時の鐘   作:生崎

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御使堕し ②

 海の家の一階。丸テーブルを囲むように座る上条一家を見る。

 

 なんとも珍妙な集団だ。

 

 禁書目録(インデックス)のお嬢さんに御坂さん。中身は上条の従兄妹と母親とのこと。言われなければ絶対分からない。時の鐘本部に突如現れた柵川中学の一団のように、身近な知り合い同士の外見が入れ替わる法則でもあるのだろうか。ただ不思議なのは上条の父親は外見も中身も変わっていないそうで、土御門曰く「『御使堕し(エンゼルフォール)』の副作用は椅子取りゲームみたいなもんだからにゃー、上手いこと元の席に座れた例外がいてもおかしくない」ということらしい。

 

 まあ魔術師ではない上条父に『御使堕し(エンゼルフォール)』なんていう大魔術を使う事はできないだろう。土御門と神裂さんのお墨付きだ。上条と違って運のいい事だ。

 

 そんな一団の少し外を俺とボスと神裂さんの三人で囲ってるわけだが、よほど目立つのか他の客の目が痛い。しかもさっきもまたナンパされた。上条に笑われたので殴っておいた。土御門がいないのは見た目が某有名アイドルになっているためであり、護衛の邪魔という事で退去頂いた。しかし何というかこう一家団欒の会話を盗み聞いていると今まさに世界の危機と言われても信じられなくなってくる。世界は変わらず平和そのもので、慌てているのははみ出し者だけだ。

 

 一応俺達三人は上条の友人であるという紹介をしたためか、これまで家族内だけで会話していたというのに、気を遣ってか少し離れた所にいる俺達に、上条の父親が話しかけてくれる。

 

「当麻の父です、初めまして。しかし当麻の知り合いにこんなに外国人の知り合いがいるなんて、やっぱり時代は国際化が進んでいるんだなあ。あ、お近づきの印にエジプトみやげのお守りをあげよう、はいスカラベ」

 

 何でスカラベ? 隣で神裂さんがホルスの目云々と魔術師である事を隠す気もないような魔術知識を披露して上条父のフォローをしているが、突っ込まれたらなんて言い訳する気だろうか。スカラベで話を広げたりしたくないので静観を決め込む。ボスもそのつもりのようで一人紫煙を吐き出しながら海を眺めていた。俺はボスを眺めていたい。

 

「法水! お前もそう思うよな?」

「え? ああ聞いてなかった」

「だから食卓にフンコロガシの死骸を持ち込むなんてのはダメって話!」

「どっちでもいいや。別にそれを食うわけじゃないだろ」

「いやそうだけども!」

 

 よくもまあスカラベ一匹でこうも盛り上がれるものだ。学校でするような他愛もない話をしているとどうも上条一家の視線が痛い。特に御坂さんからの視線が凄まじい。

 

「おにーちゃんさっきから思ってたけどその人と随分仲良いんだね」

「まあクラスメイトだし、寮の部屋も隣だからな」

「あらあら。当麻さんも隅に置けないわね」

 

 上条母の生暖かい視線。

 

 いや、いやいや……いやぁ。

 

 そう言えば俺は結構な美人に周りからは見えるんだった。上条や土御門といると普段と変わらないから油断していた。上条の従兄妹さんと母親の視線の意味を考えると真冬のような寒さに包まれる。

 

「それに皆さんとっても日本語が達者なのね。おばさん感心しちゃった」

「あ、いや、はい。お気遣いなく」

 

 上条母の言葉に神裂さんが見るからに動揺した。まあ俺達から見れば大和撫子の美人だからな。その見た目で日本語が達者と言われても馬鹿にされてるようにしか思えないだろう。俺はスイス人だから。

 

「あらあら、物腰も丁寧で。大柄でがっしりした人だから、おばさん最初は違うイメージを抱いていたけど」

 

 ぷふッ、とボスが隣で小さく噴き出した。ボスのツボはどうやらこういったものであるらしい。それはしっかりと神裂さんの耳に届いているようで、キツく絞られた目がこちらを睨む。

