時の鐘   作:生崎

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上条当麻と法水孫市 ⑥

「……なんだ?」

 

 違和感に足を止める。黒子の口づけを受けて茹だるように熱い頭に氷水をぶっかけられた気分だ。周囲を取り巻く波の質が急に変わった。なによりも、隣に立っている上条の鼓動の乱れが著しい。急にテレビのチャンネルを切り替えられたかのように、目に見える光景は変わらないはずが、それらを構成する何かが変わってしまったかのように。なによりも、なんとも体が重く気怠い。心の底で荒れ狂っていた衝動が急に眠ってしまったかのように身の内から熱が消失する。

 

 狙撃銃を握ったまま上条へと目を向ければ、今睡眠から目覚めましたと言うように目をパチクリと瞬き、何とも奇妙な顔を浮かべている。まるでここに居ることが間違いとでも言うように、呼吸のリズムや筋肉の軋みが先程とはまるで違う。周囲へと慌ただしく目を走らせた上条は禁書目録のお嬢さんやレイヴィニアさんを目に留めて、最後に俺に顔を向けると眉間に皺を刻む。何だその顔は。

 

「おい大丈夫か? 幽霊でも見たような顔して。お前上条だよな?」

「あっ……お前、法水だよな?」

 

 なぜ上条の方がそれを聞く。魔術的な攻撃でも一足先に受けたのかは知らないが、そんな事を言っている場合ではない。上条の肩を小突き前を顎で指す。狙撃銃の引き金に指を添えて顔を上げた先、輪切りになっている船の甲板上に立つ金髪の少女。それを追ってここまで来た。

 

「オティ、ヌス……?」

 

 上条が金髪の少女の名前を呼ぶ。名前を呼ぶが何を驚く。ここは『船の墓場(サルガッソー)』。オティヌスがいるのは当然で、いると分かっているからこそ学園都市からわざわざ飛び出しやって来た。『北条』まで引き込んだ情報戦にさえ長けているのであろう『グレムリン』の長である『魔神』に勝てるかどうかは分からないが、力で勝てずともこれだけの人数がいればなんとか突破口はあるはずだ。その鍵こそが上条当麻。

 

 だと言うのに、何を一番に突っ込んで一番に呆けている? 上条だけが気づいた何かがあったのか? 

 

「あなたがオティヌスね! 東京の街をこんなにメチャクチャにして、みんなを困らせて!! もうこれ以上は好き勝手にさせないんだから!!」

 

 急に戻って来た理性が頭を回し始めるのを、口火を切った禁書目録(インデックス)のお嬢さんの声が引き戻す。何が何だか分からないが、やるべき事は変わらない。ボルトハンドルを引き、特殊振動弾を装填する。依頼されたのは『グレムリン』の殲滅。その仕事を受けると決めた。上条が何かに気付いたとして、それならそれで上条はどうせ突っ走るだけだ。

 

 御坂さんが、レッサーさんが、レイヴィニアさんが『魔神』へと言葉を投げつけるのを聞き流しながら、ボルトハンドルを押し込み狙撃銃を構えた。ここまで来たなら穿つだけ。言葉ではなく俺は弾丸を吐き出せばいい。己を確固に。オティヌスの世界の波紋を己が世界から観測し吸い込み次の動きを予測する。撃つなら外さない。

 

 外さないが……。

 

『魔神』の野郎避ける気なくないか? 避けるまでもないと言うのか。敵意さえほとんど感じない。脅威とさえ思われていないのか、ここまで無関心だと逆に清々する。それならそれで俺は引き金をただ引くだけ。隣に立つ上条が動くのを感じながら引き金に乗せた指に力を込める。上条だけを突っ走らせやしない。想像通り上条は前に一歩足を出し────、

 

 

「……ばッ⁉︎」

 

 

 そのままくるりと身を翻して俺の銃口の先に立つ。慌てて押し込もうとしていた指を止める。進む方向が違う! 何を射線の前に躍り出ている⁉︎ オティヌスではなく上条の上半身を吹き飛ばすところだった。狙撃銃の構えを解いた先で上条は大きく顔を歪ませ、その頭上を御坂さんの雷撃が、レイヴィニアさんの爆撃が、垣根の白い羽が通り越し『魔神』を砕く為に飛翔した。

