時の鐘   作:生崎

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サンジェルマン ②

 十二月一日。十二月になれば、特大のイベントが一つ控えている。

 

 Christmas(クリスマス).

 

 毎年十二月二十五日に祝われる、一部の教派が行うイエス・キリストの降誕祭。とは言えそんなの殆どの人には関係ない。イエス・キリストがどうした。教会でお祈りなんて日本人でする者はそういない。宗派も関係なくサンタクロースからのプレゼントを待ち侘びる良い子達と、恋人達が燃え上がる性なる夜……ではなく聖なる夜。百貨店もデパートもその日を目指して一足早くクリスマス商戦に大忙しだ。

 

 街路樹はLEDに化粧され、商品の前に掲げられたポップにはトナカイやサンタクロースが添えられている。学園都市の街にもミニスカサンタクロースの衣装を纏った者達が到来し、科学の都も幻想色に染められる。それでいいのか学園都市ッ……勿論それでいいと誰もが頷く。

 

 来たる聖なる夜に備えて、加速的にクリスマス色を覗かせる学園都市の街を、御坂美琴(みさかみこと)は歩いていた。第三次世界大戦、『グレムリン』の魔神騒動。慌ただしいを天元突破していた今年のクリスマスがどうなってしまうのか、大きな悲劇があったが為に、その反動でクリスマスのお祭り騒ぎは今年は一層喧しそうだと、今から少し気疲れしてしまう。この世はプラスマイナスゼロなのだ。そうあるべきだと待ち受ける幸運への期待が重い。

 

(クリスマスかあ。ま、私達には関係のない話か……)

 

 とは言えお嬢様学校で有名であり、不純異性交遊の禁止等、暗黙の了解であろう学校の規則が暗黙の了解ではないくらいにガチガチに厳しい常盤台のお嬢様達にとってはあまり関係のない話。クリスマスでも学生寮の帰宅時間が変わるはずもなく、外出禁止令が敷かれるのは最早決まっているようなもの。ただそれに素直に従うという選択肢は取り敢えず放っておき、クリスマスはどう過ごそうかと頭を回し、脳裏を過ぎるツンツン頭の男子高校生の影に一人御坂が唸っていると、

 

「あらぁ。何かと思えば御坂さんじゃなぁーい?」

 

 聞き慣れた口調を耳にして、御坂美琴は動きを止める。御坂に声を掛けてきたのは、眼鏡を掛け、黒髪を後ろで束ねたミニスカサンタ。十中八九食蜂操祈(しょくほうみさき)に操られている誰かさんである。見なかった事にして立ち去ろうと御坂は足を動かすのだが、今日に限って食蜂もしつこく離れない。食蜂の気安い言葉に牙を向く御坂の前で、ミニスカサンタは顎に人差し指を押し付けると、妖しい笑みを顔に貼り付けた。

 

「私としても苦渋の決断なんだけどねぇ、今日は御坂さんに相談があって来たのよぉ」

「何で私が……」

「ほら、もうすぐクリスマスじゃない? 私は第五位であなたは第三位。でも結局、常盤台の外出禁止令の前にはどうにもならなかったでしょう? ぶっちゃけうちの先生方の防衛力って並大抵のものじゃないと思う訳ぇ」

 

 差し迫るクリスマス当日の、差し迫る難題。どうしようもなく立ちはだかる問題事を耳にして、御坂は足がぴたりと止まる。

 

「……そりゃ寮監達の防衛ルーチンがそのまんま最高警備の少年院から参考にされるくらいのものだもん。太刀打ちなんてできないでしょ……今年は特にね」

 

 ただでさえ超能力者(レベル5)も関係なく制圧万歳と拳を握る寮監に加えて、体育の授業の際に、これを待っていたと言わんばかりに能力者を千切っては投げしている教師二人。今年は番犬一匹どころか、控えているのは地獄の番犬(ケルベロス)だ。最高警備の少年院に参考にされている防衛ルーチンどころか、世界最高の狙撃手集団のロジックまで相手にしなければならない。最早脱走は戦争に赴くのと変わりなかった。

