時の鐘   作:生崎

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グレムリンの夢想曲 ⑥

「いやこりゃ駄目ですよ。バッテリーが沈黙を貫いてますもん。バッテリー液が凍結してるのに動く訳もなし。何年物ですかこれ? いや炙っても駄目ですって! てか危ねえ⁉︎ ちょ、いやもうガスステーションが近いんでしょう? なら新しいバッテリー買って来ますからトラックの中で待っててください。下手に他の部分弄ってエンジンが逝っちゃう方がマズイでしょこれ」

 

 英国勢力から離れ辿り着いた街、ストウリングでヒッチハイクに成功したはいいものの、面白い事に道中で乗せて貰っていた長距離トラックがエンストした。寒冷地なのに整備を怠るからこんな羽目になる。何年前から使っているのか、バッテリー液の量が減ったまま使用を続けていた結果、デンマークの冬の寒さに耐え切れずに見事にバッテリーがお釈迦になった。グレゴリーさんや浜面あたりがこれを見たら凄い顔をしそうだ。

 

 バッテリーをライターで炙ろうとする運転手の手を押し留め、ガスステーションが近い事を幸いに、そこまで新しいバッテリーを買いに行く事になってしまった。問題が起きるのは仕方ないが、ヒッチハイクで整備不良のトラックを引き当てる確率などどれほどのものか。今宝くじでも買えば当たってくれないだろうか。

 

 次の目的地であるビルンまで、未だ一〇〇キロ以上ある。ここで長距離トラックを諦めて徒歩で進むのは自殺行為。何より前後左右タイヤ跡の薄い銀世界を見る限り、他の車が通り掛かるのを期待するだけ無駄だ。だから、たかがバッテリーを一つ買うのは必要経費。……そしてストウリングでコートを三着買ったのも、これまた必要経費。おかげでトラックから離れガスステーションを目指す道中、上条の歯が噛み合わない事はもうない。痴女もコートを手に入れて痴女ではなくなった。

 

 …………と、思いたいが、コート一枚の下に下着姿のような格好が詰まっていると思えばこそ、寧ろオティヌスの痴女力が増したように思えなくもない。もう全体的にオティヌスの服装の趣味が良くないのが悪い。

 

「法水のおかげでコートも軽い食料も手に入ったってのに、バッテリーまで必要とかついてないよなぁ。バッテリーも街で買っておけばよかったか?」

「備えのレベルが常軌を逸してるなそりゃ。そんな事できたら予知能力者だ。そこまでするとなるとタイヤの予備も買っておこうとか、終わりがなくなって最終的に新品のトラックでも買う事になり兼ねない。バッテリーだけで済んだと寧ろ喜ぶべきかもな」

「しかしよかったのか傭兵? 銃の類は買わなくて」

「軍服着てる奴が銃を買ってたら嫌でも目立つしな。ガンショップの店員相手だと、俺の服装見れば流石に一発で所属がバレる可能性が高い。コートである程度格好は隠せたが、効果は微々たるものだろうし」

 

 それよりも学園都市、ローマ正教、ロシア成教、英国と襲われ、もう次どこの勢力が向かって来ているのか予測が立てられない事の方が問題だ。国の大きな動きならまだしも、魔術師相手となると妹達に協力して貰っていても追い切れない。まだかち合っていない勢力の者達は俺達を目指すか網を張っているだろうし、一度出会った勢力も他の人員を動かしているだろう。各勢力が手を組まずに個々で向かって来ているのは、連携が上手く取れないだろう事だけが理由ではなく、功績を争っての事でもあろうが、そういう意味では各勢力が団子状に向かって来てくれた方が付け入る隙があるのだが上手くいかないものだ。

 

 トラックから離れ白一色の世界の中をしばらく歩けば、平たい屋根のガスステーションが姿を現わす。人気の無い雪景色同様に人の気配なく、店員の姿も見えない。店の防犯はどうなっているのか。

 

「ヤバいぞ、これセルフのお店か? 店員さんいないんじゃないのか!?」

「店員がいないと何が困るんだ?」

「終末論蔓延る映画のワンシーンに迷い込んだみたいで気が滅入るとかじゃないか? これがゾンビ映画なら店員はゾンビになってるな」

「いやそうじゃなくて、車のバッテリーが自販機で売ってるなんて話は聞いた試しがねえよ」

「そりゃバッテリーなら店の中だろうさ」

 

