「……あーぁ、まぁだわらわら動いてるな」
危うく鎮圧されてやべえ罪を押し付けられるところだった……。建物の上で寝そべりながら周囲を見回す。乱戦のどさくさに紛れてなんとか戦場から離脱できた。どんな理由を並べたところで『学舎の園』に男が入るのは御法度。捕まればどうなるか分からない。ある程度欲求不満を解消できただろうボスとロイ姐さんが上手いこと誤魔化してくれるのをあまり期待できないが期待しつつ、スレた学生服を叩きながら隣に寝そべる円周に目を向ける。
「……生きてるか?」
「……生きてるよー。孫市お兄ちゃん達はなんで人を殺す技術を磨いてるのに使わないの? 効率が悪いよ。襲われたなら壊しちゃえばいいのに」
「そうかもな。ただそう、缶を開けるのと同じだ。缶を開ける方法はいくつかある。爆破したっていい。ただそれで缶の中身がダメになったら意味がない。全て壊していたら何も口にできないだろう? なあ円周、今は楽しいか?」
円周はごろりと寝返りを打つと、考えるように小さく唸る。『木原』ならと呟こうとする円周の口の動きを抑えるように寝そべったまま床を指で小突いてやれば、口をむず痒そうに動かして円周は空を見上げた。漠然とした総意の意見など欲しくはない。例えそれを口にするとしても、木原円周から見た『木原』ならいいが、そうでないものは必要ない。円周に積んで欲しいのは自分だ。生きているなら、自分の物語を描いてこそ。
「……退屈ではないかも。好きな事できるし、不意打ちしてくる人もいないし、茶寮ちゃん達は一緒に遊んでくれるし」
「そうかい」
「それに今日は孫市お兄ちゃんが遊んでくれるんだよね?」
「遊びじゃなくて仕事だがな。まあ今はそれでいい。それでどうだ? 積むべき何かは見つけられたか?」
「どうかなー、加群おじさんには『
木原。曰く、純粋な科学の一分野を悪用しようと思う時に、その一分野に現れる実行者。円周を抱えると決めたところで、円周がよく言う『木原』について調べ直しはした。科学を悪用する事を呪いのように持つ者達。誰が決めたのか知らないが、実際に『木原』が積み上げたものを見るとものすごい。何を持って悪とするのかは見方による。俺だってそう変わらない。唯一自分で決められるとすればそれは方向性の話であり、俺が放っているのも弾丸である事に変わりはない。
「……別にアレだぞ、気に入らなかったら出てってもいいからな。どうにも、勝手に俺が連れて来ちゃっただけだし。お前の知識は惜しいけど」
「でも知識で私を選んだんじゃないよね? 類が友を呼んだって、孫市お兄ちゃんならそう言うよね?」
「こいつめ」
してやったりと笑う少女に肩を竦めて、俺も屋上に仰向けに転がった。『木原』が薄いなどとベルシ先生も言っていたが、それならそれでいいと思う。円周が濃ければそれでいいと。幾日見てきて分かった事だが、誰かといるのを円周は苦とは思っていないらしい。誰かの考えを頭に入れる性質がそうさせるのか、そういう話ではなく、『木原』も関係ない日常の姿がそうなだけか。なら俺のする事は変わらずに、俺は円周を見て知ればいい。ボスが俺を見つけたように。見つけられてばかりも申し訳ないのだ。借りばかりが積み上がる。だからこそ、手が伸ばせるのなら次は俺が見つける番だ。それができたならささやかな最高である。
「……円周、お前には時の鐘を教えると言ったからこそ、必要なら俺の技術を教えてやる。釣鐘達はそれは欲してなさそうだからな。その中で自分に必要だと思うものを見て知って、お前はお前なりに缶の開け方を覚えればいいさ」
「孫市お兄ちゃんの? ゆらゆら揺れるやつ?」
「そうそう、俺を写さずに。それと狙撃だな。これは外せない」
