「
泡に包まれていた右手からスッキリと全ての泡が消え去ったのを確認し、
「風呂から湯は奪うなよ」
そんな上里の背に掛かる呆れた声。なんだかんだと現状の上里勢力全員でやって来た銭湯の男湯の中には上里とエルキュール=カルロフの二人だけ。二人だけのはずが、一足早く体を洗い終え湯に浸かっているカルロフのおかげで酷く浴槽が狭く上里の瞳には映る。
水も滴る良い男と言うか、湯に覆われた彫りの深い強靭な筋肉に覆われたカルロフの上半身と鏡に映る貧相な己が肉体を横目に見比べて、上里は再び細く息を吐いた。自分も筋トレでもしないとマズイ、と不意に脳裏に過った言葉が忌々しい。
「羨ましいとでも言えばいいかな?」
なにがマズイのやら。いつの間にか戦闘を前提として頭が回っている。好きでこんな事をやってる訳じゃないと、上里が多用し過ぎているフレーズとは無縁の『強欲』。戦闘行為も半ば脅威でなく、やりたくない事は絶対やらない男。見た目も心持ちも上里とは違う『強欲』は、絶対大きさ足らないだろという小さなタオルを頭に乗せて首に手を添えゴキゴキ首を鳴らした。
「なにがだ? 生憎とオレは体を鍛えた事はねえ。筋トレとは無縁だぜ」
「本気で言ってる?」
「嘘を言ってなんになんだ? うぅん? 小難しい事を考える暇があんならテメェは右手の使い方にでも頭を回しておけよなぁ。鳥が空を飛ぶのに疑問を抱くか? 魚が水中でしか生きられない事に疑問を抱くか? オレもテメェも同じだろうが。コレがオレでそれがテメェだ」
生まれながらに世界最強の肉体を持って生まれたカルロフに他人との違いを羨む心は存在しない。なぜそうなのだ? と問われれば、そうだからが答え。違いとは比べるものであって、優劣の差は力で決める。自分のなににも憂う必要はない。あるとすれば奪えぬ苛つきのみ。
「嫌になったりしないのかい?」
「くだらねえ。自分にねえ力ってのはな、それ即ち必要ねえからだろ。あるって事はそういうことだ。なぜこんな力が自分にぃ? なんて悲劇の主人公気取りてぇならそいつの勝手。必要のない葛藤に溺れてるテメェは愉快だがなぁ、過ぎれば鬱陶しいから捻るぜ」
「……きみといるとなんだか色々どうだってよくなってくるよほんと」
湯で体を流して上里も湯船に浸かり、カルロフの隣に身を寄せる。絶対にブレない柱と同じ。隣に立てば嫌でも違いが明確に露わになる。その違いを忌避する事はなく佇む上里の横で、「うふふ」と男湯と女湯を仕切る壁の上から零される覗き魔を指先から滴る水滴を弾いてカルロフは撃墜し、上里は本気で色々どうでもよくなり遠い目をした。
「好きに動くって意味ではアレらの方が上手だな。そういうのはオレのいねえ所でやれキメェ」
「別にあなたの裸とか見たくないんですけど⁉︎ 自意識過剰にも程がありますっ‼︎ 上里さん‼︎ ゴリラに暴力振るわれました‼︎」
「それは全面的に
「そんなぁ⁉︎ ハッ‼︎ まさか上里さんが草食系万歳のような反応をするのはそっち系の可能性が⁉︎ 折角『根』のケーブルセンサーで銭湯に誰かが近づこうとしてもオートで迎撃するよう設定変更して時間までしっかり作ったのにッ⁉︎」
「
「阿呆だな」
むっつり眼鏡にあらぬ冤罪を掛けられて顔を手で覆う上里の横でカルロフが吐き捨てれば、湯船に落っこちた
『あっあの、さっきバスタオルも巻かずに女湯から出てドタドタドターって』
そんな
「ふはーっ!! まどろっこしい事はナシにしますえ! さあ上里はん、正々堂々正面から親睦を深めたりますわあーっ!!」
「いやッ⁉︎ カルロフもいるんだけど⁉︎」
「ゴリラは人間には入りまへん‼︎」
「そんな馬鹿な⁉︎」
男らしさなら上里とカルロフは雲泥の差のはずが、人でないから見られても恥ずかしくない例外だという暴論に上里は叫ぶが、カルロフも気にした様子なく出口に向けて歩いて行ってしまう。次元でも歪んでしまったのかと上里が頭を抱えるも、事態は待ってはくれない。
