人的資源 ①
人には踏み入ってはならない領域がある。平和に生きたいのであれば、足を踏み入れてはならない境界線。目に見えて分かりやすい場所としてなら、刑務所や軍事基地がいい例だ。率先してその中に入りたいなどという者は限られる。ただ厄介なのは目に見えない境界線。例えば本能、例えばトラウマ。なんにせよ、目には見えない危険領域に踏み入ってしまうのが一番恐ろしい。
暗黙の了解という誰が決めたのかも分からない一線の中へと踏み入った事に気付けなかったなら、寧ろ知らぬままでいれたらどれだけいいか。分かってしまった途端に、壮絶な末路が頭の隅を過ぎり、恐怖が居着いて離れない。領域の中に潜む何者かに見つかれば終わり。影の中に身を潜め、痺れたような指先でインカムを小突く。蜘蛛の糸のような繋がりを手繰り寄せ、何度か繰り返されるコール音の後、救世主の声が返された。学生が困った時、頼る相手は先生しかいない。
「もしもし?」
「よかった! 木山先生、釣鐘と円周に出動要請だ。どうせ学校にも行ってないあの二人なら事務所にいるだろう? 緊急で俺のいる場所に寄越してくれ。浜面はダメだ。ただでさえややこしい事態がよりややこしくなる」
「……ふむ、仕事中らしいというのは分かるのだがね。どこにいるのかな?」
「場所はライトちゃんに送らせる。緊急。兎に角緊急を要する。バレず目立たずひっそりと、戦闘行為は避けてマッハで来いと言ってくれ。頼んだぞッ」
大きく息を吐き出し通話を断ち切り、背にした壁に後頭部を打つ。なぜこんな事になったのか。思えば、土御門が珍しく俺と上条に飲み物を奢ってきたあたりで気付くべきだった。いつもと違う土御門の鼓動に。学園都市の中でも付き合いの長い友人であったからこそ油断した。上条とも離れてしまったし、無事ならいいが保証できない。
なんせ場所が場所だ。ある意味で『窓のないビル』よりもよっぽど危険な学園都市の秘密の花園。ここは狩場であって俺も上条も獲物でしかない。暗がりの中身を潜めて丸まってみるも、先程から芯に響く多くの波がガリガリ俺の精神を削ってくる。
────見つけた。
その呟きを拾い込み、身を隠していた掃除用具入れの中から慌てて身を転がしたと同時。鉄のロッカーを引き千切る轟音が空間を震わす。大槌を力任せに振るったような一撃がロッカーの上部を吹き飛ばし、小さな甲高い悲鳴が少しばかり廊下を走る。教師らしいスーツに袖を通した見知った茶髪の女性は動き辛いのかスーツの上着を力任せに引き千切り、握った拳を向けてくる。
「……なあ
「あらダメよロイジー、独り占めはよくないわ。狙撃ならいざ知らず、格闘戦でくらいは私に勝って見せて欲しいわね孫市。聞いたわよ? 檻を開けたのでしょう? 貴方の底を見せてみなさいな」
鋭い足音が背を撫でた先で、アッシュブロンドの髪が揺れる。世界最強の狙撃手が、狙撃銃を握らずに拳を握り佇んでいる。軍服ではないスーツ姿のオーバード=シェリーを忘れぬように頭の中で保存しながら、軽く床を踏み締め調子を確かめるように小突く。ロイ=G=マクリシアンとオーバード=シェリーに挟まれた。そうともここは『学舎の園』。なぜこうなったふざけんな。二人の顔を見回し笑みを送り、身を揺らして目の前の教室の扉をぶち破って逃走する。
「え? なになになに⁉︎ なんなんですか⁉︎」
「お、おと、おとおとおとッ⁉︎」
「イヤぁぁぁぁッ‼︎」
少女達の阿鼻叫喚が凄い! 俺は見知らぬ怪物か何かか‼︎
「あっはっは! 待てよ
