時の鐘   作:生崎

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船の墓場 ⑥

「……こっちだ。……次はこっちだ上条」

「おう」

 

 群衆の喧騒の隙間を縫うように路地から路地へ。人の流れに逆らわず、だが混じる事もなく生まれた隙間に体を滑らせ、それが蠢く人々に埋まってしまう前に次の隙間へ。人々が口々に漏らす不安の言葉は耳には理解しきれない音の塊となって届くが、第三の瞳から見つめる世界は強烈な雨に打たれたように乱れて気持ち悪い。一つの大きな世界を前にするのもキツイが、無数の世界を前にするのもこれはこれでキツイ。『不安』を抱く波達に此方の心まで乱されてしまいそうで、背負う狙撃銃の負い紐を強く握り、先を行くくノ一の静謐(せいひつ)とした気配を追う事に神経を集中する。

 

「……次はあっち」

「にしても法水よく分かるな」

「ん?」

「さっきから全然人にぶつからないなって」

「ああそれは……ほら、あそこで釣鐘が何が嬉しいのかニコニコ顔で手を振ってる」

「…………どこ?」

 

 群衆の上を飛び越え、又はその足元をすり抜けて壁に張り付き手を振って場所を指差しすぐ次へ。群衆の中でこそ真価を発揮するとでも言うのか、釣鐘だけ別の世界にいるように滑らかに歩き動いている。周囲を見回す上条にそこにいると指差し教えてやるも、上条が見つけるよりも速く釣鐘は次の場所へと動き手を振った。にしても俺でも見つけられるかギリギリだ。あの忍者俺が見つけられるかどうか遊んでないか? 『釣鐘を探せ』とかやっている暇はない。ただでさえ黒いセーラー服で見つけ辛いのに。とはいえ釣鐘が『時の鐘』にいるのは金の為でもないし、今回の件も含めて雷斧(らいふ)だか嬉美(きみ)だかいい加減外に出す努力を俺もしないと釣鐘に悪いか。約束だし。

 

 人壁を迂回するように歩き続ければ、上条が釣鐘を探す事を諦めたのに合わせるかのように、帝京メトロ丸ノ内線の地下鉄出入り口、その近くの緊急用防災ドアの隣で壁を背に釣鐘は待っていた。俺が最後まで見失わなかった事にどこか嬉しそうな顔と残念そうな顔を混ぜた顔を浮かべて。この天邪鬼忍者め。

 

「二人とも早かったっスね!」

「それはなんだ? 新手の嫌味か? 先に進もう。中に人は?」

「ちらっと覗いた感じいなかったっスよ」

「覗いたのに扉閉めたの? なにそれは? 開けっ放しにしておいてくれよ。鍵かかってるのかと思って蹴り開けるところだった」

「開けた時のお楽しみをお届けしようという心配りじゃないっスか〜」

「その心は別にところで配ってくれ」

「……お前達っていつもそんな感じなのか?」

 

 上条に呆れられたじゃねえか。釣鐘に緊張感がないのはいつもの事。強敵との死合い以外興味の薄い釣鐘にとっては普段の仕事は暇潰しみたいなものだから仕方ないのだが。それを強く咎めない俺が悪いのか、いや、咎めても変わらないだろう事を思えばその労力こそ無駄だ。釣鐘の緊張感のなさは疲れる事もあるが助かる事もある。「そんな感じだ」と自嘲の笑みを浮かべながらドアを押し開け、薄暗い通路に飛び入り走り抜ける。人が減った事で波の世界は若干落ち着いたが、その代わりというように別の波紋が世界を震わす。

 

 薄暗い通路を吹き抜ける熱風。冬から夏に変わったような気温の変化と、急に視界の中でチラついた火の粉に目を見開く。世界を取り巻く魔術の波紋。その振動に揺り起こされるかのように、立ち上った火柱が視界を覆い、炎の人影が屹立する。

 

