時の鐘   作:生崎

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船の墓場 ②

 朝食を口へと突っ込み終え、寝ぼけていた顔もシャッキリと。食事さえ終えれば上条達には準備は要らずと言うようにレイヴィニアさんが告げる。

 

「おい。食事を終えたら第二三学区へ向かうぞ。一二人の内、何とかアクセスできる統括理事会の一人には話をつけてある。超音速旅客機が手配されているから、『グレムリン』が本拠地に使っている『船の墓場(サルガッソー)』が世界のどこにあっても数時間以内に到着できる計算だ。……ほとんど弾道ミサイルみたいな扱いだな、お前」

「お断りだっっっ!! 上条さんてばこう見えて学生さんであって、つまり出席日数が超ピンチな訳ですよ! せめてきちんと呼び出しがかかるまでは授業を受けさせろ。何だったら朝の出欠だけでも取らせてえ!!」

「諦めろ上条、似たような事を言ったら俺はカレンに怒られた。瑞西(スイス)傭兵の自覚がウンタラカンタラ、俺が留年しようがどうだっていいらしい。ひどくね? お前は俺を置いて行くのか?」

 

 這いずるように上条に向けて足を伸ばせば、「ひぃぃ⁉︎ 留年オバケ⁉︎」と叫び転がりながら上条は学生鞄にしがみ付く。まだ留年確定なぞしてないと言うに失礼な野郎だ。そこまで喜んでくれるなら率先して足を引いてやろう、と手をこまねく俺と後退る上条の間でレイヴィニアさんは鼻を鳴らすと、偉そうに腕を組む。

 

「何でも構わんが、いつでも出撃できるように私は傍を離れんぞ。ぶっちゃけ授業を受けるというなら私はお前の膝の上に乗るぞ。一緒に授業を受けるぞ。それで良いのか?」

「え? いいの? 流石レイヴィニアさん器が大きい! 上条、もう今日からずっとレイヴィニアさんを膝の上に乗せておけ。くっそぉ、こんな事なら軍服に着替えなかったのにッ。……このまま学校へ行って大丈夫だと思うか?」

「大丈夫なわけねえだろっ! 色々とクラス騒然の予感!? 特に青髪ピアス辺りが絶対に大はしゃぎするに決まってる!!」

「なんだ、いつも通りじゃないか」

 

 俺の言葉に一瞬真顔になるが、すぐに上条は慌てて首を左右に振る。今更上条が見ず知らずの少女を一人や二人連れているぐらいで、問題視するようなクラスメイトはいない。上条なら、せいぜいいつも以上に拳が幾つも飛んで来るぐらいで済む。その筈だ。その程度で留年のピンチが和らぐのならいいではないかと頷く俺に、上条は俺の隣に座る釣鐘と鞠亜に顔を向けて強く指を突き付けた。

 

「こっちも問題だけどそっちも問題だろ‼︎ 軍服着込んだ奴がメイド引き連れてたらバリバリ目立つからな!」

「どうせ私は今日実地試験の予定でね。外国人ビジネスマン相手にいろんな言葉で道案内っていう課題だよ。そんな訳で、おや、丁度隣にスイス人が」

「ワタシスイス人ヨー、ニホンゴムツカシイネー」

「ずるいだろそれはッ⁉︎ じゃあそっちの……そっちの子はなんだ?」

「うーん、忍装束でも着た方が釣り合い取れるっスかね? 私の事は気にしなくていいっスよ、どうせ見つからないんで」

 

 一見ただの女子中学生にしか見えないが、そんな訳はない。釣鐘が見せつけるように懐から一本のペンを出し、俺に投げ渡したと同時に釣鐘の姿が掻き消える。典型的なミスディレクションだが、タイミングが完璧だ。上に放ったペンとは逆に身を沈み込ませて床を滑った釣鐘を見失い目を丸くする上条の背後で笑みを浮かべて、上条の背を突く釣鐘に上条は振り向き肩を跳ねさせた。

 

