時の鐘   作:生崎

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幕間 時には昔の話を

「北条の当主が仕事を終わらせたらしい」

 

 自販機達を運び終えた昼下がり、罰を終えたならさっさと出てけとばかりに女生徒達の眼光に追い出されたものの、久し振りなのだからと北条彩鈴(ほうじょうあれい)に引っ張られて『学舎の園』近くの喫茶店に押し込められたかと思えば、出てくるのはそんな話。知ったこっちゃねえよと不機嫌を隠さずに話を聞き流そうとも思ったが、怪誕不経(かいたんふけい)過ぎる話に思わず口に傾けていたコーヒーを吹き出しそうになり、噎せながらも無理矢理飲み込む。『北条』の妖しい笑みを一瞥するも口を引き結んでコーヒーの揺らめくカップを置き腕を組んでいると、俺と北条彩鈴を見比べて俺にも増して不機嫌そうに黒子は鼻を鳴らす。

 

「……で? なんで白井がここに居るんだ?」

「何か問題でも? 孫市さんもそうですけど、貴方も放っておくと何をするか分かりませんもの。そんな二人の怪しげな会話を放っておく訳がないですの。それとも、わたくしが居ると何か不都合でも?」

「……なんだ? お前達知り合いなのか?」

 

 北条彩鈴は常盤台中学三年。技術交換留学生という特別な措置によって他の中学から身を寄せている異能力者(レベル2)であるらしいが、黒子も何だかんだと顔が広い。釣鐘とは知り合いだし、どこで知り合っているのか。疑問に思うも、仲良くはなさそうで、苦い顔を向け合っている二人を眺めれば、風紀委員(ジャッジメント)の仕事関係であろうと予測はつく。俺が口を閉ざしていると、なんとも刺々しい女子中学生らしくはない空気が蔓延しだしてしまうため、仕方なく口火を切る。

 

「まあどうでもいいがな、お前の話もどうでもいい。わざわざ呼び止めて昔話でもしたいのか知らないが、俺はお前と昔話を掘り下げる気などない。そもそも『北条』と関わる気が俺にはない。時間の無駄だったな。そんな話なら俺はもう帰る」

 

 立ち上がろうと身を少し倒そうとすると、それよりも早く彩鈴の手が懐に伸びる。その手が掴む物を第三の瞳で見つめて舌を打った。彩鈴の学生服の裏に隠されている極東の傭兵が振るう暗器。初見ならまだしも一度見ている。形状は多少異なるが。釣鐘や近江さんも握っていたその名は苦無。一度忍者に関わってしまった所為なのか、似たような者が最近はやたらと目に付く。

 

「風魔と関係あったっけ? 本家の事さえ詳しくねえのに。数の多い分家の事はもっと詳しくないしな。歴史の裏で勢力伸ばして何がしたいんだか知らないが、そっちがその気なら俺は拒まんぞ」

「別に一族は関係ないし、私だって一般人からは少し外れてる自覚はあるさ。瑞西(スイス)の傭兵にわざわざちょっかい掛ける気はないよ。獅子は我が子を谷に突き落とすなんて言うけどさ、随分な所に落っこちたなあんた」

「他人の境遇勝手に垣間見て『不幸』のレッテルを貼り付けるんじゃねえ。そこまで知っているのなら余計に理解に苦しむよ。俺を捕まえた理由はなんだ? 『本家』に何か頼まれたのか? それならそれで、お前を殴ってはいけない理由が減るだけだがな」

 

 小さなポニーテールを揺らして冷や汗を額に小さく浮かべながら懐の苦無を握る力を強める彩鈴を目に、組んでいた手を解き、テーブルの上に握り締めた拳を置く。どんな理由であろうとも、今の俺の日常に一々『北条』を入れたくはない。ただ暗く、面白い事もなかった色褪せた毎日を繰り返すなどもう御免だ。そんな日常に、黒子も、若狭さんも関わらせたくはない。張り詰めてゆく空気に目を細めた黒子が、その糸を緩めるかのように咳払いを一つした。

 

「折角の休日に逮捕者を出したくはないですわね。孫市さん、この方も前に少しある事件に関わった要注意人物の一人でして、執行猶予の中で目に付くような事はおそらくしませんの。そんな中でわざわざ声を掛けて来たのですから、少しくらいは話を聞いてみてもいいのでは?」

「それは……」

 

