時の鐘   作:生崎

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一端覧祭 ⑨

 北欧神話最強の戦神が、ようやくその拳を抜く。誰の為でもなく己の為。純粋で単純なだけに力強く迷いなく、五指から伸びる溶接ブレードの煌めきが俺と上条の瞳を撫ぜた。誰かの為に学園都市に来た訳ではなく、己の為に、結果誰かを救う事になっただけのこと。目的と結果の逆転に、しばし固まっていた上条は首を振って抜き放たれた刃を咎めるように口を開いた。

 

「俺にはお前と戦う理由がない。お前がいなけりゃフロイライン=クロイトゥーネは助けられなかったんだ! 何もなければ恩人で終わってた。なのに何でこうなる!?」

「駄目だぜ上条ちゃん。殴り合うきっかけは怒りや憎しみからだけじゃねえ。悪人だけが拳を握って殴りかかるんでもねえ。そいつをよぉーく知ってるアンタに言われたって止まれねえよ。何よりさ、俺は最高に温まっちまってんだ。エンジンに火が点いちまってんだよ。アンタの話を初めて聞いたその時からな」

 

 閃光を伸ばすトールの指先が上条へと突き付けられる。抜かれた刃を言葉で押し返す事は出来ない。トールは既に決めている。迷いの中で動いている訳ではない。口に浮かぶ白い三日月がその証拠。

 

「馬鹿デカい力と力をぶつけ合っちまえば、大抵ろくでもねえ被害が周りへ広がっちまう。俺のケンカが戦争なんてろくでもねえ言葉で表現されるようにな。だが上条ちゃんよ、アンタが持ってる『それ』は何だ? ただの高校生でありながら多くの人を助け出し! しまいにゃ第三次世界大戦まで終結させて!! 『グレムリン』との戦闘でも勝ち残ってきた!! そんな凄まじい力の正体が『打ち消すもの』だとよ! ああ、楽しみだ。それに加えて『喇叭吹き(トランペッター)』のオマケ付きだぞ‼︎ 異能を使わず己を磨くどこまでも人間な馬鹿までいる‼︎ ただ前に進むだけで大天使にまで突っ込んだ野郎二人‼︎ やっとやっと俺も『次の成長』が見えてきた!! ひりつくような緊張の中、本当に勝敗の行方が分からねえほどの戦いってのをやって、なおかつ馬鹿デカい力と狭く閉じ込められた穿つ力、打ち消す力の激突なら被害もそんなに広がらねえ!! こんなに便利で稼ぎ時な戦いが他にあるかよ孫ちゃん‼︎ 上条ちゃん!!」

 

 だからここまで待っていた。ハワイのように観光客もおらず、一端覧祭で学生達は街に、物流の最適化、高速化のため、幾人かのエンジニア以外おらず全自動化されている第十一学区に三人だけで顔を合わせるこの時を。横槍の入る可能性のない戦場を。だからトールは大きく笑う。さっさとスタートラインに立ち、始まる時を今か今かと待っている。ただ上条はそこに並ぶ事を拒むように首を左右に振った。

 

「何でだ……? アンタはフロイライン=クロイトゥーネの境遇について本気で怒っていただろう!? 傷を負って苦しむ辛さから解き放とうって本気で思って行動していただろう! なのに何でここで利益なんてのが出てきて努力を弄ぶ? 必要もないのに殴り合おうとするんだ!?」

「そんな上等な人間じゃねえよ。俺だって『グレムリン』だ。結局さ、力が欲しいんだ。自己鍛錬だけじゃ限界があり、だがここまで上り詰めるとまともに殴り合えるヤツにも限りが出てくる。……いいや俺より強いヤツにはいくつか心当たりがあるが、その激突で街を国をぶっ壊しちまったら後味悪いしよ。なかなか条件に見合った『ステップ』ってのを探すのも大変なんだぜ」

 

 力を求めたその先に待っているものはなんなのか。その湧き出る力の源がなんなのか。それを知る為の探求であるのか、それとも知った上で進んでいるのか。トールは少なくともそれに目を向けている。俺が目を向けるよりもずっと前に。自分が何者であるのか分かっている。『グレムリン』とは言うものの、ここにいるのは雷神トール。それ以上でも以下でもない。

 

