時の鐘   作:生崎

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幻想 篇
幻想 ①


  法水孫市(のりみずまごいち)は激怒した。

 

 必ず、かの邪智暴虐(じゃちぼうぎゃく)の風紀委員を除かねばならぬと決意した。

 

 孫市には騒音被害など分からぬ。孫市は留学生である。スイスの山で銃を撃ち、仲間に嬲られながら暮らして来た。けれども邪悪に対しては、人一倍に敏感でもなかった。先日未明孫市は学校を出発し、アスファルトを超え、横断歩道を超え、一里も離れていない第七学区にやって来た。孫市には父も、母も無い。女房も兄弟も無い。仲間はみんなスイスだ。

 

 この仲間は事あるごとに日本の土産を送ってこいと脅迫めいた文面のメールを送って来て、孫市は大変困っていた。

 

「……なんですのこれは?」

「反省文です」

「どこが⁉︎」

 

  白井さんはヒステリックに叫ぶと俺が折角書いた反省文を勢いよく丸めゴミ箱へと投げ捨てる。

 

 書くのに一日かかった力作だったのだが、消える時は何事も一瞬だ。

 

 そう一瞬。

 

 遂に昨日から学生たちが心より楽しみにしていた夏休みが始まった。というのに、補習が終わり少し寄り道して寮に帰ってみれば、廊下でぼや騒ぎがあったそうで部屋の中は水浸し。俺がスイスから持ってきた観葉植物は、廊下の端で炭になっていた。

 

 一番焼け跡が酷かった隣の部屋に住んでいる住人の姿が綺麗さっぱりないことから誰が原因かは明らかだ。土御門に聞いてもとぼけるだけで、そのおかげで逆に魔術師が関わっていることが分かるというダブルパンチ。先日手を貸すこととなった銀髪の持ち主が関わっていないことを祈るのみだ。

 

  漫画喫茶で一夜を明かし、夏休みの二日目だというのに風紀委員の支部なんかにいる現状はなんとしたものか。白井さんが喚いている様を見るのは面白くはあるが、これで一日を潰そうとは思えない。仕事もある。

 

 仕事と言っても、国連から頼まれている仕事は、監視とは名ばかりの観光のようなものなのでちっとも楽しくない。何かあっても基本静観を決め込み、毎日学園都市で起こったことをスイスにある時の鐘本部に報告するだけ。こんな仕事ならわざわざ俺たちのところになど持ってこないで欲しい。こういうことは各国の暇してる諜報部隊とかがやるべきだ。いざという時のためとか言っても、何かあっても何もするなと言われていったい俺にどうして欲しいのか分からない。四月から三ヶ月以上不毛な毎日を送らされて俺も限界が近いというものだ。

 

 だから反省文でふざけるくらい許して欲しい。

 

「だいたいこの作り話はなんですの? スイス? あまり馬鹿にすると許しませんわよ」

 

  そんな俺の気も知らず、眉を釣り上げた白井さんが牙を剥く。もう何人にも言っているが俺はスイス人だ。あまりに疑われるものだから、俺はこんなものを常備している。

 

「いやいや作り話じゃないですよ。ほらパスポート、ワタシガイコクジンデース、ニホンコワイデスネー」

「ぐっ……初春、これ本物か調べてくださいません?」

 

  酷い。全く信用がない。ただの注意勧告だったはずの呼び出しが取り調べのようなものに変わっていく。

 

 白井さんからパスポートを渡された初春と呼ばれた少女は苦笑いを浮かべて、一応ということでそれを受け取った。わざわざ偽造パスポートを作るなど無駄な労力は割かないので勿論本物だ。というより国際連合が依頼主なのだから、一々裏で動くような面倒なことはしない。

 

 初春さんは少しの間パソコンを弄るとすぐにパスポートを返してくれ、「本物です」と太鼓判を押してくれた。俺としては初春さんの頭に乗っている花かんむりの方が本物かどうか気になるが、聞くだけ野暮というものだろうか。

 

「はあ、もうただでさえこのクソ忙しい時にこんな方の相手をしなければならないなんて……」

 

  次の瞬間には「ウガー!」と叫びそうな空気を纏い歯ぎしりするように白井さんは呟いた。

 

 風紀委員が普段どんな活動をしているかなど知らないが、よっぽどストレスが溜まる仕事なんだろう。

 

