時の鐘   作:生崎

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載舟覆舟 ⑨

 さあ困った、場所が良くないッ。

 

 狭いベランダでカルロフと二人。エルキュール=カルロフにとっては必殺の間合いだろうが、唯一の俺の利点としてはカルロフが巨体であるが故に満足に動けなさそうというくらいか。薄暗い部屋の中で蠢く影達。魔神達の誘導などは上条に任せるしかない。

 

「……上条達が移動するまで待つ気か?」

「さぁどうするかね? なんなら先手は譲ってやろうか? うん?」

 

 カツリっ、カツリっ、軍楽器(リコーダー)でベランダの手摺りを叩く音に合わせて指を泳がせ、緩くカルロフは拳を握る。巨体から伸びる影の中で目を僅かに顰めれば、ドロドロべちゃりと水っぽい音が部屋の中から響いてくる。

 

「ダクトか⁉︎」

 

 出所の答えをレイヴィニアさんが口にする。横にスライドさせた瞳に映るのは、ガス台の上辺りから落ちて来た極彩色の不定形生物。月明かりに染まった闇の中で煌めく歪な光。ぶくぶくと体の内側から泡を浮かべるように目玉のような物体を浮かべる怪物に顔を移した俺を前にカルロフは動かず、内心で舌を打つ。

 

 視覚的な隙を敢えて作るが動いてくれない。目を異形に移しながらも、第三の瞳で波の世界からカルロフの姿は逃さない。エルキュール=カルロフからは遊びの気配も試しの気配も感じない。

 

 恐らくは望む闘争の形になったからだ。己が力でどう目前の相手を料理するか、それしか頭にない。脳筋と卑下するのは簡単だが、脳筋に特化した奴ほど面倒な相手もいない。

 

 ぐぼりっ、と奏でられる異音。不定形の異形から槍のようなものが膨れ上がり、誰より早くレイヴィニアさんが動き出す。その姿を纏う赤布に包め赤いボロ布の怪物へと変貌させて。

 

「バードウェイ‼︎ 法水‼︎」

『いちいち拘泥している場合か! 皮肉な事に、一番脆いのはオティヌスとネフテュス、『魔神』サイドだ。お前達で連れて行け、お前の精神は人の死に耐えられるようにはできていないのだろう!? どの道こちらとしても好都合だ、家出気取りで思い切り迷子になった上、よりにもよって男の家に転がり込んだ愚妹とは話をつけなければならん所だったしな!! 傭兵‼︎ お前は‼︎』

 

 僅かにレイヴィニアさんから視線を感じ、掛けられる言葉の先が途切れた。それは正しい。残念ながら俺は黒いヘドロの怪物も上里何某も気にはできない。

 

 相対する巨人を相手するだけで精一杯。一定のリズムでベランダの手摺りを軍楽器(リコーダー)で叩きながら、小太刀を握る釣鐘を見送る。

 

 ネフテュスを背負うのは禁書目録(インデックス)のお嬢さんに任せたか。相手が何人か分からぬ以上、釣鐘の機動力を損なわない方が良いだろう事は事実。走り出す上条達から目を外し、カルロフへと目を戻す。

 

「……パトリシア博士と組んだのか?」

「さてな? ほぉら挨拶だ」

 

 突き出される左の拳。側面に軍楽器(リコーダー)を叩き付ける。弾けない。が、それは元々織り込み済み。そのまま軍楽器(リコーダー)を転がすように横に擦り抜けた先で、カルロフが左肩を前に入れ込み距離をより詰めて来る。

 

「づッ⁉︎」

 

 コンパクトに体を畳み、横に振られた『強欲』の右腕に軍楽器(リコーダー)ごと横に弾かれた。

 

 重いッ、正しく詰まっている筋肉の質が違うッ。ブルーシートを引き千切り部屋の中を転がるが勢い止まらず、レイヴィニアさんの脇を抜けて床に突き立てた軍楽器(リコーダー)がガリガリと音を立てて床を削った。

 