「誰かを助けたくて力を求めたのか、力があるから誰かを助ける気になったのか。その辺はもう自分でもグッチャグチャで答えは出せねえがな、俺の本質ってのはつまりそれだ。より強い『力』を求めるためにサイクルを回し、その過程で助けられるもんには手を差し伸べる。……『特殊』ではあるものの分かりやすい『力』もねえのに誰かに手を差し伸べ続け、やがてそれが強い『力』へと積み上げられていったアンタとは随分と違うもんだよ、『力』を求めていた訳でも、誰かを助ける訳でもなく戦場に立つ事を決めたアンタともな」

 

 始まりや過程がなんであろうが、結果『力』へと変わった事には違いない。そして一定以上の『力』を持ってしまえば、結局『力』に目を付けられる。終わりがない。不毛である。だがその場所に立つと決めたのは他でもない自分自身。力が欲しい。なんであれその欲求に嘘はない。トールがトールなりに力を求める理由があるように、今の俺にも力を求める理由がある。そしてその切符は既に持っている。その切符を切るのなら、誰に向けて、どこで切るのかそれは既に決めた。それを気付かせた奴に。だからこそ────。

 

「二対一だぞ? それでもやるのか?」

「お、おい法水⁉︎」

「はっは! やっぱいいね孫ちゃん! 当然だろ? 遠慮は要らない。孫ちゃんは誰かといる方が強いだろ? 単純に手数が変わるからとかそういう理由じゃなくてさ。アンタはそういう存在だ。それも上条ちゃんとなら。お前達二人なら美味しさ二倍どころじゃねえ」

「トールも……ッ」

 

 俺とトールの顔を見回していた上条が急に口詰まると息を呑んで顔を歪める。銃弾に貫かれた脇腹の傷が痛んだのか。急に掛かった負荷に上条の体が悲鳴を上げたらしい。こんな所にいるよりも病院に居た方がいいのだろうが、それを勧めるような事をトールは言わない。トールにとって上条は既に一般人ではなく喧嘩の相手。生死が掛かっていなかろうと、喧嘩で手を抜くような者でもない。

 

「……そうかそうか。結構順調に解決していったとは思っちゃいたが、それについては純粋に減点だよな。はっきり言って邪魔で無粋だ。戦闘の経験値が減っちまう要因だが、無視する訳にもいかねえしよ」

 

 溶接ブレードを瞬かせる手とは反対の手を後ろに回し、俺の見慣れたものをトールは引き抜く。拳銃。顔を緩めたままそれを取り回し、誰が何を言うより早く、自分の脇腹に押し付けると引き金を押し込む。時間を掛ければ手から弾かれるとでも思ったか、聞き慣れた音と共に鉄礫がトールを貫き鮮血が舞う。

 

「お、おーおー……すげえなこりゃ。急所は外したつもりだが、それでも体の芯がガクガク震えてやがる。アンタ、こんなの抱えて良くあれだけの戦場を走っていたもんだ。ただ者じゃないようで何よりだぜ」

「トール……馬鹿野郎!!」

 

 望む喧嘩を始める前から自分で自分を削っていれば世話ない。それで上条と揃えたつもりなのか。怪我人同士の殴り合いに俺に混ざれという気なのか。呆れてため息しか出ない。マジで馬鹿だ。それだけの為に税関にいたエンジニアから奪ったらしい拳銃をトールはすぐにほっぽり捨て、それにため息混じりに歩み寄って拳銃を拾う。

 

「はッ、捨てたのは失敗だったか? 時の鐘の早撃ちまで見れるならまあ悪くもない。孫ちゃんは銃を持ってこそだろ?」

「早撃ち? はいはい、こんな感じね」

 

 上条とトールの脇腹に軽く目を走らせ脇腹に銃口を押し付ける。一発。すぐに拳銃を放り捨てて、少し力の抜けた足を振る。調子はそう悪くもない。

 

「法水⁉︎ なにお前まで‼︎」

「痛覚麻痺ってる俺にはあんまり意味ないんだが、慣れてるし。戦場でなければ仕事でもない。ただただ喧嘩するなんて初めてだよ。それも本気で。トール、お前の必死に合わせてやる。喧嘩を売ったのはお前だぞ。せいぜい高く買ってやるよ。だから()()()()()で満足するなよ。俺はまだ何もお前に見せちゃいない」

 

 背負っていた狙撃銃を掴み手に取る。トールに何があるかは知らない。ただ俺にはこれだけだ。俺の始まりは狙撃銃。多くの時の鐘の武器の中で、最も振るったものはコレ。

 

「言ってくれるな孫ちゃんよ! やっぱお前は悪くねえ! さあ上条ちゃんも! 俺は戦うつもりはないから拳は握らないとか、お前の気が済むまで殴らせてやるとか、そういうつまんねえのはやめようぜ」