 

「でもぉ、それってぇ、去年は超能力者(レベル5)が個々バラバラに挑んだのが敗因力だったと考えているのよ。まぁ、私と御坂さんは所属する寮が違うしぃ、それもまた大人達が連携取れないように布陣しているんでしょうけどねぇ」

「……おい」

「そんな訳でぇ、事前協議の上、互いの弱点を補うように能力を使えば鉄壁の防衛網も何とかなりそうなんだゾ? 今年はきっと白井さんも力を貸してくれるだろうしぃ、ちょっとした友達が外から力を貸してくれるしねぇ。予報だと今年はホワイトクリスマスになるって話だしぃ、まさか二年連チャンで先生方の思惑に乗っかって部屋に閉じこもりーなんてつまんなすぎるわよねぇ?」

 

 寮監と『時の鐘(ツィットグロッゲ)』一番隊が二人。それも部隊長に総隊長。だとしても、『時の鐘(ツィットグロッゲ)』の天敵である御坂美琴と白井黒子(しらいくろこ)、数を揃える事では他の追随を許さない食蜂操祈、『電脳娼館』の情報屋が、「ロイ=G=マクリシアンにはクリス=ボスマンをぶつければどうにかなると思うよぉ〜」と既に友人の快適の為に頭を回している。難攻不落の常盤台女子寮の攻略が人知れず進む中、御坂は目をじとらせて食蜂が操るミニスカサンタを見つめた。

 

「アンタ、どうしてそこまでしてクリスマスを満喫したい訳? サラッと出てたけど、その口振りだと去年も挑戦して失敗しているって感じよね」

「ええー……? 別に何でも良くないそんなのぉ? じゃあそういう御坂さんこそ頭の中でどんな天秤が傾いているのかしらぁ」

「ぶふっ!! わっ、私はまだ何にも考えてない!!」

「怪しいわねぇ……」

「そ、そういうアンタこそ、座敷牢に閉じ込められた人を助け出したと思ったら凶悪犯罪者でしたーオチみたいな匂いが漂っているんですけど」

 

 二人の頭の中で過ぎる男子高校生の影は同じ。もしもどこぞの傭兵がここにいたならば、笑顔を浮かべて「その件で俺は力を貸さないと決めている」とでも言いながらさっさとその場を離れているだろう。だからこそ、『最後の最後でこいつ裏切ろう』とお互い心の中で決めながら御坂美琴と食蜂操祈は握手を交わす。

 

 そんな二人に気づく事なく、件のツンツン頭の男子高校生は、通りの角からひょっこりと二人の前に姿を現した。繋いでいた手をそそくさと離すが、上条当麻(かみじょうとうま)はそれに気付かず、とぼとぼと学校へと足を伸ばす。学校に行きたくない訳ではない。出席日数がやばいがそれは関係なく、朝に決まってしまった今日の予定の所為。元気なさげな少年の姿に、また何か面倒なものでも一人で抱え込んでいるのかと心配した御坂が、上条へと歩み寄り声を掛ける。

 

「アンタ、ちょっとどうしたのよ?」

「あうー」

「なっ!? いきなり泣きそうになっている、だと!?」

 

 言語野がイかれてしまったかのような、言葉になっていない泣き声を返され、御坂は僅かに焦った。普段どんな危険にも手ぶらで突貫して行く上条当麻が打ちのめされ、涙目になり項垂れている事など滅多にない。これがもし上条の日常をそこまで深く知らない御坂ではなく、信号機トリオが見ていたとしたら、「スーパーのバーゲン逃したんだろ」とか、「どうせまたいつものやろ? 取り敢えず殴ってもええよね?」とか、「はっはーん、カミやんも隅に置けないにゃー」といった、少年への心配など投げ捨てて上条属性に翻弄された女子を憂うか、上条の貧乏性に呆れて最終的に拳が舞うに決まっているのだが。

