時の鐘   作:生崎

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グレムリンの夢想曲 ⑩

 頬杖ついている肘がズレる。ギュラギュラ響く金属音。心地悪い振動でも揺り籠の中にいるように気分は晴れやかなものであり、不毛な雪原も光り輝いて見える。実際に陽の光を受けて輝いていたりするが、それ以上に鮮烈に世界が華やいで見える。これもまた見え方が変わった特典なのか、にやける口元を隠す事もなく砲塔の上に頬杖をついたまま景色を眺めていると、不意に頭を叩かれ額を戦車の砲塔の天板にぶつける。

 

 ゴィンッ! と衝突音が頭の中で響き、小さく首を振ればひょっこりと隣で上半身を伸ばし死んだような目を向けて来るオティヌスの姿。その顔に小さく頷き返し、風ではためきズレるとんがり帽子の位置を直してやる。

 

「こらこら帽子がズレているぞ? 寒かったら中にいるといい、あっ、肩に埃が付いてるぞ? あぁ襟までヨレちまって」

「気色悪いぞ傭兵! なんだそのふやけきった顔は!」

「ははは! 困ったお嬢さんだなあ! お腹でも減ったのか? 仕方ないなぁ、レーションが確かそこらへんに」

「おかしいのはお前だけだ! 優しくするな気持ち悪い! おい人間どうにかしろ!」

『法水さん⁉︎ お前の運転は不安だとは言ったけど俺に戦車の運転は厳しいんですけど⁉︎ これほんとに真っ直ぐ進んでんのか⁉︎ ちゃんと指示をくださいませんかマジで‼︎』

「なに言ってんだ、どこに行こうが世界はちゃんと素晴らしいぜ! さあ進め! まだ見ぬ明日が俺達を待ってるぜ!」

『法水がまたポンコツ化しちまった⁉︎ いったい何があったんだよ‼︎』

「なんだ俺の話が聞きたいのか? そうだな、思えば長かった。全ての始まりは初めてトルコの地を踏んだ今から九年前のこと」

『その話今いるか⁉︎ 絶対に長くなるやつ‼︎ せめてもっと戦車の説明とかにしてくれ!』

「戦車一両なんて動く的だぜ」

『そんな説明は今いらない‼︎』

 

 黒子とぶつかり合う直前、ドライヴィーに投げ渡し、返して貰ったインカムから響く上条の声が喧しい。折角ファイブオーバーに壊された中で無事だった戦車を一台拝借できたというのに、いったい何が不満なのか。履帯の音が邪魔で会話ができない為、ヘッドセットを付けたオティヌスと上条からひっきりなしに不満の声が投げられる。御坂さんと戦い脳の回路にでもいらない電流を流されてしまったのか、上条もオティヌスも落ち着きがなくて困る。口喧しい少年と少女の声を右から左へ聞き流し、鼻唄を歌いながら砲塔の天板を指で小突いていると、盛大なため息を零したオティヌスに肩を小突かれる。

 

「そこまで浮かれるくらいならお前も残れば良かっただろう」

「一応仕事中だぞ。受けた依頼をぶっ千切れるかよ。例えもう学園都市にさっさと帰りたいと思っていても、待っていてくれる子がいるからこそ焦る必要もないという訳だ。待ってくれている子がいるからな! ふへへ」

「…………傭兵が壊れた。もうこいつはここで捨てよう」

「いいだろ羨ましいだろう! なんだよオティヌス、神だったらここは祝福して然るべきだろうがよ! まだ神様のうちにこう君に幸あれ的な神様ロールプレイをだな」

「ええい鬱陶しい! こっちに寄って来るな! コートの襟を直すんじゃない!」

「それにドライヴィーがついてるから大丈夫さ。御坂さんも黒子もな」

 

 御坂さんと上条の、俺と黒子の戦闘も終わり、御坂さんのハッキングに抵抗して身動ぎだした兵器達を御坂さん達が引き受けてくれたが、兵器群に関しては御坂さん一人いればどうとでもなる。戦場からの離脱もドライヴィーと黒子がいればまず問題がないであろうから、下手な心配こそ必要ない。寧ろ心配するのは失礼だ。御坂さんも黒子も常に張り付いていなければならないようなか弱い乙女ではないのだから。

