時の鐘   作:生崎

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神浄討魔と羨望の魔王 ④

 陽も暮れて真っ暗になったとある学生寮の一室で、少年と少女が向き合っていた。何もない真っさらな小さな部屋は、元々少年の学生寮の部屋だった場所。生活感も、白い修道女の使っていた調理器具も、思い出も、匂いも、何も詰まっていない備え付けの家具だけが置かれたその場所で、優しい少女の手が少年から言葉を引き出す。

 

「俺だって悔しいよ」と。

 

 魔神に『これまで』を掻っ攫われた『今』が。ありえない素晴らしい未来を見せつけられた『今』が。ダメダメな腑抜けた自分を少女が優しく慰めてくれる『今』が。情けなく、滑稽で、どうしようもなくて、怖くて、時間を掛けて絞り出され続ける少年の底を、赤い人影はベランダの柵に腰掛けながら頰杖をついて聞いていた。少女は少年を見つめ、少年は少女に己を曝け出す。この広い世界でお互いしか見ていない『今』を眺めながら、赤い人影は口から赤い煙を細く吐き出し、ハートの形を空に描いた。

 

『見てくれよこの疎外感。男が女に自分の源をまるっと投げ渡すなんて、うわぁお、恥ずかしいッ! こりゃプロポーズと変わらないでございますよ。Marions-nous(結婚しようぜ)ってか! ただまぁ、そんなつがいが居てくれるなんてのは最高に羨ましいがな。Do you Know? 『ヨブ記』によるとワタシのつがいってあまりにも存在が危険だって理由で繁殖せぬようKILLされてんだって。ひどくね? ワタシを滅ぼす気満々じゃんね。その代わりに不死身にしてくれるって拷問だよそれ。ワタシ一人でどうしろと? そりゃ悪魔にもなるぜ。それだけ見ても神様とやらに親切にする理由がないですもの。他の魔王達だってそうだっつうの。そう考えるとさぁあ? ワタシの今の外装が恋する相手は大変だよねん。でもさぁ、偶には羨むだけじゃなくて自慢したい時ってあるでしょー? 見せつけてくれちゃってまぁまぁ、ちょっと小さな電波の子供達。あの白井黒子って子連れて来てよ。ナデナデしてこのjealousyを散らそう。あぁいや、この見た目じゃ駄目かなぁ? なんでこんな肌赤いの? 服も肌と一体化してるし。何このオマケ? 洗っても落ちないっぽいしコレどんな罰gameなんでありましょうか?』

『お兄ちゃん煩くTE聞こえないんDAけDO?』

『ひどくね?』

 

 ベランダの柵に外からぶら下げるように柵の上で肘をつき部屋の中へと耳をすましているライトちゃん達に注意され、鮮血色の人影は肩を竦めて脱げもしない軍服のような服の袖を引っ張った。『今の外装に見た目が引っ張られ過ぎだ』と文句を零しながら柵の上でぶらぶら足を揺らし、視界にちらつく赤色が鬱陶しいとライトちゃん達に肩を引っ叩かれ、器用に口から零した赤い煙で空に顔文字を描く。

 

『♪(´ε` )』

『もー、お兄ちゃんTEこういうのは真面目に見れないタイプ?』

『真面目に見ちゃっていいのかい? 嬉し恥ずかし過ぎて胸の奥が痒いぜ。むしろ今は純白の修道女さんとか常盤台の女王様とか引っ張って来て一緒に鑑賞したい気分よ。popcornでも片手にです。ああいった世界を目にしてしまった結果、羨み妬む顔こそが俺にとっては晩餐なんだがねぇ。その心の揺らぎがdolceなのでございます。俺の存在の源を顔に描くあの感じ。人々の顔はキャンバスさ。できればそういうの切り取って部屋に飾っておきたいぜ』

『趣味が悪いよ。孫市お兄ちゃんが見たら泣くよきっTO』

『同族嫌悪でなぁ』

 

