翼では効果が薄い。単体の出力だけならば、圧倒的に垣根が上。ただ本来ならバターをこそぎ落とすように泣き別れているはずの白い影が、ほとんどダメージなく起き上がって来る事が問題だ。そして問題がもう一つ。

 

『能力を使い出したな出来損ない』

 

 AIM拡散力場が引っ張られる。細胞達の振動が体を侵食して来るかのように垣根帝督に手を伸ばす。自分を自分たらしめる『自分だけの現実(パーソナルリアリティ)』を奪うように。人体細胞を作る以外の未元物質の技術を奪うかのような手の中で、僅かに垣根の体が揺らぐ。

 

 だがそんな事は元から織り込み済みだ。

 

 一度引っ張られる感覚は味わっている。垣根は逆に押し込むように伸ばされる見えざる手に己を差し出し、それによって生まれる緩みを狙い、逆に自分から感覚の手を伸ばし奪い取る。ほんの僅かでも人体細胞を生み出す未元物質(ダークマター)を掴み取る。

 

『テメェ……ッ』

「お互い様だ」

 

 未元物質(ダークマター)の怪物が垣根の肉体を奪うのが速いか、それとも垣根が人体細胞を生み出す未元物質(ダークマター)を掌握するのが速いか。顔を突き合わせられる距離。一度噛み合えば喰らい終えるまで終わらない。垣根の意識を散らそうと、肉薄して来る怪物達の影が一方通行(アクセラレータ)の生み出す空気の渦に飲み込まれ四散する。一度ビルの上へと足を戻し、目配せすらせず一方通行(アクセラレータ)と垣根は背を向け合う。

 

「何してんのか知らねえェが、やるんだったらさっさとしろ」

「バッテリーの温存をさせてやる。せいぜいありがたがってろ」

 

 そうして能力者の頂点達の闘争は激しさを増した。

 

 一分。

 

 二分。

 

 五分。

 

 十分。

 

『十五分で俺の形をした俺が百、二百、三百、四百、百人組手ならもうとっくにクリアだが、俺はまだまだ尽きる事はねえ。どちらが優位か考えるのも馬鹿らしいな』

 

 背の高い電波塔の鉄骨の上。未元物質(ダークマター)の怪物、もう一人の垣根帝督は超能力者(レベル5)二人を見下ろし口端を歪める。無傷の一方通行(アクセラレータ)、これは問題ではない。無限の雑兵を用いて今も一方通行(アクセラレータ)の手札を一枚づつ捲っている真っ最中。ただもう片方は、学園都市第二位の右腕と右足は引き千切れ、赤ではなく白い断面が覗いている。力ではなく能力で侵食され引き千切られた。細胞を一つ一つ喰らうように、今も垣根の体を蝕んでいる。垣根帝督を構成するものがなんであるのか吟味するように。

 

『お前に褒めるところがあるとすれば、俺を生み出す元になった事だけだ。今となっちゃ、唯一言う事を聞かない肉人形。第一位の前にさっさと擦り切れちまえ』

 

 徐々に徐々に、数で押されて垣根帝督は削られながら、多層陸橋の最下層まで誘導されるように押し込まれてゆく。破壊と創造。壊れる時は一瞬でも、無限に生み出されるものを壊し続けたところで終わらない。地下道まで押し込まれた第一位と第二位を小馬鹿にするように笑いながら、未元物質(ダークマター)の怪物は二人の前に足を落とす。

 

『ここまでよく頑張りましたとでも言えばいいか? 第一位と第二位が獅子奮迅の働きを見せて三十分オーバー。おめでとう新記録だ。賞状なんて気の利いたものはないけどな』

「……よく回る減らず口だ」

『そんな状態でよく言うぜ。お前がのほほんと日常を謳歌している間、俺が代わりに屈辱の日々を舐めててやったんだ。上を見上げる事を、飛ぶ事さえ止めた腑抜けが、お前と違って俺はずっとこの機会を待っていた。学園都市最強? そんなちっぽけな話じゃねえ。テメェらなんてとうに超えた。なのに未だに俺は学園都市第二位のおこぼれだと誰もが思ってやがる。いつの話だ? なら試すしかねえだろう?』

 

 眉間にしわを刻んだ一方通行(アクセラレータ)と顔色の悪い垣根の顔を見回して、強く、大きく、未元物質(ダークマター)の怪物は口を引き裂くように持ち上げる。

 

『俺はどこまで進んだんだ? 俺の『未元物質(ダークマター)』は、この世界でどこまで通用するんだ?』

 