 

 だいたい黒子達と別れて既に東に五〇キロ。次の目的地であるフレデリシアはすぐそこだ。

 

 フレデリシア。一六五〇年、デンマーク王フレゼリク三世によって建設され、王にちなんで名付けられた海港の街。デンマークで最大の交通の中心地の一つ。フロッグマン中隊でも控えていれば最悪だが、ビルンに猟兵中隊が控えていたように、フレデリシアよりもオールボー寄りの海岸沿いに控えている事はドライヴィーからの話でもう分かっている為心配しなくていい。だからこそ、雪原の切れ目から見える海岸の景色も心配する事なく、波打つ青々とした大海を一望していても問題ない訳で、そう、海に近付いても問題は…………近過ぎじゃね? 

 

「おい、この辺りで良いんじゃないか? すぐそこは海だぞ。このままだと落っこちる」

『あれ、どれだっけ? これか?』

 

 オティヌスに止まれと催促され、なんとも拙い上条の返事と共に戦車が大きく揺れる。前進は止まらず、待ち受ける母なる海へとガックンガックン揺れながら乗り心地をより悪くして前へと突き進む。冷や水をぶっかけられたように急速に目が冴え、持ち上げていた口の端が落っこちた。おいおい嘘だろ。戦車の操縦ってそんな難しかったでしたっけ? 隣で目尻を吊り上げてオティヌスがヘッドセットを手で抑えた。俺も続いてインカムを小突く。

 

「今のはシフトレバーだ!! 早く履帯のレバーをニュートラルに戻せ! 両方だ!!」

『だからどれ!? どのレバーッ!?』

「さっき握ってたやつだよさっき握ってたやつ‼︎ なんでついさっき握ってたやつを見失ってんの⁉︎」

「もう良い、そのシフトレバーをニュートラルに入れろ! それでも止まるから!!」

『あー、ヤバいんじゃないかー。もう海に真っ逆さまだぞこれ!!』

「バカまだ間に合う! 仕方ないからどけ! ただレバーを引くだけで────」

 

 

 ぽきん。

 

 戦車の中へと滑り込み、上条の横から手を伸ばしてレバーを掴んだ拍子に聞きたくない音が響く。真顔の上条と無言で顔を見合わせ掲げた右手に握られているへし折れたレバー。『どうしたんだ⁉︎』と戦車の中に上半身を引っ込めたオティヌスの顔からすとんと表情が滑り落ち、無言で戦車の中から外へと逃げる。手にしたレバーを放り捨て、上条を引っ掴んで戦車の外に放り捨て、戦車の中に置いていたクロスボウと矢筒を手に、続いて外へと転がり出た。

 

 まるでまだ道が続いているかのように、海へと続く崖の先へと戦車は進み、呆気なく海の底へと消えてゆく。七〇トンの戦車が水面を破る水音もすぐに波の音に飲み込まれ、上条と二人肩を竦め合えば、横から伸びたオティヌスの手が上条の首を引っ掴み左右に激しく揺さ振った。戦車から出たのに上条だけまだ戦車の中にいるみたいに揺れている。

 

「どうして! お前は! こう! 全体的に! 駄目な子!! なんだ‼︎」

「だからローラースケートもできない子に戦車は早過ぎたんだって! ていうか、待ってよー、戦車っていくらくらいすんの?」

「ありゃ国外向けだから、日本円でだいたい一〇億だ」

「よし、この話はもうやめよう」

 

 ぽんと財布から出るはずもない額に現実味が感じられないのか、上条は顔を青くすることもなく大きく頷く。ぶっ壊したイギリスの移動要塞の事を思えばこそ、金額的に戦車一台くらい鼻で笑えてしまうだろうが、考えたくないのでそれは言わない。壊れた物は仕方ない。物はいつか壊れちまうぜの精神だ。消え去った戦車をオティヌスも諦めたのか、上条を揺さぶる手を止めて、親指でもう見えている街を指す。

