時の鐘   作:生崎

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Queen×3 ④

「もう一度」

 

 とある山中の中で空間移動(テレポート)した鉄杭が空を切る。服の端に擦りもせずに飛んで行き、木に突き刺さる鉄杭を見送り、歯を噛み締めて白井黒子(しらいくろこ)はその場から姿を消し、空中へと身を浮かべるが、既に目前に影が滑り込んでいた。速く。疾く。空間移動(テレポート)する為に回す頭の隙に差し込むように目前に迫る苦無。首を捻り避けたは良いが、踵を落とされ地に落とされる。舞う砂埃が口に入り、それを吐き出し口を拭う黒子の前で揺れる影。

 

「……波を読む────だったかな。釣鐘も法水も面白い技を使う。が、別に相手の動きを読むのに特別な目は絶対に必要な訳でもないよ。相手の視線、呼吸、それと経験を元に動きを予想する事はできる。空間移動(テレポート)というのは、私達に言わせれば『縮地』に近い技術だ。その究極形と言ってもいい。私としても甲賀の為に欲しい技術ではあるが、『能力』としては御免かな。さあ、もう一度」

 

 息を吐き出し黒子は立ち上がり、服に付いた砂を落とす事もなく、空間移動(テレポート)の為に頭は回さず緩やかに両腕を前に出す。それを見て、黒子の意を汲んだかのように影は握る苦無を大地に投げ刺し、黒子の前へと歩み寄ると同じように両腕を前に差し出した。

 

 前に伸ばした右腕同士の手首が触れ合う。腕を伸ばせば当たる位置。黒子が息を吸い、息を吐く。息を吸い────相手の手首を掴もうと翻した右手をはたき落とされ、踏み込まれ一歩を踏み切って蹴り上げられた左足が黒子の頬を僅かに掠めた。蹴りを追うように黒子の頬を伝う汗が宙に舞い、一拍遅れて右のツインテールの毛先が空を泳ぐ。

 

「呼吸は一定を常に保て。『時の鐘(ツィットグロッゲ)』の技術を吸収したのはいいが、一撃に懸ける『狙撃』の癖が抜け切っていないぞ。相手の手の届かない遠距離からならまだしも、目と鼻の先じゃあ狙いが読め過ぎる。さあ白井、もう一度だ」

 

 再び元の位置へと歩き身を翻して腕を伸ばしてくる影に向けて、黒子は再び腕を伸ばす。触れ合う手首。波の世界を覗く事のできない黒子でも、微動だにしない相手の動きに多少は分かる事もある。自然だ。戦いの最中であっても、街中を散歩でもしているかのように平穏で動かない。で、ありながら、隙間を縫うように急に研ぎ澄まされた殺気が顔を出す。殺気を、想いを凝縮し、叫び吐き出すような『時の鐘』の激しく鋭い殺人術とはまた違う、自然が猛威を振るうかのように、静かに素早く淡々と必要なだけ殺気を滑り込ませるような殺人術。

 

 極東の傭兵。これが忍。

 

 時代劇や漫画などでよく目にするが、その本質を実際に目にした事のある者など数少ない影の刃。法水同様に、『暗闇の五月計画』で思想が歪み刹那主義に傾倒した釣鐘茶寮(つりがねさりょう)とも違う、正真正銘甲賀の忍。見た目は十歳前後の少女であるが、中身は三十歳を超えている。その内に秘められた刃は鈍ではない。

 

 近江手裏(おうみしゅり)

 

 想像を絶する隠の者の一人。甲賀でも指折りの実力者。最初こそ空間移動(テレポート)に多少なりとも驚き翻弄されていたものの、少しすればそれを技術と経験で埋められる。『時の鐘』や『木原』同様、技術を拠り所とする相手の隙のなさに黒子は内心で舌を打つ。

 

 他でもない己で育み身に納めたものであるだけに、超能力や魔術という別の法則の技術を用いても、それを己が肉体をもって躙り寄ってくる。その積み重ねにこそ敬意を払い、黒子は手を握り込む。

 

 掴んだ。

 

「ッ!」

 

 相手の袖に黒子の指が引っ掛かり、そのまま近江は全身を使って腕を回し下げるように腕を振るう。前につんのめるような黒子の身の内に腕を振った勢いのまま身を滑らせ。振るった腕の肩で黒子の体を後ろへと弾いた。地面に転がり肩で息をする黒子を見下ろし、近江は指の掛かった手首の服の袖を軽く握る。

 

(天賦の才か……)

 

 黒子を鍛えてやってくださいよ、と法水に頼まれ、黒子にも頭を下げられて一時間。対能力者、それも大能力者(レベル4)の戦闘にある程度明るい相手との組み手ならと近江も様子を見るだけのつもりであったが、ついつい指導に熱が入る。

 

 それも白井黒子の才能が故。能力だけに溺れず、言われた事をすぐに飲み込み修正してくる。

 

 若さ故の吸収力だけでは説明のつかない戦闘に対する柔軟性。釣鐘茶寮、北条彩鈴(ほうじょうあれい)。ハム=レントネン。技を研ぐ忍者、傭兵と戦い勝利した黒子の実力に嘘はない。

 

 もし甲賀に引っ張れればと多少欲が出てしまうのも仕方ないというもの。何よりも、黒子と法水が近江を頼った意味が、近江自身も手を合わせて分かった。黒子の戦い方は忍者に近い。だからこそ惜しく、どうにも近江の口も緩む。