「前を向け上条、理不尽だと思っても進むしかない。そうでなくても、ただ俺達は好きに動いて今がある。これもそれと変わらない。『今』必要とされるのは、中身はどうあれ力だけだ。気に入らないなら叩き潰せ」

「くっそ! お前ら‼︎」

「ハハッ! 『投擲の槌(ミヨルニル)』! 接続の最終確認、終了次第供給開始!!」

 

 満面の笑みで笑うトールの叫びに合わせてボルトハンドルを引く。弾丸を入れ込むのと、肥大したエネルギーにトールの十指から伸びる溶接ブレードが二十メートル近く伸長したのはほぼ同時。俺が構えるより早く、積まれたコンテナを巻き込みながら、俺と上条を纏めて潰すようなトールは右腕を横薙ぎに振るう。

 

 細く息を吐き屈むように動こうとした俺と上条にトールは目を細め、左腕を上から下へ。五つある閃光の爪がコンテナを溶かし切り裂きながら進路を塞ぐ。縦と横から迫り来るそれを、隙間に体を捻り込むように跳び、足りない分は射撃の衝撃で体を押し込む。学生服の端が削り取られる中地面の上を転がり身を起こした所で、避けきれないと悟った上条がトールの左腕側の閃光を右手でもって受け止める。

 

「おおおおおおおおおお‼︎」

 

 ただそれでも消えない。夏休みの始まりに禁書目録が放った閃光と同じ。ただ魔力で固めている訳でもなく、トールの振るう閃光は、永続的に噴き出している。その証拠に上条の右手に触れて消える波は終わらない。絶えず消え続けるも、押し寄せ続ける力に上条の体の方が軋んでいる。狙撃銃を構えて引き金を引いた先、トールは躊躇わず飛んで避けると、上条に打ち消されている左腕の閃光の力と溶接ブレードが空気を膨張させる力に乗って、そのまま高く、落ちて来ようかというコンテナに逆さに足を乗せて張り付いた。それを目視する事なく、ボルトハンドルを引き残りの弾丸四発を吐き出させて瑞西の至宝を狙撃銃へと叩き込んだ。

 

「ははははははは!! すっげえなオイ。やっぱすげえよ上条ちゃん‼︎ 俺の初撃に耐えておきながら、アンタは何にも壊してねえ!!」

「骨で時の鐘の音を聞け」

「それでそっちも半端じゃねえッ‼︎」

 

 上に飛んだならこれ幸いと引き金を押し込む。歓喜を絵に描いたように回り始めるトールに向けて。大地に落ちようとするコンテナ群を払うかのように、十の閃光が檻となって通り道に塞がる障害を斬り崩す。迫る特殊振動弾さえ爪で削り、弾けた振動空間がコンテナの破片をひしゃげ蒸発させた。歪んだ空間の表面を滑るように十の閃光は湾曲するも消える事なく、空間をそのまま押し返すように拮抗し魔力の花火を空に浮かべた。

 

 一瞬生まれた安全地帯の中で頭を回す。俺とトールにとっては距離などあまり意味がない。離れていようが必殺を叩き込む術がある。なら離れるかとなれば、上条の右手が控えている分、生まれた隙間へ穿てるだけに遠距離には少しばかり分があるかもしれない。ただ近距離になってもそれは同じ。上条の右手が勝敗を分ける。この喧嘩を始めたのがトールであろうが、喧嘩の終わりを左右しているのは上条の右手。生まれる隙に狙撃をするように捻り込めるか否か。それは上条もトールも分かっているはず。軽く上条と目配せする上で、トールがコンテナを足で蹴る。

 

 出力が馬鹿みたいに大きいだけに、目を向けなかろうがトールの居場所はよく分かる。骨の腕を振るうような突っ込んで来るトールの閃光の隙間へと身を滑らせ、転がり立ち上がったところで狙撃銃に弾丸を込める。特殊振動弾は放てたとしても、トールの大きさとなると振動空間が障害物ともなって動きが此方も制限されてしまう。ただ普通の弾丸が当たるかというとそれも厳しい。氷結弾や炸裂弾も、莫大な閃光に消されてしまえば意味もない。どう手札を切るか。少なくとも切れる手は多くなく、その回数も多くはない。細く息を吐き出す横で、右手首を回して苦い顔をする上条を目に、雷神トールは薄く笑い両手を構える。

 

