時の鐘   作:生崎

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サンジェルマン ③

 巨大複合施設ダイヤノイド。

 

 高層建築物の密集地である第十五学区のランドマークであり、駅ビルも兼ねた地上七〇階建、六角柱の形状をした高層ビル。一般的な学生には縁遠いオシャレなセレブスポット。夜には多様な色彩でライトアップされる外見とは裏腹に、内装は和洋建築の様相を取り入れている。板張りの床、空間を仕切っているのは障子に襖、照明の形状も四角い行灯。ただし名前の通り、構造部材から意匠の細部に至るまで人工ダイヤといった炭素素材で作られている。

 

 学園都市という宝箱の中に置かれた、やたら大きなダイヤの塔。

 

 一階から二〇階の下層部は商業エリア。中央部は吹き抜けとなっており、三五〇もの超高級ブランドショップでひしめき合っている。

 

 それより上の中層部には、プール、ジム、映画館、サロン、カフェ、レストランといったレクリエーション施設が詰め込まれており、学園都市にあるテレビ局の一つ、『テレビオービット』の社屋もダイヤノイド中層部に置かれており、そのスタジオやオフィスが中層部の大部分を占めていた。

 

 上層部は高級ホテルに分譲マンション。堅固なダイヤノイドの形状に目をつけたVIPの倉庫や金庫代わりとして使われているとかいないとか。それより上の屋上は庭園になっている。

 

 そんなダイヤノイドの中に木原円周(きはらえんしゅう)釣鐘茶寮(つりがねさりょう)が踏み入って既に数時間。昼を過ぎ、既に放課後近い。カフェで軽食を口にしながら、店の中に二人は視線を走らせる。銃撃された法水孫市(のちみずまごいち)の現場に居たと思われるハム=レントネンの顔は、事務所で写真を見せて貰った為に円周も釣鐘も頭に叩き込んでいるが、一致する顔は見られない。

 

「てかそもそも大き過ぎるんスよ。細かな道まで覚えるだけで一時間以上掛かるとか。ここで働いてる店員も絶対全部覚えてないでしょ。それに加えて……はぁ」

 

 口から漏れ出てしまったため息を、釣鐘は抹茶ラテを啜って喉の奥へと流し込んだ。苦味と甘味が疲労感漂う頭を癒してくれるが、気休めでしかない。

 

 高級ブランドショップが数多くあるということもあって、ダイヤノイドには海外に本社を置く高級店も多い。その為に本社から店員を派遣しているからか、外国人の姿もそう珍しいものではなく、それが頭痛の種の一つであった。学園都市自体来るもの拒まずな所があるおかげで海外からやって来る学生も少なくはないが、海外の物品も揃っているダイヤノイドに、故郷の匂いを求めてか外国人の比率が少々高い。そのおかげで本来なら目立つだろうハム=レントネンの容姿も埋もれてしまっているようで、『時の鐘(ツィットグロッゲ)』の軍服でもハムが着ていなければ目印となるようなものはほとんどなかった。野原に木が一本立っているようならいいものを、隠れているのは森の中。

 

「だいたい上層の居住区に引き篭もられてたらそれこそお手上げっスね。騒ぎでもあれば火事場泥棒みたいに忍び込めばいいっスけど、VIP御用達の所為でセキュリティが無駄に固いっスからね。初春飾利(ういはるかざり)でも居てくれれば違うんすけどねー」

風紀委員(ジャッジメント)を頼ったらこれは事件になっちゃうよ。それこそ孫市お兄ちゃんが撃たれて重症なんて公にバレたら、暗部の人達は手を叩いて喜ぶだろうね」

 

 抑止力としての『シグナル』の働きは、残念ながら小さくない。ほとんどブラフとしての使用だが、学園都市統括理事長の私兵部隊であり、正体不明でどういう訳か至る所にいる第六位を要する、いつ何処に現れるか分からない亡霊のような小組織。超遠距離から弾丸を落とし、独自に兵隊を持つ『時の鐘(ツィットグロッゲ)』。誰と繋がり、何処で混ざり暗躍しているのかも分からない多重スパイ。

 

 お天道様が見ているとでも言うように、意識の届かぬ暗闇の向こうで見つめて来る暗部達にとっては最悪の学園都市防衛部隊。目の上のタンコブは叩ける時に叩いておきたいものである。土御門元春(つちみかどもとはる)が人的資源プロジェクトで下手を打った際に、報復を望む者以外にも多くの見物人がいたのがその証拠。『シグナル』がいつも人知れず目を光らせているのと同じように、名も知らぬ暗部達もまた、『シグナル』の動向に目を光らせている。