 

「白井、お前は能力に頼り過ぎだ。勿論能力者である以上それを悪いとは言わないが、いざ窮地に陥った時に、空間移動(テレポート)を選択する割合が多いぞ。もう少し肉体を鍛えるべきだ。その空間移動(テレポート)は、基本として使うよりも、ここぞという時に使った方が恐ろしい刃となる」

「……言う事は分かりますけれど、わたくしの今の体格では」

「私を見てそれを言うのか?」

 

 そう近江に言われてしまえば、黒子は何も言い返せない。黒子よりも尚背が低く、それでいて二倍以上の時を忍として生きている怪女。腕の長さも、足の長さも、黒子の方が勝っている。だが一度格闘戦となれば、黒子の拳は当たる事なく、近江の拳ばかり当たる。一体何が違うのか。首を捻り眉間に皺を刻む黒子を見つめ、近江はほっと息を吐いた。

 

「白井の格闘のベースは捕縛術と合気道だな? 極まれば体格は然程関係のない良い選択だとは思うが、空間移動(テレポート)ですぐに近付き掴み取れる位置に動ける弊害か、お前は技の過程が少し拙い。その綻びが隙になっている。それでは冷静に技を振るう相手や、想像を超えた筋力の持ち主には効果が薄い。お前の一番の課題は、基礎身体能力を高める事。次に超能力もさることながら、技をより磨く事だ。それがもしできたなら────お前は世界最速の忍になれる」

 

 私を超えて。それは口に出さず笑みを浮かべて課題の数を示す二本指を立て近江は黒子に向けるが、「いや、あの……わたくし忍者になる気はないのですけれど」と言われてしまい、笑顔を固めたまま、そうだったと残念そうに肩を落とした。

 

「それにしてもお見事ですわね。忍の技術。孫市さんのおかげで技術の大切さは知っていたつもりでしたけれど、奥が深いと言いますか……。近江さんは幻のような本物の忍術を形にするのが夢でしたでしょうか? 孫市さんが嬉しそうに話してくれましたけれど」

「む。ま、まあそうだ。ごほん。超能力や魔術とも違う、甲賀としての忍の異能を形にする事。それが私の夢だ。だからこそもったいない。学園都市の技術ではあるが、お前がその気なら正しく『縮地』、『瞬身の術』が形になるだろうに……。くぉぉ……攫っちゃおっかなぁ……」

風紀委員(ジャッジメント)の前で物騒な事言わないでくださいません? だいたいそんな事をすれば」

「法水が怒り狂うだろうからやめておこうか」

「ベ、別にそこは気にしてないのですけれど……」

 

 顔を赤らめてそっぽを向く黒子に微笑み、近江は黒子に歩み寄るとその隣に腰を下ろす。見つめてくる黒子には目を向けず、近江はうんと一度伸びをすると、闘争の空気を一旦散らすように小さく息を吐き、己の小さな手へ目を落とした。

 

「法水ももったいない。アレも甲賀に欲しいのだけどな。日本に生まれながらスイスで傭兵をやるなんて、どうせなら甲賀の里に来て欲しかったぞ。まあ今は同盟であるだけよしとするが、ただの殴り合いでなら、私でも法水には勝てない」

 

 そう言う近江の言葉に、黒子は小さく肩を跳ねる。上には上がいる。デンマークで黒子も孫市と向かい合ったが、本気であっても殺す気のない孫市と。そんな孫市より近江が下であったとしても、その近江にさえ黒子は及ばない。掴むなら、差し込まれる越えねばならない新たな壁。顔を難しくさせる黒子の顔を瞳だけを動かし近江は一瞥すると「殴り合いではな」と言葉を足した。

 

「ただし()()()()()()ならまた別だ。手の届く距離でなら、私もまだ法水には負ける気はないさ。戦いは条件、読み合い、武器、タイミング、運、まあ色々だ。この世に決まった勝利なんてそうそうない。油断すれば獅子でも鼠に噛み殺される。例え汚いと言われても、勝たねばならない時がある。……白井、お前はなぜ私に戦い方を学ぼうと思った? 私が教えられるのはそういう戦い方だ。学園都市で平和に過ごすなら別に必要ないだろうに。私はお前の口からそれが聞きたい」

 

 笑みを消した近江の顔を向けられて、ブレのない瞳を目に小さく黒子は後ろに身を引く。静かに輝く忍ぶ者の瞳。一番は強くなりたいという黒子の願いを聞いて、多分黒子に合ってるよと孫市が勧めてくれたからであるが、近江が聞いているのはそれではなく、その奥に潜むモノであると察し、黒子は見開いていた目を細めると、膝を小さく抱え込み目を伏せた。

 

「……置いて行かれたくないからですの。わたくしの大切な人達は、どんな危険な場所であろうと突き進んで行ってしまう。孫市さんも、お姉様も。それをただ立ち尽くして見過ごすようなわたくしでいたくない。わたくしが待っている間に、どんどんと大切な者達こそが遠去かる。それを掴む為ならば、例え一瞬でも触れられるなら、わたくしが努力をやめるわけにはいきませんから」