 霜の張った給油機や洗車機を通り越し、事務所であろう四角い屋舎へと足を向ければ、中にはタイヤといった車の部品が並べられている。店員の姿はなく、入口のドアを押せば普通に開いた。ありがたくはあるが、防犯意識の薄さに口端が落ちる。事務所の中には車の部品以外にも食料品や日用品が並べられており、探しているバッテリーも置かれていた。ただし埃を被って。

 

「なんなんだ? デンマークは車のバッテリーに恨みでもあるのか? これで金払えって側から見たらゴミ買ってるようなもんだぞ」

「カウンターに多めの金を置いておけば良いだろう。デンマークはチップの仕組みも浸透していないから、不意の小金は喜ばれる。大体五〇〇クローネくらいで十分だ」

「先生、クローネが分かりま───」

「日本円で一万」

「またかよ高いって!! そのバッテリー、ブルーレイの再生機能でもついてんのか!?」

「なんだその第二次世界大戦で生まれた珍兵器みたいなバッテリーは……上条、ちょっとテスターで中身があるか見てみろよ」

 

 財布から取り出したお札を、これ見よがしにいない店員に向けて叩きつけるようにカウンターの上に置く。その横で、古ぼけた厚紙製の容器から上条はバッテリーを取り出すと、バッテリー本体にテスターの端子を取り付け、諦めたように薄く笑い、頭を左右に振るう。

 

 ブルーレイの再生機器がついてないどころか中身もすっからかんとか客を舐めすぎじゃね? トラックのバッテリーのように完全にお釈迦になっていない事が唯一の救いか。

 

「よっぽど売れ残っていたのか寒さのせいかは知らないけど、充電していく必要がありそうだ」

「そこのコンセントを使うのか? 盗電も盗みの一種だと思うが」

「電気代ぐらいマケてくれるだろ。俺は充電が終わるまで周囲の警戒でもしていよう。終わったら言ってくれ」

 

 ぎゃあぎゃあと夫婦漫才に移行しだす上条とオティヌスから目を外し、一足早く事務所から外に出る。無音の銀世界の中に這いずる凍てつく風音。インカムを小突く音もすぐに消える。少し前から言葉を紡ぎ続けるライトちゃんの声。バッテリー問題もライトちゃんに頼めばどうにかなったかもしれないが、通信の為の電気残量を思えばこそ、頼む訳にもいかなかった。事務所から薄っすら聞こえてくる上条達の会話が聞こえない事務所の背後へと足を動かしながら、周囲に目を流し舌を打つ。

 

お兄ちゃん聞いてる(Are you listening)デンマーク軍が動き出したって(The Danish army has started to move)!』

「聞いてるよ。デンマークにいる妹達(シスターズ)さんからだろう? デンマーク軍が動き出したという事は、表に顔が利く米国が動き出したか。表からの動きであるだけに、取れる手がより潰されるな」

 

 一般市民に話が流れていなくても、これだけでデンマークの軍部が敵に回ったと見るべきか。しかも『魔神』を追うなんて頭が痛くなるような作戦。デンマーク軍を動かすだけでなく、アメリカ軍も幾らか動いているだろう。ただ大規模な越境作戦で米国が動いているのなら、混乱を避ける為に軍事機密として扱われているはずだ。テロリストを鎮圧、抹殺する為に米国の特殊部隊が現地入りなどとわざわざニュースで報じない。付け入るべき隙があるならそこだろうが、軍で動く相手と此方は三人。戦力差的にぶつかり合えば厳しい。『魔神』という未だその力が残っていると思われているブラフとしての手札はあるが、下手に切れば効果がないどころか、相手の攻勢を早めかねない。

 

「……飛び道具がないのが痛い。相手の居場所を事前に察知できても穿てねえ。武器がない事で相手の警戒心を緩められるかもしれないが、逆に罠かもしれないと勘ぐられて警戒心を強める可能性もない訳じゃないか。考慮する点があるとすれば」

 

