時の鐘   作:生崎

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御使堕し ④

 走る。相も変わらず屋根の上。ただ行きと違ってカレンの姿はなく、いるのはボスと俺だけだ。上条と神裂さんは変わらずタクシーに乗って戻っているため、また十分程の時間の余裕ができるだろう。その十分で、俺は少なくともカレンに対抗するための準備が必要だ。上条を守るためには、上条の父である上条刀夜も守らねばならない。そうでなければ上条はどこまでも突っ走り地獄の淵にまで行くだろうから。

 

 高所から探すというボスと別れて借りていた海の家の一室に飛び込んだ。俺だって学んだ。ただの洋服では満足に戦う事は出来ない。そのおかげで『電波塔(タワー)』との時はエライ目にあったのだ。持って来ていた時の鐘の軍服に着替える。木と土、森のような色をした時の鐘の軍服。日本で初めて着るのが学園都市の外とは。弾丸を多く持つための大量の内ポケット。一つ一つが弾丸の種類によって分けられている。日本に来てから最も装備が整っているのが今だとは。軍服を着て相棒を手に持ち弾丸を入れる。

 

 ──ガシャリ。

 

 仕事の時間だ。

 

 部屋を出れば、丁度隣の部屋から上条が出て来たところだった。タイミングはバッチリ。何とか準備は整った。俺の見慣れぬ軍服姿に上条と神裂さんは目を丸くし、間抜けな顔が俺を見た。

 

「どうした?」

「いや、法水お前本当に傭兵だったんだなって」

「服で判断するなよ……まあこっちの準備は済んだ。それでどうするんだ?」

「浜辺だ。そこに父さんがいる。父さんとは俺が決着をつける。俺が着けなくちゃ、いけない問題なんだ」

 

 上条の顔が一瞬で険しくなる。「しかし」と神裂さんは口を挟もうとするがそれは意味がない。例え天使が相手だろうと、コレだと決めた上条を本気で止めるのなら問答無用で意識を刈り取る以外にない。傭兵でも魔術師でも超能力者でもないくせにこの場で一番頑固なのは上条だ。だからこそ一際鋭くなった上条の目が神裂さんを貫く。

 

「しかし、じゃねえよ! 何様なんだテメエは! 上条刀夜は俺の父さんなんだ! 父さんなんだよ! 世界にたった一人しかいない、他の誰にも代わりはできない、たった一人の父さんなんだ‼︎」

 

 部屋の中から様子を伺っていた御坂さんが驚いて肩を震わせた。神裂さんは口を噤み上条を見る。俺は上条から視線を外し浜辺が見える場所へと足を運ぶ。上条はやると言ったらやる。だから俺がする事は何かあった時に上条の命が尽きないようにしてやる事だけだ。『御使堕し(エンゼルフォール)』なんて大層なものは、きっと『幻想殺し(イマジンブレイカー)』が呆気なく打ち砕いてくれるだろうから。何よりも人の味方であるその力が。

 

 砂を踏みながら歩く俺の耳に残るのは、先程の上条の叫び。

 

 父さんのため。

 

 俺にだって父親はいる。が、どれだけ記憶を探ってもその顔を思い出す事は出来ない。父親のためと言われても俺にはよく分からない。なら母親は。実は学園都市に行くことになった少し後、自分なりに探してみたりした。なぜなのかは分からない。あの家にいる父親の事は考えたくもないからという理由があるが、母親はあの家にはいない。学園都市にいるような研究者ではなく、魔術師であったりするわけでもない。ようやく探し当てた母親の顔写真は、上条の家で見た母親らしい柔らかな笑みなど浮かべておらず、気に入らない事でもあったのか不機嫌なものだった。高校生の頃に俺を産んだそうなのでまだ年若く、ジャーナリストをしているらしい母。思い出なんてなにもない。だがその顔は少し自分に似ているなと思った。赤っぽい癖毛をくねらせて、睨むように世界を見る。

 