「どうした上条ちゃん。右方のフィアンマはこんなもんだったか? カーテナ=オリジナルを持ったキャーリサは? 俺は過大評価ってのは好きじゃなくてね。正直、こんな程度なら連中の方がまだまだ上なんじゃあないのか? なあ孫ちゃん」

「……まあ。威力なんていうのは一定のラインを越えればあまり関係ない。ただ動きの幅の限界がな」

「そこはほら、仕方ないだろ。お互いさ」

 

 眉を顰める上条の先で、トールの体から小枝が弾けたような軽い音が続けて響く。それがなんであるのか聞かなくても見えてしまう。限界を超えた関節や骨が軋む音。波が見えなかろうが、それに気付いた上条は目を見開いた。

 

「お前……自分の移動の負荷に、いいやブレードの出力に体が追い着いていないのか!? だとしたら……ッ!!」

「あのなあ。トールさんは別に『聖人』だの『世界を救う力』だのアホみたいなもん抱えた特別製じゃねえってのよ。オティヌスと違って『魔神』って訳でもねえし。言っておくが、俺は、ただの、魔術師だ。それで世界のランカーと渡り合おうっつってんだからよ。どっかで無茶しなくっちゃならねえのは当然だろ」

 

 聖人のように生身で音速を超えた動きを叩き出せる訳ではない。ぶ厚い鉄板でも砕こうと拳を振るえば拳が割れるし、戦車にただ蹴りを放ったところで折れるのは足。異能を振るおうが元は人。人としてただ魔術を積み上げたのが雷神トール。暴力で戦う技術を俺が研ぎ積み上げていた間、トールは魔術で戦う技術を磨き積み上げただけのこと。だから俺はそれを咎める事はできない。積み上げたものの種類が違うだけだ。自分が望むものを得る為に自分を必要経費として支払っているだけ。

 

「何で……そこまでして……ッ!!」

「手が届いたからさ。どうしようもなく遠いものなら諦められた。でも、俺の場合は違った。一つ一つを積み重ねていったら、夜空の星を摑める所まで来ちまった。多少は危険が伴うが、そんなのは台の上に乗って、背伸びをするようなもんだ。上条ちゃんも孫ちゃんも、アンタらなら分かると思うがね」

 

 聖人に挑む。超能力者(レベル5)に挑む。大天使に挑む。天才に挑む。元から持っているモノが違う。資質が上の相手なら数多くいる。上条の右手でも打ち消せないもの。届かない才能の領域。相手してきた者達はそんな者達で溢れていた。どれだけ狙撃を磨いてもボスには届かず、剣に手を伸ばしてもカレンやナルシスには一生及ばないだろう。そんな者が数多い。ただそれでも、自分が超えられる一線を少しづつ超えて自分なりにそれに並ぼうと進んできた。同じになろうとしていたら、決して勝てなかっただろう。ただトールは自分が自分なりに踏み越えた一線を示しているだけ。

 

「さらに十倍」

 

 溶接ブレードの畝りが膨れ、これまでの波を大きく飲み込む。

 

「まだ届く。さらに二十倍」

 

 肉眼では捉え切れない程に。伸びる莫大な閃光に乾いた笑いが口から漏れる。トールも俺も上条も何も変わらない。持ってるものが大きくなかろうが、それだけのものを受け止められる。ただの魔術師でありながらそこから一歩出るトールの世界から溢れる波に指を這わせて狙撃銃を握り込む。

 

「分かるかい、上条当麻。法水孫市。これが俺だ。個人のケンカが戦争の域にまで達するとされる俺はここまで届いちまってる。届くってのは素敵だぜ。別にそこがゴールじゃねえ。何しろ今は届かねえ、ゴールと思っていた場所の『先』が見えてくるんだからな」

 

 口端を釣り上げる俺には目を向けず、トールは目を見開き動かぬ上条へと目を向ける。上条の動きの機微を見逃さぬように。上条の目が動いた先を見据えて。

 

「……お前も手を伸ばせよ。ちょっと大変かもしれないが、台に乗って、背伸びをすれば指先が届く。試してみるだけの価値はあるんじゃねえか?」

「何を、言っている?」

「拳銃」

 

 トールが引き金を引き、俺が引き金を引いてほっぽった拳銃。弾丸はまだ残っている。そしてそれがトールに通用する事は、トール自身が証明した。拳銃を手に取る事で起きるかもしれない悲劇、ただ掴む事で得られる拳銃の有用性を説明するトールの言葉を聞き流しながら、上条の奥歯を噛む音を聞く。持ち上がっていた口端が下がり、下がり続け、口元を指で撫ぜ強引に消した。