 

「い、一体何がそこまでアンタを追い詰めたっていうの……? 大丈夫よ、この美琴お姉さんに相談してみなさい。きっとどこかに出口はあるはずだから」

 

 上条が想うよりも御坂美琴お姉さんは優しい女の子なので、そんな血も涙もないような事は言わない。

 

「聞いてくれる? 御坂さん俺の話を聞いてくれるかい!?」

 

 そんな優しさに絆されて、上条の口からずるずると、一人の少年を打ちのめしている問題が上条の口から這い出てくる。

 

「俺な……この戦いが終わったら、女の子と一緒に学園都市最大の繁華街、第一五学区のさらにてっぺんにあるオシャレデートスポット、ダイヤノイドに出かけるんだ。それがもう今から恐ろしくて恐ろしくて」

 

 全ては朝に身軽な化け物(スフィンクス)と追いかけっこをしていたフィギュアサイズの魔神が、テレビのニュースを目に有名デザイナーが手掛けたドールハウスを欲しがった所為であった。魔神の癖になんとも金の掛かる少女である。隣の傭兵にどうにか似たような物を用意できないかと相談しようと事務所に顔を伸ばしても、「彼は拾い食いをして体調不良だ」と嘘なのか本当なのかも分からない言い訳で木山春生(きやまはるみ)に追い返される始末。地獄への旅路からはもうどうにも逃れられそうになかった。

 

「───あァッッッ‼︎⁉︎」

 

 そんな糞みたいな理由であったが為に、上条当麻に御坂美琴の口から零れた雷が叩きつけられる。

 

「ひい!? 俺だって場違いなのは分かってるよ、でも仕方がねえだろ、行かなきゃいけない理由ができちゃったんだから! ただでさえ縁のない第一五学区に、このクリスマスムード……。冗談抜きに押し潰されるぞ俺‼︎ 全方位世界の全てからな!!!!」

「何よ、これ……。ひょっとしてアレか、饅頭怖い系か……???」

「そんなんじゃないの! ほんとに怖いの!! だって第一五学区の人達とか異次元過ぎる! 絶対みんなギター弾いてバイクに乗れるんだぜ、クラブって何するトコなの!? 同じ日本語使っているけど同じ意味で通じてんのかどうかも自信がないのよォーっ!!」

 

 必要のない恐怖を抱きガタガタ震えた上条は、そのまま出席日数のやばさを思い出したのか、遅刻だけはしないように言うだけ言ってさっさと離れて行ってしまう。王子様の戯言を少し離れたところで盗み聞いていた食蜂操祈は表情を顔から滑り落とし、無表情で御坂美琴の隣に立った。唐変木を聖なる夜に下す為、脱走計画を確固とするかのように再び熱い握手が超能力者(レベル5)の間で交わされる。

 

「……ダイヤノイドっスかー……またこれは面倒な事になりそうっスね」

 

 そんな三人の会話を盗み聞いた感想を口にしながら、釣鐘茶寮(つりがねさりょう)は路地の入り口で壁を背に鼻歌を口遊んでいる木原円周(きはらえんしゅう)に目を向ける。深緑の軍服……ではなく学生服に身を包んでいる二人。学園都市で動くにはその方が良いだろうと判断した法水孫市によって考案され支給された時の鐘学園都市支部の戦闘服。白銀の紐タイを暗闇の中で揺らし光らせて、円周はゲルニカM-003の入った弓袋を背負い直す。

 

「当麻お兄ちゃんがダイヤノイドに行くのは偶然なのかな? それともまた何らかの力でも働いているだけなのかな? 何にしたって、これで事態の中心がどこかはおかげではっきりとしたね茶寮ちゃん」

 