ボグンッ‼︎ と壁を殴り壊しながらロイ姐さんが追ってくる。人型戦車の化け物はあっちだ。見知らぬ常盤台のお嬢様方を盾にする訳にもいかず、少女達の間を縫うように身を揺らして滑るように窓へと体を強引に突っ込むのと同時。ボスの蹴り出した椅子が頬を掠めて宙へ消える。靡くカーテンを手に掴み、振り子運動のまま下の教室へと窓を蹴る。防弾性の窓がひび割れ、波をヒビに打ち込むように二撃目の蹴りで破り転がり込みながら、教室の隅へと足を下げる常盤台生達には目もくれずに再び教室の扉を蹴り割り廊下へと飛び出した。
振動と轟音。背後で廊下の天井が崩れ去る。目を向けなくても誰かは分かる。「おいおい鬼ごっこか?」と聞き慣れたロイ姐さんの声を背に聞きながら、必ずかの邪智暴虐なる金髪サングラスをカチ割ろうと心に決めてまた一つ教室の扉を蹴り抜いた。
時間は少し巻き戻る。
『孫っち、仕事だ』
「だろうね、それはいいんだよそれは。ただもうちょっとどうにかならなかったのか? 狭えんだよ! 上条動くんじゃねえ!」
「無茶言うな! 痛い痛い痛い⁉︎ どうなってんの? ねえどうなってんのこれ!」
これまでの労いにジュースくらい奢ってやるにゃーと学校で土御門から受け取り一口で昏倒。目が覚めれば狭い箱の中。どうやって俺と上条を押し込めたのか知らないが、積み木になった気分だ。暗闇の中組んず解れつする隙間さえない中で、着信のあった上条の携帯をなんとか取り出せば聞き慣れた参謀の声。事前の説明すらなくこの有様。段々と扱いが雑になっている気さえする。フロイライン=クロイトゥーネの時は微塵も動かなかった癖に、一度動くとアグレッシブ過ぎだ。俺と上条の叫びに応えることもなく、『時間がない。手短に説明するぞ』と『シグナル』の参謀殿は言葉を続ける。その説明の前に欲しい説明がない。
『学園都市の中に新手の魔術師が入り込んだ。ヤツが行動を起こす前にケリをつけないと、街に甚大なダメージが加わる羽目になる』
「またかよ! 何で入って来たんだいったい!」
「それって、つまり、また『グレムリン』が学園都市に潜り込んできたって事なのか?」
「そうならさっさと教えてくれよ、『グレムリン』には俺も聞きたい事があるからな」
少し前にフロイライン=クロイトゥーネを狙って『グレムリン』がやって来たばかりだというのに、俺や上条の回復でも待っててくれたのか知らないが、それならそれでありがたい。攫われた垣根の情報を此方も追っているのだが、垣根の意識を絶えず絶っているのか、全く情報が入って来ない。不死身を探していた『グレムリン』だ。攫ったのが『グレムリン』だろうがそうじゃなかろうが、絶対に関係してはいる。顔を苦くする上条の隣で舌を打てば、『いいや』と土御門は即座に否定した。
『今回のは密教系の魔術師だってのは分かってる。おそらく『グレムリン』とは別口だろう』
「マジかよ……急にやる気が失せて来たぞ」
「おいおい法水……でもなんだってまた?」
『別に魔術サイドは『グレムリン』だけじゃない。連中の動きとは関係なしに動く魔術師だって、今の騒動に便乗して自分の利益を追求しようと考える魔術師だっているもんだ』
そう言われれば確かにそうだ。寧ろ多くの目が『グレムリン』に向いている絶好の機会。復興に大きな組織も目を向けている関係上、付け入る隙は多くある。裏に蠢いている大きな流れと関係ない者達の方が厄介だが、『シグナル』としてはこれが寧ろ普段の仕事。『グレムリン』が目立ち過ぎていたせいで、すっかり他の者達の事を気にしていなかった。フロイライン=クロイトゥーネの時に動かなかったのも、ひょっとするとそういった小さな流れがあったところへ土御門が向かっていたからかもしれない。
