あれから何度繰り返したか。死と生を繰り返す無限回廊を渡り歩き、ただ次の一言を言う為だけに上条当麻は破壊の女神の前に立つ。
人生に『死』は一度きり。そんな理さえも投げ捨てて繰り返される短い会話。折れたら終わりのチキンレースから降りることなく、一歩一歩歩くように上条当麻は破壊の女神に躙り寄る。
「何故貴様はこうも折れない!! 死に際を何度も繰り返したせいで本質さえも見失ったか。よもや胸を張って私は馬鹿だと宣言する類の人間ではないだろうな!!」
『だから言ったのに神様ちゃん』
額に青筋を浮かべた神の姿を、可笑しそうに虚空に腰掛け足を組んだ赤い人影は見つめ笑う。人間程馬鹿な奴はいない。好き過ぎるあまり愛する相手にナイフを突き立て、『これでずっと一緒だね』と意味不明な言葉を吐いて死肉を食んだりする。『嫉妬』故に。正しいはずの行いが破滅につながって行く様を、日常の中にいながらも、時折爆発的に道を踏み外す人々の営みを何度も赤い人影は見てきた。
時には被害者。時には加害者。
いずれにしても言えるのは、『嫉妬』こそ馬鹿の原動力の一つだということ。激昂し上条を消し飛ばす神の横に立ち、荒い息を吐くオティヌスをそっちのけで赤い人影は夜空を見上げた。
『ギリシア神話のへーラーは知っているだろう? 嫉妬する女神の代表格さ。怒りと嫉妬は同居する。ワタシは『
「うるさい! 貴様に何が分かる! 貴様こそ知ったような口を利くな!」
『知らなきゃ口開けないならこの世はもっと静寂に包まれてるだろうぜ。聞くは一時の恥ってね。知らないなら聞けばいいだけよ。分かってくれないと喚く前に分かって貰う努力をしないと。人だから神の事など分からないなんて言うなよ? それってそっちから伸ばされてる手を切ってるだけだし。最後には手を伸ばした『フレイヤ』の方がずっとお利口さんです。ほら来たぜ』
オティヌスの前に少年が立つ。再び長い旅路の果てに変わらず神の前にやって来る。死に覚えゲームのように同じ光景を繰り返しながら、上条はまた一歩深くオティヌスの前へと踏み込んだ。
「折れる訳がねえだろ……ここさえ乗り越えれば、
唇の端を噛むオティヌスを横から赤い人影は見下ろし。羨望の魔王の眼差しに気付いたオティヌスは、苛つきをそのまま上条にぶつけるように力を振るった。砂のように崩れ消える少年に『行ってらっしゃい』と手を振って、赤い人影は再び夜空を見上げる。星の数でも数えているのか、『まだ足りないねぇ』と独り言ち、顔というキャンバスに表情を描く神へと目を戻す。
『もうなんとなく気付いてるんだろう? あの兄ちゃんがやって来ないなんて事はないよ。神様ちゃんは期待してるのさ。そしてその期待通りに兄ちゃんはやって来る。兄ちゃんはもう答えを持ってる。答えを持っていないのはお嬢様だけですよ。それが羨ましいんだろう?』
「貴様は、いい加減にッ、その口を」
『閉じてもできる事ねえしなぁ。知ったような? 知ってるぜ。ワタシは誰より弱いのさ。誰よりpowerがなく、誰より足が遅い。誰より脆く、誰より阿呆だ。ワタシが強く見えるのであれば、それはワタシと隣り合う者が強いからだよ。追い並ぶ事が全て。蹴落としたい訳じゃないのです。誰かがいるからワタシは強くなれるし速くなれる。お嬢様自身の輝きに早く気付いて欲しいもんだ。なあ?』
「……なんだ。まだ何か」
『ほら来るぜ』
赤い人影が顎で指し示した先に少年が立つ。『期待通りに』。そう言うように笑う赤い人影を後ろ蹴りで粉微塵に吹き飛ばしながら、オティヌスは上条に向き直った。繰り返される破壊の喜劇。一撃あれば上条を殺せる。だが、どれだけ死を積み重ねても、上条はそれさえ背負いオティヌスの前へとやって来る。
