第十三学区の路地裏の影の中で、食人ゴキブリ達が蠢いている。
AIM思念体。その体を維持する為に必要な演算装置を群体行動する食人ゴキブリ達の匂いに当て嵌めて、人の形をしているかも定かでない、人の形を必要としない瞳に映らぬ存在が命からがら蜷局を巻く。恋査にさえ伏せていた薬味久子の最期のバックアップ。強大であり己が意思で傍にいてくれた強大なサイボーグですら信頼には足りないのか、闇夜を這いずる蟲にしがみ付き、最大の矛を失ったとしても薬味久子の心はへし折れない。
「本質的に……肉体を持たない情報生命体となった私に、挫折なんて文字は必要ない。何度でも挑戦し、成功するまで永遠に資源を食い潰す。向こうが白旗を挙げるその時まで、ずっとずっとずっと」
夢か妄執か。差し出す足は止まらない。全ては一瞬。人生の
その輝きを求める心の所為なのか、類は友を呼び、薬味久子の燻る路地の上空を黒鉄の影が通り過ぎ、舞い降りた影が徐々に統制の取れた動きに移行していた食人ゴキブリを一匹踏み潰した。
パチュリッ。硬い殻の砕ける音と僅かな水音を踏み荒らし、手に持つ
「ゴキブリか……食感が海老に似てるんだよな、もう好んで食べたい味じゃないんだが、分かるか? 分からないか……アニェーゼさんなら分かってくれそうだがよ、あんまりそんな話で盛り上がりたくもない。飢えってのは恐ろしい、なんでも口に入れてしまう。ただそれでもちゃんと選ばないと、口に入れたものが劇薬だと知らずに飲み込めばそれで人生終わりだ。つまりあれだ。お前はいい歳して拾い食いなんてするもんじゃないって話だよ。口に入れるものを間違えた。お前は医療に詳しいんだって? 俺の行きつけの病院の先生と比べると随分とまあ……なあ?」
「……なに?」
「そうだお前に言ってるんだよ薬味久子。肉体がなければ見えないとでも? 生憎霊感強いんだよ。とか言ってみちゃったり」
勿論霊感なんて不確かなものを信じる孫市ではない。波の中に漂う遺物のような振動を見つめて、薬味久子のあるのかさえ定かでない瞳を覗き込むように首を傾げる。肩を叩き続けている狙撃銃の銃身、
近くのビルの屋上に降り立った黒鉄の怪鳥。その足元から稲妻が伸び、ビルの側面を滑り落ち地を走った稲妻が孫市の隣で人の形を形成する。白衣をはためかせ、見慣れた第三位と同じ顔で長い髪を緩やかに泳がせる電波姫。『
「後輩ちゃんとでも呼べばいいかな? なかなか醜悪な見た目だねぇ、挑戦をやめないって? それには賛成だよ。できることが増えたからって満足はできない。できない事は無数にある。何よりも、できることが増えたとしても、『1』になれるかさえ分からないからね。始まりがマイナスなのだとしたら尚更だよ。ねえ法水君? とミサカは確認」
「誰が始まりマイナス野郎だ。否定はしないがな。それを埋めたかった事は否定できない。今も埋められたのかは分からないし、だが、だからといって、それを埋める為に外道にはなりたくないよなぁ」
「……あ、あなた達、ちょ、ちょっと」
「恋査だっけ? あっちの方がまだ上等だった。やってる事はアレでも自分に嘘がなかったからな。殴るのに躊躇せずに済んだよ。テメェは別の意味で躊躇せずに済みそうだがな」
「ま、待って! 待ちなさい! 法水孫市! あなたは傭兵でしょう! 私が雇うわ! あなたがどんな男なのかくらいこっちでも調べてる! 私と組めばきっとこれまでにないものが見れるわよ!」
