時の鐘   作:生崎

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御使堕し ③

「んで、『御使堕し(エンゼルフォール)』の犯人は火野神作って事で良いのか?」

 

  上条がそう言って一度場を仕切る。翌日、太陽が高く上がり昼の十二時。ようやっと上条が泊まっている客室で作戦会議の為に全員で集まる事ができた。こんな時間になったのも、上条がついさっきまで睡眠不足と水分不足と熱気のトリプルパンチを受けてノックダウンしていたせいであり、神裂さんに小言を言われていた。昨夜の件の後よっぽど楽しい事があったらしい。

 

  午前中は、俺とボスは上条の護衛のため伸びていた上条を見張っていただけで時間は終わり、残りの四人は独自に火野神作を捜索していたそうだが、結果は空振りだったようだ。戦闘能力という面では決して強くはなかった火野神作だが、強さ=隠密性の高さというわけではない。これほどの者達に追われて見つからないほど、火野神作はかくれんぼマスターの称号でも持っているようだった。

 

  そうして始まった作戦会議だったが、暑い、そして狭い。土御門の見た目は有名な某アイドルだし、怪しげな会話をするのに、目立たないよう客室の一つに集まるのはいい。だがもう少し広い客室を使うことはできなかったのか。狭い部屋に七人も、窓を全開にしても暑さは和らがず、大型の武器が詰め込まれた部屋は少し動いただけで体に擦り居心地が良くない。カレンなんて上に着ている甲冑を脱ごうともせず、額に珠のような汗を浮かべている。馬鹿だ。

 

「とにもかくにも、まずは情報収集かなーっと、うりゃ」

 

  そう言って土御門がテレビをつけると、マイクを握った我らの担任の姿がパッと写り、今絶賛話題の火野神作のニュース特集をやってくれる。火野神作の脱獄死刑囚という世間に優しくない肩書きがこちらの味方をしてくれているようだ。

 

『えー、火野神作が新府中刑務所を脱獄してから丸一日が経ちました。スタジオには三輪大学犯罪心理学教授の大野雷禅さんにお越しいただいています。大野教授、よろしくお願いします』

『どうも、えー、火野神作の行動パターンというのは犯罪史上でも極めて珍しいものですな。彼は二十八人もの無実の人々を殺害しておりますが、その全てを自分の意思で行ったものではないと主張しておるのです。何でも「エンゼルさま」という存在に導かれたとかで、これは欧米のカルト犯罪に見られる「儀式殺人」に分類されるものかと……』

 

  大野教授は初めて聞く人にも大分分かりやすいように話してくれているおかげで俺でも言っている内容は理解できる。が、それよりも客室の古い小さなテレビ一つをこの面子が全員で見つめているという状況が気になり過ぎる。わざわざそんな事を口に出すとボスに呆れられるだろうから言わないが、周りの顔をチラチラ眺めている上条もきっと同じ気持ちなのだろう。

 

「『エンゼルさま』なんて言ってたか?」

 

  不思議な沈黙に耐えられなくなったのか、上条が俺にそう聞いてきた。実際に火野神作と喋った? のは俺と上条だけだからだろう。

 

「さて、何か言うより早く泡吹いたからな」

「ふん、確認くらいしろ」

「無茶を言うな無茶を」

 

  出て来た時は火野だと気がつかなかったのだからどうしようもない。だいたい既に襲って来て会話すらする気のない襲撃者が何か喋るまで待つなど最高にアホだ。そういう意味では、火野より強いだろうに手より先に口を開いたミーシャさんとカレンの方がまだまともだ。

 

「けど、『エンゼルさま』ってのは何なんだ?」

「それについては、昨日床板直してる時に床下からこんなんが出て来たぜい」

 

  上条の最もな問いに、土御門はボロボロの木の板を取り出して投げて寄越した。手で触ると木板を傷つけているのは無数の引っ掻き傷であると分かる。それが隙間がないくらい満遍なく。上条の右手に手渡してみたが、木板が砕け散る事はなかった。

