時の鐘   作:生崎

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グレムリンの夢想曲 ⑪

 フュン島、オーデンセ。

 

 デンマーク王国第三の都市。フュン島の中部に位置し、その街の名は北欧神話の主神。戦争と死の神に由来している。デンマーク王国最古の都市の一つでもあり、その昔はデンマーク王国の首都でもあった。

 

 イーエスコウ城も既に手の届く距離。フュン島に着いてからヒッチハイクをし、乗せてもらえた観光客のレンタカーの後部座席から窓を軽く開けて外を眺めていると、赤信号で停車している車の窓の隙間から紙飛行機が滑り込んでくるのでそれを掴む。広げそれに書かれている文句に頬を緩ませれば、共に後部座席に座っている上条とオティヌス、観光客である男の子に目を向けられる。

 

「なんだ法水、広告か何かか?」

「いや、いざという時の保険で日本に帰る為のチケットのようなものだ。デンマークに着いて直ぐ連絡した仲間からの返事。イーエスコウ城に辿り着いて終わった後に帰る手段が必要だろう? 合衆国との話し合いが済んだおかげでこの保険も必要はなくなったようなものなんだが、まさか間に合ってくれるとは。お説教が目に痛くて困る」

 

 極東の忍からのスカイメールを再び紙飛行機に折って窓の外に飛ばす。隠密の達人。何人で来ているのかも分からないが、窓の外に目を向けても、どこに潜んでいるのかも分からない。ただ、確かに近くにはいるらしい同盟相手に笑みを向ければ、インカムからコツコツと小突く音が聞こえた。ライトちゃんが相手と通信でも繋げてくれたのか、モールス信号で寄せられる文句に口端を歪め、「猟師の仮装?」と尋ねてくる男の子の相手をする事で忍者の文句から逃げる。

 

 覚えている御伽噺を男の子に話しながら車に揺られてしばらく、オーデンセの街中で降り、手を振ってくれる男の子に手を振り返した。

 

「にしてもよく乗せて貰えたよな。法水とか猟師と言うよりミイラ男だろ」

「戦車の中で応急処置できたおかげだ。後は男の子が俺とオティヌスを仮装してると思ってくれたからさ。流石に流血しまくりの体でヒッチハイクもクソもなかっただろうし」

「お前が少年の相手をしてくれたおかげで助かった。一々言い訳を考えるのも大変だしな。慣れているのか?」

「紛争地帯じゃ子供の相手担当の一人だったからそこそこ。子供はいいぞ、血生臭い話をしなくて済むからな」

 

 俺よりもロイ姐さんやクリスさんの方が子供の相手は得意だが、男の子が絵本好きで助かった。御伽噺なら幾らでも覚えている話がある。

 

「なんにせよ、あと二〇キロだ。最悪、歩いてでも行ける距離ではあるな」

「最後の最後で誰が待っているかも分かんねえのに? ギリギリの線で筋肉痛に足引っ張られて倒されるなんて御免被るぞ」

「そんなんで筋肉痛になる程やわじゃないだろ上条だって」

 

 要らぬ心配をして、次のヒッチハイクをしようとする上条に肩を竦め、交通量の多い駅前に向けて足を動かす。駅前まで行くのならば、合衆国との話し合いも済んだ事だし、ヒッチハイクよりもタクシーでも捕まえた方が早い気もするのだが。辿り着いて見なければ、何が使えるかも分からない。

 

 劇場を超えてその先にある駅へ。雪を踏む音に混ざってインカムから小突く音が続く。それを耳に周囲を眺め舌を打った。

 

「……おい上条」

「どうした?」

 

 駅の前に待ち受ける広い公園を指差し、周囲に目を流す。人通りの多いはずの駅周辺にあって、消え失せた人と車の影。遠巻きに眺めてくれているのであろう近江さんからの報告がなければ、気付くのにもっと遅れていた。人払い。魔術師達が暴れる為の戦場が街中に既に整えられている。踏み込んでしまえば違和感に気付くまで気付けない意識的な檻。

 

「……まずい、どうする?」

「『人払い』か。セオリー通りと言えばそれまでだが、白昼堂々、街のど真ん中で仕掛けてくるとはな」

「どうするも何も、待ってはくれないらしいぞ」

 