 

「名前で相手をビビらせるなんていうのは忍としてはあれっスけどね。平和の一助になっているのは間違いないっスし。弱者が刃を握らなくてもいいように刃を握る。嬉美(きみ)の思想とは真逆っスけど」

「……そうだね」

 

 名前で相手を威圧する。本人にその気がなかったとしても、『超能力者(レベル5)』や『木原』もそれは同じ。名は体を表すと言うが、それも周囲から決め付けられたものがほとんどだ。最初の形がどうであれ、今の形は見つめる者達の前での振る舞いの積み重ね。『木原』以外に増えた名前を頭の中で泳がせながら、乾いた喉に円周も頼んでいたオレンジジュースを流し込む。

 

「でも刃を握ったなら、振ってみたくなるものだよね。どんな結果が見られるのか、予想はできても振ってみなきゃ分からないんだし」

「法水さん達がよく言うのは、それを誰に振るうのかっスけど。私は楽しい方がいいっスからねー。振っても刺さらない、折れない相手の方が滾るっス。弱い奴なんてそもそも眼中にないんすよ」

 

 研ぎ澄ませて磨いても、それが及ばない相手こそを望む釣鐘に燻る破滅の願い。

 

 相手にとっては迷惑かもしれないが、己が牙を持たぬ者にとっては脅威にはならない強肉強食。下を見下ろさず上だけを見上げる。足元を掬われそうになったところで、刃を振り下ろすだけな影に蠢く戦場の傭兵。そんな釣鐘の波を瞳に映し、円周は目を瞬いて掬い上げた思考パターンを滑り落とす。

 

「ただ使うだけじゃあ駄目なんだよね……」

 

 技術を修める事も、振るう事も誰にだってできてしまう。孫市から教わった技術も、自分なりに噛み砕いて円周の手に少なからず積もっている。ただ、それを吐き出す為に必要な火薬(おもい)が足りない。喜怒哀楽、感情の揺らぎがどういうものかは分かっている。ただ、分かっているだけでは駄目なのだ。

 

「私は……」

 

 一人呟き、円周はオレンジジュースの波打つコップの水面に目を這わす。誰かの為ではなく己の為。引き金を引くならそうあるべきと教わって、円周自身引き金を引けるだけの何かがあるのか分からない。怒りに身を任せてとは違う。冷淡に冷徹に頭を回し、違えぬ己が価値観が存在するのか。孫市が撃たれて少し頭に血が上ったが、それも教わる技術をもう教えてもらえないかもしれないという好奇心からくる怒りに近い。

 

 ただそれが全てと言い切れる程、円周は『木原』にのめり込んでいなかった。『木原』一族の多くの思考パターンは手に持っている。『時の鐘』の思想も手に持っている。あと必要なのは、己の為の理屈だけ。なぜ引き金を引くのか。それだけが欠けている。

 

 立て掛けていた弓袋を軽く握り締める円周達の背後で影が揺れる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 水溜りの奥底から這い出るように薄っすらと目を開ける。体が気怠い。質素な天井をしばらく見つめ、痺れる腹部に置いた手の腕に繋がった輸血袋と繋がれたチューブに目を流せば、木山先生の顔が視界の端から滑り込んでくる。寝不足ないのかいつもより少しばかり目の下の隈の濃い木山先生が何故いるのか。少しの間噛み合わない記憶に固まっていたが、撃たれた事を思い出して羞恥心から顔を手で覆い隠す。

 

「超絶やらかした……」

「起きたようだね法水君、気分は?」

「……気分は最悪、体の調子も良くはない。分かりやすい痛みがないだけありがたいかな……そうでもないか」

 

 身を起こそうとすれば木山先生に手で制されるが、構わず上半身を起こせば、木山先生は目頭を指で揉みため息を吐いた。言いたい事が何となく分かるが、寝てばかりはいられない。壁を支えに無駄に長距離を歩いた所為か、どうにも体の節々が悲鳴をあげる。やわな鍛え方はしていないのだが、不調は拭えば消えるようないものでもない。

 

「円周と釣鐘は?」

「第十五学区に向かったよ。君の頼みを素直に聞いてね」

「そうか……釣鐘が一緒なら上手くやれるだろ」

「円周君だけでは不安なのかい? 円周君にこそ技を仕込んでいるのは君だろうに」

「そりゃあねえ」

 