「ふむ、時の鐘が連れて来ただけあってなかなか面白そうな連中ではある。相変わらず魔術や能力よりも技術か傭兵」

「魔術の事は禁書目録(インデックス)のお嬢さんやレイヴィニアさんに任せればいいしな。能力者相手ならもっと頼りになる者も此方にはいるが、単純な殴り合いなら相手にもよるが俺達三人そうそう負けんよ」

「暴力は任せてよさそうだな傭兵」

「その為に呼ばれたんだ。だから上手く使ってくれレイヴィニアさん。その点は心配してないが」

「少なからず信用はしている。こういう時お前の相手は楽でいい」

「…………バードウェイと法水はなんか意気投合してるしッ」

 

 お互いにやるべき事がはっきりしているからだ。俺は時の鐘学園都市支部の支部長として、レイヴィニアさんは『明け色の陽射し』のボスとして、己が立場も分かっているからこそ。魔術の知識に経験はレイヴィニアさんに及ばないが、戦闘行為に掛けては此方の方が経験は上だ。このチームの中での俺の役割は、レイヴィニアさんを小隊長とするなら副隊長。俺とレイヴィニアさんは方向性を間違える訳にもいかない。学校へ行く派と行かない派の対立は、留年という不名誉自体それなりに真面目に学校へ行っている者以外には理解されない為、「日本らしく民主主義で決めようじゃないか」というレイヴィニアさんの提案によって終わりを見る。

 

「法水ッ、お前は何を行かない派に賛同してるんだよ! 俺の味方はインデックスだけか⁉︎」

「だってこの格好で学校行ったらクリスさんとガスパルさんに絶対怒られるもん。やだよ俺。そもそも学校に居て授業中に呼び出されたとして抜け出せると思うか? 強行突破で窓ガラスぶち破るぐらいしか多分方法ないぞ。あれだよ、この休みは合法的なものです的な感じの手紙を英国の女王や合衆国大統領、瑞西の将軍に書いて貰おうぜ!」

「絶対悪戯だと思われるッ!」

 

 だが何か手を打たないと留年が間近に迫っている。『上条ちゃんと法水ちゃん、あまりに馬鹿だから揃って留年確定です♪』と可愛らしい担任にいつ通達されるか分かったものではない。手を貸すからには報酬をせびったところで当然というものだ。各国のトップから進級を懇願されれば流石に大丈夫だと信じたい。だから安心して飛び立とうぜと俺自身全く安心できない言葉を並べながら早朝の通学路へと上条の部屋から飛び出せば、学校へ向かう学生達の視線が面白いように突き刺さる。

 

「辛い。……地味だけど割と本気で辛い!! 能力開発の関係で比較的フリーダムな個性が尊重されるこの街の中でもビシバシと叩きつけられる全方位型場違い感! イギリス生まれイギリス育ちのお嬢さん方にはこの凄まじい違和感が感知できないのか!?」

「はっはっはーっ! 私達は旅行客に全力で家庭料理を振る舞うと何故か目を丸くされるお国柄! ガイドブックのオススメにどういう訳か中華料理店ばかり並ぶ国の人間が、この程度の疎外感で怯むとでも思ってんですかーっ!?」

「スイスじゃ普通に軍服着てる奴を街中で見るからそんな不思議な顔されないんだけどな。そうでなくても軍服で他の国に行けば似たような顔されるしもう慣れた。その辛さは最初だけだ最初だけ」

「くっ……お前達のその図太さはどこから来るんだ? これが日本人との違いだって言うのか? 俺もその自信が欲しいっ……そしてレッサーってば自分で料理作る子だったんですね初めて知ったよ!!」

 

 日本人は関係ないと思うのだが、胸を張るレッサーさんの隣で素知らぬ顔をして歩いている釣鐘と鞠亜を見て欲しい。まあこの二人も忍者にメイドだが、多分性格の問題であって職業は関係ない。奇異の目が精神を鍛える分には丁度いいのか鞠亜は満足気だし、無表情の釣鐘を見るにそもそもこういった事に釣鐘は興味がないらしい。釣鐘が興味あるのは個としての強さだけだ。

 

 超音速旅客機が待つ第二三学区までこのまま歩いて行く訳もなく、市街地を巡回するバスを待つ為にバス停で足を止めれば、上条はよりげっそりとした顔になる。ベンチに腰を落とす上条の背後に並ぶ魔術師、魔術師、修道女、傭兵、忍者、メイド。その気配に潰されるように肩を落とす上条の横にレイヴィニアさんは立つと、上条の膝の上へと勢い良く腰を落とした。禁書目録(インデックス)のお嬢さんの顳顬に血管の浮く音がする。……Oh.

