時の鐘   作:生崎

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魔○‘s ⑥

 第二三学区から第七学区へ。無駄に長い帰路を歩いて帰る。消滅した彗星の衝撃でバスも電車も止まってしまった。寮に辿り着くより前に話す時間だけはできた為に、情報の共有がようやくできる。

 

「いいか、つまりだな。誰だって怒りを覚える事もあれば、気怠くなる時もある。赤だの青だの決まった色のように感情の区分があるとして、俺はその中で『嫉妬』を刺激し心を乱して超能力や魔術の運用を、法則をバグらせる事によって、心ある者誰にでも平等に銃撃の結果を与えたという訳だ。肉体性能だの魔術だの超能力だのの話ではなく、これは感情の、心の話だよ。精神・技術・体格の三要素、心技体を揃える事が『時の鐘(ツィットグロッゲ)』の目的の一つらしい」

「んう? それはあれか? あの世界で会った『赤い奴』の力を振るうのに最低限必要な肉体と、そのエネルギーの形を変え吐き出せるだけの最低限の技術が必要だったってことなのか?」

「だからその『赤い奴』ってのはなんだ?」

 

 上条とオティヌスが、無限に近い長い時を一瞬の間に共有してなんやかんやしたという話はデンマークから帰って来て入院中に聞きはしたが、件の『赤い奴』の意味が分からない。オティヌスはそいつが(すこぶ)る嫌いらしく、話の最中幾度となく鼻をこれ見よがしに鳴らしていたが、俺の身の内を回遊している本能と、意思を持ち動いていたらしい『赤い奴』が同一であると言われても納得するのは難しい。

 

 俺はそれの声を聞いた事もなければ、感じるのはいつも浮上してくる巨大な鮫の魚影。

 

 本当に意思を持っているのなら、何故手を出さずに傍観しているのか。俺の意思に反して体が勝手に動き続けでもしたら困ってしまうが、身の内に燻るナニカに意思があるのに、それが垣間見えないのも不気味だ。俺の衝動は誰かのモノで俺のモノではない。そんな考えもチラつくが、結局何を吐き出すのかは外装に左右されるような事を情報屋が言っていた。

 

 拭い落とせず、絶えず共にある本能。それが誰のものかなどと、深く考えても答えは出ない。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。聞いても上条自身分からないようで、お互いにお互いの事で分からない事が多過ぎる。

 

「ただ言えるのは、結局見方、見え方が変わっただけで別に俺達自身何も変わってないって事だな。じゃなきゃこんなボロボロの格好で帰路につこうとなんてしない」

「まったくだな。それよりいいのか? 法水も帰って来て。白井の奴は風紀委員(ジャッジメント)の仕事があるって行っちまったし、御坂は御坂で帰っちまったけど。法水は」

「脅威が消え去れば『時の鐘(ツィットグロッゲ)』に出番はない。街の被害の事後処理は正規の治安部隊に任せるさ。雇われ部隊が表で大きな顔をしても歓迎されないだろうしな。それにこれまで追われていたのは上条だろう。家に帰るまでが遠足というやつだ。魔神共が上条を追っているなら、上条を監視しとくのが一番手取り早そうだし」

「保護観察してますみたいなこと言うなよ。せめてもっと楽しい話をしてくれ」

 

 もっと楽しい話か。確かにロシアから学園都市に帰って来てからというもの、やたらと上条とも仕事の話をする事が多くなっている。相手が上条ばっか狙ってくる為仕方なくもあるのだが、俺と上条は仕事で初めて顔を合わせたような関係ではない。考え事を一旦頭の隅へと追いやり、俺と上条の着るボロボロの学生服を見比べる。そして狙撃銃の入っている弓袋を背負い直した。

 

「そうだな……防災オリエンテーションが半ば強引に打ち切られ、俺と上条のマジノ線(最終防衛ライン)はズタボロで留年が突破して来そうという……」

「楽しい話って言っただろうが! それのどこが楽しい話⁉︎ 悲しい話の間違いだろ!」

「魔神以上に打てる手の見えない最強の敵だぞ! 楽しい話以前に今のうちにどうにかしなければ詰む! 大覇星祭、一端覧祭に続き防災オリエンテーションまでもがおじゃんになり、いよいよ俺も本気で危機感が……いや待て、なんだか学園都市で大きなイベントがある毎に変なのやって来てね? おや?」