 

「そちらの人は小麦色の肌で快活そうなのにクールだし、やっぱり人は見かけによらないわね」

 

 そうボスを見て上条母がそう言うので、ボスの変わった見た目にピンと来た。多分ロイ(ねえ)さんだ。身近な人の見た目が入れ替わるの法則なら十分あり得る。クールなロイ(ねえ)さんとは少し見てみたい気もするが、呆気にとられて風邪だと疑ってしまうかもしれない。

 

「それにこんな綺麗な紫陽花色の髪をした子が当麻さんのクラスメイトだなんて、地毛なのかしら?」

「え?」

 

 紫陽花色? まさかな。……まさかな。隣で遂にボスが噴き出した。お腹を抱えて何とか笑いを噛み殺している。

 

「おにーちゃんそういう人がタイプなの? 日焼けしてる子が好み?」

 

 褐色の肌、紫陽花色の髪。

 

 俺の思い当たる人物は一人しかいない。不思議な顔をした上条が俺の顔を見て口端を引き攣らせた。なに? そんな見てられないような表情になってるの? 

 

「まあまあいいじゃないか、父さん国際結婚もアリだと思うぞ?」

「はあ⁉︎ 父さん何言ってんの⁉︎」

「あははは! やばいわ! もう無理! 良かったわね孫市」

「ぐ、う、カレンのやろおッ⁉︎ ボスなんて嫌いだああッ‼︎」

 

 この場に居たくないのでダッシュで海の家を飛び出す。弓袋はしっかりと手に持って。反対の手で上条を引っ掴み俺は渋々土御門の元へと向かう。カレンの顔で愛想を振りまくくらいなら土御門と一緒にいる方が俺にとっては遥かにマシなのだ。

 

 その後、よっぽど上手く隠れていたのか、十分程辺りを歩き回りようやく土御門を見つけたのは海の家奥の風呂場であった。風呂場の中には誰かがいるのか、曇りガラスの向こうにシルエットが映る。その扉の前で土御門は頭の上で手を組みながら、つまらなそうにしていたが、俺と引きずり回した結果ボロ雑巾のようになっている上条を見るといつもの笑顔を浮かべて手を挙げてくる。

 

「おっす、カミやんに孫っち。こんなとこで何やってんだぜーい?」

「あそこにいるのが苦痛だから逃げて来たのさ、土御門さんは?」

「ねーちんが風呂だって言うから見張りだにゃー」

「そうか」

 

 早々に土御門との会話が終わり沈黙が訪れる。俺と土御門の間柄はこんなもんだ。上条が間にいれば俺も土御門もどこにでもいる学生のように振る舞うことができる。

 

 が、それがなければお互いプロだ。

 

 仕事に引っ張られて土御門とは上手く口がきけない。土御門のことは別に嫌いではない。それは本心だ。きっと土御門がスパイでなければもっと仲良くできるだろう。だがスパイというその肩書き一つで、俺が気を抜いてはいけない絶対線を強く引くのだ。

 

 しばらく無言で土御門と目を合わせていると、足元で上条が復活したようでムクリと体を起こす。上条が身を起こせば俺と土御門の友人ごっこも復活だ。

 

「土御門? お前こんなところで何やってんだ? お前周りから見れば修羅場中の野郎アイドルに見えるんだろ」

「だから見張りだぜい、それにバレなきゃ良いんだにゃー、これ土御門さんの基本概念でね」

 

 あははと笑いながら少し周りを気にしてむにむにと土御門は口を動かす。俺は外そうかと思ったが、土御門に目で引き止められる。

 

「……、ごめんな。カミやん」

「何が?」

「実はカミやんがこれまでいろいろピンチだった事は知ってたんだ。錬金術師の砦に向かった時とか、二万人の人形の虐殺実験とか、色々だぜい。それを知ってて見殺しにして来た。だからゴメンって言ってんだにゃー」