 全部分かってますと鋭い歯をカチ鳴らしニヤつく羨望の魔王の姿にライトちゃん達は素直に引いた。顔を引き攣らせる苦い顔の少女の反応には慣れ親しんでいるのか赤い人影は態度を変える事もなく、部屋の少年少女の心情を盛り上げるかのように鼻歌を歌いながら指揮棒のようにベランダの柵に腰掛けたまま足を泳がせる。

 

「……それだけで良いのかな。本当にそれだけで、俺はこんな目も眩む世界に挑んでも良いのかな」

「良いさ/return」

 

 少年と少女の言葉は先へと進む。それを眺める羨望の魔王をそっちのけで。少年の迷いを少女が断ち切る。己が為に『元の世界』を望む少年の迷いを。姉達の奮闘に手を固く握り締め笑顔で見守るライトちゃん達に目を落とし、赤い人影は腕を組んで口から赤い煙をポツポツと吐いた。

 

「それに/return。アンタが怒られるなら、焚きつけた私だって付き合うよ/return。悪の大魔王扱いされようが何だろうが、まずは二人から始めよう/return。少しずつでも良いから、壊れてしまった輪を取り戻そう/return。事は簡単じゃない、人の一番柔らかい所に引っかき傷を残して、世界中の人間の生死にまで直結してる/return。だけど/backspace、必ず、最後には何とかなる/return。そうなるまで、この私が付き合ってやるぜ☆/return」

 

 赤い人影は柵の上で寝そべり口笛を吹きながら手を叩く。向けられるのはライトちゃん達からの侮蔑の瞳だけ。それを気にすることもなく、お気に入りのテレビでも眺めるような気楽さで赤い人影はごろりと柵の上に仰向けに寝転がると、口から吐いた赤い煙で『月が綺麗ですね』と言った愛の格言を書き綴るものの誰も見てくれない。

 

「独りよがりだろうが何だろうが、他の誰の幸せになんか繋がらなくたって……やっぱり俺は、あそこに帰りたいよ……」

 

 目の端から感情の結晶を床へと落とし、絞り出された上条の言葉を耳に粗雑に頭を掻きながらゆっくりと赤い人影は身を起こす。蒸気機関車のように断続的に口端から赤い煙を吐き出し、『ダメだ』と続いた言葉にライトちゃん達が目を向けるのとほぼ同時。柵の上から飛び出した赤い人影がドロップキックの形で上条とミサカネットワークの総体の間へと飛び掛かり、着地に失敗して床に転がった。肩をビクつかせて赤い人影へと顔を向ける上条と、呆れ返り頭を抱える少女を前に、足を滑らせた事を微塵も気にせずに赤い人影は仁王立つ。

 

『ダメ! NO! 駄目‼︎ 浸り過ぎですよBOY&GIRL‼︎ ベランダにこんなの座ってたら気になるだろうが普通! 少しでいいから外を見ろ! このままじゃワタシ置いてきぼりだよ? 気付かれる事もなくハンカチ振って見送るだけだぜ! お互いしか見えていませんとかクソ羨ましい事やってんじゃありませんよ! 窓も蹴破れないで透けるし不便な体だっつうの! だいたいなんで滑るの? この床ワックス掛けてる? だいたいワタシを差し置いて悪の大魔王名乗るとかッ、ワタシのidentityまで奪うとかお嬢さんこそ悪魔だぜ! この悪魔っ子め! 羨望の眼差し突き刺しちゃいますよワタシ!』

「の、り、みず……?」

『ハズレだ人間の兄ちゃん! 兄ちゃんの知るワタシの外装ってこんな真っ赤っかか? 頭の先から足のつま先まで赤いペンキに漬け込んだような人間がいるなら見てみてえぜ寧ろ! 世界ぶち壊されてからずっと一緒に居たのにッ、薄情者だなこいつぅ』

「ずっと一緒? あの黒一色の世界から……? じゃあ、おまえ」

 