 仕事を終えてからの法水孫市の足取りを、孫市と一緒に居たライトちゃんに聞き、ある程度目指すべき場所を釣鐘と円周は既に絞っている。即ち第十五学区、ダイヤノイド周辺。それが銃撃の現場。そんなところから歩いて帰れば、そりゃ多量出血にもなる。クロシュに看病されているだろう孫市の姿を思い浮かべながら、カツカツとその場で円周は数度足を鳴らした。

 

「孫市お兄ちゃんがどう歩いたのかは分かるけど、撃った相手が分からなかったからね。居場所がある程度分かったなら、それも近いうちに分かるだろうけど」

 

 防犯カメラを避けて歩く孫市の困った癖の所為。孫市以外でその場にいた、折角のライトちゃんの目が役に立たない。おかげで捜査が難航し、夜がすっかり明けてしまった。

 

「孫市お兄ちゃんも当麻お兄ちゃんも事態の中心に引き寄せられる性質みたいなものがあるみたいだし、ダイヤノイドに黒幕がいる可能性は大きいね。ただ問題は黒幕がどんな目的で動いているかなんだけど」

「法水さんも狙われる理由なら幾らでもあるっスからねー。わざわざ時の鐘を使うあたり、法水さんの事よく調べて来てるだろうし、ハム=レントネンとかいう子の思考パターン拾えないっスか?」

「会ったこともない、データもない子の波は流石に拾えないね」

「法水さんも犯人の名前くらい教えてくれればいいのに。ハム=レントネンだと思うっスか?」

 

 釣鐘の顔を一瞥し、円周は大通りへと目を向け直すと小さく息を吐き出した。孫市法水の頬と肩を擦っていた傷。それを思い返しながら、カツカツと再び足をカチ鳴らす。わざわざ孫市が名を出したのだから関わっているのは間違いないが、逸れた銃弾の軌跡が違和感となって決定を阻む。時の鐘の裏切り者を潰して終わり。事態はそう簡単でもない。

 

「茶寮ちゃんはどう思う?」

「法水さんの体に戦闘痕がなかったっスからねー……うん、法水さんがその気なら撃たれても殴ってるっスよ。相手を無事なままにはしないでしょ。円周もそれは分かってると思うっスけどね。でも法水さんが一方的に負けるような相手だとしたら……くひひ」

 

 どんな技量を持った怪物が潜んでいるのか。滾ると口にせずとも恍惚と笑う釣鐘を前に円周は鼻で笑う。もしもそんな相手であったなら、孫市は二人になど任せていない。もっと問答無用で使える手を広げる。そうではないということは、技量以外の問題が潜んでいる。孫市の思考パターンを汲み取っても問題の本質が分からず、黒幕の影さえ掴めない。

 

「くひひ……はぁ〜ぁ、法水さんも近江様も、強いのに甘いのが傷っスよまったく……私に殺られる前に傷を負わないで欲しいっス。技量以外で負けるなんて私は許さない」

「茶寮ちゃんて変わってるよね」

「円周に言われたくないっスね」

 

 顔から笑みを消し、釣鐘は腰に隠した短刀に指を這わせる。それを目にしても動かない円周の姿に、退屈そうに釣鐘は短刀から手を離した。命のやり取りという点において、円周はどうも気迫に欠ける。孫市も近江手裏も、組み手でも釣鐘とやる時は手を抜かない。それは釣鐘に限った話でもなく、同じ世界に生きる相手にはだが、円周は技術を楽しんでいるだけで、結果には大分無頓着だ。それが強さなのか危うさなのか、釣鐘は一度口を舐めると、試すように円周へと言葉を向ける。

 

「ダイヤノイドぶっ壊して崩すっスか? 円周ならやろうと思えば何とかできるでしょ? そっちの方が手早く済むし、簡単っスよ」

「効率だけで言えばそうだよね。積み木崩しみたいに壊しちゃえば中に誰がいてもぺしゃんこだし、無事なら無事でそれを狩ればいいだけだし。でも……うん、それはやめておこっかな。必要のない被害を出すのはいけないって、『時の鐘(ツィットグロッゲ)』ならそう言うんだよね」