 

「とにかく街はすぐそこだ。さっさと街にある大橋を越えてフュン島に入ろう」

「橋まで行ければいいけどな」

 

 とは言ったものの、その心配は杞憂だった。

 

 合衆国との話し合いに上条が決着を付けたからか、大通りを軍用車両で塞がれていたりもせず、軍人の姿もビルンと違いまるで見えない。いや、見えなさ過ぎる。ちらほらと住人の姿は見えるものの、走る車の数も少なく、交通の中心地にあるまじき人通りの少なさ。隕石騒ぎやUFO騒ぎで人々が家の中に引っ込んでいたとして、生活物資の流通など、どうしても止めようもない車両までも数が少ない。つまりもうこれはアレだ。ここまで来ればフュン島に渡ると相手も察し、どうしようもない手を既に打っている。つまりそれは、

 

「これもう橋に誰か控えてるだろ。フュン島に向けて車両が全く進んで行かねえ。取れる手は二つ。船か、電車、これをハイジャックするかお借りして一気に通り抜けるという手があるわけだが」

「できると思うか?」

「船を使えばフロッグマン中隊が飛んで来るか、電車で行けば問答無用で電車ごと潰されるかだろうな。戦闘になっても好き放題やる為に交通制限してるはずだから、ここまで来て引き返す訳もなし、相手もこっちが色々考えたところで橋を渡るしかないと分かっていてこうしているはずだ」

「結局行くしかないってことだろ? これまで通り自分の足で」

 

 上条の答えに肩を竦め、鉄骨とコンクリート製の巨大な橋に向けて足を伸ばす。リトルベルトブリッジ。ユトランド半島とフュン島を結ぶ、一九三五年に完成した全長一一七八メートルに及ぶ車道と鉄道を兼ねる橋。ユトランド半島とフュン島を結ぶ橋はもう一本あるのだが、ニューリトルベルトブリッジは高速道路であり、リトルベルトブリッジに車の影がないあたり、一般人への交通はニューリトルベルトブリッジに割かれているらしかった。生身で高速道路に躍り出たところで車に撥ねられるだけな為、結局足ではリトルベルトブリッジを通るしかない。

 

 その中ほどに立つ二つの影。

 

 橋に差し掛かったあたりで目立つ色をしていた影が誰であるのかもう分かっていたが、上条は正に今気付いたように目を見開く。おそらくその影の顔が見えるまで否定したかったのだろう二人は想像通りの二人であり、向ける足が重くなる。

 

「……噓、だろ……?」

 

 白地に金刺繍、白銀の髪を靡かせるシスターと、モノトーンの服の上にコートを羽織った金髪の魔術師。

 

 禁書目録(インデックス)のお嬢さんとレイヴィニア=バードウェイ。

 

 一流の魔術師と魔術の叡智の結晶が並び立つ姿に、口の端から笑いが漏れる。よく見知った相手であればこそ、どんな研鑽された技術が飛び出すのか、生半可なものではないと分かってしまうが故に。ハワイで、東京で、並び立った者と向かい合う。御坂さんと黒子に続き二回目。ただ結局やることは変わらない。俺は選び、レイヴィニアさん達も選んだからここに居る。「いちいち質問はしないよ」と短く揺らぎないレイヴィニアさんの当然の言葉を受けて背負っていたクロスボウを手に握り、巻き上げ機に手を添えて弓を張る。

 

「そんなものは薙ぎ倒して拘束してから聞き出せば良い、長い時間をかけてな。今はさっさと事態を終わらせてしまうに限る」

「とうまみたいな人を、私達の世界の理屈に巻き込むのは良くない事だと思う。でも、これは、譲れない。とうま達の後ろにいるその人は、私達のルールの中にいる脅威なんだから」

「泣き言なら好きにしろ。私達は構わずお前達を攻撃する。意識が消えるまで、何言口に出せるかは見ものだな」

 

