「────ええ、そう、無事でなによりね貴方も。先にこっちで話は通しておくわ。…………動くのは彼が戻って来てからね。護衛に? そう」
第七学区。とある路地裏を進み進んで進んだ先。来ようと思わなければ辿り着けない、『人払い』の魔術を使ったかのように物静かな一画が存在する。なんだかこんな所まで歩いて来てしまったからそろそろ戻ろう。なんだか嫌な予感がするからこれ以上は進まないでおこう。路地の形がそう思わせるのか、迷宮の深部のように薄暗い曲がり角のその奥に、一枚の看板が掛かっている。
ネオン管で描かれる店名は、『電脳娼館
その下に張り付いている錆だらけの扉を開けて階段を降りた先、待つ二枚目の城門のような分厚い扉のその奥で、『
体を穿たれ魔術師に連れ去られたものの、結局しぶとく生還したらしい垣根からの連絡に、ため息を吐きながらも小さな笑みを口元に浮かべて、海美は手にする携帯電話をパタリと閉じた。
「……癪だけれど、貴女の言った通りになったわね」
そう言葉を投げるが返事はない。海美が顔を上げた先に佇むキングサイズを遥かに超えた巨大な天蓋付きのベッド。天蓋カーテンのレースもシーツも見ただけで質が良いと分かる程に透き通っているその中から響く小さなイビキ。
毛布の代わりにベッドの上に広がっているのは長い髪の毛。広いベッドの端から端まで広がっている絨毯のような髪の毛の先端は、所々極彩色の飴玉のような髪留めで纏められ、髪の毛の絨毯の中央には、派手なネグリジェに包まれた小さな少女が、己と同じくらい大きな抱き枕を抱えて寝転がっている。頭にヘッドホンのようなものを、目にはアイマスクを掛け、鼻提灯を膨らませる少女には威厳など微塵もなく、ただシミ一つない白過ぎる肌が髪の毛の下に広がるシーツと一体化しているように海美の目には映った。
海美は肩を竦めて膨らんだり萎んだりを繰り返している鼻提灯から視線を切り、少女の周り、髪の毛の間に無造作に散らばっているカードを一枚広い上げ目の前に掲げた。
『インディアンポーカー』。
随分前にとある騒動に関与した元凶であるはずのそれが、大量にベッドの上と下に散らばっている。機密の情報交換、秘密の流出、多くの問題を孕んでいる、他人の夢を追体験できるカード。読み取り装置こそ必要であるが、一時期学園都市で大流行したものであるが、その場にあるのは危険とは無縁の子供が絵に書いたような夢ばかり。
お菓子の城、騎士と姫、魔法世界、メイド百人、見れば見るほど笑ってしまうようなものばかりが転がっている。それを目に海美がカードをベッドの上に放り投げたと同時。パチンッ、とベッドの上に横たわる少女の鼻提灯が弾け、少女がうんと伸びをした。ベッドホンを頭から外し、夢の読み取り機であるそれに繋がったカードを手に取ると身を起こす。
「…………ダッリィ」
そう気怠い声色で呟いて、カードを持った腕を伸ばしたまま、ペタリと少女は上半身を前に再び倒した。手からカードが離れ、ベッドの端、海美の前に滑ってくる。息を小さく零しながら海美はカードを拾い上げ、胸元からペンを取り出しキャップを親指で弾き開けた。
「タイトルは?」
「ヤギVSロシア女」
「…………なによそれ、誰が見るのよそんな夢」
「需要はあるよぉ〜、多分だけどぉ〜、わたちが言うんだから間違いない」
無駄に自信満々に断言し、少女は抱き枕を抱き抱えたままベッドの上にゴロリと横になる。青く四角い人型の、『ところ天の助』と黒のマジックで名の刻まれた抱き枕は、少女に抱き締められると目と舌が外に飛び出す。無駄なギミックに海美は関心するより頭を痛め、さっさとカードにタイトルを書いて床に放った。
「魔神ちゃんは?