 そんな写真を一度見て、会ってみようなどとは思わなかった。だいたい何を話せばいいのか。まさか「母さんのおかげでスイスの傭兵になりました。戦争にも参加してこれまで四百人はぶっ殺したよ」とでも言えばいいのか。ふざけてやがる。笑えてくる。この道を選んだのは俺であり、母親はなんの関係もない。しかし、そうなると俺と親の関係など本当になんの繋がりもなく、俺と血の繋がっている他人でしかない。少しくらいは母親のせいだと言ってみても良いかもしれない。そうすれば少しは親子っぽいだろうか。

 

 煙草を咥えて火を点ける。調べた限りでは母親も煙草を吸っているらしい。銘柄は俺が吸うのと同じガラム=スーリア。なんでそんな重いのを吸うんだ。おかげで初めて吸って煙草がそれだったせいで一時期肺がやられた。全く酷い母親だ。

 

 口から煙草を吹き出して足で踏みつける。強く踏んだ砂浜はどれだけ強く踏もうとシャリシャリと軽い音しか上げてくれない。そんな視線の先では夕日に揺られて上条が父親と言い合っている。何を言っているのかは聞こえないが、上条の父親の優しげな顔を見ていると悪い事にはならないだろうという事が分かる。

 

 そんな風景に、ふと異物が混ざった。赤い夕日に隠れるように、赤い外装の少女がポツンと上条達の側に現れた。まるで瞬間移動(テレポート)だ。なんにせよ、仕事の時間がやって来た。先日のように呆気なく上条の命を握らせる事など許さない。俺は相棒を構えてスコープを覗き、引き金は引く事が出来なかった。

 

 おかしい。俺からの距離は数百メートルは離れているというのにすぐ傍で首に鎌の切っ先を貼り付けられているような悪寒が襲う。スコープの先、ミーシャ=クロイツェフの瞳は光の輪を描き、この世を見ていないような機械的な眼差し。ああ、これは人ではない。禁書目録の時と同じ。人の姿をしているのに、絶対的に人とは違うその奥底。命の奪い合いで多くの人間を見て来たからこそ分かってしまう。上条はミーシャ=クロイツェフに何かを訴えているようだが、アレが人の話を聞くわけがない。

 

 俺が引き金に指をかけたまさにその時。俺の隣を大太刀を握り締めた聖人とサングラスをかけたクラスメイトが通り過ぎ、ミーシャ=クロイツェフの手元で火花が弾ける。ボスの狙撃。また弾きやがった。聖人が突っ込み、ボスの援護があるのなら、俺がするべきは上条の身の確保。相棒を肩に背負いなおし上条の元へ足を動かす。

 

 上条までの距離をあっという間に半分に縮めた瞬間、踏み出した足が一瞬砂に掴まれたように身体がブレる。その原因は突如空を揺らした轟音。優しく上条達を照らしていた夕日が、コマ送りされたかのように傾いていき、まあるい満月が空に浮かんだ。一度瞬きをして目を開ければ朝が夜になっていた。そんな感じ。あまりの違和感に脳の奥底が揺さ振られる。

 

 それが過ぎれば次に襲いかかってくるのは、ベールを脱いだミーシャ=クロイツェフの姿。大きな満月を背に宙に浮かび、星によって描かれた無数の魔法陣を背負い始める。いや、これは、俺にどうにか出来る範疇を軽く超えている。『雷神(インドラ)』なんて目ではない本当の神の力。たった一発の銃弾でいったい何が出来るだろうか。迷いが生まれた俺の意識を断ち切るように、俺の頬の横から長い銃身が擦る様に伸びて来て、一発の銃声を轟かせる。

 

 キーンッ、とたわむ左耳を抑えながら前を向けば、飛んで行った銃弾は魔法陣の一つに簡単に弾かれてしまう。横に並んだアッシュブロンドの長い髪から聞こえてくるのは舌打ちではなく小さな笑い声。上条の隣に俺は並び立ち、天使の前に立ち塞がるように立つ神裂さんの隣にボスが立つ。

 

「それで? どうするのかしら?」

「私が天使を抑えますのでその間に上条当麻と共に『御使堕し(エンゼルフォール)』を止めてください」

「そう、だそうよ孫市。カレンの姿がまだ見えないわ。そっちは貴方がどうにかしなさい。私はこれからお楽しみよ。邪魔をしたら分かってるわね?」

「なっ⁉︎ 貴女何を⁉︎」

 

