載舟覆舟 ①
上条を追い僧正と名乗る木乃伊の魔神がやって来て、どうにかこうにか凌いだら、痴女の魔神がやって来た。まる。
とても簡単に今に至る状況の変化を整理してため息を一つ。僧正がいなくなったかと思えば半日も経たずにコレである。魔神達から上条は大人気のようで、人型のゴキブリホイホイよろしく、まるで魔神ホイホイだ。核兵器よりも扱いに困る魔神達が一度顔を見せたと思えば芋づる式にずるずると。
魔術の世界に首を突っ込むと決めた時も、学園都市の問題に首を突っ込むと決めた時もそうであったが、一度境界線を跨いだ途端に拡張された世界が食い込んで来て忙しない。時の鐘学園都市支部に繋がる扉の前で胡座を掻けば、視界に映るのは仁王立ちしているオティヌスと
「で?」
「……はい」
「とうま、次から次へとポンポン居候を増やしてどうするつもり? こんなのちゃんと面倒見られるの!? 今月の家計もいっぱいいっぱいって大体いつでも口癖みたいに言っているのに!?」
「いやーこれで俺が怒られるのは流石に理不尽だと思うよ? だってネフテュスのヤツは勝手に宅配便でやってきたんだもの! 俺も事情は良く分かんないしーっ!! なあ法水!」
「受け取ったのは上条で、俺は関係ないですはい」
「急に他人事⁉︎ お前まで敵かコラァ!」
上条の部屋で魔神が暴れている。などという事態ならば、お隣さんとして事務所が破壊されるのも困るし学園都市の防衛の為に鎮圧するのも吝かではないが、全身汗だくでノックダウン状態の魔神を一方的に撃ち殺すのは流石に気が咎める。普通なら魔神を穿つにしても膨大な険しい道のりを越えた果てにそれがあるのだろうが、魔神とは言え何もしないのならば、オティヌス同様一般人と変わらない。
そんなオティヌスは迫り来る三毛猫にペットフードをお見舞いし、餌の壁も関係なくダイブして来た三毛猫と戯れているが、それでいいのか魔神。すっかり三毛猫お気に入りの高性能猫じゃらしのようになっちまって。『
「お前達見ていないで助けようとは思わないのか‼︎」
俺からは何も言うことはない。
「さっきも言ったけど、貴方達にとっても他人事ではないはずよ……上里翔流が現れた。……あの
同じ魔神であるオティヌスの事などそっちのけで、なんとか身を起こしたネフテュスが現れた時と同じ事を口走った。パッと見では気付かなかったが、波が萎んでしまっているオティヌスと同じ、ネフテュスから溢れる広大な別世界の波紋が穴開きチーズの様にスカスカだ。
全裸に包帯の褐色の美女。女豹のポーズを取るかのように上条の目前で身をくねらせる魔神を目に、
「これはもう不幸を超えた理不尽だと思うよ!?」
「なあオティヌス、魔神の中では服を脱ぎ捨てた痴女ムーブでも流行っているのか?」
「何故それを私に聞く?」
ほぼ裸みたいな格好で三毛猫に舐められているオティヌスをどう説明すればいい? 答えは簡単お前も痴女の一人だからだよ。口に出してやったりしないぞ言わせんな。
「……じゃあとうま、完全なる無の心でいられたと神に誓える?」
「げふん」
「……法水さん、また私達を除け者に一人だけ楽しもうなんてそうはいかないっスよぉ……」
薄く開いた扉を力任せに閉める。この戦闘狂どうにかしてくれ。ようやっと少年院からお仲間が出て来たのだから、こういう時こそそっちでよろしくやってて欲しい。どういう訳か力落ちていたとしても相手は魔神。何で火が点くか分かったものではない。おちゃらけて見えても、上条達もそれが分かっているだろうからこそ、敢えて魔神の真面目ぶった話に合わせず空気を柔らげようとしているのだろう。
「良いかインデックス、困った時には鍋に頼れば良いんだ。人数が増えれば増えるほど一人当たりのコストが減る親切設計、しかも同じ鍋をみんなでつつけば会話も円滑に進む、手っ取り早く馴染める! ネフテュスの野郎が何を抱えてここまでやってきたのかは知らないけど、絶対放置したってろくな事にならないのはもう目に見えてる。つーかさっきから寒くて凍えそうなんだよ! 一二月なのにガラス割れて窓全開とかどんだけ面倒臭せえんだ僧正ォおおおお!! そんな訳でやるよ! 今夜はあり合わせで適当に鍋作るよ!!」
してるんだよね? なんか急に鍋やる話になってる⁉︎ ほら釣鐘が我儘言うから肝心の話を……多分聞く必要ないとは思うけど聞き逃した!