「貴女なら聞かなくても分かるでしょう? 『
「海美ちゃん冷た〜い。悲しくなっちゃう」
「いいから少しは片付けなさいよ。カードもお菓子のゴミも。見た目が可愛くてもこれじゃあ台無しね」
心理的な距離を操り海美はそう言い放つが、まるで届いていないのか、少女は抱き枕を抱えたまま動かない。少しして少女は俯きに寝転がると、笑みを浮かべて赤っぽい瞳をひん曲げる。
「わたち達にとって海美ちゃんみたいな子達はある意味天敵ではあるけどオススメしないなぁ〜。大体は地雷だし、『憤怒』や『嫉妬』、あと『色欲』のおばさんにはやめた方がいいよぉ〜」
「……身に染みて知ってるわ。並列思考だったかしら? 思考どころか精神まで分割して。気味の悪い技ね。能力者でもない癖に、いったいどれだけの人格が貴女の中にいるんだか」
「わたちが作りたいだけ。それに全部わたちだし、仕方ないのよぉ〜。わたち達は魔術も超能力も使えないんだもん。無駄な努力はするだけ疲れるだけだしぃ〜」
「どういう理屈なのよそれ」
説明するのがめんどくさいと頭を掻こうと手を伸ばすが、頭を掻くのがめんどくさいと少女は抱き枕に顔を埋めてゴロリと仰向けに寝返りをうった。寝転がったまま少女は海美を見上げ、不機嫌そうに海美が腰に手を当てるのを眺めると、気怠そうに口を開ける。
「知ってるぅ〜? ある人が言いました。天使が何かの拍子に命令を受け付けなくなったり、混線したりする。それが『悪魔』ってねぇ〜。つまり『バグ』みたいなものなんだよ。精神が体に変調をきたす。それがなにより顕著に出るのがわたち達。例えば、『憤怒』は怒りで反射速度を極限まで上げるし、『嫉妬』は渦潮みたいに感覚を吸い込み吐き出す。『色欲』はフェロモン操るしぃ〜、精神から
「だいたいその源ってなんなのよ」
「感情って不思議でしょぉ〜? 人間どころか、神まで誰もが持ってるの。まるで一つの源泉から繋がってるみたいに。人間に天使が憑くなんてほとんど言わないのに、悪魔は憑くって言うでしょう? そういうことぉ〜」
「説明する気ないわね貴女」
鼻を鳴らす海美に少女は肩を竦める事もなく、ただニコニコと笑みを浮かべて抱き枕を抱き締めるのいつもこれだ。少女の中では何かの答えが出ているのに、全てを口にする事はない。必要な事を必要なだけ言い、動かず口を動かすだけ。
「思考を並列に、分割して多角的に世界を見過ぎて近しい未来が予測できる予知能力者もびっくりな貴女なら、もっと事態を上手く回せるでしょうになぜ動かないのかしら?」
「めんどくさいからぁ〜」
「才能の無駄遣いにも程があるわね」
「だってそれ、わたちの快適に関係ないもの。動いても動かなくてもわたちが快適ならそれでいいの。必要なら動くよ? 善意をもって。どこぞの陰陽師に人的資源プロジェクトの情報をさり気なく教えてあげたのも、一端覧祭の時に
「……全部動いたの私じゃないの」
「いえ〜い、さすが我が娼館の看板娘! 海美ちゃんが来てくれてわたち快適!」
出会ったのが最大の不幸であると海美は痛む頭に手を置いて、深い深いため息を吐く。ただの怠惰な少女なら放っておくのだが、口にする忠告がだいたい大事な事に繋がっているからこそ無視もできない。何人かいる娼館の従業員である少女を手足にように使い、曰く善意で情報を撒く知る人ぞ知る『情報屋』。海美も情報に明るいからこそ、底無し沼のような怠惰の姫に出会い気に入られてしまった。『憤怒』と『嫉妬』を要する時の鐘と顔見知りになってしまったのも『怠惰』の策略でしかないのか。聞いたところで、「それで何か困ったの?」と少女に言われるに決まっている。
「もう次は『色欲』にでも頼みなさいよ。あの人も一応この娼館の従業員でしょう?」