 

 ……俺だけ出遅れた。くそッ。

 

「おい上条何やってんだ! 出し惜しみしてる状況じゃないぞ! 『魔神』がどれだけやばいのかくらいバゲージシティで会ってるし分かってるつもりだ! 例え効かなかったとしても目眩しくらいには」

「……ふざけんなよ……ふざけんなよ、馬鹿野郎!! オティヌス、テメェこうなるって分かっていやがったのか!? 俺を助けたらこうなるって分かっていて……っ!!」

「おい聞けッ! ちょっと待ッ、何言ってんだ上条お前! おいくそッ、一人でどうにかなるとッ」

 

 禁書目録(インデックス)のお嬢さんや御坂さんの制止の声さえ聞かずに上条は走り出す。追うべきか否か。どうにも上条の様子がおかしい。舌を打ち、背後へと振り返ったところで黒子と目が合い小さく頷く。上条と並ぶ為に飛び出した。上条が何に気づき、何を走るのかは分からないが、何の理由もないはずもない。魔力の流れも感じないが精神系の攻撃でも受けたのか、何にせよ一人にするよりはマシなはずだ。上条の後を追い足を出し、走る俺の横に釣鐘と垣根が並ぶ。

 

「おい法水」

「……垣根も気付いたか?」

「あの野郎身動ぎもせずに攻撃受けやがったぞ。それで問題ねえのか知らねえが、余裕のつもりか、それにしちゃまともに吹っ飛びやがったがな」

 

 走りながらオティヌスの立っていた甲板へと目を向ければ、そこに『魔神』の姿は既になく、後方へと吹き飛んだ。破壊の痕から見て手加減も何もなかった一撃。それで『魔神』を倒せたとも思えないが、だからといってわざわざ受ける意味が分からない。考えられるのは。

 

「……罠か?」

「さてな。あいつらのことは法水、お前の方が詳しいだろ。どうする?」

「なんにせよ上条をまずは追う。あいつの右手を切り札としてやって来たのに切り札が行方不明じゃどうにもならない。あっちには黒子が残ってくれたから離脱するにも大丈夫だとは思いたいが、垣根、空から全体を見てくれるか? ひょっとすると外側に何か手でも隠してるのかもしれない」

「そりゃいいけどな、お前もつまんねえとこで死んだりすんなよ。俺の最高をまだテメェには見せちゃいねえ」

 

 薄く笑い空へと飛ぶ垣根に手を挙げ答える。何だかんだ自分が約束した事には律儀な奴だ。俺だってそれは見たい。こんな殺風景な場所で死ぬなど御免だ。隣を走る釣鐘に目配せすれば速度を上げて高台へと走り、俺も軍楽器で地面を小突く。

 

 どこまで上条は走って行ったのか。複雑な『船の墓場(サルガッソー)』の内部構造の所為なのか知らないが、振動が上手く広がらず触覚を広げづらい。舌を打ちながら足を出す横で、戻って来た釣鐘が拾って来たらしいボロいラジオを手に苦い顔をする。

 

『東京都内での騒動ですが、解決の糸口が見つかったようです。今、多国籍連合軍が問題の犯罪組織の本拠地への攻撃を開始したとの情報が入りました。あれは……何でしょうか? ミサイル? いえ、何か、何かとてつもなく膨大な数の、流れ星のようなものが東京湾の中央付近へ向かっていくのがここからでも見えます!!』

「……どうするっスか?」

「どうするもこうするもッ、日本政府は重い腰を上げるのが遅過ぎだ! 俺達もう上陸しちまってるんだよ! このままじゃ普通に巻き込まれるわ! 黒子やレイヴィニアさんがいるからあっちは多分大丈夫だとして、垣根も大丈夫だろうが俺達と上条がやばい! なんせ『魔神』をどうにかしようという攻撃だ! だから────」

 