 細かな理由は必要ではない相手。俺がここで仕事として決めているように、能力者であり、突発的に始まった東京での戦いに己が為に突っ込んだ御坂さんや黒子とも違う。初めから魔術サイドに立つ二人には、オティヌスこそが理由である。上条を慕っていながらも、禁書目録(インデックス)のお嬢さんはこういった時に妥協しない。初めて出会った時に、一級の魔術師二人を前に決して引かなかったように、禁書目録(インデックス)のお嬢さんの確かな強さがそこにある。

 

 矢をクロスボウに番え、呼吸を整え、上条が隣で右拳を静かに強く握り締めた。

 

「……ええっ? さっき御坂とその辺の話は全部済ませたってのに、まーた同じくだりを繰り返すのかよ?」

「……ええッ」

 

 凍てつくデンマークよりも冷たく空気が凍り付く。氷像のように固まる禁書目録(インデックス)のお嬢さんとレイヴィニアさん。背後でオロオロと虚空に手を泳がせるオティヌス。思わず口から間の抜けた声が出てしまう。黒子に女心を学べと言われた俺でも分かる。それ台詞間違ってるよ。上条には二度目でも、禁書目録(インデックス)のお嬢さん達には初めて的なアレだよ。

 

「……なあ、上条」

「あっ、そうだ! じゃあ御坂のヤツに電話してよ。あいつから説明してもらう方が手っ取り早い。それならこんな所でいがみ合わなくても……」

「もうよせ……ッ! 上条! そりゃ誤射だ! 引く引き金を間違えてやがる!」

「なにが?」

 

 なにがじゃないッ! もう……やめろっ! 禁書目録(インデックス)のお嬢さん達はオティヌスを追って来た事もそうだろうが、他でもない、上条を追って来たはずでもあるはず。だからこそ上条を目にした時に鼓動が安定し膨らんだ。それがまた激しく脈打ち出している。上条の投じた一石の波紋に口端が引き攣り、凍り付いた時間をレイヴィニアさんの笑い声が動かした。

 

「ふ、ふふ……こちらには一〇万三〇〇〇冊がある。全てを正しく使えば『魔神』に上り詰める可能性さえ見えてくると言われる叡智の結晶が。あの時、あの場所で、お前達の間に『何が』起きたのかを、この短い時間の内に推測する事だってできたというのに……」

「えっ、あっ!? ちょ、ちょっと待て、まさかお前達、あの短い時間の間に『無限の地獄』が挟まっていたって言って理解してくれるのか!? だったら戦う必要なんて」

「今できたわ愚か者がァァァああああああ!!!!」

 

 ズガンッ!!!! と怒りを物質的な雷に変えてレイヴィニアさんの叫び声が地に落ちる。弾ける橋の残骸に僅かに足を下げてうんざりとした顔のオティヌスの肩を叩いた。なにがなにやら訳が分からない。無限の地獄だの俺の知らない世界に対して怒りを振りまく火の付いたらしい少女二人。鎮火させるには上条を生贄にでも捧げなければならないだろうが、それではここまで来た意味もない。上条とオティヌスの間に『何か』があっただろう事は俺にも分かるのだが、具体的な話となるとさっぱりだ。知らなくても俺のやる事は変わらないが、こうなってくるとピースが足らず推測もできやしない。

 

「ちょっと、俺の頭じゃ理解できない領域に足を突っ込み始めてるんだが……。知っておいた方がいいのか俺も?」

「……知るも何も貴様もそこにいただろうが『嫉妬』。知らないフリをするんじゃない。知りたければ自分の内側にでも聞け」

「……なんのことやら」

「お前自身なんとなく気付いているのだろう? 無意識である以上に本能が揺れ動くことに。まあアレと意思の疎通などされた日にはお前をぶん殴りたくなるだろうが、いや、どうせなら今殴ろう」

「なんでだ⁉︎」

 

 拳を握りだすオティヌスから一歩離れ、目を細めてオティヌスがため息を零す。ああもう、上条だけでなくオティヌスも確信している。俺の理性を超えて蠢く本能の正体を。そしてそれはおそらくオティヌスや上条だけでなく、ベルシ先生や、『時の鐘(ツィットグロッゲ)』の姉さん、兄さん達も同様であるらしい。「どこで混ざったのやら」と忌々しげにオティヌスは呟き、帽子のツバを僅かに指で押し上げた。眼帯に覆われていない残った瞳の眼光が俺を見据え、レイヴィニアさん達の叫び声を聞き流し、オティヌスは小さく首を振る。