誰も成し遂げた事がない。誰も見た事がない何か。「ほぅ?」と興味ありそうに孫市は眉を動かすが、次の瞬間、狙撃銃の銃身をアスファルトの上に叩き付けて首を横に振る。心底呆れたというように。調べたところでなんなのか、表層の一ページさえ捲れていない。薬味久子と組む。即ちフレメア=セイヴェルンを殺す。幼気な少女を喰い物に得られる必死など、そんなものに己を掛ける時間も想いも存在しない。
「これまでにないものってなんだ? 外道の先に何がある? 俺は聖人君子じゃねえがなぁ、第六天魔王でもねえんだよ。差し出すものを間違えたな。金? 生憎困ってない。名誉? そんなものは必要じゃない。権力? そんなの持っても嬉しくないし、力? なら自分で磨くからどうでもいい。Dis-moi ce que tu manges, je te dirai ce que tu es. 俺を俺でいさせてくれるものを摘み食いしようと動いたテメェから貰うものはテメェだけだ」
「言葉は誰にも平等だけれどね、君は使うところを間違えてるよ。虎の尾を踏み付けにして、怒った虎に何を言ったところで聞く訳ないだろう? フレメア=セイヴェルンは私の可愛い妹の友人なんだよ。私も妹の泣き顔は見たくなくてね。妹を泣かせていいのは私だけだ。とミサカは確信」
「えぇぇ……マジかお前……」
何を確信しているのか、これだからこいつは苦手なのだと
(ふざけないで! こんなの、こんな終わり方がある訳ない!
食人ゴキブリ達をひと塊りに、薬味久子は稲妻の檻からの脱出を図る。砲弾のように固まった食人ゴキブリ達の外側が焼け死のうが、内側の何匹かさえ生きていればそれでいい。顔を背ける孫市と
その背後。こつりっ、と軽い足音が響く。稲妻の檻の内側で。伸ばされた小さな手が逃げようとするゴキブリ達を引っ掴む。
「悪い敵、見つけた」
「あ、え……?」
「ちょ……ッ⁉︎」
どうやって檻の中に入り近付いたのか。薬味久子と法水孫市の間の抜けた声が響き、それを吸い込むように小さな口が広げられ、触れられないはずの薬味久子に少女が喰らい付く。がぶりっ。音としては間抜けな音。その音に、薬味久子の体が抉られる。小さな口で大喰らい。咀嚼し、飲み込み、可愛らしくお菓子を食べるような小さな少女は二口目と薬味久子に歯を突き立て、孫市は慌てて少女の頬を引っ張った。
「待て! 待って待って⁉︎ フロイライン=クロイトゥーネさん⁉︎ そんなばっちいの食べちゃお腹壊すから! それにおわあ⁉︎ もう半分くらいになってる⁉︎ これ以上小さくなったら最早誰か分からんくなる⁉︎ いやもう既に分からないけども⁉︎ ある程度残してくれないと‼︎」
「だいじょぶ、お腹は壊さない。これは、お仕置きです。私の友達を傷つけた、お仕置き」
「そ、そうかあ、なら俺にもお仕置きの分を譲ってくれ。あぁあぁこれは……食べようとして食べられるのがお前の最後か。ある意味弱肉強食、自然の摂理だな。
「まあなんとかやってみよう。稲妻の流れで取り巻いて、頭に電極ぶっ刺すように色々とベラベラ喋って貰うとしようか、とミサカは爆笑」
既にまな板の上の鯉。自分の意思が残っているのかも定かでないフロイライン=クロイトゥーネの一口分よりは残ってくれた薬味久子の切れ端を見つめて孫市は肩を竦める。フレメア=セイヴェルンを狙うとはこういう事。英国第三王女ヴィリアンさんよろしく、『人徳』こそが最強の矛にして盾。あの時はウィリアム=オルウェルが降って来たが、今宵は永遠を持つ少女。守る為、穿つ為、多くの者が動こうが動かなかろうが、いずれ怪物に落ちた薬味久子は怪物と相対する運命にあっただけ。この世はプラスマイナスゼロなのだ。今一度それを思い直し、少し顔を青くして孫市は踵を返す。