紡がれる新たな一歩は確かに一歩で、その場で殺され消されようと、踏み出した足跡は残ったまま。破壊音に混じる少年の声を聞きながら赤い人影は笑い続け、やがてそれがぴたりと止まる。歩き、歩き続けた少年が神の迷いへと踏み込んだから。手を叩き合せ、『答え合せだ』と言い上条に顔を向けて小さく笑う。
「……
迷子の迷子の神様。それが『魔神』オティヌスの全て。神の心に手を伸ばすような上条の言葉に破壊の女神の手が止まる。世界を渡り歩き、歩き続けた旅人は、すっかり故郷への帰り方を忘れてしまった。故郷がどんな場所であったのか、覚えているのは旅人だけ。だから旅人は帰る為に歩く。それしかできない。帰り方を、故郷を忘れてしまっても、歩き続ける事以外残されていない。そして故郷のような場所に辿り着き一度は腰を落ち着けた。ただ、そのままでいれなかった。腰を落ち着けた場所は故郷のような場所であって故郷ではない。だから旅人はまた歩く。一度は諦めた長旅を再びする為に歩き易いように杖を握って。
「アンタがのちの時代で『槍』を求めたのも、世界の改造を望んだのも、きっと不安がぶり返したからだ。完璧にしつらえたはずの世界が本当に完璧なのか不安になって、すでに発表したはずの作品に、もう一度手を加えてみたくなった。自らの手で放棄した力をもう一度手に入れるため、一体何をやらかしたんだか知らないが、訳知り顔のオッレルスがあれだけ憎んでいたって事は『何か』があったんだろ。……アンタが『次の世界』を渇望するのは、キャンバスに絵の具の上塗りをしたいからだ。だとすれば、これまでの葛藤だって頷ける」
これまでを分かっていると上条は断じて右手を握り締める。どれだけ旅を続けても、行き着く先は結局同じ。故郷のような場所に腰を落ち着けるのか。それとも故郷に戻るのか。故郷に戻る事もできる。その為の切符は正にオティヌスの目の前にある。『
『元の世界』と『次の世界』。どちらも選べるが故に選べない。上条はもう選んでいる。カードの上に手を置いている。だからこそ、オティヌスがその手に手を重ねるのか、それとももう一つのカードを選ぶのか。それこそがオティヌスの待つ答え。自分の事の癖に選び切れない。
まるで竜宮城に行った浦島太郎だ。元の故郷に戻ったところでそこはもう故郷ではない。長旅を終えた旅人を歓迎して出迎えるでもなく、朝普通に家から出て来たくらいにしか思ってくれない。旅人に残されたできる事は、玉手箱を開けてアレは夢だったと思い込むか、玉手箱を開けずに歯を食いしばって今に耐えるか。
「……ああ確かに上手くいかなかった。それじゃ上手くいかなかった!! 絵の具をはがすパレットナイフがあっても、コンマ単位で薄く薄く削ぎ落としても、出てきた一枚になんか納得できなかった。『元に戻す』なんて都合の良い道は、もうない。時代は前にしか進まない。望むものが目の前になければ、後は『次の世界』を形作るしか方法はない!!」
「……分かっているはずだ、オティヌス」
「何がだ。人の子如きが不遜にも神の計算を知った口で語るつもりか。ここに至る試行錯誤の一端すら理解できない矮小な頭で、結論だけは追い抜けるなどとは虫が良過ぎる!!」
「そんな話じゃない。技術や理論の話じゃない。俺の渇望は、アンタだったら分かるはずだ。俺とアンタは、全く同じ真っ黒な迷宮に迷い込んだ! だったら分かるはずだ!! あの場所へ帰る。全てを失い、全てに憎悪され、それでもいつの日かまた笑い合えるように! たったそれだけあれば、どれだけものをかなぐり捨てて前へ進めるかを!! アンタは知ってるはずだ!!」