 

「もう少しお前は自分のことを知れ。なんだかんだとここまで一緒に来たしな。ちょっとだけサービスだ。『元の世界』に『時の鐘(ツィットグロッゲ)』なんぞと言う名の知れた傭兵集団などいなかったからな。私も多少調べはしたが、私自身そこまで詳しくはないぞ」

「……なに?」

「始まりは『憤怒』だ。奴の存在には気付いていたが、『嫉妬』まで混ざっていたのは誤算だった。他の奴らがどこにいるのかなど知った事ではないが、おそらく学園都市にいるのだろうさ。競争と繁栄、そして堕落はお前達の欲するところだろうからな。面倒な運命を背負っているぞお前。悪魔を育てる巣になぞ放り込まれて。『船の墓場(サルガッソー)』で無理矢理殻を破った所為でお前は私と相対してから知覚が広がった事に気付いているか? 軍楽器(リコーダー)とかいう武器もなしに随分と波を拾っているじゃないか」

 

 ……そう言われればそうだ。ドライヴィーとの戦闘中に響いていた履帯の音や黒子の鼓動。これまで軍楽器を手にして骨で拾っていた振動が、今は軍楽器を持っていなくてもそれなりに鮮明に拾える。さっきの禁書目録(インデックス)のお嬢さんと、レイヴィニアさんの鼓動の起伏もそう。知覚を拾い過ぎれば大きなストレスになると木山先生も言っていた。無自覚に俺は体力でも大幅に消費しているのか? それはあまり良いとは言えない。スイッチのオンオフがあるようなものではない。

 

「共感覚性振動覚がまた変に成長してるのか?」

「共感覚性振動覚? なんだそれは? 学園都市の科学者がそう言ったのなら、答えは否だ。お前のそれは心の機微を読み取っているのであって、全てが物質的な感覚ではないぞ。頭で考えている訳ではない。誰の中にも潜んでいるアレが、お前に告げ口しているに近い。お前達は一つの感情の世界最大の噴出点のようなものだ。常に吐き出し続けているそれの核に触れるのは容易ではないだろうがな。だからお前がその気なら、一つの感情を統べる事もできるのだろうさ。まあそれをしないからこそ、お前は『嫉妬』足り得るのだろうが」

「話が見えないぞ。それは『無限の地獄』だの『元の世界』だのに関係ある話なのか?」

「その話はお前にするだけ無駄だろう。つまりお前は「そっちのオティヌス、傭兵。お前達も一緒にかかってきても構わんぞ」……『主神の槍(グングニル)』、だと……っ⁉︎」

 

 おい話がどんどん外れていきやがるぞ! でも確かに今ゆっくり話してる場合でもないな‼︎ バキバキと空間が押し潰され砕けるような音を響かせて、レイヴィニアさんの掌に一本の槍が現界する。黄金でできた枝にも似た槍の名を呼ぶオティヌスの目を追い、『船の墓場(サルガッソー)』で対面するはずであった槍の姿に口元が歪む。オティヌスではなくレイヴィニアさん達が『槍』を生み出すとはこれいかに。槍を肩に担ぐレイヴィニアさんと、歌を紡ぐ禁書目録(インデックス)のお嬢さんに目を細めてクロスボウを握り直すが、構えるより早くオティヌスに肘で小突かれた。

 

「……待て傭兵、アレを持ち出されれば今回お前にできる事はない。どうせならマリアンに神装武具でも作って貰えば良かったものを。別方向に欲がないのも問題だな。それにお前はあの二人に向けて引き金は引けないだろう? だからお前がいるにも関わらず目立つ橋の中央で待っていたのだろうよ」

「……なんだかイヤに落ち着いてるな」

「『槍』はリセットボタンのようなものだ。アレを放てばどうなるかこの世で正確に分かっているのは私達だけだろう。投げられれば世界が終わる。あの二人がそれを知っているか怪しいが」