 

「どうにもアルファベットが刻んであるらしいぜよ、後から後から上書きしてくんでそんな風にボロッボロ。こりゃ神託か自動書記の類ぜよ。おそらく火野は『勝手に文字を刻む右手』の命令に従って動いてるんだぜい。ニュアンス的には『コックリさん』とか『プランシェット』みたいなもんかな?」

 

  コックリさんはよく分からないが、要はテーブルターニングみたいなものだろう。ヨーロッパで一時期流行った降霊術の一種。今でもたまにやっている人がいるとかいないとか。

 

「それで、『エンゼルさま』の命に従って行われたのが判明しただけで二八人分もの『儀式殺人』ですか。それは一体何の儀式を指していたんでしょうね」

 

  神裂さんはあえて「何の」と問い掛けて来るが、そんな事は決まっている。それを追ってこれだけの魔術師が集まっているのだ。『必要悪の教会(ネセサリウス)』、『殲滅白書』、『空降星(エーデルワイス)』。これを一般人にも分かりやすく説明するなら、『サーカス』、『KGB』、『連邦警察局』が集まってるようなものとでも言えばいいか。脱獄死刑囚一人を追う面子として豪華過ぎやしないか。

 

  代表で上条が『御使堕し(エンゼルフォール)』の名を口にする。

 

「しっかしそうなるとコトは複雑になって来るぜい。火野神作が『御使堕し(エンゼルフォール)』を引き起こしたのはいいとして、それを起こしたのは『エンゼルさま』ってことだよにゃー? 『エンゼルさま』=天使だったら、何で『御使堕し(エンゼルフォール)』なんか起こしたんだか」

 

  天使を天から地に堕とす術を自分に向かって使う。確かにメリットがあるとは思えない。上条は「地上に降りたかったから?」と言うが、俺が天使だったらわざわざこんな面倒な世界に降りたいとは思えない。上条の言う通りだと天使は超が付くドMなんじゃないだろうか。だがそんな上条の言葉は土御門が軽く否定した。

 

「むう、カミやん。こいつは自分で言ってて矛盾があるんだが、天使ってのは人格なんて持たないんだぜい。天使とは『(かみ)使い(パシリ)』。その正体は膨大な『異能の力』を詰め込んだ皮人形に近いから、基本的に天使ってのは、奇跡も人助けも悪との戦いも全て神の命令がなければ実行しない、ただのラジコンって感じぜよ」

「……天使ってそんなもんなの?」

「人型の決戦兵器みたいなものか」

 

  俺の脳裏に浮かんだのは『電波塔(タワー)』の姿。つまり『電波塔(タワー)』が作った『雷神(インドラ)』のより凄いのをイメージすればいいわけだ。そしてそのコントロールを犯人は欲していると。

 

「まあそんな感じだ。そしてそんな天使が何かの拍子に命令を受け付けなくなったり、混線したりする。それが『悪魔』ってトコだぜい」

 

  上条は意外そうな顔をしたが、確かにもし『雷神(インドラ)』が『電波塔(タワー)』が操る事もせずに勝手に動き出したりしていれば学園都市はどうなっていたか。その惨状を考えれば『悪魔』というのも納得だ。

 

「じゃあ心が欲しかったとか?」

「心が欲しいと思う心が既にないんだが。天使ってのは自分で考えているように見えても見えるだけ、自分で動いているように見えても見えるだけなんだぜい。本来なら、操り人形は糸を切ったところで、自由を得られず動けなくなるだけなんだが」

「ほら上条さん、小萌先生の授業で習った哲学的ゾンビみたいな」

「ああ、少しピンと来た」

「ま、そこらは火野を取っ捕まえて吐かせますか。さて、具体的に敵戦力を考えようぜい」

 

  良かった。ようやっと難しい話は終わりらしい。小難しい理論をこねくり回して頭を悩ませるのは性に合わない。そういうのは木山先生のような研究者に任せておけばいいのだ。難しい話は無しにして俺とボスにとって大事なのは仕事が成功するか否か。つまらなそうにしていたボスも煙草を咥えてようやっと話に参加する姿勢を見せる。