 神裂さんがボスに詰め寄るがボスは笑顔を返すだけ。これだからボスは。こうなったボスは上条並みに頑固だ。ボスにとって最も楽しみなのは仕事ではなく狩である。幼少の頃から熊だろうと狼だろうと狩ってきた。どちらが強いか。人とはこれほど強いのだと誇るようなボスの闘い方に俺はどれだけ目を奪われた事だろう。

 

 聖人でもなく、超能力者(レベル5)でもない。それでも不思議とボスが闘えば負ける気がしない。天使が相手だろうと、気がつけばいつの間にか勝ってしまい取ってきたと羽でも毟り取っているのではないかとボスには思わせるだけの魅力があった。だが、未だそれをしっかりと見ていない神裂さんにそれが分かるわけがない。

 

 こんな存在相手では人である限り勝てはしない。そんな事は本能でも理性でも理解できる。きっとボスだって同じだ。だから普段見せないような心からの笑顔を浮かべている。時間もないからか、それともできるだけ天使と戯れる時間を伸ばすためか、神裂さんに手で払うような仕草をして前に出る。

 

「こんな極上のご馳走を一人で味わおうなんてダメよ。安心なさいな、鴨撃ちは得意なの。アレが地に堕ちる姿を想像するだけでやばいわ。孫市、そっちは任せたわ」

「了解ボス。神裂さんボスの映像撮ってくださいよ」

「そんな暇あるわけねえだろ‼︎ 死ぬ気ですか貴女!」

 

 めっちゃ口汚く怒られた。

 

「うるさいわね、女ならもっと余裕を持ちなさい。あんまり人間舐めるんじゃないわよ、孫市!」

「行くぞ上条さん! ここはこれから戦場だ! 本気のボスはもうマジやばい! 撃ち殺されたくなかったら行くぞ!」

「ああ分かった! 頼んだぜ神裂! 俺はお前を信用する! シェリーさんも!」

 

 手を上げて答えるボスを残して、上条が父親の手を引っ張り戦線を離脱する。すぐに背後からは聞いたこともない炸裂音が響いて来る。俺達を追い越して空に走る氷の翼。続いて聞き慣れた鐘を鳴らしたような銃声と、硬いものにぶち当たる剣撃の音。振り返りはしない。そんな心配はするだけ無駄だ。その音を止めたいのならば『御使堕し(エンゼルフォール)』をどうにかする以外に方法はない。

 

 浜辺が小さくなって行き、海の家が大きくなって行く。そこまで行ければ時間ができるというところで、空から今聞きたくはない風切り音が響いて来た。上条と上条父を掴み急停止すれば、目の前の大地に神の使徒が落ちて来た。大きな剣を大地に突き立て、超えてはならない境界線を大地に刻む。

 

「罪人。どこへ行くか」

「クッソ面倒い奴が来やがった」

 

空降星(エーデルワイス)』のカレン=ハラー。俺が貸してやったワイシャツから甲冑に着替えなおしたようで、月の光を反射して大変眩しい。大地に突き立てていた剣をゆっくり引き抜くと上条刀夜に向かってその切っ先を突き付ける。

 

「我ら神のために剣を振るう者。罪を感じているならば首を擡げい、せめて苦しまずに天に送ろう」

「全く、これだからこいつは嫌いなんだ。上条さん、ここは俺に任せて先に行け」

「いいのか?」

「ああ、ただタイミングが重要だ。俺が行けと言ったら振り向かずに走って行けよ」

 

 つーっと頬を包む冷たい汗を袖で拭いカレンを見る。近距離で『空降星(エーデルワイス)』とやる事ほど面倒くさい事はない。それも『空降星(エーデルワイス)』が使用する二つの基本魔術のせいにある。

 

「『空降星(エーデルワイス)』の基本魔術の一つ『林檎一射(アップルショット)』。可愛い名前に反して面倒な事この上ない魔術だ。相手を確実に死に追いやる二本目の刃を体のどこかに隠し持つ事で、一本目の刃を確実に当てるとかいうふざけた魔術さ。これを凌がなければ先に進めない」

「確実に死に追いやる二本目を隠して確実に一本目を当てる? なんだよそのチートは」

「伝説のスイス傭兵ウィリアム=テルの伝承をなぞった魔術だ。詳しく話す時間はないが、とりあえずそういうものだと頭に入れておいてくれ」

 

