「……ッ」
「起きたか?」
窓辺から差した日差しに目を細めて垣根帝督が身を起こす。窓を開けて煙草を吸い、携帯を弄っている俺に目を向けると、気怠そうにベッドから足を下ろす。とあるホテルの一室。グロッキー状態の垣根を寮に連れて行くわけにもいかず、デパートから程近かったホテルの部屋を借りて転がり込んだ。多くの学生が学校に泊まってるおかげでホテルも客は少なく警戒も楽に済みはした。昨夜よりも大分顔色のよくなった垣根は頭を掻いてため息を零す。
「今何時だ?」
「八時を少し過ぎたところだ。学園都市がそこまで騒がしくないあたり、まだ大きな動きは誰もしていないらしい。こちらである程度情報を探ってもいるんだが」
あまり状況は芳しくない。一端覧祭もついに始まり、面では多くの学生が動いている裏で
「まだ
「だろうな……要は初めて外に出た赤ん坊だ。ある程度能力を慣らしてから動くだろうぜ」
その過程で垣根の存在を喰らった訳か。とんだ暴食の化身だ。
「それで? 行き先は分かってると言ってたな? 場所は……」
「第一位様のトコだろうよ」
垣根は吐き捨てるように即答する。それに少し眉を顰める。フロイライン=クロイトゥーネを捕らえるために学園都市側が外に出したのに、狙いが
「力から自我が芽生えた野郎だぞ? それもとんでも能力でな。なら当然」
「上にいる奴が気に入らないって? それが分かって動くって事は奴は垣根さんの記憶をある程度引き継いでる訳か……にしたってわざわざ」
「一人しか上にいねえってのは相当なコンプレックスになり得る」
「そう言われれば分からなくもないか」
学園都市の大多数を占める
「フロイライン=クロイトゥーネは放っといてか?」
「それが『窓のないビル』から逃げたって野郎か。テメェがどうやってあのビルを破ったかは後で聞くとして」
後で聞くのか……、垣根さんの強さというか怖さは、能力にかまけない情報収集への貪欲さだな。
「
「……すごいな、全然思わないぞ」
「うるせえ。だからこそ、奴は間違いなく
「いや、それなら垣根さんも」
暗部での抗争の後、病院で電話番号等交換したはずなのだが、自分で連絡取りたくないから俺に会いに来たの? 能力を断ち切るついでに? 確かに垣根が一方通行と電話で話している姿など想像はしづらいが、どんだけ自分で連絡取りたくないんだ。第一位へのコンプレックスというのは、未元物質の怪物にとってだけでなく、垣根の本音も少し含まれている気がする。
「……まあダメ元で掛けてはみるけども……俺と組むと決めた理由はそれだけか?」
「まあそれだけでもねえ。癪だがな。二つ理由がある。一つは単純だ。
気に入らないと垣根は隠す事もなく顔に浮かべるが、必要ないと思うなら垣根もわざわざ来ないだろう。不死身の存在なのだとしたら殺せないかもしれないが、足を止める事はできる。一度垣根自身撃ち落とされた事があるからか、瑞西の技術力は信頼してくれているらしい。
「もう一つはテメェが
「なるほど、今度は天狗になってる奴を穿てばいいのか」
能力が自我を持つとは、ライトちゃんと似たような存在なのか知らないが、危険度ならより高いらしい。人体細胞を生み出せるようになったと言われても、想像しづらくて仕方がない。能力が肉体を形作るというのは、
「それで?