『敵の名前は梅咲優雅。さっきも言った通り、密教系の魔術師だが……正直、こいつ自体は小者だな。というか虚弱だ。今のカミやんと孫っちなら、二人でお釣りが大量にくる』
「なら二人も向かわせるなよ……」
「それだけ緊急事態って事なのか?」
『霊装がな、『明王の壇』。ヤツの使う特殊な護摩壇だ。……護摩壇については?』
日本の細かな宗教様式についてはそこまで詳しくない。坊さんが火の前でお経読んでるような時のその火を焚いているやつだった気がするが、だいたいそんなイメージで合っているらしい。護摩とは、曰く『供物』や『生贄』を意味するサンスクリット語を音訳して書いた語であるそうな。護摩壇に焚いた火中に供物を投じ、更に護摩木を投じて祈願する外護摩と、仏の智慧の火で自分の心の中にある煩悩や業に火をつけ焼き払う内護摩などの種類がある。そんな感じの事を土御門は説明してくれる。大きさは様々あるが、今回持ち込まれた礼装はジュラルミンケースに入るくらいの小さなものであるとも。
『普通、護摩壇ってのは使用者本人の精神に干渉する霊装だ。雑念を祓って集中を増す、それほど危険度の高いものじゃない。が、『明王の壇』はこの機能を逆手に取った訳だな。つまり、内的ではなく外的。使用者以外の『他人』の精神に干渉する目的で作られた、特殊な壇って事さ。平たく言えば、一度使用すれば壇から周囲五キロ圏の人間の知識や技術を丸ごと吸い上げる。……この学園都市の重要区画でそんな事をやられたら?』
「超能力絡みの、技術情報がゴッソリ……」
『挙げ句、『明王の壇』は知識と技術を強引に削り取る。ま、科学的に言えばシナプスや自律神経を破壊するとでも言えば良いかね。二本足で歩く事はおろか、呼吸の仕方や心臓の動かし方までぶっ壊されちまうって寸法だ』
「は?」
「痛たたた⁉︎ 法水ストップストップ⁉︎ 落ち着け⁉︎」
知識と技術を削り取るとかふざけてやがる。俺が嫌うタイプの野郎がお出ましか。個人が己が物語を書き綴る中で育むそれを掠め取るとかいい度胸過ぎる。それは間違った羨み方だ。万人の持つ罪の一つ。それをそれらしく糞のように扱うなど、頭から喰い千切ってやりたい。膨れ上がる本能のまま身を捩れば、無理矢理詰められている箱のようなモノの中で上条の体が軋む。
「それは
理性を剥がした奥にあるものが隙間から小さく眼を覗かせる。背筋を舐められたかのように身を反らす上条が、狭い中で動けずにより体を軋ませ小さく呻く。ので、なんとか呼吸を整えて気を鎮める。どうにも最近アクセルが壊れたかのように、すぐに振り切れそうになる。小さく頭を出すだけでも、その罪の大きさ故に仕方ないのか。言う事をまだちゃんと聞きそうにない巨大な魚影を波の世界の底へと押し込むように体から力を抜いた。頭を回していれば本能を誤魔化せる。
「法水?」
「大丈夫だ。で? 時間はあとどのくらいある?」
『最悪二時間以内。甘く見積もっても三時間はないだろう』
時間があるようで時間がない。学園都市全体となれば、一日あっても探し切れる可能性は低い。ただ、それは何もなければの場合。時間がないのにわざわざ俺と上条を箱詰めにはしないだろう。つまり、その場所に今向かってる最中か、あまり振動を感じないあたり既に着いているのか。ただ箱が衝撃吸収材でできてでもいるのか外がどうなっているか分からない。
「土御門、俺と上条は今どこにいるんだ? 箱詰めなあたりその魔術師が狙ってる重要区画にもういるのか? こんな形で不法侵入でもして大丈夫な場所なんだよな?」