 

「まず第一に火野は落ちてきた『天使』を手に入れているかですね」

「えー、そんなに強いんだったら俺には倒せないでしょう。あれで『天使』の力を持ってますなんて言われてもねえ」

「確かにな、どうも火野の命令は完璧に『天使』に伝わっているわけではない気がするぜい、電波の混線みたいに。それどころか火野の方が『天使』の命令を聞いてるような節もあるし。だからこそ、大事な場面で火野が命令を送っても『天使』が必ず受け付けるとは限らない」

 

  まあそうでなければ俺に一方的にボコられたりしないだろう。ただそう強く土御門の意見に全員頷かないで欲しい。俺だって頑張ったんだよ。

 

「となると、逆説。『天使』に命が届けば、追い詰められた火野の操縦に従うという可能性も無視できないわけですか」

「あら面白いじゃない。私は元々天使とやってみたくてついてきたんだし、ねえ孫市?」

「いやいや俺は嫌ですよ天使とやるなんて、ボスって意外と戦闘狂ですよね」

「何を話しているか! 神の使いと敵対するなど言語道断‼︎」

「もう暑いのにうるさいな。その甲冑脱げよ暑苦しい」

「な⁉︎ 貴様は私に裸になれというのか変態!」

「え? それ直に着てるの? うわあ」

「そんなわけあるか! 例えだ‼︎」

 

  ただでさえ暑いのにカレンの声を聞いていると余計に暑く感じられた。俺の方に身体を近づけてきて叫ぶカレンの甲冑は、熱せられたフライパンのように熱気を発している。もう本当脱いで欲しい。サウナに入っているように汗をかいているカレンは暑苦しくないのか。

 

「お前暑くないの?」

「暑くない‼︎」

「顔赤いぞ」

「気のせいだ‼︎」

「いやでも、お前熱中症にでもなって倒れたらほっとくけどいいの?」

「なるか! これも試練だ。この程度の暑さで音を上げるものなどスイス傭兵ではない!」

 

  いや暑さにスイス傭兵関係ないだろ。ボスでさえ上はタンクトップだ。日焼けクリームでも塗っているのか、窓から差し込む日の光を受けて白い陶器のような肌を艶めかしく光らせるボスは素晴らしい。顔に出ていたのか苦虫を噛み潰したような顔のカレンが寄って来る。

 

「貴様、ロクでもない事を考えてるんじゃあるまいな」

「うるさいな、お前はさっさとその甲冑を脱げ、お前が熱源になってて部屋の温度が絶対上がってるから」

「ぐう、仕事中に脱ぐわけないだろ! だいたい他の服など持ってない!」

 

  やっぱり暑いんじゃないか。

 

「なら孫市、貴方の服でも貸してあげなさい。いい加減貴方達うるさいわ。漫才なら他所でやって」

 

  ボスに怒られた。仕方がないので持ってきていたバックから適当な服を投げ渡す。なんで俺がカレンなんかに服を貸さねばならないのか。周りの者達は呆れて勝手に話を進めている。カレンが着替えに出て行ったおかげで部屋の気温が少し下がった気がする。ホッと肩を落とした俺の目の先で、テレビにパッと映る『臨時ニュース』のテロップと小萌先生の顔。

 

『えー、ただいま火野神作脱獄事件の続報が入りました! 火野は神奈川県内の民家に逃げ込み、その周りを駆けつけた機動隊が包囲しているとの事ですーっ! 現場の……あ、繋がってる? 釘宮さーん』

 

  画面がすぐに切り替わり、学園都市の外でならどこにでもあるような住宅街の風景が映し出される。ただ違うのは家々を照らしている赤いランプと、黒い機動服を着た多くの人々。それが異常な事態が起きているということをテレビを見る者達に訴えている。

 

「あれ?」

 