 

 律儀な奴だ。そんな事わざわざ面と向かって言っても意味ないだろうに。

 

 土御門は上条に殴られたいんだろう。自己嫌悪の想いを打ち壊して欲しいのだ。

 

 見損なった。絶交だ。心を容易く裂いてくれる言葉を上条が言うような奴ならどれほど楽か。

 

 だが、そうでないからこそまた心が痛む。俺や土御門みたいな奴にとっては上条のような男は天敵でしかない。その証拠に土御門の言葉に対する上条の返答は無言。それに耐えかねたように土御門は言葉を続ける。

 

「やっぱ、『力がないから何もできない』のと『力があるのに何もしない』ってのは全然違うぜよ。これでも土御門さんも色々悪かったなと思ってるんですたい」

「いんじゃねーの、別に。それに土御門が法水を護衛にくれたんだろ? おかげでインデックスの時は助かった」

「まあ『力がないから何もできない』奴らのために俺達はいるわけで、報酬はきっちり貰うけどね」

「そっか」

 

 あんまりに土御門が土御門らしくないのが気に触る。しかし上条の言葉を受けてすぐにいつもの調子に戻ったようだった。一言置いて笑顔を浮かべ、俺と上条の肩に手を回してくる。

 

「そんなら、いっかにゃー。んじゃ、ブルーなイベントはここまで。こっからが本題ですたい」

「本題?」

「ざざん、神裂ねーちん生着替え覗きイベント‼︎」

 

 こいつは何を言っているんだ?

 

 急に元気になり過ぎだろう、聖人にちょっかい出して無事に済むわけがない。そんな必死いらない。急激に身体の力が抜ける俺の隣で上条と土御門が喧しく言い合っている。こんなに騒いでいたらそもそも気が付かれるのではないだろうか。興味と気力の失せた俺と上条の肩をポンポン叩きながら土御門は言う。

 

「神裂ねーちんはよう、脱いだらきっとすごいんだぜい」

「すごッ⁉︎」

「興味ないんで帰っていい? 俺まだ死にたくない」

「おいおい孫っちテンション低いぜい? よく考えろ、ねーちんが風呂に入ってるんだ。一人でだと思うか?」

「なに?」

 

 僅かに身体に力が入る。それを察したように土御門の笑みが深くなり、俺の顔を覗き込んだ。

 

「孫っちのとこのボスさん、日本の風呂は初めてだそうだにゃー」

「な、お前! ……土御門‼︎」

「余計にダメだろ! 大体お前は神裂の仲間なんだろ! 見張り引き受けといてそんな裏切りはまずいだろ!」

「はっ、何を仰いますやら。イギリス清教『必要悪の教会(ネセサリウス)』の潜入工作員・土御門元春。『背中刺す刃』こと『嘘つき村の村民』とはこのオレのことだぜーいっ!」

「うわーっ! そんな奴と一緒に危ない橋なんか渡りたくねえ!」

 

 喚く上条とニヤつく土御門。こいつボスに覗きを仕掛けようなんて正気か? 命がいくつあっても足りやしない。しかもこの俺の目の前で堂々とボスへ覗きを仕掛けると宣言しやがるとは、こいつ、こいつぅ‼︎

 