 事務所裏手の外壁に背をつけ、煙草を咥え火を点ける。デンマーク軍部に俺達の手配書が出回っていたとして、見た目だけなら少年少女。並べられる罪状や、これまで関わった事件はいずれも物騒ではあるが、魔術を知らない者からすれば、どれも現実離れしているため、多少なりともデンマーク軍は懐疑的になるだろう事ぐらいか。ただ米国に限って言えば、ハワイ諸島の一件で一度痛い目を見ている為、その甘さはおそらくない。だが。

 

「他の勢力との違いを後あげるとすると、指揮しているロベルト大統領が魔術に疎いという点か。これは必ずしも欠点ではない。特に今のこの状況の中では、ありがたくさえある」

なんで(Why)?』

 

 宗教や魔術の理ではなく、ロベルト大統領は必要な社会のルールを遵守する人だ。破天荒で豪快な性格に目が向いてしまうが、守るべき必要な部分はきっちり守り、無駄な争いや犠牲は好まない。ハワイ諸島でもそうであったし、東京に『グレムリン』が浮上した際に、援護が多少遅れたのも、しっかりと通すべき所に話を通さねばならなかったからだろう。取り敢えずやるだけやって後で理由つけるにしても、学園都市のように科学力で黙らせるような事はしない。

 

「危険性が分かっていても、魔術や科学で個人の深いところまでも判断する事はない理にかなった人だ。小難しい理論を捏ねくり回さないあたり話し合いというテーブルの上で一番話になるのは間違いなくロベルト大統領だよ」

 

 自由の国の頂点。だからこそ多様性には寛容だ。ハワイ諸島では咄嗟でも学園都市の能力者やレイヴィニアさんと迷わず手を組んだほど。

 

 ただ今回はその『魔神』という危険性が高過ぎるのが問題だ。手ぶらで歩いていた所で、一般的に見て力があるのかないのかも分からない。ノコノコ前に出て行って撃たれましたでは間抜け過ぎる。米国の特殊部隊が来ているなら、なんとか接触しロベルト大統領に連絡取りたいところだが、そこまで辿り着くのが大変厳しい。信頼薄くなっているだろう現在で、どう相手と接触しある程度の信頼を得るか。

 

 

 

 ────ガタゴトッ。

 

 

 

 小さく響くゴツい音に思考を遮られ、目の前に広がる白い絨毯へと目を向けた。

 

 風景の中に紛れ込んだ違和感。それなりに離れた場所にぽつんと、真っ白な大地の上に石材で作られたドラム缶のようなものが伸びている。その上に腰掛けた少女が一人。長い銀髪を二本の三つ編みに、寒空の下、白い世界の中では浮いて見える褐色の肌をオーバーオールで覆った少女。周囲には誰の影もなく、僅かに額に滲む汗を拭い、咥えていた煙草を握り潰して少女達の方へと足を寄せた。

 

「…………マリアンさん一人、ではないのか。そのドラム缶さんも生きているらしいや。ベルシ先生はどうした? 合流したんじゃないのか?」

「……アンタに関係ある?」

 

 目尻を吊り上げ、怒りを表すかのように牙を剥こうとするが、マリアンさんは口を引き結ぶと口端を歪めて瞳を俺からガスステーションへと移した。その前へと立ち塞がるように動く俺に向けてマリアンさんは舌を打ち、ドラム缶の上から腰を上げる。

 

「あのメイドのおかげでアンタ達の居場所はすぐに分かったし、アンタにはベルシを助けて貰った借りがある。……だからアンタは見逃してもいい。でもオティヌス、あいつは駄目だ。いるんだろうあそこに? 『月輪神馬(フリムファクシ)』を使って来たから目立つしよその連中もすぐに気付くよ。どいてよ法水」

「オティヌスが狙いならそういう訳にもいかないな」

 

 鞠亜がクロシュと連絡でも取ったか、一時的にでも合流して話を聞ければ、時の鐘学園都市支部の者達には俺の位置は、情報に制限を掛けていてもある程度筒抜けだろう。相手が鞠亜だったからクロシュも迷いなく話したのか。それにしたってマリアンさんだけで飛んで来るとは。目を細めるマリアンさんを目に、雪の上に腰を下ろして胡座を掻く。

 

