時の鐘   作:生崎

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グレムリンの夢想曲 ⑤

「まさか今度は私がお前達をぶん殴る事になるとは思わなかったし」

「……でしょうね」

 

 目の前に立つ英国第二王女キャーリサさんの呆れ顔を目に、口に溜まっていた血を床に吐き捨てる。足元を覆っている木の床。常に響いている低い振動音。現在高度一五〇〇メートル。目を覚ませば空の上。英国の保持する移動要塞の甲板の上で、未だ意識を失ったままの上条の隣で胡座を掻き口元を拭う。

 

 手元には軍楽器(リコーダー)も狙撃銃もない。だが、響き続ける低い振動音のおかげで、周囲の状況はよく分かる。分かってしまう。キャーリサさん以外にウィリアムさん、神裂さん、『騎士派』の頂点、騎士団長(ナイトリーダー)さん。周囲に居座る武人達。意識を奪われた時点で詰んでいるも同じ。人間の機動力を超える者が四人。こんな事なら目を覚まさずに寝ていたかったが、そういう訳にもいかなかった。

 

 神裂さんにぶっ飛ばされた上条は無傷っぽいのに、ウィリアムさんに殴られた俺は頭に小さなコブができている。誰が治療してくれたのか、サーシャ=クロイツェフに軽く抉られた顳顬(こめかみ)には包帯が巻かれていた。

 

「……俺の狙撃銃と銃身がどこに行ってしまったのか聞いても?」

「必要か? お前は狙撃銃を持ってこそ。それさえなければ戦闘能力は半減する。今のお前は多少腕の立つ軍人というだけだ。せめてもの慈悲だし、終わるまでおとなしくしていることだな」

「仕事中に俺が観客になるとお思いで?」

 

 ゴンッ‼︎ と鈍い音が響く。キャーリサさんに頭に拳骨を落とされた。手加減された一撃ではあろうが、視界がチカチカする。顳顬(こめかみ)の傷から僅かに血が滲み、腕を組み目尻を尖らせるキャーリサさんの顔を見上げる。わざわざ聞かなくてもすげえ怒ってるのが手に取るように分かる。英国のクーデターの時よりもよっぽど恐ろしい。『ブリテン=ザ=ハロウィン』の時もそうであったが、キャーリサさんが動くのは英国の為。今回もそれから外れる事はないだろう。そういう意味では、一方通行(アクセラレータ)やアニェーゼさんよりも融通は利かない。小さく頭を左右に振り、明滅する視界を正す。

 

「俺達を殺さない理由を聞いても?」

「わざわざ言わなければ分からないか?」

「いや、それを言葉にするのは外交的にもよくないだろう事は分かっていますよ。積み立てた貸しの返済に感謝はしますが、できればこのまま見逃して欲しかったりするんですけどね」

「不可能な事は言うべきではないぞスイス騎士。それこそ分かっているはずだが」

 

 英国『軍事』のトップ。この場での指揮権がキャーリサさんにあるとして、常に絆される程キャーリサさんは優しくはない。国民の期待を背負う立場であればこそ、魔術を用いてもプロの魔術師以上にキャーリサさんはプロの軍人。英国のために動く王女が他国の人間一人、二人の為に折れる事などない。これが最大限の譲歩なのだ。厳しく見えてもそれは『優しさ』故。同じ『軍事』の範疇に身を置く者であるからこそ、それは嫌でもよく分かる。

 

「正しく英国の王女であらせられる姿を間近で見るのが今とは少し残念ですがね、まあこれも我が人生というやつでしょう」

「……お前は何故仕事を引き受けた?」

「分かるでしょう貴女なら、英国の時と何も違わない」

「そこまでだ法水孫市。最早問答は必要ない。口を開くだけ瑞西傭兵の名が泣くぞ」

 

 首元に伸ばされる銀の刃。横に立つ騎士団長(ナイトリーダー)さんを横目に頬杖をつき吐息を零す。こうなってしまえば、力でどうこうはそもそも無理だ。情に訴えかけようにも、その危険性を知っているが故にそれさえ手前で潰されると。格闘戦でそもそもこの四人の誰と戦っても勝ち目はほぼないに等しい。ただ、だから諦めるという訳にもいかない。

 