 かつて代官に反抗し罰を受けることになったスイス伝説の英雄ウィリアム=テルは、自ら死を選ぶか、自分の子供の頭の上に林檎を乗せて一発で射るかを選ばされた。見事一発で林檎を射抜いたウィリアム=テルであったが、もし子供に当たった時、代官を射るための二本目の矢を持っていたとされる。この伝承を元に作られた魔術が『林檎一射(アップルショット)』。神話などでなくスイス傭兵の伝承をなぞっているからか、知らなければやたら命中精度のいい物理技にしか見えない。

 

「『空降星(エーデルワイス)』にはもう一つ基本魔術があるんだが、それは今は使えないだろうからいいだろう」

「俺の『幻想殺し(イマジンブレイカー)』でどうにかならないのか?」

「腕がまた離ればなれになってもいいならやってみるといいさ、あの剣は幻想ではない。技の追尾機能が消えるだけで剣の勢いが消えるわけじゃない」

「最後の団欒は済ませたな。行くぞ」

 

 大型のロングソードを思い切り握り締めカレンが地を蹴る。砂浜の砂は爆破されたように空へと砂を巻き上げて、カレンの身を一瞬隠した。

 

「今だ! 行け上条‼︎」

 

 俺の合図に少し遅れて上条が飛び出す。上条父の手を掴み左に走る上条とは反対の右側へと俺は走った。砂煙を弾き飛ばし姿を現したカレンが向かうは当然左側。大上段に振り上げた大剣をカレンが振り下ろすよりも早く相棒の引き金を引く。カレンが振り下ろせば全てが終わる。それをカレンも分かっているからこそ、例え死ぬ事になろうと俺の事など気にしない。こちらをちらりとも見ないカレンだが、カレンが使う『林檎一射(アップルショット)』は別だ。カレンに迫る敵を斬り払うために、振り上げた大剣は俺の弾丸を斬るため背後にカレンの腕を動かした。

 

「ぐッ!」

 

 着弾の衝撃で僅かにカレンの足が止まる。それを見逃さず二回三回と引き金を引くが、その全ての弾丸は斬られてしまう。だがそれでいい。大型の相棒の着弾の衝撃は完全に殺しきる事はできず、カレンをその場に釘付けにする。上条の姿が遠ざかっていき、全弾撃ち尽くした相棒は静かに煙を吹いた。

 

「残念だったな、お前とは九年の付き合いだ。『空降星(エーデルワイス)』の基本魔術の弱点ぐらい知ってる」

「弱点だと?」

「振るう剣はお前が認めた敵を斬り払う。だがそれはお前に最も近いものが優先される。全自動(オートマチック)な術式が裏目に出たのさ。それさえ知っていれば多対一で誰かを守るのは容易だ」

「そうか、多対一ならな」

 

 カレンの目がチラリと小さくなって行く上条の背を見た後に俺へと強く向けられた。そう多対一なら。『林檎一射(アップルショット)』は一対一でこそ真価を発揮する魔術。振れば相手の命を刈り取るために動く刃を一人で相手しなければならない。それに加えて『空降星(エーデルワイス)』の修練を重ねた剣技。この合わせ技はまさに鬼に金棒だ。

 

「今日で貴様の顔も見納めか。貴様を討った後、ゆっくり罪人の首を刎ねてくれる」

「悪いが俺はお前にだけは殺されたくはない」

 

 自分の想いを神の意志なんていう幻想に代弁させて事をなすような者に俺の人生は終わらせない。そんな終わり方だけは認められん。だが厳しい事は事実。左手に持った相棒を砂浜の上に落とし、両腕を脱力させる。右手を伸ばすのはもう一つの相棒。

 

 カレンの長い紫陽花色の髪がぶわりと舞う。甲冑に映り込む月の光が後ろに流され、カレンの影がその場から消えた。砂浜の上を流れる青い天の川に向かって、俺は相棒を抜き放つ。引き金を引いたままゲルニカM-002を抜き放ち、脱力した左手で相棒の撃鉄を弾くだけ。たったそれだけの単純な動きが俺の命運を決める。

 