「……それが平穏から遠去かる道であってもか?」

「……追い並ぶ事が全て。えぇ、わたくしも同じ。大切な者達が危険の渦中にいて、わたくしだけのほほんとしている訳にはいきませんのよ。それに、わたくしだけではないはずですから。誰もが前に向かって走っている。わたくしだけ立ち止まっていては、あっという間に追い抜かれてしまいますの。そんな者達にも、わたくしは置いて行かれたくはないですのよ」

 

 前を走る愛しい人達。それと同じく前に進もうと並ぶ親友達がいる。見ない間に初春飾利(ういはるかざり)もまた己が技術を積み上げ邁進し、泡浮万彬(あわつきまあや)湾内絹保(わんないきぬほ)婚后光子(こんごうみつこ)も常盤台でスイスからやって来た教師二人の教えを拒む事なく聞き入れ、いざという時友人の力になれるように技を磨き出している。フレンダや孫市のアドバイスを受け、自分なりにできることを増やそうとしている佐天涙子(さてんるいこ)もまた同じ。置いて行かれたくはなく、追い抜かれたくはない。そんな者達と並んでいる自分でいたい。ただしそれは。

 

「どれだけ磨き抜いたとしても、わたくしは命にそれを突き立てない。わたくしは風紀委員(ジャッジメント)ですの。風紀委員(ジャッジメント)ですから。それを自分で選んだからこそ、そこから外れてしまう事だけはありえませんわ。時の鐘や忍者に鍛えていただいて恐縮ですけれど、それだけは踏み越えませんの。掴んだ命は取り溢さない。そうわたくしは誓いましたから」

 

 引いていた身を正し、輝く黒子の瞳を受けて近江は無言で視線を切った。命の取り合いをしている者にこそその輝きは眩し過ぎる。戦場という世界の中で、外せないことであったとして、それを諦めない輝き。どう取り繕うと振るうのは殺人術。甘いと切り捨てる事は簡単でも、ただその技術を輝かしい事に使ってくれるのであれば、それを強く否定する理由はない。

 

「……そうか、ならば白井、一つ私と作ってみないか?」

「作る、ですの?」

「合気を齧り、間合いを制するお前だからこそ、形にできる特異な技が一つあるかもしれない。()()()()()()()()()()()()()。おそらくこれは一般人には通用しない。が、一般人よりも深く広い知覚を持つ者。超技術者(エゴイスト)超能力者(レベル5)などには、おそらく嵌れば通じる技だ。そんな異能のような特異な技術を形にできれば、お前はきっと誰であろうと掴む事ができる。とは言え、それは雲を掴むような話。私にも無理だ。本物の忍術を形にするに近い。それでも、やってみるか?」

 

 黒子の天賦の才能と、近江自身の経験と技術を懸けて。本物の忍術のような幻の技を形にする。そもそも完成するかどうかも定かでない。ただ形になったなら、強者にこそ通用する技。夢のような産物を目の前に差し出され、黒子は迷う事なく右腕に巻かれた緑の腕章を引っ張った。

 

「是非。やってやろうじゃありませんか。わたくしは期待に応えてみせますわ。近江さんの夢さえ背負って、どこまでも諦めず進むのがわたくし、白井黒子ですもの」

「ふふっ、そうか……笑わず即答するかお前……。ならば! 今日から私の事は師と呼べ! 気に入ったぞ白井黒子! 私も夢の為に懸けてやろう! お前を一流を超えたくノ一にしてやるぞ!」

「いや……あの、ですからわたくしは忍になるつもりはないのですけれど……」

「まあそう言うな。私の技なら教えてやる。痺れ薬や煙玉、水遁の術やおいろけの術、手裏剣に撒菱の使い方までなッ!」

「痺れ薬においろけ……ッ、ですっ……て? 師匠! なりますのわたくし! 学園都市一のくノ一に!」

「よくぞ言った! それでこそ私の弟子だ!」

 

 がっしりと手を組み交わし、怪しげな笑い声が二つ学園都市にある山の中に薄っすら響く。

 

(こうやって技を教えていけば、いずれ甲賀の忍になりたくなるかもしれないしな! その才能と精神性、我らが甲賀の為に欲しくなったぞ!)

(痺れ薬においろけの術ッ、これさえあればお姉様の寝込みを襲うなど容易いはずッ、ぐっふっふ、待っていてくださいませお姉様! ……と、ついでに孫市さん。新しく進化した黒子を見せて差し上げますの!)

 

 輝かしい想いは邪な想いに弾かれてしまい、それに気付かず二人は笑う。それから数日して、常盤台の寮の一室に雷が一発落ちたのはまた別の話。近江手裏と白井黒子が夢見る技が形になる日は遠いのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ねえ、マジでその格好でずっといる気ぃ〜?」

「あーん? なんだ文句あんのか?」

 

 寧ろ文句しかないとコーラ=マープルは眉の端を歪め、上半身下着一枚のメイヴィス=ド=メリクールから寝転がったまま顔を背け、夜空を写し取り煌くコンクリートで固められた真円の人造湖へと目を流した。第七学区から第二一学区まで歩き続け、発電所と人造湖に辿り着いた疲れを夜風を肌に沿わせ逃す。とは言えコーラは食蜂操祈(しょくほうみさき)騎士(ナイト)の一人、帆風潤子(ほかぜじゅんこ)におぶって貰いやって来たのであるが、いい気なものだ。

 