上条の言葉にオティヌスが言葉に詰まった。選び切れなかったその結果。自分と同じ場所へと一人の少年を引き摺り落としただけ。それも悪意の詰まった場所にへと。そのおかげで少年は並んだ。長い時間を掛けて歩き続け、神の見ている景色へと。その事実に赤い人影は大きく口を横に引き裂く。
オティヌスにとっての『元の世界』を上条は選ばない。オティヌスにとっての『次の世界』、上条にとっての『元の世界』に上条はもう手を置いている。それでも、未だにオティヌスは手が出せない。置かれたカードは置かれたまま。ただ一足先にカードに置かれた少年の手をこそ力任せに振り払う。再びその手が伸ばされるだろうことを知っていながら。
再び始まる破壊の喜劇に、『あ〜あ』と赤い人影は吐息を吐き出し、口から零した赤い煙で亀を描き夜空に飛ばす。黒一色の世界と夜の校庭。始まりと終わりを繰り返し繰り返し繰り返し、葛藤に揺れる思考を削るように繰り返す度に顔から表情を消すオティヌスを目に、赤い影はそっぽを向きながらちょこちょこ足を動かして魔神の横に立つ。
『諦めるんですか〜? もしも〜し? 聞いてますか〜? 聞こえないふりしないで欲しいぜ。分かってる癖にぃ。『元の世界』? 『次の世界』? それって結局どっちも『次の世界』だろうに』
「……うるさい」
『ワタシの外装の話をするなら、第三次世界大戦で壊れた瑞西はもう元には戻らない。お嬢様になら戻せるのかもしれないが、例え戻っても感謝はしないよ。不幸だろうが幸福だろうが、その為に重ねた『必死』こそが全てであって、結果は既にもう飲み込んだ。他人の結果なんてどうでもいいのかもしれないが、選ぶなら選ぶで諦めじゃなく選んで欲しいね。だって羨ましくないんだもの』
「貴様の羨望などどうでもいい。くそっ、いつまで隣にいる気だッ」
『いつまでも。ぶっちゃけさぁ、ワタシ個人としては折れる事はないんだよ。ワタシが折れる時は隣り合う者が折れる時。折れたら折れたで別の奴の隣に立つしさ。だから神様ちゃんにもあまり折れて欲しくない訳さ。諦めるのが少し早いよ。諦めてない奴がまだいるのに。どんな世界でも積み重ねは嘘をつかない。もう少し頑張ってみな。人間は成長する生き物なんだぜ。これまで通り期待してやれ』
「貴様はどっちの味方だッ!」
『どっちも。ほら顔に波風立ってる。茹だった頭じゃそろそろじゃないか? 後もう十回も要らないよ。ほら来たぜ』
夜の校庭に立つ少年。舌を打ちながら向き直った破壊の女神の一撃が降り注ぐ。一撃一殺。その通り少年は砕け散る。次も。その次も。『期待してやれ』などと『嫉妬』が言っても何が変わる訳でもない。なぜわざわざ波風立てるのか。喧しく騒ぎ立てるだけで、そこにいるだけで手を出す訳でもなく見ているだけ。それで何が変わるのか。再三振られる破壊の一撃を目にしながら、赤い人影は『ガシャリッ!』と間の抜けた言葉を不意に挟んだそれと同時。少年に向けられた破壊の一撃が、少年を巻き込む事なく空間で爆ぜる。
「貴様ッ!」
オティヌスが赤い人影に鋭い目を向けるも、赤い人影は少年を見つめて微笑むだけで動かない。何かしたのか? その言葉を吐かずに続けて放たれた一撃も少年の体を砕く事はなかった。一度はまぐれであったとしても二度目はない。オティヌスにだってそれは分かる。オティヌスが外した訳でもなければ、羨望の魔王が手を加えた訳でもない。
ただ上条当麻が避けただけ。
「なん、だ……何が起きている!? お前のスペックでこの私と渡り合うなど不可能なはずだ!!」
『並んだんだよ』