「どうせ喋るならそちらの戦力を教えて欲しいところですが、喋る気はありますか時の鐘?」

「喋ると思いますか神裂さん。そもそも俺が喋ったところで本当か嘘かも分からないでしょうに」

「時の鐘の総意でもあるまいに。瑞西傭兵さえ敵に回し、それでも貴様の流儀は変わらないのであるか」

「俺は時の鐘ですよ。誰が相手でも変わらない。目にしたものを信じ、引き金を引く先は俺が選ぶ。魔神だろうが聖人だろうが、俺は今並びたい奴に並ぶんですよ」

「……いっつッ」

「おう、起きたか上条」

「……のりみず? って法水⁉︎」

 

 軽く首を振り顔を俺に向けた上条が噴き出す。俺の首元に刃を突き付ける騎士団長(ナイトリーダー)さん。腕を組み立つキャーリサさんとウィリアムさん。そして少し離れて神裂さん。俺も上条もよく知る英国からの刺客四人。固まる上条に軽く手を挙げ、再び膝の上に頬杖をつく。動かない俺を目に騎士団長(ナイトリーダー)さんは刃を下げ、慌てて身を起こし跳び下がる上条に、俺も慌て腰を上げて身を寄せ上条の肩を掴んだ。

 

「慌てるな落ちるぞ」

「いやそれよりッ……て落ちる?」

 

 手すりもない移動要塞の甲板の上。巨大な魚のような移動要塞の頭部分。遥かなる大空を見つめて上条の肩が落ちる。俺と上条を見つめて何やら会話している英国からの四剣士を目にしながら、肩を掴む俺の肩を上条も組んで顔を寄せてくる。

 

「どうなってんだこれ? だいたいなんでお前そんな落ち着いてんだ! オティヌスは……ッ、あいつはどこにッ」

「さてね。英国が未だ動いてるあたり、少なくともまだ無事だろう。どうにもならなさ過ぎて逆に頭が冷えた。先に言っておくが、俺には取れる手がない。ただ逃げようにも速度で勝てず、武力でも無理だ。一対一なら取れる手がなくもないが、聖人クラスがああもいてはどうしようもない」

「おいそれはッ」

「諦める気はない。だからこそお前に、上条に聞いてる。俺はこういう時並び追う事に意識が流れてしまうからな。上条の目から見て隙はあるか?」

「法水お前……」

 

 誰かを頼る。別にそれを忌避している訳ではないが、どうしても日常から掛け離れている者にこそ頼ってしまう。軍人。傭兵。能力者。魔術師。日常から自ら離れて技術を積み重ねてきた者達に。上条も一般的とは言えないが、誰より一般的であろうとはしている。だから戦場の中で頼られる事はあっても、これまでそこまで面と向かって頼ってはこなかった。でも今は別だ。今はお互い隣にいる。狙撃銃も武器もない。だがそれでも俺がいて上条がいる。

 

「今は相棒だ。俺をどれだけ頼ってくれてもいい。その代わり俺にも頼らせてくれ。……今この瞬間はそうありたいと思っている。この旅の中でなら、いくらでもお前の為に俺は引き金を引く。その分見せてくれるだろう?」

 

 変わらない必死を。誰もが羨む瞬間を。悪意など微塵も感じさせない最高の一瞬を。自分の軌跡を思い返した時に、いい人生(物語)だったと言えるような一ページを。

 

 上条が小さく頷いて英国からの四人に目を流す。狙撃銃もない俺と上条が見える範囲にいるうちは脅威でもないと思っているのか。

 

 その先で、光の剣が天に伸びた。キャーリサさんの人差し指と中指で挟まれた金属片が、移動要塞から溢れる波を束ねたかのような一キロを超える刃へと変貌した。『カーテナ=セカンド』の欠片。その刃が何を切断できるのか、英国で俺も上条も嫌という程見ている。即ち切断できないものはほぼない。アレでオティヌスを斬る気だと上条は強く歯噛みすると、俺の肩に回している腕に力を込める。

 

「あれをどうにかできるか?」

「無理だ。第三の瞳で見た感じ、移動要塞に流れ込んで来ている波を束ねて力に変えている。俺達の足元にあるのは要塞であり中継器みたいなものだろう。あれを止めるには力の流れを制御している要塞の核かなにかを壊すしかないだろうが、その時間をくれるとは思えん」