 食蜂操祈の過去と今。景色の違いがあるらしいが、わざわざ第二一学区まで来ないコーラとメイヴィスには分からぬ事。航空写真や映像など、一般的に最高機密とされるデータさえも改竄されているという徹底振りであり、その事実こそが相手の巨大さを物語っていた。風景の違いの原因を、過去の記憶と照らし合わせてうろうろ動く食蜂に目をやりながら、堂々と下着姿で胸を張って腰に手を当てメイヴィスは鼻を鳴らす。

 

「もったいぶらずにうちにやらしてくれりゃいいんだ。ここらに敵が控えているなら、うちが足腰崩してやんのに」

「メイヴィスの技は無差別でしょぉ〜、操祈ちゃんとその派閥の子達まで巻き込んじゃうじゃん。風の影響もろに受けるしぃ〜、濃度の濃い性フェロモン振り撒かれて動ける奴少ないんだから、やめてくれるぅ〜?」

「だァからやってねえだろうが。それに気に入った奴にはあんまり使いたくねえしなァ。一人の男を想ってここまで動くその一途さ、涎が止まらんなァ。そういう相手を振り向かせられた時ってのが最高なんだ」

 

 食蜂を見つめていい笑顔で涎を啜るメイヴィスに「汚ったねぇ」と悪態を吐きつつ、コーラは大きく肩を落とし抱き枕を抱き締める。コーラの抱き締める抱き枕の中に内蔵された、骨振動を使い連絡を取る通信機。これを使い初め食蜂と二人でいる時も獄彩海美(ごくさいかいび)やメイヴィスと連絡を取り合っていたが、未だ海美からの連絡はない。自分としては本当に珍しく危ない橋を渡っているなぁ〜とうんざりしつつ、ドライバーセットを取り出し、千枚通しをコンクリートの大地に打ち付ける食蜂を見つめる。

 

「女王蜂の『派閥』のお嬢様方はいいのかよ、遠くに散らしちまって。一箇所に纏めて叩かれるのが怖えのはわかるけどさァ」

「相手の狙いは操祈ちゃんだし、そもそも相手に操祈ちゃんを殺す気があると思う? わたちはそうは思わないなぁ〜。こんな回りくどい手を打って、殺すだけならもっと効率的な方法があるよ。それが誰の思惑かは別としてね。操祈ちゃんの周りに人が多くい過ぎると、被害が増す可能性が高いからねぇ〜」

「効率、可能性、やっだねェ、頭を回し過ぎる理屈っぽい奴ってのは。なんでもかんでも理由付けてしらけるタイプだぜオメー」

「エロにしか脳を使わない奴よりマシだよねぇ〜って。言ってあげる。どう転んでもわたち達は水と油だよ。理性だけでなく浮き上がり過ぎた本能同士が反発するんだからさぁ〜、どうしようもないのら。『嫉妬』がついに浮上して七つ全部揃っちゃったしねぇ〜、これまで学園都市でなんとか棲み分けできてたけど、暗部としてさえ動く『嫉妬』が邪魔だよ。だからなんとしても必要なの」

 

 敵対せずに済む鍵が。発展と競争に引き寄せられて、学園都市に悪魔の名を持つ本能を抱えた者が集まるのはおよそ必然。別に戦いたい訳ではなく、争いたい訳でもないが、強過ぎる本能同士、顔を合わせれば理性関係なく本能が波打つ。そうして訪れるだろう結果を誰より早くコーラの頭脳は弾き出す。

 

 悪魔の本能に身を任せれば、どれも行き着く先は破滅でしかない。それをなんとか抑えているのが理性であり、動いてしまえば共倒れで全てが終わる。それが一番不毛だ。だからこそ逸早くコーラはメイヴィスと手を組んだ。本来争いさえ面倒くさい『怠惰』ならば共存も難しくはない。ただそれで仲良くなる事は決してないが。

 

「分かってるが、あんまりうちの邪魔をすんなよ。あんまり口うるせえならオメーから潰す」

「分かってるよぉ〜、だから手を出す相手は選んでね? じゃないとわたちが貴女ちゃんを潰すから」

 

 何度したかも分からない会話を再び交わし、二人揃って鼻を鳴らす。快適の為、恋人の為、ただしそれは『原罪』以外が正しい。別の頂点に位置する者を許しておけるはずもない。誰より隣り合ってしまっているからこそ煩わしい。隣り合う者誰もが必要とされる訳でもない。畝る本能を抑えるように、コーラは砕けるはずのないコンクリートの大地を千枚通しで砕いた食蜂を目に、今に頭を回す事で本能を誤魔化す。

 

「なるほどねぇ〜、磁性制御モニターだねぇ〜、『嫉妬』がもしここにいたら、磁力の波を拾って砕かなくても気付いたかなぁ〜。スイスの狩猟の悪魔を筆頭に、悪魔集団も何人か気付くかな。それに『強欲』に『暴食』も気付いたろうね。『傲慢』はどうかな? 同じバグ技使いでも、戦闘系の子達は本当に嫌になるよぉ〜」

 

 磁性制御モニター。原色系の色をつけた微細な粒子を『超薄型の水槽』に混ぜ、磁力によって色を変える代物。ブルーライトを出さず、油彩や水彩などを写す場合には、従来のテレビよりもずっと映像は『本物に近い』という特性がある。ただ代わりに一台のコストが他の物よりも高い。それを、食蜂操祈の記憶を欺く為に人造湖周辺の山々を覆う程に使っているとなればどれだけの出費か。敵であろう者の背景を多角的な思考で弾き出しながら、コーラは小さく舌を打つ。