 言い淀むが、真剣な黒子の瞳に口籠る。何かしらあるのだろうが、あまり聴く気になれない中で僅かに困ったような顔をする黒子。風紀委員(ジャッジメント)としては危険が匂うような話は聞いておきたいのか、ただそれに俺が関わっているからこそ、聞くにしても黒子も乗り気ではないのか。テーブルの上からカップを持ち上げ一口舐めて、椅子に深く座り直す。

 

「……黒子に免じて、お前の話とやらは聞いてやる。聞くだけだがな。何をそんな話したいのか知らないが、言っておくが俺はお前の事など知らんぞ」

「おいおい、鎌倉で顔合わせはしたろ」

「何年前の話だ。そもそも人が多過ぎて覚えてねえよ」

 

 十年近く前に十も二十も、数え切れないくらいの者が北条の家に出入りし、その家の隅に転がっていた俺が、一族連中の顔など全て覚えている訳もない。これ見よがしに肩を竦めて彩鈴は紅茶のカップを手に取り口へと傾けた後、「まあ要件は最初に言ったのが全てだけど」と、頭が痛くなるような事を言う。

 

『北条の当主が仕事を終わらせたらしい』

 

 北条の一族の者さえそれを聞いたところで嘲笑するか首を傾げるかだろうに、一族の事さえよくは知らない黒子にとってはもっと理解不能だろう。俺だってそうだ。不出来な御伽噺(おとぎばなし)を目の前に広げられたに等しい。実際に自分で言いながらも馬鹿らしいと思っているのか、彩鈴にも真剣味はそこまで感じられない。

 

「あの……孫市さん? 当主の仕事とはなんですの?」

「聞きたいのか? 言っておくが聞いても怒るなよ? 俺だってそこまで詳しくはないし、聞いたところで眉唾もいいところだ。だいたい、それにはまず北条の一族について軽く話をしなくちゃならない。黒子は『竹取物語』を知っているか?」

 

 今は昔、竹取の翁といふものありけり。で有名な竹取物語。成立年、作者ともに未詳であるが、平安時代初期に描かれたという日本人なら知らぬ者の方が少ないだろう物語。竹取翁に拾われた月の姫、『なよ竹のかぐや姫』と名付けられた平城京一の才女とさえ呼ばれた姫君が、最後は月の使者に連れられて月へと返って行く話。どんな話をされるのかと身構えて見えた黒子の肩が一気に落ちる。気持ちは分かる。

 

「……授業で習いましたし知ってはいますけれど……えぇと、それが何か関係が?」

「あるんだよこれが、竹取物語絵巻ってのがあるだろう? かぐや姫を迎えに来た月の使者を追い返す為に当時の帝が集めた武者達が描かれている絵があるだろう? それに描かれてる一人が、北条の初代当主なんだと」

 

 とは言え、物語中に名前さえ出てこない。『竹取物語』の中ではその他の一人に他ならない。月の使者がかぐや姫を連れにやってくると知った帝が集めた、当時最強と呼ばれ平城京に知れ渡っていた十の傑物。『平城十傑(へいぜいじゅっけつ)』だなどと呼ばれていたとかいないとか、当時生きてすらいない俺には知った事ではないのだが、集められた結果どうなったかは『竹取物語』に記されている通りだ。

 

「かぐや姫を月の使者に攫われた事を永遠の恥として、北条含めた十の一族は今もかぐや姫を取り返す為に追っているそうだよ。実際俺がまだ北条の家にいた時に当主選びの試験みたいのがあった。俺は参加してないけど、いや、参加させてくれなかったの方が正しいか。選ばれたのは俺より一つ歳上の人でな。それで百……何代目だっけ? そんなになるまでかぐや姫を追ってるのさ。つまり仕事を終わらせたらしいってのはそういう事だろ」

「……馬鹿にしてますの?」

 

 ほらそう言う。俺だって知らないよ。多くの宗教の伝承と同じく到底無形でおおよそ信じられない話だ。夢を追う。浪漫を追うという意味では面白くはあるが、超絶真面目に人生の全てを懸けているのかも分からない御伽噺(おとぎばなし)に出てくるような少女を追うなどと、気が触れていると言われても否定できない。俺のようにそもそも生まれから除け者にされている訳でもないのに、そんな仕事をする事に選ばれた当主が可哀想だ。体のいい厄介払いにしか見えない。

 

