時の鐘   作:生崎

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船の墓場 ⑨

 学園都市第二位の帰還。こんな状況の中での初めての吉報にどうにも頬が緩んでしまう。とは言え垣根が不在で学園都市に居なかったなどと知っているのはごく僅か。カブが学園都市に居るだけに余計にだ。垣根を助けると何度も口に出す事はなくとも、俺の中では色々と覚悟していたのだが、蓋を開けてみれば垣根の方から戻って来るとは。

 

 『槍』の作製に必要だと言うなら魔神オティヌスの近くに置かれていただろうに、どうやってその手元から逃れて来たのか。口にしたい言葉は多くあれど、どれも上手く形にならない。白翼を消し佇む垣根に上条や御坂さんが目を丸くする中で、ようやく口を開こうとした刹那、垣根の背後、立っているベルシ先生が視界に映り、組んだ腕の左手に輝く指輪を目に、頭の中で巡っていた諸々が吹き飛んだ。

 

「あれぇ? ベルシ先生? ベルシ先生じゃないですか! ベルシ先生腕生えたの〜? 良かったねェ? へー、ほー、魔術って便利だなぁ、ねえベルシ先生‼︎」

「あ、ああ、バゲージシティ以来だな法水孫市、それはそうと肩が痛いんだが……」

「は?」

 

 垣根を素通りしてベルシ先生の肩に優しく手を置く。なんだか骨が軋んでミシミシ鳴っているが、優しくだ。口元を緩めて不恰好に笑うベルシ先生の両肩に手を置きながら、どうしても言いたかった言葉を絞り出す。

 

「素敵な『指輪』だなぁ! いいかベルシ先生、これだけは言っておく! フレイヤには出産祝いをやるッ、だがお前達にご祝儀はやらんッ! てか俺もうやったようなもんだしッ‼︎ 別に返せとかもう言わねえよぉ〜、だから勝手に幸せになっちまえよぉ! 俺の分もよぉ! うっへっへっへ〜、垣根〜、俺の常識を壊してくれェェェェッ‼︎」

「んだ急に擦り寄ってくんじゃねえッ、気持ちわりいッ! 離れろこの野郎! 男に抱きつかれる趣味はねえぞッ‼︎」

「……そういう絡み方を見せられると、あぁ、あのゴリラ女の弟分なのだと嫌でも分かってしまいますわね……」

「彼は大丈夫なのか? どこかで頭でも打ったのではないだろうな」

「俺の心配なんてしてんじゃねえッ! ベルシ先生はマリアンさんの心配でもしてりゃあいいんだよ! ああそうともッ! くっそぉ見せ付けやがってッ‼︎ 鞠亜確保だ! ベルシ先生確保ッ‼︎ 抱っこちゃん人形のようにへばり張り付いて確保しろぉッ‼︎」

 

 操車場の床を握り締めた両拳で叩き鞠亜を(けしか)けるが、噴き出した蛍光メイドに首を左右に振られる。蛍光メイドめ! メイドの癖して上司の言う事が聞けないと言うのか! 

 

「き、君は馬鹿じゃないのか⁉︎ せ、先生に抱きつけとかッ⁉︎」

「じゃあいいよもう俺が確保するよッ! その幸せを俺にも分けろ! 逸早く人生の墓場(けっこんせいかつ)に一人だけご到着ってか! どうせこちとら向かってるのは『船の墓場(サルガッソー)』だよ! 悪かったなぁ‼︎」

「最早何を言っているのか分からないぞ⁉︎ だいたい君が先生に抱きつく絵面とか見たくない! どんな羞恥プレイなんだそれは! て、あぁ無駄に力が強い⁉︎ つ、釣鐘! 白井! 手伝ってくれぇッ!」

 

 先生に突っ込もうとする俺を、蛍光メイドが止めようと抱きついてくる。この野郎相手が違うんだよ! ベルシ先生確保って言ってんのになんで俺に抱きついてんだ! 抱きつくのはあっちだあっち! ベルシ先生を指差す。が、鞠亜の奴全然見ようとしねえ! 釣鐘は腹抱えて笑ってて動かないし! ああ! ため息を吐いた黒子が歩いて来る! 違う俺じゃなくてせめてベルシ先生の方へ! ああもう! 