「────ッ⁉︎」

「ああァァァああああああッ‼︎」

 

 熱気に足が僅かに緩む俺の横から一歩足を伸ばし、振るわれた上条の右拳が炎の人影を穿ち砕く。普段は流され体質の癖に、一度何かのメーターが振り切れれば上条の一歩は迷いなく鋭い。「止まってる時間はねえッ!」と吐き出される上条の喝を笑顔で受け止めながら、緩めていた足を戻し上条に並ぶ。

 

「……変わった能力っスね。その人も死ぬの怖くないタイプっスか?」

「上条に直接聞いてみろよ。多分怒られるぞお前」

「なに笑ってんすか……他の人もそうっスけど、法水さんの友人てなんて言うか」

 

 なんて言うか何だ。眉を顰める釣鐘に軽く目を流し首を小さく振るう。異能や幻想の詳細を理解する事もなく、この世に歪みをならすように迷いなく進む上条は無鉄砲に見えるが俺や釣鐘とは違う。平穏という何でもないモノが普段見せない刃。それに等しい。平和とは守るべき価値があると、俺や釣鐘のようにズレてはいない上条や黒子を見ると改めてそう思える。

 

「法水! こいつらの出てくるタイミング分かるか? 幸いステイルの『魔女狩りの王(イノケンティウス)』みたいな復元能力はないみたいだ! 出た端から叩く!」

「姿を形取ろうとする時に波が膨れるからな。分かる。復元能力もないなら殴らず手で退ける感じで腕を振った方がいい。どうせ触れられれば終わりなんだ。速度を落とさず突っ切るとしよう」

「分かった! 指示をくれ!」

「了解」

 

 舞い散る炎の残骸の中を足を止める事なく駆け抜ける。炎の影が完全に通路の中に立つより早く上条が右手を伸ばすべき方向を指で差し示し、通路の奥で待っている駅のホームに続いているのであろう扉を勢いのまま蹴り開けようとし、慌てて足を止めた。

 

「どうした?」

「……この先すし詰め状態」

 

 顔を苦くする上条に肩を竦めて返し扉を手前に引き開ける。その先に待つ人、人、人。もし強引に蹴り開けていれば何人かお亡くなりになっていただろう程に、扉の先は人でごった返している。先に進むのも容易ではなく、力任せに押入ればドミノ倒しのように何人かホームに落ちるかもしれない。これだけ人で埋まっているという事は、地下鉄はそもそも機能していないのかと首を捻っていると、突如迫って来た振動に目を細めると同時。五両編成の列車が速度を緩める事もなくトンネルから飛び出しまた別のトンネルへと消えて行く。列車が止まらぬ事に罵詈雑言を吐く人々の声を聞き流しながら、一度扉を閉める。人々の不安の波が畝り畝って気持ち悪い。

 

「他人を考慮しなければ強引に進めない事もないがそれはなしだ」

「だな。にしても地下鉄が運行してるってのは……止まる気配もなかったし、臨時で警察とか政府とかが接収しているのか? あれじゃあトンネルの中を歩いて行くのも安全じゃなさそうだぞ。そうなると……列車に飛び乗るしかないか?」

 

 列車が動いているのであれば、それが最も早く済むのは確かだろう。お偉いさんの避難の為か、それとも対抗する為のなにかしらの戦力を運んでいるのかは定かでないが、折角動いている列車を使わない手はない。とは言えホームから飛び乗るのは人がいようがいまいが厳しい為、狙うのなら列車の上。上条と頷き合い扉から振り返った先で、少し離れたところにいた釣鐘が天井を指差し立っている。

 

「ここから行けそうっスよ? この大きさなら通れるんじゃないっスかね」

 

 近くにある煙の逃げる経路を示した表示板へと釣鐘が目を流す。駅構内のトンネルの広さや高さまで書かれている表示板を見るに確かに列車の通るホーム上部まで行けるようであるが。

 