「どこに行くんだい? とミサカは質問」
「まだ最後の仕事が残ってるんだよ。腐れ陰陽師を殴らなきゃなんねえの。お前は飾利さんと一緒に帰れ。薬味久子の切れ端引き摺ってな」
「まあいいけどね、そう言えば法水君」
「なんだ?」
「色んな人にお土産あげたみたいだけど、私は貰ってないんだけど、とミサカは強請」
「……お前へのお土産って何?」
電波の海に漂う奴へのお土産とは、コンピューターウィルスでもやればいいのかと頭を痛め、くだらない事を言ってるんじゃないと孫市は手を振ってインカムを小突き、さっさと路地の奥へと歩いて行く。なんだかんだ言って次はくれるなと
「もしも、あなたが長い長い時間をかけて、本当に自分を見つめ直す事ができたのなら。その時は、最後までちゃんと食べてあげます。長い長い人生、それだけをお楽しみに」
フロイライン=クロイトゥーネが冷ややかに独言る。やっぱり保障されてなかった。
「……覚悟の方は?」
「できていないと思うか」
第七学区の鉄橋の上で、土御門元春と雲川芹亜が向き合っていた。突き付けられた拳銃を目に、身じろぐ事もなく、
────ゴゥンッ!!!!
直後に鳴り響いた銃声が、
「はい殴った! やっと殴った! この腐れにゃあにゃあシスコン陰陽師がッ! よくも『学舎の園』なんかに置き去りにしてくれたなボケ! 後は上条に殴られとけ阿保! 明日の昼は焼きそばパン買って来い! 後牛乳もな!」
「痛……ッ、……何しに来た法水孫市」
「何しに来た法水孫市……じゃねえよッ! お前をぶっ飛ばしに来たに決まってんだろ! はぁぁ……雲川先輩もそこまでで。このおたんこなすはこっちでボロ雑巾にしますので」
「……君は何をしているのか分かっているのかな?」
鋭い眼を突き刺してくる雲川芹亜の顔を見返し、「分かってますよ」と孫市は口にして血に濡れた手で頭を掻く。『
「土御門の敵対者となりそうな奴らは『時の鐘』が叩き潰した。ってか今もその真っ最中。暴徒だった一般人相手より生き生きとしてて怖いったらない。第十三学区にある大学付属病院は風紀委員が主導して暴いた。ヤバイ情報吸い出したところ。今も吸い出してるところで、捕らえた薬味久子使ってね。表と裏から『
言いながら孫市は冷や汗を垂らす。ヘトヘトで疲れから来ているのか、雲川芹亜の答えがどうなのか、どちらのものかは分かりづらいが、ここで雲川芹亜が「駄目だ殺す」とでも言えば、これ以上土御門を庇える手立てもない。嵌められたとしても、完全に非があるのは土御門。
「一人の為にそこまでするかい?」
「……瑞西では世話になってね。俺達も、瑞西も。救国の恩人を蔑ろにはできないでしょうが。傭兵だからこそ、金以上に大事なものも分かってはいるつもりですよ」
「『時の鐘』に下手に目が向く事になるけど」
「今更でしょ。世界中に時の鐘を目の敵にしてる奴がいますからね」
「流石は表世界最高の傭兵部隊かな? 私のことも知っていた訳だ」
「今日知りました。別に誰に言う気もないですけど。俺だって口を滑らせる内容は選ぶ。そこは信頼して欲しいですね」
学校の先輩が統括理事会に関わってるとか誰に言えるのか。土御門が多重スパイだということ自体、本人がバラすまでは孫市だってバラしていい相手以外には喋っていない。孫市だって最低限の線引きは守る。
(ってかうちの学校先輩までコレだよ? うちの学校どうなってんの? まさか探せばまだまだいるんじゃないだろうな?)