「作戦はどうする土御門、早くしろ、どうなっても知らんぞ‼︎」

「あれえ⁉︎ ちょっと法水さん⁉︎ まさかの乗り気⁉︎」

「さっすが孫っちは話が分かるぜい!」

「どうやら俺は今まで勘違いをしていたようだ。土御門、これからは仲良くやろう是非そうしよう」

「お前らこんなんで友情深めてんじゃねえ⁉︎ 」

「馬鹿! お馬鹿さん‼︎ 腹を括れ上条‼︎ ここで行かなければもう一生チャンスはないかもしれないんだぞ‼︎」

「カミやーん、自分に正直になろうぜい?」

「何でそんなやる気まんまんなんだお前ら‼︎ 大体お前らの守備範囲はもっと小さく幼くじゃなかったのか、このシスコン軍曹にロリコン傭兵さんよお‼︎」

「キサマ! その名でオレを呼ぶな! 大体なんの根拠があってそんな事を言う⁉︎」

「そうだ! 土御門はまだしもロリコン呼ばわりされる覚えは俺にはねえ! 俺のタイプは今も昔もボスだけだ‼︎」

「いやリアル義妹にラブなんて普通じゃねえよお前。お前もお前の部屋に度々女子中学生が遊びに来てんの上条さんちゃんと知ってるからね」

「ぶごはっ! ら、ラヴじゃないよ誰がそんな事言ったんだにゃー⁉︎」

「アレは俺を訪ねて来てんじゃねーんだよ! 居留守使っても電子錠を無理矢理こじ開けられる俺の身にもなれやあ⁉︎」

「お前ら、法律で許されれば何でもやって良いって話じゃねーだろ、な? 法水さんは犯罪です」

「や⁉︎ やややややヤルって、何を? ナニを⁉︎」

「だから違うって、違うって言ってんだろうが⁉︎ ロイ姐さんかお前は‼︎」

「え、なにその動揺っぷりは? ちょっと待てよ。土御門さんに法水さん、あなた達まさか本当に……?」

「やめろ探るなそれ以上一言でもしゃべりやがったらぶっ殺して差し上げるぜいッ‼︎」

「オーケー、今回の仕事は失敗だ。なあに一発までなら誤射、一発までなら誤射だからしょうがないね‼︎」

 

 土御門が強く肩を組んで来ているせいで弓袋が解けねえ! 三人でわちゃわちゃとやっていたが、後ろの床板が軋む音が僅かに響き、土御門はあっという間に姿を消した。だが、それは俺も同じだ。大衆で銃を広げるわけにもいかない。ある種無法地帯である学園都市ならまだしもここは学園都市の外。銃刀法違反でしょっぴかれたくはない。

 

 近くの屋根の上に登り様子を伺うと、やって来たのは御坂さんと禁書目録(インデックス)のお嬢さん。上条の従兄妹と母親だった。しばらく三人で何かを話すと、上条の従兄妹が上条を風呂の脱衣室へと放り込みやがった。しばらくして聞こえる剣撃と銃声。

 

 俺を差し置いてボスの裸を見るなんて……上条殺す。

 

 

 ***

 

 

 ブツン、と急に海の家の電気が落ちた事に気がつくまでにかかった時間は数秒もない。夜十時。上条に制裁の鉄拳を見舞ってから、ボスは遠距離から護衛するということなので、俺は上条の隣で護衛をしていた。魔力も超能力もない俺ならばただの友人として上条の隣にいても何の不思議もないからだ。それに夜こそ魔術師達の時間帯。月は魔力の源なんていう話は昔からよくあることだし、何より人目が少なくなり闇に紛れやすいこの時間は、世間に存在を隠している魔術師達にとって都合がいい。故に海の家『わだつみ』の一階で二人、テレビを見ながら、適当な会話をしながら周りを警戒していたのだが、その矢先のこと。

 

 来た。

 

 停電に思わず上条は天井の蛍光灯へ目をやっているが、これはただの停電ではない。外へと目をやれば灯りの点いた建物の光は消えずにそのままある。つまり一帯が停電になったわけではなく、ここだけが停電になった。機器を繋ぎすぎて停電になったわけではない事は分かっている。ならばこれは人為的なものだ。

 

 外からやられたとは考え難い。なぜならボスがこの建物を遠くから見守っている。それならば怪しい者が近付けば分かるはず。

 

 ボスが見逃すとなると敵はボスが見張りに行くよりも早くこの建物に居たことになる。各部屋は一度見回った。二階は土御門達がいるのだ見逃さない。

 

 なら残った場所は、

 

「下だ」

 