上条当麻は諦めずに走り続けた。無限に見える頂を目指して絶えず足を伸ばし続けた。届かないと知っていながら、それでも積み上げ続ける事をやめない。単純な力で勝てなくても、結局一人の動きには限界がある。威力に限界はなかろうが、動くパターンだけは消す事ができない。無限に詰み将棋をし続けたように、一手一手破壊の女神の一撃を咀嚼し己が身に落とし込み上条当麻は立っている。追い抜く事はできずとも、持つ手札で並ぶ事はできる。その体現者に、赤い人影は満面の笑みを送り手を叩いた。心の底から祝福するように。振られる神の一撃が、紙一重で躱され続ける。一度揺れ動いた神の意識をより大きく揺さぶるように。
『あれを作り上げたのは神様ちゃんだよ。アレこそが神様ちゃんの葛藤の体現者。選択肢の一つと同じ。諦めるなんて言わずに必死になりなよ。欲するなら拾うんじゃなくて掴まなきゃ。今なら真っさらな本気に本気で答えてくれる男がいるよ』
「……それで世界が砕けてもいいのか? お前達のいた『元の世界』が」
『それを決めるのはワタシじゃない。これはお嬢様方の戦いだ』
「勝手な奴だ」
『勝手にしろと言われたもの』
「なら……もう、いい。私も選ぼう。前へと進む。だからいい加減その口喧しい口を閉じていろ」
言われた通り口を閉じ、前を向いたオティヌスに赤い人影は笑みを送る。
破壊の女神が『槍』を持ち上げる。百発百中、不可避の一撃と呼ばれる代名詞。グングニールの槍を放つ為に。北欧神話の主神たる所以。その腕の一振りで、時は止まり世界が砕ける。必中にして終幕の一打。絶対に当たる。それは本来ありえない。どんな一撃でも必ず外れる可能性を秘めている。世界最高峰の狙撃手集団と呼ばれる『時の鐘』でさえ外す事は当然ある。オーバード=シェリーでもそれは同じ。ただ神の一撃は、それを嘲笑うかのように不可能を可能にしてしまう。狙撃の極致を突き抜けた究極の狙撃。投げれば対象を穿つ一撃決殺。
その衝撃に世界が揺らいだ。飛び立つ槍が世界を抉り、破壊の波が粉々に世界の破片をばら撒いていく。究極の狙撃に赤い人影が見惚れるその先で、世界を絡め取り飛翔する巨大な槍を上条当麻が静かに見据えた。決定事項として『破壊』そのものを投げつけたような一撃に、砕けた世界が津波のように一人の少年へと押し寄せる。壊れた世界を引っ張り伸びる槍を前に、それでも少年は握った右の拳を緩めない。
オティヌスの顔が歪み、赤い人影は笑う。
「今のお前だけなら‼︎ 俺は乗り越えられる!!!!」
神浄討魔がほんの僅かに笑っていたから。
その動きはひどく単調だった。
右の拳を握りただ前に放つ。武術家のような洗練されたものでもなければ、能力や魔術によって補強されたものでもない。ただ拳による一撃。その一撃に笑みを消し、赤い人影は目を見開き強烈に惹かれ見惚れる。強い一撃という訳ではない。速い一撃という訳ではない。
『羨ましいぜッ』
それは、少年が積み重ね一人の少女の為だけに握り削り出した究極の一撃。緻密に精密に描かれたそれは、他の何に使えなくても、ただ一人の少女だけに意味がある。絶対に当たる『槍』の一撃に究極の一撃が返される。鋭い槍の先端に少年の右の拳が触れる。描かれる光景は破壊であっても、最高の芸術品を眺めるように赤い人影は感嘆の息を零した。その吐息を砕くような音が鳴り響き、真上に弾かれた槍はオティヌスの手元に戻ろうと回転しながら、役目を終えたかのようにその体を砕き消えた。
「……終わった、ぞ……。俺は、きちんと、終わらせた……。お前は、俺の夢から、逃げられないぞ……」