「心の距離を測れる海美ちゃんの方が何かと刺が立たずに済むんだもん。『色欲』のおばさんはねぇ〜、世界で一番●ックス上手いだろう毒婦だし、先週も十八人と分かれて二十二人と新しく付き合い始めたそうだから、今恋人三十八人だったっけ? しかも両刀。男子高校生には刺激が強過ぎるんだよぉ〜。うちの客には淫らな夢や快適な夢しか提供しないのに、あのおばさんすぐに手出すし。だいたいわたち達って基本仲悪いし、『憤怒』が『嫉妬』なんかと組むから仕方なくわたち達も組んでるだけだしぃ〜」
「はぁ……もういいわ、貴女の伝ですんでのところで
「能力も関係ない親しい繋がりは大事だもんねぇ〜、大丈夫、わたちと海美ちゃんはもうすっかり大親友だよぉ〜」
「はいはい」
「だからそろそろね、ビーハイブの女王様とも知り合いたいんだよね〜、あの子とはすっごい気が合いそうな気がするんだよぉ〜、きっと海美ちゃんも仲良くなれるよ?」
「……第五位も災難ね。貴女の偽善の餌食になって」
「世に平穏のあらん事を!」と訳の分からない台詞を吐いている少女から視線を切り、海美が踵を返したところで、部屋の入り口、城門のような鉄扉がゆっくりって音を立てて開く。項垂れた力ない客の登場に、対応するのがめんどくさいと抱き枕に顔を埋めて狸寝入りを決め込む少女に向けて、アンタが店長と口には出さず、海美は強くベッドを叩いた。
「はぁ、もぉ〜、ようこそお客人ちゃん。ここは安らぎの館。見たい夢の見れる場所。お金は誰にも平等だわ。秘密を守り、必要なだけ支払うなら、必要な夢を授けましょう? 素敵なあの子と一夜を共に。気に入った物がなかったら、わたちが眠り作ってあげる。ここは『電脳娼館Belphegor』。至高の快適を提供するわたちのお城。娼館の主、コーラ=マープル、貴方ちゃんの人生にお見知りおきを」
「随分小さな必死だな? え? 俺はこれ見るために骨折ったの? 骨折るどころかベッドに
「なんだ傭兵? 文句があるのか?」
「文句はねえよ? 文句はねえけどたださ、たださぁ……」
腕を組んで鼻を鳴らす十五センチくらいのオティヌス。『目』を入れる前に、『弩』を全て放つ前に上条の右手に『妖精化』を破壊されたために、なんだかちっちゃく復活したらしい。意味が分からない。魔術の専門家も意味が分からないそうなのでもうお手上げである。
学園都市のいつもの病室で既に数日。一人づつ個室を与えるとかてめえらにはもったいないとでも思われているのか、相変わらず上条と二人で一室。しかもなんだか部屋の中が体に繋がれているチューブやコードでエゲツない事になっている。スパコンにでもなった気分だ。これだけ線に繋がれるのは、『
「若狭さんには張り手をくらうし、飾利さんからも張り手をくらうし、俺動けないんだけど? 何発張り手をくらったかもう分からないんだけど? ロイ姐さんからの張り手とか死ぬかと思ったんだけど?」
「急に世界を敵に回し、狙撃銃や折角のクロスボウまで失くした罰だろう。甘んじて受け入れろ」
「そもそも元凶はお前なんだけどぉッ‼︎」
「頼む法水、ボリュームを落としてくれ、傷に響く。てかなんでお前はそんな元気いっぱいなわけ⁉︎ お前の体どうなってんだ‼︎」
「見るも無残なあり様だよありがとう! しかもそれお前もな! 頼むから邪険にはしないで相手してくれ!」
視界にちらほら映ってる奴らがいるんだよ! お見舞いに来てくれたはずの円周と釣鐘の笑顔が怖い。なんなの? なんで円周は狙撃銃握ってんの? そしてなんで釣鐘は短刀を手に握ってるんだ‼︎ 護衛? 護衛だよね? せめて護衛だと言ってくれ! そのはずなのに釣鐘から感じる殺気はなんだ! 頼むから会話で時を稼ごう!