 赤くなった目元を腕で擦り目を丸くする上条を前に、牙の並んだ口を深い笑みの形に変えて、座り込む上条の肩に腕を回すように赤い人影は乱暴に腰を落とす。『ワタシは『嫉妬(リヴァイアサン)』だよろしくな』そう赤い人影は上条に告げるが、当然通じる事もなく上条は目を瞬くばかり。全身真っ赤でも見た目だけはどこぞの瑞西傭兵と瓜二つ。鮫のような瞳と鋭い牙。耳の下に魚のようなエラがある事を除けばだが。

 

『説明がクソ怠いですなぁ。ワタシは人に巣喰い移り住む寄生虫みたいなものだとでも思ってくれ。だからってバルサンとか焚かれても死なねえけどな。俺は誰の中にも一応いるし。年齢は聞くな。兄ちゃんの数百倍とだけ言っておこう。そうやって移り住んでく中で、一番でけえワタシがいる今の宿主がお前のよく知る男って訳。外見が男なんて嫌ですと泣くなら前の外装になってやろうか? 前とその前と更にその前と前に、五つ前も女だったからそれがいいならそれになりますわよ?』

 

 言うが早いか、途端に赤い人影の背が縮むと、軍服を押し上げて胸が膨らみ、赤い癖毛が長いストレートの赤毛へと変貌する。また次の瞬間には胸が少し引っ込み髪を一括りにした少女の姿に。訳も分からず口をパクパクと開ける上条の顔にニンマリと口端を持ち上げた顔を赤い人影は返すと、すぐに傭兵の姿へと見た目を戻し真っさらな部屋の床の上へと寝転がった。

 

『こう見えてワタシは今の外装気に入ってるんだぜ。ここまで成長する事はそこまで多くなくてね。特にこんな生き方選んでるのにまだ生きてるのは珍しいのよ。憧れて恋い焦がれて身を焦がし滅びるのがワタシの性質に最も近い。だからさっきの女もその前の女も年若い姿だったろう? ここまで成長できたのも兄ちゃんのおかげなのです。よくぞワタシの外装を引っ張ってくれた。そうでなければ学園都市で早いうちに死んでただろう。それまで死ななかったのも『時の鐘(ツィッドグロッゲ)』とかいうのを作ったクソジジイのおかげだ。運がいいやら悪いやら、まあここまで久々に肥大できたおかげであのGODの嬢ちゃんにも砕かれ切れずに助かったんだが。まあそれもあのdestroyerを知覚できた事が大きいんだがねー。聞いてますか?』

 

 部屋の床をべしべしと手で叩きながらゴロゴロ転がる赤い人影の説明を受けても、話が急過ぎて付いていけず、何よりミサカネットワークの総体に零した本音を聞かれたと思えばこそ、恥ずかしいやらどうすればいいやら、上条は色々な表情を顔に浮かべては消して、取り敢えず真っ暗な部屋の中で浮かび上る目に痛い赤い人影へと目を向けた。

 

「つまり、お前は法水じゃないのか? でも『嫉妬(リヴァイアサン)』って……」

『いやだからそいつでもあるのよ一応。『嫉妬(リヴァイアサン)』の名前なら宗教に明るくない奴だって聞いた事ぐらいあるだろう? 感情のあるところにワタシはいる。元からそれがあって神や人間がそう名付けたのが始まりなのか、不定のそれに神や人が形を与えてから始まったのかもう記憶も定かじゃねえがなあ。『傲慢(ルシファー)』だの『憤怒(サタン)』だの『怠惰(ベルフェゴール)』だの『強欲(マモン)』みたいな馬鹿力や悪知恵野郎じゃなくて悪いですが。別にあいつらワタシは嫌いだからいいんだけどさ。まあいいぜ、だべりにワタシも来た訳じゃない。自己紹介もそこそこに、腹が決まったんならさっさと行こうじゃありませんか?』

 