「……別に核が壊れなくても要は要塞が全部壊れればいいんだよな?」

「ん? ああ、なるほど。俺達お得意の手か。ただそう上手くいくとも思えないが」

「多分、いや、間違いなく大丈夫だ。俺達には無理でも、あいつにどうにかして貰う。あいつの矜持に。だからいつも通り、後のタイミングは任せたぞ相棒」

「任されよう」

 

 神裂さんを小さく顎で差した上条に頷き、組んでいた肩を解く。軽く足を振ってみるが、調子は問題ない。光の剣を目にキャーリサさんは首を傾げ、残る三人の目も調子を確かめるように足を揺らし、肩を回す俺と上条に向けられる。

 

「なんだ? 作戦会議でも終わったのか? 今のお前達に何かできることがあるとでも?」

 

 手にする刃を止める気はない。キャーリサさんの立ち振る舞いから嫌でもそれは分かってしまう。言葉を返さずに拳を握る上条に微笑を返し、指先を床に付けて身を屈めたと同時。

 

 

 ────ゴンッ!!!!

 

 

 上条の右手が床に向けて落とされる。魔術で動く移動要塞。霊装を砕くように、その甲板の強度を無視して上条の右手が床を大きく砕き蹴散らす。底の抜けた甲板からその下へ。狭苦しい空間でもない、内部の大空間には、四角い箱が点在し、他の人の気配もない。建物二、三階分の高さからの落下に上条は小さく目を見開くが、瞳を俺に向けて流す。

 

 ここから先は俺の役目だ。

 

 隣で落ちている上条の肩を掴み引き寄せ、着地と同時に転がる事で勢いを殺す。俺にできて英国の四人にできないはずもない。わざわざ着地の為に動くこともなく、二本の足を床につける。

 

「敵対行動あり」

 

 最大限譲歩してくれていた今を切り捨てる声が響いた。端に立っていた為に、壁のように間隔を開けて横に並び立ちはだかる四剣士。上条の瞳の先がまるでブレないのを感じながら、床を蹴り、掴む上条を引き立たせながら剣士の壁に突っ込む。

 

「加減はするが、多分死ぬだろーな」

 

 ほんの少し残念そうにキャーリサさんが吐き出すのに合わせ、四つの影が同時に動いた。それだけで分かる。持ち得る速度がそもそも違う。選べたとして、誰に向けて突っ込むかだけ。俺達の足で逃げ切れるという選択肢は最初から存在しない。

 

 故に突っ込む。上条があいつの矜持に任せると言った先に。神裂火織の真正面に。

 

 その瞬間、神裂さんの顔が歪んだ。

 

「な、ん……ッ⁉︎」

 

 俺達に選べる選択肢があるとすれば、()()()()()()()だけだ。馬鹿げた発想だ。俺だけだったら絶対に思いつかない選択肢。ウィリアムさんでも、騎士団長(ナイトリーダー)さんでも、キャーリサさんでも、わざわざ殺されに突っ込んで来る相手に手を抜くなどあり得ない。同じ傭兵。同じ軍人。敵と定めたのなら全力で穿つだけ。

 

 だが神裂さんは? きっと殺さないだろうと俺は断定できないが、俺よりもよく神裂さんを知るだろう上条が神裂さんの矜持こそを信じるといった。突っ込む最中でも、上条の心の揺らぎは変わらない。上条は俺の事も信じると言った。ならば俺も信じよう。

 

 

 できて俺にはただ一度。それも一瞬の機会。

 

 

 無防備にただ聖人に突っ込んで行く俺達を目に、神裂さんの手が僅かに鈍る。筋肉の軋む音に、神裂さんの呼吸に、剣を抜き放つ動きに全神経を集中させる。……剣は、抜かない。抜こうという動きを神裂さん自身が押し留めている。このまま刃を振れば俺と上条が死ぬが故に。誰が相手でも()()()()()()が神裂さんの魔術師としての誓いだと言うのか。ただ、それでも神裂さんの突っ込んでくる動きは止まらない。

 

 

 だからそう一瞬なのだ。

 

 

 音速で動く聖人にぶつかっただけでも、俺と上条はどうなるか分からない。殺さないと決めているなら、()()()()()()()()()()()()。合わせるのはその一瞬。速過ぎれば音速を超えた挙動で動きを修正され、殺してしまう間合いを外され再び意識を断たれてしまうだろう。遅過ぎればそのまま避けようとする神裂さんと衝突する恐れがある。

 

 