 円周のセンスは悪くない。寧ろ良い。質の良いスポンジのように技術を吸い込み己のものとしてしまう。俺が数年掛けてできるようになった事でも、早ければ数日も掛からない。下地は既にできている。狙撃手として円周は動ける。ただ、圧倒的に実戦経験が足らない。技を使えるだけでは駄目なのだ。どう使うかが一番の問題だ。ただ使うだけならば、円周はバゲージシティの二の舞にしかならないだろう。

 

 そういう意味では、自分に何ができるのかよく分かっている釣鐘の方が信頼できる。普段どう動くか未知数で、いつ火が点くか分かり辛い不発弾みたいな奴であるが、一度動くと決めたなら釣鐘はとても頼りになる。迷いがないのは危ういが、強さである事は確かだ。それは俺もよく知っている。

 

「釣鐘は少々毒気が強い、自分に正直過ぎる奴だ。円周にはちょっとそれが足りない。素直と正直は別だろう? 教わるよりも、自分で盗み覚える方が円周は伸びる。特訓する中で気付いたよ。戦場で釣鐘と一緒に居れば、円周は勝手に掴みたいものを掴み取るさ」

「おや、君はいつから教師の真似事をするようになったのかな?」

「良いお手本が二人もいるんだし、しょうがないでしょ俺も支部長なんだから。ボスの気苦労が身に染みる。とは言え、こんな仕事を急に投げたくはなかったんだが」

 

 どこかで円周と釣鐘だけで何か仕事を任せようと思ってはいたが、俺の思う通りにはなってくれなかった。撃たれた腹部を軽く摩り舌を打つ。任せるにしてももっと簡単な仕事を任せる気だったのに、事態がそれを許してくれなかった。撃たれた事実を差し引いても、どうにも面白くない。ベッド脇に置かれていたライトちゃんを手に取り、頭部のインカムを取り外し耳に付ける。

 

「事態は動いたかな?」

「いいや、二人からは何の連絡もないよ。静かなものさ。ダイヤノイドに踏み込んでも特に収穫はないらしい。ハム=レントネンはそこにいるかな?」

「ダイヤノイド? あぁ……なるほどあそこか。あそこなら宿泊客を調べようにも容易に教えてくれないし、潜れもしない。隠れ住むにはもってこいだ。確かVIPならダイヤノイドの防犯カメラの映像も見れたはずだしな……でもよく当たりをつけたな。周囲の宿泊施設でも先に洗って絞ったのか?」

「勿論それもあるけどね。なんでも上条君が今日の放課後ダイヤノイドに行くらしい。本命が上条君なら、黒幕達もそこに潜んでいるだろうと釣鐘君が報告をくれたよ」

 

 上条が? なんだあいつ禁書目録(インデックス)のお嬢さんとデートでもするのか? いや、そんな事はいい。しかし本命が上条か……。確かにそう見ようと思えば見えなくもない。裏の世界じゃ上条は時の人だ。魔神を相手にした連合軍が納得し手を引いても、納得できていない者も中にはいるだろう。ただそれにしてはどうにも回りくどい。黒幕が先に手を打ったとして、動かしたのがアレでは……。俺を狙った意味もよく分からないし。

 

 そもそも上条がダイヤノイドに行くと黒幕はどう知ったんだ? 昨日はそんな事上条は一言も言っていなかったし、あんな金の掛かるような場所に行くと昨日の時点で決まっていたなら、普段の上条なら学校で間違いなく項垂れているはず。そうでなくても、禁書目録(インデックス)のお嬢さんとそんな場所に行くと隠す為に、俺や土御門、青髪ピアスにバレぬよう異常にソワソワするだろう。

 

 そんな素振りがなかった事を思えばこそ、急遽今日決まった可能性が高い。そんな偶然を読み切って黒幕がダイヤノイドに控えているなら相手は世界最高峰の予知能力者だ。その可能性はないと言い切れない世界であるのが面倒だが、黒幕が予知能力者でもない偶然の場合。それが一番問題だ。

 

「……本命は上条じゃないかもしれない」

「なんだって?」

「やたら多くの事態に巻き込まれているだけに、巻き込まれれば上条が本命に見えなくもないが、この始まりの動きには全く別の思惑があるはずだ。てっきり表の手で『シグナル』を潰す気なのかとも思ったが……動きはないねぇ」

 