 

 抱きついている鞠亜の腰に腕を回し、体を捻りベルシ先生に向けて力任せにぶん投げる。飛来する鞠亜を避ける事なくベルシ先生は受け止めると、鞠亜を下ろしヨレたメイド服を手で払い直した。

 

「はい確保! ベルシ先生確保! 教え子の命が惜しければ『グレムリン』から手を引くんだなぁ! ついでにマリアンさんでも連れて! さもなくば鞠亜がどうなっても俺は知らんぞ‼︎」

「どこの悪役だ君は! すいません先生! あんなのでもそこまで悪い奴では……いや、バゲージシティでの惨状の一画を担っていた事を思えばなかなかの悪人な気も……」

「くくっ、ははは! 分かっているさ。しばらく見ない間に良い友人ができたようだな。それをこれまで見れなかったのは残念だよ。ああ、法水孫市、君には大きな借りがある。悪魔への借りなどいつまでも持っているものでもない。『グレムリン』への義理も果たした。他に頼み事があるなら聞くが?」

 

 声を上げて笑ったベルシ先生に鞠亜は目を丸くし、俺は顔を苦くし口を引き結ぶ。そこまで言うならハッピーエンドとやらの為に尽力して貰うしよう。ゴムボートに寝かせているフレイヤさんを指で差す。

 

「バゲージシティから帰ってからちと調べたから知ってる。ベルシ先生は人の生死に詳しいだろう? フレイヤさんを頼む。母子ともに安全な場所に運んで状態を見てくれ。二年もお腹の中にいるとなると、いつ出産が始まるか……帝王切開になるだろうがベルシ先生なら上手くやれるだろう? ついでにマリアンさんに鞠亜も一緒なら何も心配する必要はない」

「フレイヤか、上条当麻と君が一緒に動いているならこうなっているのも納得だな。マリアンとは合流地点を一応決めているからいいのだが……それなら急いだ方がいい。時間がないぞ、『槍』はもう完成する」

「それに加担してたテメェがなんで急に仲間面してるのかは知らねえが時間がねえのはマジだぜ。どうする法水? 正直俺は奴らの使う能力がなんなのかはよく分からねえ。馬鹿正直に力押しで勝てるとも思えないしな。何か手があるからここにいるんだろうが」

「手か、手ね。あるにはあるが漠然としてる。結局此方も全貌を把握して動いているとは言いづらい。ベルシ先生、『グレムリン』に義理を果たしたと言うならもう少し情報が欲しい。わざわざ尋問してる時間もないんだ。教えてくれよ、『船の墓場(サルガッソー)』には誰がいる?『魔神』と、『槍』を作ってるなら後はマリアンさんか?」

 

 俺の問いにベルシ先生は少し考えるように顎を指で撫ぜ、『船の墓場(サルガッソー)』があるだろう方向に一度顔を上げると小さく頷く。なんだ? この状況なのに嫌に落ち着いていると言うか、感じる波の感じが少し異様だ。冷静というよりは変に達観していると言うべきか。この先何をしようにも、何が変わるわけでもないと知っているとでも言うのか。一律に揺れ動く波に目を細めていると、顔を戻したベルシ先生と目が合った。

 

「マリアンは『槍』さえ作れれば満足だろうから気にしなくていい。事ここに至っては……いや、何を言おうと君達は向かうのだろう。法水孫市、君はこの先何があってもそれでも追うのは止めないか? 例え世界が消えたとしても」

「それは……何かの比喩か? 『魔神』の使う魔術? それとも科学的な話なのか? それとも宗教的な……」

 

 瞳をブラさないベルシ先生を見つめ口を閉じる。よく分からないが、冗談で聞いている訳でもないらしい。この先にそれが必要なのか。それこそ意味が分からない。ただ分かる事があるとすれば、ベルシ先生のこの落ち着きよう、必要な時間は既に切れていると見るべきか。それでも悲観していないところを見るに、所謂『世界の破滅』を恐れて連合軍が動いているが、そうはならないとでも分かっているのか。