漆黒の世界で少年は笑う。『槍』を砕いた右手の指があらぬ方向に曲がっていても気にせずに。世界を始点へと戻す成功率一〇〇%の方向性を決めうる『槍』は砕けた。例え何度この先繰り返したところで、一度でも絶対を砕いた事実は変わらない。上条が積み上げてきたこれまでと同じ。砕けた絶対は変わらない。ただそれでも、呆然としながらもオティヌスもまた諦めはしない。選ぶと口にした通り、やり直さずに前へと進む。残された失敗一〇〇%さえ逆手にとって、『でも俺は、多分お前に勝つよ』と何かを噛みしめるように口にする少年をオティヌスは見据える。それに合わせてオティヌスの背中から胸にかけて光の杭が伸び、空間に亀裂を走らせた。
「お前をここまでつけ上がらせたのは、間違いなくこの神の落ち度によるところだ。であればここで雪ぐ。地の底に伏して己の位階を学び直すが良い、人間‼︎」
漆黒の世界に亀裂が広がる。どこまでも、どこまでも。世界の果てのその先に。成功率一〇〇%で世界を穿つのも、失敗一〇〇%で世界を砕くのも結局結果は変わらない。世界の中心に立つのは破壊の女神。破壊色の絵画が漆黒の世界を染めていくのを少年は見つめながら。
「良いんじゃねえの、別に」
「……なに?」
「言葉で言って説得させられるほど、軽いものを背負ってる訳じゃねえだろ。
その少年の一言で、少女の怒りは沸点を超えた。そうなると分かっていても少年は言葉を止めなかった。揺れに揺れた感情の起伏を噛み砕くように、少女は犬歯で己の唇の端を噛み切る。亀裂の入った暗闇に朱滴が舞い、赤い人影は舞い散る血の雫を舐め取りながら、魔神を横目に人間の横へと滑り歩く。
世界の手に『
『くひひハハッ! ぷぐッ‼︎』
────ズルリ、と。
口を膨らませた赤い人影は笑い嗚咽しながら無数の牙が並んだ口を上条の横で大きく開ける。そのどこに繋がっているのかも分からない喉の奥の奥から赤い銃身が外へと伸びる。破壊の一撃を大きく横に飛び避ける上条の傍から離れる事もなく、常に隣に立ちながら口から吐き出された大口径の銃身は、何かの重さに耐えかねるかのように垂れ下がる。赤い人影の口から伸びる銃身は長い舌のようにも見え、漆黒の大地に突き刺さった矢が、その威力故に世界に穴を穿つが如く軌跡だけを残して大地に消える様と合わせて上条は二つの不可解に目を見開く。
その先で、垂れ下がっていた赤い舌が両翼に手を伸ばす。十字架のようにも見えるそれは巨大なクロスボウ。それを掬い上げるように赤い人影は手に取って肩へと掛ける。
『もう見飽きた。我慢の限界だ。その輝きに並ばせろ。タハハッ!』
二発三発と上条を狙い泳ぎ煌めく破壊の矢。ただ目の前の相手を倒す為だけにひた走る上条と矢を動かすオティヌスの間で指揮者のように手を振って、走る破壊の光を赤い人影は目で追った。オティヌスの事だけを考え神経を研ぎ澄ませ避け続ける上条の隣で、真正面から飛来する矢に上条が握った拳を掬い上げるように動かそうとするのと同時。自ら赤い人影は破壊の矢へと飛び込み人の形を超えた大口を開けて飛んでくる矢に齧り付く。
『ぐげッ⁉︎ ぶッ⁉︎ GYAAAAAAAッ!!!!』
驚く上条の背後に転がりながら、抱え切れぬ破壊の色に身悶え体にヒビを走らせた『
『ぐひッ、ゲ……ッ、兄ちゃんを届けてやるよ。神がどれだけ『弩』が上手いか知らねえが、瑞西には稀代のクロスボウの名手が居てな。ほれぼれするような腕前だった。その腕前で国さえ作った男がいるのさ。ただし保証もなにもねえんだが』
「ッ! なんだっていい! お前がそうなら、お前がそうだって言うなら! お前は絶対外さねえだろッ‼︎」
『ちょっとだけオマケしてやるぜ。失敗一〇〇%での結果なんて拝みたくねえし拝ませねえ。最悪を脅威を『俺』が穿ってやるぜ! コイツはそれだけを積んできた!』
「オティヌスッ‼︎」