「『時の鐘(ツィットグロッゲ)』じゃなくて、今回は好きにやっていいって言われてるじゃないっスか。円周はどうしたいか聞いてるんすけど」

「私は……」

 

 開いていた口を閉じ、円周は一度首から下げている携帯端末へと目を落とす。無数の思考パターンを泳がせる携帯端末をしばらく見つめ、釣鐘と携帯端末の間に目を泳がせる。

 

「鏡でも見せなきゃダメっスか?」

「……ううん、私もダイヤノイドを壊すのはちょっと気が引けるし、本当に辛い事は辛いって言っていいなら……あんまりやりたくないな。『木原』っぽくはないかもしれないけど……それをやったらきっと、孫市お兄ちゃんや木山先生は怒るんだよね。怒られたくはないな私。なんて言うか……その、分かる?」

「んー? ま……分からなくはないっスけど」

 

 それは他人の顔色を伺っているだけではないのかと思うも、釣鐘はそれを言わず、これもまあ一歩は一歩かと自分の色を僅かに覗かせる円周にため息を吐き、隣まで歩くと円周の肩を軽く叩いた。釣鐘が本気で殺し合いたいと思う領域にはいま一歩円周はまだ届かない。心技体、それがどうにも揃っていない。だからこそ孫市は自分と円周を一緒に動かしているなとアタリをつけて釣鐘は軽く舌を打ち、大通りへと足を伸ばした。

 

「なら一足早くダイヤノイドに行って道でも頭に入れるっスかね。法水さんへのちょっかい、多分黒幕の本命は別っスよ。傷は負わせて殺してないっスし、本命に手を出した時に法水さんが動くだろうから先に手を出した可能性が高い。各個撃破は基本っスよ。そうなら本命は誰って話しっスけど、魔神騒動が終わったばかりで話題の中心は上条当麻。だからこそ何の関係もない別の場所を狙うなら分かるっスけど、上条当麻に近いうちのボスをまず狙うなんて本命教えてるようなもんすよ。学校終わるまで待つのも時間の無駄っスしね」

「茶寮ちゃんは……なんで迷わずいられるの?」

「これが私だから。例え私が狂っていたのだとしても、それでいいやって馬鹿みたいなのが隣に動かず立ってるから。自分に嘘をつかなくていいのは楽っスよ。迷う必要ないのに迷ってたら馬鹿でしょ」

 

 例え殺す気で刃を向けても、それならそれでいいよもうと半ば諦め、釣鐘を釣鐘として側に置いている阿呆がいる。いつ裏切るかも分からないのに。別に裏切りが楽しい訳じゃない。本気で殺し合う為の手段に過ぎない。ただ裏切らずとも必死に必死を返してくるから、どうにも裏切るタイミングが見出せない。それが少し面白くないが、居心地がそう悪くないからこそ、釣鐘は迷わずここにいる。

 

 先を行く釣鐘の背を少しの間見つめ狙撃銃を背負い直すと円周はその後を追った。少しばかり小走りで。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 第二学区のレース用サーキット。その中を一台の大型バイクが走っている。ただそれをバイクと言っていいものか、ジェットエンジンを搭載した『ドラゴンライダー』の遺伝子を引き継いだ試作機の一つ。黒いスーツを身に纏い、浜面仕上(はまづらしあげ)は大型バイクの速度を上げる。音速超過の一歩手前でカーブを滑るように曲がりながら、車体をスライドさせて鋭角に曲がろうと動く浜面の鼓膜を、フルフェイスのヘルメットに内蔵された無線装置から響く中年男性の声が揺らす。

 