「そんなに忙しいならうちの学校の風紀委員に任せればいいと思うんですけど」

「学校外で貴方は注意を受けているのですから、見つけたわたくしが相手をするのが自然な流れですの。だいたい貴方の学校に連絡したらもうそっちでどうにかしてくれと投げられたのですけれど?」

 

  そんなこと俺に言われても。俺は学校ではおとなしい生徒のはずだ。そんな風紀委員から厄介払いされるような問題児ではないはず。もし百歩譲ってそうなのだとしても、それはきっと何故か気がつくと周りにいるズッコケ三人組の所為に違いない。

 

  俺が学校で浮かないでいられるのは彼らのおかげではあるのだが、有難いと思うよりも迷惑の方が多過ぎて感謝しきれない。夏休み前にはすっかり四人一組で括られてしまっており、俺の逃げ場は無くなっていた。

 

「おかしいですねー」

「おかしいのは貴方の頭ですの! これに懲りたらもう街中で叫ぶのはやめてくださいまし」

 

「はーい」と適当に返事を返し、最後に書類にサインをするようにと言って、白井さんはようやっと肩の力を抜いたようで小さく息を吐いた。これでなんとか終わりらしい。頃合いを見計らって初春さんが湯飲みにお茶を入れて持って来てくれる。白井さんと違って優しい子だ。お礼を言ってお茶を受け取り、グイッと飲み干す。舌が少々火傷してしまったが、熱いお茶がかさばった俺の退屈な心を癒してくれる。

 

 多少余裕の出来た心で風紀委員の支部内を見渡せば、ダウンロード完了の文字が浮かんだパソコンと繋がっているタブレット端末が目に付いた。初春さんが座っていた席のものだ。

 

「風紀委員が違法ダウンロードですか?」

「ち、違いますよ! これは捜査の一環で、白井さんダウンロード終わったみたいです」

「そうですか、貴方もう帰って構いませんわよ」

 

  慌てて否定する初春さんとは対照的に、冷めた目をした白井さんがパソコンを覗き込む。何をダウンロードしたというのか、距離は問題ないのだが白井さんが邪魔でよく見えない。帰っていいと言われたからにはさっさと帰るに限りはするが、待っているのは水浸しになった部屋。それを思うとあまり帰る気が起きず、退屈な日常にそろそろ刺激が欲しいかなと今しばらく居座ることにした。さっきまで喚いていた白井さんが急に仕事人の顔になったのも気になる。

 

「何をダウンロードしたんですか?」

「貴方ね、帰っていいと言ってますの。一般人が首を突っ込むことではないですわ」

「別にいいじゃないですか。それにその言い方だとヤバイものだと言っているようなものですよ。下手にここではぐらかされれば逆に興味が湧いちゃいますね。教えてくださいよ減るもんでもなし」

 

  背中からどんよりとした空気を白井さんは背負い始めた。無理矢理にでも俺を追い出せはするだろうが、白井さんの中で超絶めんどくさい相手であろう俺をここで適当に返して厄介ごとに首を突っ込まれても困るなどと考えているのだろう。そしてそれは正しかったようで、これ見よがしに白井さんは大きく息を吐くと、ゆっくりと振り返り疲れた顔を向けてくれる。俺はそれに満面の笑みを返した。

 

「……幻想御手(レベルアッパー)。聞いたことは?」

 

 幻想御手(レベルアッパー)。白井さんが言いたくないというように絞り出した言葉には、当然聞き覚えがある。一応俺も監視という名目で学園都市に来たのだ。学園都市内で起こっているなにかしらにはちゃんとアンテナは張っている。

 

 確か能力者のレベルを簡単に上げることのできる道具であり、どこぞの学者の残した論文だとか料理のレシピだとかいろいろ言われている奴だ。分かりやすいくらい名前通り。俺の通う学校でも、夏休み前に教室で何人かがそんな話をしていた。今それを白井さんがわざわざ言うということは、ダウンロードしたのは幻想御手(レベルアッパー)ということだろう。

 

 なんというか、あまり面白くない。

 

「聞いたことはありますけど、興味ないですね」

「あら? そうなんですの?」

「俺は能力者ではないですからね。使っても意味ないですし」

「え、そうなんですか? でも法水さん学園都市の学生ですよね?」

 