 

「フロイライン=クロイトゥーネはもう使えない。『槍』のピースを使ってオティヌスを揺さぶる事はできねえんだ。目的を失ったあの『魔神』の行動は予測できねえ。そして何か動けばおしまいだぞ。ハワイ諸島、バゲージシティ、あれはメチャクチャだったが、まだ管理された破壊だった。今度はどうなるかな? 手当たり次第の無差別攻撃が始まるか。それとも、いつかのF.C.E.を参考にして、アンタの知り合いの顔のいくつかを狙って潰しに行くか」

「……トール」

「俺が最後の鍵だ。それじゃ不満か? 『グレムリン』の本拠地を探るための最後の鍵。これ以上の犠牲を出さずに済ませるための最後の鍵。……さてどうするね? 個人の事情やモラルで、みすみす逃がしちまうのがお前の正義か?」

「トォ」

 

 

 ────ゴゥンッ!!!! 

 

 

 口を開きかけた上条の呟きを搔き消し、狙撃銃から吐き出された銃弾が地面に転がっているプラスチック製の拳銃を撃ち砕く。もう弾丸を吐き出す事もなくなった壊れた拳銃にトールも上条も目を瞬いた。ただ気に入らない内面を吐き捨てるようにゲルニカM-003の銃身である軍楽器(リコーダー)で地面を一度叩く。

 

「おいおい孫ちゃん、自分で飛び道具壊すのか? 少なくとも上条ちゃんが拳銃を握れば」

「お前で喧嘩売ってきといて舐めるなトール。そういうところがお前はイヤらしいんだ」

 

 いかにも有効な手に見えて、その実上条の右手が拳銃で埋まりでもしたら、上条の右手を基点に成り立っている喧嘩の形が喪失する。ただでさえそれで勝率が高い訳でもない。それに何より、自分で喧嘩と言っておいて、俺やトールの普段と違い、上条に普段を超えさせようというのが気に入らない。

 

「上条、それは俺が握ってやる。なんでもない日常をその右手に握ったように戦場にズカズカ入って来るからお前は怖い。苦手だ。人を殺すような技なら俺が幾らでも振るってやる。でもお前はそうじゃないだろう? 所詮これは自分の押し付け合いだ。トールも、俺も、だから上条も自分を押し付けろよ。お前の喧嘩にそれは必要ないだろう」

「……法水」

 

 ゴンッ! と鈍い音が一度響く。上条に笑みを向ければ上条に右手で頭をぶったたかれた。

 

「俺はお前に誰かを殺すような技なんて振るって欲しくない! でも、それでもお前が自分の為だとしても誰かの為に引き金を引くのをやめない事も知ってる! そうやって挫けそうな時お前が隣に立ってたんだからな! 俺もお前のそういうところが苦手だ! 怖いよ。だからもう、さっさと終わらせるぞ。誰かを殺す為なんかじゃない。俺も、法水も、トールだってそうだろ? 誰かを助ける為に命を賭けることができるんだから」

「何も叩かなくても、口の中が切れたぞ。まあそういう事なら、これは使わなくていい。あの時だってこれがあったからお前の隣に並んで立った訳じゃない。合わせてやるよ上条、お前の最高ってやつに」

 

 狙撃銃を地面に置き、右手の調子を確かめるように揺らし目を細める上条と目配せする。拳銃どころか狙撃銃を手放す俺達に目を丸くしてトールは見つめ、なんとも言えない笑みを浮かべる。それが穿つ相手。わざわざ必要もない建前まで放ってくれた。軍楽器(リコーダー)さえ手に取らず、自分の身一つで波の世界に沈み込む。不純物は必要ない。ただ自分の底に向けて。

 

「お前とはいつも突っ込んでばかりだ。多分かなり痛いぞ。それでもやるかよ?」

「当然。タイミングはお前に任せる。お前と一緒なら壊せない幻想も最悪もないさ。なあ狙撃手」

「……面白えな。最後の最後でそれかよ。やっぱりアンタら最高だ。見せてくれよ! かつて六〇億人を助けたその決断を‼︎」

「そりゃオマケだ」

 

 助けた数などどうだっていい。それは副産物でオマケでしかない。視界にさえ収まらない閃光の爪を振るうトールに向かい、上条と二人トールに突っ込み。禁書目録(インデックス)のお嬢さんを縛る首輪に向かう時も、カーテナを握るキャーリサさんに向かう時も、ロシアで大天使に向かう時も、結局やる事は変わらない。ただ脅威に向けて足を踏み込む。分かりやすく突っ込んで来る俺と上条を迎撃する為にトールは身を捩り────。

