十一月某日の、とある学生寮の一室。
学生寮の一室とは言え、大きさはそう小さくもない。三つの部屋をぶち抜いて、一つの部屋に改装している。学生寮の使い方として規約に引っ掛かりそうであるが、そこは暗部の力の見せ所。時の鐘、学園都市支部の客間兼、執務室兼、事務室兼、リビングの中、椅子に座る影が二つ。電源の入った一台のパソコンを背にしながら、長時間座っても疲れないらしい学園都市制の椅子の上で胡座を掻き座るマリアン=スリンゲナイヤーは、なんとも疲労感のようなものが見える空気を背負った科学者に目を向ける。
「法水は?」
「円周君と釣鐘君と特訓だ。円周君の狙撃をメインに見るとは言っていたが、人の少ないだろう場所を釣鐘君が探すと言っていたあたり、今日も近江さんと白井君の特訓にお邪魔でもする気なんだろう」
「武術家や肉体を用いての技術の実践派はよくもまあ飽きないもんだね。一日のうちどれだけ動けば気が済むんだか、私だったらごめんだよ」
「気が合うね、私もだ」
『私もかなー、とミサカは同意』
物を作り上げる技術屋三人以外部屋には今誰もいない。実態のない幽霊のような少女を見つめてマリアンは鼻を鳴らし、小さく笑いながら
『そう邪険にしないでよ魔術師。君が来てくれて此方としては助かった。法水君の武器を作り上げるにはどうにも、今ある技術だけでは難しそうだったからね、とミサカは感激』
「よく言うよ。『
「武具製作に精通していると聞いた君なら分かるはずだ。その武器ではもう法水君には見合わない」
ため息と共に木山はそう零しながら、居間の机の上に広げられた図面に目を落とした。形にして作り上げたのが、経ったの二ヶ月程前だというのに、
「実戦が一番の経験になるとは聞くが、あれだけ修羅場を潜っていれば当然とも言えそうだがな。無論、『
『それに相手にする者の差もあるね。これまでは暗部やただの魔術師が多かったのに、近頃は一級を超えた魔術師や馬鹿げた技術屋に
「それはアンタ達が気付いていなかっただけでしょ。自分の怠慢を他人のせいにして欲しくはないよね」
見えない境界線で世界は分けられているだけだ。『資格』とでも言えばいいのか、目には見えないが、知覚できる領域は漠然と分けられている。強者は強者に気付くが、弱者は強者に気付けないとでも言うか、能力、魔術、技術の差故に、これまで知らなかった存在が居座る領域に、能力、魔術、技量が追いついたからこそ気付けるようになっただけ。ただ知識があるだけでは意味がない。持ちうるものをより上手く使えるようになってこそそういった領域には近付ける。
「上にいる者からすれば、気にしなくてもよかった存在が、気にしなくちゃいけない存在に変わっただけでしょ。爪を隠してた連中が、爪を出さなければならないような状況に変わったからとも言えるけどさ、上条当麻も法水孫市も毎回それに逃げず突っ込んで行って挙句生き残っちゃうもんだから、そりゃあ悪目立ちするよ」
「私としては法水君達にはあまり無茶をして欲しくはないのだけどね。困った事に言って聞くような子達ではない」
『あっはっは! 木山印の技術なんて言って君の理論を形にするような者達だからね。科学者としては嬉しくても教師としてはという矛盾かな? そんな君だから彼らも慕っているんだろうけど、なんにせよ、技術屋として言わせて貰えば法水君は技術屋泣かせだ。彼の注文を形にする事程面倒な事はない、とミサカは爆笑』
大変と言いながら笑う電波少女を前にマリアンも木山も肩を落とした。ある意味その通り。各々の技術をもっと詰め込んでもいいものであったならば、ただ強力な兵器なら孫市の注文よりも簡単に作る事ができる。神々の伝承を元にした武器や、機械的な兵器であるならば、ただ孫市はそれを良しとはしない。
『彼は自分が振るう力で自分以外の力が加わる事を嫌うからね。
「言っておくけど『
今いる世界に決まった法則があるように、人という個人の狭い世界の中に、人は誰しも各々の理屈、法則を持っている。生きるとはそれを磨く事でもあるが、既に一定以上それを磨き上げ形にしてしまっている者達は強く、それでいて面倒だ。
その理屈に沿っている間は折れず曲がらず強力だが、一度逸れれば途端に脆い。マリアンが孫市の前で一般人の命を盾に取った時に、引き金から指を放したのはこれにあたる。理屈がある故に強力で、理屈がある故に脆弱。既に己で決めてしまったルールを変えることが不可能であるなら、強みを奪うような手は悪手だ。