  誰もが食い入るようにテレビを見ている中、なんとも間の抜けた上条の声が聞こえて来た。上条を見ると何かを思い出すように明後日の方向に顔を向け、腕を組んで唸っていた。何か重大な事でも思い出したのか。全員の視線がテレビから上条に移った頃、ようやく上条は口を開く。

 

「いや、あの、あれ、俺の実家……」

 

  なるほど。俺が上条の肩に優しく手を置いてやると、土御門も同じように優しく反対の肩に手を置いた。それでこそ上条。優しい顔で頷き合う俺と土御門と上条だったが、すぐに上条はお決まりの叫び声を上げた。

 

 

 ***

 

 

  上条の家は海の家『わだつみ』から二十分程しか離れていない場所にあった。わざわざ上条達はタクシーで移動するという事らしく、俺とボスはというと民家の屋根を伝って走っていた。時の鐘の訓練でフリーランニングは慣れている。それに二メートル以上の相棒を二つもタクシーに突っ込むわけにもいかない。下手に車道に沿って移動するよりも一直線に屋根の上を走った方が早い。ボスと二人で楽しい散歩、そう思っていたのに。

 

「なんでお前も一緒なんだ。着替えて目立たなくなったんだしタクシーで行けよ」

「これも鍛錬だ。だいたい貴様が走って行くと言うのに私が車に乗ってぐうたらするなど我慢ならん」

「車に乗るのがぐうたらとか世間に喧嘩売り過ぎだろ。一体世界の人間の何人が免許証持ってると思ってるんだ」

「知るか」

 

  そう言ってカレンは少し俺の前を走る。余裕そうで何よりだ。こっちはボスが手を抜いてくれているからなんとかついて行けているが、大分キツイ。余裕そうに着いて行っているカレンの姿が癪に触る。少し頑張ってカレンを抜いて前に出た。

 

  そうして十分も走れば、赤いランプの光が見えてくる、十分しか変わらないなら俺もタクシーに乗りたかった。六百メートル離れて機動隊が囲っているという話だったが、思ったよりも大規模な包囲網を敷いている。人員の無駄遣いだ。六百メートルも離れての包囲網となると発砲の許可が降りているのだろう。子供や老人に見た目の変わった機動隊達は、その手に銃を握っている。さっさと撃てばいいものを、当てる自信がないのだろう。

 

「ずらずらずらずら、さっさと制圧すればいいのに、私の部下なら射殺よ」

「でしょうね、どうします? 上条達の到着を待たずに行きますか? カレンを突っ込めば多分それで済みますよ」

「おい、なぜ私が貴様らの味方のように扱われているんだ。貴様らが行け」

「お前前衛専門だろうが、だいたい俺達の仕事は上条の護衛だ。上条が家に行くって言うから俺達も来たわけで、お前の仕事は『御使堕し(エンゼルフォール)』の解決だろうが」

「遠くから獲物を狙う卑怯者の為に前に出るわけがあるまい。貴様が行け」

 

  上条も来てないのに行くわけない。それは契約範囲外だ。仕事以上の事をするのがプロだとたまに言われるが、俺は仕事以上の事をする気など毛頭ない。与えられた仕事をこなすだけで精一杯なのだ。大事なのは仕事の達成であり、それが以上だろうが何だろうが達成できればいい。

 

「なんにせよ上条が来るまで待った方がいい。火野が本当に魔術師なら、魔術師が一緒の方がいいからな」

「おい、私も魔術師だぞ」

「おおう、そうだっけ? 信仰剣士の間違いじゃないの?」

「貴様……そんなに死にたいのか?」

 

  こんな頭がイってる奴が魔術師なんて信じたくない。魔術師というのは海の家でした『天使』の話のように、小難しい神話などに基づいた理論をくっちゃべるのが魔術師だ。決して神の敵とかいうのを切れるかどうかで判断するようなものではない。

 