 ガサッと丁度下で物音がした。床板の隙間からこちらを狙っていたりするのか、上条を肩で軽く突き飛ばしてやると、木の板を突き破り大型のナイフが上条がいたところの床から伸びてくる。

 

 乱暴に突き出された刃は、木に挟まれてギチギチと耳障りな音を立てて引き戻されていく。

 

「逃すか」

 

 それより早く渾身の力で床を殴り抜き、俺の手はしっかりと襲撃者の服を掴んだ。肩か腕か腰か足か。掴んだ場所などどうでもいい。全身の筋肉を無駄なく稼働させ、暗い穴倉に潜む不届き者を引っ張り上げる。木々の床を大きく捲りながら現れた黒い影を、俺はそのまま壁に向かって叩きつけた。

 

 棚が崩れテレビが飛んで行く。

 

 十数秒前にあった楽しい海の家での一時はあっという間に崩れ去り、手榴弾が破裂したかのように室内は掻き混ぜられた。

 

「お、おい法水?」

「仕事だ上条さん、俺から離れるなよ」

 

 上条さんを背に追いやって、部屋の小物と木の破片に埋まった襲撃者に目をやれば、よろよろと立ち上がってくる。見た目は作業服を着た痩せぎすの中年男、しかし至る所に腫れものがあり、ギョロリとした異様な眼。不快感というものを詰め込んだような男だ。

 

「お前がどこの魔術師かは知らないが勘違いだ。犯人は上条じゃない。だからさっさと帰るか真犯人を追ってくれ」

 

 俺の言葉は聞こえていないのか、こちらに向かってくる中年男。しかし、どうも変だ。襲撃者には間違いないのだろうが、動きがどうも単調すぎる。男が突き出して来たナイフを蹴り上げて弾き、そのまま振り落として肩へと落とす。メキリという音と共に男の手が垂れ下がり後ずさったのを見て距離を詰めた。無防備な腹部へ一撃、勝ちあげるように肘を落ちて来た顔へ。伸び切った足の膝に踏み落とすように足を落とせばボキッと木がへし折れるような音が響く。

 

 男は痛みからか泡を吹いて動かなくなり、魔術も使うことなく呆気なく襲撃者は床に伸びた。

 

「えぇぇ……、こんな腕でよく上条さんを襲いに来たな。褒めるところは床下に隠れていた忍耐力くらいか?」

「いや、いやいや、対応できる法水がおかしいんだって。でもこれやりすぎなんじゃ、腕も足も変な方向向いてるぞ」

「襲撃者に何言ってるんだ。問答無用で殺さないだけ褒めて欲しいね」

「頼むから今回はそれやめてくれよな」

「分かってるさ」

 

 初春さんといい最近は敵でも殺すなという注文が多くて困る。襲撃者とは理由があるから襲ってくる。その襲撃を止めるには、殺さないのであればその理由を消してやるしかない。襲撃者が一人ならそれでもいいのだが、どこからどれだけの数の襲撃者が向かって来ているのか分からない以上襲撃者を最も効率よく排除する方法は殺すことだ。それも相手に真の大義があるわけでもなく勘違いで突っ込んで来ているのだ。一々情けをかけるのは少々疲れる。それに手を抜ける程俺は強くない。そんな風に肩を落としていると、男の顔を見ていた上条が「あっ」と声を上げた。

 

「こいつ……火野神作だ! さっきテレビでやってた脱獄死刑囚!」

「はあ? 魔術師じゃないのか?」

 

 床に散らばった新聞からそれらしい一枚を手に取り男の顔と見比べてみる。本当だ。

 

「え、たまたま逃げ出した死刑囚がたまたまこっち来てた上条と同じところに逃げて、たまたま上条を襲ったの? おいおい」

「う、ぐ」

「今回は叫んでもいいと思うぞ」

 

「不幸だー!」と上条が言おうと口を開けた瞬間、視界の端で赤い光が瞬いた。何か言うより早く本能が上条を突き飛ばす。お決まりの台詞の代わりに変な息を吐き出し尻餅をつく上条と俺の間に、赤い服を着た少女が降り立ったかと思った瞬間、

 

 ──ガギンッ! 