『あいつ……っ!! ついに最後の一線を越えやがった、かくなる上は私が盾になるしかねえか。なんつったって私は大将の護衛役だからな! 仕方ない、ああまったく仕方がない!!』
『きっ、汚ねえーっ!! それ言ったら私だって護衛役のはずじゃないですか!?』
なにが仕方ないのか意味不明な大義名分を掲げて、女湯にいた
「か、カルロフッ⁉︎ ちょちょ⁉︎ カルロフさんッ⁉︎」
「貧相な女に興味はねえ」
「「「ハァァァァァッッッ⁉︎」」」
上里の助けを呼ぶ声と乙女の絶叫を聞き流し、絵恋と入れ代わりに脱衣所に踏み込み早々にカルロフは戸を閉める。男湯の中で巻き起こっているだろう阿鼻叫喚には興味を向けず、着替えを済ませて待合所に出れば、フルーツ牛乳の自販機の前で何やら落ち込んでいるパトリシア=バードウェイが一人。カルロフ同様不必要な花園から逃げて来たらしいパトリシアの横に立ち自販機に小銭を突っ込み二つばかりフルーツ牛乳を買うとその一つをパトリシアへと投げ渡す。
「腑抜けた顔してんな苛つくぜ。ねえなら奪えばいいだけだろうが。喧しいがあの女共を少しは見習え」
「あ、あの」
「あぁ? オレのモノを整備してなにが悪い? いらねえなら返せ」
「も、貰いますっ」
「そうかよ」
フルーツ牛乳を一口で飲み干しゴミ箱へと投げ捨てると、カルロフはそれ以上何も言わずに銭湯の外へと出て行った。誰がどれだけ殻の中に閉じ籠ろうとも関係なくこじ開けてくる暴君。少女はダウンジャケットに覆われた薄い胸の真ん中に、フルーツ牛乳を握った両手を静かに当てた。善性や正義とは別の次元に佇む巨大な背中を見つめて。
「分かった、一から説明する」
上条の隣でそう切り出したレイヴィニア=バードウェイを僅かに睨むが、睨み返され目を逸らす。レイヴィニアさんにバシバシ殴られたお仕置きタイムは必要だったのか問い詰めたいが、「自業自得だ」と返ってくるだろう事が容易に分かってしまう以上、何も言えない。なんてこった。ぶっ叩かれまくった頬を摩っていると、顔色の悪いレイヴィニアさんの背を隣に座る上条が支えようと伸ばす手をレイヴィニアさんは手を突き出し遮る。
「だがその前に約束しろ。上条当麻、お前は絶対に私に触れるな。すでにここまで運ばれている以上、おそらく問題はないと踏んでいるが、念には念を入れておきたい。お前のワンアクションで全部台無しにされるのは本懐ではないからな」
「あん?」
「つまり私の胸に触るなと言っているんだ」
「バードウェイ、一つ尋ねたいんだけど、お前は俺を何だと思っているんだ???」
「逆にこう返そう。お前『だから』超怖いんだよ!!」
思わず吹き出した俺は悪くないはずだ。それこそこれまでの上条の自業自得だろう。レイヴィニアさんの言葉にへこんでいる上条へ、「はっきり言うが、今回のケースは身内の問題だ。お前達が関わるような事もなければ、世界の広範囲が巻き込まれる心配もない。最初に言っておく、これは私の人生だ」とレイヴィニアさんは続ける。
「そうか……じゃあお疲れ」
「おい法水」
笑みを消して立ち上がれば、上条に呼び止められる。が、関係ないと立ち上がり簡易で直した俺の部屋に繋がる扉を開ければ、扉に張り付いて盗み聞きでもしていたのか、口笛を吹き誤魔化している釣鐘と円周。あっちに行けと手で払うが、再び上条に名を呼ばれ足を止める。
「あのな、己が『人生』とまで言われたら俺には手出しするのは難しい。自分が嫌な事は他人にするなと言うだろう? 身内の問題なら尚更。俺がそうだったなら俺だってそう突っ込まれたくはない。仕事にも関係ないなら、レイヴィニアさんは時の鐘に所属している訳でもないのだし、お節介してこれ以上レイヴィニアさんに殴られるのは御免だ」
「賢明だな傭兵。お前のそういうところは気に入っている」
「全部聞いてからでもいいだろ。