 必ず死ぬと書いて必死。その間合いを読み切るしか手は残されていない。

 

 

 目で見るのでは遅過ぎる。波の世界に沈み込む。神裂さんが動く事で逆巻く波の『起こり』こそを見つめる。狙撃銃の引き金を引く時と同じ。無意識にサーシャ=クロイツェフのバールを弾いた時と同じように、上条を掴んだまま脱力し、理性を極限まで削り落とす。

 

 呼吸音が、心音が、大気の震えが、筋肉と骨の駆動音が、揺らめく波だけがそこにあり、瞼を落とし息を吐き切る。脱力した体が上条ごと前に倒れ込む。

 

 

 神裂さんのポニーテールが揺れる音。

 僅かに軋む足の筋肉。

 震える大腿骨。

 指先がしなる。

 床を蹴る音。

 

 

 一瞬の波の『起こり』に合わせ、力を抜いたまま掴んでいた上条の肩から滑り落ちそうになる指先をほんの僅かに曲げて引っ掛けた。

 

 

 

 ────チリッ。

 

 

 

 弾丸が頬を擦るように、僅かに体勢の崩れた俺と上条の肩先を、神裂さんのブーツの爪先が、撫でるように通過する。

 

「ッしゃらァァァァッ!!!!」

 

 背後ですぐに態勢を直そうと蠢く四つの影の気配を感じながら、叫び力の抜け切っていた体に無理矢理力を込めて上条を掴み直しぶん回す。宙を泳ぐ上条の勢いに自分も乗りながら、壁に流れている一際大きな魔力の流れ目掛けて掴む上条を叩きつけるように突っ込んだ。上条の右手が壁を打ち破る。太い魔力のラインが途切れ、がくりと一度大きく移動要塞が揺れた。

 

「確かに壁は抜けたぞ上条! だが直線的な動きで戻ってこれることを考えるとすぐに神裂さんは戻ってくるぞ!」

「それでいいんだ! 法水できるだけ一直線に! 魔力の多く通ってる壁を教えてくれ! そのまま突き抜ける!」

「そのまッ、そのままッ⁉︎ そのまま突っ込んだら上条お前ッ!」

「マジでノーパラシュートダイブをやる日が来るとはな。まさか法水ビビってる?」

「くっそッ……言ってくれる! こちとら投身自殺の真似は慣れてんだよ! 年季が違うわ! 行くぞおらぁッ!」

 

 上条の右手が壁を砕く。魔力のラインを断ち切りながら前へ前へ。大きく揺れる移動要塞の中、背後から恐るべき速度で迫ってくる破壊音から逃げるように砕いた壁の先には青い空が広がっていた。

 

「がっああああああああああああッ‼︎⁉︎」

「くそったれぇええええええええッ‼︎⁉︎」

 

 心の準備などしている時間はない。僅かでも足を緩めれば恐怖が顔を覗かせる。壁を砕いたその勢いに身を任せ、上条と共に青い空へと飛び出した。肌を撫で付ける風音に叫び声は攫われてゆき、はためく服の音が小うるさい。眼下に広がるデンマークの広大な景色を視界に収めながら、移動要塞から突っ込んで来る気配を手繰り寄せて小さく息を飲み込んだ。

 

「馬ッッッ鹿野郎がッッッ!!!!」

 

 天草式の女教皇の怒号が降ってくる。マジで律儀に追って来るとか。身を捻り風を背に受けながら仰向けに落ちる俺と上条の間、ど真ん中でポニーテールが大きく揺れる。

 

「あははははは!! お前なら来てくれると思ったよ! どうしてもどうあっても人が死ぬのを許せない神裂なら、徹底的に自滅の道を突っ走る俺達にどこまでも協力してくれるって信じてた!!」

「神裂さんも投身自殺の真似が趣味とは知らなかったな! おい見ろ上条、あれってオールボータワーじゃねえの? ってことは今いる場所はだいたい……」

「あ、本当だ!」

「観光気分か! 馬鹿じゃねえの! 本当に馬鹿じゃねえの!? 計算ゼロですか! 自分達が生き残る方法を全部丸投げにして私に寄りかかっているってだけじゃないですか!! そもそも私が無条件で協力するなんて都合の良い事を信じているんですか⁉︎」

「いやいや、俺は、俺だけならそこまで信じられないよ」

 