「その適当にっていうのが許せないんだよ! ご飯は一日三回しか食べられない贅沢なの。だから一食一食に全身全霊をかけるのが基本でしょーっ!!」
それでいいのか修道女。またそんなアンジェレネさんが大手を振るって賛成しそうなことを言って、上条さん家の台所はもう
「鍋も何も、準備はあるのか?」
そもそもの大前提を三毛猫に舐められながらオティヌスが聞けば、大きく左右に
「あるわけないんだよ! 今日のお夕飯はもう決めてるんだから!」
「そう食糧大臣がおっしゃってますけど?」
「いやもう今日は鍋に決定! 反対意見は受け付けませーん!」
頬を膨らませる
「……おいインデックス」
「何ですかなとうま」
「少なくとも三日前にはスーパーの特売で買い出しを済ませていたはずだ。なのにどうして今、冷蔵庫の中に醤油と味噌しか入ってないんだ……?」
「げふん」
上条の追求に目を背け咳払いで答える
「てんめェェェェええええええええええ‼︎」
「騒ぐな騒ぐな。こうなったら事務所の冷蔵庫から食材分けてやるから」
「法水さん!」「まごいち!」
忙しなく表情をコロコロ変えて顔を華やかせる上条と
「木山先生……うちの冷蔵庫ってこんなすっからかんだったっけ?」
「人数が増えたからね。まあそういう事だ」
「空腹というのはどうしようもないものですから」
そんな事を言うのは青星さん。居候の一人の癖に何を我が物顔で事務所の椅子に座っているのか。事務員はこれ以上いらねえのに居座る気かこの野郎。無表情で上条の部屋へと戻り扉を閉める。餌を待つ雛のように目を輝かせている上条と
「食材よりうちの居候引き取ってくんね? 増えるなら一人も四人も変わらんだろ」
「いらねェェェェええええええええええッ‼︎」
「俺だっていらねェェェェええええええッ‼︎」
「うるさいぞお前達」
オティヌスに怒られた。居候の方がどういう訳か立場が上らしい。こんな世の中間違っている。いやマジで。
「で、その上里ってのは何なんだ? そもそも何でお前、そんなに弱々しくなってんだ。神様のくせに」
「……ひどい言われようだけど、否定できないのが哀しいところね」
晩御飯の話は食材がないので一旦置いておき、少しばかり落ち着いたらしい上条が炬燵へと移動しそう切り出した。急に魔神がやって来るは、急に魔神が助けを求めて来るは、なんとも酷い一日だ。
『魔神』、それだけで警戒に値するが、弱々しいネフテュスの姿にどうにも気が削がれる。演技ならば大したものであるが、己以外全員道端の小石のような態度で振る舞う魔神らしくはない。何よりも、感覚の目で見なくても、弱っているのは火を見るより明らか。波を見つめればより鮮明に。上里何某が何者であるのか知らないが、『魔神』を軽くあしらうような相手であるのなら、気にならないと言っては嘘だ。
「……
「えっ!?」
「えぇぇ……」
ネフテュスの言葉に思わず声が漏れ出る。
「いいえ、死んだというのは正しくないかも。上里翔流の
楽園追放かよ。話のスケールが神話地味ていて飲み込みづらい。『新たな天地』とか急に言われても、思考停止してはいそうですかとは返せない。ネフテュスだけが分かっているらしい話を整理する為に、一度上条が待ったを掛けた。
「ちょっと待ってくれ。色々新しいワードが出てきて頭が混乱しそうだ。上里?
「事実よ」
「でもそんなのどこで知ったんだ。仮に上里とかいうのと遭遇していたんなら、アンタだけ生き残っているのはどうしてなんだ」
「……私にも分からない」
「おいおい……」
それじゃあこの話はもうお終いじゃないか。誰も何も分からないものに対して、いったい何をどうしろと言うのだ。遭遇したらしいネフテュスさえ理解不能だと言うのなら、初耳の俺達にできる事など多くはない。
「気がついたら
「法水とは違うのか?」
「そんな不安定な感情の産物と一緒にしない方がいいでしょうね。それは別に特別でもない忌避すべき不純物でしかない」
「え? なに? 喧嘩売ってんの?」
魔神とかいう輩は俺の事嫌い過ぎじゃないのか? オティヌスの時もそうだったが初対面だぞ。俺を一瞥するも、すぐにネフテュスは目を背ける。そこにある事は分かっていても意識の中に入れたくはないと言うように。薄暗い感情から目を逸らすようにして、上条へと顔を戻す。余計な事を削ぎ落とすように、『あの男』とやらの事を告げる。
「そう……上里翔流本人は、どこにでもいる平凡な高校生にしか見えなかったわ。学園都市の学生かどうかも分からない。凡庸極まる顔立ちは、ひょっとしたら上条当麻以上に平均的でしかなかったかもね。少なくとも、高度な軍事訓練を何年も積み重ねたり、魔術結社にどっぷり浸かったり、『聖人』のような特異体質を持っていたり……といった空気はなかったわ」
「では
「おそらく
世界の抽選とはなんともアレな話だ。己を磨き技術を積む此方側からすれば、大事なのはそれであって、あったらあったでだからどうしたという話でしかない。漠然とした運命論よりも、上条の輝きに惹き寄せられて幻想殺しが宿ったという話の方が、確かに納得はできる。
それと同じく
「そもそもその、何なんだ?