 

「……操祈ちゃん、ちょっと下がろっかぁ〜」

「ええ、まったく、たかだか小娘の記憶一ついじるために、とことんやってくれるわねぇ。ま、そこまで第五位に価値力を見出してくれているっていう事なんでしょうけど。怠惰な小人さん、あなたの見立てではどうかしらぁ? 敵はすぐに来ると思う?」

「思う。操祈ちゃんの記憶に対する疑心の核に触れちゃったんだからねぇ〜。ちょっと思考を加速させるから、わたち反応がズレちゃうからよろしくなのらぁ〜」

「え? 今──な────ん──────て」

 

 間延びしていく食蜂の声を聞き流しながら、無数に分割、並列された思考を連続する今にコーラは差し込んでゆく。一分を分割し、一秒を分割し、連続するアニメーションのコマを眺めるように今を見つめる。パラパラ漫画のページを一枚抜き出して世界を見渡し、加速する思考に悲鳴を上げて、コーラの鼻から一筋の鼻血が垂れ、それを雑にコーラは拭う。

 

「…… 諤?縺(ダッリィ)ッ」

 

 体が追い付かなかろうと、思考だけなら誰であろうと追い付ける『思考の魔王』からの心の底からの呟きを受け、メイヴィスは大きく舌を打ち、コーラから数歩足を遠去けた。己が世界で、身一つが完全な領域。コーラ=マープルの目が、ゆっくりと波打つ磁気制御モニターの映像を捉える。磁力によって塗り変わる世界を見つめながら、世界に割り込もうとする新たな影に向けて逸早く指を向けた。

 

「早速、来たわねぇ!!」

「うん、ちょっと規格外だよね。想像とはちょっと違ったなぁ〜。映像の流れを追うだけでもそれに沿った輪郭で大きさは有る程度予測できるけれど、お相撲ちゃんみたい? って言うのは力士に失礼過ぎるかなぁ〜」

「ちょっとぉ、何を言って」

「膝に掛かる負担は相当だろうによく動けるねぇ〜、サポーターも付けてるようには見えないしぃ〜、あぁ、うん、まぁいいやぁ。取り敢えず背後だよ操祈ちゃん。にしても第一声がそれでいいのぉ〜? ふざけた子だねぇ〜、わたちが気にする事でもないけど、『ばぁ』だってぇ」

 

 コーラと食蜂の会話がまるで噛み合わず、独り言のように言葉だけを吐き続け、一歩たりとも動こうとしない。頭を本気で回し始めたコーラの相手をする気など微塵もないと言うようにメイヴィスは怠惰な小人に目さえ向けずに、『背後』と言ったコーラの言葉通り身を翻した。

 

 その真逆、食蜂の前方で磁性制御モニターの波打つ映像が寄り集まり、火花を散らすように風景の一部が弾ける。一〇メートルもない位置で、肉の塊にしか見えない巨大な影が浮かび上がり、戯けるように既に動かしていた口をそのまま開く。

 

「ばぁっ……ってなによあなた」

 

 言葉の先を掠め取る小さな少女へと現れた影の瞳が動くが、コーラは意に介していないように仰向けに寝たまま動かない。不可解により一瞬の静止。それは隙だ。ハンドバッグに手を突っ込んでいた食蜂は、指先の感触だけで慣れたようにバッグに詰まっているリモコンを選別し、必要なものを抜き放ち肉の塊へと向ける。その結果を逸早く見つめ、コーラはメイヴィスへと目を流した。

 

「あぁ、うん、出番だよおばさん。フェロモン振り撒くだけが能じゃないでしょぉ〜」

「オメー後で絶対泣かす」

「効かないよん☆……て言うかぁ、なんで気付いたのかしらぁ?」

「兵隊じゃぁなくて友達だよぉ〜」

「変な兵隊連れて……気味悪いわねぇ。えぇ?」

 

 背後から声が広がり、その残響が消え去らぬうちに先に身を翻していたメイヴィスを追って、少し遅れて食蜂が続く。最初前方に現れたのは映像。声も確かに前方の影から齎されたが、それは磁気制御モニターの粉末を震わせての擬似音声でしかない。寝転がったままの少女と、上半身下着一枚の美女、理解が追いつかないと少し慌てている食蜂を見比べて、現れたのは肉の塊は強く目を顰める。

 

 常盤台の制服を着込んだ三〇〇キロは体重のありそうな敵の登場に、食蜂は思わず目を瞬く。異形とさえ言えそうな風貌にあって、着込んでいるのは常盤台の制服。もしも本当に常盤台生なのだとしたなら、見たら忘れるはずもない姿形に強く食蜂は眉を波打った。

 

「……あなた、本当に中学生?」

「うふふ、そいつはお互い様ではないのかしらあ?」

 

 先程から繰り返し零される食蜂の喋り方に似た甘ったるい喋り方に、食蜂の全身に悪寒が走る。それが模倣から来る不快さなのか、ただ見た目から来る不快さなのか。数歩足を下げ、再びリモコンを向ける食蜂を目に、小馬鹿にするように肉の塊は肩を竦めた。

 

「だから、効かないって言っているのに、効くと思っていたら、わざわざ自分から顔を出すはずがないでしょう?」

「おばさん」

「オメーマジでそれどうにかしろッ」

 