 インカムを指で叩き、近江さんには常に遠くで待機してくれるよう指示を出す。いざという時の保険であっても、それは戦闘という話ではなく、俺がいなくなった後、終わった後の上条達に対しての手段として。公園に足を向ければ、足跡のない真っさらな雪原の上に伸びた二つの影。背負っていたクロスボウを手に握る。

 

 分厚いズボンとトレーナー、作業用エプロンと額にゴーグル。なんとも奇抜な格好だが、シルエットだけはメイドに見えなくもない女性が一人。

 

 丈の短いワンピースとズボン、防弾ジャケットを羽織り、肘や膝にプロテクターを付けた、足元に大剣を置いている女性が一人。

 

 なんとも場違いな風貌の二人であるが、そのズレこそが魔術師である証のようなもの。波に伸ばした感覚に冷や汗が背を伝う。相手が誰か知った事ではないが、これは────。

 

「私はシルビア、そっちはブリュンヒルド。ちなみに、どっちも『聖人』でもある。でもまあ、珍しい事じゃないわな。何しろ、イギリス辺りとはもうかち合ってんでしょ?」

 

 欲しくはない答えに目を僅かに見開く。世界に二〇人といないはずの聖人が、こうもほいほいと気軽にやってくるなど、それだけで魔神に対しての危険度の現れようが分かるというものであるが。何よりも困るのは、神裂さん達と違い、学園都市でちらっと見た気がするが、相手の全貌が全く分からないこと。オティヌスと上条は分かっているのか、「この上、オッレルスのヤツまで出てくるんじゃないだろうな」と上条が口遊む。またオッレルスか。トールも口にしていたが誰なんだいったい。

 

「……あいつも来てるよ。だけど表に出てこないのは、出てこれない理由があるからだ。オティヌス、アンタなら分かっているはず。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 膨らむシルビアの怒気に肌が粟立つ。聖人。聖なる人の純粋な怒りが何を生むのか。目の前に立つ聖人の機微に集中しようと呼吸を整えるが、背後で動くもう一つの気配に嫌でも引っ張られる。聖人二人。片方ばかりに気を割けない。

 

「断っておくが、私はそいつの私怨とは無縁だぞ……だがそこの魔神が『あの子』の害になるというのなら、是非もない。そいつを路上の染みにしてでも、私は『あの子』の平穏を守るよ」

 

 何より相手二人は既に己が答えを叩き出している。大義名分の為に動くわけでもない、己の為。それを覆すのは何より容易とはいかない。足元の大剣を蹴り上げ掴むブリュンヒルドに体を向けたのと同時、背後で軋む地を蹴る音。数瞬遅れて隣の上条が吹き飛んだ。

 

「かみ……ッ⁉︎」

 

 初動を感じてからでは遅過ぎる。上条の軌跡を追う時間さえなく、滑り込んでくる聖人の足先。間に滑り込ませ受けたクロスボウが砕け散り、体が大きく背後に飛んだ。転がりながら勢い殺し立ち上がるが、勢いが殺し切れず、足が雪原の上に二本の線を引く。

 

「こ、の……ッ」

「うるさい」

 

 数メートル開いた距離を一歩で埋められ、放たれる拳を左腕で波を逸らすように受け流すが、衝撃に左腕の骨がヒビ割れた。横合いに飛ぶより早く叩き付けられる左足の一撃が脇腹を抉り、それを軸に宙を回って威力を殺し地面に叩きつけられる衝撃を、受け身を取って流した矢先、放たれた蹴りに再び数メートル飛ばされる。

 

 全身を波打たせて破壊の威力を散らし、身を振るって立ち上がるが、何より持ち得る速度が違い過ぎる。上条に何かを叫び一撃を加えるその片手間に放たれる一撃が想像を絶している。上条に数度叩きつけられた拳が、上条の背にする大樹をへし折り、再び上条の体が遠くへ転がった。

 

 呻く上条の姿をぼやけた視界に捉え、口内の血を吐き捨てて大地を蹴る。ふらつきながらも立ち上がる上条を目に舌を打つシルビアの体が揺れ動き、横から頭に走った拳の衝撃を、無限の字を描いて相殺し大地に立つ。細められた聖人の瞳が俺を射抜き、続けて放たれた二発の拳が、背後に聳える大樹まで俺の体を吹き飛ばした。