  白井さんだけでなく初春さんまでもが俺へと振り向き怪訝な顔を向けてきた。それは当然だろう。学園都市の学生は全員能力開発を受けているのが普通だ。能力の強度に差異はあれど、ここの学生ならば大なり小なり幻想御手(レベルアッパー)に興味を抱くだろう。能力のレベルが低ければ尚更に。しかし、俺に限って言えばそもそも俺はその枠組みにいない。

 

「俺はちょっと変わった留学生でしてね。能力開発を免除されてるんですよ。なのでそういったものを使っても効果もへったくれもないので」

「学園都市に来たのに能力開発を受けないなんて貴方何しにここに来ましたの」

「旅行みたいなものです」

「えー……」

 

  あながち間違いでもないのでそう言い切る。するとどうしたことだろうか。白井さんと初春さんの目が呆れたものへと早変わりし、俺を無視して互いに仕事の話を始めてしまった。

 

  超能力。

 

 学園都市ではこの異能の力の強さをレベルと言って分けている。レベルは0から5までの6段階があり、上に行くほど能力が強いことを表している。最高レベルのレベル5ともなれば正しくうちのボスと同じ怪物と言っていい。そんなレベル5が現在学園都市に七人もいる。なかなかの数だ。もっと少なくてもいいと思う。こんな箱庭の中に七人もボスのような怪物がいると思うとゾッとする。学園都市の学生は、基本誰もがこのレベル5を目指して能力開発に勤しんでいるというわけだ。だが、それが上手くいっているかと言えばそうではない。

 

  学園都市で圧倒的に多くの数を占めているのはレベル0。曰く無能力者と呼ばれる者達。これが学園都市の全学生の六割弱。俺も一応これにあたる。

 

 ただ俺との違いは、能力開発を受けなにか特別なものが自分にあるのではないかと期待していたという点だろう。そういう者達からすれば幻想御手(レベルアッパー)は喉から手が出るほど欲しいはずだ。幻想御手(レベルアッパー)を使うだけでレベルが上がるのならそれに越したことはない。そんな俺の予想通り、白井さんは初春さんから五千件ダウンロード云々、金銭で売買という言葉と共に、大量の紙束を受け取っている。

 

「これが幻想御手(レベルアッパー)が取引された時間と場所です」

「へー、やっぱりダウンロードだけじゃなく商品として売り買いされてるんですね。麻薬みたいだ」

「貴方は話に入ってこなくていいですの。にしてもこんなに……」

 

  レンガみたいな紙束を受け取った白井さんの顔がどんより曇っていく。よっぽど多くの学生がレベルを上げたくて困っているようだ。俺からすればレベル0だろうが5だろうが能力を使えるだけで凄いことだと思う。だが、明確に分けた能力の強度段階が、一種の選民意識のようなものを学園都市内に作ってしまっている現状を考えれば仕方なくもあるのだろう。

 

「仕方ない一つ一つ回って行きますか」

「え、白井さん一人でですか?」

「これが本物で実害があると証明されなければ上は重い腰を上げませんもの」

 

  うわあ、なんて聞きたくない台詞だ。

 

 スイスだろうと学園都市だろうと結局上にいる人間というのに違いはないみたいだ。同じような境遇のせいで白井さんにシンパシーを感じてしまう。それに何より実害ときた。白井さん達が幻想御手(レベルアッパー)を追っている理由はそこにあるのだろう。大分きな臭い空気になってきたが、どうしたものか。いつもなら見て見ぬフリを決め込んでそれで終わりだが、最近スイスの仲間達から土産話を催促されている。三ヵ月もいるのに俺には別段話すことがない。それにそろそろ依頼主からの仕事の範疇でこちらがどれだけ自由に動いていいのか知るには絶好の機会かもしれない。学校に行って学園都市内を見て回り家に帰って筋トレをするだけの生活なんてウンザリだ。

 

「手伝いましょうか?」

 

  だから自然とそんな言葉が口から出ていた。

 

「貴方が? どういう風の吹き回しか知りませんけどこれは風紀委員の仕事。結構ですの」

「警察組織に一般市民が力を貸すのは義務でしょうに」

「普段その警察組織に迷惑かけてるあなたがそれを言いますの?」

「ま、まあまあ白井さん。実際人手が足りてないんですしいいんじゃないですか?」

「そうそう、一応鍛えてますから力仕事は任せてください」

 

  ジトッとした目の白井さんがしばらく俺と初春さんを睨んでいたが、やがて大きく息を吐き出してがっくり肩を落とした。

 