上条の言葉に合わせてレイヴィニアさんと俺の舌打ちが重なり合う。上里翔流とエルキュール=カルロフが出て来ていたのは事実。関係あるのなら、聞き逃すのは得策ではない。『グレムリン』の一件から随分と上条が強かになっている気がしないでもないが、仕方ないので扉を閉めてそれを背に腰を下ろす。俺がもう動かないのを察してか、上条を睨みながら今一度舌を打ち渋々とレイヴィニアさんは口を開く。
「妹の件だ」
「ええと?」
「パトリシア=バードウェイ。ああ、お前自身はあまり馴染みがなかったか。かつて私とお前が関わった事件のちょうど裏側で、イギリス清教の魔術師と揉めていたに過ぎなかったんだったな」
何かを思い出すように天井を見つめるレイヴィニアさんから視線を逸らし、扉に張り付いている野次馬を払うように肘で扉を一度小突く。めっちゃ気乗りしねえ。が、パトリシア=バードウェイの名前には聞き覚えがある。
「パトリシア=バードウェイって、あのパトリシア=バードウェイか? パトリシア博士? パトリシア博士がレイヴィニアさんの妹ならそりゃあ……マジでびっくり」
「面識があるのか傭兵?」
「話した事はない。
「お前論文とか読むのかよ……」
「読む訳ないだろ。重要人物の情報を頭に入れてるだけだ。もし読む必要があるなら木山先生にぶん投げて概要だけ聞くね。なんにせよ、名前を覚えておいて損はしない。世界を渡っていれば名前を聞く者の一人だ」
パトリシア博士の概要を上条達に話せば、少しばかり自慢気にレイヴィニアさんの口元が緩む。魔術結社のボスの妹が世界的な科学者とは驚きだ。よくもまぁ繋がりを隠せていたものだ。レイヴィニアさんよりもパトリシア博士の方がどちらかと言えば身近だったのだが、恐るべきは『明け色の陽射し』の情報統制能力とでも言うべきか。全くうちの兄弟姉妹にも見習って欲しいものだよ。いったい今は何をやっているのやら。俺の身内の問題の悲しさよ。
「……何となく、鼻につくドSのちびっこが二人並んで阿吽の仁王立ちのイメージなんだけど」
「上条……お前は可哀想なヤツだな……」
「なんで⁉︎」
「性格は私と正反対だ」
「うわすげえ天使じゃん!! 非の打ちどころがなくて逆に怖いよ!!」
「言われなきゃ絶対に姉妹とは気付かないな。マジで」
「おい、先ほどから気になる言い回しだな」
不機嫌そうに眉を畝らせるレイヴィニアさんに上条共々睨まれ、また殴られては堪らないと両手を上げて降参の意を示す。だって見た目以外全然似てないんだもん。いや、科学と魔術の差はあれど頭の良さも似ているか。凄まじい姉妹だ……。
「バードウェイの名を冠するが、魔術師ではない。当然、パトリシアは結社については何も知らない。そうなるように、私が仕向けたと言った方が正しい。彼女の躍進に『我々』が何か口添えをした事もない。そしてパトリシアは、私がバードウェイの家柄に関する何かしらの組織を率いている事までは知っているが、魔術結社であると明確な理解までは及んでいない。おそらく古い貴族時代から続くサロンか何かだと勘違いしているな。ギリギリの線だが、常識人のラインだ」
「それが何なんだ? どうしてお前が毛皮妖怪になって学園都市をウロチョロ徘徊する事になるっていうんだ」
「けがっ……。まあ良い。私の他に、あそこにもう一人別口がいただろう」
ようやく本題か。小さく息を吐き出し深くボロボロの扉に寄り掛かる。レイヴィニアさんの妹の件とやらはレイヴィニアさんに任せるとしても、俺にとって必要なのは上里何某達の話。『
だが、「上里の事か?」という上条の問いにレイヴィニアさんは怪訝な顔を浮かべ聞き返す。悪寒が背を襲う。そして、オティヌスの答えによって嫌な予感に王手が掛けられた。
「『黒』の方だろう」
「待てよ……ひょっとしてあっちも『中身』は人間だったってのか!?」
「だから困っているんだ。本当にな」