 ごつりと軍楽器(リコーダー)の切っ先が玄関の下枠を小突き、背中から開け放たれていた玄関を飛び出せば、廊下の腰壁が背を軽く叩く。

 

 チャリンチャリンと響く金属音。どういう訳か床に落ちたり飛び回り壁にぶつかっている十円玉の音。隣の建物の屋上や地上から差し向けられる懐中電灯などの明かり達を背に受けながら、一瞬床に転がっている茶髪の不良っぽい少女と目が合った。

 

 上里勢力。差し向けられる明かりの数からして周囲に五人以上いるが、それらの相手を気にしている時間はない。細く息を吐き出すと同時、破壊音を耳に上条の部屋へと目を向けた茶髪の少女が叫び廊下の奥へと慌てながら転がる。

 

「ふざっけんなゴリラッッッ⁉︎」

 

 地響きに近い足音を響かせてカルロフが廊下へと突っ込んで来る。振り被った右腕で壁を抉りながら飛び込んだ来る右の拳。ただ避けてもフィジカルにゴリ押しされて潰されるのみ。逸らすにしても軍楽器(リコーダー)を叩き付けるだけでは足りず、右足を起点に全身を折り畳んで捻り、のばした左足で横からカルロフの右膝辺りを蹴り抜く。

 

 

 ズガンッ‼︎

 

 

 着弾点の逸れたカルロフの右拳が廊下の腰壁を粉々に砕く。左足を地に付け、少しつんのめったカルロフが右腕を引き戻すのに合わせその顔面に突き立てるは右の膝。硬い音が響き僅かに退け反ったカルロフの首へと軍楽器(リコーダー)の切っ先を突き立てる。

 

 

 ズズ──────ッ!

 

 

「マジか……ッ」

 

 エルキュール=カルロフは後ろに転がる事もなく、首に鉄の棒を受けながらも両足を踏ん張り耐えるどころか、後ろに下がるのは俺の足。

 

 どんな首の筋肉してやがるッ。

 

 笑みを深めたカルロフの瞳が下へと滑り落ち俺を見据え、振われる左腕を全身を捻り右の肘で横に弾く。砕ける壁。構わず右、左と壁と床を砕きながら迫る暴力を巻き込むように渦を巻き逸らし続ける。

 

 腕一歩凌ぐのに此方は全身をくまなく駆動させねばならぬ理不尽なまでの膂力差。カルロフの背後に刻まれた廊下の破壊痕を呆けた顔で茶髪の少女が見つめる姿が視界の端に映り込み、そのさらに奥では上条が上里へと突っ込んでいる。

 

 戦力の分散という意味では悪くはないが、戦闘領域の拡大はあまり喜ばしいことではない。

 

「ナハハハハ‼︎ 避ける! 避けるなぁ! いつまで避けやがる‼︎」

「お前が止まるまでだよ馬鹿!」

 

 下から掬い上げるように振われる右の剛腕を背後に飛び避けながら身を回しカルロフの顎を蹴り上げるが、軽く首を傾げられるだけで止まらない。突き出される右腕を潜るように転がりカルロフの背後へと抜ければ、土御門の部屋の喧嘩から日本刀の刃が音もなくズルリと突き出た。

 

 より身を伏せて刃を避ける。掠めた軍服の端が裂ける。玄関の奥へと日本刀の切先は消え、ゆっくりと玄関の扉が開いた先で、廊下へと足を落とす癖の入った長い黒髪を泳がせるセーラー服の少女が一人。

 

「お久し振りですねお兄様」

 

 ……なぜいるッ。北条八重の笑みが俺へと向く。間髪入れずに少女へと突っ込めば、緩やかに掲げられる日本刀。

 

 その刃は振われる事もなく横にブレた。俺の顔の横を後方から飛んで来た苦無が過ぎ去る。

 

 八重が顔を逸らし玄関に突き刺さる苦無が金属音を奏でる中で、八重が開いたままの玄関扉を渾身の力で蹴り飛ばすが、『強欲』の薙いだ右腕に簡単に払われてしまう。

 