「ダクトから全員一緒に飛び乗れるか? 広さ的に一人づつしか飛び出せないだろ」

「私が先に行って壊れ易いように傷つけておくんで、後は法水さんが天井をぶっ壊して三人で降りればいいんじゃ?」

「……マジで言ってる?」

 

 返事はない。釣鐘の中ではもうそれに決定しているらしく、言うが早いか天井のダクトの覆いを取り外し、スルリと中に入って行ってしまう。ダクトの入り口に飲み込まれるかのように滑り込みはためくスカートと泳ぐ足の絵面は中々にシュールな絵面であり、肩を落としながらダクトに入る為、狙撃銃の銃身を取り外し軍楽器(リコーダー)をバラす。それを懐に戻しながら上条に先に行けと顎でダクトの入り口を差した。

 

「俺? あー……いやぁ」

「何だ歯切れの悪い。最悪壊せなくても釣鐘に引っ張って貰えば列車の上に二人は…………あぁ、別に釣鐘のスカートの中を覗いても不可抗力だ。バゲージシティの時も思ったけどな、こんな時にスカートを履いてる方が悪いのさ」

「そういうこと普通に言うな! 大丈夫とか言われても、照れ隠しで後ろ蹴りでも放たれればきっと鼻血じゃすまねえぞ! 『船の墓場(サルガッソー)』に辿り着けても、グロッキーなボクサーみたいな顔面ボコボコはいやだぁ‼︎」

「喚くな。さっさと行け。嬉し恥ずかしイベントじゃないか、よかったね」

「無慈悲か⁉︎」

 

 喚く上条をダクトの入り口に放り投げ、さっさと行けと背を小突く。這って進む関係上少女の絶対領域は必ず目の前に来てしまう訳ではあるが、一時の羞恥心を一々気にしている時間はない。普段の行い的に上条が嫌がるのも分からなくはないが、稲妻を吐き出してくる御坂さんや噛み付いてくる禁書目録(インデックス)のお嬢さんではないのだ。釣鐘なら多分気にしない。

 

「ほら行け上条、大丈夫だから。……多分」

「今多分て! 多分て言ったろ!」

「多分言ってない」

「ほら言った! 上条さんはしっかり聞いたぞ!」

「今は言った。ほらほらほら、Hurry.Hurry!」

 

 上条をダクトの奥に押し込み、俺もその後に続く。張って進まなければならないが、そこまでダクト内は狭い訳でもない。「なにも見えない……俺は地蔵だ」と謎の自己暗示をしている上条の呟きは聞き流しながら、売店や飲食店、駅内の湿気が充満する小汚いダクトを進んだ先。直角に折れ曲がった箇所を幾らか越えたところで上条が止まった。

 

「着いたか? ならもうちょっと進んで出口を確認させてくれ。飛び出すタイミングを計りづらい」

「押すな押すな! いろいろやばい⁉︎」

「流石にスカートの中に顔突っ込まれたら蹴り殺すっスよ?」

 

 なんとも物騒な釣鐘の言葉にあわつく上条へと背負っていた狙撃銃を手渡しながら、ホームに繋がる穴を塞いでいるダクトの覆いを取り外す。釣鐘が壊れ易いように傷を付けてくれたダクトの強度を確かめるようにダクトの壁を軽く小突き、出口から這い出てくるような波に指を這わせた。

 

「……それにしてもあの炎の人影、急に出て来たと思ったら出て来なくなったな。此方としてはありがたくはあるが」

「こっちの移動速度や広さに条件でもあるんじゃないか? 避難通路に入って一気に速度上げたら出て来たし」

 

 それなら列車の前に現れていないのがおかしい気がするが、考えても分からない事は放っておく。上条に適当な相槌を返してもう数度ダクトの床を小突く。ダクトの広さ的に、ダクトを壊し上条と釣鐘を纏めて落とせるだけの威力は出せそうだが、問題は着地。釣鐘は上手くやるだろうが、上条が少し怖い。ので、