 

 容易に答えをくれず問題を出すのは教師としての癖なのか知らないが……。隣に立ち黒子に目を落とし、続けて少し離れた所に立つ上条へと目を流す。禁書目録(インデックス)のお嬢さん、御坂さん、釣鐘、レッサーさん、レイヴィニアさん、鞠亜、垣根。一度はバラけても再び集まった仲間達。例え物理的に側にいなくても、いつも隣り合っている。

 

「誰かがいるから俺でいられる。人の数だけ世界がある。そう思えばこそ世界が消える事なんてない。誰かがいる場所の隣に俺はいる。それ以外の答えが必要か?」

「なら行くといい『羨望の魔王(Leviathan)』、居ても居なくても変わらない……いや、ただ隣にいる事に意味のある君がこの世界に浮上した事が大きな誤算だ。誰もが持つ幻想ではない欲望の化身。神さえ信じぬ悪魔なら一泡吹かせるくらいはできるかもしれない」

「……なんて?」

 

 ちょっと何を言っているのかよく分からないのだが、ベルシ先生は致命傷受けても平気なだけに、致命傷を受け過ぎて何か重要な部分がズレちゃったりしていたりしないのか。なんの答えにもなっていないような答えを差し出され口端が引き攣る。この先に今の問答が必要なのか、レイヴィニアさんに目を向ければ、眉間に大きな皺を刻んだ面白い顔をしており、禁書目録のお嬢さんは目を丸くしてパチクリと目を瞬いている。魔術の達者がこれでは何も分からない。

 

 言う事は言ったと薄く微笑むベルシ先生は、ゴムボートまで歩み寄ると横になっているフレイヤさんの母親を抱き上げる。もう話は終わりらしい。マジかよ。

 

「あーベルシ先生? なんの攻略法にもなってないようなんだが、それだけ? 他にもっとこう何かないのか?」

「『魔神』を力押しでどうこうしようというのは不可能に近い。それでも行くと言うのなら、私には止める事はできない。それが君達なのだろうからな。君に私から他に言える事があるとするならば、君やマリアンが拾ってくれた命だ。もう無駄にはしないさ」

「そうかい、ならもういいよ。仕事は『グレムリン』の殲滅だし、もう『グレムリン』じゃない奴はどうでもいいからさっさと行け。……ただ一応監視は付けさせて貰うがな。鞠亜」

「え? あ……っ」

 

 名を呼んだ鞠亜が俺に振り返る。目を見開いて口を開けた呆気にとられたような顔に笑う事もなく、フレイヤさんの母親を抱えているベルシ先生を顎で差す。鞠亜の目が俺とベルシ先生の間を行ったり来たり泳ぎ、狙撃銃を背負い直してゴムボートへと歩く俺の背中に鞠亜の声が投げられた。

 

「でもそれは……まだ仕事が。私だけそれはッ」

「監視だ監視。これも仕事だ。だいたいベルシ先生の命を拾ったとか、拾ったのは俺じゃなくて鞠亜だろ。俺個人からすればベルシ先生に思い入れとかないし、それに言っただろう? 『時の鐘(ツィッドグロッゲ)』なら外すなよ。ベルシ先生にまだ言ってないだろう? お前はその為にここにいるんだろう? 時間がないんだ。レイヴィニアさん、向かうとしよう」

 

 ゴムボートに足を落として腰を下ろす。フレイヤさんと離れた事で煙草を咥えて頬杖を付いていると、釣鐘と黒子、垣根も腰を下ろし、上条や禁書目録のお嬢さん、御坂さんもゴムボートに足を落とした。ベルシ先生と俺を見比べて鞠亜は少しの間固まり、スカートを強く握り締めると口を大きく開ける。

 

「あ────ッ!」

 

 鞠亜に向けて手を振り言葉を散らす。鞠亜が零そうとする言葉は俺には必要ない。その言葉の向けるべき先は、隣に立つコートの男。鞠亜が追いかけて来た先生に。俺はそれが見たいからこそ引き金を引いた。

 

 ゴムボートがゆっくりと進み出す。口元を歪ませて目元を拭いベルシ先生に向き直った鞠亜が小さくなっていく。

 