「気持ちは分かるけど本当なんだよこれが。だからこそタチが悪い。辺鄙な田舎にある悪い風習と一緒だ一緒。初代から続けてるからこそやめるわけにもいかないし、だからと言って一族連中誰も信じ切れてないから生贄と同じだ。実際当主に選ばれた者は山に押し込められるように一族から爪弾きにされてるからな。そんな遊戯は当主だけでどうぞってな具合で」

「当主なのにですの?」

「当主なのにだよ。境遇的にはこう親近感が湧くんだよね。爪弾きにされてた同士、当主とは少しばかり仲が良かった。一年に一度くらいは当主含めて全員で集まるんだけど、俺はいつも当主と一緒に家の隅にいたよ」

 

 それも俺が日本からトルコにぶっ飛ばされるまでの間だったため、顔を合わせた数も片手で足りる。俺が居なくなった後も当主の扱いが変わらないだろう事を思えば、俺よりも当主の方が心労は多かったかもしれない。

 

「……よく分からない一族ですわね。わたくしの実家も小さいとは言えませんけれど、歴史を考えると」

「だからややこしいのさ」

 

 科学に溢れている今と違い、昔は魔術の全盛期。奈良時代からいくらか時が経っても、まだ一族の中でも『使命』とも言えるかぐや姫捜索は一族の仕事として根強く残っていた。日の本中を探すならば、何より権力を手にするのが近道。時に一族の者は鎌倉幕府に身を寄せて、時に小田原の城を手中に収めたとか何とか。北条以外の一族も、他の幕府を開いて金閣寺だの銀閣寺だのを建てたとか何とか。そう言えば陰陽師の一族も居ると聞いたような気がするが、土御門に聞く気は全く起きない。歴史に根を張り過ぎだ。

 

「そんな夢追ってる当主がいる一族なんだよ。まあ一族としてはかぐや姫なんてどうでもいいんだろうけど」

「ですけどその仕事を終わらせたという事は……」

「かぐや姫見つけたって事じゃないの?」

 

 言ってて阿保らしくなってくるが、フロイライン=クロイトゥーネさんの事を思えば、全て眉唾とも言えなくなってくる。この世には、それこそ人には理解できない者達が存在する。聖人、魔神、月には宇宙人がいると言われたら、今ならそうなのかもと思ってしまう気すらする。取り敢えず黒子に一族の説明を終えた後、退屈そうに紅茶を舐めている彩鈴へと目を戻した。一族がどんな一族か再確認する為に彩鈴もそんな話をした訳ではないはずだ。だから本当に必要な話は、その話の先。

 

「で? 当主が仕事を終わらせたらしいからなんなんだ? だいたいいつ終わったんだ? 噂ですら聞いてないぞ」

「ん? ああ、大覇星祭終わって少ししたくらいに、突然何もないところから当主からの手紙が落ちて来たらしい。見てた奴の話じゃ空間に隙間(スキマ)が開いたみたいだったとさ。馬鹿げてるだろ?」

「馬鹿げた話が多過ぎて何が馬鹿げてないのか分からなくなってくるな。なんでそこまでお前が詳しいのか知らないけど、その話の真相を追ったのか?」

「まあね、本題に入る前にこっちも順を追って話そうか。そもそもいつ終わったんだって話だけどさ、大覇星祭最終日にセレモニーとして打ち上げられたロケットがあったろ? なんか軌道がズレて月に向かったとかいうさ。調べたところ、結局あのロケットがどこに行ったのかレーダーから消失して分からないらしいんだけど、なんでもそれが当主に関わりあるらしい」

 

 あったなそう言えば。俺は入院中で軍楽器の扱いに四苦八苦してた時だ。暴れんなと看護師にベッドに縛り付けられてからは暇で、見てたテレビのニュースでやたらと放送されていたからよく覚えている。ただ北条などの名前は全く出て来なかったのだが。ロケットの製造に関しても(かび)製薬会社だかが出資していたとかだったはずだ。そのロケットで月行ってかぐや姫を見つけたという事なのか? 魔術よりもよっぽどファンタジーだ。

 

「それが?」

「いや、まあその後のことは私もバタバタしてたからほとんど知らないんだけどさ、そのバタバタしてた間に当主は仕事終わらせて手紙が鎌倉の本家に来たんだと」

「それぐらいの時期って……丁度第三次世界大戦前でドタバタしてた時じゃねえか、その忙しさのおかげで噂も出回らなかったのか。一族としては運がいいって?」

「だろうぜ。ただ問題は消える事なく今も続いている。分家の私が知るぐらいには。それでようやく本題に入れる訳だ」

 