 言葉が終わり切る前に、無数の閃光が空を走った。遥か上空で瞬く光。波の世界が空から降って来る破壊の波に染められる。あんな質量叩き込まれたら、下手に隠れても意味はない。それが少し離れた先の一点に落ちるのを奥歯を噛み見つめる先で、伸ばされる右手の影を見た。

 

 

 破壊の幻想が嘘のように握り潰される。

 

 

 衝撃と轟音。一点を狙い落ちたおかげか、砕けた『船の墓場(サルガッソー)』の破片が肌を軽く切るだけで済み、逆巻く風と体を押すような衝撃に足を踏ん張り耐えた。盾とするように俺の背後に回り、過ぎ去った暴風に額の汗を拭っている釣鐘には拳骨を落として破壊の雨が降り注いだ場所へと足を向け、そこに横たわっている煤に汚れた金髪の『魔神』に向けて狙撃銃を構える。

 

「の、法水⁉︎ 追って来たのか⁉︎」

「切り札をほっぽっとく訳ないだろう。下がれ上条。何やってるのか分からないが、懐柔でもされたのか?」

「そんな訳ッ‼︎」

「……だろうな」

 

 狙撃銃の先端を動かし上条に退けと告げるが上条は横たわるオティヌスの側を離れようとしない。それに加えてオティヌスも特別動くような事はしなかった。怒りというよりも諦めたような顔を浮かべて、「これが現実だ」と傍に立つ上条に告げる。それに悔しそうな顔をする上条が何なのか。知らないうちに敵と仲良くなっていましたみたいな光景を見せつけられても困る。上条にはよくある事だが……そんな風に納得してしまいそうになる今がままならない。結果そうなったとしてこれまで色々な過程があったが、今回はそれさえない。結果だけが差し出されたような状況に少し苛つく。

 

「上条、はっきり言って訳が分からん。何を急に寝返ってるんだお前は。さっきの魔術爆撃を消したのはお前だろう? 何に気付いて何を知ったのかは知らないが、それは意味のある事なのか?」

「意味ならある!」

「それは何だ?」

「コイツを救える!」

 

 はいもう意味が分からない。倒しに来たんだっつうの。言っている事はまあ上条らしい気もするが、なぜ目的が急に百八十度変わっている。洗脳をこそ疑うが、上条に幻想を砕く右手があるだけに、その可能性が低いと分かってしまうからこそ余計に意味が分からない。顔から力が抜けてしまうのが分かるが、なんとか表情には出さないように努める。

 

「……あの人大丈夫なんスか?」

「多分。おい上条右手で頭を触ってみろ…………大丈夫らしい」

「なんなんだよ‼︎」

「お前の態度が急変したんだからまず洗脳の類を普通は疑うだろうが」

「そういうんじゃなくって、お前もあの場所に居たなら分かるだろ!」

「…………あの場所ってどこ?」

 

 そう言えば上条に目を瞬かれた。なんなの? おかしいのは俺なの? 『あの場所』なんて曖昧な何処かしらを指定されても、学園都市からここまでずっと一緒だったのに、これまでの道のり一緒にいるように見えていただけで上条だけ並行世界にでもぶっ飛んでいたとでも言うのか。そんな訳もないだろう。

 

 ただオティヌスを前にあれだけ荒れ狂っていた心の底の底で蠢いていた衝動までも静かなもので、その静寂こそが気味悪い。上条とオティヌス。それ以外で、同じ世界にいるはずなのに見えているものが違うような感じだ。しかもなぜか俺を上条達の枠組みに組み込もうという暴虐ぶり。噛み合わない認識こそが頭痛を呼ぶ。

 

「もういい、上条ちょっとどけ、先に仕事を終わらせよう。話はその後だ」

「だから待てって‼︎ もう仕事とかそういう話じゃ! …………いや、待て、そうだ。そうだよ!」

「な、なんだ? 急に嬉しそうな顔して」

「法水、仕事は終わりだ」

「…………ん?」

 