「今バッテリーの充電中でな。それが終わるまでオティヌスも上条も動かないよ。少し話そう。それぐらいの猶予はくれるだろう?」

「今更話すことある? 私はオティヌスを仕留められればそれでいい。見たところあの狙撃銃も持ってないのに私の邪魔をするの?」

「ある程度近付けば俺が気付くと分かっていて、そうやってやって来てくれたんだろう? 話してみろよ。マリアンさんの必死に嘘がないなら、俺は退くさ」

「退かないなら力付くでどかすけど」

「なら俺の人生はここまでかなぁ、バゲージシティの時の続きだ。ただ懐中時計にはあまりなりたくないな。どうせやるなら、せめて格好良くしてくれよ」

 

 薄く口端を持ち上げる俺とガスステーションを交互に見やり、再び舌を打つと、不機嫌を隠すことなくマリアンさんはドラム缶さんの上に雑に腰を下ろした。ほんの少しでも俺の為に時間を割いてくれるらしい。

 

「だいたい、アンタなんで急にオティヌスの側についてるの? バゲージシティじゃ勝負にすらならなかったくせにさ」

「そう言うって事はマリアンさんは勝負になる手を持って来たって事かな?」

「ああ。あいつが放棄した『槍』の部品だよ。『万象の金(ドラウブニル)』とでも呼ぶべきか。オティヌスが逃げ出したおかげで神々の武具の材料が余ったもんでね。『主神の槍(グングニル)』ほどじゃないが、人間が扱える範囲内であれば、こいつはあらゆる魔剣や神槍を自在に組み上げる。……あいつがみんなの夢を見捨てたおかげで、私は神様を殺す力を得た。『グレムリン』の血を搾って結集させた力が! ()()()()()にしか使えなくなったんだ!!」

 

 声を荒げたマリアンの両手首で、黄金の輪が渦巻いた。日本で言う緋緋色金(ヒヒイロカネ)のようなものであるのか、流動的な金属は生きているかのように波打ち、マリアンさんの手首を中心に土星の輪のように広がった。『主神の槍(グングニル)』を見る事はなかったが、それを形作っていた技術の結晶に目を細める。喋るうちに火が点き出したのか、感情の大波を立てるマリアンさんに感覚の目を這わせ、注意を引く為に煙草を咥えて火を点けた。立ち上る紫煙を目で追い俺までマリアンさんの瞳がおりて来る。

 

「手があるのは痛いほど分かったが、なんでベルシ先生まで置いてデンマークまでやって来たんだ? 他の『グレムリン』とも協力せずに。何がマリアンさんをそこまで駆り立てる? オティヌスを仕留めるって、仲間じゃないのか?」

「仲間だからだ! 世界各地で『グレムリン』は戦ってきた。音信不通のヤツなんて珍しくもない。逆立ちしたって叶えられない願いを叶えるために、自らの命をオティヌスに託した人間がそれだけいるんだ」

 

 母を救う為に東京で壁となっていたフレイヤさん。それ以外にも名も知らない『グレムリン』の者達が大勢いるとマリアンさんは告げる。『船の墓場(サルガッソー)』のダミーに寄って来た英国を足止めしていた者達。ハワイ諸島で、バゲージシティで、正確にどれだけの数が動いているのか分からない。ただ、きっと数字に意味はない。

 

「それだけじゃない。『グレムリン』に合流する前にだって犠牲はあった。今ここに私が立っているのは、黒小人(ドヴェルグ)再興の夢を多くの仲間達に託された結果なんだ。私だけじゃない。死にもの狂いでオティヌスの元まで辿り着いたその全員に、多くの犠牲と引き換えに繋げられた夢があった。奴は、それを踏みにじった」

「つまりオティヌスが槍を放り捨てて、日常を欲し好き勝手やってるのが気に入らない訳か。……そうか、なら、やっぱり退くわけにはいかないな」

「はあ?」

 

 眉を吊り上げるマリアンさんを前に、煙草を握り潰して立ち上がり服に付いた雪を手ではたき落とす。

 

「オティヌスが『魔神』としての力を捨てたがっていると言ってもマリアンさんは納得しなさそうだ。それに、今完全にマリアンさんの前から退く理由が消失した。マリアンさんがここに来るのをベルシ先生にも止められたんじゃないのか?」

