ぎゃあぎゃあと防犯オリエンテーションの喧騒が遠くから聞こえてくる。他の暴漢役達は未だ頑張ってくれているらしい。
所変わって保健室。別に怪我をした訳ではないが、コーラ=マープルとくだらない争いをした結果、コーラが速攻でバテて地面に崩れ落ちた為、渋々学校の保健室に運ぶ事になった。学区全域でのオリエンテーションという事もあり、保健室の先生は外の救護所の方に出ているらしく、人がいないのは幸いだ。ベッドの上で気分良さそうに手足を伸ばしている情報屋を、置かれているソファーに黒子と並び腰掛けて黒子と共に見つめる。
「……電脳娼館ねぇ」
「孫市さんはご存知ですの?」
「『電脳』なんていうのは元々付いてなかったと思うがな、怠惰の悪魔の名を冠する娼館の名前は聞いた事がある。ほとんど都市伝説だ。子供が主をしている情報屋。初めて名前が表に出たのは確か、地中海の過半を覆い尽くしていた全盛期のオスマン帝国」
「……少なくとも今から四、五百年は前ですか」
どころかもっと古い可能性が高いが。
イスラム社会における女性の居室、通称『
ハレムにいる女性の夫や子供、親族以外、立ち入りが禁じられていた女性の花園。『性的倫理の逸脱を未然に保護するためには男女は節理ある隔離を行わなければならない』とされる文化的な背景もあり、ハレムの維持には多大な経済力も必要とされた為、富裕な階層、即ち王侯貴族の宮廷においてハレムが厳密かつ大規模に営まれていた。江戸城の大奥にイメージは近い。
それとは別に栄える国では性産業もまた盛んになるというもので、日本で言う吉原、所謂色街が発展し、ハレムには住まう夫人方の奴隷も侍女として置かれていた為に、そういった奴隷達の流通から王宮の情報が抜き取られる事もなくはなかった。そんな中で頭角を表したのが『娼館Belphegor』。
中でも十七世紀、君主の母后が政治を自由に動かす『女人の天下』と呼ばれる時代。その中で暗躍を繰り返し、好きなように情報を操作していた裏の帝王。魔術師も傭兵も現代よりも幅を利かせていた時代。そんな伝説が表にも裏にも駆け巡った。陰謀論のような都市伝説に違いない。と思っていたのだが、その娼館の主人が目の前にいると。
伝説が目の前にいる今は大変面白いが、それとは別の理由で胃のあたりがむかむかする。理性関係なく水と油のようにどうにも混ざらない感覚。コーラ=マープルが娼館の主人か……なんか気に入らねえ。
「お前はうちの学校に寝に来たのか? 話があるならさっさとして欲しいんだがな」
「忙しないなぁ〜、まぁいいけどぉ〜、話としては簡単でねぇ? サンジェルマンちゃんがちょっかい掛けて来たでしょぉ〜? 間接的にでも。あの時はどうにかなったようだけどぉ〜、同じような事が何度もあると困るんだよ。実際にサンジェルマンちゃんの手が成功していたらわたちも法水もここにはいない」
サンジェルマン。その名を出されて指先がぴくりと動く。サンジェルマンを追う中で『電脳娼館』の名前など出なかったのだが、どこで知ったのか。伊達に伝説の情報屋ではないと言うべきなのか。ただサンジェルマンは確かに俺の内に燻る本能以外の名も口にしていた。その内の一体は確かに俺の目の前にいる。
「そんな訳でねぇ〜法水、貴方は自分の事どこまで知ってる?」
「なんだ急に、今日は自分を知ろうの会なのか?」
「そういうことぉ〜」
寝返りを打って即答するコーラを前に、僅かに隣に座る黒子へと目を流す。コーラの言う自分とは、間違いなく『法水孫市』という個人を指して言っているのではない。サンジェルマンが口にした巨大な本能。俺とコーラの間に目を泳がせる黒子も何かを察してか心拍数が上昇している。これから俺とコーラがする話は世間話などではないと。俺も自分で薄っすらと気付いてからどこかで話さなければならないだろうとは思っていたがそれが今か。周りに音が聞こえないくらい小さく舌を打つ。