 身を起こして部屋の入り口を赤い人影は顎で差す。どこに行くのか聞かなくても上条にも分かった。世界を作った破壊の女神の元へ。全く気負った気配も見せずにコンビニに行くような気楽さで神の元へと行こうと吐く赤い人影に、上条はミサカネットワークの総体である少女へと軽く目をやり、再び赤い人影へと目を戻す。

 

「……お前も、来てくれるって言うのか? 俺の我儘なのに」

『そしてワタシの我儘だ』

 

 少年の我儘に赤い人影は『嫉妬』を重ねる。

 

『兄ちゃんがやる気失くしちゃうとさあ。ワタシはあのGODとワタシが折れるまで一緒に居なきゃダメな訳なのですよ。兄ちゃんもこれまでで気付いてるだろう? 神だのなんだの偉ぶってもアレにも感情がある。兄ちゃんが消え、世界に何がなくなっても、アレを認識してしまった以上、アレがいる限りワタシも消えない。知らないところで粉砕されてれば羨むもクソもなかったんだけどね。今のアレと一生一緒とか嫌だもんワタシ。それに黒い世界に落とされる前にワタシの外装が言っただろう? 『俺』はお前の隣にいるぜ』

 

 羨み憧れ恋い焦がれる。その本質は変わらない。上条当麻が腑抜けたままなら並ぶなど御免被るが、そうでないのなら足を止める理由もない。誰かがいるからこそ存在し、追い続け競争しどこまで行っても満足しない不毛な羨望する魔王。神ほど慈悲深くはないが、神様よりも人に近い。

 

『それによお、男なら、女の前でカッコつけなきゃもったいねえだろ。羨ましがらせろワタシを神浄討魔。兄ちゃんの奮闘を忘れない奴らがここにはいるぜ。赤信号も一緒に渡れば怖くはねえぜ。どうせ行き着く先が『死』である事に変わらねえなら、楽しそうな方に突っ込みましょう。決めたなら、法水だろうが『嫉妬(リヴァイアサン)』だろうが好きなように呼べ。今はそう呼ばれてやるよ。隣に立つ兄ちゃんになら』

 

 考えるのに長い時間は必要ない。腰を持ち上げ神浄討魔は立ち上がる。見据えるのは一点、学生寮の部屋のドア。日常の詰まっていた部屋から、上条当麻はこれまで何度も非日常へ繋がっていた扉を開けた。

 

「……ああ、決着をつけにいこう。神様ってやつと戦うために」

『beautiful』

 

 赤い人影の呟きを掻き消して、部屋の扉が静かに閉まる。その背を優しい顔で見送っていたミサカネットワークの総体である少女へと目を向けた。何やら白い光の粒子を振り撒いている少女に鮫のように鋭い羨望の瞳を赤い人影は向け、口端を小さく持ち上げた。

 

『かっくいーですねお嬢様方。囚われのお姫様のようにはならず、Kriegerの背を叩いた訳だ。ワタシが『嫉妬』だとするならお嬢様方は『感謝』かねー? そこまでワタシは殊勝にはなれねえぜ。羨ましい事この上ねえよ』

「羨んでないでアンタもさっさと行きなさいよ/return。それがアンタでしょうが/return。それに私はアンタの事が苦手なの、いいところで割り込んで/return。最後まで私にやらせなさいよ/return」

『それじゃあワタシがここまで飛んで来た意味ねえじゃん。急に隣に立ってたらhorreur(ホラー)だろうが。いいとこ全部持ってたんだから自己紹介TIMEぐらいはくれてもいいでしょう? まあバトンは引き受けよう。脅威の前にはワタシが立つ。安心して待っていろよお嬢様方』

「不安なんて元々ないし、そういうところが苦手なの/return。『元の世界』に戻ったら覚悟してろよ/return。いつかその牙へし折って日常に転がしてやるんだから/return。だからアンタもさっさと行く!/return」

 

『おー怖い怖い』と頭を掻いて神様の元へと向かった少年を追い赤い影は身を滑らせる。どうしようもない戦場の中でこそ隣り合うその赤い背中を舌打ち混じりにミサカネットワークの総体である少女は見送って、小さく吐息を吐いた。同じように白い光の粒子を零す白衣を纏う同じ顔の少女と隣り合い、不安も迷いもない笑みを浮かべる。