 

 衝撃。衝撃。衝撃。芯を折らせずに逸らす事しかできることがない。これではただの丈夫なサンドバッグだ。立ち上がり足を向け走っても、こちらが動くより先に出を潰される。シルビア一人でこの有様。ブリュンヒルドは何をやってる? 視界の端に、へし折れたベンチに沈んだオティヌスの傍に立つもう一人の聖人を捉え、奥歯を噛む。

 

 上条とオティヌス。二人の前に一人づつ聳える聖人を同時にどうにかする手立てなどありはしない。幸いに体はまだ動くが、向かうべきはッ。

 

 立ち上がる上条の瞳がオティヌスへと向き、俺の向かうべき場所が決まった。上条なら、ここで助けに来いなどとは言わない。助けに行けと必ず吐く。そうであるなら、クロスボウと同じく砕けた矢筒から雪の上に零れ落ちた矢を一本走りながら掬い取り、オティヌスに剣を構える聖人に向けて投げ付ける。返しの刃で矢を弾かれ、返って来た矢が耳を掠った。インカムが穿たれ砕け散る。意識を此方に向けられればそれでいい。

 

 ブリュンヒルドの細められた目尻が俺へと向き、大きく肺から絞り出すように息を吐き切る。聖人を無力化する唯一の方法があるとすれば、組み付き気道を潰して意識を奪うしか殺さずに済む方法はない。ただそれまでに腕一本、いや足一本か、いや、全てを懸けなければその一瞬にすら指先は届かない。大剣の一撃を受けることは決まっているようなもの。ならばどこで受けるのか。首や頭、体でなければどうとでもなる。どうとでもする。

 

 目を細め、魔神を狩る方が早いとオティヌスに向けて大剣を握り直すブリュンヒルドを目に歯噛みし足を踏み込んだ途端。横合いから飛んで来た何かが体にぶち当たり、巻き込まれてベンチの横に転がり地を削った。飛んで来た何かには鼓動があった。伸ばした手が感じる血の生温い温度に顔を上げ、血濡れの上条の顔を見つめる。

 

「……待てよ、ブリュンヒルド。あっさり殺すな。それじゃ釣り合いが取れない。オティヌスとかいう魔神野郎の目の前で、あいつが大切にしていたものを一つでも多く奪ってから殺す。()()()()()()()()()……」

「……なに?」

 

 俺の問いに答える事もなく、ゆっくりと歩いてくる朱く染まった聖人。返り血に濡れた聖人にブリュンヒルドは顔を顰め、潰れかけのトマトのようになっている上条に目を落とすと、より眉間の皺を深く刻んだ。

 

「今の内に魔神を殺しておく事に異論はないが、悪趣味に付き合う義理はないぞ」

「なら、その塊をもう一個増やすか? 私はそれでも構わないよ」

 

 仲間に向ける言葉ではない。味方に向けてまで牙をひけらかす聖人の歪んだ波紋を手繰るように身を起こす。五分と経たずにこの惨状。細く息を吐く上条を雪の上に静かに置けば、打ち崩れたベンチの上から這うように血に染まったオティヌスが這い寄ってくる。

 

「……人間…………だ、から……言ったんだ。私なんかに付き合っても、ろくな事にはならないって……」

 

 絶対的な魔神の力など感じさせない、縋るように瞳に小さな光を揺らして言葉を紡ぐオティヌスの姿に、心の底で魚影が蠢いた。オティヌスが罪人である事に変わりはなく、その傍に立つ上条や、隣に立つ俺が正義の使者などという事は絶対にない。絶対にないが、これは()()()()()()()()()。なんでもない日常に向けての前進を拒んでいいものなど何ものも存在せず、ただ脅威を振りまく者にも正義などあっていいはずはない。相手を穿つ、願いの為に。それを否定できないが、相手を執拗に嬲る必死は間違えている。それを学園都市で教えられたからこそ。

 