 

「上条、狙撃銃を手放さず握っておけよ。お前の体勢が崩れそうになったら負い紐掴んで手繰る」

「分かった」

 

 不恰好に狙撃銃を握り締める上条に一度目をやり、浮き上がってくるように芯に届く低音を感じ、細く鋭く息を吐く。鋼鉄の唸る波を巻き取るように、体に一本芯を通すイメージで、頭からつま先までを固定し身を捻る。力を直球で絞り出し、起こした波をそのまま膨らませ増幅し叩きつけるようにダクトの底に肘を落とす。

 

 ダクトの底にヒビの入る鋭い音が駆け抜ける。すぐにそれは低音に飲み込まれ、生まれた浮遊感の中に身を浸す。ダクトの破片が散る視界の端で上条を捉え、宙を泳ぐ狙撃銃の負い紐に右手を伸ばした。

 

 

 ─────ゴッ!!!! 

 

 

 一瞬。走り抜けようとする鋼鉄の列車が眼下に映ったと同時に足がつき、速度が俺達を置き去りにしようと滑る。背後に一度転がり勢いを殺して列車の天井に指を這わせて踏ん張る。が。

 

「づ────ァッ‼︎」

 

 手にした負い紐に背後に引かれる。右腕に掛かる狙撃銃と上条の重さに身を起こされ、その体勢のまま後ろに滑る。幸いにトンネル内は立つだけの高さはある。看板などの障害物に上半身を千切られないのはありがたい。身に降りかかる風圧と腕に掛かる重さに引かれて転げ落ちそうになる体を、上半身をムリクリ倒そうとしながら、滑る手のひらに力を込めた。

 

「法水さん!」

 

 一人早く綺麗に身を転がして勢いを殺し切った釣鐘が、身を捻りながら紐の付いた短刀を俺に向かって放り投げた。顔の横を掠めるように飛来する短刀の柄を掴み取る。

 

「ナイスだ釣鐘!」

「当然! て、ァァァァ────ッと‼︎」

 

 ずるずるずるずるッ。

 

 得意げな顔を一瞬浮かべるも、釣鐘の体一つで俺と上条を支えるのは無理があったか、釣鐘も漁師が網を手繰るように両足を伸ばして踏ん張ってくれるが車両後方に身が流れる。徐々に後方に流されて行く体が上手く止まってくれない。上条だけでもなんとか車両の上に乗っけようと腕に力を込めたところで、びんッ! と張った釣鐘に短刀から伸びる紐。車両の繋ぎ目に足を掛けた釣鐘のおかげで、余剰の勢いを殺し切れた。一瞬の停滞を挟んだ後、三つの体が同時に列車の上に倒れ転がる。

 

「割とマジで焦った……助かったよ釣鐘」

「列車から落ちて死ぬなんてつまらないのは嫌っスからね。お互いに」

「まったくだ。上条は無事か?」

「……けほっ、背中がぞわぞわする……」

 

 列車の上に伏せたまま、身を捩り上条から狙撃銃を受け取る。これでなんとか速い足は確保できた。『船の墓場(サルガッソー)』まで後どれだけ距離があり、時間がどれだけ掛かるのか。船の墓場が浮上しただけに『槍』の完成まで時間はそこまでない筈だ。リミットの分からない時間が一番の敵。歯噛みし顔を上げた先で、暗闇が白に塗り潰され思わず目を細めた。

 

 トンネルを抜けて外に出た。肌を撫ぜる風を受けて少しばかり身を起こす。

 

 ゴンッ! と鋼鉄の床を踏む音がした。

 

 既に着地した俺や上条、釣鐘ではない。光に目がまだ上手く慣れずとも、波の世界を見つめる瞳は別。車両の前方。新たな人影。シルエットからして女性であるが、ただそのシルエットのバランスを崩す違和感が。腹部。自分以外、もう一つ命を抱えた妊婦のようなシルエットに、意識せずとも口端が強く落ちる。