「覚えればなにか変わるの?」
「変わるかもしれないし変わらないかもしれない。ただ俺は変わった。円周が並べられた中で何を欲するかさ。好き嫌いしていいんだよ。食べたいと思ったとこだけ食べろ」
「……ふーん、ならやっぱりもう少し一緒にいようかな」
好奇心旺盛というか、なにかを知る事が好きなのか、小さく頷く円周を横目に息を吸って息を吐く。無駄な思考を削るように。そうすれば隣で円周も一定のリズムを刻むように呼吸を繰り返す。鼓動を刻む事に慣れているからか、手慣れたように鼓動は狂わない。
「呼吸と思考を合わせるんだ。ただ漠然と呼吸をするんじゃない。無駄な熱を抜くイメージだ。円周の場合は、取り敢えず他人のリズムを削ってみればいい。自分のリズムをまずは掴め」
「それで残ったのが必死なの?」
「そんな感じそんな感じ。呼吸で自分の想いを削り出せ。そうすると引き金を引くタイミングが自ずと分かる。少しやってみようか」
身をひっくり返せば、円周もうつむきになるように身を転がした。屋上から侵入者を探して慌ただしく動く人々を眺める。生憎急にほっぽり出されたので狙撃銃はないが、一般人を練習でも撃つのは嫌だし、感覚を掴むだけなら別に必要ない。『学舎の園』の街中を歩く女生徒の一人を見据えて円周の肩を小突いた。
「あの子にしようか。円周、ここで引き金を引くと決めたら代わりに地面を指で小突け。さて、当たるかな?」
円周の呼吸と目の動きを追いながら、円周から滲む鼓動に感覚の目を向ける。遠くの女生徒を望み、少しばかり目を細める円周のリズムの変化を掬い取って脇腹を軽く指で突っついた。
「あはは、くすぐったいー」
「他人の思考パターンを写すのはズルいぞ。言った通り、引き金を引くのは自分の指にしなさい」
「はーい」
俺より深く他人の鼓動を写す技術。それは素晴らしくはあるが、それをそのまま使っても、蛍光メイドが東欧で言った通り誰かの劣化にしかなってくれない。他人の鼓動を写してなお、円周自身が円周の技を振れるようになればその方がいい。使うのは他人の技術ではなく覚えた自分の技術。呼吸を整えて床に指を落とす円周の笑みに笑みを返し、肩を跳ねさせて周囲を見回す女生徒を見る。
「殺気を乗せすぎだな。AIM拡散力場を学園都市の学生は発しているからか意外と勘のいい奴が多い。集中できる時間があるなら、指も弾丸も呼吸をするように無意識に落とせるようになれば最高だ」
「孫市お兄ちゃんはできるの?」
「たまにな。完全に殺気を消して弾丸を放つのは至難だ」
時の鐘でも完璧にできるのはボスだけだろう。それの練習には狩をするのが一番なのだが、スイスと違って学園都市にはアルプスがある訳でもないので難しい。自然の中で弱肉強食の理に身を沈めると、本能の存在を実感できるのだが。
狙撃を狙撃だとすら考えずに自分の一部のように扱えれば一人前などとうに超えている。首を傾げ見つめてくる円周の顔を一瞥し、空を漂う波紋を塞きとめるように指で地面を小突く。
「円周、釣鐘もそうだが、初めて会った時から分かってる。メイドや浜面と違って初めからお前達はこっち側だ。一度死に手を出せば戻って来れない」
練習でも簡単に視線に死の色を躊躇なく乗せられる事もそうだが、人の持つ大きな境界線の一つを超えたものとそうでない者は背負う空気が少し違う。一線を跨いだ者同士、なんとなくそれが分かってしまう。波など見ずともそれは分かる。それこそ『罪』というものなのか、背負ってしまったからには、背負っていない善良な者には背負って欲しくはない。
「偽善だよ。我儘さ。それでも友人や知人が背負わないでくれるなら、『悪』ってヤツにも使いようはある」
「そうやって餌をあげてるの?」