 空間に携帯のディスプレイを浮かべてSNSで『女子中学生同盟』という不名誉なグループに「おはよう」とメッセージを送ってみれば、土御門達から『留年に一歩近付いたな』的な悪態が続け様に送られてくる。余計なお世話だ。が、今学校にいるだろう土御門達が何でもないメッセージを送ってくるあたり、特に問題が起きている訳ではないらしい。どう返そうか木山先生に目を向けると、「拾い食いして腹痛だ」と木山先生が俺の欠席理由を教えてくれる。

 

 トルコでは仕方なくよくしたけど拾い食いって……俺は超絶阿呆野郎か? いや、超絶阿呆野郎か……『美味しそうなパンが道端に落ちてても食うんじゃないぞ』とメッセージを返し、ディスプレイを手で払い消す。

 

「『シグナル』が狙いでないなら、狙いは俺個人……でもないだろうな死んでないし。『時の鐘(ツィットグロッゲ)』や瑞西が狙いなのだとしても、それならもっと狙うべき相手がいる。俺が死んでない事が裏付けにもなる。それらを狙うなら俺をぶっ殺した方が手っ取り早い」

 

 ならきっと今この状況に意味があるはずだ。俺が死なずとも動けない状況が全て。俺が関わっている何かしらであるのは間違いないだろうが、一体なんだ? 

 

 俺が動けなくなり、学園都市の平穏に関わるだろう問題なら、間違いなく俺は時の鐘学園都市支部を動かす。暗部に関わっても問題のない組織、『シグナル』に組み込まれているのが、俺個人の名前というよりも、『時の鐘』であるからこそ。『シグナル』の問題でも、時の鐘の問題でも、動かして最も問題はないものだ。

 

 ただ、まさか相手の全体像が分からないが為に、超能力者(レベル5)である垣根や、『アイテム』と関わりのある浜面を最初は動かさないだろうと読まれていたなら……。

 

 いや……まさか……。

 

 嫌な予感が背筋を這い回り、どうにも気分が落ち着かない。

 

 事務所に常に居てくれ、動かせるのは、釣鐘と円周だ。二人にも独自の繋がりはあるが、それは容易く動かせるものでもないし、繋がりが浜面と『アイテム』などと比べた場合強固な訳でもない。だから動かすのはまずこの二人。不安はあっても、信頼が揺らぐ程ではない。

 

 釣鐘はなんだかんだ仲間思いだし、円周は感情の色が薄いが優しい子だ。この二人に任せる事に後悔はなく、そこまで迷う必要もない。だからこそそれを読まれていたのなら……。

 

 本命は寧ろ……。

 

「俺が餌か……? 誰が裏で笑っているのか知らないが気に入らないなくそッ。それも踏まえてのあの布陣かッ。本命か手段かはこの際もう問題じゃねえなッ」

「法水君?」

「木山先生、黒子はどうしてる?」

 

 そう聞けば木山先生は目を瞬く。俺が何を聞いているのか意味が分からないと言うように顔を顰めて首を傾げた。おいおいおいおいッ。

 

「あーっと、何故そこで白井君の名前が出るのかな?」

「いや、言わなかったか? ハムと風紀委員(ジャッジメント)を追えと。帰って来てから」

「いや、血を流し過ぎて君の舌も大分回らなくなっていたからね。聞き取れたのはハム=レントネンの名前だけだ。私だけでなく円周君や釣鐘君もそうだったはずだよ……ただちょっと待ってくれ、わざわざ風紀委員(ジャッジメント)の名前が出てくるということは……」

 

 ああそうかくそッ! 不幸は積み重なるって? 何もこんな時じゃなくてもとか考えてる場合じゃあないッ! 円周も思考パターンを拾えるとしても、その時相手が思っている事を読める訳じゃないからなッ。嘘発見器のような使い方もできるが、意識をほったらかした俺では意味もないかッ。インカムを小突き円周と釣鐘に電話を掛ける。

 

『お掛けになった電話番号は、電波の届かない所にあるか────』

 

 が繋がらない。

 

「先に手を回されたかクソッ‼︎」

 

 落ち着け落ち着け……まずどうするべきだ? こうなったらもう風紀委員(ジャッジメント)に連絡? いや、そんな事をしては銃撃事件の事情聴取に時間を取られるだけの可能性が高いし、銃撃の件が記録に残る。残された時間もおそらくそんなにない。ベッドから立ち上がる為に足を床に出して立ち上がろうとするが、足に力が上手く入らず、少し腰が浮き上がっただけですぐに腰が落ちる。