 

「んふーふー☆ ムスペルの撃破数のランカーで標的決めてみたけど、やっぱり予想通りの対戦カードになっちゃったかー。ま、この路線だけ作為的に破壊せずに残しておいた事で、強敵が吸い寄せられるようには調整していたんだけど。あなた達悪食コンビってほんと厄介」

「アンタは……?」

「フレイヤ。北欧神話の女神様、って言えば大体の事情は分かるんじゃないかしら? 列車の中だからって妊婦に気遣う必要はないわ。屋根の上に優先席なんてないんだし、そもそもあなた達にそんな余裕はないだろうからね」

 

 ゆったりとしたマタニティドレスを風に揺らし、上条の零した疑問に躊躇うことなくフレイヤは答える。なんとも言えない感情が身の内に畝る俺の横で、紐を手繰り寄せて短刀を握り身を落とした釣鐘の眉尻が小さく跳ねた。

 

 列車が新たな乗客を一人上に乗せ、再びトンネルの中に突っ込んだ。蛍光灯の光が走る暗闇に中で、静かに魔術師は言葉を続ける。風に運ばれる魔術師の言葉を聞きながらも、短刀を構えた釣鐘はまだ動かない。それは俺も。意識は魔術師に向けているが、俺も釣鐘も瞳の向かう方向は下。

 

「一応は光栄に思って良いのよ? 現状、あたし達『グレムリン』にとって一番厄介で、真っ先に倒すべき敵だって判断してもらえたんだからね☆」

 

 魔術師の言葉が終わる刹那。手近の上条の服の襟を掴み力任せに手繰り寄せる。

 

 するりっ、と。

 

 音はなかった。上条と釣鐘が目を見開く。列車の天井から刃が伸びた。無骨な日本刀の刃が上条の居た場所に突き出している。静かに伸ばされた刃は、ただ次は鋭い音を立てて列車の天井を切り裂くと、生まれた穴から新たな人影がのっそりとした動作で列車の上に這い出てく穴の縁に腰掛ける。

 

 見た目からして釣鐘とそこまで歳が変わらないだろう少女は、セーラー服の腰に日本刀の鞘を差し、長めの黒い癖毛を手で後方に流しながら笑みを見せる。『予想通りの対戦カード』。そうフレイヤが言っていただけに、相応の手札を準備して来たということ。ただそれは、おそらく魔術師ではなく、能力者でもない。千年以上の時を越えて運んで来た剣技を振るう生粋の武人。

 

「列車とか、飛行機とか、便利な乗り物が世の中に増えても結局自分で動く時は動かないといけないなんて気怠いですよね? 冬も夏も嫌いです。できるなら快適な部屋に篭っていたいって、そうは思いませんか?」

「……誰だ?」

「あらひどい、ひどいですわ。悲しくなっちゃう。泣きませんけど。昔よく遊んでくださったではありませんか。剣技の練習台としてですけれど。 北条(ほうじょう) 八重(やえ)です。ごきげんよう、お兄様」

 

 舌舐めずりをして少女は笑う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「用は済んだ」

 

 ベルシが告げた。名工が作り上げたような、無機質な白い少女を中心に花開く、同じく純白である八枚の花弁。『主神の槍(グングニル)』を作る為に科学と魔術を混ぜ合わせて作られた『未元物質(ダークマター)』の芸術品を目に、座りながら垣根帝督は舌を打つ。魔術という不純物の混入。未元物質(ダークマター)だけで作られたものならば垣根の意思で繋ぎ目を四散させる事など造作もないが、魔術という必要もない要素が混ぜ込まれている所為で、未元物質(ダークマター)だけをバラそうにも、直接触れなければバラせない。何よりも、直接触れたところでバラせるかどうか。鼻先から垂れる鼻血を腕で拭い、気怠い頭痛に襲われている頭を軽く左右に振る。