「まあいいですわ。ただしこの男が何か問題を起こしたら初春のせいですからね」

「えー! なんでですか⁉︎ 法水さんしっかり、しっかり頼みますよ!」

「ええ初春さんお任せください、このお礼はいずれ」

「なんのお礼ですか。はあ、じゃあ行きますわよ。途中で気分が変わったと帰られても困りますからわたくしと一緒に来てくださいまし」

 

  なんとか了承を得られた。これも初春さんの後押しのおかげだが信用ないなあ。できるならこの幻想御手(レベルアッパー)という代物を追って俺の望むものを見つけられたら良いのだが。白井さんの後ろ姿を追って、久し振りに少し楽しい気分で俺は学園都市に繰り出した。

 

 

  ***

 

 

「ああもう‼︎」

 

  白井さんの悲痛な叫びをBGMにしながら、俺は足取り軽く学園都市の街を歩く。やはり何か目的があって動けるというのはいい。例え捜査の状況が芳しくなくてもだ。いつも傍観者でいなければならない時と比べれば格段に肩が軽い。

 

  俺が学園都市を嫌う最大の理由。面白いことに溢れているのに手が出せないからという私情に他ならない。それを少しほっぽっただけでこれだけ気が楽になるのだったらさっさとそうするのだった。国際連合のことなど知ったことではない。ボスに怒られる程目立とうとは思わないが、スイスにいた時くらい自由に動けるようになれれば最高だ。

 

  そんな俺とは対照的に仕事がうまく行っておらず機嫌の悪い白井さんは、女の子らしい動きを投げ捨てて俺の前を行く。白井さんは常盤台中学という名門お嬢様学校に通っているそうだが、それらしい雰囲気は今は微塵もない。強いて言うなら口調くらいだ。

 

「またハズレですの! 容疑者がゴロゴロ転がっててくれれば楽ですのに」

「そんな石ころみたいに。バイヤーを見つけたら見つけたで荒事になるでしょうからそれでストレス発散させるしかないですね」

「おおっぴらにそういうこと言わないでくださいまし。品が問われますわ」

 

  と白井さんは口ではそう言うが大分やる気があるように見える。どちらかと言えば俺も荒事は大歓迎だ。犯罪者相手なら多少日頃の鬱憤を晴らすのに最適と言える。刺激の多いこれまでを送ってきたせいで大分俺もヤバイ人間に片足突っ込んでいるが、心のバランスを保つためにはこういったことも必要だろう。

 

「次はここなんかどうですか?」

 

  白井さんが手に持つ紙束を横から覗き込みながら、怪しそうな箇所を指し示してみるが、「はあ、一応聞きますけど何故ですか?」と全くアテにされていない。

 

「ここから近いですし、この場所は確か廃ビルがあったところです。危なそうな連中が出入りしてるなんて学校で話してる連中がいましたからいる確率はかなり高いかと」

 

  少しくらい力になれなければ後押ししてくれた初春さんに申し訳ない。白井さんは少し悩んだ後に納得してくれたようで、俺の意見が通った。

 

「それにしても貴方見た目によらず意外とこういうことに慣れてますのね。これまでの聞き込みとかも手馴れてましたし」

「よく刑事ドラマとかを見るのでその影響でしょう」

 

  さらりと嘘を言う。それを疑われることもなく、白井さんは見慣れた呆れ顔になった。中学生に呆れ顔を向けられなれてる傭兵。言葉にするとなんとも間抜けだ。白井さんの奥。大きなガラスに映った自分を見る。

 

  身長は180を超え、着痩せするが筋肉があると分かる細い体。顔は悪くないと思うが、もう少し厳つい方が個人的には便利なのでそうありたかった。見た目が強そうな方が仕事上楽ができる。とはいえ顔に傷でもあって怖いというのでは困るが。実力を計らせないという意味ではまあこの顔も役に立ちはする。しかし、白井さんに見た目によらずと言われるくらいにはひ弱な印象が強い。唯一目に止まるのは、日本人では珍しいクセの入った赤っぽい髪くらいだろう。

 

「俺ってそんなに頼りなく見えます?」

「見えますの。特にそのタレ目が」

 

  もう少し歯に衣を着せてくれないものだろうか。そんな毒にも薬にもならない会話をしながら目的地に近づけば、鉄を叩いたような金属音が聞こえてきた。どうやら当たりらしい。これまでと違い誰かがいる。それも乱暴者のようだ。白井さんにどうしようか聞こうと思い隣を見ると、もうそこに白井さんの姿はなかった。前を見れば白井さんの後ろ姿。何も言わずにテレポートしないで欲しい。