「お兄様ッ‼︎」

「法水さん‼︎」

 

 八重が日本刀を握り直すが、至近距離なら俺の方が速い。日本刀が振われるより早く、身を捻り八重を中心に蜷局を巻いて体の位置を入れ替えれば、俺たち二人の横を通り過ぎてカルロフに飛来する苦無。

 

 ガチリッ! と音が頭上で響き、後方へと八重の背中を蹴り飛ばす。

 

「苦無を噛んで受け止めるとか漫画かお前は‼︎」

「薄っすら笑ってんじゃねえぞ『嫉妬』‼︎」

 

 無造作に振われる剛腕に土御門の部屋の中へと突き飛ばされる。身を起こせば目前に迫った苦無。カルロフが咥えていたらしい苦無を転がり避けるが、壁に当たり動きが止まる。

 

「っ、さてッ」

 

 舌を打ち、突っ込んで来るカルロフを目に留め構えるも、思考の隙を破るように真横で壁が砕けた。壁の破片に混じり黒いヘドロと赤いボロ布が視界を掠める。

 

「レイヴィニアさん⁉︎」

「ナハハッ‼︎ 奪いに来たかよパトリシア‼︎ タダで助けて貰おうなんて甘えんじゃねえぞ‼︎」

 

 エルキュール=カルロフの足は緩まない。異形二体を目前に控えようとも足を前に出し続ける。

 

 コツリッ、と床に軍楽器(リコーダー)を一撃。波を広げ視界を拡張する中で膨らむ異形二体。伸ばされる槍の雨の隙間に身を沈め、異形達の間を縫うように軍楽器(リコーダー)を突き出す。

 

 狙うはカルロフの瞳。目まで鍛えているなどと言われてはどうしようもないが、流石のカルロフも顔を捻り刺突を避けられた。ただ避けられたならそれで構わない。軍楽器(リコーダー)を横に振るい、引っ掛けた赤いボロ布を振り回し、カルロフに向けて叩き付ける。

 

「すまんなレイヴィニアさん! もう一発だ‼︎」

 

 身を回し同じように掬い上げた黒いヘドロを投げ付けるが、カルロフは踏ん張ると分厚い胸板で受け止めた。宙に浮いた黒いヘドロに笑みを向け、救い投げられ戻ってくる異形。牙のような槍を伸ばすそれを脱ぎ去った軍服の上着に引っ掛けながら横に払い捨て、宙で身を捻りカルロフの胸元へと蹴りを突き刺す。

 

 僅かにカルロフの足をずり下げるだけで、突き出した蹴りが弾かれる。振われる手を避けようと身を捻るも、足は床に着くことなく宙を泳ぐ。ワイシャツの襟元に引っ掛けられたカルロフの指の力だけで振り回され、背中から壁に空いた穴へと投げられる。

 

「ぐっ⁉︎」

 

 上条の部屋を通り越し、背中にぶち当たるは事務所に繋がるボロ扉。限界を超えて砕けた扉の破片の舞い散る中、床を転がり勢いを殺すが事務所のソファーに突っ込み、それらを払い除けながら強引に身を起こす。

 

「孫市お兄ちゃん⁉︎」

「デタラメめ……理不尽な暴力と言うか、暴力の理不尽さを改めて知った気分だ。円周、塩梅は?」

「今帝督お兄ちゃんが向かって来てるところ! 加群おじさんとの擦り合わせも終わって心弾の設えも終わったよ! 加群おじさんの話だと帝督お兄ちゃんさえ来れば解決するって話だったけど」

 

 なんじゃそりゃ。垣根が来れば勝ち確定なのだとしたらパトリシア博士に憑いている不定形生物の正体は科学サイド由来の代物ということか? なんにせよ、それならそれで垣根到着まで耐えるのがベストか。

 

「お兄様、私様とは遊んでくださらないのですか?」

 