 指先でテーブルを小突きながら、彩鈴は苦い顔をする。黒子を見ている時よりもずっと苦い顔を。

 

「一族は恐れてるんだよ当主を」

「仕事を終わらせたのにですの?」

「終わらせたからだ。当主を爪弾きに村八分みたいに追いやってたのは、理解できない一族の仕事があったからさ。北条の当主は、月の使者からかぐや姫を取り返す為とかで千年以上前から鍛え続けてきた技を納め更に磨いている生粋の武人だ。その昔、忍者の技術を吸収する為に手を組んだりしてまで寄せ集めて磨き抜いた技をさ。忍術を多少納めてる私以上に、当主の技はそれこそ学園都市の超能力者(レベル5)と変わらないって話だ。これまで無碍に扱ってきた当主の技が一族に向くかもしれないって言うんで、本家の上の連中はそれこそ顔を青くしてるってね」

「それは……自業自得と言うのではないですの?」

 

 俺の言葉を黒子が代弁してくれる。自業自得。まさにその通り。優しく扱ってこなかったのに、今更恐れてどうするのか。民度の低さに呆れしかしない。

 

「それはそれとして、だから分家のこっちにまで話が降りてきてる。かぐや姫を見つけたなんて理解不能な当主に対抗する為の手を躍起になって今更探してるんだよ。第三次世界大戦も終わった今だからこそ。狙いは勿論」

「……学園都市か」

「それだけじゃないって話だけどね。それこそ歴史の裏で手広くやってた一族だ。ほっぽかれてた当主を別にしても、今もキナ臭い繋がりの一つや二つあるって言うし、当主程じゃないにしても『北条』の剣士達も少なからず動いてるって話だよ」

 

 頭がより痛くなってくる。元々かぐや姫を追っている一族だ。魔術側に繋がりがあってもおかしくはない。瑞西(スイス)動乱の際にも酷い頭痛がしたが、それ以上に気怠く気分が悪い。これも決して拭えぬ血の繋がり故なのか。だいたい『北条』が動いているという事は上役である『アレ』も動いているという事だ。苛立つ心を隠す事なく、それでもこれまで積み上げて来た癖が嫌でも齎された情報を飲み込もうと噛み砕く。

 

「対抗する手段として学園都市に何を望んでるんだ? 強大な能力者でも引き抜こうって話なのか? 長い歴史を持つが故に、そういった突飛な技術には無関心だと思っていたがな。それなりに大きいって言っても北条は常盤台のお嬢様方のように大企業と関わりがある訳じゃない。華道や茶道、剣術に秀でた頭の固い一族だろう? それにお前が学園都市に居るのは本家の意向とか関係ないんじゃないのか?」

「まあそうだけど、それこそ事態が変わったからさ。こっちに流れて来た話からしても、超電磁砲(レールガン)心理掌握(メンタルアウト)に協力を取り付けろなんて話は来てないしな。本当に当主が仕事を終わらせたと言うなら、『月の使者』なんて人かも分からない理解の外側にいる奴に勝ったって事だ。最早御伽噺(おとぎばなし)の登場人物と当主は同じさ。それにぶつけるのに強かろうが超能力者(レベル5)なんていうある程度学園都市の常識に固められた存在を本家は別に望んでいないらしい。たださ、学園都市には外以上におかしな話もあるだろう? 本家が探ってるのはそれだぜ」

「学園都市の都市伝説……?」

 

 黒子の呟きに目を細める。御伽噺には都市伝説をぶつけようという事なのか、確かに外以上に不思議が学園都市には蔓延してはいる。それこそフロイライン=クロイトゥーネさんに、風斬氷華さん、電波塔(タワー)妹達(シスターズ)、何より他でもない上条当麻が。魔術側にも繋がりがあるなら、打開策を知る為に禁書目録に目が向いたとしても不思議ではない。不思議を穿つ為に不思議を求める。最も手っ取り早い手かもしれないが、それは悪手であり、何に手を出そうとしてるのか分かっていないと言わざる終えない。

 

「……くくくっ、これまで呆けてた癖に、大慌てでよりによって日本のパンドラの箱の中に手を突っ込むってか。しかも当主が怖いから? ふざけてるな。クソみたいな理由だ。そんな事に手を貸すような奴はいない。やっぱり話を聞くんじゃなかった。これだけ苛つくんだったらな」