 初めて早撃ちという技をガラ爺ちゃんに見せて貰った時、手品だと思った。いつのまにか手に握られているリボルバー。中央を撃ち抜かれた的。そんな単純な動作をただ早く突き詰めた姿を。0.5秒。それに近付こうと修練を繰り返し、今でも練習は止めていない。それでも俺の早撃ちがそれに届く事はなく、ギリギリ一秒を切るのがやっと。それでも繰り返した練習は嘘をつかない。一秒を切る。その時間は遅くはない。二秒掛からず六発の弾丸はカレンを撃ち抜くために空を裂く。それが当たるかどうかも見届けず、俺は後ろに下がりながらまた弾丸を装填する。

 

「ふッ」

 

 軽くカレンは息を吐いた。その吐息に飛ばされるように六つの閃光が宙に描かれる。足を止める事なく無駄ない流れるような動き。突っ込んで来るカレンに再度撃鉄を弾く。しかし、カレンの足を止める事は叶わず、刃の煌めきが俺の眼に映り込む程距離を詰められ、三度弾丸を吐き出したのと同時にカレンの方へ飛び込む。

 

 弾丸を掬い上げるように弾いたカレンの剣撃が俺へと向く。カレンの背後に飛び込んだ俺へと迫る切っ先は、しかし途中でその動きをピタリと止める。カレンが手を止めたわけではない。この神の使いはそんなに甘くはない。神のためと決めたならその断罪の刃を羽のように軽く振るう。だから、

 

「『林檎一射(アップルショット)』は人体の構造を超えた動きはできない。これが二つ目の弱点かな。まあその態勢に持って行くのに計十二発の弾丸だ。割に合わんな」

「貴様は本当に……癪に触る男だ‼︎」

 

 とはいえそれで闘いが終わるわけではない。俺がしている事はカレンが上条を追わないため、俺が少しでも長く生きるための時間稼ぎに他ならない。距離があるならいざ知らず、俺にこの距離でカレンに勝つ手立てはない。

 

「貴様の仕事は上条当麻を守る事だろう! だったら上条刀夜が死のうが生きようがどうでもいいはず! 違うか! その断罪を止める理由がどこにあるのか‼︎」

「そうだなあ……確かにないかなあ」

 

 究極的に言えば上条刀夜が死のうが生きようがどうでもいいというのは正しい。俺の仕事はカレンの言う通り上条当麻を守る事。上条当麻が死ななければそれでいい。ただ、ただ思い出すのは上条当麻に向けられていた上条刀夜の優しい顔。息子に向けられた父親の顔。もしそれが消えてしまったら、上条当麻は死ななくても死んでしまう。それは上条当麻を守った事にはならないだろう。それに。

 

「でもまあおみやげ貰っちゃたしなあ、その分くらいは働かないとさ、この世はプラマイゼロでできてるのさ」

「またわけのわからん事を! 貴様だけは理解できん‼︎ 私は貴様だけは認めない‼︎ 自分のためだけに生きる愚者が‼︎」

「お互い様だ神の使い(パシリ)。姿も見えない奴のために生きる狂信者。神なんていうものよりも大事なことがあると知ってるくせに」

「そんなものあるはずがない! 私は神の(つるぎ)。神に振るわれるために私はある!」

「神はお前なんて振らないよ。剣を振るのはカレン、お前だろう」

 

 話はいつまでも平行線だ。カレンとの話は決着がつく事はない。九年も前に初めて会った時から同じ話を延々と繰り返している。俺は自分のためだけに引き金を引き。カレンは神だけのために剣を振るう。この話の決着は、きっと俺がカレンを撃ち抜くか。カレンが俺を切り裂くかでしか終わらない。きっと話の決着などつかぬまま。

 

「もういい、時間だ。人は流れる時に逆らう事は出来ない。時の大流に流されて、その身を朽ちさせるがいい‼︎」

「なに? まさか⁉︎」

 

空降星(エーデルワイス)』の二つ目の絶技。『林檎一射(アップルショット)』と双璧を成す大魔術。祝福された時の加護を相手にぶつける最恐の刃。『林檎一射(アップルショット)』を盾とするなら、二つ目の技は究極の矛。カレンの祝福された時は六。六時三十分三十秒と十八時三十分三十秒のたったの二秒。時針と分針と秒針の三つの針が重なったその一瞬だけ放たれる決して巻き戻る事はない決死の一撃。『三針』。時の流れを剣に添えて打ち出す時の魔術。