怒りがぶり返したのか、レイヴィニアさんに睨まれ大きく顔を背ける。そりゃあ波紋がどこか似てる訳だ‼︎ 姉妹なんだから‼︎ パトリシア博士もボコボコに殴っちゃってたって? 不可抗力感が凄いッ。気付かないよそんな咄嗟にッ。エルキュール=カルロフの方に意識が持ってかれてたしッ、あっちの方がボコボコにしてたから間違いないッ。
「あれが妹のパトリシアだ。とはいえもちろん生まれた時からあんなナリをしていた訳じゃない。南極調査中にトラブルが起きたらしくてな。妙なモノに寄生されてあの状態に変質した、といった方が正しい」
「南極調査にぃッ‼︎ そりゃあ凄いッ‼︎ 俺でも南極は行った事ねえわぁッ‼︎ 遊星からの物体Xかよぉッ‼︎ ヴォストーク湖で漁でもしたってぇッ⁉︎」
「なんだ急にうるさいぞ傭兵‼︎」
じゃあそんなにレイヴィニアさんは睨まないでくれよ‼︎ パトリシア博士ボコったのは俺が悪い訳でもねえよッ‼︎ 急に化物やって来たらそりゃあ殴るだろッ‼︎ 中身に一般人紛れてましたとか罠だわッ‼︎ どこぞの映画宜しく宇宙人に寄生されたのだとしたらどこか夢のある話ではあるが、そんな事を言いでもしたらレイヴィニアさんにまた殴られるだろうから黙っておく。
「私も最初は丸めた報告書でマークの頭を引っ叩いたくらいだったが。しかし真面目に考えてみると厄介でな。結社の保有する手札を一枚一枚見比べていったら、いつしか暗黒大陸まで片足を突っ込んでいた。分かるだろう、組織の力を使っても打つ手なしだ」
「『明け色の陽射し』でお手上げなら、パトリシア博士の得意分野的に科学側の産物か? 学園都市に居るのもそれでか?」
「どうだかな。調査団の後援に学園都市がついていたらしくて、最初は『外』の協力機関に、それでもダメで学園都市の医療機関へたらい回しだ。ま、結果はご覧の通り。ベルト付きのベッドから抜け出して、表で自由に暴れている。科学サイドの手であの病を治すのは絶望的って訳だ」
組織の力もダメ、学園都市の力もダメ、それで遠路遥々レイヴィニアさん一人だけで学園都市に乗り込んで来ている訳か。どちらにも属してないなら宇宙人と言われたら信じてしまいそうな案件だ。
レイヴィニアさんから逃げていて最初の方の話は全く聞いていないが、上条に『触れるな、台無しにされる』と釘を刺した以上、何らかの対抗策を既にレイヴィニアさんは引き下げて来ている訳だ。流石と言うかなんと言うか。無意識に上がった口元を撫ぜ落とす。
「となると、お前の目的は」
「魔術を使った妹の治癒。少しは構造を理解してもらえたか? とはいえこれが厄介でな。すでに大方、そこの魔道書図書館が構成を暴いているとは思うが、カニバリゼーションは暗黒大陸由来のハイブリッドだ。『黄金』系で組織を束ねている身の上としては、あまりこういうものに頼っている所を部下に見られたくはない。ましてそれが自分の命よりも大切なものに関わる場面で、となると沽券に係わる。ま、厳密に言えば『明け色の陽射し』は生粋の『黄金』系でもなければ
「なるほど……身内の問題であっても事態は思ったより深刻だな」
「いや、組織の綱引きの話とかその辺の高校生にされても困るんだけど。悪いが俺はバイトもした事がないんだ」
上条と全く別意見の声が重なり合い顔を見合わせる。
これが一組織の末端の身勝手な行動ならまだしも、レイヴィニアさんは組織のトップ。組織が大きかろうが小さかろうが、トップが一人勝手に動いて下全員が不満を覚えないかと問われれば難しい。それとなく察したが、レイヴィニアさんが持参した手が教義とは別系統の魔術であるなら尚更。魔術界隈は宗教色が強いだけにそこら辺繊細そうだしな。
なによりも、気位高いだろうレイヴィニアさんが、『
パトリシア博士が助かったところで、レイヴィニアさんを炙り出す為にパトリシア博士が狙われる可能性が高まるだろうし、魔術界隈にパトリシア博士を巻き込みたくないというレイヴィニアさんのこれまでが台無しになってしまう可能性もある。伸びている導火線は一つではない。外と、下手すれば内から。