と、あまり眼を向けたくない内容であるからこそ。
「……信頼に値する根拠は?」
「ここで俺が一人で来た事ですかね? こんな目に見えて開けた場所で、狙撃手の幾人かででも囲ってるんでしょう? 狙撃するなら……あそことあそこのビル。あっちの屋上。あっちのビルは……あぁ今逆に狙撃されましたね。『処刑』の見学をしに来ていた敵対者だったか。大丈夫、時の鐘は外しませんから誤射しませんよ」
「そこまで分かっているなら……『貸し』だ」
「それはまた随分と大きそうだ。じゃあ特別割引で……」
「無償でだ」
「……思い切り値切りますね。内容によりはしますけど……俺個人でいいならそれで」
無言で頷く雲川芹亜を前にホッと孫市は息を吐き出して腰をズリ落とす。同じように欄干に背を預けて口を噤む土御門を横目に、孫市は夜空へと顔を上げて煙草を咥えた。
「……舞夏さんは大丈夫だ。お前のシグナルは受け取ったよ。舞夏さんに気付かれないように先に手を打ち終わらせた。うちの鞠亜が同じ学校の生徒で良かったよ。メイドってのも馬鹿にならない」
「なんだって?」
孫市の言葉に、土御門ではなく雲川芹亜が逸早く反応する。見つめてくる雲川芹亜を目に、バゲージシティでの雲川鞠亜の言葉を思い出し、孫市は顔を苦くしながら僅かに身を乗り出す。
「ま、マジで? マジであれって……雲川先輩の妹さんなんですか?」
「何故小声なんだ? ……そうか、そういう事なら」
カチャリ。
金属音を鳴らし、スカートの下から土御門に突き付けていたのとは別の、小ぶりの拳銃を雲川芹亜は引き抜くと、孫市に向けて突き付ける。急な状況の変容に付いて行けず、やっぱりあの蛍光メイドはロクでもなかったと顔を青褪めた孫市の顔に雲川芹亜は引き金を引く。
────シュボッ!
顔を照らす火の明かりに顔を照らされた孫市の間抜け面に雲川芹亜は小さく笑い、苦々しい顔で孫市は煙草の先に灯った火を吸い込んで火を点ける。
「コレも『貸し』だよ。『時の鐘』もそんな顔をするんだね。こんな私でも姉ではあるんだ、あまり妹を泣かせないでくれたまえよ」
小さく孫市が頷けば、雲川芹亜は笑い身を翻す。掴み所のない先輩の背を見つめ、孫市は後頭部をゆっくり
「……どんだけ『貸し』を積み上げるんだよ。女ってのは怖い。『姉』って人種にはどうにも頭が上がらないなぁ。なあ?」
孫市の軽口には何も返されず、川の音だけが辺りを包んだ。喋らない土御門はサングラスの所為で目も見えづらく、一見寝てるんだか起きているのかも分からない。孫市はたっぷりと時間を掛けて煙草を吸い切って鉄橋に吸い殻を押し付けると、少し遠くへと吸殻を放り投げる。すると忙しなく清掃ロボットが通り抜け、音もなく吸殻を吸い取り鉄橋を渡り消えて行く。薄っすら響く機械音が聞こえなくなった頃、ようやく土御門は口を開いた。贅沢に時間を消費して。
「………………悪いな、孫っち」
「……なにが? まあ、ほらあれだ……次は誘えよ、俺だけでもよ。次があっちゃ困るけどな」
「あぁ……それじゃ、次はカミやんと青ピに殴られに行くかにゃー」
「その前に病院だな」
フラフラと孫市と土御門は立ち上がり、夜道を並んで病院を目指す。お互いに血の滲む体を振るい、ほんの少しだけ口元を緩めて。
「なあおかしくない? これっておかしくない?」
「全然おかしくありませんの」
『
蓋を開ければ『学舎の園』。男子禁制のはずの秘密の楽園に何故かまたいる。それも傷も治りきっていない包帯ぐるぐる巻きの有様で。目の前を通り過ぎて行く女子中学生に「怪人ミイラ男!」と叫ばれ、ただでさえ打ちのめされている精神面に追撃を仕掛けてくる始末。無言で黒子を見つめれば、これ見よがしに肩を竦められた。