「その
「ほぅ」
「……私も細かい検証は済ませていない。だけど上里本人の口振りから察するに、
「何だそれは? それは幻想じゃなくてただの現実逃避じゃないのか? そこにある世界を捨てられるはずないだろうが、泥水啜ってでも積み重ね続ける以外になにがある? 何にも隣り合わないというなら、自分じゃなくなるだけじゃないか」
「お前はそうだろうな刹那主義者め」
これまで黙っていたオティヌスに、今は口を閉じていろとジェスチャーを送られる。なんだか疲れたように深いため息を吐き出して、同類である魔神の方へと向き直る。幻想の集合体。そういった話に俺は必要ではないらしい。どうにも俺と『魔神』は相性がよくないようだ。
「
「言うまでもないけど、魔術業界の総力なんて九九・九%私達『魔神』が占めているわ。数だけなら少なくても、一人一人の力が桁違い過ぎるもの。世界の半分を覆う人間の魔術サイドだなんて、それこそ髪の先にも満たない」
「つまり勝手にお前達が上条当麻に失望したから上里とやらに
「……笑っている場合かしら。私達、真なる『グレムリン』が疑念を抱いたのはね、上条当麻が『魔神』全体を救う道から外れて貴女個人の『理解者』になってしまったのが元凶だと思っているのだけれど。つまり貴女が勝手をしなければ、こんな事件は起こらなかった。第三次世界大戦終結から続く混乱は、今日まで含めて全て貴女のわがままのせいなのよ」
俺に限った話ではなく、魔神同士も特別仲がいいわけではないらしい。全盛期のオティヌスを思い返せば、アレだけ強大な波紋。別世界のような巨大な波紋同士がぶつかり合う摩擦をよく思う訳もないか。殺意の滲む視線をぶつけ合う二柱を余所に、それは勝手にオティヌスを元凶だと思った魔神達側の所為じゃないのかと思わなくもないが、ただオティヌスに味方するのも癪なので口にはしない。ネフテュスに睨まれるのも嫌だ。
「おい待ってくれ! ここでケンカはやめようぜ。というかどう考えたって一五センチのオティヌスが張り手一発で叩き潰されておしまいなのに、お前はどうしてそう簡単にケンカ腰になるんだ!?」
「……貴様この神を誰だと思っているんだ?」
「痛いっ、焼き鳥用の竹串で経絡をつつくな!! だって女の子が本気で摑み合うトコとか一番見たくないわ。なんていうか魂に釣り針みたいなのが引っかかってしばらく抜けなくなりそうなんだよそのビジョン」
「おいやめろ。その理論で言うと瑞西の時の鐘本部で女の子同士のガチの殴り合いを日夜見ていた俺の魂は針の筵状態になるぞ。どうしてくれる」
「いや、それは知らねえわ」
表情を消した上条に優しく肩に手を置かれる。なんだその手は。ネフテュスはネフテュス達で、「ええと。女の子、ねえ……?」とか上条の発言のよく分からない部分を拾って面食らっている。そりゃ魔神だろうが見た目女の子なんだから女の子だろう。何を言ってるんだ此奴らは。何故か緊張の緩んだ場を見計らい、上条が提案を滑り込ませる。
「アンタ達『魔神』の頭がハイスペックなのは分かった。だけど人間の俺にも分かる程度に速度を落としてくれないか?」
「お前が知って得する事はなさそうだ」
が、いとも容易く鼻を鳴らしたオティヌスにあしらわれた。
「……またドSモードになってやがるな」
「真実だ。とにかくお前はこう思っていれば良い。上里翔流とやらは
「あら……。それだと説明が足りないというか、卑怯な言い回しに聞こえるけれど」
「最初から巻き込む気まんまんで何を言ってやがる、こいつの寝床に転がり込んでおいて自分だけ善人気取りか? それに、これで合ってる。なあ上条当麻、もしも私とネフテュスを今すぐ外に放り出せば上里翔流とのトラブルは回避できるとして、お前にそれができると思うか?」
その問いに、上条当麻は迷わない。檸檬は酸っぱい、唐辛子は辛いといった当たり前の事を吐き出すような気楽さで。
「