 何を言っているのかは聞こえない。それでもベルシ先生に頭に手を置かれ、泣きながら笑う鞠亜を見ていると口端が上がった。少女の必死。それが届いた瞬間がある。その必死に僅かでも今の俺だからこそ並べたのだとしたら、やはり俺はどうにも傭兵は止められない。

 

 頬杖を突いて軽く俯いていると、鼻の先で炎が瞬いた。火の点いた煙草を口先で軽く持ち上げ、ゴムボートを操作しているレイヴィニアさんを見上げれば、杖を片手に鼻で笑われた。気が利き過ぎだ。上手くレイヴィニアさんの顔を見れない。口元を歪ませ紫煙を零せば、視界の端からひょっこりと呆れたように笑う黒子と釣鐘の顔が伸びてくる。

 

「法水さんて本当に仲間に甘々っスよね。いいんすか? 鞠亜が時の鐘に居たのってさっきの人に会うためだったんでしょ? もう戻って来ないかもしれないっスよ?」

「必要ないなら必要ないに越した事ないんだよ傭兵なんて。戦場に立つ理由がなくなったならその方がいいんだろうさ。なんだ寂しいのか?」

「私が? まっさかー。大丈夫っスよ、私は法水さんが満足させてくれる内は裏切るつもりないっスし。あの場所そこそこ気に入ってるんすよ。好き勝手やっても円周や法水さんは文句言わないし、殺し合うような組手してくれるし、不満はそこまでない。後は法水さんが約束を果たしてくれればなと」

「分かった分かった。帰ったらお前の仲間を出せるように微力を尽くそう。今回は頑張ってくれたしな。俺よりお前の方が仲間に甘いだろまったく。どう思う垣根。これお前の先輩だよ?」

「それはお前の女の趣味が相変わらず悪いって話か?」

 

 そんな話はしていない。だいたいドレスの女と未だにつるんでいるような垣根だけには言われたくない。口端を痙攣らせて咥えている煙草を下げれば、レイヴィニアさん同様垣根にまで鼻で笑われる。なんだみんなして鼻で笑いやがって。そんなに今の俺は面白いか? 唇を尖らせてそっぽを向けば、隣にいる黒子に肘で小突かれる。

 

「本当は寂しいのでしょう?」

 

 耳元で(ささや)かれる言葉に肩を落とし、微笑む黒子の顔を見つめた。分かったような事を言う。いや、分かっているからか。一度でも隣り合えば気になってしまうのはしょうがない。花火と同じだ。追って追って、輝きを掴んだその瞬間は鮮烈で、ただその時だけ見れる最高の輝き。ただその後は、一冊の本を読み終えた時のように残った熱に心を焦がされる。

 

 いつか俺もそんな一瞬の光輝に並ぶ事ができるのか。その羨望が渦巻き止まない。いつかきっと、諦めなければ、追い続けていれば、妄執だ。決して綺麗な目だけで見つめている訳じゃない。それを言葉として口に出す事も憚られる心の底で燻る欲望。

 

 鼻の奥がツンと痛み、一度鼻をすすって黒子から目を逸らした。

 

「……わたくしは、『時の鐘(ツィッドグロッゲ)』ではなくとも貴方の隣にいますわよ」

「……知ってる」

「……例え学園都市でなかろうと貴方の隣にいますから」

「……知ってる」

 

 隣に寄り添ってくれる黒子に若干体を預け、空に向けて紫煙を吐く。目を外した先で御坂さんにニヤつかれ口端を落とす。「アンタはそれだけやってなさいよ」と言いたげな御坂さんの顔から目を逸らせば、ニヤつく上条と禁書目録(インデックス)のお嬢さんの顔が待っている。全員似たような顔しやがって。仲良しか! 目のやり場に困っていると、レイヴィニアさんに盛大にため息を吐かれる。

 