「馬鹿法水気付くんじゃない‼︎ 俺も薄々思ってたけども! きっとそう、これまでがおかしかっただけなんだ! そうじゃなきゃ嬉し恥ずかし学校行事が来る度に必要のない心配をする羽目になるぞ‼︎」

「クリスマスまでもうあと────」

「あぁあぁあぁあ‼︎ 早く来年にならねえかな‼︎」

 

 それ以前に果たして無事に年を越せるのだろうか。点在している問題を思い返せばこそ、よくもまあ五体満足で今も生きていられるものだ。その時はただ必死だっただけで、後になって色々と何やってんだろうなと思わなくもない。

 

 上条と二人しばらく歩けば、何故だか急に爆散した彗星の衝撃波によって窓の割れてしまっている学生寮が見えてくる。僧正が操り向かって来た彗星の消滅。単純に考えるなら、魔神の撃滅の為に動いているらしいアレイスターさんが打った手か。何をどうやったのかは分からないが、一手で事態をひっくり返してくれたのは事実。その結果地盤崩落をなんとか(しの)いだ学園都市の窓の数多くが四散する事にはなったが、彗星で文明ごと消滅するよりはずっといい。

 

 彗星が降れば硝子屋が儲かる、なんてことわざでもできるかもしれない。そんな馬鹿な想像をしながら、階段を上り部屋の前まで歩みを進める。

 

「上条、このままちょっとオティヌスに話を聞かせてくれ。鉄は熱いうちに打てだ。魔神の事は魔神に聞くのが一番早い」

「それはいいけどさ……俺はもうぶっちゃけ横になりたいぞ」

「それはいいが、廊下で寝転がるようならほっとくぞ」

「そこまで人間捨ててねえよ」

 

 どこであろうが寝転がっている情報屋にこそ聞かせてやりたい台詞だ。アクロバイクを漕ぎまくりヘロヘロになっている上条の代わりに部屋の扉を開けてやり、閉めた途端にチャイムの音が鳴り響いた。いや、タイミングよ……。ベッドへと歩きダイブしそうな上条の顔がげっそりと青くなり、肩を竦めて扉を開ければ立っているのは宅配便のおじさん。

 

 こう言ってはあれだが、彗星が爆散して警備員(アンチスキル)など色々な人が忙しい最中、それでも配達をやめない配達業者ってどうなの? 戦場を駆け巡る武器商人並みの逞しさだ。受け取りのハンコを押してすぐに宅配便のおじさんを追いやり、受け取った箱と共に上条は床の上に転がり込んだ。その振動が箱の中身を教えてくれる。

 

「一体どこの誰からだよこんな時に……」

「上条……その箱の中身人間だぞ」

「……は? マジでどこの誰からだよ⁉︎」

 

 箱の中身。波紋が腕や足の形を脳裏に浮かび上がらせる。ただそれは生きている。箱の奥底から滲む波紋の強靭さを掠め取り、僅かに目を見開く先で上条がダンボール箱を床に放り投げたのと同時。ダンボールが床にぶち当たる音を踏み潰すように、箱を破り褐色の足が外へと伸びた。

 

 狭い箱の中から這いずり出るように、大きさの見合わない腕や残りの足が続けて伸びる。褐色の肌が、銀色の髪が部屋の照明に照らされて輝く。目元には涙をあしらったタトゥー。体を覆うのは服ではなく真っ白な包帯のみ。波を拾おうにも拾い切れない別世界の波紋。その震源地。狙撃銃を覆っている弓袋を引き千切り、懐の軍楽器(リコーダー)へと手を伸ばす。箱から出て来たそれが一体誰なのか、上条が(つたな)くもその名を告げる。

 

「ネフ、テュス……?」

「……ぐっ、く。主要な臓器だけでも残しておいたのは、正解、だったわね」

「魔神か……サプライズにしては体を張るな。上条を追うにしてもそんな手を打ってくるとは、それにしたってその格好、女性の魔神とは痴女しかいないのか?」

 

 軍楽器(リコーダー)を引き抜こうと手を動かすが、魔神は立ち上がらずに床を這う。その弱々しい姿に毒気が抜かれて手が緩んだ。オティヌス、僧正、気を抜けば次の瞬間には死ぬかもしれない強大な力を持った存在。歩く天災。そのはずが。

 