 捕縛を命じられたフロイライン=クロイトゥーネなどそっちのけで、学園都市第二位とそれを退けた学園都市第一位を超えられるか否か。能力によって生まれた存在だからこそ、その頂点がどれ程のものか気になってしょうがない。それを越える事ができたのなら、あるいは同じ不死身であるフロイライン=クロイトゥーネへと目が向くのかもしれないが、一番に潰さねばならないのはその二人。とは言えそのうちの一人は既に終わりが見えているが。

 

「……起き抜けに言う事がそれとはな。分からなくはねえ。俺も超能力者(レベル5)になった時はそうだった。全能感に満たされて、世界は自分を中心に回っているような気さえした。ただのほほんとだと? お前はそれでも俺なのか? 常識を知らねえ奴が非常識を語ってんじゃねえ。お前が言ってんのは」

『お前はもう黙ってろ』

「ダ、……ッ」

 

 未元物質(ダークマター)の怪物の姿が掻き消える。音もなく肉薄し伸ばされた腕が垣根帝督の頭を捥いだ。首から上の千切れた垣根の体は膝を落として動かなくなる。未元物質(ダークマター)の怪物が掴む手に力を入れればそれだけで、白い粒子となって垣根の頭を世界から消える。掴んでいた手を擦り合わせ、『こんなものか』と、垣根帝督になった未元物質(ダークマター)の怪物は、少しばかり口端を落とした顔を一方通行(アクセラレータ)に差し向ける。

 

『呆気ねえ、これが俺だと思うと反吐が出る。強大な力を持っていようが、いい子ちゃんには限界がある。奴の敗因があるとすれば、牙を研ぐのをやめた事だ。もうアレに学ぶ事は一つもねえ』

「……第二位の共喰いを見せられるとはな、あンま気分がイイもンでもねェ」

『流石第一位様、目の前で誰が死んでも気にしませんてか? そうだよなぁ、自分が今どこに居るのか気にした素振りもねえもんな? あれだけさんざん好き放題やってきたお前が、いちいち覚えていなくたって無理もねえんだがな』

 

 分かったような事を言う垣根帝督に一方通行(アクセラレータ)は眉を寄せる。一方通行(アクセラレータ)には分からずとも、この場所に来る事を狙って未元物質(ダークマター)の怪物は無限を消費してきた。詰将棋をするように徐々に徐々に。王手をかけたからこそわざわざ姿を現した。擦り切れる第二位など問題ではない。第二位もいるという余裕を突いて、一方通行(アクセラレータ)をハメる為だけに。

 

『本当に覚えちゃいねえのか? なかなかに薄情な野郎だな。お前はこんなにも多くの命を奪っていったっていうのによ』

 

 今正に目の前に羽虫を潰すように命を毟った未元物質(ダークマター)の怪物の言葉と行動が記憶と重なり、一方通行(アクセラレータ)は目を見開く。気付いた時には遅過ぎた。

 

『ははっ! ここも『舞台』だっただろうが! お前が『最強』だ『無敵』だ言いながら、クローン人間相手に虐殺の『実験』を繰り返していた『舞台』の一つだろうが!!』

「オマエ……まさか……ッ⁉︎」

 

 未元物質(ダークマター)の怪物が指を弾く。その足元から白い液体のようなものが溢れたかと思えば、広がり膨らみ、垣根帝督とは違う形を描いてゆく。一方通行(アクセラレータ)は見知った姿。かつて一万人近く殺した少女の姿。逃れられぬ罪の姿。妹達(シスターズ)。その形に。

 

 ただの人形。そのはずだ。そのはずだった。

 

『ラーメンなる食べ物と遭遇、中でも最強は細麵のとんこつだとミサカは分析します』

『いやいや塩ラーメン麵柔らかめが美味だぶっ飛ばすぞこの野郎、とミサカは胸ぐらを摑みます』

『塩ラーメンと塩バターラーメンをいっしょくたにされては困ります、とミサカは雌雄を決するため取っ組み合いに加わります』

 

 起伏の薄いいつもの声色で、生きているかのように妹達は動き出す。ポカポカとお互いを殴り合い、死した者が蘇ったかのように。一方通行(アクセラレータ)の視界が揺らぐ。殴られた訳でも、言葉を叩きつけられた訳でもなく、あり得たかもしれない日常の情景が心を裂く。

 

『わざわざこの場所を選んだ『理由』ってヤツだよ。残留思念、なんて呼んじまって良いのかね。とにかくここら一帯にこびりついている情報を獲得して形を与えてみた。思念を読む方式も色々あるが、俺の場合はレコードとかCDとかと同じだな。物質の表面についた細かい凹凸を『未元物質(ダークマター)』でなぞって情報を取得する。……かつてここで起こった『何か』は目に見えない細かい傷を残していた。その振動の記録、断末魔を再生しているって寸法だ』

 