 

「どういう事だし!? 一発ネタのボケにしては体を張り過ぎてはいないかねバードウェイ!? ていうか横に座れ、横に!!」

「ふざけるな、私はスカートだぞ。こんな十一月の早朝に冷え切ったベンチなんぞ座っていられるか。少しは私の基本的人権を尊重しろ馬鹿者め」

「間違ったことは何一つ言っていないはずなのに、やたらお堅い文言で罵倒された!?」

「うあー……」

「そして何故、隣に座ったレッサーがこちらにしなだれかかってくるのかについても問い質したい。どういう事ですかサポートセンターのお姉さーん!!」

 

 馬鹿野郎、見る方向が違うッ。

 

 レイヴィニアさんでもなくレッサーさんでもなく、「上条後ろ後ろッ!」と言いたいところをぐっと飲み込み、一歩横へと上条から距離を取る。これはアレだ。黒子から雷を落とされる三秒前と同じ空気だ。触らぬ修道女に祟りなしである。上条の叫びにサポートセンターのお姉さんは答えてくれる事はなく、悲痛な少年の叫びを代わりに修道女が歯をカチ鳴らして出迎える。

 

「とうま」

「……お待ちなさいインデックスさん」

「あぁ、哀れな子羊は導かれる事もなく毛を刈り取られてしまうんだなぁ。この冬の寒さを厚手の羊毛もなしに耐えられるのだろうか? いや、耐えられるはずもない。バス停のベンチの上で一人寂しく横たわる少年に差し出されるのは三途の川の向こうから伸びてくる手だけなのであった」

「不審なナレーションを入れるんじゃない‼︎ ていうか全体的に待て! 後頭部への嚙みつきおよび定型的ツッコミ制裁手段についてコンプライアンスの設置を要求します! 具体的には一日一嚙み。これ以上はびた一文ぐぎゃるがァァああああああああっ!?」

 

 目には目を、歯には歯を、愛には憎悪を。ツンツン頭に沈み込み白く輝く歯を横目に、懐から取り出した煙草を咥える。上条の叫び声と同じく上へと昇る紫煙を見つめ、消え去らない日常の喧しさに肩が落ちた。どうすりゃいいんだよこの空気。全く闘争の空気ではない。きっと『グレムリン』には届いていない悲惨な叫びの中で、鞠亜は心底呆れた顔を浮かべ、もうこの状況に飽きたのか釣鐘は欠伸をしている。そんな空間から戦闘意欲を消さない為に逃げるように顔を背けた先。見慣れた顔達に咥えていた煙草の先端が大きく落ちた。なんとタイミングが悪い。もう誰かどうにかしてくれ。

 

 

 

 

 

 通学路で足を止め、頬を片方痙攣させている御坂美琴(みさかみこと)を横目に、白井黒子(しらいくろこ)は深く大きなため息を零す。視線の先、ベンチの上で遅めのハロウィンに巻き込まれたように、一見仮装よろしく色とりどりの少女に揉みくちゃにされているツンツン頭。その背後で美琴と黒子を見つめマネキンのように固まる赤毛の傭兵。その後ろでは黒子達に気付いた釣鐘が大きく手を振り、鞠亜が優雅にお辞儀をしていた。

 

 別世界の住人達を一箇所に無理矢理詰め込んだようなバラエティーパックをどうすればいいのか。普段なら髪から稲妻を迸らせる美琴であるが、情報量の多さに第三位の脳はオーバーヒートし、悲哀に満ちた顔を小さく俯かせた。

 

「……私もうこんなポジションやだ……」

「あぁお姉様ッ、おいたわしや……ッ。あのタレ目よりにもよってここを通りますの? 何のためにわたくしがお姉様と一緒に……お姉様との麗しの時間が……ッ。ああお姉様! わたくしがその冷えた心をお慰め」