 

 という音が響き少女は壁をぶち破って吹っ飛んだ。宙には金属の破片と弾丸が浮き、ゆっくり地面に落ちて行く。

 

 狙撃。流石ボスだ。

 

 だが、それは新手の襲撃者もだ。地面に転がる弾丸。ボスの狙撃を弾きやがった。

 

 穴の空いた壁から、なんでもないというようにSM趣味の露出が多い服を着込んだ金髪の少女が歩いて出てくる。

 

 本番か。そう思い身構えたが、空を裂くような鉄の唸り声が薄っすらと耳に届き、俺は襲撃者ではなく上条の方へと飛び付いた。間髪入れずに砕ける天井。

 

 屋根を貫いたものは、しかし床は貫かず、脱獄死刑囚が持っていたナイフが赤ん坊に見えるような大剣を薄い木の床に突き立てた。

 

 風に揺れるところどころグラデーションがかった青い髪。月の光を飲み込む褐色の肌。ゆったりした紫と黄色のストライプ柄のズボン。上半身は装飾すら削ぎ落としたような無骨な鎧を着込んでいる。両手を大剣の柄の上に乗せ、偉そうに俺と上条を見下ろす鋭い眼。俺が最も嫌いな女の登場だ。

 

「貴様、バチカンの(めい)を断ったかと思えばこんなところにいるとはな。つくづく癪に触る男だ」

(めい)じゃなくて仕事の依頼だ。仕事っていうのはな、選ぶ権利があるんだよ」

「馬鹿な、バチカンの(めい)とはそれ即ち神のお言葉。それを聞かぬなど人として愚行である」

「お前に言われなくたってどうせ俺は愚かだよ。何かに縋らなきゃ前にも進めぬ寄生虫が」

「吹いたな貴様。今宵こそようやくそのそ首叩き落としてくれる」

「やれるものならやってみろ、そんな風に睨みやがって、そんなんだから子供に嫌われるんだ」

「余計なお世話だッ‼︎」

「あの、法水?」

 

 上条の手がポンと肩に置かれて我に返る。どうもこの女だけは駄目だ。どうしてか食ってかかってしまう。

 

 顔を一度小さく振って状況を見直す。

 

 SM魔術師は隙であったにも関わらず、動こうとせずにこちらを観察しているだけ。カレンに関しては今にも俺に斬りかかってきそうな剣幕だ。

 

 誰が敵で誰が味方か。

 

 傍観しているSM魔術師はよく分からないが、間違いなくカレンは敵だ。しかし困った事に今手元に弓袋がない。火野神作と闘った後上条に飛びついたせいで今はまだ床の上だ。頬を伝う冷や汗をカレンにバレないように隠しながら距離を取る。

 

 後ずさる俺と上条の背後の襖が、場の緊迫した空気に耐えられないというように開かれた。

 

「そこまでだ、全員落ち着け」

「土御門! 神裂!」

「すいません、対応が遅れました。私達はイギリス清教『必要悪の教会(ネセサリウス)』です。失礼ですが名前と所属を伺ってもよろしいですか?」

「……解答一。ロシア成教、『殲滅白書』、ミーシャ=クロイツェフ」

 

 僅かの間を置いてSM魔術師の方は答えてくれる。わざわざロシアから見たところ一人でやって来るとは、ご苦労な事だ。だというのにカレンの奴は口を引き結び喋ろうとしない。どうせ異教徒とは口を聞きたくないとかいういつものワガママだ。仕方がないのでカレンを指差し俺が口を開く。

 

「こいつはスイスの魔術結社、『空降星(エーデルワイス)』のカレン=ハラー。ローマ教皇を守るバチカン勤務のスイス傭兵にして異教徒ぶっ殺し集団の殺し屋さ」

「貴様! 貴様はいつもいつも私の邪魔を! だいたい誰が殺し屋か! 訂正しろ‼︎」

「間違ってはないだろ」

「『殲滅白書』に『空降星(エーデルワイス)』とは、カミやんモテモテだにゃー」

「いやもう何が何やら」

「俺も『殲滅白書』とやらは知らないな、土御門さん教えてくれよ」

 