 

 カレンの刃が時の光に彩られ、朝昼夜の陽の光を放ち始める。それを放たれたら最後。核シェルターに篭っていようと防ぐ事は出来ない。頭をフル回転して考える俺の思考を吹き飛ばしたのは、時の輝きではなく、海の家から飛び出した頸烈な極光。それが天へと上がって行き、程なくして夜が終わりを迎えた。『御使堕し(エンゼルフォール)』が打ち砕かれた。空を彩る綺麗なオレンジ。夕陽が世界に戻ってきた。そのたった数秒の出来事で、見入っていたカレンの一秒も過ぎ去ってしまう。小さく一度舌を打つと、その身を翻し去って行く。

 

「天使は天に帰った。私がここにいる理由もない」

「いいのか? 罪人の処断もせずに帰って」

「私に元々命じられていたのは上条当麻の処罰。それも途中で消え失せ今やっているのは蛇足に過ぎない。故に終わり。貴様の命今一度神に預けよう」

 

 去って行くカレンを止めるなんて無意味な事はしたくないのでその背を見送る。『御使堕し(エンゼルフォール)』を終わらせた最後の一撃。ボスと神裂さんが砂浜にいて、上条も上条父も魔術も超能力も使えない。残ったのは土御門のみ。魔術を使えばどうなるか本人が一番分かっているだろうに。

 

 阿呆だ。土御門は信用ならないが、これだから嫌いになれない。

 

 確か『御使堕し(エンゼルフォール)』を止めるには、使用者を殺すか祭壇上を破壊のどちらかをやらなければならないとの事。光が飛んで行ったのを見るに祭壇上を壊したんだろう。疲れた体を砂浜に放り出していると、神裂さんとボスが浜辺からゆっくり歩いて来た。

 

 

 ***

 

 

「ひっさしぶりだにゃー、カミやん」

「なあ? 言っただろう上条さん。また絶対入院するってさ」

 

 病院の一室。上条当麻がお決まりのように入院したので、土御門と共にお見舞いに来れば、驚いた顔の上条が土御門を見た。土御門の言っていた通り上条は土御門が死んだと思っていたらしい。まさかこの男が死を選ぶ事などあるわけがない。危険や死に自らひょいひょい歩いて行き、またひょいひょい帰って来るような男だ。どんな手を使おうと決してそれには至らずに死の周りをぐるぐる回る。一種の狂気だ。土御門に枕を投げつける上条を横目に、窓から戻って来た学園都市に視線を落とす。俺スイスに一日もいれなかったんですけど。これを機にハムの奴を学園都市に引っ張って来ようと思っていたのに、ちゃっかり仕事を受けたとか言って来る気配がない。これじゃあ秋もまた俺一人だ。マジかよ。

 

「はいはい感動の再会シーンはここらにしておいて。いやーカミやん、ホントにギリギリお互いよく生き残れたよなー」

「マジでな。俺は一瞬マジで死を覚悟したよ。これホント」

「俺は土御門に殺されかけたんだしお前らピンピンしてんじゃねーかっ!」

「あー神裂ねーちんの事なら心配しなくて大丈夫ぜよ。ちょっと弱ってるけど、もうリハビリのために馬鹿長い日本刀でリンゴの皮むきとかやってるし」

「ボスもあれだけ怪我してたの初めて見たけどすっごい嬉しそうだったから大丈夫さ。またやりたいなんて言ってたけどどういう神経してるんだか」

「聞けよお前ら! いや無事なのは嬉しいけどさ!」

 

 無事だけなら良かったんだが、ボスが神裂さんを気に入ってヤバイ。絶対いつかやりあうとかおっかない宣言をしていた。ボスは自分よりも強い者を求めているからなぁ。

 

「しかし残った問題が一つ」

 

 そう言って土御門がまた上条の話を断ち切る。

 

「さて今回の一件。結局誰がその責任を取ればいいのやら、って事だぜい」

 