『『
「私だってよくは知らないよ。それこそベルシかオティヌスにでも聞くんだね。ベルシが言うには太古から変わらない『理屈』を持ってる存在みたいな事言ってたけど、法水はそんな歳取ってないでしょ? 私としては同盟の約束さえ守ってくれるならなんだっていいし」
(ふーん、『木原』みたいなものなのかな? 『
なんであろうが
悪巧みをしながら『まあそれはそれとして』と
「これはまた……」
木山は図面を見つめると目を細めて軽く顎を撫ぜる。映し出された新たな狙撃銃の構想案。それは銃の形をしてはいなかった。アメーバのように不定形だが、その中心となるものは銃の形をしてはいる。銃のようなものを基点に、広がる不定形の金属の水溜り。それを見つめるマリアンと木山の鼓膜を
『形を力で崩されてしまうなら、そもそも形を取らなければいいとね。不定形の金属からクロスボウをマリアン君は作り上げたと聞いているよ。形状記憶合金のようなものに近い。ナノマシンのようなものを使うとなれば、法水君はいい顔をしないだろう。だから、波を手繰れる法水君に合わせて、一定の波を受けると形が変化するようにしてしまえば、法水君も納得するはずだ。科学だけでは難しくても、魔術も駆使すれば不可能ではないと思っている、とミサカは思案』
「ふむ……」
小さく頷き木山は隣に座るマリアンの顔を一瞥してから、
「悪くはないだろうが、それは一定の波の形を受ければ、法水君の意思とは無関係に形を失うと言うことでもある。それでは武器以前に物として不完全だ。必要な時に必要なパフォーマンスを発揮できないようではね。決して崩れない狙撃銃というのは魅力的かもしれないが」
『じゃあ何か考えがあるの? とミサカは質問』
「形状記憶液体合金とでも言えばいいかな? その作成が可能かは別として、基点となる物はそのままで狙撃銃として使える方が良いだろう。液体金属の部分は言ってしまえばアタッチメントのような役割だけにした方がいいと思うがね」
『でも液体部分が多い方が持ち運びも簡単だよ? 『
ある程度元の狙撃銃の形を残すのか否か。どちらにもメリットがありデメリットがある。技術者としてはそれを作るとなればどちらであっても形にしてみせる気概が
「一定の波形で形が変わるのはいいけどさ、それに意思が加われば他人の力で勝手に形が変わるのを防げるんじゃない?」
「……どういうことかな?」
「心ないものの力を借りるのを法水は嫌うけど、意思ある相手は別でしょ? 意思ある武器にしちゃえばいいじゃん。それも法水が認めてる相手なら拒む理由もないはずだし、意思ある武器なら、狙撃銃だけじゃなくて他の形態も取れるようになるし悪くはないはずだよ」
意思のある武器。生きている武器。それは理想の一つではあるが、魔術師が言っていると思えばこそ、何か禍々しい技術が含まれているのではないかと木山の眉間にシワが刻まれる。何よりマリアンには人間を家具にしている前科がある。マリアンが言うだけに意思ある武器の作成も可能であるだろうと予測でき、ただマリアンだからこそ、その素材となるものが何であるのか欲しくはない予想が浮かぶ。
木山が何を考えているのか分かったのか、マリアンは大きなため息を吐き出し、自分の胸元を指で小突いた。「法水がいつも持ってるでしょ」と言葉を足しながら。
『
「ただできるのかな? ライト君達は完全に科学寄りの存在だろう? 魔術師の技術を用いて何か副作用のようなものが出るのではないかな? そうなっては元も子もない」
「
頬杖をつきながら薄く笑うマリアンにつられて、木山春生も
「そこまで言われてはこれを原案に進めたいとは思うが、問題はまだある。これに対してのストッパーだ。いざという時の対抗策は必要だよ。それが製作者にとっての責任でもある。『
時の鐘の持つ武器は、使おうと思えば誰もが使える武器だからだ。その狙撃銃を握れば誰もが狙撃銃として使う事ができてしまう。異常な狙撃を可能としているのは本人達の積み重ねた技量であって、狙撃銃自体はいつも素材自体が特別でも、性能が良いだけで特殊な能力が付与されていたりする訳ではない。非特別こそが対抗策を難しいものにしてしまう。
『今回は
「前と同じ?」
マリアンの言葉に
もしも決戦用狙撃銃を手に持った者が反旗を翻した時の為に、同等の性能を誇る決戦用狙撃銃がもう一丁存在した。アルプスシリーズが幾つか存在したのもこれと同じ理由。人を選び武器を渡す。その全員が一斉に足並み揃えて牙を向く事はないと信じるが故。