 

  白井さんの背を追って曲がり角を曲がれば、思ったよりも状況が酷い。廃ビルの前でいかにも人相の悪いトカゲみたいな男が女の子の髪を鷲掴んでいる。胸糞悪い絵面だ。それ以外に男が二人。「風紀委員(ジャッジメント)ですの」と白井さんがお決まりの台詞を言ったところで、ようやっと白井さんの隣に追いついた。

 

「暴行傷害の現行犯で拘束します」

「女の子に乱暴するなんて非道い人たちですね。男なら女の子には優しくしろと教わらなかったんでしょうか」

 

  俺は教わったよ物理的に。それはもうしっかりと。

 

  男達よりも髪を掴まれている女の子の方が現れた俺達に驚いているようで、「白井さん」と呟いた。どうも白井さんの知り合いらしい。やっぱり世界は狭いな。男たちとお話するために前に出た白井さんに向かって、下品な笑みを浮かべた男が一人近づいて行く。まあ白井さん容姿はいいからね、容姿は。ただあんな無防備に近づくのは危険だ。男に白井さんが触れた瞬間宙で逆さになった男が頭から地面に落ちた。ああ痛そうだ。それに白井さんは容赦なく追撃の蹴りを見舞う。

 

 本当にデタラメな街だよ学園都市は。

 

「貴方達のようなクズは抵抗してくださった方が思いきりブチのめせて良いですわね」

 

  おい品はどうした。だがまあ同意見だ。

 

  残った男の二人は少し驚いたようだが、そこまで慌てているようには見えない。あっちもあっちで荒事には慣れているらしい。細い目をした男が何か言いながら虚空で手を動かせば、それに呼応するように壁に立てかけられていた廃材が勝手に浮かんでいく。テレキネシス。凄い力だ。男の手の動きに合わせて廃材が白井さんに飛来するが、テレポートで迫る廃材を避けると同時に男に迫った白井さんが手に持った鞄を男の顔に横薙ぎに振るった。いやあまるで映画を見ているようだ。それよりあれ男の鼻折れてない?

 

「法水さん、佐天さんのこと頼みますわよ」

 

  そう言って白井さんは残った最後の男の前に出た。ここまで本当にあっと言う間。佐天さんと呼ばれた女の子は呆然と座り込み、戦況を傍観している。護衛の仕事は慣れたものだから別にいいが、タダ働きは久しくしていない。まあそんなことを言っている場合でもないから引き受ける。しかし、これでは俺の出番はないかもしれない。つまらん。畑に突っ立てられた案山子がただ風に揺られているようなものだ。

 

「ええと佐天さん? 大丈夫ですか。髪は女の子の命ですからね、傷んでないといいですが」

「え、はい大丈夫ですけど貴方は? 風紀委員……じゃないですよね」

 

  俺の腕に風紀委員を表す腕章が付いていないことを確認して佐天さんが不思議そうに俺を見た。この子は意外と芯が強いのかもしれない。乱暴されそうになっていたのに今はもう少し落ち着いてきている。

 

「俺は法水孫市という者です。ちょっと白井さんの手伝いをね」

「はあ……って白井さん! 後ろ‼︎」

 

  急に叫んだ佐天さんの言葉に白井さんの方へと目を向ければ、鞄でガードしているが白井さんが男に蹴りを貰っていた。どうやら最後の男はそこそこやるらしい。白井さんのことだから油断はしないはず。そうなると白井さんの能力を男が上回ったことになる。白井さんはレベル4の空間移動能力者(テレポーター)だ。その白井さん以上の能力者など滅多にいない。少し面白くなってきた。

 

  白井さんがお得意の金属矢を取り出し男を拘束するために空間移動(テレポート)させるが、何故か男の隣、無意味なところに姿を現わす。白井さん自身驚いているようで、男は顔に浮かべた笑みを崩さず、白井さんに向けて懐から取り出した大型のナイフを思い切り振るった。

 

  白井さんの綺麗な髪が数本宙を舞った。

 

  間一髪、テレポートで距離を取った白井さんが姿を現した。なるほど、男の能力のタネは分かった。思ったよりも単純だ。手品に近い。しかし見た感じ白井さんはまだ気がついていないらしい。難しい表情を浮かべて男を見ている。