「同意見だよ。でも、だから話した。あんたなら協力してくれそうだと思ったからこそ。私としても学園都市をそんな理由で荒らして欲しくなくてね。本家の頼み事なんてハナから聞く気なんかないさ。ただ、私が聞かなかったとしても」

「結局来る事には変わりないか。いつ来るんだ? いつ動く?」

 

 それが知れるなら学園都市に立ち入る前に追い払ってやる。学園都市も時の鐘も関係ない。こればかりは俺個人の問題だ。再び拳を握り締めれば、どうにも心の底が疼いて止まない。喫茶店にいる周囲の客達が肩を小さく跳ねて周りを見回し、黒子が産毛立つ肌を摩りながらため息を吐くので手を緩める。彩鈴も口端を引き攣らせながら、小さく左右に首を振った。俺の疑問に答えをくれはしないらしい。即ち分からないと。

 

「奴らだって時代錯誤の武人の仲間だ。そうそう目立つ動きはしないだろうさ。ただ、何か手になりそうなモノを見つけたら一気に動くはずだ。それもきっと近いうちに。これまで私のところに話が来ても大きな動きがなかったのは、学園都市が強大だったからだ。第三次世界大戦の勝利側だしな。でもそれも少し変わったろ? それを隙と見るはずだ」

 

 学園都市から協力機関二七社が離反したのもまだ記憶に新しい。第三次世界大戦に勝利しより強固に。これまではそう見えなくもなかったが、内部分裂するような内情であるとあの一件で世界にバレてしまった。それに今回のヒーロー達の暴動も、隠そうにも被害が大き過ぎて隠しきれない。しっかりと穴は開いている。いつ入って来てもおかしくない。

 

「堅牢に見える要塞であっても、抜け道があったら関係ないか……なら人の繋がりから探った方が早そうだ。北条の当主が仕事を終わらせたって言うなら、他の一族も同じだろう? どう動いてる? 北条のように当主を討つって?」

 

 他の一族なんて俺は全く詳しくないが、逸早く動いていたらしい彩鈴は少しは探りを入れていたのか、僅かに唸って乾いた喉を潤す為に紅茶を口へと煽る。一瞬の静寂が嫌に長く感じ、疲れた顔で彩鈴はカップをテーブルに置いた。カチャリと打ち鳴るカップの音が、そのまま彩鈴の心情を表しているかのようだ。

 

「当主と仲悪い一族ばかりでもないらしくてね。特に大覇星祭最終日にセレモニーとして打ち上げられたロケットの制作に多大な協力をした『(かび)』は一族の仲も良好だそうだ。実際に私がこの件に軽く首を突っ込んだ時にそこの当主が協力してくれてね。あんたの情報も詳しくはそいつが調べてくれた」

(かび)製薬会社? アレも北条のお仲間だった訳か? ただ協力ってのは……」

「学園都市に居るんだよ『(かび)』の当主は。普通の中学生で驚いたけど、頼りにはなると思うぜ? ただ、流石に一族が違うから『北条』の動きを完璧に追える訳じゃないらしいけど」

「待てよ。当主は仕事を終わらせたんだよな? ならその『(かび)』だかの当主っていうのも────」

「それは前の当主だってさ。私も詳しくはよく分かってないよ。分かってるのは、『北条』がおかしな動きを見せてるって事だけだ。どうする?」

「どうするもこうするもないだろう。やる事は変わらない。『北条』の理不尽が友人に向かうかもしれないんだぞ? 黙って見てる訳ないだろうが」

 

 ただでさえ問題は山積みなのに、知らないうちにまた一つ問題が積み上がっている。唯一ありがたい事があるとするなら、この問題に対してすでに動いている者がいるという事だろう。同じ『北条』である彩鈴も、『(かび)』とやらも。間違っている事に対して間違っていると言っている。家の事になど興味はないが、捨てられたから見て見ぬ振りもできない。カップに残っていたコーヒーを一口に飲み干し席を立つ。

 

「生憎『北条』だけに目を向けられる程暇じゃない。新しい事が分かったら言ってくれ、協力する。その『(かび)』の当主にも渡りを付けておいてくれ。餅は餅屋、一族関連の事は一族に聞いた方が早い。同じ当主なら尚更だろうしな。俺にも個人的に甲賀忍者の知り合いがいるから学園都市の外を探って貰うとしよう」

 