 思考を遮って飛び込んで来る少女の声。玄関扉を斬り落とし踏み込んで来る八重には目を向けず、上条の部屋の方から迫る重い足音を聞きながら、一息入れ外の廊下に向けて指を指す。上条の部屋の方へと歩きながら。

 

「……円周、その剣士、釣鐘と連携して外に蹴り出せ。刃は受けず必ず躱してな。お前達二人なら負けん。木山先生と木原と時の鐘の技術の合わせ技を見せてやれ」

「了解だよ孫市お兄ちゃん! ……でもあの子」

お兄ちゃん? お兄ちゃんっ? 誰ですか貴女様は? おかしいですよねえ? 私様達は九人兄弟姉妹(きょうだい)のはずなのですけれど? 見たことないですねえ貴女様なんて? 名前も知らないどこぞの他人様が私様のお兄様にッ」

「孫市お兄ちゃんの? ……えっと」

「ごちゃごちゃ考えるのは後だ円周。例え相手が誰であれ、向かい合う相手であるのなら」

 

 ひび割れ砕けた壁の奥に見えるカルロフの肉体。弾けた壁の破片を手で払いながら、壁の内の隠されていた銃達の中からゲルニカの本体を拾い上げ軍楽器(リコーダー)を連結させる。

 

「手伝うか傭兵?」

「いらん! お前達は木山先生達を守っていろよ春暖嬉美(しゅんだんきみ)‼︎」

 

 背後から飛んで来る春暖さんの言葉をばっさり切り捨て、ボルトハンドルを引き弾丸を込める。

 

 ガシャリッ‼︎ と響く金属の音に合わせて空気を裂く刃の音。前へと差し向けた銃身の先で、滑り込んで来た黒髪が目の前を泳ぐ。

 

「私様の相手をしてくださいよお兄様ッ‼︎」

「俺の相手はお前じゃねえ」

 

 黒髪を追って跳んで来た釣鐘の足裏が八重の右肩を踏み、ベランダの外へと蹴り飛ばす。それを追う釣鐘と円周を目で追わず引き金を指で押し込んだ先、眉を跳ね上げたカルロフが全力で横に転がり弾丸を避けた。

 

「流石に避けるか」

「外さねえんじゃなかったのか?」

 

 脆くなった壁を体当たりでぶち破り照準を合わせる。ただの小銃ならいざ知らず、ゲルニカの弾丸なら少なくとも通るッ。皮肉に笑うカルロフへと銃口を向ければ、全力で肉薄して来る巨大な肉塊。振り上げられたカルロフの足が銃身を蹴り上げるのと引き金を引いたのはほとんど同時。

 

 弾丸はカルロフの斜め上を通過し、連結部から千切れた軍楽器(リコーダー)が盛大に天井に突き刺さる。使い物にならなくなったゲルニカ本体を放り捨て、天井から伸びる軍楽器(リコーダー)を掴んで身を捻りながらカルロフの顔に回し蹴りを放つ。

 

 ゴンッ! と響く重い音とは裏腹に、カルロフは一歩足を下げるのみ。軍楽器(リコーダー)を引き抜きながら床の上に着地する。

 

 駄目だこりゃ。ジリ貧だ。有効打を与えられている気が全くしない。狙撃銃を組み立てようが、ある程度近い間合いではカルロフの方が一足速い。なんとか時間稼ぎだけができている現状、一発でもモロに受ければそれも終わる。

 

「どうした? 顔が歪んでるぜ法水?」

「……歪めたくもなるさ。中途半端にお前の相手はできそうにない。闘争を根元にお前の思惑がなんであれ、俺もあれこれ深く考えるのはやめよう。全体の動きは円周に任せているのだし、ここから先は」

「どうすんだ?」

「分かるだろうお前なら」

 

 理性の首輪を少し緩める。エルキュール=カルロフが相手であるならば、なんの遠慮も葛藤も必要ない。衝動の戦闘勘に身を任せる。身の内から魚影が浮上する。

 