 上条に這い寄るオティヌスの右肩をブリュンヒルドは強く踏みつけてその場に縫い止め、立ち上がり聖人の膝を蹴り抜くように横から弾く。僅かにズレたブリュンヒルドの足が雪を踏み、聖人の眼光が二つ此方に向いた。寒気がする。骨が凍るようだ。それでも。

 

「……お、い。傭兵」

 

 オティヌスが俺を呼ぶが目は向けない。口元の血を指で拭い、口の中に残っている血を雪の上に吐き出した。

 

「……まだ頑張る気なわけ?」

 

 シルビアが忌々しげに目尻を歪め、冷たい吐息と言葉を吐く。慈悲も優しさもない脅威の刃。大きく跳ねるような波紋を広げる聖人と、それに反発するように静かに淡々とした波紋を浮かべる聖人の間に足を落とす。強張りそうになる体の力を抜く。力んだところで勝負にはならない。それでも。

 

「……上条がまだ立ってるのに、俺だけ寝る訳にもいかないだろう。お前みたいな奴と相対する為に俺みたいな奴らがいる。傭兵が。別に『魔神』を守りたい訳じゃない。お前達と同じだ。俺は俺の為にここにいる」

「……立ってる? その目は節穴だな。その地に伏せた塊が見えないの?」

「お前の目が節穴なんだ。上条はまだちゃんと立ってるよ。オティヌスも」

 

 目指している道の上から足を逃してなどいない。体が動いていなくても、その意思はブレずに立っている。シルビアが舌を打つ音と共に顔を突き破るような衝撃が走った。無限の字を描きその場で渦を巻く。雪を削り足元を中心に円状の波紋が広がり、抉れた大地にポタリと朱滴が落ちた。蹲りしゃがんでいた体を持ち上げ、背にしているシルビアに再び向き合う。裂けた額から血が垂れ、塞ぎ切っていない傷が開いた。

 

「……お前達の追う魔神はもう、どこにもいない。なのになにを望むんだお前は」

「決まってんだろ。そいつの目の前で生きたままそこのガキの五臓六腑を引きずり出す。活造りみたいに内臓を全部抜いてもパクパク口が動くようにしてやるよ。それくらいやらなきゃ収まらない。お前も同じだ。そいつの側にいる奴は誰であろうが引き裂いてやる」

「……負けんよ俺は。誓ったから」

 

 走る衝撃に渦を巻く。殴る為に振るわれる拳の軌跡しか追えない。体の軋みと波の起こりから軌道を予測し、降り掛かる脅威を無限の字を描き逸らす事に全力を注ぐ。雪の上に蜷局を巻く俺を蹴り上げるようにシルビアが身動ぎ、威力を消し去り切れぬまま身を振り立ち上がった目前を風を切る轟音が通過する。傷から溢れる血が、振り上げられたシルビアの足を追い宙を舞う。

 

「……ッ」

 

 宙に舞った水滴を弾き、横合いから迫る衝撃に再び蜷局を巻いた。ぐるぐるぐるぐる。描き混ざる視界に意識が持っていかれないように、渦を巻く波に感覚を這わせ、台風の目のような中心から第三の目で世界を見つめた。オティヌスに向けて足を出すブリュンヒルドを追い、足を踏ん張り地を削りながら回転を緩めてブリュンヒルドの前に立った。赤い雫が身から離れ、雪を朱く円状に染めてゆく。

 

「お前────」

 

 ブリュンヒルドが何か言い終わらないうちに、視界が横に弾かれる。蜷局を巻いて地を転がり、身を振りながら起き上がり、離れてしまった戦場に向けて足を出す。呼吸をする暇もなく荒く息を吐き出して、揺さぶられる感覚を削ぎ落とし、ただ立ちはだかる為に全神経を集中させる。例え勝てずとも負ける気はない。回り過ぎ歪んだ視界は役に立たず、目を閉じ感覚の、心の瞳だけで世界を眺める。近付けば聖人の拳に殴り飛ばされ、蜷局を巻いて波を逆巻き、揺れ立ち足を出してまた殴られた。軋み続ける体はいつかどこかで折れてしまうだろうが、それまでは絶えず足を伸ばす。

 

「ゾンビかテメェッ!」

「……や、めろ。お前達の狙いは、私のはずだろう。私という脅威を取り除けば、世界の混乱は収まるはずだろう。だったら、そいつらは関係ない。私を殺せばお前の混乱だってなくなるはずだ……。だから……」

