コミカルな燕尾服、頭には絹張り帽子、右目には片眼鏡。一見怪しさ満載の奇術師のような風貌の男は、その内側に漂う波さえも怪しい。傷の上に絆創膏を貼り付けたような、傷痕をシールで隠したかのような、なんとも浮ついた思考パターン。
それを拾い上げようかと目を瞬く
「どうした? 随分と上の空のようだが、誰かの名前を口にしていたが、友達とでもはぐれたかね?」
男の言葉にハッとしたように円周は立ち上がる。奇怪な男の目に痛い異様な存在感に意識を引っ張られてしまったが、今は何よりも
だからこそ、ひょっとしたら間に合って、間に合えば自分にできる事もあるはずだ。きっと────ッ。
そう頭を回して走り出そうとする円周に、床を小突く杖の音が待ったを掛ける。肩を竦め、顔色の良くない円周を心配でもするかのように男は微笑んだ。
「待ちたまえよ。そんなに慌てて、急いては事を仕損じるという言葉が日本にはあるのだろう? 少し落ち着きたまえ。見たところ喧嘩なのかは分からないが、一度失敗したようだね。何も考えず飛び込めば、同じ結果にしかならないのではないかな?」
「そう、かもしれないけどッ、でもッ」
「ならばこそ、よく考えることだ。考える時間さえないと言うならどうしようもないが、すぐに駆けつけなければ、友が死んでしまうとでも言うのなら」
『死』という言葉に小さく円周は肩を跳ね、一歩を踏んで足が止まった。どうしようもなく回ってしまう頭脳が、齎された『死』を基に予測を構築する。時の鐘一番隊が一人と、木原一族の異端が一人。釣鐘の勝率はかなり低い。敗北の確率の方が高いだろうが、『死』の確率はほとんどないと言って良かった。
それも、『
『実験体を壊すことで限界を研究するのが第一歩』と考える一族の中で、那由他の実験は『実験体の安全まで完全に配慮する』ような木原である為。どんな振る舞いをしていても、友人との約束故に、『
そこまで答えを導いたからこそ、最悪だけは訪れないと円周の足が止まってしまう。最悪が絶対に訪れないのであれば、考える時間だけはある。何も手を考えずに突っ込んでは、男の言う通り先程の二の舞にしかならない。
そうなっては拘束され、
ただ、その為の手が存在しない。
『木原』の技術では那由他が一歩先んじており、『
「でも……私どうすればいいの? 私……私ッ」
自分の両手に目を落とし、円周は手を握り締める。小さな手の内側には、目に映る小さな手以上に小さな積み上げた結晶しかない。どんな技術も思考パターンごと模倣できても、それらは全て他人のものであり、円周が積み上げたものではない。築き上げたものが自分であるのなら、円周は本当にちっぽけなものしか握れない。
悔しく、腹立たしく、悲しく、恥ずかしい。何よりその想いも誰かの模倣でしかないのではないかという疑心が、己をあやふやにしてしまう。これまで誰にもなれたからこそ、自分自身になりきれない。
己はいったいどこにいる?
折れそうになる円周の膝を支えるように、燕尾服の男は円周の肩を軽く叩いて、通路にあるベンチへと手で促した。
「道に迷ったならば偶には休憩する事も大事だお嬢さん。そうすればこれまで見えなかったものも見えるようになるものさ。どれ、これも一期一会というものだ。私で良ければ話ぐらいは聞くが?」
「……おじさんは」
「私はサンジェルマン。魔術師を超えた者の一画。なに、ただのお節介焼きだとでも思ってくれたまえ」
魔術師。その単語に円周は眉を潜めるが、魔術師だから悪者であるという訳でもない事を知っているが故に、そこまで気には止めなかった。インデックスや
「気にするな、必要以上に揺れを感じるのは免震構造のせいだろう。これで正常なのだ」
「知ってる……でも……」
並び合い向かい合っていた三人では、ダイヤノイドの免震構造が働く程の衝撃など起こせないのではないか? そう考えた結果、可能性があるのは、ハムと那由他を動かしているだろう黒幕。そこへ行き着くが、黒幕が誰か分からぬのだからどうしようもなく、釣鐘が那由他と一緒にいる以上、黒幕が増えたところで予測はそう変わらない。寧ろ黒幕が率先して人を殺すような輩であれば、那由他も協力していない。
「それで……魔術師がなんの用なの?」