 何故か急に仕事の終了宣言をされたのですけれど。どうにも状況に頭が追いつかない。『魔神』は終始やる気なさそうだし、盛大な肩透かしをくらった気分だ。上条の中では何かしらの答えが出たのか、走り出す前よりは鼓動が安定し、何より強く畝っている。言葉を挟まずに口を引き結ぶ俺の前へと上条は足を出すと、口を開き力強く言葉を吐いた。

 

「法水、お前の仕事は『グレムリン』の殲滅だろ? 『グレムリン』はもうおしまいだ。ここに居るのはただのオティヌス。『グレムリン』の象徴なんかじゃない。だからもうお前の仕事は終わったんだ」

「…………ほぅ、そう上条は言っているが?」

「……私が何を言っても意味はないだろう。例えそうだったとしても、正規メンバー達がそれを許さん。私が生きている限り、再び象徴として担ぎ上げるさ」

「そう『魔神』は言っているが?」

「バカ! お前まだそんなことッ!」

「法水さん殺るっスか? 多分その方が早いっス」

 

 急かすな急かすな。いや、連合軍の爆撃に『船の墓場(サルガッソー)』が狙われている事を思えば急ぐに越した事はない。てか急ぐ。

 

 ただ、どうにも浜辺に打ち上げられた海豹(アザラシ)のようにやる気を消失しているオティヌスと、倒すではなく救う事にやる気になっているらしい上条。何が正しいのか分からなくなってくる。オティヌスと敵意なく語り合う上条を眺めながら、意識を引きつける為に一度手を叩いた。

 

「……上条の言うことが本当だとしよう。でだ。『魔神』は何故か急に『グレムリン』からの脱退か離脱か知らないが考えていると。で? それで何か変わるのか? 例え急に方針転換したとして、これまでやってきた事が変わる訳じゃない。俺が引き金を引かなくても誰かが引く。事態はもうその段階だ。ごめんなさいと謝ったところで、おそらく行き着く先は処刑台だぞ。それに上条も付き合う気なのか? つまりお前は何がしたい?」

 

 熟年夫婦みたいに自分達は分かってるみたいな空気を出されても、俺も他の奴らもさっぱり分からない。なによりも、『魔神』を殺した方がいい理由はいくつもあるが、救わなければならない理由がパッと浮かばない。罪に耐えかねて急に死を選んだのだとしても、それに付き合うと言うような友人を見過ごすのは気分が悪い。だからさっさと答えを聞く。事そこに至った過程が上条だけの物語の産物であるならば、深く聞く理由もないし時間もない。問題はたったの一つだけだ。

 

「……例え誰が知らなくても、オティヌスは俺の世界を守ってくれたんだ。そんなもの容易くほっぽり捨てて自分の理想の為に動く事ができたのにもかかわらずだ! 世界中を敵に回すことになると分かっていても、俺の世界を守ってくれた! だったら! それを甘受して! 口だけの礼を言って世界に(ついば)まれるコイツを見捨てるなんてできるわけねえだろうが! 逃げ場なんかない! 安住の地もない! 世界中を敵に回す事になるなんて事も分かってる! でもここにいるのはもう好き勝手に力を振るう『魔神』なんかじゃない、ただの一人の女の子だ! 分からないなら分かってくれるまで俺は叫んでやる! 世界中と戦ってでも、俺の世界を守ってくれた女の子を今度は俺が助け出す! その為なら何度でも俺はこの拳を握ってやる!」

 

 右の拳を握り掲げる上条に目を細め、握る狙撃銃の肌を指で小突く。身体の芯を揺さぶる上条の狭い世界から齎される波紋を見つめ、横たわる少女に目を落とした。

 

「……法水さん、この人マジでヤバイっスよ」

「……あぁマジでヤバイな」

 

 上条にドン引きして口端を引き攣らせる釣鐘を一瞥し、懐から取り出した煙草を咥える。口端がほんの僅かに持ち上がる。理解した。上条が何からその答えを導き出したのかは分からないが、目の前に佇む者が必死かどうかくらいは分かる。上条は嘘は言っていない。誰かに言わされている訳でもない。言葉に込められたのは上条の心の揺らぎだけ。だから狙撃銃を肩に担ぎ、安物のライターで煙草に火を点ける。