「奴は俺のAIM拡散力場まで飲み込んで俺に成り代わろうとしやがった。要はその逆をすればいい。俺の知らない
「失敗したら逆に能力に取り込まれておしまいか」
「垣根さんも、やっぱり誰かを救う為に反逆したのか?」
「……なんだ急に」
「少し思っただけだ」
「例えそうだったとしても今はご覧の有様だ。今それは関係ねえ。必要なのは奴を潰し、人体細胞を作る
それはもう答えを言っているような気がするのだが、あまり突っ込むと白い翼で殴られるだろうから止めておく。吸い切った煙草を手近の灰皿へと押し付けて外の賑やかな人波に目を向けた。誰も彼も楽しそうに、トールもあっちに混ざりたいと言っていたが、そうだったならどれだけいいか。だが、そんな中で気付かぬところに必死がある。今俺が求めているもの。それに一番近いところにいるのが垣根帝督。だから勝手に口が動いてしまう。
「垣根さんは後悔してるか?」
「……何をだ?」
「
垣根には目を向けず、人波を眺めたまま言葉を投げる。
「じゃあテメェは? 何がどうあっても時の鐘にはならなかったのか? んな訳ねえだろ。もし初めから自分がそうだと知ってたとしても俺は掴んだ。気に入らねえ事も反吐を吐くような事も当然ありはしたがな。それで止まるような俺じゃねえ。確かにこれまで最低だったが、俺が望んで得た力だ。これから最高にすりゃあいい。それを教えたのはテメェだろ」
垣根の言葉に新たに取り出した煙草を咥えようとした手が止まる。そんな事を教えるような事などした覚えはないのだが、垣根とはそれほど話した記憶さえない。なのにいったい何を知った? 部屋へと振り向けば、ポケットに手を入れた変わらぬ垣根が立っている。
「これまでやって来た事を後悔もしねえ。それが俺だからだ。テメェらに負けて久しぶりに日常に塗れてみたが、駄目だ。ウロチョロする非常識が目に付いて鬱陶しい。常識だけじゃ非常識に潰される。だが、非常識だけじゃ常識に勝てねえ。常識を守りたきゃ非常識を振るう常識ってやつがいりやがる。悪党だの善人だの今はどうでもいい。気に入らねえ奴は潰す。これまでそうしてきた。これからもだ。望んでもねえ力に振り回されるのが気に入らねえならそんな常識覆すしかねえだろうが。テメェだってそうなんだろ? 力も悪も非常識も、どう使うかは俺が決める。言いたい奴には言わせとけばいい。俺の決定が気に入らねえなら潰してみせろってな」
「それは……なんだ? 結局自分が間違っていたら誰かが止めるだろうから好きにやるって? それはなんとも」
無責任なように思えるのだが、少し違う。間違っていたら止めてくれる者がいる。そう信じるなどと、垣根の口から聞く事になるとは。一方通行とも戦闘中に悪党談義していたらしいが、自分以上の悪をただ知りたかったのか。それでも止めてくれる者がいるのかと。そして実際抗争は止まった。死者が出なかった訳ではない。それでも止まった。おそらく垣根の想像とは違う形で。俺にはもう繋ぎ止めてくれる少女がいる。そんな者がいなくても止まるのか。多分垣根はそれが……。
「ぐだぐだするのはお前には合わねえな。俺がお前に会いに行った理由の一番は、お前が一番俺に近いと思ったからだ。能力どうこうの話じゃねえ。好きに動いた俺とテメェの何が違うのか。考える時間だけは腐るほどあったからな。暗部も解体されたついでだ。最高ってヤツをたまには俺が掴んでもいいだろうが」
「……それを見せてくれる訳か?」
「特別だぞ。今回だけだ。俺が何者か今一度学園都市に教えてやる。時の鐘、俺が一番上手くお前を使ってやるよ」
壁に立て掛けられていた狙撃銃を垣根は投げ、俺は掴んだ。
「凸凹コンビ結成かね?」
「ハッ! それぐらいの方が俺には丁度いい」
────ドォンッ!!!!
砲撃音が街の中に響き渡る。祭りを彩る花火でもない破壊の音。幽鬼のような永遠の少女を吹き飛ばすが、不死身の怪物が消える事はない。情報を得る為に
逃げ惑う人々の中からのっそりと姿を表すのは、戦車といった機械仕掛けの怪物ではない。
全長十五メートル程の白いカブト虫。角を砲身に。緑色の目を光らせたシュールの国からの襲撃者は、白い風貌より何よりも、ありえないベクトルの屈折をもって誰かを
『見つけたぜ』
「……相変わらず小煩ェ声だ。前からメルヘンな野郎だとは思っていたが……一度ボコられて懲りなかったのか? 随分と滑稽になっちまったモンだ」