『それがなかなか、オレやカミやん、孫っちだと特に厳しい。まったく、男女差別も良い所だ』
「あん?」
首を傾げる上条と共に首を傾げ、土御門の言った意味を考えるがよく分からない。それを察してか、土御門はすぐに付け足した。できれば聞きたくなかった重要区画の場所を。
『『学舎の園』。……名門、常盤台中学を含む五つの有名女子校が共同管理している乙女の花園ってヤツさ』
それは最早死刑宣告に近かった。男子禁制。俺だって黒子との待ち合わせなどで手前まではよく来ているが、中に入った事などあろうはずもない。入れるはずだった一端覧祭の日は永遠に亡き者になった。その日を逃せば入った途端デッドゾーン。上条の鼓動の乱れを感じながら、自分の血の気が引くのを感じる。……終わった。同じような呟きを上条も零す。
「……どうすんだ、そんなの」
『梅咲優雅が女子校のセキュリティに引っかかってくれれば問題ない訳だが、まあそんな丸く収まってはくれないだろう。無茶を承知でやるしかない。オレ達もヤツを追って忍び込まないと』
「でも、相手はあの、『学舎の園』だろ!? 聞いた話じゃ、常盤台中学だけで第三位と第五位を擁立しているほどの怪物校だ。門外不出の最新テクノロジーもわんさか、それを守るための予算も設備もどっさり。そんなとこにどうやってこっそり侵入しろってんだ!?」
「どころかだ。常盤台では今ボスとロイ姐さんが教師をやっているんだぞ? 黒子もいるんだぞ? ダメだよそこは入っちゃダメ。もう少し考えようぜ? 作戦を練ろう。てかボスや黒子や御坂さんに協力を頼んだ方が早いんじゃないかな? 俺は心底そう思う」
魔術師が動いてるし内緒で動こうはもうやめよう。黒子も御坂さんもボスももう魔術師の存在知ってるんだから。隠すだけ無駄だ。こっそり忍び込んで命の危機になるのは此方だ。魔術師どころか、『学舎の園』の中にいる戦士達の方が怖い。
『そうは言っても時間はないし事態も深刻だ。それにどこぞの官邸に潜入するよりも厄介だろうな』
「……どっちかっていうとフェンスに覆われた軍事基地ってイメージだけど」
「俺は処刑台に上げられる気分だよ。ギロチンの下に自分から行けと?」
『まあでも心配はいらない。
土御門からの通話が切れたのと同時。バシュッ! と気の抜けた音と共に狭い箱の繋ぎ目を小さな火花が走る。ゆっくりと倒れて行く壁の奥から差し込む照明の明かりに目を細め、壁の倒れた先ではいくつものロッカーが並んでいた。それとベンチと。下着姿の少女達が。和気藹々とヘアアイロンでチャンバラしているような更衣室の中。そんな場所に俺と上条を詰めた箱を送れた方法の方が魔術師より何より疑問だ。
少女達の目が一斉に俺と上条に突き刺さる。ただ静かだった。時間が止まったようだった。上条と顔を見合わせスッと立ち上がり服の埃を叩き落とし、そのまま何も言わずに更衣室の出口の扉を開けて上条と共に笑顔で更衣室の中へ振り返る。
「いやぁ、あっはっは、参ったね! なあ上条、最近の女子更衣室ってこうなってんだなぁって言ってみちゃったり」
「本当にな! 初めて入った! まったく、早くアロハシャツでサングラスの腐れにゃーにゃー陰陽師をぶっ飛ばしに行こうぜ!」
「そうだな! じゃあお邪魔しました!」
「お邪魔しましたじゃねえッ‼︎ 死なす大道芸式盗撮犯共がァァァああああああああッ!!!!」
「いやァァァあああああああ!! 世界一ダセェ冤罪の餌食にされてるゥゥゥうううううう‼︎」
「いいから走れッ‼︎ 捕まったら殺されるぅッ⁉︎」