「別に特別な用などないさ。強いて言うなら観光が正しいか? 学園都市は騒がしい街だと聞いてはいたが、どうやらその通りのようだ。魔術師だろうと魔神だろうと生きているんだ。観光にぐらい来ても構うまい?」
構うか構わないかは学園都市の上層部が決める事であって、ただの学生には確かに関係ない。他でもない対魔術師の組織でもある『シグナル』に事前に連絡が来ていないという事もある。魔術師の問題の際には時の鐘学園都市支部の中で孫市がいの一番に動くのだが、そんな話さえなかったおかげで、円周は特別突っ込む事もなく首を傾げた。
「それで? なにを悩む? こう見えて私は一〇〇年単位で時を超えてきた。ある程度の悩みなら相談に乗れる自負はあるさ」
「一〇〇年単位? ……それって冗談?」
「嘘でも本当でもそんな事は問題ではないだろう? それとも君には真実こそが大事なのかな? まるで大事な物を見失ってしまったような顔をしているぞ?」
目を僅かに見開く円周にサンジェルマンは笑みを返し、いつの間にか握っていた四角い半透明の容器を手の内で玩ぶ。錠剤などを入れるピルケース。その中から黒い丸薬を取り出すと、口の中へと放り込みながら、見つめてくる円周をサンジェルマンも見つめ返し微笑んだ。
「ああ、私は一般的な食事を必要としない構造でな。水と麦とこれさえあれば経年劣化もしない。おかげで賢者の石を隠し持っているなどとあらぬ誤解を受けた事もあったがね。まあ私の事はいいだろう。今は君の問題が先のはずだ」
「ん……ッ」
円周の問題。そう言って見つめてくるサンジェルマンの眼光から逃げるように円周へ目を反らす。何かを見定めるような視線。それがとても居心地悪い。見定められたところで、自分自身に何があるのか定かでない。
見ず知らずの者に話すような事でもないが、見ず知らずの者であるからこそ吐き出せるものもある。泣き言や、弱い言葉を近しい者にはあまり拾って欲しくないから。話すなら聞くさと言うように手で促すサンジェルマンの影を視界の端に捉えながら、今一度自分の手のひらに円周は目を落とすと、言葉を絞り出すように手を握る。別の誰かの視点こそを今は欲するかのように。
「……自分が、分からないの。自分の絞り出し方が分からないんだ。お兄ちゃんや茶寮ちゃん、木山先生達と過ごして何かが積み上がるのを感じたの。……でも、それが本物なのか分からない。だって、届け方が分からないんだもん。『木原』でもなくて、『
削って、削って、削り落として、残る物はそこにあるのか。違いを知る為に多くの思考を吸い込んで、結局浮き上がってくるものはほとんどない。誰かの模倣をしたところで、『そういうものだ』と理解するだけで、比べるべき己が見当たらない。隣に並んでいるようで、その実誰とも並んでいない。
「どうしたいって聞かれて、できるならね、もっとみんなと仲良くしたいんだ。危ない事だけじゃなくって、もっと……『木原』なら、『
「ふむ、抱え込んでいる想いを分かって欲しいということかな? それならまずは抱え込んでいるばかりでなく、今のように言葉にしてみてはどうかな? 聞いてくれる者はいるだろう?」
「うん、そうだね。でも……それじゃあ足りないんだよ。私の知ってる人達はみんな……言葉も必要じゃないんだよね」
想いを口に出そうが出さなかろうが、根本はまるで変わらない。確固とした己がそこにいる。釣鐘茶寮も、法水孫市も、
「このままじゃ私、誰にも追いつけないの。並べないの。自分になれない。いっつも後ろを付いて行ってるだけで……だって私には……」
「そんな事もないだろう」
一度杖で床を小突き、円周の話を遮ってサンジェルマンは軽く帽子のツバを指で摘み引く。僅かに顔を上げる円周へと目を向ける事もなく、天井を軽く見上げて。
「君には君でいつもやってきた事があるのだろう? それだって無駄なものでもないさ」
「でも私は誰かの考え方や技術を模倣できるだけで」
「誰かの考え方や技術を模倣できるという事は、
「押して駄目なら……」
引いてみろ。
その一助に、円周の頭脳がぐるぐる回った。ほんの些細な切っ掛けで物事は大きく変化する。なんでもない会話からでも、切っ掛けと変化を望む心が揃えばこそ、新たな扉の鍵が開く。少しずつ、割れ目から水が滲み下のようにふつふつと新たな理論が円周の中に湧き上がる。
(いっつも思考パターンを拾うだけだったけど……その逆も……できる?)