「貴方と遊んでいる暇はないのよ『嫉妬』。上条当麻、私に協力しなさい。貴方にとっても悪くない話のはずよ」

 

 持ち上げられた新たな魔神の顔は上条だけに向いている。俺の事など眼中にはないらしい。魔神は見つけ次第穿たねばならないなどという事はないが、警戒しないなんて事もない。抜き出した軍楽器(リコーダー)を一本手の中で回す横で、上条が魔神に向かい合う。

 

「道だの鞘だの採点者だのの話なら俺は降りる。願掛けも神頼みもいらない、安心だのセキュリティソフトだの、お前達『魔神』のお守りなんて真っ平だ!!」

「もう、そんな話をしている段階じゃないわ……」

 

 ただ、弱々しい見た目と同じく魔神から零されるのは弱々しい言葉。上条を追う。魔神達が始めた事の癖にそんな段階じゃないとか意味が分からない。上条と一度顔を見合わせ魔神へと目を戻せば、絞り出されるのはこれまたよく分からない言葉。

 

理想送り(ワールドリジェクター)が出てきた…… 上里翔流(かみさとかける)が全ての『魔神』を『追放』しようとしているなら、貴方の傍にいるオティヌスだって危ないって事にはならないかしらね……?」

 

 理想送り(ワールドリジェクター)。上里翔流。なるほど……。

 

「上条、これはきっと悪儀な訪問販売と一緒だ。適当な事を並べて何か買わせる魂胆だ。魔神め、イヤらしい手を打ちやがる」

「上条さんの家にはそんなものを買う余裕はありません。お帰りはあっちだコラ」

「貴方達に慈悲はないのかしら?」

 

 こいつもまた受け取り拒否を認めないらしい。理想送り(ワールドリジェクター)ってなに? 上里翔流って誰? それよりもちょっと宅配業者のおじさんに戻って来て貰おう。魔神を宅配しに来たあのおじさんが一番怪しい。間違いないッ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「なぁ〜んだか急に馬鹿馬鹿しくなって来ちゃったねぇ〜」

 

 車の助手席を倒し、抱き枕を抱き締め横になっているコーラ=マープルの言葉を聞き流しながら、パワーウィンドウを下げたドアに肘を付いてメイヴィス=ド=メリクールは細長く紫煙を吐き出す。手に持った葉巻の火の灯る先を揺らしながら、騒々しい街へと赤っぽい瞳を流した。

 

「オメーでも予測できねェ事があんだな」

「そりゃ〜わたちは予知能力者じゃないからねぇ〜、魔神相手じゃ手は抜けないし、操祈ちゃんや海美ちゃんにそれとなく手を打って貰ってたのにご破算って感じぃ〜。もぅただ寝てたい」

「それじゃァオメーマジでただの穀潰しじゃなァい?」

 

 投げっぱなしジャーマンよろしく、ただでさえ無気力なのにより無気力になっているコーラへ目を移す事もなく、メイヴィスも一度舌を打つ。魔神達との戦争。そのつもりだった。世界を塗り潰すような相手であるからこそ、これまで表に大きく介入して来なかった二人も、己が世界が擦り切れてしまわぬように足を出した。

 

 だというのに、これまで追っていた僧正以外の魔神の足取りが消失した。『電脳娼館』と『女王蜂の派閥』。表と裏から情報を掻き集め、コーラが持ち得る最強の手札たる『情報』を操り快適を守るはずが、蓋を開ければその情報はただの紙屑。理想送り(ワールドリジェクター)。いつの間にか湧いて出た不可思議な力がこれまでの状況を洗いざらい押し流してしまった。

 

「せめて『前例』でもあれば予測に組み込む事もできたのにさぁ〜、魔神が減って心労は減ったけど、別の心労が顔を出すとか……。魔神ばかりを追っちゃって、魔神駆除業者? って感じぃ〜、嫌いだなぁ〜」

「ならそんなのに頭を回さなきゃいいだろうが。魔神だけを追うならほっときゃァよ」

「無茶言わないでくれるぅ〜、知ったなら思考は止めようがないってのにさぁ〜。法水も上条ちゃんもやってくれちゃって」

 

 そう言って、未だ鼻血の跡が残る鼻先を雑にコーラは拭う。見聞きして知ってしまった情報は、絶えず生まれ消えてゆくコーラの人格とは裏腹にコーラの中に留まり続ける。手足を動かすのは苦手な代わりに、動かずとも動かせる頭だけは常に回る事をやめない。コーラの意思とは関係なく、怠惰に情報は降り積もるばかり。