 コーラが手を伸ばし、食蜂のスカートの端を摘み軽く引っ張るのに合わせてブゥンと奇怪な音が響く。ブラウン管テレビのスイッチを入れたような古めかしい音に続き、食蜂達の右腕や肩に掛け、体が部分的に黒い斑点模様に塗り潰された。それを追うように新たな低い唸るような音が続く。機械とは違う、生物的な音。大量の虫の羽音が。

 

 スズメバチ。

 

 刺害による人の死亡例が、熊害や毒蛇の咬害によるそれを上回る程の攻撃性と危険性を有する昆虫の群れ。黒と黄色の霞に見える程に寄り集まった昆虫の群れが食蜂達の黒い斑点模様を目指して躍動し飛来する。

 

「知ってる? えふっ、ごふっ、スズメバチは黒いものに集まるっていうのは子供でも分かる豆知識だよねえ?」

「こいつ……!!」

「そして『心理掌握(メンタルアウト)』は人間専用。軍用犬だの虫の群れだのには通用しない。だよねえ?」

 

 食蜂操祈には手も足も出せない蜂の群れ。女王蜂を蜂で殺す。笑い状況を説明してくれる肉塊の言葉に頷くように、メイヴィスは蜂の群れに向けて歩き出した。ショッピングでも楽しんでいるかのように軽い足取りで手を、指を、蜂の大群に向けて差し伸ばす。

 

「操祈ちゃん下がってぇ〜、そこじゃぁメイヴィスに巻き込まれるよぉ〜、て言うよりもあたちを早急に引っ張っておくれ。いやちょっと本気で」

「な、なんなのよぉッ! いやそれよりもッ」

 

 連れて来ている『派閥』の能力者を使った方が早い。コーラを引き摺りながら、そう動こうとする食蜂に必要ないと言うように気軽に手を振るうメイヴィスの体が昆虫の群れに飲み込まれて見えなくなる。出そうになる悲鳴を飲み込み、命令を飛ばそうと動く食蜂の前で蜂の群れの中から伸びる一本の腕。刺された気配は微塵もなく、伸ばされた腕と手の指先に一匹の蜂が立ち止まり、しばらくして大地に落ち転がった。酔っぱらったように足と首を身動いで。

 

「知ってるゥ? 蜂ってのはなぁ、女王物質と呼ばれるフェロモンによって階級社会の形成と維持をしてんだよ。うちは世界誰しもの恋人だぜ? 虫や獣の方が素直で可愛げあるじゃなァい? うちを前に身を震わせて可愛いったらねえぜ。なァ? わざわざうちに武器をくれるなんて親切なお嬢様だ」

「ッ⁉︎ 面倒な能力者連れてるわねえ! それで弱点を補ったつもりい?」

「能力者? いやいやまさか。特化したバグ技しか使えねえうちらに異能なんて期待すんなよなァ。知りたいなら教えてやるぜ? 骨の髄までなァ。踊ろうじゃないかMy darling」

 

 新たに指先に止まったスズメバチに口付けし、集合フェロモンを張り付けて肉塊に向かってスズメバチを解き放つ。それを追いスズメバチの群れの波に肌を撫ぜられ前に手を泳がせる肉塊の指先を、深い笑みを携えたメイヴィスの指が絡めとる。途端。メイヴィスの口端が一気に下に滑り落ちる。

 

「オメーマジかッ! うっわ! 一気にテンション下がった! やだやだあーあッ! いつまで手を握ってやがる! くそが! あーあーやべえ鳥肌がやべえ……。あんなのと肌を重ねちまった! もうやる気しないじゃなァい。はぁ……冷めたわぁ……」

「は、はぁ?」

 

 繋いでいた手を振り解き、汚いものでも拭うかのように大袈裟に手を振ってとぼとぼと身を翻して食蜂とコーラの隣まで歩くと、コーラと同じように深いため息を吐きながらメイヴィスはその場に不機嫌に寝転がってしまう。急な態度の変容に肉塊も食蜂も目を瞬き、背をつつくコーラの手を乱暴にメイヴィスは振り払う。

 

「なんなのかしらあ?」

「うっせ! うちに話し掛けんな! あーあ、あーあーあーあーッ! もううちダメだわぁ」

 

 不貞腐れたように手をひらひら動かすメイヴィスに呆気に取られてしまうが、相手が止まったならこれ幸にと肉塊が再び動き出す。飛んで行ってしまったスズメバチに続き、ざざささざッ! と細かな足音と共に食蜂達の体を這い回り現れる新たな虫の群れ。

 

「いや、これはそういう風に描かれたペイント……っ!?」

「……ご明察う。でも、世の中には分かっていても回避のしようがない、原始的な恐怖ってものがある。まあ、禁断症状系の幻覚の証言を参考にすれば、全世界全人類共通の『恐怖の雛形』っていうものを分析できるんだけどねえ」

 

 実態のない虫の群れ。フェロモンも何も通じないそれに興味をなくしたかのようにメイヴィスは動かず、コーラも同じように微動だにしない。ただ一人食蜂は嫌悪に顔を歪め、狙う相手が嵌るのならばそれでいいと、寝転がる二人は放っておき、肉の塊が奇妙に揺れ動くと、その膨らんだ腹に巨大な瞳を浮き上がらせる。その視線に射抜かれて、食蜂の横隔膜が引き攣った。呼吸が勝手に止まり掛ける。