ジグソーパズルを組み上げるかのように、カチッ、カチッと一枚ずつ、必要なピースが嵌ってゆく。
(自分に誰かの思考パターンを打ち込むように、誰かに私の思考パターン、感情を打ち込めたならッ)
言葉も必要とせずに相手に想いを届けられる。
まだ思い付きの過程でしかないが、それを形にする為の材料を円周は既に持っている。思考パターンを合わせる技術。『木原』の流れを読み隙を突く技術。『時の鐘』の狙撃術。そして自分の手で習い孫市と一緒に積み上げて来た波の格闘術。
カチッと────これまでが嵌り組み会う。
(必要な周波数は……自分の身の振り方で再現すればいい。私自身を送信機として、相手の五感へとモールス信号のように衝撃に乗せて情報を打ち込めば、相手に直接私の想いを届けられる? 思考を合わせて、相手の思考の隙を突いて、狙撃するように、波を打ち込む……それならッ)
誰の真似でもない、円周だけが持ち得る技術。
どれか一つで及ばなくても、積み上げた小さな山を寄り集め、全てを使えば話は変わる。火と燃料を合わせて爆発的な火力を生み出すように、歯車同士を組み合わせて莫大な力を生むように。
自分の中で燻る想い。『そんなものはないのではないか?』と言った相手に、どれだけ小さくても、物理的に、心に直接届けられる。
どうしたいのか? なにがしたいのか? 分からない。そんな葛藤さえも相手に知って貰える。知って欲しい。ただその一心で。どうしたいのか未だ答えが出なくても、知って欲しいが故に手が伸ばせる。
「でも……」
欲しいのはその少し先。
分からないなどという答えは誰も欲していない。己が答えを持っている相手に答えでもないものを叩きつけたところで、ならなんでここにいるんだと怒りを誘発するだけで終わるのが円周にも容易に想像できてしまう。届けるのなら中身がいる。
技術を形にできたところで、それを吐き出す為の火薬がなければ、結局腕は振り切れない。また二の足を踏んでしまう。
悩み頭を掻く円周を横目に、サンジェルマンは咳払いを一つすると、再び円周の意識を引き付けるように杖で床を小突いた。
「何を悩む必要があるのかね? 君を負かしたのかは分からないが、その相手に思う事があるのなら、その通り届ければいいのではないかな?」
「そう……かな?」
「そんなものだろうさ。負けて君はどう思った?」
「少し……イラッとしたかな……だって、私の事も、孫市お兄ちゃんの事もちゃんと知らないはずなのに。『
「ふむ、『怒り』か、ならまずはそれを届ければいい。君が怒っているという事を教えればな。そうしたら後は、感情のまま感情を届けてみればいいさ。誰かを羨む『嫉妬』でも、何かをやりたくない『怠惰』でも、自分から奪わないで欲しいという『強欲』でも、一度吐き出せたら吐き出しやすくなるさ」
「そう……だね。うん……そうかもね!」
暗かった顔を明るくして、円周はベンチから腰を上げるとスカートの裾を手で払い狙撃銃の入っている弓袋を背負い直した。暗闇の中で何かを模索していた時とは違う。今は細くても、僅かに自分の道が、新しい可能性が見えている。戦場へと戻るまでに後はそれを形にするだけ。ゼロから何かを作るのではなく、技術の掛け算で化学反応を生めばいいだけだ。
『木原』でも、『
「ありがとうおじさん。でもなんで私の悩みを聞いてくれたの? 魔術師なら余計に関係なさそうなのに」
「なに、先人は後人に力を貸すものだ。言った通りただのお節介、暇潰しみたいなものさ。もうお嬢さんは誰かに合わせなくても前に進めそうかな?」
「うん! もう大丈夫! だからおじさんも早く避難した方がいいよ? なんだかここは危ないみたいだから」
「できるならそうしよう。ただ、君とはまた会うと思うがね」
「その時は孫市お兄ちゃん達を紹介してあげる!」
手を振り釣鐘の下に戻ろうと頭を回しながら走って行く円周の背を見つめ、別に紹介されるまでもないとサンジェルマンは肩を竦めた。円周が視界から消えるのを確認し、異様に滑らかな動きでベンチから腰を上げると、サンジェルマンも身を翻す。
「さて諸君、導火線の仕込みは終わったぞ。後は起爆のタイミングだけだ。期待しているよ『感情の爆弾』。悪魔達を檻から解き放ってくれたまえ」
嫌がらせをするなら盛大に。幻想を砕く右手にも、感情に潜む悪魔にも、同時に泥に浸して魔神達を嘲笑う為。
サンジェルマンは燕尾服を揺らめかせ、踊るように、手品のようにその場から消えた。誰に気付かれる事もなく。
「硬ってぇッ‼︎ 『
ダイヤノイドの壁を拳で殴るが、全く欠ける様子もない。
即ちこの件には魔術師が関わっている可能性が高い。