上条の背後で赤い人影は小さく微笑む。ひた走る少年の輝きを追うように目を細め、ひび割れた指先を僅かに押し込んだ。海を泳ぐ時は波が逆巻き、口から炎を、鼻から煙を吹く。口には鋭く巨大な歯を並べた『
十本目の破壊の矢。
魔神オティヌスの背後が瞬く。少女の身を突き破り、オティヌスの元へと駆ける少年の前へと矢が飛来する。少女に向かっているからこそ見えない死角。対処の遅れた上条の事など気にもせずに舌舐めずりし、赤い人影は上条の背後から上条ごと真紅の矢を撃ち放つ。
「……あ」
少女が貫かれ少年が貫かれる。少年少女の赤色を引っ張り、真正面からぶち当たった矢同士の先端は捻れ、ただ弾ける事はなく、お互いを喰い合うように消えて行く。真紅の矢の衝撃で前方へと吹き飛んだ上条の体がオティヌス目掛けて飛んで行く。貫かれた端から瞬時に再生し変わらず突っ立つ神の元へ。胴体を引き千切られながらも伸ばす少年の手が神に触れる。それで何が変わる訳でもない。ただ、確かに少年は届いた。
結果だけを見るならば、どちらが勝者かは明白だ。事切れる寸前の少年と見た目は無傷の破壊の女神。寄り添う二人を目にしながら、赤い人影は手に握っていたクロスボウをほっぽり捨てて細く長く口から赤い煙を吐く。勝負の後の語らいは、勝負した者達のみが手にできるもの。少年と少女が交わす言葉を聞くこともなく、赤い人影はひび割れた体でその場に寝転がる。少年の輝きと少女の輝き、その余韻に浸りながら微笑んで。
「────お前、消えるのか?」
赤い人影が目を閉じどれだけの時間が経過したのか。不意に流れて来た少女の言葉に、薄っすら赤い人影は目を開ける。漆黒の世界に一人立つ少女。傍には腕をダラリと垂れ下げた少年。動かなくなった少年と最後にどんな会話をしたのか赤い人影は知らないが、知らないが故に知っている事だけを答える。
『消えはしないよ。ただお嬢さんが本当の意味で一人になったから目に見えなくなるだけさ。ワタシはいつも隣にいるぜ。なぜならワタシはお嬢さん自身でも少しはあるのだから』
「……なぜ最後あいつを撃った?」
『兄ちゃんが届きたいと瞬いていたから手を伸ばしちまっただけ。恋い焦がれて破滅する。それがワタシさ。ワタシを檻に入れて飼ってくれる理性もなければ手が滑っちまうと言ったところかね。でも兄ちゃんは届いたろう?』
ひび割れた身を赤い人影は起こす。バラバラと破片が漆黒の大地を小突き混ざり赤色はすぐに黒色に飲まれるように消えていく。それでも赤い人影は表情に貼り付けた笑みを崩さず、口から零す赤い煙でスマイルマークを暗闇に描いた。
『誰かがいるから自分なのさ。神でも人でもそれは変わらない。違いを恐れる必要などない。お嬢さんは選ぶと決めたのだろう? なら選べ、それは勝者の特権だ。並びたい誰かは自分で選べよ。ワタシは騒ぎ立てるだけで、最後結局選ぶのは君だ』
「…………お前は嫌いだ」
『そりゃある意味相思相愛だ。選べる君が羨ましいぜッ。ワタシは誰でもあり君でもある。いてもいなくても変わらない。その通り。ワタシはいつも君といるけど、君の誰かにはなり得ない』
「お前はただうるさいだけの悪魔だった」
『だって悪魔だもの。だから誰かに囁き誘惑するのさ。今の君にそれは必要なさそうだけど』
「お前は、嫌いだよ」
『だってワタシは悪魔だもの』
オティヌスにウィンクを送り赤い人影は崩れ落ちる。少女の足元に残った赤い水溜りは少女の影に溶け込むように姿を消し、黒い世界から赤色が消えた。
少女が動かなくなった少年の手を握る。少女の呟きと手を握り締める音を聞いていたのは漆黒の世界に立つ少女一人だけ。世界が築き上げられる音を聞いたのもまた、少女一人だけだ。
世界が瞬き色付きだす。