「せんでいいッ‼︎」

「あらあ? こんな所で二人仲良く漫才しているのは御坂さんと白井さんじゃないかしらあ☆」

 

 突如降り掛かって来た甘く柔らかな声色に、黒子の顔を鷲掴んだまま美琴は肩を震わせる。こんな時に限ってばかり、面倒は面倒を引き寄せるのか、振り返った美琴の先に立つスーツの女性。美琴も黒子も見たことない女性だが、瞳に浮かぶ星に似た何かが美琴の妹、電波姫以上に他人を操る事に長けたエキスパートの証。常盤台中学、学園都市第五位『心理掌握(メンタルアウト)』。

 

「……アンタこんなトコで何やってんの、食蜂?」

「べっつにぃ? 何でも良いんじゃないかしら。というか御坂さんは一体何を? あのベンチの殿方がどうかしたのかしら。くんくん、ふんふんふん……」

「嗅ぐな嗅ぐな! 私の匂いを嗅いだ所で何も摑めない!!」

「そうですの! お姉様の芳しい薫香はわたくしだけのッ、ふんふん!」

「何故そうなる‼︎ てかアンタも嗅いでんじゃないわよ黒子!」

「……事情が気になるなら声を掛ければ良いのに(ボソッ)」

「にゃっ!? にゃにゃにゃにゃんにゃにゃにゃにを!?」

「はぁぁぁぁッ⁉︎ お姉様のお顔がッ‼︎ グルルルルァ⁉︎」

 

 湯気が立つ程に顔を赤くする美琴と、対照的に顔を青くする黒子。最早何を口にしているのか分からない二人の内心爆笑しつつ、食蜂操祈(しょくほうみさき)は煽るように可愛らしいを通り越して、鬱陶しく可愛子ぶった仕草を炸裂させつつ、二人に派手なスーツの女性の顔を近付ける。

 

「気にならないの? 気にならないのお?」

「な、ならんならん!! 一ミリもっ、これっぽっちも!!」

「そぉぉぉですのッ! あんなのに近付いても百害あって一利なしッ! お姉様に必要のない事を囁かないで欲しいですわね! どうせ囁くならわたくしの愛のお言葉を‼︎」

「いらないっつってんでしょうが‼︎ それこそ一ミリもいらないっての!」

「一ミリもッ⁉︎」

「あらあ? そんなこと言いながら御坂さんも白井さんも色々気になってるんじゃなあい? ちなみに私は気になる」

「は!?」

「そんなわっけでー、御坂さん達には一ミリもこれっぽっちも気にならない事を確かめてこようと思いまーす。まーまー『彼女』の容姿力で微笑みかければ大抵のオトコは籠絡できそうなものだしい」

「ちょ、ちょっとお待ちなさいな!」

 

 勿論色々と知っている黒子が止めようとするが待ってくれるはずもなく、超能力者(レベル5)の暴虐無人さをふんだんに使い、ピースサインを浮かべる第五位の姿がスーツの女性を中心に増える。

 

「オトナの女性がストライクゾーンじゃなかったとしても」

「これだけバリエーションを揃えてしまえば」

「どれかは当てはまりそうなものだしねえ☆」

 

 三つ編み、褐色、ポニーテール、背の高い者から小さい者まで。九人に数を増やした第五位の勢力に美琴と黒子は目を丸くし、少女達は全く同じ動作でポーズを決めながら、魔術師、傭兵バラエティーパックに向けて大きく一歩足を伸ばす。九人十脚足並みを揃える少女の壁に、どうしようもないと黒子は頭を抱えた。

 

「ふははははーっ! 何故か女の子しか出てこない格ゲーばりの弾幕力を張ってしまえば流石の鈍感属性も逃げ切れまい!! 全ては私の掌の上なのよお御坂さーん!! それに大丈夫よ白井さん、あの人の場合は貴女しか眼中にないのだし、何の心配もいらないわあ☆」