「お前はそれでも一組織のトップか? ハァ、女々しい事だ。先が思いやられるぞ」

「うぐ……ッ、支部長としてはまだ勉強中なの! てかレイヴィニアさんはいつから『明け色の陽射し』のボスやってる訳?」

「貴様より長いとは言ってやろう。戦場に立っている歳月は貴様の方が長いだろうが。だからこそ嘆かわしい。『明け色の陽射し』に研修にでも来るか?」

「なんで⁉︎ こき使われる未来しか見えねえ! それはなんだ? 同盟を結びたいって事か? 俺個人としては歓迎だけど?」

「ハッ! 『羨望の魔王(Leviathan)』などと『グレムリン』の一人に呼ばれるような奴と誰が組むか! そのうち祓魔師(エクソシスト)や悪魔払いが差し向けられそうな奴と同盟などと……ハッ!」

「言い掛かりがひでえ! 勝手に呼ばれただけなのに!」

 

 レイヴィニアさんと睨み合っていると、禁書目録(インデックス)のお嬢さんに可哀想なものを見るような目を送られる。なんだその目は。俺が『羨望の魔王(Leviathan)』なら禁書目録(インデックス)のお嬢さんは『暴食の魔王(Beelzebub)』だろうが。ただそんな事を言えば侮蔑の目で見られそうなので言わない。修道女に大罪ネタとか説教される気しかしない。身の内で蜷局を巻く本能に舌を打ちながら、灰色の湯気が蔓延する海上に這っている魔力の波を見つめる。

 

 ゴムボートを追って走る魔力の火の粉。地下鉄に向かう際に襲ってきた炎の人影。一定以上の速度のものを追うという性質は正しいらしいが、ゴムボートの速度に勝てず追いついて来ない。なのでこれは問題ではない。問題があるとすればやはり『船の墓場(サルガッソー)』。

 

「気づかれてないはずがない」

 

 真面目な顔に戻ったレイヴィニアさんが早口で口遊む。いよいよ『船の墓場(サルガッソー)』に近付き漂ってくる異様な空気を肌に感じての事か。俺も駄目だ。一度意識を向ければ骨を擽られたかのように肌が粟立つ。

 

 「『グレムリン』側もとっくに私達の接近には勘付いているだろう。『槍』の製造に夢中で手駒を割いている暇がないのか、あるいは……」

 

 レイヴィニアさんが言い切る前に、風の畝りの変化を目に少しゴムボートから身を乗り出す。続いて響く鈍い音。界面の冷気が立ち上ったような煙った空に、巨大な人影が浮かび上がる。五〇〇メートルを超える巨大な人影は、山を見上げるに等しい。

 

「何だ……ありゃ? あれもまた、『グレムリン』……? 一体どこまで冗談めいた戦力を隠し持っていたんだ!?」

「元々、数十キロ単位の移動要塞を空に飛ばしたりするような連中だ。今さらキロ単位の敵でいちいち驚くなよ」

 

 驚愕する上条にレイヴィニアさんが冷淡に返すが、事実馬鹿げている。詰まった息を吐き出すように鼻で笑ってしまう。魔術はなんでもあり。分かってはいるが、時折なんでもあり過ぎて常識からはみ出る。

 

「……国でも公的な組織でもない一組織があれだけの戦力を保持しているなら、今回の殲滅作戦も納得だな。俺も心の隅でやり過ぎなんじゃないかと少し思っていたが、ちと反省だ。ハワイでもバゲージシティでも立ち回りで上を行かれていただけに、『魔神』という個人は別として、情報戦を制し裏を取る事にこそ『グレムリン』の強さはあると思っていた」

「貴様もラジオゾンデ要塞は見ただろう? それでもか?」

「目に見えて巨大な兵器はあれだけだったしな。なまじ今回は連合軍で、よく知る英国やローマ正教が全部味方だっただけに、組織としては戦力過多だと少し思ってたよ。事実今後手なのも、単純な戦力差ではなく組織としての立ち回りの結果だった。それ以外だと、『グレムリン』は組織としてではない、個としての脅威が目に付いたしな。あんなのぽんぽん出すようなら、今ようやっと『グレムリン』の組織としての底が見えた気分だ」

 