上条に説明しようかと開いた口を閉じる。言おうが言うまいがこの感じ、上条はレイヴィニアさんに力を貸すだろう。結果が同じなら今回は言わない方がいい。レイヴィニアさんからの視線も痛いし、喋ったら間違いなく殴られる。
上条の顔色が怪しくなってきたので話を逸らそう。
「それで? 肝心の黒いヘドロの正体は分かっているのかな? 対抗手段があるのは分かった。南極の寄生生物って話だったか? 未だ学園都市から仕事の電話が俺に来ていないあたり、学園都市全体がやばいというような代物ではないと見たが」
「まあそうだな、高い感染能力はないだろう。高い感染性を持つなら学園都市が内部に招くとは考えづらい……と信じたい所ではある。ひとまずは宿主に定めた妹の身体からは出ないはずだ。もっとも、パトリシアのバイタルが不安定になれば別の宿主を求める可能性もあるが」
「ならいっそパトリシア博士のバイタルを不安定にして外に引き摺り出すってのは安易か?」
レイヴィニアさんが渋い顔をする。安易ですかそうですか。まぁそんな事で解決するならレイヴィニアさんがわざわざ出張る必要はないな。
「『アレ』はパトリシアの全身の脂肪を溶かし、空いたスペースへ潜り込んで人のシルエットを保持している。脂肪に変わる栄養の蓄積と分配もまた『アレ』が行っている。つまり何にしたって妹の命は『アレ』に握られているのさ。下手に摘出しようとすれば暴れ回って体構造はズタズタにされるし、仮に上手く吸引できたとして、残っているのはガリガリのペラペラになった妹の抜け殻だけだ。体力が回復する前に衰弱死する。つまり、普通の方法では助けられない」
「なるほど、つまりその寄生生物とパトリシア博士の脂肪の代わりとなるものをまるっと一瞬で入れ替えられれば一番簡単に助けられる訳だな」
「何か手があるのか傭兵?」
「難しいな……が、手がない訳でもない」
「本当か法水⁉︎」
手がない訳でもないのは本当だ。脂肪の代わりとなる物は、垣根を頼れば恐らくすぐに手に入る。ただの脂肪よりも複雑な臓器を
追い出そうとした途端にパトリシア博士の体を食い破るとなれば、あまり時間は掛けられないが、寄生生物が生物である以上、円周の感情の弾丸を用いれば大人しくできるか? その隙に垣根の
「やったなバードウェイ‼︎ 法水に手があるなら」
「急ぐな上条、難しいとも言っただろう。どの手を使おうにも前例にない事をする羽目になるんだぞ。ましてや俺も俺の仲間も医者じゃあない。どんな不確定な問題が起きるかも予想できない。医療にさして明るくもない俺でも思い付く方法だぞ。学園都市側で似たような案があっても却下されている可能性が高い。俺の中でもニ、三案はあるが、どれも確実とは言えん」
例えば、
「俺達よりも事前に準備して来たレイヴィニアさんの手の方が確実性という点では高いだろう。先にレイヴィニアさんの手を聞いても?」
何かを考えるような小難しい顔をしたレイヴィニアさんと少しばかり見つめ合い、待とうがもう俺が口を開かないのを察したのか、レイヴィニアさんがゆっくりと言葉を紡ぐ。
「この身体だよ。だから幻想殺しでなるべく触れるなと言ったんだ。この毛皮はアフリカに伝わる姫君の伝承に基づいたものだ。美しい姫を誰にも邪魔されずに育て上げるのに一役買った、防衛、隠蔽、成長を一挙に促す培養器。そいつを応用して、私は『あるもの』を生育させていた」
「『あるもの』ねぇ?」
「そう見つめるな傭兵。恋人に告げ口するぞ?」
「キレるよ?」
どう隠そうが、俺がレイヴィニアさんの何を見ているのか察したのだろう、悪戯っぽくニヤけるレイヴィニアさんに苦い顔を向ける。俺と駆け引きするにも黒子を引き合いに出すんじゃねえ。ただでさえ情報屋の所為でそういった話は聞きたくない。