「ぶッ‼︎ べ、別に何の心配もしていませんの‼︎ あのタレ目がどこでどんな女性と会っていようが……いえ、やっぱり少しムカつきますわね、最近は特に周りに……あーもう何でわたくしがッ‼︎」

「やめれこれ以上男女比崩したらカオス過ぎる!! つーかアンタまさかあの馬鹿と過去になんか妙な因縁とか持っていないでしょうねーっ!?」

 

 バラエティーパックに突っ込めばどこに出荷されるか分かったものではない。第五位の理不尽なハニートラップを前に、ただ何だかんだ上条も法水も全て上手く捌くだろう姿を美琴も黒子も幻視してしまい、それが余計に腹立たしい。

 

 何よりも、これだけ騒いでいるのに目もくれない上条の姿。それに我慢メーターが一瞬で振り切れ髪から強烈な紫電を走らせて「べんとらべんとらーっっっ!!!!!!」と叫びバス停のベンチを浮かび上がらせる美琴を横目に、色々と思うところがありながらも、黒子も諦めたようにため息を一つ挟んでバス停で煙草を咥えている軍服姿の不良学生から煙草を引っ手繰る為に空間を飛んだ。

 

 

 

 

 

 

 うわぁ、すげえや。ベンチが水切りしてる。

 

 急に浮いたと思えば上条とレイヴィニアさん、レッサーさんと禁書目録(インデックス)のお嬢さんを乗せて真横に吹っ飛んだベンチは、そのまま先に待っていた川に沈む事なく、踊るように水面を跳ねて遠ざかって行く。学園都市のベンチに新しく付けられたアトラクション機能などという事はなく、見慣れた稲妻の波に瞳から光を消していれば、横合いから伸びて来た小さな手に煙草を引っ手繰られてより肩が落ちた。

 

 空を泳ぐツインテールを目で追って、待ち受けている黒子の疲れた顔を見つめる。何故俺も水切りベンチに乗せてくれなかったのか。跳び上がりベンチに飛び乗った御坂さんを追うように足を伸ばし、隣を歩く黒子の肩を軽く小突く。

 

「……お互い運がないようだ。御坂さんに見つかっちゃった」

「なんで貴方はサラリーマンよろしくそんな格好でバス停に突っ立ってますの? そっちの方が問題でしょう」

「……御坂さん付いて来るかな? ハワイにも付いて来たし」

「ハァ、でしょうね」

「…………黒子さーん? まさかとは思うけど付いて来たり」

「そのまさかですの」

「……なんか喜んでない?」

 

 視界が飛び、空間移動(テレポート)で黒子に頭から川に落とされた。俺も空飛ぶベンチに乗りたい……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 おかしいねえ。なんか人数が二人増えた。空飛ぶベンチには乗れなかったがバスには間に合い、第二三学区までは辿り着けた。禁書目録(インデックス)のお嬢さん、レイヴィニアさん、レッサーさん、三毛猫のスフィンクス、釣鐘、鞠亜に加えて常盤台のお嬢様二人。全く作戦に関係ないのだが、御坂さんを力づくで追いやる事などできるはずもなく、御坂さんが首を突っ込もうとしているところで、黒子が離れるはずもない。力ある一般人が最も面倒だ。

 

「……お前、日本の義務教育は一体どこへ行った?」

「私はアンタと違って学校から信用されてんのよ。出席日数にも問題はないし、ちょっとくらい欠席したって大丈夫でしょ」

 

 ガラス張りの壁に囲まれた開放的なターミナルの椅子の上で上条と御坂さんの会話を聞き流しながら、少し不機嫌に組んだ足を揺らす。出席日数に問題はなかろうと、別の問題がある。俺は仕事だ。ハワイの時もそうであったが、味方だろうと敵だろうと不確定要素が最も不安な要素だ。軍服姿の俺に目を細める御坂さんを視界に入れないように顔を背けるが、御坂さんの言いようもない心の畝りは手に取るように分かってしまう。そんな俺の顔を少し眉を顰めた黒子の顔が覗き込み、俺の肩を突っついた。

 