 

「だがよ、感情で感情を穿つ。魔神に人のように傷を付ける方法は成功したんだ。少なくとも実験は成功だろうが?」

「成功するのなんて分かってたよ。元々『時の鐘(ツィットグロッゲ)』のクソジジイが随分と前に形にした方法なんだからさぁ〜。わたち達の中に住む感情の怪物。法水のそれを白井ちゃんに見せる事に成功した。そっちの方がいい収穫かなぁ〜」

「悪趣味な奴だ。アレイスターの野郎が魔神に掛かりきりで仕事(くびわ)が緩んだから別の誰か(くびわ)を用意しよォなんてな。うちにその手は打つんじゃねェぞ。うちの恋人達に手を出したらオメーでも容赦しねェ」

「そんなキモい事しないしぃ〜」

 

 適当な生返事を返しながら、コーラは倒していた座席を起こし、今一度朱色の残る鼻先を拭う。真っ赤に汚れた服の袖を気にする事もなく、血の跡はただ広がるばかり。舌打ち混じりにゴシゴシと手を動かし続けるコーラを横目に見て、顔の向きは変えずに街を行き交う人々へとメイヴィスは目を戻した。

 

「問題は魔神を消してるポッと出か。情報が足りねェだろ。誰かでも送り付けて様子を伺うか?」

「それは却下。信頼できない相手ならそもそも送りたくないし、信頼できる者を送って何かがあったら快適じゃなくなる。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。寧ろ下手に手は出さないように情報を回して。いざという時は」

「オメーが行くって?」

 

 返事は返されず、差し向けられる赤っぽい瞳にメイヴィスも瞳を返す。全ては快適の為。コーラから見た快適。怠惰故に外装の意思を引き摺り落とし、長い年月渡り歩いて来た『思考の魔王(ベルフェゴル)』の記憶を引っ張り出せるが、それを扱う人格は、無限に生み出され捨てられる。いつ心臓が気怠さに負けて止まってしまうか、人並み以上に回している頭脳がいつオーバーヒートを起こして停止するかのイタチごっこ。

 

 『思考の魔王(ベルフェゴル)』の外装は、いつの世も短命。

 

 次の外装に移ったところで、食蜂操祈や獄彩海美を覚えていてもそれはもうコーラ=マープルではない。コーラ=マープルの快適とは────。

 

「オメーが出るくらいならうちが出るぜ。中学生のクソガキは学校にでも通ってのんびりしてろ。折角英雄達と絡めそうなんだ。こっから先はうちの時間じゃなァい?」

 

 懐から()()()()()()()()の編入試験に関する資料をコーラの膝の上へとメイヴィスは放り投げ、車のエンジンをかける。

 

「……わたち能力者じゃないんだけど? それに今更学校〜? それよりもやらないといけない事が」

「操祈がいんだからどうにかなんだろ。最悪予知能力の強能力者(レベル3)だとかホラ吹けよ。学園都市は学生の街だ。学生でいた方が融通効くじゃなァい? 歳上の言う事くらいたまには聞け」

「あのねおばさん、そもそも常盤台である必要性が」

「おばさん言うなクソガキッ!」

 

 アクセルを踏み込みコーラの口を強引に閉じさせ、メイヴィスは強く舌を打つ。気に入らない気に入らない。燃えるような情熱があっても追わない怠惰な想いが。『思考の魔王(ベルフェゴル)』が。コーラが何に恋い焦がれているのかなど気付いたところで聞きもしないが、『怠惰』を包む外装は別。『嫉妬』を包む外装も。ただ中身が(すこぶ)る気に食わないからこそ口に出してなどやらないが。

 

 決して届かず、靡かず、掴めず、燃え滾る火柱のような相手にこそ、身悶えする様に恋をする。『情熱の魔王(アスモダイオス)』たる衝動よりも、熱く淡く儚く激しく。

 

 それこそがメイヴィス=ド=メリクールの人生(物語)

 

 

 

 

 

 

 

 

「白井さん遅かったですね。マープルさんにメリクールさんは勝手に帰っちゃいますし、法水さんまで上条さんの護衛兼で帰っちゃうなんて酷くないですか? そりゃまあ脅威が消え去ったなら後の混乱を正すのは私達の仕事かもしれませんけれど、書類整理ぐらい手伝ってくれたっていいじゃないですか。事後処理を丸投げしてくれて、今度ご飯とデザートを奢って貰いましょう! せいぜいどえらく高価なやつを!」