 土御門がチラリとミーシャさんに視線を送ると、こくんと頷いてくれる。よかった、カレンなんかよりもよっぽど話が分かる。

 

 土御門の話を簡単に纏めると、『殲滅白書』はイギリス清教『必要悪の教会(ネセサリウス)』のようなロシア成教の実働部隊らしい。『魔女狩り』とかいう物騒なものに特化した『必要悪の教会(ネセサリウス)』と違い『幽霊狩り』に特化した集団だそうだ。すごい少女だ。

 

 是非うちに来て欲しい。そしてテレビにたまに映り込む奴を除霊して欲しい。時間が取れたら頼んでみようか。

 

 ミーシャさんの紹介が一通り終わると、ミーシャさんが一歩踏み出したと思った途端にいつ取り出したのかも分からないノコギリを手に上条の首に押し付けた。

 

 一瞬、一瞬だ。手も届かない場所にいたはずなのに一瞬で距離を潰された。

 

 いけない! 俺のミスだッ‼︎ 上条の命をあっという間に握られた。

 

 腰に手を伸ばす。もう一つの相棒ゲルニカM-002。ガラ爺ちゃんから何年も早撃ちを教えてもらいなんとかギリギリ一秒を切るくらいまで早撃ちの時間を縮められた。しかし、普段ならまだしもこの切羽詰まった状況では遅すぎる。

 

 俺が撃つよりも奴が上条の首に当てたノコギリを引く方が早い。

 

 奥歯を噛み締めながらリボルバーのグリップを握った瞬間、どこからともなく飛来した弾丸がミーシャの握るノコギリを弾く。

 

「孫市、後でお説教よ。ロシア成教の魔術師、それとカレン、下手に動くと穴が増えるわ。そっちの方が便利だと思うなら動いてみたら?」

「ボスッ‼︎」

「お、オーバード=シェリー! まさか貴様まで」

「あら呼び捨て? 偉くなったわねカレン」

「シェリー……さん」

 

 ゲルニカM-003を構えたボスが来てくれたおかげで状況がリセットされた。いやリセットよりもいい。カレンはいくら組織が違くともボスに弱いし、この距離でボスが相手の挙動を見逃すはずがない。ノコギリを手放した手をミーシャはチラッと眺めたが取り乱すこともなく口を動かす。

 

「問一。『御使堕し(エンゼルフォール)』を引き起こしたのはその男か。問二。貴方達が邪魔をする理由」

「分かりやすくていいわ。一つ、それは勘違いだそうよ、イギリス清教に魔術的なことは聞いて。二つ、私とそこのボンクラは仕事、勘違いしてやって来た魔術師から上条当麻を守るためよ。話も聞かずに続けるならその命貰うけれど、貴女もいいわねカレン?」

「ぼ、ボンクラ……」

「な、ぐ、これも試練か」

 

 剣の柄を強く握りカレンが口を引き結ぶ。やれば負けるという事がカレンにも分かっているんだろう。土御門や神裂さんは別として、ボスの強さを俺以外で最も知っているのはカレンだ。それに加えてイギリス清教『必要悪の教会(ネセサリウス)』。俺だったらすぐに白旗を振る。全くいい気味だ。

 

 話を引き継いで土御門と神裂さんがミーシャさんとカレンに上条が原因ではないという理由を魔術的な話も含めて説明してくれる。難しい話は俺にも分からないので聞き流す。土御門の話も神裂さんの話も結局のところ最大の理由として行き着く先は上条の『幻想殺し(イマジンブレイカー)』。それがある限り上条の潔白を完璧に証明してくれる。のだが、ミーシャさんは分からないが、カレンの顔を見る限り全く信じていない。