「そんな顔なさらなくても、お姉様は一度ああなると頑固ですからね。引き剥がすのは簡単じゃありませんの」

「分かってる。が、それなら俺も仕事だというのを分かって欲しいね。御坂さんや黒子の優しさは美点ではあるが、その優しさが俺を拒むだろう? 『グレムリン』の問題が大きく見て俺達だけの問題じゃないのは分かっている。だから御坂さんが自分で決めて付いて来る分には強く文句も言えないが、それで俺を病原菌のように扱って貰っても困る」

「流石にお姉様もそこまでは思ってないでしょうけど。貴方の仕事や理想をわたくしは分かってるつもりではいますけれど、『できるなら』と考えなくはないですもの。それと同じ事を貴方も思ってくれていると知っているだけに、引いている線の位置の違いがどうしようもなく歯がゆいのですわ」

 

 目の前に立つ命を刈り取るか否か。戦いの中で躊躇なく引き金を引く時がある俺と違い、黒子も御坂さんもその線は超えない。故に御坂さんが俺を苦手としているのは分かっている。上条もそこはそうだろう。同じものを目指していても、俺や土御門は上条や御坂さんのようには振る舞えない。『できるなら』と動きはしても、どうしようもないと考え抜いたところで躊躇わずに線を越える。理想は描いても現実主義は崩せない。どうしようもないを何度も見て知っているだけに。

 

「面倒っスねー、命を重く考えるのって」

「お前は逆に軽く考え過ぎだ釣鐘。まあそれも個人差がある問題だ。命を平等だと言うのなら、生かすも殺すも平等ではあるだろうが。そこは倫理や道徳の問題だな」

「法水さんも釣鐘も戦国時代なら英雄になれるんじゃないかな? 生まれる時代を間違えたというやつだね」

 

 鞠亜の言葉に呆れて首を傾げる。まったくもって不毛だ。

 

「それはなんだ? 神とやらに文句を言えばいいのか? 親も生まれる時代も選べるもんかよ。もし選べたとしてもそんなの許される事じゃないだろう。それで破壊を選んだなら、壊されたって誰に文句を言えるものでもない」

「賛成っスね、自分の命は自分が握ってこそ。どう使うかはこっちの勝手。ねえ法水さん」

「それを投げ売りされる者の身にもなって欲しくはあるがな。投げられたなら投げ返してもいい訳だ」

「できるなら。法水さんのスタンス嫌いじゃないっスよ? んひひ」

 

 一見裏切りに見えても釣鐘のはそうではない。最初から最後まで考えを変えていないのであれば、それも込みで釣鐘らしいと言える。ただ発言が危ない事に変わりはなく、黒子と鞠亜は口端を苦くし、その分俺は口元を緩める。最初は面食らったが釣鐘の扱いにも大分慣れた。釣鐘の理想は一対一の殺し合いであって、本気で相対する気を失わない分には仕事中に無理に死合おうとはしない。釣鐘を手放したくないのであれば、釣鐘より強くあればいい。それが俺の釣鐘に対する答え。楽ではないが、それこそ釣鐘を誘った俺の選択の結果だ。

 

「で? いいのか黒子? 学園都市から離れても」

風紀委員(ジャッジメント)としては貴方やお姉様達をお止めするのが最善でしょうけど、事ここに来てそれを言うのは職務に忠実と言うよりも我儘になってしまいますもの。学園都市が世界の全てではないのですし、外が貴方達を必要としている。この問題は学園都市も無関係ではないのでしょう? 火事になる前に火を消すと思えば、それにお姉様だけを連れ帰ろうにも、それでは貴方や類人猿はいいのかと終わりない会話が繰り返されるでしょうからね」

「そりゃそうだろうが俺は」

「仕事でも、それは貴方達にとっての話であって、言ってしまえば此方にとっては最悪関係ないですもの。必要のない会話に時間を割くぐらいでしたら、全員でさっさと行ってさっさと帰って来る方がずっと楽でしょう? ……しがらみを抜きにわたくしの本音を口にするなら、孫市さんが心配ですのよ。ロシアで行方不明になって帰って来てからも、貴方は、変わらず先に行ってしまうんですもの。前よりもずっと速く。ロシアで、ハワイで、東欧で何を見たのか知りませんけれど、それをわたくしも見ては駄目ですの? 貴方の隣で」