 舐めていた訳ではない。トールやマリアンさんを要する組織だ。ただ想像よりも上だった。『組織』としてそれなりに高く見積もっていたつもりではあったがそれより上。単純な武力戦争というより怪獣大戦争だ。それなりに魔術の世界に関わるようにはなったが、それでも物理的な戦争の価値観が拭い切れなかった故か。非常識の中でも御伽噺のような深い所まで意識をズラした方がいいのか、ただあまりズラし過ぎると常識を忘れてしまう。

 

「法水さんは勝てないと思ってるっスか?」

「まさかまさか。万の大軍だろうが一発の弾丸を皮切りに大敗する事はよくある。戦力同士純粋な衝突では勝てなくても、狙撃手として出来る事があるのは十分知ってる。お前もだろう釣鐘、だからそんな安心したように笑うんじゃない。門番ぽいあの巨人もあれだけ大きければどこ撃っても当たるでかい的とも言える。バランスさえ崩して潜り抜ければいい。垣根、お前は『船の墓場(サルガッソー)』から脱出して来たんだよな? レイヴィニアさんの言う通り接近がバレてるなら安全とか考えるだけ無駄だ。最短ルート分かるか?」

「流石に全てを把握する時間はなかったが、ある程度は頭に入れてるぜ。それでいいか?」

「問題ない。レイヴィニアさんそこから突っ込もう」

「でましたねスイス傭兵……」

 

 青い顔をするレッサーさんに目を向ければ、ヤケになったように笑っている。突っ込むのにスイス傭兵かどうかは関係ないだろう。俺の方針に頷きながら、レイヴィニアさんは軽く息を零した。

 

「法水、お前はそれだけやっていろ。その方が楽でいい」

「御坂さんみたいな事言うんじゃない」

「私はそれやめた方がいいと思うけど」

「俺も」

「なんなんだお前ら!」

「別にどっちも貴方でしょうに」

 

 謎に多数決を取り出す御坂さんと上条に牙を剥けば、前を向けと黒子に肩を叩かれる。儘ならぬ吐息を吐いて前に向き直ると同時、山が崩れたような重々しい音が響き、立っていた巨人の影が分断され海に落ちた。

 

 巨人の破片が海に落ちた衝撃が波となって迫ってくる。波に向けてゴムボートの先端を向けるレイヴィニアさんの声を聞き流しながら、『船の墓場(サルガッソー)』に続く先を鋭く見つめる。外から何かが伝わった訳ではなかった。なら巨人が崩れた要因は中にある筈だ。白翼を僅かに伸ばす垣根に身を寄せながら、背負っていた狙撃銃を握る。

 

「……垣根」

「聞きたい事は分かるが、心当たりはねえぞ。オティヌスにベルシとか言う奴は近くにいたが、他に目に見えて分かる敵対者がいたとして、見逃す奴らだとも思えねえ」

「それもそうか? ……いや、待てよ待てッ、この、波長ッ!」

 

 巨人の影が崩れてしばらく、急激に空間を覆うように伸びる波が二つ。本能が吸い込もうと開く大口を理性という口輪を無理矢理嵌めて押さえつけるように、一定のリズムで呼吸を繰り返し、両手を強く握り締める。見覚えのある波紋。下手に手に取れば抱え切れずに零してしまうだろう大質量が二つ。それをなんとか見るだけに留める。片方は『魔神』。そしてもう片方はッ! 

 

「トール(もどき)か! クソがッ! 垣根を攫ったあのクソボケが『魔神』の敵対者だとッ! トール(もどき)はトール(もどき)のまま『グレムリン』に潜入する手土産として垣根を攫ったって事か? ふざけやがってッ! レイヴィニアさん加速だ! トール(もどき)ごと『魔神』を潰す!」

「こら! 馬鹿か貴様は! 目的が変わっているぞ!」

「なんで俺じゃなくテメェの方がキレてんだよ。頭を冷やせ阿呆か。馬鹿の下にはつかねえって言っただろうが。そいつへの礼は終わった後にでも考えりゃいい、てか俺にやらせろ。冷静になれ、恥ずかしい野郎だ」

 

 そこまで言うか! ああクソッ、確かに冷静じゃない。手に持つ狙撃銃に一度額を打って息を吐き出す。息を吸って息を吐く。落ち着け落ち着け落ち着け。舌を打ちながら目を閉じる。