 

「右」

 

 俺の言葉に合わせて、トールの右腕の横薙ぎの一撃を上条は右拳で迷いなく弾く。

 

「テメェら……ッ‼︎」

「左」

 

 動きの一手先を指し示す。銃口を向けるように言葉で指し示した先で、トールの閃光の爪はその通り振るわれ、上条の右拳が振るわれ弾く。消せはしない極大の閃光。だがそれでいいと上条が答えを告げた。

 

「溶断ブレードの動きはその指先に応じて展開される。でも、それは本当に一方的なものか? 何度か死にもの狂いで受け止めた中で、俺は見たぞ。弾かれる溶断ブレードの動きに合わせて、お前の腕も一緒に弾かれていたのを」

「野郎……」

「元々何でもかんでも切り裂くブレードだ。こんな風に何かが引っかかる事なんて考えちゃいなかっただろ。金属バットを持って、自分でも制御できないようなスピードでコンクリートの壁を叩いちまうのと一緒だ。あんな馬鹿げた攻撃を受け止めてりゃこっちの手首はボロボロになるが、それはアンタだって同じだった! その手首はもう限界に達してんじゃねえのか!?」

 

 距離は確実に縮まってゆく。消費されてゆくものは同じ。ただトールの一手先を掴み取り、より楽に上条が一歩を踏み出す道を示す。どんな異能の脅威も打ち砕く右手は振るう先を迷わない。ただ目の前の狭い世界を波の世界の奥深くで望む。

 

 もっと深く、より深く。

 

 アクションの為の選択肢を削り落とし、結果として速度を上げる。一手で王手を掛けるように。針の穴より小さな穴に弾丸を通すかの如く。狭い世界を取り巻く大きな世界。その世界こそを吸い込み掴み取るように。どれだけ相手が狭い強固な世界を持っているか知らなくても、それを掴み切れずとも、自分の世界からの見え方だけを飲み込んで。

 

「だよなあ!! やっぱ俺の敵ってのはこういう規模でなくっちゃなあ!!」

 

 笑みの弾けたトールの閃光の爪が、景色さえ飲み込むように漠然と振るわれる。弾かれると分かっていても、ここまでくれば我慢比べ。上下左右。一手先を口に出し、上条が弾き躙り寄る。上条とトールの関節の呻き声を耳にしながら、ただ冷徹に冷静に世界を見据える。

 

「ッ!!」

 

 上条とトールの舌を打つ音が小さく聞こえる。ただ全力でトールは衝撃を叩きつけ、上条はそれを弾く。どちらの腕が先に限界に達するか。先に腕を振るえなくなった方が負ける。ただそれを静かに見つめ、トールの十の閃光の爪が、上条の右拳を圧し折ろうと圧力を高めた一点に目を見開いて上条の振るわれる右拳の肘を押し出すように前に弾いた。十の閃光が重ねられ、ピンで止めたかのように動きを止める。

 

「てめッ⁉︎」

「タイミングは法水に任せるって言っただろ。俺が弾丸だ。引き金も俺が引く。ただそれをどこまでも遠くに飛ばすのは」

「狙撃手の俺だ。ぶっ飛べトール」

 

 拮抗し火花を上げて止まっている上条の肘へと手を合わせ、捻りを加えて前へと押し出す。噛み合う十の閃光が捻られ弾けて穴を開ける。捩れへし折れた両手を広げ、笑うトールの顔へとより深くに足を踏み入れた上条の拳がトールを弾いた。地面を滑り転がりながら、閃光の残骸が尾を引き空気に溶けて消えていく。それを追うように限界の来た上条の右手首の関節の外れる音が響く。

 

 届いた一撃。だがそれでも、口から血を滴らせながら、糸を引き、ゆっくりトールは体を持ち上げた。笑いながら、へし折れた両の手首を揺らしながら立ち上がる。どこかスッキリとした顔で。これを待っていたかのように。

 

「……やりやがったな」

「上条がな。どうする?」

「続行に決まってんだろ」

「だとさ」

「だろうな」

 

 そうトールは応えると分かっていたように、上条は呆れる事もなく更に一歩を差し向ける。誰が見てもしっかりとした決着をつけるため。駆け出した上条が左の拳を握り込む。例え右拳が握れなかろうと、届く先があるのなら、迷わず上条はそこに踏み込む。喧嘩っ早いお人好しを助ける為に。