  少しするとタクシーが到着し、上条達が到着した。とりあえず上条の家に近づかなければいけないので、機動隊の包囲網を突破する。元々ゲリラ戦で隠密行動は慣れている。いくら荒事に慣れた機動隊でも、死線を潜り抜けた回数ならこちらの方が上、そしてそれは土御門達も同じだ。素人一人くらいならば一緒に連れて行くことは容易にできる。ただ、もうそこにある標的に目が行っているものを反らす事はできないので、上条の家の手前近くまで行ったところで、停まっていた車両を背に足を止めた。上条の家に集中している機動隊達の目をどうするか。俺やボスでさえどうにもできないが、不可能を可能にするのは魔術の領分だ。

 

「つまり機動隊に『全然違う家』を『上条当麻の実家』と思い込ませればいいのです。それなら『上条当麻の実家』で何が起きても、機動隊員は『異常なし』と告げるでしょう」

 

  と意味不明な事を言って神裂さんは結界を張りに走って行った。『禁止結界』というものらしい。よく分からん。が、それを張れば目を反らせられるそうなので、それは神裂さんに任せよう。土御門と上条は二人で何か話しているので、俺とボスは周囲の警戒だ。カレンは知らん。暇していて貰おう。

 

  そんな風に時間を潰していたのだが、話し込んでいた土御門と上条の目が急に俺に向いた。

 

「どうかしたか?」

「あ、いや、土御門が魔術師は戦闘のプロじゃないって言うからさ」

「はあ? そりゃそうだろ。言うならば学園都市の研究者に近いのが魔術師だぞ。銃の引き金を引く事じゃなく、その銃がどんな構造でどういう風に作られているのかを気にするのが魔術師って事。自分でも銃は撃てるが射撃が上手いかどうかは別問題さ」

「ま、そういう事だにゃー。んで、魔術師が強く見えるのは、最新式の銃を作って使えるからってトコだな。だから単純な戦闘って意味なら俺やねーちんよりも多分孫っちやシェリーさんの方が強いぜい」

 

  いや、それはどうだろうか。ボスに至ってはそうとも言えるかもしれないが。何事にも例外がいる。例えばカレンが正にそれだ。神の剣として知識よりも力と技を求めた。だから魔術師ではなく信仰剣士だというのだ。カレンの顔を見ていたら睨まれたので目を反らす。

 

「なんだ、言いたいことがあるなら言え」

「いや、お前はやっぱり魔術師っぽくないなあって」

「余計なお世話だ」

 

  土御門と上条の魔術師談義を聞き流しながら周囲の警戒を続ける。時折聞こえる『組織』だの『魔法名』だの、哲学的な話は俺には必要ない。俺はもう自分の生き方を決めた者だ。魔術や超能力といった特別なものではなく、どこまでも目に見えてしまう人の技を求めた。例え限界が見えていても、俺はそれに近付かなければならない。ふと手に入っていた力を抜く。するとボスから煙草を投げ渡された。頭を冷やせという事だ。咥えて火を点ければ、重くなった空気が肺を満たし俺の頭を冷やしていく。煙草を吸う俺とボスにカレンは明らかに機嫌の悪い目を向けて来るが知った事ではない。

 

「おい、土御門さんに上条さんよ、話はそのくらいにしておけ、神裂さんが帰って来た。機動隊員達の目も見事に反れたよ。今なら行けるぞ」

「おう、まあそんなわけだからカミやん、今は魔術のプロがいて、そして戦闘のプロがいる。これ以上の布陣はなかなかないぜい」

「はいはい、そんなプロ二人が友人で上条さんは幸せだよくそったれ」

 

  神裂さんのおかげで気軽にコンビニに入るように上条の家まで近づく事ができる。カーテンによって遮られた家の窓、なんともお粗末なものだ。火野神作も逃げるにしたってなぜ民家なんかに逃げるのか。「では、土御門は陽動として」とやたら細かな作戦を口にしているのを聞き流しながら、俺とボスは扉を蹴り開ける。夏の空気とは違う喉を撫でるような気持ちの悪い空気が上条の家から流れてくる。僅かに眉を顰めて足を進める。