「────あぁ、悪循環だな」
見透かしたような円周の言葉にドキリとするが顔に出さないように懐から出した煙草を咥える。火は点けない。自ら薄暗いものに目を向けて、心の奥底で悠々と泳ぐ巨影に餌を巻く。羨ましい、あぁ、羨ましい。眩い輝きが消えないように火を吹き鋼鉄の礫を吐き出して、その煤を自ら被り影をより大きくしてゆく。餌をやるとはよく言ったものだ。だがそれは……。
「……お前もなのか円周?」
『木原』だけでは飽き足らず、五〇〇〇も一万も他人の鼓動を写すそれは狂気に近い。写した分で己を磨く訳でもなく、ただ己が磨耗するだけではないのか。無数の手札は円周の強みではあるが、弱点でもある。札が多ければ最強という訳でもない。どの札を選べばいいか、無限では選ぶのに時間が掛かるし、迷いを生む。寧ろトールに言われた事の逆。俺が無数の狭い世界の中で自分の本能と向き合う事が正解なのなら、円周が無数の世界を見つめながら己を出せるようになった時。
「円周は未来を見通す事さえできるのかもな」
「予知能力?」
「技術でさ。そもそも
鼓動やリズムを相手に撃ち込む事ができたなら、黒子の手錠を使っての反射現象よりも悪どく、傲慢な技術。精神系能力者の能力の一部を技術で行うようなエゲツなさ。円周が人型の
「波の技術か……なぁ円周。俺と一緒に極めてみるかよ」
「孫市お兄ちゃんと? 誰かと共同で研究した事なんてあんまりないなー……少し面白そうではあるけど。でもその技術ってちょっと神様的?」
「いや悪魔的だよ。俺の底を掬い取ったお前だ。きっとお前も」
内に抱えるのはロクでもない本能なのかもしれない。理性を削り落とした先で己の足を進める欲求。円周の底に眠るものがなんであるのか。残念ながら俺にそれは分からない。ただ円周自身がそれを垣間見た時はきっと、より円周らしくなるのだろう。俺は少しそれが見たい。
「気付いたら、私暴れるかもしれないよー?」
「安心しろよ、お前が脅威となったなら、きっと立ちはだかるのは俺だ」
「えー、それって本末転倒じゃないかな? 自分で自分の敵を育てちゃうの?」
「それは円周次第だな。……俺はきっと変わらないよ」
最高を掴むただそれだけ。必死を追い求める事だけはやめられない。強く輝く光があるのなら、それに負けぬように大口開けて喰らいつく。原動力が恥ずかしい原罪であろうとも、それが俺の足を進める究極の原理。
「ふーん、じゃあ私も変わらない! これも私の技術だもん、そこから自分を見つけてもいいよね?」
「お前がそう決めたならいいんじゃないか? 嫌という程他人吸い込んで、自分の物語描けるなら」
「うん! だからお部屋で落書きしてもいいよね!」
「それとこれとは別だ。その度に事務所の壁紙張り替えろっての? 却下!」
「えー! だってそれが私だもんね!」
「もんじゃない! そりゃただの悪癖だ! せめてノートにでも書け!」
「だってノートって小さいんだよね、大きな壁があるのにー」
なんだそのそこに山があるからみたいな言い訳は。壁画師という訳でもなかろうに。壁が何枚あっても足りやしない。円周の為にわざわざ水拭きすれば落書きが落ちるみたいな壁紙を用意しなければならないのか。何を言ったところでその不良行為をやめる事はないらしい円周の笑顔に肩を落とせば、寝転がる俺と円周の元に音もなく影が伸びる。
「二人して楽しそうっスね? なんの話っスか?」
「釣鐘があまりにも遅いから捕虜にでもなってんじゃないかと話してたのさ」
「忍者に拷問なら三角木馬だよねって!」
「二人して呼吸するように嘘吐かないで貰えます?」