 

 シルビアの叫びに続いて零されたオティヌスの弱々しい懇願にも似た言葉に肩が小さく跳ねる。あの魔神だった女が誰かの為に身を懸けている。ただ、それよりも。それが懇願であるのが気に入らない。立つ道から降りようとするその言葉が。身の奥底で本能が跳ね、踏み出す足に力が入った。誰かの為。ただ込められている輝きは羨むようなものではない。ズルズル本能が這い出ようとするのを止めず、魚影が向かおうとする先に出す足を、「関係ない」とシルビアの言葉が叩いた。どこまでも陰気で粘質な声が。泥沼に相手を沈めるように。

 

「お前を殺せれば何でも良いよ。オッレルスの、あのクソ野郎の復讐さえできれば狂っていたって良いよ。お前は分かっていないんだ。ああ、本当に分かっていない。私はさ、正常になんか戻りたくはないんだよ。だって、戻ってしまったら、そこで止まってしまうんだから。なんだかんだでお前を許してしまいそうだから。そんなのは、嫌なんだ。分かるか? できるできないじゃない。私が、自分の意思で、嫌だって思っているんだよ」

 

 その嘘のない波紋に一瞬足が止まる。復讐。その言葉に。目を閉じ色のない世界の中で、シルビアと戦友の一人の影が重なった。日常から復讐の為に自ら戦場に踏み込んだ少女の影と。同じだ。きっと。ハム=レントネンもシルビアと同じ。復讐に至るまでの本人の葛藤など、本人以外に知る由もない。それは本人だけの強固な願い。他人がどうこう言えるものではなく、ただ、そここそが終着点。止める事はできずとも、見過ごすかどうか選ぶ事はできる。それがシルビアの必死であるのならば。

 

 俺は…………ッ。

 

「……諦めるなよ、オティヌス、上条が諦めていないのに、何をお前が、一番に諦める。一度その道に立つと、選んだのはお前だろう? なら、言うことが違うだろう」

「……だがッ!」

 

 止めていた一歩を踏み切る。

 

「だがも、クソもあるか。復讐。俺はそれを止める為の手など、持っていない。これからも、持てないだろう。ただどんな想いでも、平穏に向けられる凶刃に相対することが役目。必死には必死を。殴られる役は俺が買ってやる。だからお前は、自分が的だと、それを罪だと思うなら、せいぜい生き汚く生き残れよ。それが槍を掲げた者の責務だ。へし折れるその瞬間まで、立った道を外れるなよ。俺はそんな道の為にここにいる。だから聖人。復讐を遂げたいのであれば、お前の必死で俺の必死を穿ってみせろ。その羨ましくはない輝きに、今は俺が並んでやる」

 

 復讐を向ける相手が、その通りクソ野郎であったらどれだけいいか。変な葛藤や遠慮など必要はなく、見つめる先にいる相手の物語の終着を見守るだけで事足りる。ただそうではないのなら、それが望まれない歪んだ道であるのなら、立ち塞がるしかできそうにない。

 

 狂っていて構わないと吐く聖人が、本当の意味で狂っている訳もなし。今は道の端に逸れているだけで、これがきっと、オティヌスを殺す事が狂気のスイッチ。正常に戻れば許してしまうと己で既に答えを出している。自ら破滅の鈍い輝きに突き進もうとする者を、黙って見過ごす事はできない。それは何より、羨望の真逆にあるものだ。気に入らないなら、噛み砕く以外に道はない。どうせ必死に向かい合うなら、俺を羨ましがらせてくれ。俺の必死のために。そんな輝きがきっとシルビアやブリュンヒルドにもあるはずだ。

 

「……自殺志願者かよ」

「よく言われる」

 

 上条とオティヌスの前に戻って来た俺をシルビアは睨み、ブリュンヒルドが大剣の柄を握り直した。一息で相手を殺せるだろう必殺の一撃を聖人は放てる。敵を嬲り遊ぶシルビアの方が相手としては寧ろ楽。大剣を握り冷静に波紋の動きが変わらないブリュンヒルドの方が厄介だ。ただ淡々と魔神を殺すと決め、その通り機械的に動こうとする聖人をどう止めるか。二対一という状況が、果てしなく勝ちを遠ざける。