 

『大丈夫DAよお姉ちゃん達。なんDAか予想外のものが出ちゃっTAけDO、アレもお兄ちゃんDAもん』

「あんなのいなくても大丈夫よ/return。まあいたらいたで頼もしくない訳じゃないけどね/return」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 夜の学校。第七学区にある高校の校庭に、上条達が嫌という程向き合ってきた金髪の少女が立っている。ウェーブがかった金髪。陶器のような白い肌。黒い革製の眼帯。尖った帽子に靡くマント。世界がどれだけ見た目を変えようとも変わらない破壊の女神。こここそが世界の特異点。全ての始まりで終わりである。やって来た上条に特別オティヌスは驚くこともない。世界を統べる神が上条の前にナニカが現れた事に気付かないはずもない。上条と上条の隣に立つ赤い人影。どこで買って来たのやら、お祭り中の街の屋台で売っていたと思われるお面や綿菓子の袋を自分が持てないが故に上条に握らせながら腕を組み赤い煙を吐く赤い人影の横で、オティヌスを目に上条は引っ付けられていたお面や綿菓子の袋を無造作に捨てた。

 

「わざわざ死刑囚に最後の料理を振る舞ってやったというのに、何だその顔は」

『あぁッ⁉︎ 折角買ったのに⁉︎ ひどいぜ兄ちゃん。別にいいじゃんかあんなの待たせとけば。話半分に聞き流しながら綿菓子でも貪ろうぜ。ワタシは食えませんけどね。ってか最後の料理とか! あいつ絶対料理下手ですよ。料理する奴の手じゃないもの。そりゃ兄ちゃんもこんな顔になるさ』

「見事に履き違え、分も弁えず、死に場所に迷いやがって。すでに盤は詰んでいる。まだ呼吸を続けている事を、少しは恥ずかしいとは思わないのか、お前?」

『将棋相手にチェスやるようなルール無視の奴に言われたかないよなぁ? 偉そうな事言いながらここまで人ひとり殺し切れない神様ってどうなの? うわぁ、恥ずかしい! 恥ずかしくても穴がないから入れないぜ!』

「やかましいッ」

 

 オティヌスが無造作に手を振るい、赤い人影が弾け飛ぶ。千切れた手足を校庭に転がし、消失した首から下に赤い頭を大地に打ち付け赤い人影は叫び声を上げる事なく口笛を吹いた。水滴が集まるように顔を中心に寄り集まった水溜りから体を伸ばし、神に拍手を送りながら、向けられる苛立った神の顔を舐め取るように舌舐めずりして迎え入れる。

 

「そんなモノさえ捨て切れずに連れて来るとは、今さら何を埋め込まれた」

「きっと、お前の知らないものを」

 

 短い少年の言葉に神は腕を水平に振るい槍を握る事で答える。目を細める神の心の揺らぎに目を細め、上条の隣で赤い人影は大きく笑う。滑稽に。戯ける道化師のように。その笑い声が逆立つ心をより撫で付け、オティヌスが槍の柄先で地面を小突いたと同時。再び赤い人影が弾け飛んだ。ただすぐに渦を巻くように体を振るい浮かび上がらせ、上条の肩に寄りかかって指を弾く。

 

「馬鹿を世界で押し潰すのにも、もう飽いた」

『神に唾を吐くってなぁ、今なら吐いた唾も神に当たるぜ〜』

「壊れないなら殺すまでだ。もっと脆弱な器に幻想殺しを移し替えてから壊した方が、安定管理できるかもしれないからな」

『それって諦めなんじゃないですか? お嬢さん管理局の人? 誰もお嬢さんに預けるとか初めから頼んでもないんだけどよ』

「……減らず口がッ、よく回るものだ」

『悪魔の口を縫い合わせるかよ? ようやく口が回るようになったのに。それよりお嬢さんの方の準備はいいのか? 世界の為なんてどうだっていいものじゃない。これは己が世界の為の戦いなんだぜ?』