上条の絶叫と少女の悲鳴。走れば上がるのは少女の悲鳴そればかり。過ぎ去る者は女子生徒ばかり。つまりそういうこと。既に渦中の真っ只中。少し懐かしさを感じるヨーロッパ風の街並みに足を走らせ、『変態』のレッテルを俺と上条に貼り付けてくる少女達の叫びを聞きながらこれ見よがしに舌を打つ。
「上条‼︎ こうなったら別れるぞ!」
「なんでだ! 一緒の方が!」
「ここは『学舎の園』だぞ! 不法侵入者の男をぶっ叩いても文句は言われない。だからまず間違いなくボスとロイ姐さんが飛んで来る! どうせなれない教師生活のストレスを発散するためにな! そうなったら終わりだ! 土御門は相手は虚弱だと言っていた。俺が目立つ役を引き受ける。そうすれば上条は動きやすくなるはずだ!」
「でも法水は!」
「安心しろよ、新生時の鐘学園都市支部のチームワークを見せてやるよ」
とは言ってみたものの、上条と別れ、隠れ、木山先生に連絡を取って十分経ち、二十分経ち、全然来ない。マジで全然来ない。残念ながらまだ学園都市支部にチームワークなるものは存在していないらしい。既に『学舎の園』の外に黒子は出てしまっているのか、まだ来ていないのが唯一の救いだ。それにしたって。
「なんなんですかあれ⁉︎ 先輩⁉︎ 殿方ってみんなああなんですか⁉︎」
「なに言ってるのよそんなわけ……そんなわけあるの? いやそんなわけないでしょ! どこに空気の塊や炎の塊を蹴り砕く人間がいるのよ! 拘束具は!」
「引き千切られちゃってダメですよーッ⁉︎」
「警備ロボはまだなの⁉︎」
「あそこで煙吹いて転がってるのがそうなんじゃぁ……」
「もうあれ新手のUMAでしょ⁉︎ 女子校に渦巻くまだ見ぬ殿方への思念の集合体かなにかなんじゃ」
好き勝手言いながらボコスカ能力を投げ付けてくるんじゃない! 目立つのが役目、ボスやロイ姐さんからは逃げながら向かってくる女子生徒達はやんわりと迎撃する。一般生徒を殴るわけにもいかないので、大地を踏み砕き、警備ロボを蹴り壊し、肉体操作系の能力者は地面に優しく転がす。中でもちょこちょこ混じっている常盤台生がヤバイ。流石
「悪くないわ絹保。派手にやる必要はないわよ。素早く鋭く、水という形ないものであればこそ、どこまでも鋭さを持たす事が出来るはずよ。いいかしら? 貴女が狙撃銃。ウォーターカッターのように削ってあげなさいな」
「分かりましたわシェリー先生!」
「ほら
「はい! ロイ先生!」
「そこはなにやってんの⁉︎」
湾内さんが水滴を弾丸とするように狙撃を放ち、泡浮さんがロイ姐さんのようにやたらめったら筋力以上のものを投げつけてくる。俺を能力の練習台にしてんじゃねえぞ! お淑やかな二人に何を教えてるんだ! 「すいません法水様」と眉をハの字に曲げながら水滴と自販機を放ってくる湾内さんと泡浮さんのギャップが凄い。素手だけではどうしようもなく、懐から出した
「さあさあ女学生達! これは暴漢に対する訓練だぜ! いざという時他人に任せんな! 女の力を見せてやれ!」
「病院送りにする気でやりなさい。でなければ掠りもしないわよ。常盤台が捕らえた暁には、私とロイが紅茶の一杯でも奢りましょう」
そう言ってボスは微笑み、ロイ姐さんはウィンクを送ってくる。訳の分からない冤罪を押し付けられるよりも訓練としてくれる方がありがたくはあるが、仕事の気配を察したのならもう少し穏便に協力してくれ! 女生徒の中でも常盤台生が生き生きと突っ込んで来る。体育でどんなシゴキをしているのか知らないが、常盤台生を軍人にでもする気なのか?