 

「……やめろ、もういい傭兵。お前は一番無関係だろう。なにをそこまで」

「ここに立つと決めたのは俺だ。それに俺の依頼人は上条であってお前じゃない。お前の頼みなんて聞けねえな。隣に立つと決めたなら、俺は裏切るわけにはいかないのさ」

 

 他でもない俺の為に。復讐。平穏。望むものがなんであれ、それが己の答えであるなら、俺も己の答えを叩きつける以外にない。追い並ぶ。最高の一瞬を見る為に。掴む為に。誰でもない俺の人生(物語)に、俺としての彩りを添える為に。少女への誓いを破らぬ為に。持ち上げた口端が、聖人の拳に埋もれ弾かれた。

 

 ギュルリと無限を描き、元の位置に足を落とす。口端から垂れた血を吐き捨てる。

 

 拳。拳拳。拳拳拳。

 

 放たれる拳が速度を増し、暴風のように蠢く暴力の連撃に身を任せ、衝撃を巻き取るように全身で渦を逆巻き、吹き飛びそうになる体を大地にねじ込み波紋を円状に散らして衝撃を逃す。ぐるぐると回遊する大鮫のように身をくねらせて、静かに第三の瞳で聖人を見据えた。意識から剥離したような本能の瞳。叫ぶように大口を開ける本能の口を残った理性で押さえつけ、悲鳴をあげる肉体が薄くひび割れ、裂けた肌から血が滲む。

 

 血管が震え、胃液がせり上がってくる。体液が口の端から零れ落ち、歯を噛み締める力もなく、ただ体を水のように揺らめかせて大渦を巻く事しかできない。一撃でもまともに貰えばそれで終わる。呼吸をする暇がない。息を吸えと肺が絶叫する。骨に走るヒビが深まり、限界を超えた筋繊維の千切れる音が小さく響いた。強大過ぎるエネルギーと感情のうねり故に、逆にどこをどう力が流れているのかよく分かる。

 

 飲み込まれぬように身から溢れる己が波紋をぶつけ、その反発をもって世界を視る。俺を殴ることに意識の向いたシルビアを余所に、ブリュンヒルドはただ真っ直ぐにオティヌスに向けて大剣を構えた。目指す標的を違えず、大剣を振りかぶろうというシルビアの動きを掬い取り、本能で答えを弾き出す。

 

 シルビアの生む破壊の渦に沈み、身を潜めているからこそ、シルビアの動きはよく分かる。一手だ。一手が必要だ。速度では叶わない。だからこそ予測し、シルビアの打つ一手の先に拳を置く以外、聖人などの己を加速させる相手には合わせようがない。速度の違いを見切りと予測で帳尻を合わせ、力の差は技術とタイミングで埋める。

 

 届かない。追いつかない。どうにもならない差を埋める為にこそ、人は技術を磨き、技を積み重ねた。

 

 この世はプラスマイナスゼロでできている。脅威に脅威を。必死に必死を。心底で覗く魚影の牙を大きく開き、向けられる眼光に噛み付くように。蜷局を巻く羨望の渦。積み重ね削り出したコレが俺の技。

 

 

 『魔王の渦牙(エンドロール)

 

 

 幕を下ろす終止符(ピリオド)を穿つ。

 

 

 突き出される拳を力点に、心の芯を支点にして、全身を捻り回し無限を描いて拳を握り締める。足で大地に円を刻んで足を踏ん張り、拳を振るう為に腕を引く聖人と動きがカチリと噛み合う。一発。突き出す拳が、踏み締める足が、内包する威力に負けて皮膚が裂けた。朱線を引き伸びる拳を目にシルビアは顔を歪めながらも拳を突き出す。一手遅れようが、聖人の肉体が追いついてくる。衝突は同時。歯噛みし背後で動くブリュンヒルドの動きを追いながら振るう拳に逆らわず、拳を出しながら体を滑らせる。

 

 

 やれるか? いや……やる。

 

 

「私に合わせろ喇叭吹き」

 

 