「な? こういうヤツなんだ」
「……なるほど。確かにここまでの異常者なら、私達の『採点者』にぴったりだったかもしれないわね」
質問した癖に質問した方が呆れてやがる。分かりきった答えをわざわざ聞いておいてなかなかに酷い。気持ちは分からなくもないが。何よりも『採点者』とか、留年の危機の上条に赤ペン先生を押し付けようとは魔神もぶっ飛んだ迷惑を考える。神様から呆れられ上条は
「そしてそのつもりならうかうかしていられないぞ、人間。今までお前は
分かりきった上条の答えを聞いたからこそ、オティヌスは上条に宣言する。
「相手が持っているのも同格のイレギュラーなんだ。つまりこれまで通りの、エースやキングの集団にジョーカーで挑むような戦い方はできない。ジョーカーとジョーカー。ある意味では、エースとエースの激突よりも不可解で先の読めない戦いだ。一度も経験がない以上は経験則の積み重ねによる展開の先読みも不可能。気を引き締めないと、
だからこそ、そう一度間を区切り、オティヌスの瞳が俺を射抜く。
「異能の積み重ねを持たず、別世界に執着せず信仰しない傭兵、お前達がワイルドカードになり得る」
「俺はジョーカーに対するスペードの3か? まあ誰にでも通用するだろう弾丸を持ってはいるが、
「ええ、見ていたわ。貴方達のそれはリソースの奪い合いでなければ、力のぶつけ合いでもなく、激情の押し付け。子供っぽいったらないわ。そんなモノの相手などしたくないのが正直なところね。いつの世も欲に溺れた輩はいたけれど、そういうのは知らない所で勝手にやっていてくれないかしら? 目の前でうろちょろされると潰したくなってしまうわね」
「それ今の話と関係なくね?」
「潰したところで消えないからこそ厄介だ。誰の中にも潜む寄生虫の親玉。外装が多少マシな事だけが救いだな。こういう時こそコレの使い所だ」
「お前ら俺に恨みでもあんの?」
仲悪そうなのに俺に毒を吐く時だけ意見を合わせるんじゃない。情報屋共もそうであったが、魔神達とも反りが合わん。放っておけば延々と俺への文句を並べそうな魔神二人を見据え、言いたい事を言うようならば、俺も言いたい事を言おう。
「つまりは、だ。それは俺を雇うって事でいいんだな?」
上里翔流が何者であるのかは知らないが、別に犯罪者や侵略者という訳でもないなら、学園都市の防衛にも関係なく率先して俺が相手をしなければならない理由はない。オティヌスも狙うようだとしても、それはもう一般人同士のいざこざで、傭兵が出張るような案件ではないだろう。ネフテュスの事などもっと知らん。自分達のいざこざに巻き込みたいのであれば、正式に依頼してくれればいい。デンマークでの旅が徒労に終わるのも癪ではあるし、オティヌスからの護衛の仕事なら引き受けてやってもいい。
オティヌスは小さく笑い、顎で上条を指し示す。
「それは上条当麻にツケテおけ」
「えぇ? 俺まだデンマークでの報酬も貰ってないんだけど? ボランティアやってんじゃないんだぞ。魔神を消し飛ばせるような相手の護衛なんだから費用は」
「ちょっと待て計算すんのをやめろ! オティヌスさん⁉︎ ただでさえ借金地獄がチラついてんのに更に上乗せしないでくださいます⁉︎ てかネフテュスが持って来た話なんだからネフテュスが払えばいいんじゃないかなって⁉︎」
「イヤよ、何故私がそんなのを雇わなければならないのかしら? 『嫉妬』を雇うだなんて笑い話にもならないわね」
「じゃあそういう事で、俺は帰るんで、後は頑張ってね」
「待ってぇぇぇぇええええ‼︎ 落ちる時は一緒にじゃなかったのかよ‼︎ そうだ法水鍋の食材を買いに行こう! みんなで鍋を突いて心温まろう‼︎」
「落ちるってのは留年の話だろうが。だいたい鍋で報酬チャラにはならんぞ」
「げふん」
応急処置的に貼られたブルーシートをはためかせ、割れた窓の外へと上条の咳払いは吸い込まれていった。これはもうダメだ。