「『学舎の園』に侵入して暴れてあれだけ目立って反省文だけなどと、そんな訳ないでしょう。古来より罰則は肉体労働と決まってますのよ。せいぜいその無駄に鍛えてる体を使って肉体奉仕なさい。学舎の園の中に殿方が入れるなんて特別なのですから」
「そんな特別欲しくない……ってか何? 自販機の移動にベンチの移動とか……業者か機械か能力者に頼んでくれよ! なんで俺一人で運ばなきゃなんないの?」
「諸々壊したのは貴方でしょうに」
「……上条は?」
「残念ながら記録として名前が残ってるのは貴方だけですわね」
「おかしいだろ! うわ本当におかしい! この自販機の商品めっちゃ高え! 自動販売機で販売していい商品じゃないんじゃないのこれ⁉︎」
「うるさいですわね! さっさと運びなさい! まったくもう、結局また怪我をして、好き勝手動いた罰ですのよ!」
鬼だ。鬼がいる。怪我人の扱いじゃない。なにが嬉しくて一人で自販機を抱えて歩かなければならないのか。黒子に指定された場所へと自販機を下ろせばと黒子に肩に手を置かれ視界が切り替わる。再び目の前に現れるは自販機。自販機やベンチを俺が運び、俺を黒子が運ぶと。なるほどね。
「無駄ッ! 超無駄ッ! もう黒子が運んでくれよ! 女生徒達の視線が痛いんだよ! 何のための
「それでは罰にならないですの。さっさと済まさなければ日が暮れますわよ?」
「さいですか……黒子はなんなの? 監視?」
「当然、殿方一人きりにするわけないでしょう。シェリーさん達が暴漢に対する訓練という事にしてくれたおかげでこれで済んでいるのですから、きっちりやっていただきませんと」
「そこまでするならもう少し融通利かせて欲しかったんだけども。だいたい学舎の園の他の先生方はよく許してくれたな」
運がいいのか悪いのか、ため息を零して新たな自販機を抱え上げれば、少し困ったように眉尻を下げた黒子がツインテールを傾ける。
「それは……
黒子の答えに思わず手から力が抜け、抱え上げていた自販機が滑り落ちる。地面に落ちて大袈裟な音を上げて転がる自販機の音に、遠巻きに疎らにいた女生徒達は小さな悲鳴を上げて散り、俺は強く頭を抱えた。
「またか……またなのか? 食蜂さんといい、なんでこう頼んでもいないのに『貸し』を積み上げるんだ? 俺にどうして欲しいの? 怖いんだけど……めっちゃ怖いんだけど。ねえどうしよう黒子」
「……取り敢えずその自販機を拾ってはどうです? 他の学生の目を無駄に引いていますし、これ以上あらぬ噂を立てられたくはないでしょう? 聞きたいんですの? 貴方が『学舎の園』でなんて呼ばれているか」
「聞きたくないです」
「最強の下着泥棒とか」
「聞きたくねえって言ったじゃんッ! しかもそれ冤罪じゃねえか! 尾ひれ付き過ぎだろ! 下着を泥棒した事とかねえよ! こらそこ! なに見てんだ!」
「ひッ⁉︎ あ、あれが噂の最恐の盗撮魔ッ⁉︎」
「おいなんか呼ばれ方もう変わってんじゃねえか! しねえよ盗撮なんか! 俺の写真フォルダ見るか? ほとんど黒子だぞ!」
「してるじゃありませんの‼︎」
黒子に頭を蹴り上げられ、胸ポケットのライトちゃんを引ったくられる。空間に映し出される黒子の写真達を目に、
「そんな捨てられた犬のように顔しなくても……写真くらい普通に撮ればいいでしょうに。別にわたくしは断りませんわよ。ほら」