 

 やるべき事は『槍』の製造の阻止。『グレムリン』の殲滅。垣根は帰って来た。だから今諸々は考えない。…………よし。

 

 薄く目を開けて呼吸を整える。その刹那。感じる強大な波紋が一つ増えた。二人じゃなく三人。誰だ? 似たような波長はロシアで見たような……。

 

 

 

 ぶつり、と。

 

 

 

 意識が一瞬断絶するような音が身の内で響いた。膨らんだ波が針となって体の芯に突き刺さったかのように膝が落ちる。口から煙草が零れ落ちた。

 

 なんだ?

 

 立ち上がろうにも膝が笑う。

 

 思考が上手く纏まらない。

 

 急に世界の外側に弾かれたような。

 

「おい法水⁉︎ どうした急に‼︎」

「おい! 『船の墓場(サルガッソー)』にもう着くぞ!」

「……大丈夫だ。なんでも、ない……すぐに立つ。すぐに」

「なんでもないってッ、お前顔色が……手だってお前……」

 

 上条に言われて指先に目を落とせば、小刻みに不自然に震えていた。強く拳の形に握り締めるが、それでも僅かに震える。理性ではなく本能が何かに反応しているかのように、薄まった理性の檻を食い破るように底の底で波が逆巻く。無理矢理に突き刺さった世界を食い荒らし弾くように。その気持ち悪さに体の奥底から何かがせり上がってくる。

 

「お前が右手で触れても動けないなら放っておけ! 時間がない! 行くぞ!」

「待、て、大丈夫だ俺も行く。ふざけるなよここに来て、まさかビビってる訳じゃないだろうな? お前それでも俺かよクソ……ッ」

「孫市さん?」

 

 身を持ち上げようと踏み出す足が震えで滑る。崩れそうになる体を黒子が支えてくれる。歪んだ視界の中何度か振り返り上条が、垣根が、レイヴィニアさんが、禁書目録(インデックス)のお嬢さんが、御坂さんが、誰もがゆっくりとゴムボートから『船の墓場(サルガッソー)』へ降りて行く。御坂さんが何かを言った。それに黒子は頷くと、船から降りずに俺を支える。

 

 なんだそれは? まるでここが終点だとでも言うように。俺と黒子だけを置いて幾つもの背中が遠去かる。

 

 足を出す。上手く足に力が入らずとも二歩目を。狙撃銃を杖代わりに、ゴムボートから接岸している『船の墓場(サルガッソー)』へ転がり落ちる。顔にへばり付く砂利を拭う事もなく地に狙撃銃を突き立ち上がれば、黒子の顔が待っていた。なんとも言えない歪んだ顔が。

 

「孫市さん、ここはッ」

「俺は、行くよ。置いて行かれるのはッ」

「誰も置いて行ったりしませんの! 例えそう見えても、お姉様もインデックスも」

「分かってる。分かってるよ……そんな事は分かっているよ。でも……嫌なんだ。それこそが」

「今の貴方が行っても、それでどうしますの? 何があったのか分かりませんけれどその状態じゃ」

「俺だって、分からない。分からないけど、分からないままでいい。大事なのは、そこじゃない」

 

 なぜ黒子まで一緒にいる? 俺が止まればそこが黒子の終点でもあると言うのか? 他の者が歩むのを止めずに進む中、俺が止まれば黒子も止まると? なんだそれは。何故そうなる? 俺が黒子に惹かれたからか。それとも黒子が俺の手を握ってくれるから? 