「……そうですわね」

「白井さん?」

 

 呆けた様子で椅子に腰を落とす黒子をしばらく見つめ、規格外の魔神と相対した疲労感に少し参っているらしいと当たりをつけ、しばらく放っておこうと初春はパソコンの画面に向き直る。その背中を漠然と見つめ、黒子は大きく肩を落とした。体を崩し、額を机の上に押し付けて、鳥肌の立つ腕を摩るように抱え込む。

 

 

 超能力者(レベル5)、魔術師、空降星(エーデルワイス)時の鐘(ツィットグロッゲ)一番隊、魔神。

 

 

 これまで多くの想像の外にいる相手と相見え、それでも無事に潜り抜けて来た。スケールの違いなど今更の話。身近には敬愛する学園都市超能力者(レベル5)の第三位がいつもいて、時の鐘(ツィットグロッゲ)の総隊長が常盤台で何故か教師をやっている。十万三千冊の魔導書図書館であるインデックスは、今はもう愚痴さえ言い合えるような友人だ。

 

 どんな法則の中にいる誰が相手であったとしても、自分にできる事をする。そうする、そうしたいと決めた誓いを破らぬ為に。超能力者(レベル5)が相手でも、魔術師が相手でも、例え魔神が相手でも。黒子は誰より早く遠くへ手を伸ばし掴めるから。

 

 そのはずなのに。

 

(アレはなんだったんですの?)

 

 アローヘッド彗星が地球目掛けて降って来る中、ただ目を奪われた。羨望の弾丸が魔神を穿った事ではない。想像を絶っする魔神の力などではなく、天へと手を差し伸ばす上条にでもない。想像の及ばないナニカを見つめるスイス傭兵の瞳に。

 

(アレは……人の目じゃない。もっと獰猛なッ)

 

 虹彩を塗り潰すように広がった赤い瞳孔。ホオジロザメのような瞳は、人間のしていい目ではない。ただ目にしたモノに喰らいつく為の塗り潰された瞳。追い並ぶ。その結果待ち受けるのが破滅であっても止まらない。目は口程にものを言うといった言葉があるが、目にして初めて理解した。法水孫市のその奥から、ナニカが外を覗いていた。

 

 それが法水孫市なのか、そうでないのか。理解したくても理解し切れない。

 

 超能力者(レベル5)に、魔術師に、魔神に、誰が相手でも脅威であればこそ立ちはだかり向かい合う男。これから先も、きっと変わらず向かい合う。その相手が確実に死を呼ぶ者であったとしても。いつもと変わらず、追い並ぶ為に。

 

 震える指先を握り込み、黒子の姿が支部の部屋から搔き消えた。屋上の床を足で踏み締め、握り締めた拳を見つめる。

 

「掴めますの? ……わたくしに」

 

 いつも隣にいてくれる。苛烈な、悲惨な戦場であればある程に。その身に触れて同じ道を見つめ進んでいるはずが、彗星の落とす影の中、掴んだ男の身に触れてはいても、その際奥に触れられた気がしない。どれだけ遠くに行けるのに、誰より近いはずの者に届かない。

 

 握り締める手は虚空を握るばかり。形ない感情と同じ。掴み方など誰が知っているのかも分からない。追って届くものなのかすら。肩に触れ、腕を掴んでも、感情を掴んでいる訳ではない。

 

「逃がしませんわよ……」

 

 例えそうなのだとしても、握った手は緩めない。『船の墓場(サルガッソー)』で、デンマークで、突き進む弾丸の如く走る孫市の背を押した。ただそれだけではいつまでも、追い付けても掴めない。もしもいざという時、手が届く瞬間に、掴まねばならない時が来たとして、それが擦り抜けてしまわぬように。

 

 手を握り締める。何も掴んでいない手を。

 

 目には見えずともあるはずのものを手放さない為に。

 

 握り締め過ぎて肌から滲んだ血の一滴さえも零し落とさないように。

 

 夜空に向けて一人静かに少女は誓う。

 

 

「……手放しませんからッ」

 

 

 

 

 




魔○‘s篇、終わり。ここまで読んでいただきありがとうございます。

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