「強大な武力を見せつけて降伏を呼び掛ける訳じゃ……ないみたいだなくそッ」

 

 槍を投げ放つ構えを取るレイヴィニアさんの動きに淀みは見えない。槍の投擲がなにを生むのか、知ってるだろう? 的な目で見られても知るはずなく、心の奥底で魚影がぐるぐると回るばかり。『主神の槍(グングニル)』の名前の通り、投げられれば終わる絶対必中の一撃であれば投げられる前になんとかしなければならないが、レイヴィニアさんや禁書目録(インデックス)のお嬢さんに向けて引き金を引く理由は確かにない。振動矢では殺傷能力が高過ぎる。考えがまとまるより早く上条が前へと飛び出し、それを目に、オティヌスの前に塞がるように身を滑らせた。

 

「おい」

「優しさに付け込むような戦いばかりで気分は良くないが、俺を巻き込む事を気に掛けて僅かに動きが鈍ってくれれば御の字。レイヴィニアさんがそんなに優しいとも思えないが、俺になにができなくても、上条に右手を伸ばせるだけの時間が必要だろう?」

「物好きな奴らだよまったく」

 

 前に飛び出した上条がレイヴィニアさんの横を勢いよくすり抜ける。狙いはレイヴィニアさんではなく、禁書目録(インデックス)のお嬢さんか。あの『槍』をどう生み出しているのか分からないが、形を整えているのは禁書目録(インデックス)のお嬢さんの口から齎される振動の波。『槍』を整えている禁書目録(インデックス)のお嬢さんを止める事で、結果槍を霧散させる気か。で、あるなら、その為の時間を作るのが俺の役目。上条の方へ振り向こうとするレイヴィニアさんの足元から少し離れた場所に向けて矢を放つ。捻れた空間を引っ張る振動矢の先端が橋を穿ち、生み出された衝撃は走る上条の背を押す事もなく、レイヴィニアさんをよろめかせる事さえせずに綺麗に橋を貫通し、力尽きて海底に消えた。

 

「……お前はなにがしたいんだ?」

「……貫通力が高過ぎるんだよマジで。牽制には全く使えないなこれ。……どうしよう」

 

 呆れた目を突き刺してくるオティヌスは放っておく。なんにせよ多少目を引く事はできた。これ見よがしに巻き上げ機を掴んで弓を引く音を奏でれば、僅かにレイヴィニアさんの目が俺と上条の間を泳ぐ。例え人を撃てずとも、その威力をもって何かするかもしれないと思わせられれば良し。たったの数歩上条の距離を稼げただけでも、その数歩で上条は禁書目録(インデックス)のお嬢さんに迫れる。後は世界の歪みを打ち消す上条の優しい右手に任せるしかない。

 

 上条が右手を伸ばし、禁書目録(インデックス)のお嬢さんが避けるように後ろに下がった。それでも無理矢理捻りこむように前へと伸ばされた上条の手が確かに届く。

 

 ぽすり。柔らかな音を奏でて禁書目録(インデックス)のお嬢さんの胸元に。

 

 禁書目録(インデックス)のお嬢さんの歌が途切れ、レイヴィニアさんの握る『槍』が爆発し吹っ飛んだ。歌をやめた白い修道女の慎ましい口は大きく開けられ、早まる鼓動に身を任せて上条に歯型を刻んでゆく。……どうしよう。

 

「……さて、話は戻るが、文明の先を行く学園都市が作られた段階で、お前達がいずれそこに集結するのはある意味決まっていたようなものだ。というか多分お前の先代や先先代も学園都市にいたりしたんじゃないか? 他の奴らも同様だろう」

「普通に話に戻るのか……」

 

 緊張感を明後日の方向にぶん投げた上条劇場には触れたくないのか、地に伏せてぴくりとも動かない上条とレイヴィニアさんを目に首を傾げ、上条に近寄りオティヌスはそのツンツン頭を指先でつっつくも、反応がないのを見ると大きく肩を竦めて身を翻す。胸を触られ喚く禁書目録(インデックス)のお嬢さんには触れようともせず、再び俺の横へと戻ってきた。