 親指で上条を指差せば、大変良い笑顔を上条は浮かべ、それに比例して神裂さんの顔がげんなりと歪む。俺に神裂さんに言えることなどほとんどないが、神裂さんを信じた上条は違う。

 

「敵味方は関係ないね! お前はある意味、俺なんかよりもよっぽどヒーローに向いてる!! 目の前で殺されそうになってるヤツを見かければ、敵味方なんてお構いなしにとにかく救っちまう現実的な力を持ってる! ……ああそうさ、今のお前にとってまだ俺達は『敵』なんだろう。そんで『敵』の俺達が簡単に死ぬのも許せなかった。そういう話なんだろ!?」

 

 言ってしまえば相手の優しさに漬け込んだ。敵らしき小狡い一手である。ただそれがまかり通ってしまう程の神裂さんの優しさを上条は信じた。敵であってもそこまで信じ切れるかどうか、俺には厳しい。敵としてどうしようもなく向かい合ったなら、寧ろさっぱりと苦しむ暇なく殺し切るのが俺達だ。生をどこまでも諦めない神裂さんはまるで聖人……と言うかまんま聖人だったな。力としてでない聖人の在り方の輝かしさに頬が緩む。

 

「でも、だったら! どうしてオティヌスを殺す作戦なんかに出張ってきた!? 相手が魔神なら大丈夫とでも思ったか。カーテナの力でバラバラにしたって死なないんだから大丈夫だって胸でも借りてるつもりかよ!? 断言するが、その決断はお前を苦しめるぞ。たとえ作戦が全部成功して、世の中が平和になったって、お前だけはずっと苦しむんだ!!」

「ああもう!! 上から目線のご高説は結構ですっ!! だが現実問題、彼女を『始末する』以外に解決の手段はあるんですか!?」

「『殺す』って言えよ! 言葉を濁して誤魔化すな、神裂!! 出自や経歴はどうあれ、オティヌスだって一人の人間から始まった。そいつを思い出せ!!」

 

 答えに行き着く為に必要な絶対的な過程の一つを上条は神裂さんに突きつける。歯を食いしばった神裂さんの目が泳ぐ。魔神を殺す。それは人を殺すということ。魔神だけ例外ですという事にはならない。神裂さんの泳いだ目が俺を見る。俺を見んな。俺は必要な必死であるなら引き金を引く側の人間だ。選びはしてもその選択肢が消える事はない。俺を見ても得られる答えはないと察してか、神裂さんは瞳を上条へと戻すとぽつりと告げる。

 

「……あるんですか」

「何が?」

「他の道が!! 魔神オティヌスを殺さずに終わらせる道が! そんな都合の良い道があるっていうのですか!?」

「つーか! 今まさにその路線だったんだ!! お前達が邪魔するまではな!!」

「その結果、物理的に道から落ちる羽目になるとは思わなかったよな!」

 

 小さく笑えば神裂さんに舌を打たれた。対外的に見れば邪魔をしているのは俺と上条なのだろうが、『殺す』と『生かす』の選択肢の前ではどちらが邪魔かは明白だ。ただの外道で脅威であるなら『生かす』選択肢など必要ないが、そうでないからこそ俺もここにいる。きっと神裂さんもそうなのだろう。理由を聞く前でさえ俺と上条を殺す行動を取らなかった神裂さんだからこそ。

 

「私の性質を安易に利用されたのはとことん癪ですが……とにかくまずは安全に着地する所からは始めましょう……」

「おおう。というかどうやって速度落とすんだ? パラシュートもないってのに」

「こいつ今ここで殴りたいっ!!」

「てか狙撃銃も軍楽器(リコーダー)もなくなっちまったよ。やべえよ木山先生に怒られる。俺はこのまま狙撃手を名乗っていいのだろうか?」

「貴方は何の心配をしてるんですか! だいたい何を落ちながら(くつろ)いでやがるッ‼︎」

 

 落ちながらベッドの上で横になるように涅槃(ねはん)のような体勢で風を受けていると、神裂さんに刃のように鋭い目を向けられた。そんな事を言われてもこの状況。俺や上条にはどうする事もできないし。

 

「流石にこの状況で何に並ぶ事も追う事もできないし、どうせ神裂さんが助けてくれるなら今を楽しもうかなって」

 