 

「どうした? 表情から余裕が消えたぜ。返り討ちにしてくれるんじゃなかったのか?」

 

  もう男は見るからに調子に乗っていた。獲物を前に全力も出さず手をこまねく猛獣。そんなモノは捕食者足り得ない。演技なら大したものだが、完全に勝ちを手にするまでそんな顔を浮かべるのは二流どころか三流だ。白井さんが負けるとは思えない。何もしなければ、このままだと俺の出番は本当になさそうだ。折角ついてきたのだから、俺にも少し暴れさせてくれてもいいだろう。

 

「返り討ちには俺がしましょう。言ったでしょう、力仕事は任せてくださいと」

「なんだお前?」

「ちょっと法水さん⁉︎ 危険ですから下がっていてください!」

 

  うーん、全然歓迎されない。男と白井さんの間に割り込んだ俺に、男は呆れた顔を向け、背中から白井さんの怒号が飛んでくる。ただこのままだと白井さんは勝っても少なからず怪我を負うだろう。白井さんは俺が学園都市に来てからできた数少ない知り合いだ。いい思い出はないが、白井さんの性分は気に入っている。それに白井さんはどうもスイスにいる仲間の一人に似ているので放っておけない。特にツインテールのあたりが。

 

「見たところ風紀委員でもねえのに何しゃしゃり出て来てやがる英雄(ヒーロー)気取り。死にたがりか、それとも能力に自信でもあんのか?」

「生憎俺は無能力者ですし、自殺志願者でもないですよ。それに英雄(ヒーロー)でもない。ただ俺ならすぐに貴方に勝てそうなのでこうして出て来たわけです」

「は? 勝つ? お前が俺に? ははは傑作だ! 知ってるか? 無能力者ってのはその通り無能だから無能力者ってんだよ! なんの力もねえクセに粋がって出てきて死ぬのはお前の方だぜ!」

 

  笑いを咬み殺すように男は俺に向かって来る。挑発した甲斐はあったようだ。白井さんと佐天さんの叫びが聞こえ、男は俺にナイフを振るった。いやしかし、

 

  ……遅い。

 

  見たところなんの訓練も受けていない素人の動き。俺も狙撃主体の傭兵部隊に所属しているが、当然近接戦闘の訓練もする。仲間たちのキチガイ染みた動きと比べると嫌という程スローリーだ。いくら超能力があっても、やはり基礎となる戦闘技術は大事なのだとよく分かる。

 

  避けるのも受けるのも嫌なため、俺は男の左斜め後方、何もない空間に向かって思い切り……殴ると殺してしまいそうなので、やや力を込めて男より速く拳を突き出した。

 

  目には何も写っていない。しかし、拳には確かに固い骨の感触を感じる。それを追って響く生々しい音。今まで目の前にいたはずの男の姿は消え、拳の先に姿を現した男が宙を飛び廃ビルの壁に突っ込んだ。いかん、まだ力が強かったか。衝撃によって地面に転がる廃材が威力の証。

 

「テメエ……なんで」

「毎日筋トレを頑張ってますからね。これぐらいの力はありますよ」

「違う……そうじゃ」

 

  そこまで言って男は気絶した。呼吸はしているようだし大丈夫だろう。後ろの白井さんに目をやればポカンとした顔。佐天さんを見てもポカンとした顔。酷い。どれだけ俺に期待していなかったのかが分かる。

 

「白井さん終わりましたよ。どうです役に立ったでしょう」

「は? はい、いえ、え? どうして」

「どうして? よく分かりませんが手を貸すと言った手前これくらいしませんと。それに普段から鍛えてますから」

「いえそうではなくてですね」

「すごい……すごいすごい! 法水さんすごいです! 私と同じ無能力者なのに! どうやって相手の能力破ったんですか?」

 

  白井さんより佐天さんの方が喜んでくれている。さっきまで呆然としていたのに元気よく俺に飛びついて来た。よく見れば初春さんと同じ制服を佐天さんは着ている。この学校の子たちはいい子たちばかりなのかもしれない。

 

「匂いです。彼煙草を吸うようですね。煙草の匂いのする場所と目に見える場所が違ったので、おそらく光でも操る能力者だったんでしょう。それさえ分かれば白井さんでも苦戦しませんよ」

「へー」

「ぐっ、言ってくれればわたくしがやりましたのに」

 