 まあそうなるだろう。どんな結末であろうと世界中を巻き込んだ事件だ。運が悪かったじゃ済まされない。誰かが割りをくう羽目になるのは当然のことだ。上条は黙り込み、俺も口を噤んだ。静かになった病室に土御門の声だけが響く。

 

「……。一応、オレは学園都市に潜り込んだイギリス清教のスパイって立場にあるから、教会から問われたら真実を話さないといけない義務があるんだけど……けどメンドイし土御門さんは基本的にウソツキなのでテキトーにでっちあげるにゃー」

「おい⁉︎」

 

 まあそうなるだろうな。そうでなければ上条刀夜を何だかんだ守っていた事が無駄になってしまう。呆れて肩を竦めるそんな俺を、チラリと土御門が見てきた。

 

「まあうちは魔術結社でもなく魔術の事なんて分からないのでノータッチで。誰が『御使堕し(エンゼルフォール)』を起こしたんでしょうねで通すから。カレンも言わんよ。彼女達にとって大事なのは神の命を遂行できたかそうじゃないのかが全て。『御使堕し(エンゼルフォール)』の件が終わったらもうそれに見向きもしないさ」

「はっはっは! それは良かった! それにカミやん。また一個ウソ。オレは学園都市に潜り込んだスパイって言ってたけど、実は逆ぜよ。味方のふりしてイギリス清教の秘密を調べる逆スパイですたい。だからウソつく事には何のためらいもナッシング」

「なッ⁉︎」

「しかもそれもウソ。ホントはイギリス清教とか学園都市の他にもいろんな機関・組織から依頼を受けてるから、逆スパイどころか多角スパイですたい」

「何だコイツ!? っていうか、それって結局ただの口が軽い人じゃねーか!」

「なあ? 土御門さんは信用がおけないだろう? 気を付けた方がいいぞ」

「それは孫っちもだにゃー。気を付けろよカミやん」

「どっちも信用できないのかよ⁉︎ 俺の隣人チェンジ! こいつらと秘密共有したくねえ‼︎」

 

 はっはっは、と俺と土御門の笑い声が上条の叫びを搔き消す。上条のような一般的な反応を返されると逆に落ち着く。土御門もそうだろう。だからついつい自分の事を喋りすぎてしまう。そういう意味では俺と土御門は少し似ている。が、それは癪なので笑いながら土御門の肩を強く掴むと、土御門も強く俺の肩を強く掴んできやがった。この野郎。

 

「まあ土御門さんは確かに騙しウソつきチクリ裏切り何でもアリだけど、仕事とプライベートはきっちり分けてるにゃー。プライベートに仕事は持ち込まないから安心するぜよ」

「そりゃ俺だってそうだ。仕事じゃなければ引き金は引かない。年がら年中命の取り合いなんてしたくないからな」

「……すでに父さんの顔が割れてる時点で、お前を信じるしか道はねーんだがな。一応言っとくぜ、ありがとう。お前らは父さんの命の恩人だよ……。うん……、うん、お前らいつまでわちゃわちゃやってんだよ! ここ病院! ここ病室‼︎」

 

 うるせえ! 土御門に負けるのはなんか嫌なのだ。魔術師のくせして意外と力が強い。魔術師なら魔術師らしく頭を鍛えていればいいものを。カレンといい土御門といい俺の苦手なタイプは体まで鍛えていて困る。俺の領分に上がって来るな。商売上がったりだ。

 

「いやー、そんな誉められるような事はしてないぜよ。なんだかんだで結局『御使堕し(エンゼルフォール)』止めるためにカミやんの家を爆発四散させちゃったしにゃー」

「ちょ、待って。土御門、今なんて言った?」

「上条さん聞こえなかったのか? 上条さんの実家跡凄かったぞ。C-4爆薬を詰め込んで吹っ飛ばしたみたいになってた。残っていたのは焦げ付いた外壁の破片と」

「だああ‼︎ 聞きたくねえ‼︎ 両親そろって家なき子か⁉︎ あの家絶対ローンも払い終わってねーぞ⁉︎」

「いやいや何言ってんの。上条さんにはローマ正教から貰った六千万があるじゃないか」

「え、ここで使うの⁉︎ そのための六千万⁉︎ 俺のリッチ生活があ‼︎」

「あ、そうそうまだ問題はあったか、カミやん、『御使堕し(エンゼルフォール)』が起きてた間に『入れ替わってた』人達の記憶は、元の所へ戻る仕組みになってるからにゃー」