「いやいや、法水さんたら世界を敵に回すとか! 私も本当びっくりっスよ! 上司があんなにイカれてるなんて! つまりいいんすよね? 今なら本気で殺し合っても誰にも怒られないんスよね? よね?」
「いや怒られるわ! もう終わったんだよそれは! いつの話してんだ!」
「だぁって! 私を連れてってくれないんスもん! ズルイっス! 自分ばっかり楽しんで!」
「楽しくはねえよお前! こっちは腕と足と肋と折れて色々ヒビが満載なんだよ! アサシンや能力者や聖人や魔術師のバーゲンセールだったわ!」
「超楽しそうじゃないっスか!」
「お前減給」
刀を握ったまま腕を振り上げる釣鐘に口端を痙攣らせていると、寄って来た円周が頬を膨らませたまま張り付き離れてくれない。なんで無言なの? その方が怖いんだけど。ちょっと手に持ってる狙撃銃を置こう。マジで。握ってる狙撃銃を揺らすのをやめよう。目の前に銃口が泳いでいて怖い。今俺何があっても避けられないんだけど。
「……私留守番してたのに、孫市お兄ちゃん帰って来ない」
「い、いや、帰って来たよ?」
「家じゃないもん。私ずっと留守番してたのに、まだまだいろいろ教えてくれるって言ったのに、孫市お兄ちゃんならきっと、家にちゃんと帰って来てただいまって言うんだよね」
「……やめよう円周、その台詞は俺に効く」
ごめんね負けちまって! ごめんね腕と足へし折って! だってあの先生が退院させてくれねえんだもん! 色々溜まってる事務仕事があるんですよーって言ったらゴミを見るような目をされちまったんだもん! だから「不甲斐ない」とかオティヌス言ってんな! マジでお前俺のこと嫌いだな! このフィギュア痴女め! お人形遊びのお人形さん役でもやってろ! それで大人気にでもなってろ!
「さあ殺るっスよ!」
「だから殺らねえし殺れねえんだわ! ────いやッ! 待て! そう言えば釣鐘にお土産があった!」
「私には?」
悪いが円周は一旦無視だ。差し込む光に照らし出される病室に落ちた紙飛行機の影。その紙飛行機を手に取る時間はないが、それがあるという事は近くにいるはず。いつまでも隠してなどいられない。同盟相手なら紹介して然るべし。俺の叫びが届いたのか、呆れたように窓辺のカーテンが大きく揺れ、窓辺から影が一つ伸びる。
「釣鐘へのお土産は甲賀の忍。我が時の鐘学園都市支部の同盟相手、近江手裏さんだよ!」
「久しぶりだな釣鐘、元気そうで、まあ、良かったよ」
「……近江、様?」
窓辺に腰掛ける小学生くらいの少女を目に、釣鐘の手から短刀が滑り落ちる。危ねえ。地を這うコードに突き刺さる事なく床に刺さった短刀を引き抜こうと釣鐘の手が伸びるが、手で床へと転がしてしまうだけで手に取れない。
「……ほ、本当に?」
「お兄ちゃん私のお土産は?」
「…………本物?」
「お兄ちゃん?」
同時に喋るのをやめよう。円周へのお土産は……お土産はねえよ何にも。どうすればいいというのだ。目の前でゆらゆら揺れる円周の奥で、釣鐘は微笑む近江さんを目に、泣いたような笑ったような顔を浮かべる。拳を固く握る釣鐘を目に俺と近江さんが目を細めた矢先、釣鐘が円周を巻き込んで俺へと飛び掛かって来た。骨の軋む音が鳴る。ちょっと待って……。
「あーんもう! お土産、お土産ってもう! なんすか? なんなんすかもう‼︎ 近江様をお土産扱いとか舐めてるんすか‼︎ もう法水さん愛してるっス‼︎」
「お兄ちゃん私には? 私にはないの? もう! 孫市お兄ちゃん!」
「ちょっと待って、骨が泣いてるから、離れよう? 頼むからなんか鳴ってはいけないところが鳴ってるから!」
────ガラリッ。と俺の叫びを聞きつけてか開く病室の扉。看護師か医者の先生でも来てくれたのか。怒られるにしても、今はもうそれでいい。救いの天使を思い浮かべて顔を向ければ、風に泳ぐツインテール。翼のようにはためく髪を振るい入って来た少女の姿に口端が落ちる。ちょっと待って。マジで。
「孫市さんお見舞、い、に────失礼しますの」
「失礼しないで⁉︎ 黒子待って! 帰らないでくれ! あれ?