「……だからなに?」

 

 苦く顔をマリアンさんは歪める。予想が当たったのか。魔神に対抗する手をマリアンさんが持って来たという事は、マリアンさんも未だにオティヌスは『魔神』としての力を振るえると思っているという事。『槍』云々を抜きにしても、魔神を前にそう易々と勝てるとは誰も思っていないはず。待ち受ける結果がほとんど決まっているようなものならば、刺し違えるつもりだとして、それではバゲージシティの時のベルシ先生と同じだ。いや、相手が人の姿を捨て去り死を振り撒こうとしていた怪物ではない事を思えば、それより悪いかもしれない。

 

「オティヌスが『魔神』の力を捨てたがってる? それがあいつがこの世界で新しく見出したものだって? 今更自分の力を恐れたとでも? そんなこと許される訳ないだろうがッ。叶えられない願いがあった。諦めるべきなのかもしれなかった。だけど、魔神オティヌスっていう裏技が私達を手繰り寄せた!! あんなものがあったから私達は狂わずに済んだし、あんなものがあったから私達はこんな所まで来てしまった!! あいつは私達を煽るだけ煽って、世界の果てまで連れてきて! たった一人で逃げやがった!! 『これ』は、あいつの責任だろう。私達が『こう』なったのは、あいつが補償しなくちゃならないだろう! 私は! オティヌスさえいなければ!! こんな道を進む事さえなかったんだから!! 退け法水! それとも私に勝てると思ってるわけ?」

「……いや、『万象の金(ドラウブニル)』とやらがどんなものかは分からないが、狙撃銃も持たない俺がマリアンさんに勝てるとは思えない。まず死ぬだろう。だがそれが俺の退く理由にもならない。()()だよマリアンさん。そうである限り俺は退かない。例え何度向かって来られても退く訳にはいかないよ」

 

 マリアンさんが拳を握る音がする。ライトちゃんが警告してくれるが、インカムを小突き静かにして貰いマリアンさんの前に立ちはだかる。マリアンさんの必死に嘘がないなら、それが正しい道であるなら俺が立ちはだかる道理はない。オティヌスが悪人であることに変わりはないし、落とし前をつけさせる為にマリアンさんがやって来ている事も理解している。オティヌスをぶん殴るとやって来ただけなら退いてもよかった。必死に嘘がないのなら。だが、武器も力も捨てた普通を望む少女に強大な力を向けるのは違う。

 

「マリアンさんが使う魔術はホラーだが、優しさはちゃんと持っている。傷だらけのベルシ先生を前に戦慄し、仲間を助ける為に力を振るえる。今有無を言わせず俺を殺す事なく話してくれる事もそう。自分の事以外に仲間の事も含めて怒っている事もそうだろう。だからこそなぜ気付かない。それを必死と宣う気なら、例え死のうとも俺は退かん」

「ッ……『投擲の槌(ミョルニル)』‼︎」

 

 マリアンさんがドラム缶さんと思わしき者の名を呼ぶが、マリアンさんの背後で『投擲の槌(ミョルニル)』は動かない。初めからそうだ。マリアンさんと違い、やって来た『投擲の槌(ミョルニル)』さんは最初から敵意がなかった。怒れるマリアンさんの側にただいるだけのように、マリアンさんの結末を見届けに来ただけのように。

 

「なにしてる。引き金を引くなら自分で引け。マリアンさんなら俺を殺す事ぐらい容易いだろう。だから殺るなら外すなよ。躊躇うなら俺は退かないぞ」

 

 

 べキリッ!!!! 