「カニバリゼーション。食物伝承ではたびたびこんな概念が生み出される。目を病んだ者には目を食べさせ、手足を悪くした者には手足を食べさせ、心臓を悪くした者には心臓を食べさせてやれば健康体を取り戻せる、といったものだ。もちろんこれは牛や豚などの哺乳類の部位を当てはめる事もあるし、場合によっては同じ人間を使った料理が振る舞われる事もある」
「
「とん……なに?」
「日本語で同物同治だ上条。スゥから聞いた事があるよ。意味はレイヴィニアさんの言った通り」
同物同治。肝臓の悪いときには、牛、豚、鶏などの肝臓を、胃が悪い時には胃を、心臓が悪い時には心臓を。レイヴィニアさんの言った通り、中国の薬膳の言葉であるが、正にそれだ。わざわざそんな話をレイヴィニアさんが出すという事はそういうこと。何やら察したらしい上条が息を飲む先で、
「私には必要だった。妹を救う方法が」
そうレイヴィニアさんが話ながらブラウスのボタンを外した先、下にある薄手のスリップを盛り上げている異物が一つ。胸の中心で脈動している異様な肉塊。
「この身の中で、新たに作り出した食事用の臓器。こいつを無事に育て上げてパトリシアのヤツに喰わせてやれば、それで一件落着という訳さ」
「う……うっぷ!」
「おっと、レディの肌は少々刺激が強過ぎたかな」
空っぽの胃の中身でも迫り上がって来たのか、口を手で押さえる上条に笑いながら、すぐにレイヴィニアさんはブラウスのボタンを閉じていく。笑ってはいるがどこか覇気に欠ける。目を細めればレイヴィニアさんと目が合ってしまい、視線を外した。
「まあ、内臓を喰わせると言っても一応の配慮はしてあるぞ。医療用素材の一つに、トウモロコシのデンプンを使った糸やシートがある。傷口を縫ったり、患部に張り付けておくと、抜糸する必要もなく人体と癒着、融合していって傷を塞いでくれるというものだ。私はこいつをベースに臓器を一つ新規作成している。つまり、モノ自体はコーンポタージュとそう変わったものじゃないのさ」
「……ちなみにアフリカの呪術の中には、小麦を練った人形を身代わりにして呪いを回避したり、トウモロコシで作った人形を犠牲者に見立てて呪殺を行うものがあったりするね」
「人の形に整えた植物や穀物を身代わりにする話なんぞ世界中にあるさ。それで傭兵? お前の思い付いた案とはなんだ?」
「俺のは代用品を用意して入れ替えはいおしまいなんて手だよ。食わせて治ってはいおしまいなら、レイヴィニアさんの手の方が被害は少ないのかもしれないな」
どこか安堵した上条の顔を横目に見れば、「一気にまくしたてたせいか喉が痛くなってきたな。何か甘いもの……シャーリーテンプルでも持ってこさせるか、おいマー……ッ!!」と口にし言い淀む。
ここにはいない誰かの名を呼びそうになるとは、レイヴィニアさんもまだ子供らしいと言うべきか、それとも……らしくないとでも言うべきか。上条や
「上条当麻、お前には家主として客人をもてなす義務がある。シャーリーテンプルについてはネットで検索すれば出てくるから心配するな。子供の手伝いレベルだ、二分まで待つ」
「いやはや状況が分かっておらんようだな甘えん坊バードウェイ、今この部屋には水道の蛇口と味噌としょうゆしかねえし! 出汁なし冷たい味噌スープで良ければ今すぐ用意させていただくが!!」
「予想以上だ! そんなの人間の生活環境じゃねえ……ッ!!」
「全面的に賛同するがもう一個付け足しておこう。お前達がいきなりケンカ吹っかけてこなけりゃ鍋の具材を無駄にする事もなかったかもしれねえんだよッッッ!!!!」
「
「時の鐘を見習え上条当麻。世界最高峰の傭兵部隊なだけあって客のもてなし方を心得ている」
「こんなんで褒められたくねぇ……」
上条とレイヴィニアさんの子供っぽい口喧嘩に呆れながら、立ち上がり背にしていたボロい扉を開け、盗み聞きの為に扉に張り付いていた釣鐘と円周を手で払いながら、扉を閉めて冷蔵庫に近寄る。