 

「ボス、プロパンガスです。銃は使えませんね、取り敢えず元栓を閉めましょう」

「また無駄な事をするわね。自分の手を封じるなんて馬鹿なのかしら」

「っておおい⁉︎ 何普通に入ってんの⁉︎ 今神裂と土御門が作戦を!」

「相手は怪我人。しかも今火器の類はない事が分かった。まあ俺達もろとも爆死するような異常者なら別だが。ここまで逃げるような奴だしそれはない。なら後はさっさと制圧するのみさ、全く上条さんが行くなんて言わなきゃこんな事やらないのに」

 

  俺の半分愚痴の入った説明に、上条も魔術師達も肩を落とす。火野が魔術師かもしれないのなら魔術に注意するのは最もだが、俺もボスも魔術は使えない。魔術に尻込んで何もできないくらいならこちらの領分に引きずり込むのみ。誰が相手でも戦闘者として進む以外に俺とボスの進む道はない。

 

  家の中に入り照明のスイッチに手を伸ばしてみたが点く気配はない。ブレーカーを落とされているようだ。全く面倒くさい。家の中の気配からして火野が一人ないし少数であるのは確か。恐る恐る進むなんていうのも馬鹿らしいのでズカズカと先へ進む。後ろから上条の呆れたようなため息が聞こえてくるが、こんなのはかなりマシだ。暗闇で、相手がこちらを問答無用で殺しにくる状況など両手の指の数よりも多く経験している。それも相手は一人ではなく数十人。それを思えばこんなものはお遊びと言ってもいい。家の中の扉を次々と開けて行き、プロパンガスの発生源であろうキッチンまでやって来る。面倒なガスにはさっさと御退去願おうと近付いた瞬間、ゆらりと目の前の影が蠢いた。カーテンの間から漏れた光がその人物の手に握られたものをキラリと映す。

 

  そして躊躇なく俺に向かって突き出された腕を、俺は簡単に掴むと乱暴に投げ捨てた。リビングに飛んで行く黒い影は放っておき、とりあえずガスの元栓を閉める。台所から頭を上げれば、丁度立ち上がった男にボスが蹴りを見舞っていた。それも折れた方の足に。

 

  ゴキリッ、と耳を覆いたくなるような音が響き、男がリビングのカーテンを掴みそのまま引き千切るように床に転がった。灼熱の光がリビングに差し込み、強烈な光に俺は目を細めた。その隙をついて男はボスに向かってナイフを振るう。馬鹿だ。視界を奪ってボスに勝てるほど甘くはない。振るわれたナイフを目を瞑ったボスは最小限の動きで避けると、距離を詰めて折れた方の足の甲を踏みつける。容赦がない。蹲るように屈む男の顔に膝をかち上げる。伸びた男の体に体重を落とし上条の家の床を踏み割ったボスの腕がめり込む。水と空気が混じったような音を吐き出し男は床に崩れ落ちた。固いものがへし折れたような音がした事から、肋骨が何本かイっている。

 

  男を無視して跨ぐように男を通り過ぎ掃き出し窓にボスは近寄ると、換気のために窓を開けた。上条の家の重い空気と夏の暑い空気が入れ替わり、ボスは煙草を咥えて一言、「弱いわ」と。

 

「これで『天使』なんて言わないでしょうね、孫市」

「俺に聞かれましても、尋問でもしますか? 俺はラペルさんみたいに上手く出来ないですよ? 骨を残して肉を削ぐとか」

「おい! なに物騒な話してんだよ! 今聞いてはいけない話が聞こえたんですけど⁉︎」

「お二人さんに任せると火野を殺しちまいそうだから、というかもうほぼ死んでるようなものだけど、ここから先はオレ達に任せるにゃー」

 