バレたか。いつから話を聞いていたのやら、呆れた釣鐘の顔に笑う円周と目配せして肩を竦めれば釣鐘も円周の隣に寝転がる。何やら取って来たのか包みを抱えて、釣鐘が大きく息を吐き出す音を聞きながら、咥えていた火の点いていない煙草を懐に戻す。
「斥候ご苦労。どうだった?」
「どうもこうも。法水さん暴れ過ぎっスよ。警戒態勢バリバリで、流石に今の『学舎の園』の中で好き勝手動き回るのは大変っス。軟体生物の化物が出たって噂されてるっスよ?」
「ああそぅ、あんまり聞きたくない噂だな。ただそうか、警戒態勢が強化ね。何か特別動いた気配は?」
「ないっスね」
釣鐘の言葉に適当な相槌を打って頭を回す。少なくとも『学舎の園』の内側に明らかな異物がいると知らしめた現状、どこから侵入したのか、誰が入ったのか調べるはずだ。梅咲優雅とやらがどうやって侵入したのか知らないが、忙しなく
「釣鐘、見つからない侵入者相手に隅々まで『学舎の園』の連中は動いているはずだな? だというのなら何故か人の寄り付かない区画とかあったか? 不自然に人のいない空間とか」
「元々重要な施設は警備が厳重だし別として、特別なかったっスね。あれっスか? 魔術とかいう」
「人払いな。ふーん」
無意識に人の寄り付かない区間。人払いの結界の内側に居れば気付けなくとも、外側から漠然と眺められれば違和感に気付く。簡易的であっても、護摩壇など組み立てれば嫌でも目に付くであろうから、人払いの魔術を使って然るべしと思っていたのだが、よっぽど隠密行動に自信があるのか、ただそうなると土御門が気付けた事が少し引っ掛かる。能力者達が蠢く箱庭に侵入した事がバレていながら、この現状で尻尾すら掴ませない隠遁力。なんともちぐはぐな腕だ。
「隠れるのが得意な忍者から見てどうだ?」
「私は魔術ってものがどこまで使えるものなのか知らないっスからあれっスけど、隠密としてなら相手は超優秀っスね。それこそ近江様もびっくりっスよ。本命を隠す為に囮となる初動を担う役なんかを置いて普通は目を反らさせるものっスけど、それもなしにこうも見つからないなんて。凄腕っスね!
「
「でも変だよね、それこそ自分は初めからここの住人ですって周囲の人達に刷り込んでるんじゃないかってレベルだよね? そんな事ができるならもっと重要な場所を狙うって思うな。『学舎の園』って確かに秘密の花園だけど、能力よりも政治としての価値が高いよね? 魔術師が狙う意味は薄いと思うな」
そう言う円周に軽く目を向け、思考を纏めるようにインカムを小突く。多くの企業や財閥の令嬢の集まる『学舎の園』。円周の言う通り、能力の秘密を探るのなら、『学舎の園』より重要だろう施設は数多くある。そんな中で特別『学舎の園』を狙う理由があるのかどうか。
確かに
ボスやロイ姐さんが居るには居るが、時の鐘を狙って来たなら土御門もそう言うだろう。教師を狙うぐらいなら、統括理事会を狙った方がずっといい。
「堂々巡りだな。だいたい手段は分かってるのに目的が分からないってのはどうなんだ? 普通逆だな。手段のヤバさにだけ目を引き付けられて、具体的な目的がさっぱり。どんな手を取るかをこそ隠すべきだろう? これじゃあまるで」
「盛大な囮みたいっスね。そう考えた方が納得できるっスよ。全く違う場所でもっと違う目的で動いてると言われた方が」
「そうなんだよなぁ」
インカムを小突く。土御門と話そうとライトちゃんに掛けて貰っているのだが全く出てくれない。その事実に気付き土御門も慌てているのか。いや、なら土御門の方から真っ先に連絡が来るはずだ。こうなったら一度上条に連絡をした方がいいかもしれないとライトちゃんに通話する先を変えて貰えば、数コールした後に聞きなれない女の声が返ってくる。
『はぁい、もしもしぃ?』