 胸ポケットのペン型携帯電話を小突き、俺の電話番号とメールアドレスを彩鈴に送って喫茶店から外へと出た。折角の休日が台無しだ。聞きたくない話だったが、今聞けてよかった。知らないうちに忍び寄られているよりまだマシだ。風を切るように足早に歩いていると、隣に足音が増え、目を向ければツインテールが泳いでいる。少しだけ黒子も顔を険しくさせて。

 

「黒子……」

「関わるな。などと言いはしませんわよね? 他でもない学園都市の治安に関わる事なのでしたら、わたくしが見過ごすはずがないですの」

「分かっているさ。それでもな」

 

 『時の鐘(ツィッドグロッゲ)』も、瑞西(スイス)も、これまで俺が積み上げて来たものとこれはまるで関係ない。始まりと共に側にあり、興味ない関係ないと決め込んでいても常にへばりついていたものだ。学園都市の友人達に見て欲しいものではないそれを、黒子は一笑に付す。

 

「他でもない貴方の人生に関わることを、わたくしはもう瑞西に向かった時から、貴方を捕まえた時から決めてますのよ。時の鐘も関係ないと貴方が仰るのなら、風紀委員(ジャッジメント)を抜きにしても、わたくしは貴方の隣に立ちますの。来るななどと言わないでくださいな。来るなと言われてもわたくしは行きます」

「…………負けるよ黒子には」

 

 黒子の笑顔の眩しさを直視できずに、そっぽを向いて頭を掻く。土御門に一人で背負い込みな的な事を言った手前、伸ばされた手を振り解く事もできず、振り解こうとしても掴んでくるのが分かるからこそ、何ともこそばゆい熱が剥がれず口元が緩む。『北条』、ただその二つの文字が頭を過るだけで、緩んだ口が引き攣るが。

 

「孫市さん、お義母様には」

「若狭さんには絶対言うな、これだけは。『北条』が動いてるなら奴も動いてる。あのくそったれな親父がな。だから絶対に言うんじゃないぞ。約束してくれるか?」

「……分かりましたの」

 

 もうアレに若狭さんを関わらせる事はない。他でもない『北条』が動いている時なら尚更だ。裏の世界の事情をある程度若狭さんも知ってる立場にいるとは言え、その深奥に引き摺り込む事などしない、したくはない。母親とは和解できたが、あの父親とは絶対に無理だ。それだけは会わずとも分かる。

 

 北条時堯(ほうじょうときたか)とだけは。

 

 身から言いようもない空気が滲んでしまい、慌てて抑える。周囲の学生達から向けられる視線を振り切るように足を出し、心配そうな顔で微笑む黒子に笑みを返す。どうにも情緒が安定してくれない。今『北条』に対して心配し過ぎたところでどうにかなる訳でもなく、折角の休日を取り戻す為に何とか頭を回すが、日常を彩る話題など出て来ず、頭の中を流れるのはこれまでの戦場や仕事のことばかり。そんな話をするのもどうなんだろうと目を回していると、不意にペン型携帯電話が震えた。これぞ天の助けとばかりに空間にディスプレイを広げれば来ているのは一通のメール。差出人の名を見つめ、果てしなく肩が下に落ちる。

 

「どうしましたの?」

「……レイヴィニアさんからだ。話があるって。近々学園都市に来るんだってさ。…………仕事だ」

「商売繁盛のようで良かったですわね、バードウェイさんからという事は」

 

 まず間違いなく『グレムリン』関係。ただでさえ『北条』だのが湧いて来ているのにこのタイミングで。行くか行かないかの選択肢で、残念ながらどちらを選ぶのかは既に決めている。カブと連絡を取らねばならないし、時の鐘学園都市支部を動かす時が来た。『グレムリン』がいるところに垣根もいる。頭を回しながら黒子に別れを告げて事務所に戻ろうと足を伸ばせば、横を歩くツインテールは消える事なく隣に並ぶ。

 

「おいおい」

「話を詰めるのでしたらわたくしも必要でしょう? それに今日は休日ですわよ?」

「こんな休日でもいいのか?」

「いいんじゃないですの? わたくし達らしくて」

 

 俺と黒子の休日。引き剥がそうにも仕事は引き剥がせず。ただ、黒子が隣にいてくれるおかげで、背負うものが軽くなったようにどうにも足取りが軽くなる。『過去』を取り払う事ができなくても、『今』が隣り合ってくれているからこそ。

 

 

 

 

 




まだ本格的に始まらない『北条編』では、北条の当主と黴の当主だけが今のところ出場確定です。幻想の住人は存在を匂わせても出す事はないでしょう。

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