転がり自販機に腰を落として俺の方へと黒子は身を寄せ、掲げるライトちゃんに向けて薄っすら微笑む。微笑む黒子と唇を尖らせる俺。切り取られた今この瞬間の画像を空間に浮かべ閉じると、満足そうに黒子は頷きペン型の携帯電話を指で回し、俺の胸ポケットへと差し込んだ。
「わたくしだけの写真よりもその方がいいでしょう?」
「……俺は自分を眺める趣味なんてないんだがな……戦場を歩き回ってるばかりでよ、どこに居ても黒子をこそ眺めていたいよ」
俺が持っていないものを持っている可憐で強い少女の姿を。気恥ずかしく、それは口に出さずにそっぽを向けば、頭に優しく黒子の手のひらが落とされた。視界が切り替わる事はなく、黒子の声だけが耳に届く。骨を震わせる手のひらからの鼓動と一緒に。
「わたくしの願いを聞いてくださるのでしょ? 今年のクリスマスは去年よりも楽しそうですわね。初詣にも行きたいですし、来年の夏はわたくしも海に行きたいですし。秋には紅葉狩りなどをして……そんな普通はお嫌いかしら?」
「……それこそまさかさ、黒子と一緒なら、少なくとも寂しくはない。ただ……どれも普通にはやった事はないなぁ、普通が一番大変だよ」
「だからこそ、貴方はそれを追うのでしょう? 一人では無理でも、わたくしが居ますもの」
「俺が否定できないからってずるいなぁ、その通りだよ。普通を追うなら、そんな必死を追うのなら……」
黒子と一緒に。隣に誰かが居てくれなければ見れないものもある。大袈裟なイベントなんて、それこそ俺も黒子も仕事がありそうなものではあるが、振り向いた先で、丸めた膝の上に顎を乗せて微笑む黒子の顔を眺めていると掴めなかったものも掴めるような気がする。『ヒーロー』が描く救済の物語ではなく、『悪』が描く悲劇でもない。ただ誰もが描ける普通の日常を見る事が今ならできる。笑う黒子に手を伸ばしほほに手のひらを添えて。
────カツリッ。
すぐ近く。落とされた足音に手が止まった。音のする方へと振り向いた先に立つ、見た事のない女子生徒に首を傾げる。
「赤毛に癖毛、やっぱりそうか。前に見た時は間違いかもと思ったけどよ、名前を聞いて驚いたよ。背丈も顔付きも変わってるから気付けって方が難しいけどさ。海外に捨てられたって聞いてたけど生きてた訳だ。苦労するなお互い」
差し向けられた少女の言葉は、俺に向けられている。少しばかり口端を緩めていた少女は、俺の隣の黒子に瞳を移すと口端を苦いものに変えて肩を竦める。誰だ? なにやら知ったような事を言う少女が誰なのか全く思い出せず、会った事があるのかさえ分からない。眉間に皺を刻む俺へと少女は顔を戻すと、呆れたようにまた一つ肩を大きく竦めて見せた。
「おいおい、一応会ってるだろ本家で。まああの頃はあんたも死んだような顔してたし、元を辿れば同じ血筋でも、私も分家だから仕方ないかもしれないけどね」
『本家』、『分家』、その単語に肌が騒つく。黒子の頬に添えていた手を引き下げ包帯塗れの手を拳に握れば、名も知らぬはずの少女の名を黒子が紡いだ。言いながら気付いてはいけないものに気付いてしまったかのように小さく目を見開いて、少女の名を呼びながら、黒子の顔は俺に向く。
「─────『
不変。どれだけ歳を重ねようが、積み続け削り続けようとも、一心不乱に歩を進めても決して引き剥がせず、『ヒーロー』にも、『悪魔』にも、『天使』にも、『神様』にさえ変えられぬもの。ふとした時に振り返れば、どんな者にも平等に、変わらぬ過去は追いついて来る。一息さえ掛からずに。
『人的資源編』終わり。ここまでありがとうございました! 次回は幕間です。