 

「……悪い、上条ちゃん。トールってのはさ、たかが雷神如きで収まる器じゃねえんだわ」

 

 小さな呟き。上条の左拳が届くはずだった景色が夢のように崩れ去る。と、同時に俺の体を冷たい汗が一気に覆った。トールの周りで全ての波が同時に噛み千切られたような感覚に理解が及ばない。それは俺のよく知る少女が俺に見せてくれる感覚に近いが、絶対的に何かが異なる。

 

「……空間移動(テレポート)

 

 俺の呟きを否定するように、再び波の千切れる感覚が肌を撫ぜ、骨を震わせ、同時に視界が描き混ざる。トールの狭い世界の波紋を骨に感じながら、叩きつけられた衝撃に吹き飛ばされた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……おいおい、まだ立つのかよ」

 

 痛む手首を振りながら、微笑を浮かべた雷神トールは目を細める。上条が既に意識を手放して、地面に横たわってから既に数分。その数分で、孫市は既に両手の指では数え切れぬ程に地面を舐めている。二、三度の衝突で額が割れ、血に塗れた顔を振り、自ら穿った脇腹の銃創からは血を流し、押せば倒れかねない程にフラフラだ。両手首が折れ、同じく自分で脇腹を撃ったトールよりも明らかに重傷。ほとんど痛みを感じないからと言っても、そう立ち上がっていられるものかと感心する。

 

 

 Þórr(トール).

 

 

 北欧神話の神の一柱。雷神にして北欧神話最強の戦神。農民階級に広く信仰された神であり、元はオーディンと同格以上の地位があった全能神。力はアースガルズ北欧神話に登場するアース神族の王国のほかのすべての神々を合わせたより強いとされる通り、必勝の術がトールにはある。魔神オティヌスがいなければ『グレムリン』の頂点に据えられていたとされる程の力。そうして何もない虚空に向けて振ったようなトールの蹴りが孫市の膝をへし折り、孫市の体が地面に落ちる。

 

「終わりか?」

 

 

 ほっと息を吐き出し首を傾げたトールの体を影が覆った。

 

 

「……まだ」

 

 孫市の腕がトールに振られ、肌を撫ぜる事もなく、消えたトールは孫市の背後に佇みその背中を蹴り飛ばす。床に転がった孫市は、その勢いを体を振る動作に変換するかのように、地面を舐めるように身を振る勢いのまま立ち上がった。同時に振られた腕があらぬ方向の空を薙ぐ。体重を支え切れない折れた足はただの支えとする不出来な案山子のような有様でもただ立ち上がる。足をおらずとも追ってもそれの繰り返し。倒れても必ず返ってくるメトロノームのように、今この瞬間も積み始めた新たな格闘技術を積んでいる。

 

「ははっ、孫ちゃん、お前はどこまで上るんだ?」

「まだ……俺はまだ……お前に見せちゃいない……」

 

 上条当麻や全能神トール、垣根帝督が見せたような源を。倒れそうに体を振って一歩を踏み出し孫市は前へと進む。こつりッ、と響く足音を、トールの蹴りが孫市の頭を削ぐように蹴る音が搔き消した。より大きく裂けた額から滴る血液が地面を揺らす。地面を転がりながらも変な場所に腕を振るい立ち上がる孫市の背を、待ち構えていたかのようにトールの蹴りが続けて叩いた。地面を汚しながら頭上に向けて腕を振り、ひっくり返りそうになりながらも身を反らせて孫市は身を起こす。

 

 体全体から力が抜け、全身が水のように不定形にしなる孫市の動きがどうにも人間的でなく気味が悪い。固く閉じられた牢屋の穴に針金を突っ込んでいるような。何かの前兆のような動きを踏み砕くようにトールは孫市の頭を踏み蹴った。大地を転がりながら一拍挟むように腕を振り、次第に振動するような振り子の動作に動きを変えて、覚束ない瞳を瞬かせ当たり前のように孫市は立つ。

 

「……トール……俺は、お前に……」

「……これ以上は殺しちまうぜ」

 

 もう踵を返そうかというトールに向けて、孫市は顔を全く別の方向に向けながらも足だけはトールへと踏み出す。一歩一歩。その拙い歩みを止めてやろうと押し倒すようにトールは蹴るも、止まらず腕を振り起き上がって来る。十回、二十回繰り返そうが。「……まだ」とうわ言のように繰り返し、明後日に向けて腕を振るい立ち上がる。最早意識があるかも定かでない。その姿にトールは眉を顰めた。