 

 そこまで土御門が言うと、ふらりと上条の病室に純白のシスターがやって来る。俺と土御門は笑いながら組み合ったまま巻き込まれたくないので病室から退避した。病院の廊下に出たところでそっと手を離す。土御門は疲れたように息を吐き出し、俺も肩を回して力を抜く。

 

「お疲れだったな孫っち。今回は助かったぜい。『空降星(エーデルワイス)』は孫っちがいなきゃどうにもならなかった」

「仕事さ。それより土御門さんはいいのか? 体、完治してるわけでもないだろう」

 

 あれだけ強力な魔術を使ったのだ。土御門の超能力が肉体再生だということは知っているが、それで万事快調になるようなものでもない。

 

「慣れてるさ。またこれからも色々頼むと思うけど頼むにゃー。他の奴らと違って孫っちには安心して仕事を頼めるからな」

「報酬さえ払って貰えればね。今回みたいな仕事の方が俺には合ってる。ま、せいぜい誰かに狙われて俺の標的にならないでくれ」

「んー、それはちょいと難しい注文だぜい。怪しいのが土御門さんのアイデンティティみたいなもんだからにゃー」

 

 そう言って土御門は笑い、顔から笑みを消した。さっきの今でそんな顔を向けないで欲しい。付き合うこちらが大変だ。懐から煙草を取り出し咥えて火を点ける。甘ったるい香りが鼻をくすぐった。

 

「孫っち。実は上から暗部の組織を作れとの仕事が来た。まだ構成員は決まってない。オレだけなんだが、孫っち。力を貸してくれないか?」

「それは……仕事の依頼か?」

 

 遂に来た。学園都市の奥底へと続く道。これに踏み込めばおそらく戻っては来られない。だが、言わずともこれは依頼主である国際連合が望んでいる事であろう。だが、

 

「なぜ俺なんだ? 俺の背後には国際連合がいる。土御門さんは分かっているだろう。高レベルの能力者や腕が立つ魔術師を引き入れた方がいいんじゃないかな?」

「勿論そのつもりぜよ。だが、孫っちに頼むのには当然理由がある。カミやんと違って孫っちはもう手を汚していていざという時躊躇しない。それに、オレが信用できる。これが大きい。孫っちなら分かるだろう? 誰かに孫っちが雇われるより先に手元に置いておきたいのさ。そうすれば少なくとも孫っちが敵になる事はない」

「なるほどねえ」

 

 相変わらず頭の回る男だ。土御門の怖いところは魔術の腕でも格闘能力でもなく策略に向いたこの頭脳。知識、経験、技術をフル活用する土御門の隙を突くことは容易ではない。そんな土御門の案に乗るのは悪くないが、暗部か。もうその片鱗にはつま先をつけた。分かっているのはろくでもないという事。もし暗部に突っ込むなら、木山先生には言わなければならないだろうし、時の鐘にも報告しなければならない。だが国際連合にはそのままを伝えない方がいいだろう。最低限の仕事はするが、自分が死に行く道を開くことまでしない。土御門の顔を見る。『電波塔(タワー)』の顔を思い出す。暗部か。

 

「別にいいけど、俺には俺で仕事がある。常に手を貸すことはできないぞ」

「それでいいさ、こっちも出来るだけ孫っちの仕事のサポートはするからにゃー、孫っちと二人で色々やった方が面白そうだし」

「そんな趣味みたいに俺の仕事に突っ込まれても困るぞ。はああ、上条さん達に隠し事が増えたなあ。隠し事ってあんまり得意じゃないんだけど」

「おう! それじゃあ結成記念にメシでも行こうぜい! 何がいいかにゃー?」

「何でもいいよ、何でもな」

 

 土御門と肩を組みながら病院を出る。これから更に面倒な事は増えるのだろう。全く加速的に俺の周りに面倒事が押し寄せて来る。だが、それもそこまで悪い気はしなかった。上条とは違うが、土御門は……悪友だ。

 

 

 




御使堕し編、終わり。ここまで読んでいただきありがとうございます。

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