 

 上条と赤い人影の足元が吹き飛ぶ。最早手を振るうのも、指を弾くのももったいないという有様で、動かぬ神の一撃に遠く空に舞い上がった少年を崩れた体で赤い人影は見上げながら、神の隣で形を成しその耳元で赤い牙をカチ鳴らす。

 

『他の奴が喋らねえ分ワタシが喋って囃し立ててやんよ。なあ神様、人間以上に諦め悪い馬鹿はいねえんだぜ。例え破滅に行き着くと分かっていてもよ。下手に莫大な力を持ってないからこそ、壊せないものがあると知っているが故に。『嫉妬』に身悶え足掻くのさ。振れ幅の違いこそあれそれは神にも言えちゃったりするんですよねー、だから』

「囀るな悪魔が!」

 

 振るわれた裏拳に頭を砕かれ、空中浮遊を楽しんでいた上条が大地に叩きつけられた結果、死を迎えそして立ち上がる横に赤い人影もしゃがんだ膝の上に頰杖をつきながら浮かび上がる。噎せる上条を一瞥し、指で突っつく先で槍を掲げたオティヌスの方から漆黒の月が落とされる。それに上条共々押し潰され、少し離れた所に浮かび上がった赤い人影の前に、横に飛んでいた上条の体が転がり出る。半球状に消失した地面を見つめて手を叩く赤い人影の横で足を踏み込み飛び出した上条の膝が変な方向にへし折れ巻き込まれるように体が潰れた。ものの、上条は再び二本の足で立ち、突っ込もうと上条が身を倒す先で、一足先に上条の懐に潜り込んでいたオティヌスが細い腕で上条の首を掴み吊り上げた。そのまま上条の首がへし折れる。

 

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 勝負の形になっていない。持ち得る力が違い過ぎる。何度も何度も繰り返し壊され、その度に蘇り違う選択肢を選びとっているだけで、一歩近づく為だけに膨大な時間を費やしている。僅かに機微の違う大長編の映画を無限に見せられているような状況に、赤い人影は校庭の上に横になって手で尻を掻いていた。そんな赤い人影へと上条は目を向け、一つ欠伸をした赤い人影に獰猛な笑顔を返され、笑顔を向けた。

 

「……でも、俺の方も少しずつ分かってきたぞ」

「人が神を語るのか?」

「お前は、どうあっても俺を殺さない。そうなんだろ?」

『んあ、殺し方の話? まあそれがやってるのは砂場に作った砂山を力任せに蹴散らしてるだけで華はないですねぇ。ただそれに突き刺さってる旗だけは取り替えずに山を作っては崩してを繰り返しているだけよ。破壊の神じゃなくてお遊戯の神様なのって具合だぜ。旗が欲しくて堪らないのさ。兄ちゃんの軌跡はワタシが見てきた。存分に語ってやれ。GODを語るのは人の特権の一つよ〜』

「ああ! 殺せないじゃない。お前はそれをやらないだけだ。今から殺すと宣言したにも拘らず、だ。そこにはきっと、理由がある。何かが────」

 

 ゴギリッ。と鈍い音が響き上条の首がへし折れる。それを笑顔で見送って、赤い人影は体を叩きながら立ち上がり、神に向けた足を出した。

 

『さあまたintervalの間お喋りしようぜ? 時間だけは無限にある』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『さあ最後で最初のお話TIMEですよー。観客もいなければ照明もないけれども、let's thinking time! 生憎ライフラインの在庫はとっくにないんだよねん。電話かけても繋がらねえし、選択肢は元から二つだけ。どうするどうする?』

「いや、お前さ、他にできる事ないのか?」

『できないよワタシそこにいるだけだもん。喋れるようになっただけ。神様ちゃんはワタシとお喋りしたくないのか耳を塞ぐ事に一生懸命だしよ。なまじ力があるだけに、見たいものしか見ないのさ』