 

「上条の言う通り、俺は別に『魔神』の暗殺を頼まれた訳じゃない。『時の鐘(ツィットグロッゲ)』が個人の殺害をそうそう受ける組織じゃないと知っているが故に『グレムリン』の殲滅なんて仕事を投げてきたんだろうが。『グレムリン』じゃない奴を追う理由は確かにないしな。ここでオティヌスを殺るようなら、じゃあベルシ先生はどうすんだって話にもなるし、垣根は戻って来たし、なら確かに『時の鐘(ツィッドグロッゲ)』の仕事はおしまいだ」

「法水!」

「えー、なんか気が抜ける終わり方っスねー」

 

 釣鐘がボヤき、上条が嬉しそうな顔をする。嬉しそうにするんじゃない。俺としても戦場から降りようという脅威ではない奴の前に立つのは違うし、できることなら『魔神』なんかと殺りたくない。だってまず勝ちの目が見えないし。だとしても。

 

「『時の鐘(ツィットグロッゲ)』の仕事が終わったからと言って全てが終わった訳でもないぞ。雇われ傭兵が手を引いたところで連合軍が止まる訳でもない。どうするか知らないが動くならさっさとした方がいい。次の魔術爆撃がいつ来るかもしれないのだからな。ここに居ても巻き込まれるだけだ。次の手は考えてるのか?」

「いや……でも、ついさっき思いついた」

「なら早くした方がいいぞ。それがお前の必死なら。お前が決めた事ならば……友人としてせめて邪魔はしないでやる。オティヌスに味方をする理由が俺にはないしな。帰るぞ釣鐘」

「いや、法水、そうじゃないよ」

 

 踵を返して不貞腐れたような釣鐘を指で呼ぶが、上条の言葉が俺を引き止めた。なにかを決めたように微笑む上条が振り返った先に立ち、目を丸くする俺の瞳を上条の瞳が覗き込む。なにがそうじゃないと言うのか。怪訝な顔を浮かべる俺に、上条は言い澱むこともなく滑らかに口を動かした。

 

「法水、お前を雇う」

「……なに?」

「お前を雇うよ『時の鐘(ツィットグロッゲ)』。仕事が終わったなら受けられるだろ? だから」

「待て待て待てッ、俺を? 雇う? お前が? おいふざけてるのか? 俺にもそいつを守れってのか? 相手は連合軍に? レイヴィニアさんに? 学園都市? 報酬はなんだ? いや、報酬がなんであったとして、どれだけ金積まれても見合うかよ。真面目に言ってるなら正気を疑うぞ。だいたい────」

「言ってくれただろ? 俺の隣にいてくれるって。俺一人でも世界を相手にする覚悟はある。でも、正直一人で守り切れる自信があるかと言われると厳しい。どれだけ報酬が必要なのかも俺には分からない。成功しても女の子を一人救えるだけだ。これは俺の我儘でしかない。俺はオティヌスを一人ぼっちにはしたくないんだ。法水、別に友達としてでなくていい。それでもインデックスの時も、英国(イギリス)の時も、大天使に突っ込む時も、お前が隣にいてくれたから俺も進めた。また一緒に進んでくれないか? 頼む」

 

 その言葉に、心の底の底で魚影が揺らめくのを感じる。頼られて嬉しいのとは少し違う。チリチリと色とすれば赤色とでも言うか、羨望の煙が心に流れる。なにを羨ましいと言うのか。一人の少女にそこまで懸ける事ができる事がか。なぜ今? こんな仕事受けるのは馬鹿だ。手の込んだ自殺と変わらない。口から大きく紫煙を吐き出し頭を掻く。断る理由は無数にある。そもそもオティヌスを守りたいかと聞かれれば否だ。それこそ何のためにここまで来たのか。釣鐘が俺の名前を呼ぶ。もうさっさと馬鹿は放っておいて帰ろうと目が言っている。

 