「そう言うって事はお前は俺よりも自分の事が分かっているんだろうな?」
「法水よりはねぇ〜。浮上したばかりのそっちと違って、わたちは生まれた時からなのら。生まれたと同時に怠惰に呑まれて心肺停止し掛かったらしいからねぇ〜、これは他者を必要とする気概が薄いこっちの本能の性分の所為とも言えるけど、だから移り変わり激しくってぇ〜」
「あっそう」
気取らずゆるゆると言葉を吐くコーラには、嘘を言っている気配もなければ、ほとんど感情の起伏もない。まっ平の一直線。波紋一つなく凪いでいる湖面のようだ。筋肉の軋む音さえほとんどせず、マジでだらけきっている。それとは対照的に思考の波は複雑で拾い切れない。円周でも思考パターンを拾えるかどうか。
「法水は自分の中にいるものの正体、何か分かってるぅ〜?」
「孫市さんの……中?」
「……二重人格にも似た衝動。言うこと聞かない本能」
「まぁ間違いじゃないかなぁ〜」
少しばかり顔を歪める黒子を視界の端に捉えながら、コーラから目は離さない。話す事の内容はなんとなく分かったが、なるほどこれは聞いておいた方が良さそうな話ではある。黒子がいるのが気掛かりではあるが、俺だけでは誰かさん達が知っているらしい俺の何かに辿り着くまで無駄に時間が掛かるだろう。
感覚的に分かる自分と同じ存在。だからこそ話す内容は正確ではあるはずだ。嘘なら嘘でそれもまた一つの判断材料にはなる。ただ
「わたちは嘘を吐くのもめんどがるタイプ。間違いじゃないけどぉ〜、本能からの訴えを信じ過ぎない方がいいよって言っておいてあげる」
「お前ど」
「読心能力者の類じゃないよぉ〜? わたち達には超能力も魔術も壊滅的に扱う才能ないからねぇ〜?」
先読みして俺の言葉に被せんじゃねぇ。食蜂さんと話してるみたいだ。どう頭を回せば相手の話す事を先読みできるのか知らないが……いや待て。『達』? こいつ今わたち達って言った?
「それひょっとして俺も含まれてね?」
「そうだけどぉ〜? 開発受けたところで
えぇぇ……マジかよ。なんか重要な事すげえさらりと言われたんだけど? マジで? 喚き驚く暇もねえよ。超能力も魔術も特別率先して身に付けようとは思わなかったが、思わなかったとは言えそっち方面頑張っても0点しか取れませんの宣告は中々に効く。思わず黒子の方へ顔を向ければ目が合った。数瞬の沈黙が流れる。何を言おうにも気まずいのですぐにコーラの方へ顔を戻す。さっそくやってくれたなこの野郎。
「そもそもさぁ〜? 身の内に既に原罪の法則が流れてるのに別の法則を取り入れられる訳がないでしょぉ〜? 歯車が噛み合わなくて動作不良起こすだけだよねぇ〜って」
「それは……『
「あぁ〜、似て非なるものだよ。現実に流れている誰もが観測できる大きな流れとでも言おうかな? 白井ちゃんに分からなかったとしてもぉ〜、法水には分かるでしょぉ〜?」
隣から黒子の視線を感じる。
感情。誰もが持ち得る特別でもない数多の色。決して特別ではないが、強弱だけには差が生まれる。時と場合によってそれも変わるが、なくなる事だけは決してない。追う事をやめられず、追い続けたい強大な衝動。その衝動が指の先端まで支配している。超能力も魔術も別の法則を使う技術であるのなら、手放そうにも手のひらにめり込んでいるような法則を持っているのに、新たに何かを掴めるはずもない。
「つまりなんだ、俺達の中には己が意志とは別にオフラインの何らかのネットワーク的なものがあるとでも考えればいいのか?」