どさり。力の抜けた体を横に倒し、爆笑している上条とオティヌスを睨む元気もない。この野郎、断言してやる。上条も絶対似たような展開に何度もこの病室で退院するまで巻き起こるて断言してやる。ミシミシ退院の日が伸びそうな音を聴きながら、顔を上げて心底楽しそうに上条と笑うオティヌスを見る。一瞬の輝きには勝てないだろうが、これはこれで────。
「よぉ、オティヌス、どうだよ居心地は」
「ん? まあ、悪くはないかな」
「そりゃあようござんす」
それだけ聞ければ、まあ良しとしよう。
「法水、一先ず終わってほっとしているところ悪いが、良くない報せだ。学園都市の意識が魔神とやらに向いているうちに、学園都市にお前の追う奴らが入って来たぞ。少なくとも四…………いや、五人。一人は男で相当の使い手。一人は女で同じく。そして一人は……あれはなんだろうな、化け物だ。まだ大きな動きはないようだし、アレなんだが、それよりお前いったい何人兄弟がいるんだ?」
今そんな話聞きたくなかった……。だいたい何人兄弟いるかなんて俺だって知るか。しかも化け物って何だよ。そんなの来てんの? 俺、胃に穴が開きそうなんだけど。頼むからちょっと待ってくれ。あぁあ、時間が止まったりしねえかな!
銀線が走り、ズルリと肉の塊が落ちた。荒い息を吐く少女の前で、壁を擦り抜けた刃が人間を両断する。血に落ちる臓物と広がり血を踏み締めて、改造されたロングスカートのセーラー服に身を包んだ少女は、同じくセーラー服を着る、刀を握った黒い癖毛の少女を睨み付けて舌を打つ。
「おい八重マジかよ。テメェそれでもあたいの妹かぁ? 忍者の尾行にぐらい気付けよなぁ。不意打ちでやられそうになってんじゃねえぞ」
「……申し訳ございませんお姉様」
「テメェには柳生の血が流れてんだろ? 恨むならテメェの母親が失敗だったのを恨むんだな。剣聖の血が泣いてるぜ。それでも親父のコレクションの一つかよ」
杖に仕込んだ刃を肩に担ぎ、北条くぬぎは北条
「あまり八重を虐めてやるな。それとも父上のコレクションに傷をつける気か?」
「でも
「柳生の血は稀だ。八重もきっと成長するさ。だって俺達の妹だ」
「ぷぷぷっ、一番不出来な妹だけどね!」
口を長い袖で覆いながら、八重の後ろからひょっこりと顔を出す幼さの残る少女が一人。月をあしらった髪留めで前髪を留め、短刀を二本腰に揺らす。北条
北条金角。北条くるみ。北条千歳。
いずれも半分血の繋がった異母兄弟。それぞれがそれぞれ昔からの名家の血を継ぐ兄妹達。ただ一人、この場にはいない兄を除いて。
「で? あの失敗作はどこにいるんだって? 親父も酔狂だよな。ただの一般人を相手に凄え奴なんて生まれる訳ねえじゃん。だってのにそれに見逃されるとか八重テメェは」
「そう言うなくるみ。なんでも孫市は異国の傭兵なんだろう? 生まれが全てというわけでもないさ」
「そうじゃなきゃ北条の当主に姉様と兄様が選ばれなかったのがおかしいもんね」
「そういうことだ千歳。これは次代の北条の真の当主を決める競争だ。俺達以外にももう何人か学園都市に踏み入っているはず。我らが父上を当主にするため、いち早く当主に対抗できうる何かを掴むよ。だから」
「────誰かいるんですか?」