 

 嫌だ。それが嫌だ。置いて行かれるのも、惚れた相手が足を止めてしまうのも。

 

 俺の手は綺麗じゃない。血と硝煙の匂いが染み付いている。そんな手でも黒子が握ってくれるのなら、それこそ止まってはいられない。そんな俺でいたくはない。何を察してか、ここに来て急に膝が笑うとかそんな人生望んでいない。口から溢れそうになるナニカを抑え、黒子を見つめる。輝きの変わらないその瞳を。

 

「黒子、頼む。俺を殴れ。俺の震えを止めてくれ。……そうしたら、また歩くから。足を出すから。手を伸ばすから。だから────」

「…………バカッ

 

 黒子が右手を振り上げる。歯を食い縛りそれを見つめる。振るわれる右手の衝撃を受け入れるように目を見開く先で、緩く振られた右手が俺の頬に添えられた。空間移動(テレポート)の波が見える。

 

「く…………っッ」

 

 役に立たない。戦力外。自分の状態を客観的に見ればどう見えるか。回らぬ頭でもそれは分かる。所詮は俺の我儘でしかない。頬に添えられた黒子の右手は冷たく、切り替わる視界を見たくないと瞼を落とした。

 

 次の瞬間額に柔らかなものが当たる。

 

 恐る恐る目を開けた先に見える黒子の胸元と額に触れる唇の感触。空間移動(テレポート)の波は霧散し、つま先を伸ばして立っていた黒子の顔が俺の目の前まで落とされた。どうしようもない子供を見るような、赤い顔をした黒子の口元が弧を描く。

 

「……あまり興奮されて倒れられても困りますから。貴方は言っても聞きませんもの。なら、行ってらっしゃい法水孫市。わたくしの追いたい貴方でいてくださいな。わたくしよりも先に。追いますから、並びますの。情けない姿は見せないで。走って、走って、わたくしの好きなあなたでいて」

「く、ろ、〜〜〜〜〜〜ッッ!!!!」

 

 思わず黒子に吸い寄せられそうな体を大きく揺らし、額を『船の墓場(サルガッソー)』の大地に叩き付ける。額に与えられた黒子の熱を刻み込むように。顔を上げ、額から垂れ落ちてくる血を舌で舐め取り受け止める。

 

 

 

 ────震えが止まった。

 

 

 

 足が動く。体を起こしたその瞬間。より重い重圧が両肩に掛かる。それでももう足は、手は震えない。世界を押し潰すような波の中でも、黒子の言葉に否と答える方がずっと恐ろしい。『船の墓場(サルガッソー)』の方に顔を向けて固まる黒子の視線を追った先。遠く消え去ってしまったように思っていた上条達の背中がすぐそこにあった。

 

 そしてその先、聳える客船のその上に、『魔神』が一人立っている。

 

 誰も動かず、『魔神』が口を開き何かを言った。理性が神の言葉を拒むように『魔神』が何を言ったか理解できないが、行き先を決めた本能が足を動かす。

 

 一歩。一歩。

 

 足を出す俺が視界に入っていないのか『魔神』は俺に目を向けず、先頭に立つ上条だけを見つめている。そんな上条の背を目指し、一つ一つ足を出す。

 

 並ぶレイヴィニアさんや禁書目録のお嬢さんは彫像のように固まり動かず、通り過ぎた後もそれは変わらない。見上げた先で世界を突き破るように、『魔神』が眼帯の奥から赤黒く濡れた『槍』を引き抜く。それでも固まったような世界は動かない。ただ一人、口を動かす『魔神』と同じく上条だけが口を動かす。

 

「……上条」

 

 上条の名を呼ぶ。その言葉は届いていないのか、振り向くことはなく、見えるのは上条の背中だけ。

 

「上条……俺が囮でも壁にでもなって一撃は引き受ける。だから────」

 

 横に並んだ上条の目は『魔神』にしか向いていない。直立不動の上条は、口から呻き声を上げ、瞳は泳ぎ、叫び声を上げてただ一人走り出そうとする。その横に並び足を出す。走りながら上条の胸ぐらを掴み引き寄せる。

 

「上条当麻、俺はお前の隣にいるぜ」

 

 走りながら、ゆっくりと、上条の瞳が俺に向く。目を見開く上条に笑みを返し────。

 

 

 

 

 

「ちまちま戦うなんて面倒臭せえな。世界でも終わらせてやるか」

 

 

 

 

 

『魔神』オティヌスが告げる。

 

 全てが崩れる。世界が砕ける。

 

 そして、羨望を押し留めていた体という名の檻が破れた。

 

 

 

 




船の墓場編、終わり。幕間はありません。次回は『神浄討魔と羨望の魔王編』です。

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