「そんなシステムチックなものじゃないよ。もっと不安定かなぁ〜って。感情なんてそんなものだしぃ〜、だから使い勝手悪いんだけどねぇ〜」
「どう悪い」
「中身が同じだったとしても、結局入れ物に左右されちゃうんだよ」
本能と理性は二つでセット。そのバランスが何よりも大事であるが、問題は、俺たちの場合本能がどうしようもない暴れ馬だという点だ。理性を働かせるエネルギーとして本能、感情を使うのとは違う。大きく畝り揺れ動く巨大な本能が突っ走らないように、首輪として、手綱として理性を使っているのに近い。個人の感情以上に意思さえ感じる巨大な感情。それはもう変わらない。コーラが言う入れ物とは即ち、手綱を握る外装。
「馬鹿と鋏は使いよぉ〜、あんまり褒めたくないけどさぁ、法水は歴代の『嫉妬』の中でも当たりの方だよ? わたち達の場合エンジンはおんなじ。後はそれからどう力を引っ張ってくるか。他人を羨んだ後どうするか。妬む〜? 消しちゃう〜? 逃げる〜? 少なくともそれを選べるのはわたち達入れ物である外装だけなのら」
「そりゃなんだ。絶大な葛藤の果てに自死を選んでないから俺はマシって言いたいのか?」
「そんなところかなぁ〜。わたち達の死因で最も多いのは感情に振り回されての自滅。手放せない感情を抱えながらそれに添い長く生きられる者は多くはないのら。死んだところで中身にとっては外装が変わるだけぇ〜」
深い息を吐きながら、コーラは抱き枕を抱き締める。僅かに揺れる感情の軌跡に目を細めるが、すぐにまた平坦に戻ってしまう。俺の人生にくっついて離れない本能の寄生虫。誰の中でも微睡んでいる本能という名の生物にも似た何かがどんな物語を紡いで来たのか興味が湧かなくはないが、極論を言えばどうでもいい。俺は俺であって、それが俺の衝動であるのならば、何者であってもそれも俺でしかない。
「ちょっと待ってくださいません? わたくしは話が全く見えないのですけれど、結局なんの話なんですの? 貴女達は顔を合わせているのにまるでお互い別のものを見て話しているような────」
黒子が遂に口を挟み、コーラの瞳が黒子へと向いた。深くは聞かなくても、俺達は俺達を最低限ある程度分かっている。他でもない自分の内側にあるものの話。だからこそ、そうでない者にとっては話の筋が浮ついて見えるだろう。俺は顔を動かせず黒子を見れない。俺が必死を追ってしまうその根元のような話。そんな事はあまり話したくはないのだが、今ここにいる以上誤魔化しは効かない。
「その通りだよ白井ちゃん。能力者同士にしか分からない話があるように、魔術師同士にしか分からない話があるように、多くは語らずとも一定の基準を満たした両者間でなら通じる話ってあるでしょ〜? わたちも法水も同じなんだよぉ〜」
黒子が小さく息を飲み、決定的な事を聞く。
「……貴女と法水さんは一体何だと言うんですの?」
そして間を置く事もなくコーラは返す。俺に睨まれていても気にせずに、嘘をつく手間など掛ける事もなく。
「人が手放せぬ『原罪』を背負う者。一つの感情を統べる魔王。悪魔の名を持つ本能を抱えている檻とでも言おうかなぁ〜?」
「魔王とは……これまた、なんともファンタジーですわね」
「魔術師や魔神を知ってるだけにそこまで驚かないねぇ〜、でもわたち達は能力者でも魔術師でもないんだよ。区分が違うんだなぁ〜。それこそ世界が宗教に塗れる以前からこの世界に存在しているんだしぃ〜」
「貴女も孫市さんもそこまで歳をとっているようには見えませんけれど?」
「魔王の正体は感情だも〜ん」
「……その言い方では感情が生きていると言っているように聞こえるのですけれど」