『自覚はある。ただ、誰のことを言ってるのか知った事じゃねえがな』
眉を顰める
『味方を庇いながら戦えるか、なんてつまらねえ事は言わねえよ。……お前以外はどうでも良い。誰が巻き込まれて誰が粉々になろうとな』
「……退屈な野郎だ」
「ああ全くだ。欠伸が出るな。粉々になるのはテメェだけだってのに」
吐き捨てるように悪態を吐く
『おいおいおい! まさかそっちから登場かよ! 偽物が何しに来やがった! それともパパとでも呼べばいいのか? 学園都市第二位に甘んじてるような腑抜けをそう呼びたくはねえけどな!』
「……こいつはなんだ? ドッペルゲンガーか? いつから第二位のくそったれは二人になりやがった?」
「お前の目は節穴かよ第一位。垣根帝督はこの世にたった一人だけだ。アレは
『言ってくれるじゃねえか出来損ない』
「どっちがだ?」
同じ声の応酬に、訳が分からないと
『どうやったか知らねえが、一度俺の手を払い除けたからって、勝てるつもりか? 第一位と協力しようが結果は変わらねえ。俺は無限に自分を作れる。今も成長しっぱなしだ。将棋で言えば、駒台に無限に駒の湧き出る魔法の壺があるようなもんだ。俺はテメェを、テメェらを超えたんだよ。これから始まるのは一方的な虐殺だぜ? 準備はいいか?』
言うが早いか、白いカブト虫の砲身が火を噴く。現れた本物の垣根帝督によって生み出された隙を突くように
『おいおい正義の味方気取りかよ‼︎』
「そうじゃねえ。ただ気に入らねえだけだ。おい第一位、逃すならさっさと逃せ。俺はテメェら程お優しくねえぞ」
「……礼は言わねえ」
床を
「テメェも逃げて構わなかったんだがな」
「オマエに借りは作らねえ」
『安心しろ、揃って叩き潰してやる』
白い
「……チッ」
その翼の感触に、忌々しそうに垣根帝督は舌を打つ。相手は全身
『能力を使い出したな出来損ない』
AIM拡散力場が引っ張られる。細胞達の振動が体を侵食して来るかのように垣根帝督に手を伸ばす。自分を自分たらしめる『
だがそんな事は元から織り込み済みだ。
一度引っ張られる感覚は味わっている。垣根は逆に押し込むように伸ばされる見えざる手に己を差し出し、それによって生まれる緩みを狙い、逆に自分から感覚の手を伸ばし奪い取る。ほんの僅かでも人体細胞を生み出す
『テメェ……ッ』
「お互い様だ」
「何してんのか知らねえェが、やるんだったらさっさとしろ」
「バッテリーの温存をさせてやる。せいぜいありがたがってろ」
そうして能力者の頂点達の闘争は激しさを増した。
一分。
二分。
五分。
十分。
『十五分で俺の形をした俺が百、二百、三百、四百、百人組手ならもうとっくにクリアだが、俺はまだまだ尽きる事はねえ。どちらが優位か考えるのも馬鹿らしいな』
背の高い電波塔の鉄骨の上。
『お前に褒めるところがあるとすれば、俺を生み出す元になった事だけだ。今となっちゃ、唯一言う事を聞かない肉人形。第一位の前にさっさと擦り切れちまえ』
徐々に徐々に、数で押されて垣根帝督は削られながら、多層陸橋の最下層まで誘導されるように押し込まれてゆく。破壊と創造。壊れる時は一瞬でも、無限に生み出されるものを壊し続けたところで終わらない。地下道まで押し込まれた第一位と第二位を小馬鹿にするように笑いながら、
『ここまでよく頑張りましたとでも言えばいいか? 第一位と第二位が獅子奮迅の働きを見せて三十分オーバー。おめでとう新記録だ。賞状なんて気の利いたものはないけどな』
「……よく回る減らず口だ」
『そんな状態でよく言うぜ。お前がのほほんと日常を謳歌している間、俺が代わりに屈辱の日々を舐めててやったんだ。上を見上げる事を、飛ぶ事さえ止めた腑抜けが、お前と違って俺はずっとこの機会を待っていた。学園都市最強? そんなちっぽけな話じゃねえ。テメェらなんてとうに超えた。なのに未だに俺は学園都市第二位のおこぼれだと誰もが思ってやがる。いつの話だ? なら試すしかねえだろう?』
眉間にしわを刻んだ
『俺はどこまで進んだんだ? 俺の『
捕縛を命じられたフロイライン=クロイトゥーネなどそっちのけで、学園都市第二位とそれを退けた学園都市第一位を超えられるか否か。能力によって生まれた存在だからこそ、その頂点がどれ程のものか気になってしょうがない。それを越える事ができたのなら、あるいは同じ不死身であるフロイライン=クロイトゥーネへと目が向くのかもしれないが、一番に潰さねばならないのはその二人。とは言えそのうちの一人は既に終わりが見えているが。