 

(なんでわざわざ立つ前に腕を振る。勢いの向きを統制するため? それにしちゃ意味があるとも思えない。何より……)

 

 吹っ飛んでから腕を振るう感覚が段々短くなっている。その所為で体勢が崩れても、バランスが崩れても気にしない。何かにタイミングを合わせるかのように。目に血でも入ったのか、赤く染まった瞳を空に向けて口から血を垂らした孫市の意識をそろそろ完全に刈り取ってやろうとトールは足を振り上げた。

 

 

「俺は並ぶ」

 

 

 振り落とされたトールの回し蹴りに大きく身を弾かれて、朱い線を引きながら孫市は大地の上を削り滑った。もう身を振る事はなく床に転がった孫市の体が十秒を過ぎようとも動かないのを確認してトールは大きく肩を竦めてようやく身を翻した。どれだけ相手が立ち上がろうとも、全能神トールが得る結果は決まっている。面白くもない勝利を重ねても経験値は得られない。残念そうに首を傾げるトールの前で、ぽたりと地面に雫が垂れた。地面を汚す朱い雫。脇腹の傷から垂れたのかとトールはそれを見つめるが、それなら視界の端が赤く染まっている理由にならない。顔の横に手を添えたトールの手を、生温い感触が撫で返した。

 

 一撃を貰った訳ではない。ただ擦った。血に濡れたただの拳が。それを振るったのはただ一人。トールの体を影が覆う。

 

 

 背後に目を向けたトールの先で、朱い髪が緩く揺れる。

 

 

「……お前何手先を読んだんだ? いったいどれだけ吸い込んだ?」

「……鄒ィ縺セ縺励>縺ッ」

 

 絶対に当たる打撃に拳を合わせる。どれだけ這いずり躙り寄ろうが、全身全霊で全てを差し向けたところで得られるものは最高で引き分け。ただそれでもその位置に。狭い世界の檻から巨大な影が這いずり出る。トールの背筋を冷たいものが舐め上げた。目にした輝きを丸呑みするような巨大な口が、穴のように波の世界を際限なく吸い込む。波紋も振動も全てを口にして、怪物の舌のように孫市は朱い髪を緩く振った。

 

 脅威の前に立ち塞がる者。勝とうが負けようが関係ない。輝きを前にして傍観している事だけはあり得ない。それを消すには殺すしかない。それまで絶対止まらない。それを決めるトールの足に力が入り、次の瞬間力が抜けた。

 

 瞬きもせず声も出さず孫市はもう動かない。立ったまま意識は遠い彼方。随分と前に意識を失っていた。ただ剥がれ落ちた理性がついに檻の鍵を開けただけ。ゆっくりとトールは足を下げ、その場から離れる。

 

「……なんて言ったっけ。海を泳ぐ時は波が逆巻き、口から炎を、鼻から煙を吹く。口には鋭く巨大な歯を並べた悪魔。曰く最強の被造物。……俺は待ってるぜ孫ちゃん」

 

 曝け出された法水孫市の底の底。そこで蠢く影を垣間見た。一度自覚し外に飛び出せば、もう檻の中には収まらない。法水孫市の原動力。その源。万人が持つ人の罪。宗教という色眼鏡が見据えた先に居座る悪魔。七つあるとされる大罪。ただそれも見方の違いでしかない。同じものでも見る方向を変えるだけで善にも悪にも全ては転じる。それでも遥か昔より、宗教が生まれるよりもっと前から存在する変わらぬ一つの存在の呟きは、情けなくて恥ずかしく、その心から曝け出された呟きに、聞いた者の頭が形にする事を止めてしまう。それでもそれをそれと分かって受け止める者には言葉にせずとも届く。誰もが持っているだろうものだからこそ。

 

 

 孫市の瞳が言っていた。トールもそれを確かに見て聞いた。

 

 

 ただ輝きを追い並ぶため。その者になりたい訳ではない。自分が自分として並ぶ。誰かが居てくれるからこそ、確固とした自分でありたい。

 

 世界を吸い込み、渦を巻き、静かに必殺の牙を細微な穴に通すように佇む者。勝とうが負けようが、波の世界の底に漂う変わらぬ脅威の一欠片。

 

 それは言葉として口にするにはあまりにも。

 

 

 

 

 

 ──── 羨ましいぜッ(Leviathan)

 

 

 

 

 




一端覧祭編、終わり。ここまで読んでいただきありがとうございます。

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