どうやってバレずに学園都市に侵入したのか知らないが、寄合所のようにほいほいと魔術師が混ざっているのなど今更過ぎて呆れる事もできない。誰に文句を言えばいいんだ? 学園都市? それとも土御門? それともアレイスターさんか? 大覇星祭の時には多くの観客が外部から来る中逸早く魔術師の侵入に気付いた癖に、『
円周と釣鐘には相変わらず連絡つかないし……、浜面にも連絡つかないのはなんでだ? 垣根には連絡がついたが、
小さく舌を打ち呼吸を整える。ダイヤノイドはやたら硬いが、人工ダイヤといった炭素系の物質であればこそ、砕く方法がない訳でもない。懐から新しい
「…………あった」
壁を小突き、壁を震わせる振動を吸い込み、より大きく震える壁の一点に
息を吸って息を吐く。息を吸って────息を止める。
────ガッキィィィィンッ‼︎
硬いもの同士が砕け擦れ合う音が響き、
「おいおい自動修復機能まであるとかマジかッ! ダイヤノイドの性能というよりも、そういった調整をされた魔術か? クソッ……あぁ腹が……」
俺が魔力を生成できれば、相反する魔力の波で打ち消せばどうにかなるかもしれないが、部分的に無力化してもおそらく意味はない。ダイヤノイド全体を包んでいるだけに、ダイヤノイド全体を揺らしでもしなければ意味ないだろう。
どうしたものかとダイヤノイドを見上げれば、轟音と共にダイヤノイドの中から閃光が伸びる。赤く融解したダイヤノイドの外壁は、すぐに無数の格子が伸びて塞がれる。ただあの光は……波など拾わずとも、何度か見たことのある輝き。ダイヤノイド内部に宇宙戦艦が停泊しているらしい……マジかぁ……。
麦野さんだけ……と言うのは楽観か。おそらく『アイテム』も一緒だろう。だとすれば浜面もおそらく。此方にとって良い知らせと見るべきか、悪い知らせと見るべきか。上条だけでなく浜面まで……黒幕が何をしたいのか分からないが、少なくとも良いことではないだろう。
全ては俺が銃弾一発避けられなかった所為だとするなら、自分で自分が許せない。『
ゴンッ!!!! と一度燻る想いを叩き付けるようにダイヤノイドの壁を殴れば、腹部の傷が僅かに痛み疼く。
「……あぁ腹が……」
「何をやってるんですの貴方は……」
腹を摩っていると、呆れ切った少女の声が上から降って来る。背後で打ち鳴る足音を追って振り返り、連絡した通り来てくれた黒子に手を挙げた。ため息を吐きながらも、瞳までは呆れに侵食されておらず、再び轟音を上げて瞬間的にダイヤノイドの外壁を貫く内からの宇宙戦艦の砲撃を黒子は見上げると、顔を俺へと戻し首を傾げた。
「急に連絡を寄越したかと思えば
「大丈夫だよ。だからそうムッとするな。連絡をすぐしなかったのは悪かったが、相手が相手だったからな。あまり大事にはしたくなかったんだが」
「貴方自身に関する事での『大丈夫』ほどアテにならない事もありませんの。こうなっては貴方の心配も無意味でしたわね。放送局を抑えられているのか内部の状況も分からず、学生や一般市民の多くは内部に取り残されたまま。
「あったらもう言ってるよ」
「でしょうね」
生憎と恨みを買い過ぎているので候補だけなら幾らでも挙げられるのが面倒だ。少なくとも魔術師が関わっているだろう事は分かったが、そこから絞ろうにも、オティヌスに手を貸した魔神騒動を思えばこそ、魔術師からも幾らか恨みは買っているはず。
「首謀者の目的も分かりませんの?」
「俺を餌に円周と釣鐘を引き摺り出したのなら、二人の内のどちらかに関わる事なのかもしれない。上条や
黒子は考えるように腕を組んだ手の指で二の腕を叩いていたが、少しすると顔を上げる。
「……能力者だけの案件なら、『木原』である円周さんや、
「『
「それにしたってハムさんに『
「……それも相手の狙いかな?」
どれだけ強固に封鎖しようが、
「……黒子、一般市民の避難にはどれだけの時間が掛かる?」
「どうでしょうね。全員を外に逃していてはそれこそ時間が足らないでしょうし、逃すなら逃すで優先順位を設けて逃す者を選ぶような間抜けな事はしたくありませんから。
「なら最初に俺を送れ。内部で戦闘でも起こっているなら真っ先にそれを鎮圧するとしよう。おそらく出入り口に一定数の学生達が既に殺到しているはずだ。そこを一先ずの安全地帯とする」
「ですけれどそれは……」
俺の腹部へ目を落とす黒子の視線を払うように狙撃銃の入っている弓袋を背負い直し、
「仕方ありませんわね。『
「問題ない、任せておけ。『
「それは、わたくしに言っていると思っていいんですわよね?」
勿論と口には出さずに笑いながら黒子の肩に手を置けば、目にしている視界が切り替わる。