 

「ぁ……かァ……っ!?」

「女の子ならみんな大好き、星占いでお馴染みのギリシャ神話に、メデューサっていうのがいるじゃない。ほら、石化の瞳で有名な蛇の女怪の。だけど、実はあれ、元々は不思議な力を持った眼球の話じゃなかったみたいなのよね。神様の呪いを浴びた元美人のメデューサさんは、見るも恐ろしい顔に豹変したんだって。その顔を見た者は恐怖のあまり石のように固まったという。……これじゃあつまらないから、石になる瞳の話へ変化していったのね」

 

 視覚から相手を穿つ奇怪な技。邪眼にも似た悪意の塊。その何万分の一であろうが、『恐怖の雛形』の眼光に食蜂の呼吸が締め付けられる。寝転がり直前で目を閉じた怠惰な少女と、目も向けないやる気の失せた美女には効果もないが、目にしてしまった食蜂操祈は別だ。

 

「……ぜっ、ひゅ……っ!?」

「くふふ、はははは!! やっと私と同じような言葉遣いになってきたわねえ、蜂のお嬢さん?」

「あ、ちょっと待っ」

 

 笑う肉塊に続き、コーラが何か言い終わらぬうちにズドンッ! という轟音がその場に落ちる。一帯を巻き込んで迸る衝撃。体中を這うような稲妻の痛みに歯を食い縛って食蜂とコーラは身悶え、メイヴィスも無駄に艶かしく悶える。電気の衝撃に磁性制御モニターの粉末が大地に落ち、虫と目玉の映像が断ち切れた。

 

「ぎゃう!? くっ、ふふ。でもこれで一人目……」

 

 小刻みに体を震わせながら、肉塊が言葉を紡ぐのに合わせ、能力が飛んで来た先、『派閥』に属する能力者が潜む一画がピンク色の蛍光色に着色された。場所を把握し戯ける声に、生命の痺れを受け取り悶えていたメイヴィスは再び大きく肩を落とし、殺す気もない能力の一撃でコーラはぐったりと地に大の字に転がる。

 

「確か、食蜂操祈が一度に精密操作できる人間の限界は一四人程度。おそらく、侍らせている駒は全部強大な能力者でしょう? さあて、後はどこに隠れているのかしら。手足を全て失えば、後は頭しか残らない。全部であと何人? 場所さえ分かれば潰しに行ける。傍若無人に人を操る第五位だけど、操った人間が死ぬところまでは耐えられないでしょう……。さあさ、あなたはいつまで駒を持ち続けていられるかしらあ?」

「……っ!!」

「あらあ。指示を出して一斉に退かせたって顔をしているわねえ。それならそれで、私としても手間が省けるというものなんだけど。少し驚いたけれど、その残った役に立たなそうな駒二つでどうにかできるう? どっちももうグロッキーじゃない」

「あなたたちッ」

 

 寝転がる二人に何しに来たんだと言いたいが、ここまで力を貸してくれたのも確か。出そうになる悪態を飲み込み、『逃げろ』とリモコンを差し向けて二人にボタンを押し込むが、メイヴィスが僅かに身動ぐだけで動かず、肉塊に止まるよう命令を飛ばすが、「だから効かないよん」と馬鹿にしたような言葉を吐かれるだけで通じない。能力の効かない三者に歯噛みし、食蜂の頭の中を疑問が巡る。

 

 相手の正体がさっぱり分からない。不可解なのはコーラもメイヴィスもそうであるが、それ以上に肉塊の正体が掴めない。『心理掌握(メンタルアウト)』を出し抜ける相手など早々おらず、それが途端に幾つも顔を出している。食蜂の網に掛かることなく。それも肉塊は食蜂操祈のパーソナルな過去や能力の穴さえも知っている。

 

「……あなたは、どこかで私と関わっているのかしらぁ……?」

「ふふふははっ!! げほっ、ごほっ、当たり前でしょう。ぐふふ、そうでなければあなたを恨む理由なんて生まれないんだからあ!!」

「でも、私はあなたなんて見た事もない。あなたなんて知らないわぁ」

「どぅふふ!! それもまた、当たり前でしょう。出会っていれば、我慢できずにもっと早く私はあなたを殺していたでしょうしい」

 

 お互い顔を合わせた事もないであろうに、それでいて確かに食蜂操祈に向けられる憎しみがある。食蜂操祈を潰す為に用意周到に準備された数々の罠。相手の真意が分からぬ行いに、食蜂操祈は思考を巡らせ結論付ける。

 

「あなた、本気で狂っているわぁ」

「ぎィやははははははははははッ! それこそっ、それこそよお蜂のお嬢さん! 私みたいなのが、私達みたいに平気で人の心を操る連中がっ!! まともな人の心を保っているなんて誰が証明できるのかしらあ!?」

「はぁ……はぁあぁあぁあぁ……」

 

 続けられる不毛な問答を、大きく深い『情熱の魔王』のため息が飲み込んだ。肉塊はどうだっていいが、一人熱を上げる食蜂操祈の熱に誘われるかのようにゆっくりとメイヴィスは体を起こし、体に付いた埃を払う。リモコンを強く握り締める食蜂にメイヴィスは顔を向け、亜麻色の髪をガシガシ雑に掻くとその力の張った肩を優しく叩く。

 