「お前は言ったろ。誰かの平穏を守る為に傭兵はいるって。オティヌスが許されない事をしたのも分かってる。きっと償わなきゃいけない事も多くある。それでも、オティヌスにも平穏を知って貰いたい。俺にそれをくれたのがオティヌスだから。無茶だし、無謀だろうけど、俺が今頼れる相手はお前だ。いつも隣にいてくれたのは、あんな赤い人影じゃなくて法水だから」

 

 

 考える。考える。考える考える。考える考える考える。

 

 

 赤い人影ってなんだとか。正面切って頼られるとはとか色々と思うことはあるが。うん、だめだ。どれだけ考えても引き受ける理由が見当たらない。上条に力を貸したとして、その後を考えると『時の鐘(ツィッドグロッゲ)』の評判は落ちるだろう。瑞西が連合軍に味方しているのに、俺が力を貸せば瑞西の立場が悪くなる可能性が高い。学園都市での評判にも影響があるだろうし、そもそも連合軍を敵に回して逃げ切れる確率はどれほどだ? 

 

 

 否、否、否。

 

 

 受けた結果、確かな報酬も得られるかさえ不明で、得られる結果は少女一人の平穏? どういう視点で見れば引き受けるなんて選択肢が浮かぶ? オティヌスが死んだとして、それを悲しむ事もそれほどないだろう。

 

 

 肌が粟立つ。冷や汗が滲む。理性が全力で拒んでいる。

 

 

 では本能は? 理性が剥がれ落ちた底は? 

 

 

 先程とは打って変わって気分が悪くなるほどに畝っている。なにに対してそれほど揺れる? なにに引かれる? どんなしがらみも関係ないと蠢く理由はなんだ?

 

 

 自分で自分が分からない。俺の知らない衝動を突き動かす何かがあるのか。

 

 

「…………お前の我儘か。上条」

「そうだ」

「…………そりゃ余計に受ける理由がないな。お前個人の願いのために世界から狙われている少女を守れ? 世界の平穏と少女の平穏を天秤にかけて少女を取れと? 詳しい理由も知らずに? 世界を敵に回して? 禁書目録(インデックス)のお嬢さんやレイヴィニアさん、御坂さんや黒子までも敵に回してか? 報酬も分からず、具体的な作戦もなく、失敗すれば揃ってあの世だろう。そんな事に力を貸せ? 『時の鐘(ツィットグロッゲ)』の名前を貸せだと? 超能力も魔術もない、技術しかない俺の力を?」

「そうだ」

「ありえないよ、それは」

「……分かった」

「だから釣鐘、垣根に言って一足先に学園都市へと戻り情報を集めろ。下手に人数を増やす必要はない。ここは『グレムリン』の本拠地だ。いざという時に逃げ出す手段の一つや二つはあるだろうからな。俺が上条につく。分かったら動け」

 

 釣鐘が噴き出し、上条とオティヌスが目を丸くする。なんだその目は、そんな目で見るな。笑ったような、ウンザリとしたような奇妙な百面相をする釣鐘に向けて手を振り、口から細く紫煙を吐き出す。心の底で蠢く衝動が静まった。ただ肌から滲む冷や汗が止まらない。

 

「法水ッ、お前…………」

「平穏を守る為に傭兵がいる。それは正しい。戦場から退いた者に引き金は引かない。それも正しい。仕事を受けるか受けないか、選ぶのは俺で引き金を引くのは俺だけだ。世界から目の敵にされる? 元々目の敵だし、悪名を轟かせる事には慣れている。もしこの仕事を成功させれば、なんにせよ『時の鐘(ツィットグロッゲ)』の名前は売れるだろう。脅威の前に立つのが俺だ。取り敢えず、そういう事にしよう」

「法水……ッ、悪い巻き込────」

「その先は言うな。てか悪いと思ってるなら依頼すんな。もう後悔し始めてるところだ。報酬金は後で弾き出すが、一生かけても払い切れよ。出世払いだ」

「法水、ありが────」

「礼も言うな。言うならせめて終わった後にしてくれ。俺はただ仕事を受けた。それだけだ。馬鹿な親友を持ったよ俺も」

 