 

 黒一色の何もない世界。上条と赤い人影は向かい合って腰を下ろし、果てしない黒い荒野の果てにいるだろう神の方へと目を向ける。こうして話し合うのも何度目なのか。『祝! 千回突破!』と赤い人影が手を叩いたのも遥か昔。それでも無限に続く階段を一歩一歩上るように前に進む足は止めない。

 

『塵も積もればmountainてな具合でな。力が積み上がらなくてもHeartは積み上がってくぜ。アレの目には不毛に見えるかもしれないが、寧ろ不毛にどっぷり浸かってるのは彼方さんなのです。追うべき光が見える分、兄ちゃんは迷わずに済むからな。自分自身が輝きで指標だと神様ちゃんは気付いてないのさ』

「なんで?」

『羨望だよ』

 

 羨ましい。何に対してそれを抱くのかは人それぞれ。人が誰かを羨むように、神だって誰かを羨むことがある。力があるが故に並ぶ者がいない孤独。なんでもできてしまうが故にできないことがある事への渇望。本当は望む何かがあると分かっているにも関わらず、その鈍い欲望が『悪』であると分かっているが故に手が出せない。この世にただ一人では己ではいられない。魔神がその力を持ってしても、選択肢を選び切れない訳がある。

 

『羨ましがらせろ。手を伸ばさせろ。掴めないなら掴みに来させればいい。『嫉妬』を積み上げろ。どんな奴でも目の前に走り続けてる奴がいれば目で追っちまう。積んで積んでそれが弾丸のような結晶になった時はワタシを呼べ。最悪の狙撃をプレゼントしてやる』

「…………勝手にやれよ」

『んん?』

 

 悪魔の笑顔が僅かに固まる。笑みを消した上条の瞳を赤い瞳が覗き込み、その瞳の輝きに目を丸くする。上条は投げやりになっている訳でも諦めた訳でもない。『嫉妬』を煽る口だけを回す羨望の魔王を真正面に見つめ、上条は右の拳を握り締めた。

 

「お前とももう長い付き合いだ。分かるよ。お前の言う通りに動く奴なんてお前好きじゃないだろ? これは俺の我儘でオティヌスの我儘だ。だからお前も勝手にしろ。手を伸ばしたくなったら伸ばせばいい。わざわざお前の名前なんて呼んだりしない。これはオティヌスとだけじゃない。お前との勝負でもあるんだろ? お前が誰の隣に立つか。嫌だとか言いながらお前はオティヌスの隣にもいる。好き嫌いで誰かの隣に立っている訳じゃない。俺は進む。あいつもそうだ。どっちが勝ってもお前だけは隣にいる。だから俺も迷わず進めるし、きっとあいつも……。今回はお前に引き金は引かせない。俺が引くんだ。俺が頼るとしたら友達にでお前にじゃない。選択肢は俺達で選ぶよ。だからお前も勝手に手を伸ばして歩いて来いよ」

 

 立ち上がり、黒い荒野の先で変わらず待っているだろう輝きに向けて上条は歩き出す。その背を呆けた顔で赤い人影はしばらく見つめ、深く横に鋭い牙を裂いた。己も持たずに誰かを頼り続けるなど堕落の道だ。そんなの羨ましくもなんともない。葛藤の先に羨望がある。羨み迷い憧れ追う。多くは破滅へと足を運ぶが、時折正しい道へと足を運ばせる。どこかで響くボルトハンドルを引く硬質の音を聞きながら、赤い人影も立ち上がった。

 

『んっふっふー、ワタシのことよく分かってる〜。羨ましいぜッ。神も人も愛しているぜワタシは! だから早く見せてくれよ。答えという輝きを』

 

 繰り返される世界を赤い人影は少し離れたところで静かに眺める。お気に入りの映画を鑑賞するように。輝きを増す人間と感情を揺らめかせる神の顔を。出来上がりつつある『嫉妬』で鍛えられあげた必死を待って。


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