『おいおい、欲しいデータはもう取れてるからいいが、あんまりおかしな挙動はすんなよ。『アネリ』が変な事覚えちまう』

「分かってるんすけどね、俺もちょっと試したい事があるんで」

『レーサーの知り合いがいるんだったか? その技を試したいってのは分かるが』

「それは師匠の友人ですよ。師匠のはもっと」

 

 車体を捩らせ、地面を削るように走る。レースではなく、戦いの為により過激な戦場を走る技術。人工知能である『アネリ』が組み込まれたバイクと駆動鎧(パワードスーツ)があれば、最適な動きを勝手にしてくれるが、それで浜面は満足できない。本来なら必要な技術を磨く為の時間を駆動鎧(パワードスーツ)が埋めてくれるとはいえ、本当に欲しい動きは安全とは少し遠いところにある。知らなければ試したいとは思わない。ただ、知ってしまったから。元『時の鐘(ツィットグロッゲ)』一番隊グレゴリー=アシポフの足が健在だった頃のレーサーの友人と撮っていた映像を送られ見て、上の領域を知ってしまった。

 

 上には上がいる。そんな事は浜面も知っている。ただ、今手に握ろうとしているものは、超能力のように超常的なものではないが、積み上げれば、磨けば、届くと分かっている技術。何度転ぼうと立ち上がる限りその道が途切れる事はない。超能力の才能はなかったが、お前には才能あるよとスイスで浜面よりも技術を納める二人が背を押してくれた。

 

 浜面の挙動を、なんだかんだと中年男性は口笛を吹いて見送る。

 

(なんとなく分かる。微妙にズレてる。思い描いてるラインと少しだけ)

 

 心の中で舌を打ちながら、浜面は僅かに目を細めた。最良と最高は同じ訳でもない。スーツに身を任せれば最良の道を突き進めるが、戦場という不確定要素の詰まった場所での最高の動きとは別。レース用のサーキットを走っている以上それは仕方ない事ではあるが、人間だからこそ生まれる無駄な動きこそが肝とでも言うべきか、その誤差を実感しながら、規程周回を終えて少しばかり好きに走らせて貰える時間を使い終え、浜面はゆっくりとバイクを停車させた。

 

「はいはいお疲れちゃーん」

 

 そんな浜面に女性の声が掛けられた。呆れたように肩を竦めながら寄って来る女性はいつぞや病院で『アイテム』に襲い掛かって来たステファニー=ゴージャスパレス。宇宙戦艦と時の鐘二人に寄ってたかって一方的にボコボコにされた彼女であるが、砂皿緻密(すなざらちみつ)共々冥土帰し(ヘブンキャンセラー)に診て貰えた為か、学園都市に出戻りして再び浜面と顔を合わせても特に思う事はないらしい。そもそもステファニーの狙いが絹旗最愛であって浜面ではなかったからというのが大きいのだが。

 

「良い感じなんじゃないですか? テストパイロットの適性は初週で分かる。その点、あなたは合格ラインを超えていると思いますけど」

「……でも結局これってスーツ任せってだけなんじゃあ? 別段、俺じゃなくたって誰でも同じ結果になるはずなんだけどな……」

「あはは。テストドライバーに求められるのは一騎当千、百戦錬磨の腕前じゃありませんよ。ロボットアニメの影響かにゃーん? 実際に要求されるのは不意打ちのトラブルに対処するアドリブ力と、コミュニケーション能力。具体的には、ほんの些細な違和感を客観的に説明してクルー全員で共有する力。つまり、ちょっとお調子者なくらい口が軽い方がやりやすいって訳です。……まあ、『時の鐘(ツィットグロッゲ)』のあなたからすれば一騎当千、百戦錬磨の腕前の方が欲しいんでしょうけどね」

「スーツがなければ走れない。じゃあ俺はダメなんですよ。そういう意味ではテストドライバー失格なんでしょうけど、乗せて貰えてるうちは体に馴染ませたいんで」

 