 

 口を引き結んで出掛かった言葉を飲み込む。魔神を、『グレムリン』を、それに並ぼうと心の底で蠢く大声では言えぬ羨望の本能(あくま)の全貌を黒子にあまり見せたくはないが、黒子の瞳の輝きを真正面から見据えると『来ないで欲しい』とは言えなくなる。例えどんな姿を見せても隣に来てくれるのではないかと考えてしまうささやかな願いが、黒子を隣に吸い込むように手繰り寄せる。単純に黒子や御坂さんが来れば仕事が楽になるだろうという事ではなく、もっと底に近い本能が隣に立つ少女を求めている。

 

「理由がいるのでしたら、学園都市の外に出ようとする不良学生を捕まえる為と言いますけれど?」

「……似たような手は俺達も使った事ある。てかスイスにもその手使って出て来たろ? 職権の乱用だな」

「羨ましいなら貴方も風紀委員(ジャッジメント)に入ってはどうですか?」

「馬鹿を言え、そう思えばこそ俺は風紀委員(ジャッジメント)にはならないよ」

 

「知ってますの」と言いながら黒子は俺の隣に腰を下ろす。黒子にはどうにも口で勝てそうにない。

 

「それじゃあ黒子も欠席は気にしなくていい訳だ。俺や上条と違って信用されているようで」

風紀委員(ジャッジメント)ですもの」

「便利な言葉だなぁおい」

「それで? これからの予定は?」

 

 首を傾げてレイヴィニアさんへと顔を向ければ、丁度上条達も似たような事をレイヴィニアさんに聞いたのか、レイヴィニアさんは肩を竦めて首を小さく左右に振る。

 

「何も。基本的に私達は指示待ち状態だ。超音速旅客機は完全チャーターだから、航空会社の受付カウンターに並ぶ必要はない。金属探知機も、X線検査も全て素通り。搭乗員用の出入口から滑走路に出て、電動カートに乗って怪物飛行機まで一直線だ。離陸優先順位も最高ランクだから、他の機の出発をいちいち待つ必要もない」

 

 ありがたいVIP待遇だ。弓袋の中に突っ込んでいる狙撃銃の事を心配しなくていい。ハワイに行く時はそれこそ色々と手間を掛けたがその心配も今回は必要ない。正に今は狙撃銃が狙いを定めているところ。引き金を引かれたら飛んで行くだけでいい。破格の待遇に「……信じらんない」と御坂さんが呟き言葉を続ける。

 

「学園都市は技術情報の塊よ。そりゃ、なりふり構っていられなかった第三次世界大戦なんかじゃ通常の手続き無視した離発着もあったかもしれないけど、こんな特別待遇を用意したら、独占技術が漏れ出す格好の『穴』に悪用されるわよ」

「つまり、今も危機は絶賛続行中という訳だ。あの戦争と同じ規模か、あるいはそれ以上の。なりふり構っていられる状況だと思っていたか?」

「学園都市はこの問題に参入しないとしてはいるが、それが学園都市の総意という訳でもないという事だ。本当は力を貸したい者もいたり、全て上手くいった時に学園都市も実はちゃんと協力していましたよと証拠を残す意味もあるだろう。学園都市も世界の中ではどちらかと言えば孤立している。今は世界の目が『グレムリン』に向いているが、『グレムリン』が消えた後は…………なるべく目を付けられたくはないだろう?」

「ふへー。大変な事です。でもって、指示待ちって事は基本的に自由時間と考えて良いんですよね? だったら私、向こうのショッピングモールへ行きたいんですけど。今の内に、免税で買っておきたいものもありますし」

 

 真面目な話に片足突っ込み始めたところで、私関係ないですと言いたげなレッサーさんの気の抜けた言葉が話をへし折る。わざわざ今買うべきものがあったかと幾人かが首を捻る先でレッサーさんが一言。

 

 

「そうですね。とりあえず派手な水着を一式」

 

 

 …………時が止まった。

 

 上条は遠くを見つめ、俺は姿勢を正して口を紡ぐ。

 

 なにそれは?


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