不意に路地の中へと新しい声が滑り込んだ。少女の声。路地の先に揺れる花冠を目に、金角、くるみ、千歳は刃の柄に指を這わし、少し遅れて八重も柄に指を添える。その一拍の遅れにくるみが舌を打つその音に誘われるように、
いつもと変わらぬ朝だった。
朝食を終え、
スキルアウトや能力者同士の小競り合いは日常茶飯事。今日もまたそんないつも通りの小競り合いが路地の奥で繰り広げられているのではないかと、腕に巻いた緑の腕章を握り足を出した先には赤い水溜りが広がり、その上に胴の分かれた男が横たわっていた。
それが誰か、甲賀の忍びであることなど初春は勿論知らない。ただ道の上に置かれた濃厚な死に、気取られて、その奥の影に潜む四つの影には気付かない。叫び声を上げようと口を開く初春の視界に刃の銀色がチラつき、無意識に一歩体を下げたところで背に何かがぶつかる。
「外の世界でも、こんなところに死体とは珍しいな」
初春の背に立つのは一人の男。短くざっくばらん切られた髪に、黒い学ランを纏っている。何かを学ランの背の内に背負っているのか、かちゃかちゃと固いものが擦れ合う音がした。ギザギザとした人相の大層悪い男の顔に初春の悲鳴は逆に引っ込んでしまい、路地の奥にいたはずの影が消えたことにも気付かない。その気配を追うように目を流し、ギザギザした歯を擦り合わせる男に向けて、初春はなんとか
「じゃ、
「犯人? おいおいひでえ冤罪だぜ。今来たばっかだぜ俺は。誰かは知らねえがそんなのに用はねえな。それよりここはどこだ?」
「どこって、学園都市に決まってるじゃないですか!」
初春の言葉に男は眉の端をひん曲げて、「そうか」と小さく呟き頭を掻く。「恨むぜ巫女さん」と言葉を続けて男は歯を擦り合わせると、初春など視界に入っていないかのようにズンズンと大通りの方に歩いて行ってしまう。道の上の死体など見慣れていると言うように気にすらせず、幽鬼のように存在感薄い男の背に呆気に取られるが、初春は背後の死体に一度目を向けるも慌てて男に声を掛けた。
「ちょ、ちょっと貴方!」
「ん、急に周りの景色が変わったかと思えば待ち望んだ都会に到着だ。てえのに今は来たくなかったぜ。それ以外に俺がここにいる理由はねえ。ああいや、折角だから
それを聞いて初春の体から力が抜ける。男は本気で死体の事など気にしてはいない。ただ自分の要件だけを口遊み、めんどくさそうに歯を擦り合わせるだけ。男の不気味さに初春は歯噛みするが、何より死体の件を今すぐ報告しなければならない。ズボンのポケットに手を突っ込んだまま、質問をしたぞと立ち続ける男と死体を見比べて初春は携帯を手に握る。
「ま、待ってください! 取り敢えず先に
「それを待たなきゃならねえのか? めんどくせえから俺はもう行くぜ。チッ、人探しをようやく終えてもこの様だ。借金も返せるメドが立たねえし、さっさとぶん殴ってさっさと帰りてえ」
「い、いやちょっと! 貴方、貴方名前は!」
「……俺は
それだけ言って、ズルリと男の姿が世界に溶け込んだかのように消え去った。一千年を越える仕事を終えてやって来た侍。狸に化かされたかのように初春は男の消えた先を見つめ、血の匂いに我に返ると、携帯のボタンを力任せに押し込んだ。
物語が終わり、そして新たな何かが始まる。
グレムリンの夢想曲、終わり。ここまで読んでいただきありがとうございました。