 バキリッ! 重い音が響き神裂さんに殴り飛ばされる。くるくると宙を回る俺を追って、俺の名を呼ぶ上条と、般若のような顔した神裂さんが降ってきた。痛む鼻を抑えて宙に正座で座る。その頭上で瞬く光。飛び出した移動要塞を斬り裂き伸びる光の刃。キャーリサさんの沸点をどうやら超えてしまったらしい。俺達に届くだろう程に伸びる光の刃に口端を上条は引き攣らせて神裂さんに目を向ける。

 

「まずい……。私達ごとやる気だ……」

「あーまずいなーあれに巻き込まれるとみんな死んじゃうなー『聖人』としてのフルパワーで何とか弾いてもらわないと大変な事になっちゃうなバゴゲヴッッッ!!!???」

「あっはっは! 上条お前も殴られてやんの!」

「仕方ありません、まずは時の鐘を盾に……」

「殴るよりひでえや、盾なら上条の方が良いと思う」

「こ、この野郎、神裂、そのロリコン傭兵もう一発殴っていいぞ」

「神裂さんより先に俺が殴ってやろうか?」

「ああもう‼︎ とりあえずまずは減速します!! 私の体にしがみついてください!!」

「具体的にどうすんの!?」

「カーテナは基本的に英国内でしか使用できません。第二王女の場合、英国にある力の源を移動要塞経由で伝送してもらっていると考えれば良い」

「ああやっぱりあれってそういう感じのやつなのか。移動するチェックポイントみたいな感じ? 十字教の教会が十字を掲げて偶像崇拝としての力を分けてるやつの応用なのか? という事は英国のシンボル的なのが核に……」

「早くして貰えますか⁉︎」

 

 急かされ慌てて伸ばされた上条の手が神裂さんの胸に伸び拳骨を見舞われ、少し下に落ちた上条の顔が神裂さんの尻に埋まりそうになりまた拳骨を貰っている。それを見せられてどうしろと言うのか。これでは地面に辿り着く前に神裂さんに殴り殺されそうな勢いだ。殴られたくないので少し離れていると、「しがみつけと言っただろうが!」と殴られる。もうどうすりゃいいのだ。これが世界一楽しくないスカイダイビングである事には間違いない。

 

「ダメだ法水っ、殴られてしがみつけねえよ! 難易度が高過ぎるっ!」

「いや、それは自業自得だと思うが、俺にしがみついて欲しいならそうだなぁ、せめて髪型をツインテールにでも」

「斬りますよ?」

 

 ……殺さないのが信条じゃないの? 目の笑っていない笑みを向けられ、神裂さんの方に上条を押し付ける。神裂さんの腰に腕を回してしがみつく上条に俺はしがみつき、神裂さんの鋼糸(ワイヤー)が空を走った。三次元的に組まれた魔術陣が光り輝くのに合わせ、光の刃が降ってくる。その激突の衝撃に、大地に着地するどころか俺と上条は横合いに吹き飛ばされ、林を突っ切り、分厚い雪の中へと突っ込んだ。

 

「痛たた……流石に芯に響いたな……しがみつけとか言って振り解かれるとは……骨は折れてないか?」

「ば、ばか……法水、俺が腕を放しちまったのは悪かったかもしれないけど……お前も腕を放してくれ。俺今ジャーマンスープレックスくらったみたいになってるんだけど……? 腰がメキメキ言ってるんだけど……?」

「ああ悪い」

 

 上条の腰に回していた腕を放し、身を起こす。背中を大地に落として転がった上条は咳き込むと、落下の衝撃も和らぎ痛みが襲って来たからか、林を突っ切った際に体に突き刺さった細い枝を握り抜くか抜かないか固まっている。それを見て俺も自分の体に目を落とし、足や腕に突き刺さっている細い枝を引き抜いた。

 

「……法水お前痛くねえの?」

「大丈夫大丈夫痛くないって、なんなら俺が抜いてやろうか?」

「いや、大丈夫だ」

 

 そう言って上条は服の袖を掴み枝を引き抜くと、声にならない悲鳴をあげて転げ回る。

 

「大丈夫じゃねえよ普通に痛い! 法水の痛くないほど信用ならない台詞はねえな!」

「まあ俺痛覚ほぼないし」

「もう痛くないとか二度と言わないでくれる⁉︎」

「雪で患部をある程度冷やして、感覚麻痺させてから引き抜けばよかったんじゃね?」

「それをもっと早く言え!」

 