 背後で小さく響いた呟きに僅かに眉を顰めるが、動き出した拳は止まらない。俺の拳が横殴りに聖人の頭に沈み、聖人の拳が真正面から俺の顔に沈む込んだ。

 

「ッ……GUAAAAAAA!!!!」

 

 

 ────ズルリと。

 

 

 拳を振るい切りながら、顔を捻り体を捻る。頬の肉が裂ける。血で滑り突っ込んで来る聖人を突き立てた拳で押し出すように、背後に向けて殴り出す。背で轟音が響いた。振り落とされた戦乙女の大剣が肉と骨を砕く音。オティヌスの前に立つ見知らぬ影が、大剣を腕を犠牲に背後に滑らせる。

 

「な、ん……っ!?」

「オッレルスッ‼︎ お前、この、お前らッ!」

 

 衝突。俺と背後に立つ影をすり抜けるように動いた聖人二人がぶつかり合う。その衝撃に弾かれて雪の上を転がった。息を吸う。冷ややかな冷たい空気を。久し振りの深い呼吸に肺が軋み、裂けた傷から溢れる血が雪に吸い取られ、戦場から音が消え去った。瞼を上げれば、揺れ動く不明瞭な視界の中に金髪の男が立っている。オッレルス。そう呼ばれていた男が一人。

 

「……誰だ」

「見事だ喇叭吹き。格闘の技術においてなら君は魔術師や能力者よりも一歩先にいる。シルビアも頭に血が上っていなければ違ったろうに。上条当麻が死亡すれば、奴は今まで見てきたどのオティヌスよりも恐ろしい怪物へ羽化するだろうよ。同様に、ここでオティヌスが死亡すれば上条当麻の性質も大きく変わったかもしれない。いずれにしてもそいつは面白くない。もう執着はないが、奴を最も弱体化できる関係性がここにあるなら、その維持のために動くのも悪くはないさ。君のおかげで手間が省けたよ」

「……答えになってねえ」

「オッレルスだ。君とはバゲージシティと学園都市で一応会っているのだが」

 

 眉を潜め、明瞭になってきた視界の中でひしゃげた手を伸ばし俺の肩に触れるオッレルスに目を見開く。伝う鼓動に身を起こし、オッレルスの胸ぐらを掴み引き寄せた。

 

「……そうか、お前かッ、お前がそうかッ」

 

 垣根を連れ去ったトール(もどき)。その正体。垣根の必死に待ったを掛けやがった男。そんな男の顔を見つめ、舌を打って胸ぐらを放す。「殴らないのかい?」と煽るような事を宣うオッレルスに苦い顔を向け、仰向けに寝転がる上条に寄り。肩を担ぎ立ち上がった。

 

「……殴って欲しいなら垣根に殴って貰え。お前を殴る事が俺の必死じゃない。寄り道はもう十分だ。立ちはだかるなら相手にはなるが」

「この腕で君との殴り合いは厳しいな」

 

 肩を竦めるオッレルスにべっと舌を出し、上条の肩を担ぎ直す。殴られる事を望むなら殴ってやらん。俺が殴ったところでどうせまた垣根に怒られるか呆れられるかだけだろうし、そっちの方が嫌だ。復讐なんていうのは、俺にはどうにも合わない。垣根の想いは垣根だけのもの。決着があるとして、それは垣根に任せる。俺にできるのは、せめてそれに隣り合う事だけだ。

 

 立ち上がりオッレルスと二、三言葉を交わして隣に歩いて来るオティヌスに目を向ける。どこか晴れやかなオティヌスの顔を。

 

「もういいのか?」

「お前こそ」

「仲間に手を出されたのは気に入らないが、生きてるし、生者の想いを代弁できるほどできた人間じゃないと十分知ったよこの短い旅で。結局自らの願いを磨くしかない。それが良いものとなるように。迷っても、それしか結局できないのだろうさ。それにあいつはなんか嫌いだ」

「ほう、初めて意見が合ったな傭兵」

「それは何より」

 

 一度肩を竦め合い、今一度オティヌスと共に背後に顔を向けてべっと舌を出す。困ったように首を傾げるオッレルスから視線を切った。進むべきは前だ。これまでの道へ振り返ろうとも、踵を返す事だけはありえない。

 

 

 

 

 


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