「……誰だお前? 上条はどうした?」
『もう声が怖いんだゾ☆ そんなに殺気力振り撒かないで貰えるかしらぁ?』
インカムを小突く手を止める。声は違うが喋り方に凄い聞き覚えがある。てかなんで上条の携帯に食蜂さんが出てんの? どうなってんの? 上条携帯落としたりしたの? こんな時に? 相変わらず不幸を振り撒いているのかと頭が痛くなりそうになったが、インカムの奥で「携帯返してくれ!」と上条の声が薄っすらと聞こえ、余計に頭が痛くなった。
「……食蜂さんよかったねー」
『あらぁ、ありがと。それにしても貴方悪目立ちし過ぎじゃないかしらぁ? 貴方が侵入者だっていくら私の改竄力でも揉み消せそうにないんだけれどぉ』
「別に揉み消してくれとは言ってないだろ。さり気なく恩を売ろうとしてくるな。それよりもだ。上条と一緒にいるなら状況はある程度知っているんだろう? そっちはどうしてる?」
『白羽社交応援会って団体が所有しているビルにその『明王の壇』だったかが送られたみたいだから向かってる最中ねぇ』
「俺が囮になった甲斐はあった訳ね。ただそれは当たりなのか? どうにも相手の動きが怪しくてな。盛大なブラフなんじゃないかと思って連絡したんだが」
そう食蜂さんに言えば、小さく唸るような声が返ってくる。俺や上条よりもずっと『学舎の園』に詳しく、巨大な派閥を持つ食蜂さんだからこそ気付く事もあるだろう。この場に詳しい者が居てくれるのはありがたくはあるが、どういった経緯で上条と行動を共にする事になったのやら。「ありえるわねぇ」と続けて返ってくる食蜂さんの言葉に体から力が抜ける。
『それに、貴方が居るのなら、そもそも貴方の使い方を送った相手は間違えているのではないかしらぁ? 『学舎の園』の広くもない敷地内なら全て貴方の狙撃力の射程圏内でしょうし、内に送り込む理由は薄いんじゃなぁい? 貴方の言う通り、寧ろ貴方達の足止めと言われた方が納得できるわぁ』
「……足止めね。そうなると話がまるで変わるぞ」
足止めで俺と上条を送ったとなると、送った相手は一人しかいなくなる。ただそれは。そうなってしまうと。そもそもこれは仕事ではなくなる。
「……食蜂さん、俺もすぐそっちに向かう。詳しい話はその後だ」
『あらぁ、答えを先延ばしにするのかしらぁ』
「どんな答えを思い浮かべてもそれは予想の範疇を出ない。証拠がないからだ。白羽社交応援会のビルに『明王の壇』がある可能性もない訳でない。それに予想通りだったとしても、それならその原因を探らないとならないからな」
『それもそうねぇ、うちの子には言っておくから待ってるわぁ』
通話を切って深呼吸をする。予想の通りなら、足止めとして俺と上条を選び送れるのは一人。通話の繋がらない陰陽師。ただ理由が分からない。意味もなく俺と上条を『学舎の園』に送る訳もないだろうが、居て困るという事は、土御門は何か俺達が居ると困るような事態の真っ只中にいるという事。それはなんだ? 考えても答えは出ず、固まっている訳にはいかないと指を弾いて円周と釣鐘に目を向ける。
「休憩は終わりだ。上条と合流するぞ」
「了解っス! このまま動くのは大変っスから、こんな事もあろうかと変装道具を持って来たっスよ!」
「その包みはそれか。準備がいいな、助かる」
得意げな笑みを浮かべながら、釣鐘は包みの中の服を俺と円周の前に広げ胸を張った。それと同時に表情筋が死ぬ。「どうしたんスか?」とこれ見よがしに首を傾げる釣鐘の前で、楽しそうに円周は並べられた常盤台中学の制服を掴み広げた。
「……なあオイ」
「孫市お兄ちゃんどうしたの? 常盤台の制服着られるなんて楽しそうだよね!」
「そうだねー、お前達はいいよそれで。で?」