 口を閉じ引き結び笑う上条を一瞥し、持ち上がってしまう口元を隠すように煙草を持つ。世界が欲しいから『魔神』の味方をするみたいなクソのような理由ならどれだけ良かったか。

 

 

 救う。助ける。ただそれだけ。ただそれだけのために世界を敵に回すかよ。

 

 

 その輝きを否定する材料も残念ながら俺にはない。そもそも上条がしているのは利益の話ではないのだから、それに利益を秤にかける事自体そもそも違う。フロイライン=クロイトゥーネを助けに向かった時とある意味同じだ。世界を敵に回して少女一人を救えるかどうか。それも内容が内容の為、向かってくる奴を殺す事もできないだろう。考えれば考えるだけ頭が痛くなってくる。俺だけが上条の傍に立ち動けば、いざという時『裏切り者』だの『暴走』だのレッテル貼って『時の鐘(ツィットグロッゲ)』の尻尾として俺を切れるだろうが、なんともしょうもない保険である。

 

 

 親友が馬鹿正直でどうしようもないが、仕事を受ける俺が一番の馬鹿か。

 

 

 ただ、どうにも見たい『必死』が目の前にあるが故に。

 

 

「改めて、引き受けよう上条当麻。相手は世界。お前とお嬢さんを世界の果てだろうが穿ち届けてやる。俺はスイス特殊山岳射撃部隊『時の鐘(ツィットグロッゲ)』、一番隊所属、学園都市支部長、法水孫市。波の世界を見つめ弾丸を放つしか能がないが、その技術を貸してやる」

「おう! 不安はない、頼んだ親友!」

 

 差し伸ばした右手を上条の右手が掴み取る。ため息を吐いて釣鐘は姿を消し、オティヌスがゆっくり身を起こす。俺と上条を見比べて、心の底から呆れたと言うようなため息を吐き出し、上条には何も言う事はないのか、力なく首を左右に振って、少女の緑色の瞳が上条から移り俺を見据えた。

 

「……だからお前は嫌いだ」

「なんだとこの野郎! おい上条本当にこいつ守る気か? 可愛くねえ! もし弾丸飛んで来ても盾にするからな! だいたいなんで当事者が一番やる気ねえんだよ! やっぱやめた! この仕事受けねえわ! こいつを守る為に引き金を引く理由が俺の中に微塵も存在しねえ!」

「ぶッ⁉︎ 待て待て! 気持ちは分かるけど法水は何も悪くはねえだろ! お前ら落ち着け! だいたい法水は法水であの赤い奴じゃないだろうが! なんでそこまで喧嘩腰なんだオティヌスお前は! 気持ちは分かるけど!」

「分かってんじゃねえ! なんださっきから赤赤赤赤! 俺の髪色に文句あんのか! こりゃ地毛なんだよ! だいたいそこまで赤くもねえし! はいやめた! やめました! 後は若いお二人でどうぞご勝手に!」

「待ってぇぇぇぇッ⁉︎ オティヌスも謝りなさい! ごめんなさいして! 法水と何度も戦場駆けたけど、お前程戦場の掻い潜り方俺知らないから! 戦場の真っ只中で携帯食料分けてくれた時みたいな優しさを見せてくれ!」

「お前はいったいいつの話してんの⁉︎ そんな時あったか⁉︎ 怖い! なんか怖いんだよさっきから! お前達しか見えてないらしい世界に俺を組み込むな! てあれ? なんか空光ってね? ぶッ⁉︎ 魔術爆撃の第二波が来やがった⁉︎ 退避だ退避ぃぃぃぃッ‼︎」

 

 しがみつく上条を引きずりながら、咥えていた煙草を吹き捨て、座り込むオティヌスを肩に担ぎ『船の墓場(サルガッソー)』の内部に繋がっているらしい穴に向けて慌てて駆け込む。上条とオティヌス。まだ始まっていない今でも分かる。こんな珍道中二度とやらんぞ。

 

 

 

 




神浄討魔と羨望の魔王編、終わり。ここまで読んでいただきありがとうございます! 幕間はありません。次回は『グレムリンの夢想曲』編です。

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