馬鹿らしいと言葉の端々に匂わせながらも黒子は言い切るのだが、俺もコーラもそれを馬鹿らしいとは切り捨てない。その意識の違いが気持ち悪いのか黒子は口の端を歪ませて、隣に座る俺の服の袖を摘んだ。黒子はきっと、俺が否定する事を待っている。だが俺は否定できない。意思ある感情。そんなものは最早大前提。
「そうだよぉ〜? それを前提にわたちも法水も話してるの。わたちの中にも、法水の中にも、言ってしまえば別人が一人住んでるんだよ。よっぽどの事がない限り表には出ないけど確かにいるのら。神様にもどうにもできない、剥がれる事のない衝動がさぁ〜」
「そん、な話ッ、急に聞かされてッ」
「信じられない? でもね白井ちゃん、魔神なんて奴らがいるんだからぁ〜、魔王がいてもおかしくないでしょ〜? 多くの宗教で七つの大罪と呼ばれる七体の悪魔。わたちと法水はその内の二体が身の内の底にいる」
「……孫市さん? 貴方は……」
「知ってたよ。ある程度確信を持ったのはバゲージシティに行った時だけどな」
そう言えば黒子は口を閉じる。話を噛み砕いている最中なのか目を泳がせて。俺だって関係ないところでこの話を聞けば、一笑に付していただろう。ただ他でもない自分の事だから笑えないのだが。少しばかり静かになった保健室で、今一度コーラと向かい合う。
「前提の話はもういい。聞きたい事もない訳じゃないが、魔王講座も今はもう結構だ。本題に移れよさっさと。ただ親切で色々教えに来た訳じゃないだろう?」
「まあねぇ〜、寧ろこんな話白井ちゃんまで巻き込んでただするだけならアレイスター=クロウリーに白井ちゃん殺されちゃうかもしれないし」
「……テメェ」
「怒らないでよ、
アレイスターさんの名前がここで出てくる訳が分からないが、つまり俺やコーラが持ち得る『原罪』の話はそれだけで極秘事項に分類されるだけの話ということか。それが分かったのはありがたいが、勝手に黒子の命を秤の上に置いたのは気に入らない。身の内で鼓動が大きく跳ねる。だが今コーラをぶっ飛ばしたところで何が変わる訳でもない。だから話を聞くしかない。そこまで見越して俺との話し合いに黒子まで巻き込んだのだとしたら、この女は見た目に反して相当肝が座っている。
「魔神達が動いたよぉ〜」
沸騰しそうな思考を、そんな一言が撫で付ける。どこまで見越して話しているのか知らないが、『魔神』のやばさはもう十分知っているからこそ無視もできない。
「……サンジェルマンも似たような事を言っていたな」
「黒船来航みたいなぁ〜? 彼らには彼らの思惑があるんだろうけどさぁ〜、残念ながらそれを歓迎してる者はこっちにはいないんだよ。アレイスター=クロウリー含めてね」
「……アレイスターさんもその動いてる魔神達を排除しようとしてるって事か?」
「そんな感じぃ〜、だからこっちから勝手に足並みを揃えてやれば、邪魔さえしない限り急に殺されたりする事はないよ。だから要はわたち達と法水達で共闘しようじゃぁ〜ないかってね。少なくとも魔神達の騒動が終わるまで」
……なるほど。確かに魔神が相手であるのなら、味方は多いに越した事はない。オティヌス一人でどれだけの戦力を必要とした事か。それが今度は学園都市で、アレイスターさんまで味方のようなものと。アレイスターさんが味方なら、コーラの言葉を信じる限り邪魔さえしなければ学園都市が味方も同じ。席を立ち、コーラが横になっているベッドに歩み寄る。
そして、大層できがいいらしい情報屋の頭を掴み吊り上げた。
「ふざけるなよッ、共闘? 断れないような状況作っておいて共闘だと? テメェ、俺との交渉に黒子を使いやがったなッ! このまま頭蓋を握り潰そうか? それともよく回る舌をまだ動かすか? 『