アバランチシリーズをオーバード=シェリーと法水孫市に、先代の時の鐘総隊長が与えたのも、片方が裏切る事があったとしても片方は絶対に裏切らないと信じたからこそ。アルプスシリーズもこれと同じ。だからこそ今回も、絶対に裏切らないと信じる者に同様の性能を誇る武器を預ければ、いざという時のストッパーになり得る。
『まあ『
そう言って即座に
『前までなら時の鐘の総隊長に任せたけど、魔神騒動ではっきりした。法水君が裏切らず、『
「つまりはいざという時、馬鹿野郎を問答無用でぶん殴れる者でないと駄目なわけだね。私としても幾らか候補がいるにはいるが、魔術師やある程度自分の力だけで対抗できる者を除いて、私達と関係のある者で法水君相手となると一人しかいないんじゃないかな?」
「あー……あの子?」
指輪を作れ‼︎ と詰め寄って来る孫市の姿を思い出しながら、それを贈る相手だろう少女をマリアンは思い浮かべる。魔神騒動の時も、わざわざ東京からデンマークまで駆け付け立ちはだかった少女。孫市に近しいが、誰より孫市の天敵でもある小さな正義の味方。白井黒子。今も技術を積み上げ磨いている少女以外にあり得ない。
『お姉様も悪くはないけど、武器の意思を
「少なくとも白井君なら必要な時以外に無闇矢鱈と武器を振るう事はないと信じられる。
「超能力と技術のハイブリットね。でもこの新しい狙撃銃は法水用に完全に設える物でしょ? 法水独自の知覚に合わせた物。同じ物もう一つ作ったって、法水以上に使いこなせるとは思えないけど」
『同様の性能を誇る白井君専用の武具を作ればいいさ。そこはアルプスシリーズから引き継ごう。白井君に限って言えば、『
そう言って
「ただ丈夫にするだけでは意味がない。例えばそう、法水君の共感覚性振動覚とも言える感覚を、白井君の服に代用させるようにできればいいだろう。法水君だけが見る感覚の世界こそが鬼門だ。白井君も
「女性の服に関しては神話や伝承の中に幾つかモデルにできそうなのはあるよ。日本の羽衣伝説とか、白鳥処女説話。竹取物語の火鼠の衣。アイルランド民話、人魚が被る潜水を可能とする魔法の帽子コホリン=ドリュー。北欧神話、フレイヤの持つ鷹の衣。ギリシア神話、アプロディーテーの魔法の宝帯、アレースの黄金の帯。衣服以外でもいいなら、シャルルマーニュ伝説のアンジェリカの指輪とか、アトロポスの鋏とかね」
『多過ぎてこっちでは何とも言えないよ。それはそっちの専門だから任せちゃうけれど、とミサカは丸投』
「本当にいいの? ふーん、なら法水への当て付けに神の傑作である完璧な獣をモチーフにしちゃおっかな。猪突猛進はあいつらの望むところだろうし、法水がそうであるなら、意外とぴたりと当て嵌まるかもしれないしね。だいたいアレは悪魔じゃないし、うん」
ぶつぶつと一人言葉を並べて、マリアンは一人思考の海に埋没する。最強の被造物と対をなす者。杉のような尾と銅管や鉄の棒のような骨を持つ草食の獣。有機的な鉄杭の図面を引きながら、純白の衣装を思い浮かべる。その横で、木山春生も頭を抱えながら、星の胎動に耐えうる為の戦衣装を図面に引く。最強の被造物と最高の被造物。その行き着く先が何であろうとも、きっと悪いことにはならないはずだと信じて。
「……世界の終末でも来たら死ぬまで戦わせる気か? 二頭一対だか、三頭一対だかは知らないが、餌にでもなったら目も当てられないぞ」
時の鐘学園都市支部の部屋に繋がる上条当麻の部屋のドアの隙間からひょっこりとオティヌスは顔を出し、盗み聞いていた話と、初春用に新たな黒金の怪鳥の図面を引く
外見以上に危険なのは感情だ。どんな武器を設えたところで、変わらぬ感情こそが孫市達の行く末を決める。感情の根底に潜む悪魔の名を持つ本能を抱えた者達が、世界のズレの割れ目から湧き出したように出て来たおかげで、風が吹けば桶屋が儲かるかのように大きなズレを呼んでいる。
感情が、本能が欲する外殻が形作られてゆくのは、誰の中にも潜む同じ感情が刺激されているが故なのか。そうであるとすればとんだ茶番だ。技術によって形作られる『最強と最高」の形。その行く末を一人見守り、何を告げる事もなく、オティヌスは部屋の中へと伸ばしていた首を引っ込めた。
この世界に生きると己も決めたからこそ、オティヌスはただ静かに見守るだけだ。
ここまで読んでいただきありがとうございます。次回はサンジェルマン篇です。