 

「だいたい学園都市が作られた段階って」

「だから始まりは『憤怒(Satan)』だと言っただろう。アレが多分今のお前達で一番の長生きだ。詳しい話が聞きたいならそいつに聞け。お前の上司のようなものなのだろうし」

「アレイスターさんか? それとも……」

 

 ガラ爺ちゃんか。『憤怒(Satan)』、ガラ爺ちゃんをそう呼ぶオティヌスに眉を顰める。学園都市創設の際に、なぜわざわざアレイスターさんは時の鐘に依頼をしたのか。しかも先代に先先代ってなに? 俺のこの好き勝手動く本能はそんな独立したものなわけ? 意味がさっぱり分からない。俺はなにを知らず、他の者はなにを知っているのか。俺はまだ知らない事が多過ぎる。

 

「俺達は……俺はなんだ?」

「お前はお前だろう? そんなに気にすることでもない。というか気にするな。アレが外に出るようにでもなったら堪らないからな。既にここに存在し、それがもう変わらない時点で、もう居ても居なくても変わらないとは言えん。まあこれも世界のズレというやつだ。混ざったお前達の所為で、多分他にもズレているのだろうが、そんな些細なズレを気にしてももうしょうがない」

「話が大き過ぎて気にするだけ無駄か……、まあいい、何かあればどうせどっかから依頼の一つでも飛んでくるのだろうし。目に見えないものを気にしても疲れるだけだ。学園都市になにがあろうが俺は学園都市に帰るんだしな」

 

 大罪の悪魔。羨望の魔王。自分の中に何がいようが、それが俺の本能の呼び名だとしても、どうせ手放せるものでもない。なら自分の身を切り離すよりも、やるべき事は他にある。今も、これからも前に進むだけ。歩く道がどんな終わりに繋がっているのか分からずとも、進む以外に道はない。例え源が罪であっても、これまで歩いてきた道を否定する事はない。俺自身が決めたのだから。

 

「ただもう少しお前と話してみたくはなったな。見聞を広めるのは物語を紐解いているようで嫌いじゃない。例え気に入らない真実が隠れていたとして、自分の事なら知らないよりはずっと良い」

「……ふん、ただ私も少し何かを残したくなっただけだ。砕いてきた世界の中で湧いてきた者の一人にな」

「湧いてきたって人を蟲みたいに……「だからとうまはデリカシーがなさ過ぎるんだよ! まごいちもそう思うよね!」……え、あぁ、そうだねぇ」

 

 急に話を振るんじゃねえ。そっちに俺を巻き込むな。味方を得たりと胸を張る禁書目録(インデックス)のお嬢さんに肩を落とし、砕いてきた世界だの物騒な事を言うオティヌスは言う事は言ったと言うように、レイヴィニアさんとの話が終わったらしい上条の隣に並んだ。先に行こうとする上条にさらに噛み付こうと手を掲げる禁書目録(インデックス)のお嬢さんの足を、寝転んだまま掴み抱えるレイヴィニアさんと目が合いため息を吐かれる。そんな目で見んなよ。

 

「で? 傭兵、お前はなにを見た? ある程度予想はできているが、お前はそいつらとは別だろう?」

「俺は今を見てる」

「あぁ、予想の中で一番しょうもない答えだな。いつか悪魔狩りにでも狩られるんじゃないかお前。面倒な生き方を選ぶ奴らだお前達は」

「その方がアレだ。『嫉妬』しがいがあるってやつなんだろうさ。多分ね」

 

 上条とオティヌスに並んで橋の先へと足を出す。『大罪の悪魔』、『北条』、『学園都市』、『時の鐘(ツィットグロッゲ)』、『黒小人(ドヴェルグ)』、考えなければならない事は山ほどある。それでも目にしたものに答えを出し続ける以外にない。一歩ずつ。過程を消しさる事はできないのだから。今までも、これからも、歩く道が邪道であったとしても、それを良きものとする以外に望む事はない。

 

 

 

 

 


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