「なんスか?」
「俺の分は?」
「やだなぁ、ちゃんと三人分あるじゃないっスか!」
「常盤台の制服がな‼︎」
黒子も着ているブレザーにスカート。使われている布の質も良さそうだ。きっと着心地もいいのだろう。だが、ただそれだけだ。残念ながら男が着るようにはできていない。早く着替えようと言いたげに俺に常盤台の制服を差し出してくる釣鐘と円周の前で、受け取った制服を屋上の床に叩き付ける。
「こんな女子中学生いるかッ⁉︎ だいたいサイズも合わねえよ‼︎ 着たらただの変質者だろうが‼︎」
「まあ凄いピチピチにはなりそうって言うか、少なくとも私も見たくないっスね」
「じゃあなんで持って来たんだよ! コントやってんじゃねえんだぞ‼︎」
「大事なのは外見じゃないよね! 孫市お兄ちゃんならそう言うよね!」
「そうだな、でも今は言わねえわ! 外見大事‼︎ これ以上俺の罪を増やすんじゃない‼︎」
「でも上だけでも着れば最悪スカートは汚れたからとかなんとか言えばどうにかなるっスよ! 私の努力を無駄にするんスか⁉︎」
「それは無駄な努力って言うの知ってる? だからその迫真の演技での泣きそうな顔を止めろ。聞いてる? おい円周馬鹿俺の服を掴むな! やめろッ! やめろって! 釣鐘も躙り寄ってくんじゃねえ⁉︎ くそっ! こうなったらプランBだ!」
「プランB?」
小首を傾げる釣鐘を無視して屋上から大地目掛けて飛び降りる。学園都市の摩天楼からダイブする訳でもない。着地と同時に転がる事で勢いを殺し、立ち上がったところで時が止まったかのように固まっていた女学生達が叫び離れて行く。俺は怪獣か何かか? だが丁度いい。
「ああ! 折角取って来たっスのに! だいたいプランBってなんなんスか?」
「ん? ねぇよそんなもん。ただ正攻法で目的地を目指すだけだ。あまり取りたくない手だったが、この案件が仕事かどうかも怪しくなってきたからな。もしそうであるのなら、裏でコソコソ動くのも馬鹿らしい」
ただ時の鐘としての個人の仕事を任された訳とは違い、今は時の鐘学園都市支部として動く事の多い現状あまり『彼女』を巻き込みたくはないのだが、そうでないのなら誓い通り力を貸して貰った方が早い。目を引くだけの囮役はおしまいだ。既に『学舎の園』の中にいるからこそ、少しでも騒げば必ずいの一番に飛んで来る。見えない壁を飛び越えて視界の中に舞うツインテール。学園都市を守る正義の味方。目の前にふわりと降り立った
「かくれんぼはお終いですの?」
「ああ終わりだ。黒子、至急白羽社交応援会のビルに行きたい。捕まえたという体で連れてってくれるか?」
「わたくしはタクシーですの? まったく……、わたくしに頼むという事は、そういう事でいいんですのね?」
「悪いな黒子、力を貸してくれ。今取り組んでいる問題が時の鐘も関係なく、仕事ですらない可能性が浮上してきた。そうなった時、俺が信頼できる相手は」
「言わなくていいですし、謝罪もいりませんわよ。前に言った通り、わたくしも貴方の戦場を歩むと。わたくしの流儀でですけれど。わたくしを頼ったからには、命を零す事は許しませんわよ? ここはあの時のスイスではないのですし、学園都市であんな景色は描かせませんから」
柔らかな笑みを浮かべた黒子に肩を竦め、黒子に呼応して笑みを吊り上げる釣鐘の一歩を制するように足元に
「大丈夫さ黒子、もう一々俺に付き合えとは言わない。例えどんな世界でも並んでやる。俺の流儀で、脅威には脅威を。優しさには優しさを。それが俺の缶の開け方って訳だ。それに丁度いい。よく見ておけよ円周。黒子といれば強さってやつが分かるさ。俺達とは違う強さがな」
「うん! 孫市お兄ちゃん!