 

 

 振られたマリアンさんの拳が俺の頬を殴り飛ばす。避けず躱さず、口内が切れて溜まった血が口端から垂れ、大地に広がる白い絨毯を数滴の血が朱く汚した。

 

「アンタ死にたいの? これが最後だ! いくらアンタが恩人でも‼︎ 私はオティヌスを」

「だから()()だよ」

 

 口元を拭う事もなく、奥歯を噛み締めるマリアンさんの瞳を見返す。

 

「俺のくそったれな知り合いは、自分で剣を手に取り『空降星(エーデルワイス)』になりやがった。俺の惚れた女は緑の腕章を腕に巻いて平和の為に科学の街の中をいつも駆け回っている。多重スパイの悪友は魔術の才能を投げ捨てて人知れず平和の為に動いているし、第六位の悪友は力以外に名前までも貸してやがる。上条の奴も普通の高校生なんて言いながら誰より先に悲劇の前に突っ込んで行きやがる。分かるか?」

「なにそれ、自分達は夢を掴んだって自慢?」

「そうじゃない。夢とは甘美な必死だな。ただ大事なのは、それを見るのは自分だけだ。自分の必死を他人なんかに預けたのはお前達だろう。それしかないと言いながら、他人に夢を押し付けた。期待や信頼の話じゃない。その責任をオティヌスに望むのは畑違いだと言うんだ。連合軍が世界の為にオティヌスを追うのはまだ分かる。だが『グレムリン』。それがお前達がオティヌスを追う理由だと言うのなら、通す訳にはいかないな。犠牲を払った? 補償しろ? 間違えるなよ。引き金を引いたのは自分だろうが。平和を壊さなければ手に入らないような必死なら、そんなものは捨てればよかったんだ。他に方法はないと自分を諦めたのはお前達じゃないのか? 強大な力で輝きを潰す。やっている事がこれまでのオティヌスと変わらない。お前達が必死を預けたオティヌスがそれを捨てると言うのに、お前達はまだ磨いた魔術で輝きを潰すのか?」

 

 

 バキリッ!!!! 

 

 

 マリアンさんの拳が俺の顎を跳ね上げる。魔術を使わない感情の乗ったただの拳が、二度三度と振るわれる。その感情の揺らぎが拳から伝わり痛い程よく分かってしまう。息を荒げて腕を振り上げ、避ける事なく受け入れる。決して倒れないように足に力を込めて。

 

「なんでアンタが! なんでベルシのところへ私の手を引いてくれたアンタが私の前に立ってるんだ!」

「ぶふっ……()()、もだ。マリアンさんは、間違えてるよ」

「なにを!」

 

 顔を殴り抜けたマリアンさんの右腕を掴む。口の中に溜まった血を雪の上に吐き捨て、呼吸を整える。口にする言葉が少女へとしっかり届くように。垂れた血で汚れた雪を足で踏み締め、マリアンさんの瞳を覗き込む。

 

「ベルシ先生を助けたのは俺じゃない。お前だろマリアン=スリンゲナイヤー」

 

 マリアンさんの肩が小さく跳ねた。僅かに力の緩んだマリアンさんの腕から手を放し、胸の奥に詰まったものを吐き出すように息を吐く。

 

「俺だけじゃあベルシ先生を助けられなかった。あの時、あの場所で、マリアンさんがいたから、マリアンさんが救ったんだ。俺じゃあない。マリアンさんにはそんな力がちゃんとある。黒小人(ドヴェルグ)再興? できるさマリアンさんになら。『槍』の製造だってマリアンさんがいなきゃ作れなかったんじゃないのか? それだけの技術があるのなら、マリアンさんに作れないものなんてないだろう。ベルシ先生だっている。『投擲の槌(ミョルニル)』さんもいるんだろう。必要なら、それがマリアンさんの必死なら、魔術なんて素敵なものじゃないが俺も力を貸してやる。きっと上条も、他にも大勢力を貸してくれる奴はいるさ。だからこんな事に技を振るうなよ。こんな事の為に磨き積み上げたものじゃないと、マリアンさん自身も分かっているんだろう?」

「じゃあどうしろって言うんだ! なんで今そんな事を言うんだよ! ……ッ、来るのが遅過ぎるんだよ喇叭吹き(トランペッター)ッ」

「……そりゃ悪かったが、今は隣にいるぜ。マリアンさんの望む道が輝かしい道であるなら、どんな荊道でも絶対に俺は並んでやる。俺の命でいいなら懸けてやる。だから頼れ。それに例え俺がいなくても、マリアンさんにはもう生涯隣にいてくれる人がいるんじゃないのか?」

 