 浜面はヘルメットを脱ぐとバイクから降り、スーツの指示から少しズレた動きを要求したが為に、少しばかり張った体を軽く捻る。思い描く動きにスーツの力を借りれば近付ける。いつかはその動きを自分だけの力で形にする為、使えるものは使えるうちに使う。

 

「『時の鐘(アレ)』に近付きたいとは酔狂だよねーん。傭兵の中でもただでさえ悪名高いのに。バイクばっかり乗ってていいの? 狙撃銃を握らなくて」

「いいんですよ。これが俺の弾丸なんで」

「まあ確かにあいつらも狙撃手って感じではなかったしねー。あぁ、思い出したら体の節々が……」

 

 戦場を突っ走り届ける事が全て。地を走る弾丸。最高の運び屋。鍵を開け扉を開く者。超能力がなくても自分にできる事があると知れたからこそ、それを磨き積み上げる。『アイテム』がもう暗部の仕事をしなくてもいいように、磨いた技術で力になれるように。拳を握る浜面の隣へと名前のない試作機がエンジンの音を奏でながら勝手に並ぶ。それを目に、浜面はスーツの下、嵌めているレーサー用のグローブを握り締めて軽く試作機のボディを小突いた。

 

「そうそう、さっきからあなたのケータイがブーブー振動していましたから、一息ついたらメールとか確認しておいた方が良いんじゃないですか?」

「ああ、すみません。じゃあレポートを提出したらすぐにでも……」

 

 そう浜面が口を開けば、調子良さげに隣に並んでいた試作機がエンジンを吹かし、浜面の腰に頭を突き立てる。重い体当たりに浜面へ身動ぎぶち当たった腰を手で摩りながら振り返れば、睨むかのように目の前に試作機の頭があった。

 

「あはは、『アネリ』のヤツが嫉妬してる」

「法水の携帯かよ…… そこまでの分析機能があるとは思えねえんすけど……まさか遊んでくれとは言い出さないよな? バイクとしりとりしてる姿とか見られたら死ねるぞッ」

 

 時折インカムを耳に付けて独り言を言っているようにしか見えないライトちゃんと孫市のお遊び風景を思い出し、そっちの世界の住人にはあまりなりたくないと試作機と睨めっこをする浜面の横で、不意にステファニーの携帯が鳴った。軽く安請け合いするような言葉を電話に出たステファニーは並べると、通話を切り、ステファニーは浜面に笑顔を向ける。

 

「浜面、クリスマスムード一色の第一五学区に興味あります?」

「はい?」

「ダイヤノイドに詰めてる大型テレビ局が『荷物』の搬入を要請してきまして。第二学区から第一五学区まで。ただ、航空貨物レベルのコンテナを屋内移動させるとなると、階段だのエレベーターだの使わなくっちゃならないから一般のフォークリフトじゃどうにもなんない。運搬着が二機くらい必要かなってなりまして」

「待って待って。パワーリフター? 根本的に、俺はそれがどんな形をしていてどういう風に動かすものかも分かんねえんすけど」

「大丈夫ですよ。本体は背中に負うユニットで、馬鹿デカい鋼鉄の腕が二本伸びたようなユニットってだけですから。生身と合わせて四本腕になるようなイメージでしょうか」

「え、ああ。竹馬くらい簡単なものだったり……」

「夕方までにって言ったでしょ。今から覚えればコケて押し潰されて人死にが出るような事はありません」

「全然ダメっぽいじゃねえか!! 最悪誰か死ぬレベルなの!?」

 

 第十五学区に役者が集う。それを憂う者は未だ意識を手放し微睡の中。目にできない者は穿てない。穿てる者は見つめる者のみ。誰かの思惑の通り、第十五学区に役者が揃ってしまう。その時こそが始まりなのだと、敷かれたレールであるのだと、今はまだ誰も気付かない。

 

 

 

 

 

 


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