「それ以上に黒子の強さだよ」
「……それはいいのですけれど、誰ですのその方は?
「ま、また? またってなに? こいつは木原円周って言って時の鐘学園都市支部の新しい見習いでして、前部屋に来た時に会わなかった?」
「あぁそうですか、相変わらず時の鐘というのは変わった女性を引き入れるのが趣味のようでよかったですわね。で? 女子中学生なのは貴方の趣味ですの? わざわざ常盤台の制服など着させて、常盤台の制服が見たいならわたくしがいますのに……」
「違ぁぁう! これは潜入の為であって! じゃあ何か? やっぱ俺も着ればいいのか⁉︎ 常盤台の制服をさあ!」
「……貴方本当に捕まりますわよ?」
俺はいったいどうすりゃいいんだ? 釣鐘といい円周といい歳若いのはもう俺の所為じゃないだろう。学園都市が変な学生ばかり育てているのが悪いのであって、最近の女子中学生とやらが異常なだけだ。そのはずだ。なんにせよ、黒子の力を借りられるなら、裏ではなく表から正攻法で追える。正道故に間違いを真正面から打ち据える。俺達にはない
からかうように俺の背中を叩いてくる釣鐘と円周の手を払い除けて黒子へと足を一歩出し、そのまま足は固まった。顔を向けた先、上空をゆっくりと飛んでいる飛行船。その側面に貼り付けられたディスプレイに流れているニュースに目を見開く。
『第七学区で火災のニュース。学生寮の一室が半焼。死亡したのは一名、同室を利用していた土御門舞夏さんと確認。事件、事故の両面から調査を開始』
頭が白ける。見知った名前がディスプレイの中で繰り返される。それが徐々に今の状況と結び付き、同じように飛行船を見上げて顔を顰めた黒子の隣に並び立った。
「…………黒子」
「……初春に連絡を。孫市さん、事の仔細は移動しながら聞きますの。いいですわね。勝手に突っ走るのは許しませんの。だから今は、わたくしを見なさい」
目を鋭くさせて
ボツ案。
理由────これはちょっとハッチャケ過ぎ。
「…………孫市さん?」
目から光を消した黒子が目の前に立っている。遠巻きに佇む女生徒達はそのほとんどが顔を背け、誰も近寄ろうとしない。作戦はある意味で大成功だが色々な意味で大失敗だ。釣鐘と円周と暴れる訳にもいかないので渋々着た結果がこれ。俺の物語の汚点でしかない。常盤台のブレザーに袖を通したものの前のボタンが止められず、風ではためき服の意味がない。咳払いを一つして黒子の前に一歩出る。
「どうも、常盤台の法水孫市です。学年はそう、四年? さあ黒子、変質者が紛れ込んでるらしいな。場所は分かってるから送ってくれ。捕まえに行こう」
ガチャリ。手首に手錠が掛けられ、表情を消し去った顔を黒子は描く。変動したなら堂々と送って貰おうとヤケクソで飛び出したのはいいのだが、背後で釣鐘の円周は腹を抱えて笑い呼吸困難に陥っていて使い物にならない。あいつら減給。
「……お仕事なのは分かってますの。でも貴方……仕事でそこまでやりますの? 呆れ過ぎて寧ろなんの感情も湧かないのですけれど。そんな古傷だらけの鍛えまくった体の常盤台生がいるとでも? それで女と言い切る気なら貴方ただの痴女ですわよ? いや、と言うかその、わたくし泣きたいのですけれど……」
「お姉様と呼んでもいいぞ」
「死にたいんですの?」
寧ろ殺せ。
「さあ行くぞ黒子!」
「ええ、刑務所はあちらですの」