 

(何が混ざってるか分からねえが、軽く触れただけで二日酔いになった気分だ。こいつらの技が何かは知らねえが、分からねえ事は分かった。なら後は第一位の野郎が未元物質(ダークマター)のベクトルを操作したように、理解不能な要素を組み込んで演算すりゃいいだけだが、肝心な組み込もうとする段階で拒絶反応みてえに調子が崩れる。無限を持つ未元物質じゃなけりゃ、それだけで行動不能になりそうな感じだ。最初下手に手を出さなくて正解だったが……)

 

 そこまで時間も掛からずに『グレムリン』の欲していただろうものは形になってしまった。『グレムリン』としては、結局のところ必要とする材料さえ得られればいいのであって、未元物質(ダークマター)さえ手に入ってしまえばその後の垣根の演算能力などが必要な訳ではない。それにしたって、ある種の無限を未元物質(ダークマター)が得た事がバレているだけに、『これ以上未元物質(ダークマター)は出せない』といった簡単な嘘さえ通じない。

 

 更に、できてしまった完成品。垣根にとってのタイムリミットになってしまった。これまで手を出されなかったのは、偏に垣根が不本意でも協力していたからだ。物が完成してしまえば、これまで協力した事など関係なく、垣根は邪魔者でしかない。どのリミットを過ぎてしまった。

 

「この全体論を含めて、後はマリアンの領域だ。さて……」

 

 花弁に突き刺さっている無数のケーブル。その最後の一本を繋ぎ終え、ベルシが垣根へと振り向いた。笑っている訳でも苦い顔をしている訳でもない無表情なベルシの顔を垣根は瞳だけで見上げ、ベルシの背後に立つ魔女へと目を移す。

 

「この先も協力するなら力を借りてやらないでもないと思っていたが、その目を見る限り誘いは必要なさそうだ」

「当たり前だろ、例え誘われてもお断りだ。協力すれば解放するなんつう見え見えの嘘で釣られるとでも思ってたのか? 作っていた物ができた瞬間に壊されるのが何より一番ムカつくよな? 我慢てのはこういう時の為にするんだよボケ」

 

 垣根が自らを翼で覆った瞬間、未元物質(ダークマター)が弾けたように爆発的に広がった。おもちゃ箱をひっくり返したように、空間を埋め尽くすように蠢き走る垣根の影。地を這い、空を舞い、宙を滑る垣根の影達は一斉に白い花弁に殺到した。

 

 その指先が白い少女に触れる。

 

 その間際、オティヌスが腕を振るうそれだけで、未元物質(ダークマター)の壁が霧散する。綿のように未元物質(ダークマター)が吹き散らされる中、差し伸ばされたオティヌスの腕に掴まれた垣根の影。未元物質(ダークマター)で作られた垣根の影を発泡スチロールを砕くかのようにオティヌスは軽く握り潰し丸めてしまうとちり紙のように海へと捨てた。

 

「……逃げたか鬱陶しい。ベルシ、迎撃しながら奴を追え。追うついでに必要なものを必要なだけ破壊して時間を稼げ」

「…………了解した。オティヌス、此方も力を借りた以上は力を貸すが」

「行け」

 

 全てを聞く事なくオティヌスはベルシに向けて軽く手を振り、離れて行くベルシの背を眺めることもなくオティヌスはため息を零す。己を未元物質(ダークマター)で包み込み最大限気配を消しながら、無数の分身と共に空を走る垣根を捉えようと思えば捉えるのはオティヌスにとって造作もない。ただその間に何度力を振るう事になるか。成功と失敗。五〇対五〇。成功率は高いとも言えず低いとも言えない。

 

 とは言え今垣根が必要とするのは逃走の成功。空を飛ぶ垣根帝督の翼をへし折るモノは今はもうない。溶かしてくれる太陽をその目で拝む時まで。

 

 

 

 

 

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