「お姫様、もう放っとこうぜアレ。アレじゃあ話にならないじゃなァい? 熱を受け止めてもくれず、熱も受け取れないアレに気を割くなんて馬鹿らしいや」

「なっ、ちょ、あなたねぇ‼︎」

「なに仲間割れえ? どぅふ、どぅふふ! なんであなたここにいるのよお! そんな駒連れて来てえ! 蜂のお嬢さんも落ちたわねえ!」

 

 嘲る肉塊の笑い声に苛立たし気にメイヴィスは舌を打ち、「そりゃオメーだ」と素っ気なく返す。一度触れ合った指先を擦り合わせ、その感触を思い出しながら娼婦は今一度大きなため息を吐いた。

 

「だってオメーそれ人間じゃねえじゃん」

「……………………は?」

 

 間抜けに口を開けた食蜂操祈に笑い掛け、メイヴィスは動きを止めた肉塊の前で人差し指を左右に振るう。チチチチッ、と舌打ちを交えながら。

 

「そりゃお姫様の能力も効かねえよ。うちがどれだけの人数と肌を重ねたと思ってやがる。肌を重ねれば相手の事ぐらい嫌でも分かる。分かっちまう。人工的な肉に脂肪かァ? つまんね。それと遊ぶとか自慰と一緒だっつうの。冷めるわー。もう帰ろうぜ?」

 

 人の相手なら幾らでもするが、機械の相手など御免被る。メイヴィスの冷め切った顔と肉塊を食蜂は交互に見つめて眉を潜める。一見異様でも人間にしか見えない肉塊へ動きを止めて、強く強く舌を打つ。サプライズを潰された子供のように。

 

「ああそ」

「ッ」

 

 諦めたように零された冷たい声を聞き、手を上へと上げたコーラと食蜂を引っ掴み、メイヴィスは勢いよく大地の上を転がる。元いた位置を舐め取るように動く畝る影。肉塊の伸ばした手の内から、肉を引き裂き伸びた機械の触腕の気味悪さに、大きくメイヴィスは舌を打った。表面が無数の吸盤で埋め尽くされたクリーム色をした触腕。関節のない軟体性の機械の腕。その表面に刻まれた文字を見つめ、食蜂は大きく目を見開く。

 

 Five_Over(Out_Sider). 

 Modelcase_MENTAL_OUT.

 

「ハイハイ正解。デザイナーズゲル。……人工的に再デザインされた脂肪の事を言うの。今まで私の指示に従って『墨』を吐いていたのもこの子なのよお?」

 

 肉塊の少女からズルズルと。クリーム色をした巨大な蛸のような無数の触腕を持つ人工物が這い出て来る。それを目に、これまで死んでいた目を輝かせてメイヴィスは機械の方ではなく、残された肉塊の方へと目を向けた。膨れ上がった体は萎み、残されたのは食蜂操祈と瓜二つの姿をした少女。

 

 その顔が、姿が、どろりと溶けたように滴り落ち崩れる。ぼとり、ぼとり、と生々しく重たい音を垂らして。

 

「っ!! あなたはっ、一体、どこの誰なのよぉ!?」

「……まだ分からない?」

 

 少女の呟きと共に滴り落ちる肉の動きが止まり、一瞬にして弾け飛ぶ。肉の鎧を脱ぎ去った少女が立っていた。綿菓子のようなチョコレート色の髪を振り、美しい足回りをくねらせる少女。食蜂操祈の姿を脱ぎ去った後に残された、食蜂操祈とは似ても似つかない少女の登場に、食蜂操祈は強く眉間に皺を寄せる。目にした違いよりも、言いようのない近しい何かに気付いてしまったが為に。

 

「あなたは、近い……どうしようもなく、近い」

「それはそうよお、私の能力は、『心理穿孔(メンタルスティンガー)』。今は強能力(レベル3)止まりだけど、本来だったら超能力(レベル5)まで育つはずだったんだから」

「え……?」

「『素養格付(パラメータリスト)』っていう秘密のファイルがあるの。研究のため、利害のため、人類の発展のため、大人の事情のため、誰を育てて誰を切り離すかを記した、えこひいきに使う内部資料。知っているかしら」

 

 その言葉に、食蜂操祈は察する。恨みの矛先が己に向いたその理由を。

 

「私はね、蜜蟻愛愉(みつありあゆ)。蜂になれなかった蟻。そして、あなたを育てるために時間割り(えだ)から切り捨てられた、もう一人の精神系(きのみ)の頂点だったのよお?」

「ヒューッ‼︎ こんな果実が隠れてたなんてとんだサプライズだぜェ‼︎ 前言撤回! 前言撤回! これは手に汗握る展開じゃんね! エンジン回すぜェ! 蟻のお姫様。今宵はうちと踊らなァい? 一夜の火遊びも悪くはねえよん?」

 

 手を出そうとも思えず、手を出せない抱えていたコーラ=マープルと食蜂操祈を大地にほっぽり捨て、グッとガッツポーズを掲げた後に優雅にお辞儀をして投げキッスを放つメイヴィスに色々と台無しにされ、額に青筋を浮かべた蜜蟻が指を弾き、べシリッ! と。ファイブオーバーOSの触腕に弾かれ、足元で燻っていたコーラを巻き込んで、メイヴィスはゴロゴロと人造湖に向けて転がった。

 

 

 

 

 


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