 マリアンさんの左の薬指を指差し肩を落とす。指に嵌った銀の指輪。それを軽く指で摩ると、その場にしゃがみ込むようにマリアンさんは腰を落とした。その傍にガタゴト音を立てて『投擲の槌(ミョルニル)』が寄り添う。力に惹かれた訳ではなく隣に居てくれる者は確かにいる。どんな強力な武器よりもそれこそが最も心強い。

 

「……力を貸すって、どうせ報酬要求するくせに」

「いやまあ、そこは傭兵だから仕方ないと言いますか」

「……だいたい力を貸すってどうする気?」

黒小人(ドヴェルグ)の事はバゲージシティの後多少調べた。深いところまで分からなかったが、優れた技術を持つが故に恐れられ迫害され数が減ったんだろう? 形としての繋がりが欲しいなら同盟でも結ぶか? 誰が敵に回っても、どこであろうと必ず守る為に戦うと誓おう。それを惜しむ理由はない」

「そう言いながらアンタも結局恐れるんじゃないの? 強大な武具を前にして、力に溺れないと言えるの?」

「そう見えるか?」

 

 武器は武器だ。大事なことは武器ではなく、それを振るう者にこそある。争いを生むことも、争いを鎮める事も武器はできる。どう使うかは本人次第。平和な世の中ではそもそも必要ないものであるが、そうではない時に手にする物を無闇矢鱈と周囲に振り回しては武器の意味もない。

 

「……ねえ法水、これからどうする気? 世界中がアンタ達を狙ってる。狙撃銃もない傭兵が一人、力を貸すとか言って先に死んでたら世話ないじゃん」

「なんとかするさ。こんな今でも俺に隣にいてくれと言ってくれる奴がいる。輝かしい必死の為に。俺自身がそれを見たいと思っちまったから、俺は俺の為にしか引き金を引けないが、それが誰かの平和の為になるなら悪くもない」

「だから銃もないのになんの引き金引くんだって話。ベルシもそうだけど何をそう決めた事に迷わずガンガン進むんだか」

「進む事しか知らないからなぁ、進んで突き抜けてマリアンさんの必死まで戻ってくるさ。それを見てみたいからな」

 

 『投擲の槌(ミョルニル)』さんの上に座りなおすマリアンさんを目に、手を振りガスステーションへと踵を返した。大分殴られて体の節々が痛い。金槌などで殴られなかっただけ良かったと思うべきか、せめて格好つけずに防御くらいすればよかったかもしれないが、それではきっとマリアンさんの感情の波を受け止め切れなかった。

 

 魔術師だろうが、能力者だろうが、技術者だろうが、膨れ上がった感情が拳をこそ握らせる。サンドバッグになっただけでマリアンさんが引き下がってくれるのならば、殴られる事くらいどうって事はない。ガタゴト背後で響く音が聞こえた。帰るのかと思ったが、『投擲の槌(ミョルニル)』さんとマリアンさんは俺の隣に並ぶと、大きなため息を吐き出す。心底呆れたと言うように。

 

「待ちなよ。私は黒小人(ドヴェルグ)。同盟の証だ。どんな武器が欲しい?」

「なに?」

「だから武器だって。やっぱり狙撃銃? 今ならなんだって作れるけど。……オティヌスはもういい。上条当麻も知った事じゃない。でもアンタは別だ法水。期待させといてさよならは許さないから。黒小人(ドヴェルグ)の未来の為に、アンタの力は貸してもらう。だから必要なものを言いいなよ傭兵」

 

 目を見開いてマリアンさんを見返す。武器を作ってくれるなら願ったり叶ったりであるが、一見何も持っていないように見えるのになんでも作れるとは凄い自信だ。マリアンさんを今一度見つめ、少女の左手の薬指に嵌っている指輪を見て小さく頷いた。

 

「トールから設計図は送って貰っているな? 今こそ俺に指輪を作って」

「武器って言ってるじゃん! 馬鹿じゃないの! 指輪でどう戦うってのさ! 確かにそれは悪かったけど! 本物の馬鹿かアンタはッ‼︎」

 

 ボゴンッ‼︎ と響く重い音。

 

 マリアンさんに殴り飛ばされ、雪に上を転がり滑った。そんな事言われても、指輪への未練がこうふつふつと。いや、確かに今必要なものではないけども。まあなんだ、マリアンさん元気になって良かったね。