  佐天さんの尊敬の眼差しと白井さんの悔しそうな顔。悪くない。これぞ歳上に向けるべき顔だ。これで白井さんの俺に対する評価もちょっとは変わることだろう。だから街中で叫ぶくらい少しでいいから見逃してほしい。

 

「まあいいですの。ようやっと怪しい者を確保できたことですしね。これで幻想御手(レベルアッパー)の件も動けばいいのですけれど」

「ですね。そこのところどうなんですかね佐天さん。俺たちより早く彼らに絡まれていたようですけど」

「え……あ、はい。あの、確かに幻想御手(レベルアッパー)をそこの人に売ろうとしてたみたいですけど」

 

  どうも佐天さんの歯切れが悪いが、ようやくお目当てのものに辿り着いたらしい。佐天さんが彼と言った方を見れば、ボコボコになった男子生徒が一人隅で丸くなっていた。全然気がつかなかったな。

 

「では彼には事情を聞いて、この方たちは警備員に引き渡すとしましょうか。佐天さんと法水さんは帰って頂いて構いませんの。特に法水さんは風紀委員でもないのに暴力を振るったわけですから、さっさと帰ってくださいな」

「功労者の扱いがこれですか」

 

  事が済んだら用済みだと言わんばかりに追い払われる。少し楽しい思いができるかと思ったが、そうでもなかった。能力者のレベルが幻想御手(レベルアッパー)を使えば簡単に上がると言っても、男達のレベルが元々どれぐらいだったか分からないのでなんとも言えない。

 

  白井さんを残して佐天さんと別れ廃ビルを去る。空を見上げればまだ日が高い。さて、帰れと言われたがどうしたものか。水浸しになった部屋ももう直っているだろうが、あまり帰ろうとも思えない。遊ぶ友人も学園都市にはいないし、時の鐘への定時報告にも時間が早い。筋トレもあまりやる気起きないし。んん、やることは全くないが、少し気になることはある。

 

  佐天さんだ。幻想御手(レベルアッパー)の名が出た時の反応が明らかにおかしかった。犯罪者がすぐ近くにいるからか白井さんはあまり気にした様子はなかったが、俺はどうも気になった。だから帰るフリをして、少し佐天さんを尾行しよう。尾行なら少しは慣れている。ただの学生にバレるほど下手ではないはずだ。

 

  それから佐天さんはすぐに見つかった。幽鬼のように歩いていたお陰で距離が廃ビルから離れていなかったおかげだ。廃ビルを去ってからの佐天さんは、大きな通りを通り、どこも寄り道しない。まあさっきまであんな目にあっていたのだから当然だろう。ただ、歩く佐天さんが肩を落としどうも力ないように見えるのは、照りつける暑い日差しのせいでも、さっきまでの恐怖が残っているようでもないように見える。雨の中を自ら進んで歩くような、そんな自己嫌悪にでも陥っているそんな感じ。

 

 俺も似たようなことをしたことがあるのでなんとなく分かる。さっき少し喋った感じ、佐天さんにはブルーな気分よりも元気な方が似合っているだろうに。それにはっきりとは見えないが、佐天さんはタブレット端末を握っているみたいだ。もしかすると持っているのか。幻想御手(レベルアッパー)がどういったものか風紀委員の支部で分かったのは大きい。

 

  ただふらふらと歩いていた佐天さんだが、しばらくすると反対側から歩いてきた三人の女子生徒と何か会話をし始めた。だがよく聞こえない。佐天さんの視線が限定されたことで気づかれる可能性が減ったため少し距離を詰める。すると聞こえてきた会話は、丁度幻想御手(レベルアッパー)のことだ。運がいい。楽しげに話す三人と、どうも元気のない佐天さん。しかし、少しすると佐天さんは顔を上げ、俺の聞きたかった言葉を言った。

 

「あたし……それ持ってるんだけど……」

「それは話が早い。ぜひ一口乗らせてくださいよ」

「え、ぇえ⁉︎ の、法水さんなんで⁉︎」

 

  後ろから声を掛けた俺に驚いた佐天さんが勢いよく振り向いた。怪訝な顔を向ける他の三人の女子生徒。少し、いや大分俺の不審者度が高いが、白井さんたちが別で動いている以上俺が動くならここしかない。乗りかかった船なのだ。ここまで来たら沈没しようと最後まで乗せてもらう。折角の夏休み、これまでの退屈を埋めるように楽しんでやる。


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