この為に本題に入る前に関係なさそうでいて導火線の伸びていた話をしやがったな。言うに事欠いて共闘などと、それっぽく言っているだけでその実強迫と何が違う。「痛だだだだだッ⁉︎」と叫びコーラはプラプラ揺れるが、掴む手を緩める事はない。背後で顔を青くさせて座っている黒子の鼓動を拾う度に手に力が入る。
「あぁもぅダッリィッッッ⁉︎ 悪魔が悪魔を雇う事ほどおかしな話もないでしょぉ〜⁉︎ 要は遅いか早いかの違いだけなんだよぉ〜‼︎ 共闘しようがしまいが法水なら絶対魔神を穿つ事に決めると言ってあげちゃう! その手順を一気に省略してあげたのにぃ〜⁉︎」
「穿つかどうかなんて自分の目で見てから決める。テメェが決める事じゃねえ! 俺の必死は俺だけのものだ! テメェの手のひらの中にわざわざ収まってやると思うのか?」
「ッ、読み合いでわたちに勝てると思う? 我が快適の為ならばわたちは出し惜しまない。出し惜しんで快適じゃなくなっちゃ意味がない。見れば同じ結果になるって言ってるのにッ!」
「だったら見せてみろ!」
「
「ッ⁉︎ 黒子ッ!!!!」
コーラをベッドの上に放り捨て、座り呆けている黒子に手を伸ばして抱き寄せる。それと同時。大きな波紋が体を覆った。校舎から離れた地面が隆起する。地震のように広がる波紋が訴え掛けて来るのは腕の形。さした予兆もなく、まるでそれが当たり前であると言うかのように地面から持ち上がった大地の腕は、緩やかに振られ校舎に落ちた。
────ッッッ!!!!
強大過ぎる衝撃と振動が音を掻き消す。強烈な一撃に一瞬感覚器官が停止する。ただ腕の中の黒子だけは手放さぬように抱き締めて体を丸め、暗闇の中薄っすらと目を開ける。
先程まであったはずの保健室の壁の一面は消失して瓦礫の山になっており、飛び散った鉄筋や瓦礫が残った壁に突き刺さっていた。ゆらゆら揺れる電線と、明滅している蛍光灯。零れた薬品の匂いが部屋に広がる。コレをデタラメと言わずなんと言う。いや、そもそもコーラの奴、魔神がいると言っていたが一体どこにッ。
「……法水が波を見つめ拾える弊害だよ。魔神は単体で別世界に等しいからそれだけ大きな波を持っている。その波に身を浸しちゃうと波紋の範囲が広過ぎるだけに逆に居場所の特定が難しいんだよぉ〜、オティヌスの時もそうだったでしょ〜?」
「お前ッ、魔神が近くに居るって分かってるならッ!」
「分かってたら何? 勝てない時にやる無茶ほど無駄な事はないよねぇ〜って」
この省エネ怠惰野郎がッ! 一言多い時と一言少ない時が極端過ぎるッ。文句を言おうにも適当に躱されそうなので口を噤み腕の中の黒子へと目を落とせば、怪我はしていないようでほっとする。細かな瓦礫の砂埃が張り付いている黒子の頬を指で擦れば、パチパチと黒子は目を瞬いた。安堵し口端を小さく持ち上げるが、それもすぐに固まってしまう。
「くかっ! くかかかかかかかかかかかかかかかっ‼︎」
肌を騒つかせる笑い声が、薄っすらと瓦礫となった校舎の向こうから響いてきた。その乾いた笑い声が、破壊された景色とは対照的に何かを異様に楽しんでいるような尋常じゃない笑い声が衝動を揺さぶる。本能に訴え掛けてくる。笑っている者がこの景色を描いた張本人だと。その笑い声の波紋が浮かび上がらせる校舎の瓦礫から人の形は感じないが、十人、百人、人が巻き込まれたとしても気にせず笑っているのだろうという薄暗い爽やかさがその笑い声にはあった。
その笑い声が思い起こさせる。デンマークへと共に逃げた前のいけ好かなかった頃のオティヌスを。『魔神』というものの傲慢さを。
「こっちだ僧正、来い‼︎」
そして魔神を惹き付ける少年の声を。
「……そうか、魔神達の狙いは」
「上条当麻」