 

 仰向けに転がり口に詰まった雪を吹き出す。おかげで頭がすごい冷えた。揺らめく黄金の腕輪を回すマリアンさんを見上げ、身を起こす。

 

「……軍楽器(リコーダー)白い山(モンブラン)を作ってくれるならそれに越した事はないが、設計図もないし神話や伝承に記されたものという訳でもないからな。複雑なものは難しいだろ?」

「設計図や物があるなら完璧に作って見せるけどね。簡単な物の方がすぐにできるよ。この状況じゃ時間も掛けられないし」

「ならあれしかない。ただ形状が少し独特でな。その代わりその図なら俺も引ける。雪の上に描いて見せよう。幸いに赤い水が額から垂れてやまないからな。それで?」

「十分」

 

 頷くマリアンの前で額から垂れた血を使い雪の上に線を引く。少し興味深そうに描かれる武器を見つめるマリアンさんは、『投擲の槌(ミョルニル)』さんの上で胡座を掻き頬杖をつくと眉を顰めた。

 

「そんなのでいいの? 特別なものじゃないでしょそれ。もっと凄いの作れるけど」

「マリアンさんの腕を疑っている訳じゃない。ただ強過ぎる武器は必要ない。使い勝手の分かっているものが一番だ。だいたい本当にいいのか? わざわざ」

「くどいよ法水。私が作るって言ってるんだからね。……それに、私達の作る武具を正しく使ってくれるって言うなら、まあ少し張り合いもあるし」

「……ありがとう黒小人(ドヴェルグ)、俺は誓いを破らないよ。この先お前達に降り掛かる最悪は俺が必ず穿ってやる。『時の鐘(ツィットグロッゲ)』一番隊、法水孫市が生きている限り」

「なら死なないでよ、扱き使ってやるんだからさ」

 

 マリアンさんが黄金の腕輪を回す。黒小人(ドヴェルグ)の、マリアン=スリンゲナイヤーが磨き積み上げた技術が形となる。その最高の技を見逃さないように、忘れないように、瞬きをする事も忘れてその光景に見惚れた。静かに佇む『投擲の槌(ミョルニル)』さんと二人で。

 

 必ず俺はこの輝きに並んでみせる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「────おーい法水、バッテリーの充電終わったぞ。……て法水⁉︎ どうしたんだお前すげえボコボコだぞ⁉︎ 襲撃があったのか⁉︎ なんで言わなかったんだ!」

「いや、襲撃はなかった。こりゃあれだ。転んだんだ」

「どう転べばそんなコートが血塗れになるんだよ! だいたいッ」

「おい傭兵、それは────」

 

 ガスステーションの裏手。壁を背に腰を下ろし休んでいれば、寄って来たオティヌスが傍に置いていた筒から矢を一本引き抜きその先端に目を向けた。刻み込まれた独特な溝は積み上げてきた瑞西(スイス)の結晶。瑞西(スイス)の技術を黒小人(ドヴェルグ)の技術が形にした最高。薄く笑う俺を目に、膝の上に置かれているクロスボウへと目を流してオティヌスは筒へと矢を戻した。

 

「『時の鐘(ツィッドグロッゲ)』の振動矢か。随分古い物を持ち出したな。そんな物をすぐに作れる者がいるとすれば」

「小人だよ」

「なに?」

「小人が置いてってくれたんだよ。不思議だな」

 

 誰だろうが関係ない。それは俺だけが分かっていればいい。『グレムリン』としてのマリアンさんはもういない。オティヌスに預けていた必死を、マリアンさん自身が再び握ったのであれば、それをわざわざ言う必要はない。それはマリアンさんの人生(物語)であり、神でさえ取り上げていいものではないのだ。そこから下りる事を選んだオティヌスにもまた必要ではないだろう。ただマリアンさんの必死に俺の力が必要なのなら、喜んで俺は協力しよう。その証が今は手の中にある。クロスボウと矢筒を担ぎ上げ、マリアンさんと『投擲の槌(ミョルニル)』さんが去って行った先に今一度目を向けた。

 

「さあ先に進もう。上条、オティヌス、この旅は終わりではなく通過点なんだ。きっと素敵な明日が待ってるよ」

 

 

 


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