息を吸って息を吐く。少しばかり理性を剥がす。噛み砕きはしない。ただ少しばかりは喰らっていいと、檻から出た悪魔を抑えていた理性の手を少しばかり緩めた。
「…………
究極的に純粋なまだ小さな罪の呟きは、目を背ける者には言葉として届かない。悪魔の言葉に少女達の足が止まった。細く小さく吐き出された悪魔の戯言が少女達の背筋を舐める。大地を這うような巨大な魚影は俺にしか見えない幻か、どうしようもなく口端が上がる。さあ異能を差し向けろ。俺の
「の……法水様?」
「あの……大丈夫ですの?」
「ほぅら、湾内さん、泡浮さん、手が止まっているぞ? 足を止めたら、満足したらそこで終わりだ。二人ならまだいけるだろう?」
友達の為に動ける二人。その輝かしさを知っている。その輝きを向けてくれ。身を揺らし
「……光子さんか、意外と好戦的だなぁ」
「あら、わたくしお友達のお誘いは断りませんのよ孫市様。……流石はわたくしのお友達ですわね、まさか反らされるなんて!」
「それは……ッと」
身を反らして腕を差し出せば、そこにドロップキックを放とうと
「はっは! やっと避けたぞ! よく来た黒子! 待ってたぞ俺は!」
「ちょ、こ、こら! 急に抱きしめないでくださいまし! だ、だいたい何を貴方は『学舎の園』にいるんですの‼︎ 退院してまだ日が浅いでしょう‼︎」
「おっと、
「あ・な・たッ、という方はッ‼︎」
大きく8の字を描きながら身を屈めて滑るように下がる俺を追うように鉄杭が落ちる。前に踏み出す俺の前で黒子が消え、背後へと沈むように身を捻り、立ち上がりながら現れる黒子を持ち上げる。ムッと顔を赤くし歪めた黒子が再び消え、べたりと身を落とした頭上を黒子の蹴りが薙いだ。
「あはは! 楽しいな! 今なら黒子の全部を掴めそうだ! いやぁ本当に掴めるかな? 丸ごと口の中に放り込みたい!」
「なんですのそれは……貴方はまた……知らないうちに前に行って……いい気になれるのも今のうちですわよ?」
「くくっ、だから黒子は最高なんだ! どこまで追って来てくれる?」
「どこまでも」
「これでもか?」
また一枚理性を剥がす。無意識に伸びた手が黒子の頬を撫ぜる。黒子を飲み込むように蠢く巨大な魚影が大地を這い、大牙が擦り合う歯軋りのような音が喉の奥から外へと滲んだ。目を見開き少しばかり顔色を悪くした黒子が俺を見下ろし少しの間黙っていたが、一度目を伏せるとそれでも顔を上げる。黒子の目の奥の変わらぬ輝きを見つめ、腕に巻かれた腕章を軽く摘み引き上げる黒子の姿に目を細めた。
「……わたくしは変わりませんの」
「だからお前が好きなんだ」
「ばかですの貴方? 知ってますわよ」
俺を
大地に這わせた足を踏み込み突っ込もうとする横で俺を殴り上げるような豪腕が地を滑るようにカチ上げられた。肩を擦る一撃。身を反らせて威力を逃し、逃し切れぬ衝撃を柔らかく背を反らして丸めるように後方回転。足を着けた先で差し込まれるボスの蹴りは
大地が上に、空が下に。
地に手を伸ばし、一瞬静止した中で
「おいおい……おいおい
「他の子は下がってなさいな。底を見たわね? 他の子じゃ相手にならないわ。ただ孫市、鏡に映る自分の内を覗いたのが貴方だけとは限らないわよ? その怖さを私に見せなさい。私の底を手に取れるかしら? 狩の仕方を教えてあげるわ」
ロイ姐さんとボスの鼓動が膨れ上がる。リズムが変わる。時の鐘で仕事をしている時とは違う底から滲むような重く低い波紋。ギチギチと摩擦を上げるような音色に、合わせるように深い呼吸を繰り返し、
「貴方達ここは戦場じゃありませんわよ! 相手が欲しいならわたくしを見なさい! わたくしが遊んであげますの!」
「あらそう黒子、悪くないわよ貴女」
「いいねポリスガール! それでこそ時の鐘を掴んだ女だ!」
「そうこなくっちゃなあ黒子‼︎」
「なぁんで全員こっちに来てるんですの⁉︎ 貴女達は教師でしょうが‼︎ ちょ、待っ⁉︎」
「……いやぁ、アレに混ざるのはちょっと……楽しむ余裕もなさそうっスね」
「アレが『
「来るのが遅えッ‼︎」
「うわあ! こっちに来たっス⁉︎」
「ああ、待ってー!」
重役出勤して来た二人に足の向き先を変えて突っ込む。いい機会だ。俺だけでは教え切れない事もある。どうせやるならボスとロイ姐さんを巻き込んで骨身に『