 元気に叫び再び枝を引き抜いて転げ回っているあたり、上条の骨は折れていないらしい。俺も腕を回して軽く跳び体の調子を確かめるが、さして問題ない。そんな事をしていると、ざくざくと雪を踏む音が林の方から近づいて来た。身構えるが、影からひょっこり頭を出すのは見覚えのあるとんがり帽子。これまでどこにいたのか、歩きやってくるオティヌスに手を振れば、俺は足を蹴っ飛ばされ、上条は小さな拳にぶん殴られた。もう踏んだり蹴ったりだ。

 

「今までどこに行っていたんだお前達!!」

「……う、うぶふう……。そんなに必死になって俺達を捜し回ってくれちゃって……さては急にいなくなっちゃって不安にしてしまったかねお嬢さん……」

「思ったより可愛げあるじゃないか。そう心配せずとも今は上条も俺も隣にいるぞ」

「それが遺言になるかもしれないが、他に言う事はないな?」

「やっぱり可愛げないな」

 

 もう一発とオティヌスに脛を蹴り飛ばされ、軋む足を振るう横で上条が土下座を決めている。謝るスタイルのデフォルトがそれでいいのだろうか。上条がひけらかしている謝罪の精神は置いておき、手ぶらのオティヌスを今一度見つめ、粗雑に頭を掻いた。

 

「……なあオティヌスさんよ、俺の狙撃銃とか見なかった?」

「全く見ていないな。……まさか失くしたのか?」

「英国に取り上げられたという感じかな。これは正直困った」

 

 何やってんだお前はと言いたげに口端を落としたオティヌスの顔から目を外し小さく舌を打つ。狙撃銃を失ったが、聖人達から逃げ切れただけ幸運と見るべきか、だが、弾丸だけ持っていても銃がなければ意味もない。そうなると残されたものは波の世界への知覚と積み上げた技術だけ。軍楽器(リコーダー)さえないのが痛いが、それで折れるほどやわでもない。武器は武器だ。物に対して無い物ねだりしても仕方ない。ないならないでどうにかするしかないのだ。幸いにも両手両足共に健在で、まだ十分体は動く。

 

「まあいい、必要なら揃えればいいだけだ。武器がないから無理ですとは言わないさ。学園都市に来る前は何度かこういう事もあったし。それに相棒は誰も欠けずにここにいる」

 

 耳のインカムを小突けばライトちゃんの声が返ってくる。肩を竦めて見せれば、オティヌスに大きなため息を吐かれた。小言でも言われるかと思ったが、そういう訳でもないらしい。信頼……とは少し違うような気もするが。

 

「お前のことはお前に任せるが、それにしても、目が覚めた途端に凄まじい事になっているな。あちこち散らばっているのは移動要塞の残骸か?」

「……ああ、今度はUFO墜落騒ぎにでもなるのかなあ……?」

「都市伝説化してうやむやになってくれた方がいいとは思うけどな」

「一体何が起きた? 右手の力があるといっても、まずはあれにゼロ距離まで接近しなくてはならないだろう。英国に武器を取り上げられたとも言っていたな?」

「えと、その、違うんだ。……まあ一応は俺が破壊したトコもあるけど、そうでなくてだな」

 

 ガゴギンッ‼︎ と説明しようとする上条の言葉をかき消すような金属音が響く。鋭い金属音の波がぶつかり合う神裂さんとキャーリサさん達の姿を無理矢理頭に浮かべてくる。神裂さんもさることながら、キャーリサさんから溢れる怒気に当てられて、口端がどうにも引き攣った。三対一でも足止めを成功させている神裂さんの技量に舌を巻くが、衝突速度が速過ぎて世界を早送りで眺めているような気分になってしまう。

 

「あ、歩きながら話そうか? ここはまだまだ危険がいっぱいだし……」

「賢明だな。神裂さんが足止めしてくれてはいるが、徐々にこっちに近づいて来ている。てかキャーリサさんの顔がめっちゃ怖い」

「よし、やっぱり走ろう」

 

 上条と小さく頷き合い、オティヌスを上条と挟んで腕をひっ掴み持ち上げて全速力で足を動かす。珍妙なロズウェル事件のような絵面になっているだろうが、気にしている余裕はない。叫ぶオティヌスの言葉に耳を貸すこともなく、急ぎ聖人達の戦場から離脱した。


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