 死者が蘇った訳ではなくても、内に詰まっているものは本物。一方通行(アクセラレータ)が消してしまった最後の残り香。それを目の前に並べられ一方通行(アクセラレータ)の足が僅かに下がった。姿形が変わっただけで、未元物質(ダークマター)の人形の性能がなんら変わった訳ではない。それでも目に見える形が。鼓膜を揺らす声が。どうしようもない事実を突きつけてくる。壊せない。壊してはならない。一度壊してしまったからこそ。

 

「さあさあ『反射』の条件が乱れるか? 何でも良いが楽しみだよ。俺の性能試験にとって、美味しい状況になってくれりゃあ良いがなあ!」

「オマエェェェええええええッ!!!!」

 

 足が竦む一方通行(アクセラレータ)未元物質(ダークマター)の怪物は笑い、白い羽が空に舞った。

 

 

 

 

 ゴギリッ!!!! 

 

 

 耳痛い音を上げて影が転がる。一方通行(アクセラレータ)さえ飛び越して、妹達の体が乱暴に吹き飛ばされる。未元物質(ダークマター)の怪物の背後から伸びた白い翼が、不出来な人形を蹴散らした音。

 

「……くだらねえな。テメェら揃いも揃って人形遊びで喜ぶタイプか? そういうのは一人の時にでも勝手にやってろ」

『テ、メェ……何でッ』

「誰に言ってやがる? ()に常識は通用しねえ」

 

 未元物質(ダークマター)の怪物が手を握り締めた。首を捥いだはずだった。実際捥いだ。今も垣根帝督だったものには頭がない。それなのに、落としていた膝を持ち上げて、地下道を赤く染める事もなく、千切れた断面に白いなにかを浮かべて立っている。それが徐々に膨らみ元の形を描き切れば、白いだけでなく色付いて行く。垣根帝督のその色に。

 

「とは言え賭けだったがな。人体細胞を生み出す未元物質(ダークマター)を操る大元に触れればそのパターンを読み取るには一番だ。のこのこテメェが勝ちを確信してやって来たおかげで、テメェに触れる機会を作れた。頭を取られたのは少し驚いたが、いやいや、俺も化物らしくなっちまったもんだ。こうなりゃ確かに、俺が未元物質(ダークマター)なのか、未元物質(ダークマター)が俺なのかも分かりづれえ」

『ハッ! 今更俺と同じ場所に立ったぐらいでッ!』

「同じ? どこがだ?」

 

 地を踏み締め跳んだ垣根帝督の蹴りが飛来する。それを迎撃する為に振った腕を翼に変えた未元物質(ダークマター)の怪物とぶつかり合い、法則を超えた火花を上げて拮抗するがそれも一瞬。

 

『ぐ……ッ⁉︎』

 

 垣根の蹴りが未元物質(ダークマター)の怪物を蹴り飛ばす。一方通行(アクセラレータ)の横を通り過ぎ地を転がり削る未元物質(ダークマター)の怪物を垣根はつまらなそうに見下ろすと舌を打つ。

 

「のほほんとしてて悪かったな。だがそれも俺だ。ポッと出のお前と違って俺がどれだけ苦味を舐めたと思ってやがる。のほほんとしてた以上にな。寧ろそれを知ってるだけに苦味がより鮮烈に分かっちまう。たかが生まれて数ヶ月も生きてねえような人形が講釈垂れてんじゃねえぞ。学園都市のくそったれな部分と同じような事しやがって」

「オマエ……ッ‼︎」

「履き違えるなよ第一位。いつまでも死んだ奴の事でぐだぐだぐだぐだ。テメェは死んだ奴に目を向けて生きてる奴には目を向けねえのか? 違うだろうが。やった事は変わらねえ、それも自分だ。生きてる間にずっと正解なんて選べねえ。一度も負けない奴もいねえ。だが次があんなら勝つしかねえだろ。気に入らないなら潰すしかねえ。生き残っちまったなら……」

 

 自暴自棄になり、どうにもならないと分かっていても動くしかなかった。力があるから。例え間違っていたとしても。学園都市第二位として第一位に思わない事もない。寧ろずっと目の上のたんこぶとしてそこにいる。何をどうしても第一位と比べられる。力を求めてそして全てを失った。それを取り戻せるかと暴れてみても、そりゃ違うだろと撃ち落とされた。だから次は、次こそは、埋め合わせのような結果は要らない。ただ望む最高を手に入れる。お前には無理だとそんな常識覆して。だからこそ。

 

未元物質(ダークマター)、お前が俺の成れの果てか? 今は一番テメェが気に入らねえ。立て。テメェは塵も残さねえ。俺が誰か教えてやる」

 

 学園都市第二位が白翼を広げる。恋い焦がれる太陽にまで届くような大きな翼を。


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