 

「取り敢えず、落ち着きたまえ法水君。出血多量で意識を失ったんだ。何か必要なら今事務所にはクロシュ君がいるから」

「……深夜に第十五学区周辺での発砲騒ぎの報告があるか探させてくれ。特に風紀委員(ジャッジメント)からの報告書を漁ってくれればいい。……仕組まれているなら多分存在しないだろうが、それで裏は取れる。最悪警備員(アンチスキル)への通報で発砲音がしたみたいなものぐらいはあるかもしれないが」

 

 「分かった」と言って席を立った木山先生が扉を開けて出て行くのを見送り、インカムを小突いてライトちゃんに再びディスプレイを空間に浮かべて貰う。映して貰うのは風紀委員(ジャッジメント)の人員名簿。学園都市に来た際、黒子に早々に絡まれた為に、仕事の一番の障害になりそうだった風紀委員(ジャッジメント)の名簿は真っ先に入手した。例え裏に関わっていたとしても、夜に見たものが偽造された物でないのなら、名簿に必ず載っているはず。

 

 できれば嘘であってくれと思いながら並ぶ顔写真を眺めていれば、しばらく画面をスクロールした先に確かにあった。あってしまった。扉を開けて戻って来た木山先生を見上げながら、机の上に置かれた煙草の缶へと手を伸ばして一本引き抜き口に咥える。缶が机の上から落ち、床に煙草が散らばるが、それを気にせず咥えた煙草に火を点ける。

 

「……法水君、その子は……」

「これが俺を撃った相手だ。ハムとこれだぞ……記録に残せるかよ。撃った相手の表情を覚えてる。本当に撃つ気はなかったのかもしれないが……意識を失う前に黒子を頼れと先に口にするんだったな……この問題、風紀委員(ジャッジメント)の色々も関係なく黒子は動いてくれるだろうし……裏目裏目か……ただ……俺はまだ生きてるんだ。どうにかしよう。黒幕が誰か知らないが笑わせはしないぞ」

 

 画面に映る一人の少女。四九支部、特殊学校法人RFO所属の風紀委員。金髪をツインテールにした少女の顔を見つめ、その下に描かれた少女の名前に目を流して紫煙を吐き出す。煙がディスプレイの光を反射して広がる輝きに目を細め、腕から伸びた輸血パックに繋がるチューブを引き千切り、なんとかベッドから立ち上がった。

 

 『時の鐘(ツィットグロッゲ)』と『風紀委員(ジャッジメント)』をいいように使おうなど許しておける訳もない。俺が撃たれるなどいつもの事だそれはいいが、甘さの所為で悲劇が起きたなどと言わせやしない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

風紀委員(ジャッジメント)だよ、お姉さん達。まだ学校の時間のはずなのに、こんな所にいるなんて不良さんだね」

「それブーメラン突き刺さってるっスよ?」

 

 背後から掛けられる難癖にため息を吐きながら、面倒臭そうに声がして来た方へと釣鐘は体を向ける。待ち受けるのは金色のツインテール。小学生なのか赤いランドセルを背中に背負い、緑色の腕章を腕に巻いた少女を前にしてげんなりと釣鐘へ肩を落とした。学生服っぽい時の鐘学園都市支部の戦闘服が仇になったのか、スカートの端を指で摘み、釣鐘は唇を尖らせた。

 

 どんな思惑、理由で動いていたとしても、表からの正論の暴力程こういう場合に邪魔なものはない。下手に突っぱねれば、お話を聞きましょうかとか言われて最悪手錠を掛けられる羽目になる。少女の身から溢れるAIM拡散力場の波を見つめて目を細め、隣に座る円周を肘で小突いた。

 

「今日は午前中で授業が終わりだったんスよ。あるでしょ? そんな事だって」

「じゃあ学校名を教えてくれる? そうすればすぐに分かるんだしね」

「えーっとなんだったっスかね? どうもおらは物覚えが悪くて」

「自分の通ってる学校の名前も分からないのかな? まあそれも仕方ないのかもしれないけどね。茶寮お姉さんも円周お姉さんも学校に通ってないんだし」

 

 浮かべた笑みを冷たいものにして、釣鐘は少女の顔を静かに見つめた。釣鐘も円周もまだ名前を名乗っていない。そのはずなのに、少女は二人の名前を口にした。風紀委員(ジャッジメント)の知り合いが二人にもいるが、会ったこともない風紀委員(ジャッジメント)に名前が知られているほど、釣鐘も円周もそこまで有名ではない自負がある。

 

(痺れを切らせて黒幕が動いたっスかね?)