  との事なので火野は土御門達に任せて適当に視線を散らす。まさか上条の家に来る事になるとは思わなかった。これまで世界中で多くの知り合いができたが、友人の家に上がり込んだのは初めてだ。スイスでは寮生活であったため、わざわざ誰かの家に行くこともなかった。棚の上、小さなモアイやドリームキャッチャーに囲まれ置いてある写真を見る。小さな上条と上条を挟むように立つ二人の男女。上条の両親。父親は変わらずだが、禁書目録のお嬢さんに見える上条母の本当の姿。上条の横に立ち優しく微笑むその立ち姿だけで上条の母親だと分かるそんな雰囲気を醸し出している。

 

「──火野神作は『御使堕し(エンゼルフォール)』の犯人じゃない」

 

  写真に見入っていた俺を引き戻したのは上条の苦しげな声。火野神作は多重人格だったために難を逃れただけらしい。まあ『御使堕し』の犯人探しに関しては俺は力になれないので、そのまま上条の家を埋め尽くさんばかりの上条父が集めたらしい海外土産を見物していると、隣にふらりと土御門がやって来た。土御門も仕事で世界中回っているそうだし気になるものでもあったのだろうか。

 

「……これは」

「どうした土御門さん。土御門さんなら知ってると思うけどそれはカウベルって言ってスイスでは結構人気なお土産でな」

「違う、孫っち、そうじゃない。いいか、ようやく分かった。『御使堕し(エンゼルフォール)』を起こした犯人は……上条刀夜だ」

「は?」

 

  誰の声だったか、一瞬時が止まった。待て待て。上条父は一度例外だと太鼓判を押したのは他でもない土御門だ。魔術知識などカケラもない一般人そう言っていたはずなのに、上条の父が犯人? 俺が聞き返すよりも、上条が土御門に詰め寄るよりも早く返された言葉は女性のもの。

 

「解答一。自己解答。標的を特定完了、残るは解の証明のみ。……私見一、とてもつまらない解だった」

「神の敵は姿を現した。これより『空降星(エーデルワイス)』、神の名において断罪を開始する」

「待っ」

 

  神裂さんが止めようと叫んだが、言い終わる前にミーシャさんとカレンの姿は無かった。

 

「おい、くそ、せっかち共め! おい土御門! さっさと説明をしろ!」

「分かってる、いいか、カミやんの家に置いてあるこの異常な数のみやげの数々。それもどれも魔術的な意味を持ったものばかりだ」

「だから?」

「カミやん、前に言ったな。偶像崇拝。形を模せば何%かは力が宿る。それを適切な場所、適切な物を用いて配置すれば一種の魔法陣として本人に魔力がなかろうと魔術は使う事ができる。つまりそういうことだぜい」

 

  犯人である上条父を魔術的に調べたところで魔力の残滓を追うことも不可能。故に土御門も神裂さんも見間違えたという事か。なんと手の込んだ事だ。それも世界中から集めたみやげを使っての魔術なんて作るのに何年掛けたんだ。

 

「……戻れ、カミやん。ここはオレが調べとく、孫っち達と刀夜さんの保護を」

 

  上条が眉を顰める。土御門の奴。上条が行けば俺もボスも着いて行くしかないと分かってて言ってやがるな。ため息を吐く俺の横で土御門は続けた。

 

「舐めてくれるなよ、カミやん。オレ達の目的は『御使堕し(エンゼルフォール)』を止める事ぜよ。殺さずに解決できるならそれに越した事はないにゃー。ミーシャの奴もカレンの奴も早計過ぎるんだよ。何でも殺せば済むってわけじゃあるまいし」

 

  『殺す』。その言葉が上条の琴線に触れたようだった。奥歯を噛み締めて両手の拳を握り締める上条を見れば次にどうするかなんて聞かなくても分かる。ミーシャさんにカレンが相手。これだから、土御門が持ってくる仕事はいつも割に合わないんだ。俺は持ってきていた弓袋を放り捨てて相棒を手に取った。

 

「どうする上条さん」

「どうするって……行くに決まってんだろうが‼︎」

 

  その言葉(ワード)を待っていたんだ。窓に薄っすら映る俺の口元は、緩く弧を描いていた。

 


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