レイヴィニアさんだけに出せばむくれる者もいるだろうから、上条達含めて六つ取り出したグラスを台所の上に並べ、冷蔵庫に手を伸ばし、扉の手前で腕を下げた。
「孫市お兄ちゃん?」
「……レイヴィニアさんは間違いなく、俺が気付いている事に気付いている」
数歩下り机の縁に腰を寄り掛ける。
レイヴィニアさんの抑圧された乱れた鼓動。時間の経過と共に微々たるものだが大きさを増していく胸の異常な臓器。波の世界を見れるからこそ見えてしまう。
あのまま臓器が肥大化を続ければ、
どこか今日抜けているのも恐らくその影響。事実、
レイヴィニアさんの手が被害が少ないというのはそういう事。パトリシア博士が助かっても、レイヴィニアさんの手ではレイヴィニアさんが間違いなく死ぬだろう。死者一人で治るならそれに越した事はないか? だがそれを知れば、上条は絶対にそれを許さないだろう。俺でも分かる。だからレイヴィニアさんは目で度々俺に喋るなと訴えていた。
だから小声で言葉を並べる。
「……俺の手がどれだけ有効だとしても、確実性に欠ける以上、命を失う事になろうがレイヴィニアさんが俺に仕事を依頼する可能性は低いだろう。俺だって望まれてもいない、仕事でもないことに手を出したくはない。垣根を頼ろうにも、慈善事業は真っ平なヤツだ。分かるか円周?」
「……時の鐘が瑞西の軍属であり傭兵っていう組織である以上は動くには相応の理由がいるんだよね。タダ働きはありえないって」
「そういうことだ。瑞西の問題でもなく、『明け色の陽射し』は同盟相手でもない。時の鐘は傭兵部隊。その大前提があるからこそ、垣根も、釣鐘も、浜面もいるようなものだしな。組織のトップであるレイヴィニアさんが単独行動をする。これは悪手だ。組織として考えるなら悪い見本だ。分かるな釣鐘?」
「もちろんっスよ。でも頭だけがいるなんて都合良いっスよね?」
「恩を売るという意味ではな。だが、レイヴィニアさんはそれを望んでいない。望まぬお節介は鬱陶しいだけだ。それでは恩を売るという意味では失敗だ。メリットもないのに時の鐘を動かしてみろ。悪い見本を真似てどうする? 円周、この手に対する手札はアレしかないな?」
「頼んでもいないのに、凍えた海底で孫市お兄ちゃんは拾われたんだよね?」
「タダ働きは御免だが、恩知らずはもっと御免だ。これはレイヴィニアさんの人生だが、俺達の人生に一石を投じたのもレイヴィニアさんだ。一発殴られたんだ。一発殴り返してもいいと思わないか? この世はプラマイゼロなのさ。勝手に助けられたマイナスの帳尻を合わせる必要があると思わないか?」
「結果論っスけど、私や
「私もそうかなって」
「さて、では俺達はどうする?」
「帝督お兄ちゃんに電話するって孫市お兄ちゃんなら言うんだよね? 特別報酬が出るって。出所は孫市お兄ちゃんのポケットマネー」
「そういうことだ。どうせ上条がいる以上助ける羽目になるなら先に手を打つぞ。第二案を煮詰める。レイヴィニアさんが死ぬ結末は……残念ながら俺も見たくはない。羨ましくない。より良い瞬間を求める方が必死になれる。上里何某の件もあるしな。円周、ベルシ先生に連絡してくれ、医学的な意見が欲しい。クロシュ、
「初春君に連絡して外部に情報が漏れないように協力して貰えばいいかな?
「ついでに浜面にも連絡を、エルキュール=カルロフの情報はスキルアウトの情報網から探った方が恐らく早い。
頷く面々を見据え、笑みを浮かべて頷き冷蔵庫に手を伸ばす。
「じゃあ俺は飲み物持って行くからあとよろしく」
オレンジジュースのパックと炭酸水を取り出し振り返れば、円周や釣鐘の尖った視線に晒され、木山先生には呆れたように肩を竦められた。
サボってる訳じゃねえよッ‼︎ あんまり戻るのが遅くなってレイヴィニアさん達に怪しまれたくないだけだからッ‼︎ サボってる訳じゃないからッッッ‼︎