 

 鼓動を一定に、浮かべた笑みを崩すこともなく腰に隠している短刀に手を伸ばす釣鐘の前に少女は手を伸ばすと手のひら動いて向けて制した。

 

「ここではやめた方がいいよ。他のお客さんの迷惑になっちゃうし、今ここでそれを抜かれたら逮捕しなきゃならなくなっちゃう。戦うのは嫌じゃないけれど、場所は考えて欲しいかな」

「……喧嘩売って来た割に随分とつまらないこと言うんすね」

風紀委員(ジャッジメント)だからね」

「……那由他ちゃん?」

 

 少女へと振り返った円周が呟き、少女はほっと息を吐く。知り合いっスか? と口には出さずに円周へと瞳を泳がせる釣鐘は目配せし、円周は頷く事もなく少女の機械的な瞳を見つめ返した。

 

 木原那由他(きはらなゆた)

 

 円周と同じく木原一族でもある風紀委員(ジャッジメント)。『不完全』と呼ばれる円周同様、落ちこぼれと呼ばれる木原の欠陥品。顔を合わせた事がなかろうが、円周は那由多の事を知っている。その思考パターンさえもよく。

 

 欠陥品を忌避し、友人達との約束である風紀委員(ジャッジメント)としての純粋な力と、実験の犠牲となる子供達が減ることを願い、自分が様々な実験の実験台になる事を選んだ少女。多くの受けた実験の中、学園都市とは異質の力を注ぎ込む実験を受け、体が吹き飛び、体の七割を木原一族謹製の高性能義体に置き換えた。見た目以上に強固な体を持つ木原の一人。

 

 円周と釣鐘の顔を見比べて、那由他は肩を竦めるとくるりと身を翻して歩いて行ってしまう。

 

「少しお話ししようよお姉さん達」

「その誘いに乗る意味あるんすか?」

「ハムお姉さんに会えるかもしれないよ?」

 

 煽るような事を言い歩き去って行く那由多の背中でも揺れる赤いランドセルを見つめて、釣鐘は小さく舌を打った。この場で暴れてさっさと制圧してもいいのだが、風紀委員(ジャッジメント)という相手の肩書が邪魔をする。

 

 ただの学生の喧嘩ならそれこそ学生が暴れているだけで済むが、他の者の目があるところで風紀委員(ジャッジメント)を叩きのめせば、一気に悪目立ちし、指名手配までされかねない。風紀委員(ジャッジメント)の肩書きが嘘なのか本当なのか確認するように円周に釣鐘は瞳を向け、円周は本当だと肯定するように小さく頷いた。

 

「……円周の知り合いなのか知らないっスけど、どう見てもアレ怪しいでしょ」

「那由他ちゃんは『木原』の中でも変わってるから」

「円周の『変わってる』ほど信用できない言葉はないんすけど、だいたいアレ」

「うん、罠だよね」

 

 ただお話ししに来ただけのはずがないということくらい、釣鐘にも円周にも分かっている。思考パターンなど読まずとも、瞳の奥の薄暗い輝きが見れば分かる。感じる敵意。ただそれを向けられる理由が分からない。知るには追うしかなく、追えば必ず面倒な事態が待っている。

 

 ただそれに気付いたとしても、自力で人でごった返すダイヤノイドの中を探し回ったところで黒幕に辿り着けるか分からないからこそ、釣鐘と円周は顔を見合わせ、ため息を零し合うと椅子から立ち上がり赤いランドセルの軌跡に沿って足を伸ばした。

 

 

 

 

 

 

 

 

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 行き交う人々の中で不意に言葉が溢れた。誰も口にしていないようで、その実誰もが口にしているような空虚な声。誰に告げる訳でもなく、自分に言い聞かせるかのように紡がれた言葉は虚空に消え、誰かがその言葉の続きを引き継ぐように言葉を続ける。

 

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 向き合い、すれ違い、背中合わせに、人種も性別も見つめる先が違かろうが、持ちうる意思はどれも同じ。手のひらの上に転がり込んで来た玩具に笑みを向けるように誰かは言葉を噛み締める。ダイヤノイドの中に漂う意思の波。気付ける者は未だ目の届かない遠方にいる。

 

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 黒幕が笑い、幕が上がる。誰も望まぬ虚構の幕が。

 

 

 

 

 


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