コーラが名前を告げるが、一々言われなくても分かっている。サンジェルマンが上条を狙ったように、魔神達の狙いもまた同じ。異能を打ち消す優しい右手を求めているのか、上条自身を求めているのか分からないが、その結果がコレか。立ち上がり黒子も床に立たせて胸ポケットのライトちゃんの頭を叩くのだが。
「仕事の電話は来ないと思うなぁ〜って。基本的に魔神なんて立ち向かう相手じゃないんだよ」
「それでもそれが俺の仕事だ」
「でもどうするのぉ〜?」
どうするか。学園都市の防衛が仕事である事には変わりなく、例え仕事が来なかったとしても、学舎が壊され上条が追われているこの状況。大変ですねとただ見送るなどできようはずもない。急な校舎の崩落にようやくあちこちで悲鳴が聞こえて来る。脅威がやって来た。平穏を壊す者が。一手でまず校舎を潰そうなどと考える相手を野放しにはしておけない。
「……お前は共闘がしたいんだったな?」
「乗り気になったぁ〜?」
別に乗り気になってなどいない。黒子を餌にしたのが何より気に入らないし、気に入らない事の方が多い。だが、コイツはこの場に自分で来た。波を拾わずとも体格を見れば殴り合いが得意じゃないだろう事は容易に分かる。戦闘者の体付きではない。それに加えて、
「……お前自身が来た方が手っ取り早いと言っていたが、俺はそうは思わない。お前も組織の主なら何人も従業員がいるだろう。なんでもないような一般人でも介した方が俺からすれば波が読み易く話が嘘か本当かも容易く分かる。話の展開的に最悪俺に殺されていたかもしれない可能性を思えばこそ、お前自身が来る必要は全くない。上条を狙ってこの学校に魔神が来ていたと知っていたなら尚更な。なぜ来た?」
「快適の為」
「意味不明だ。それがお前の必死か?」
「そんなとこぉ〜」
「ならそれに懸けて並んでやる。取り敢えず今回に限ってな」
「法水のそういうところは嫌いじゃないよぉ〜、気に食わないけどねぇ〜」
渋々ベッドの上に寝転がるコーラの方へ手を伸ばし、共闘の証として物理的に手を結ぶ。思わず手に力を込めてしまいコーラは苦々しい顔を浮かべて呻いたが、黒子を餌にした罰だ。痛むのか握手した手を掲げて痙攣しているコーラから視線を切ってため息を一つ。上条の波も魔神の波も感じない。「こっちだ」と上条が叫んでいた通り、魔神を引き付け場を離れたか。どうしようか頭を回す横で聞こえて来るのは、黒子が俺の名を呼ぶ声。
「……孫市さん」
「……どうした黒子」
「話の全貌は未だに見えないですけれど、孫市さんは孫市さんですのよね?」
少し不安そうな顔で見上げて来る黒子を見下ろし、少しして笑みを返す。捨てられない本能。手放せぬ衝動。何をどうしようにも変えられぬ心の底。ただそれと同じく、何に気付き見たとしても俺自身も変わらない。
「当たり前だろう? 俺は俺だ」
そう言えば黒子は少しの間俯き、すぐに両手で自分の頬を己が両の手のひらで叩く。パチンッ! と響く弾けた音と共に、すぐに黒子の目の色が変わった。俺がどうにも目を離せない、手を伸ばしたくなる輝きの色に。
「でしたら何も変わりませんの。孫市さん」
「あぁ、波を拾った。幸い校舎の崩落に巻き込まれた生徒はいないらしい。小萌先生には悪いが、ここにはクリスさんにガスパルさんもいる。魔神を追うなら」
「お掴まりを。
「そこは任せたまえぇ〜、共闘の報酬で情報をあげるよ。能力者、魔術師、聖人、魔神、誰にでも通じるわたち達だけができる心を穿つ方法をさぁ〜」
黒子の肩に手を置いたところで、ベッドの上で手を振りながら、コーラがまた何やら物騒な事を言っている。心を穿つ方法。その言葉に円周の姿を思い浮かべるが、それより何より。
「お前いつまで寝てるんだよ。跳ぶっつってんだろ早く来い」
「うん! はい、じゃあおんぶして?」
「ぶっ飛ばすぞお前」
やっぱりどうにもこいつは嫌いだ。いやマジで。