「……起き抜けに言う事がそれとはな。分からなくはねえ。俺も
『お前はもう黙ってろ』
「ダ、……ッ」
『呆気ねえ、これが俺だと思うと反吐が出る。強大な力を持っていようが、いい子ちゃんには限界がある。奴の敗因があるとすれば、牙を研ぐのをやめた事だ。もうアレに学ぶ事は一つもねえ』
「……第二位の共喰いを見せられるとはな、あンま気分がイイもンでもねェ」
『流石第一位様、目の前で誰が死んでも気にしませんてか? そうだよなぁ、自分が今どこに居るのか気にした素振りもねえもんな? あれだけさんざん好き放題やってきたお前が、いちいち覚えていなくたって無理もねえんだがな』
分かったような事を言う垣根帝督に
『本当に覚えちゃいねえのか? なかなかに薄情な野郎だな。お前はこんなにも多くの命を奪っていったっていうのによ』
今正に目の前に羽虫を潰すように命を毟った
『ははっ! ここも『舞台』だっただろうが! お前が『最強』だ『無敵』だ言いながら、クローン人間相手に虐殺の『実験』を繰り返していた『舞台』の一つだろうが!!』
「オマエ……まさか……ッ⁉︎」
ただの人形。そのはずだ。そのはずだった。
『ラーメンなる食べ物と遭遇、中でも最強は細麵のとんこつだとミサカは分析します』
『いやいや塩ラーメン麵柔らかめが美味だぶっ飛ばすぞこの野郎、とミサカは胸ぐらを摑みます』
『塩ラーメンと塩バターラーメンをいっしょくたにされては困ります、とミサカは雌雄を決するため取っ組み合いに加わります』
起伏の薄いいつもの声色で、生きているかのように妹達は動き出す。ポカポカとお互いを殴り合い、死した者が蘇ったかのように。
『わざわざこの場所を選んだ『理由』ってヤツだよ。残留思念、なんて呼んじまって良いのかね。とにかくここら一帯にこびりついている情報を獲得して形を与えてみた。思念を読む方式も色々あるが、俺の場合はレコードとかCDとかと同じだな。物質の表面についた細かい凹凸を『
死者が蘇った訳ではなくても、内に詰まっているものは本物。
「さあさあ『反射』の条件が乱れるか? 何でも良いが楽しみだよ。俺の性能試験にとって、美味しい状況になってくれりゃあ良いがなあ!」
「オマエェェェええええええッ!!!!」
足が竦む
ゴギリッ!!!!
耳痛い音を上げて影が転がる。
「……くだらねえな。テメェら揃いも揃って人形遊びで喜ぶタイプか? そういうのは一人の時にでも勝手にやってろ」
『テ、メェ……何でッ』
「誰に言ってやがる?
「とは言え賭けだったがな。人体細胞を生み出す
『ハッ! 今更俺と同じ場所に立ったぐらいでッ!』
「同じ? どこがだ?」
地を踏み締め跳んだ垣根帝督の蹴りが飛来する。それを迎撃する為に振った腕を翼に変えた
『ぐ……ッ⁉︎』
垣根の蹴りが
「のほほんとしてて悪かったな。だがそれも俺だ。ポッと出のお前と違って俺がどれだけ苦味を舐めたと思ってやがる。のほほんとしてた以上にな。寧ろそれを知ってるだけに苦味がより鮮烈に分かっちまう。たかが生まれて数ヶ月も生きてねえような人形が講釈垂れてんじゃねえぞ。学園都市のくそったれな部分と同じような事しやがって」
「オマエ……ッ‼︎」
「履き違えるなよ第一位。いつまでも死んだ奴の事でぐだぐだぐだぐだ。テメェは死んだ奴に目を向けて生きてる奴には目を向けねえのか? 違うだろうが。やった事は変わらねえ、それも自分だ。生きてる間にずっと正解なんて選べねえ。一度も負けない奴もいねえ。だが次があんなら勝つしかねえだろ。気に入らないなら潰すしかねえ。生き残っちまったなら……」
自暴自棄になり、どうにもならないと分かっていても動くしかなかった。力があるから。例え間違っていたとしても。学園都市第二位として第一位に思わない事もない。寧ろずっと目の上のたんこぶとしてそこにいる。何をどうしても第一位と比べられる。力を求めてそして全てを失った。それを取り戻せるかと暴れてみても、そりゃ違うだろと撃ち落とされた。だから次は、次こそは、埋め合わせのような結果は要らない。ただ望む最高を手に入れる。お前には無理だとそんな常識覆して。だからこそ。
「
学園都市第二位が白翼を広げる。恋い焦がれる太陽にまで届くような大きな翼を。