 

「神の奇跡も消す右手だと? 馬鹿な、そんな冒涜的なものこの世に存在していいはずがない!」

「これだから現実を見れない奴って嫌だよね」

「なんだと貴様! 異能も魔術もそれは神からの贈り物。それをただ無意味に潰すことの罪深さが分からんのか‼︎」

「分かりませーん、そんなのなくたって生きてけるから」

「きっさっま!!!! この自己破滅願望者が‼︎」

「数価。四〇・九・三〇・七。合わせて八六」

 

 俺とカレンの会話を搔き消すようによく分からない事を言ったミーシャさんの背後、底の抜けた床から水柱が上がる。魔術。手っ取り早くミーシャさんは上条の右手を試す気でいるようだ。

 

「照応。水よ、蛇となりて剣のように突き刺せ(メム=テト=ラメド=ザイン)

 

 ただミーシャさんが言葉を口遊むだけで打ち上がった水柱が生物のように蠢き上条へと襲い掛かる。向かって来る水杭から顔を守るように突き出した上条の右手は、生み出された水の怪物は簡単に弾けてただの水溜りへと姿を変える。

 

「正答。イギリス清教の見解と今の実験結果には符号するものがある。この解を容疑撤回の手段として認める」

「だってさカレン、お前は?」

「うるさいぞ! そんな右手など認めん! ならば『御使堕し(エンゼルフォール)』は誰が実行したと言うのだ!」

「それを追うのはお前の仕事だろうが、サボるな魔術師」

「あの、突然攻撃された上条さんは無視? って言うかこの壊れた店はどうすんだ⁉︎ 後この脱獄死刑囚⁉︎ ってあれ?」

 

 上条が壊れた人形のようになって転がっているはずの火野神作を指差した。が、そこに火野神作の姿はなく、ポツンと床に転がっていたはずのナイフまでもが消えている。

 

「うおおい、脱獄死刑囚がいねえぞ⁉︎」

「あれえ? 嘘逃げられた? このどさくさに紛れて? 全然気付かなかった」

「孫市に一方的にやられるくらいだから全く気にしてなかったわ」

「すいません、眼中になかったもので」

「解答一。興味がない」

「知らん」

「いやーこりゃ困ったにゃー、すっかり見落としてたぜい」

「お前らなあ⁉︎」

 

 そう言われても俺が肩も足もへし折ってやったのだからそれほど遠くには行っていないだろう。ただ、そう言えば。

 

「そういやあ上条さん、火野神作の顔ってテレビや新聞と顔写真変わらなかったよな?」

「え? お、おう。そう言えばそうだな」

「上条さんの父親は魔術師じゃないし例外として土御門さんや神裂さんが太鼓判を押してくれたからいいけどさ、火野神作も例外なわけ? でも儀式殺人だか怪しい事してるんだよな? あんな弱かったけど、まさか『御使堕し(エンゼルフォール)』と関係あったりなんて」

 

 そこまで言ってみると全員の顔が真顔になる。おっと、どうやら俺は気付いてはいけない事に気が付いてしまったらしい。

 

「孫市、貴方何を逃してるのかしら?」

「いやちょっと、俺よりも強い人達いっぱいいるのに俺のせいですか? だいたい丁度そこのミーシャさんが突っ込んで来たりカレンが落ちて来なきゃお縄にできましたよ」

「自分の失敗を他人のせいとは、女々しい事だ孫市」

「解答一。それは言い訳」

「兎に角、至急その火野神作を追う必要があるようですね」

「ただどうもパッと見た感じ魔術の痕跡がないんだよにゃー、こりゃ苦労しそうだぜい」

「いや、それもそうだけど! この店どうすんだよ! 誰が弁償すんの⁉︎」

 

 上条のどうも庶民的な叫びに俺達は全員顔を見合わせる。おそらく全員が考えた事は同じだろう。

 

「火野神作で」

 

 面白いように全員の声が揃った瞬間だった。

 


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