 気にするべきは周囲を巻き込んでしまうこと。だからただ漠然と広げるな。狙いを絞れ。まるで狙撃をするように。他の誰にも差し向けない。見つめる相手はただ一人。感情は、誰かに向けてこそ意味と名を持つ。

 

 並んでやるから追わせろよ。

 

 

 ──── 羨ましいぜッ(Leviathan)

 

 

 

 

 

 

 カンッ‼︎ コンッ‼︎ キィンッ‼︎

 

「あぁ?」

 

 振るわれる孫市の軍楽器(リコーダー)が無造作に壁や床を小突く。波の世界を広げ強めているのか、ゆらゆらと身を揺らし空を踊る白銀の鉄筒の揺らめきからは規則性は見出せない。ただ感情のままに指揮者のように軍楽器(リコーダー)を叩きつけているだけ。薄っすらと赤く染まった孫市の瞳を前に目を細めたエルキュール=カルロフへと差し向けられる軍楽器(リコーダー)の切っ先。

 

「おッ?」

 

 払い除けようと差し出した剛腕が、バチンッ‼︎ と大きな音と共に後ろに弾かれる。その感触にカルロフは眉を顰めた。

 

 膂力差によって弾かれた訳ではない。

 

 二度三度、床や壁を叩き経由して繰り出される白銀の鉄筒の切っ先に一歩二歩と足が後ろに下がる。六度目になる刺突を受けて、カルロフの体が玄関を飛び越し軽く背中が外廊下の手摺りを叩いた。軍楽器(リコーダー)を受け痺れた右腕を軽く振り、強欲は薄く笑みを深める。

 

「おいゴリラッ! アンタはあっち行ってろ! こっちで暴れんな!」

「阿呆言うんじゃねえ。テメェが下がれ獲冴(エルザ)。ハハっ、波の技か。小判鮫が大口開け始めやがったぜ。うざってえ」

「なに言って」

 

 ずるりと、押し寄せる不可視の波と共に上条の部屋から這いずり出るように伸びる赤い影。突き出される軍楽器(リコーダー)をカルロフは急ぎ横に跳んで避け、軍楽器(リコーダー)が叩いた外廊下の腰壁がバチンと音を立て爆ぜた。

 

「ぶッ⁉︎ なんだそれ⁉︎ 起爆剤でも仕込んで」

「馬鹿言ってねえで邪魔だから退けや。轢き潰すぜ」

 

 起爆剤など仕込んでいない。軍楽器(リコーダー)はただ頑丈な鉄の棒でしかない。

 

 かつて上条とトールと共に破壊に赴いた『窓のないビル』。その外壁であった『演算型・衝撃拡散性複合素材(カリキュレイト=フォートレス)』を削った時と同じ原理。

 

 不可視の波紋。重なり合った波の集合点を穿つ技。稼働できる筋力に差があるのであれば、筋力とは別の部分で威力を出せばいいだけの話。それを経験と衝動によって弾き出した『羨望』を前に、『強欲』の瞳も薄い朱に染まった。

 

「だからなんだという話だがなぁ‼︎」

「おぉい⁉︎」

 

 叫ぶ獲冴(エルザ)を相手せず、突き出される軍楽器(リコーダー)を前に、エルキュール=カルロフはただ力任せに振り上げた拳を振り落とす。身を跳ねさせ跳び下がった孫市の前で暴力が弾けた。

 

 ズゥッ、ドン──────ッ‼︎

 

 土煙を上げて外廊下がガラガラと音を奏でて崩れ去る。大穴を穿ち砕けたコンクリートの破片が階下へと降り注ぎ、剥き出しになった鉄筋が月明かりを反射する。傾いた外廊下の上で土煙を払い大穴を前に佇むカルロフにゆっくりと孫市は乾いた唇を舐めた。

 

「……リミッターの解放か」

 

 言わば火事場の馬鹿力。脳が筋肉や骨の損傷を防ぐため、運動単位の働きにブレーキをかけているというのは最早常識。一〇〇パーセント筋力のポテンシャルを発揮すれば、関節構成体、筋肉組織が壊れ、膨大なエネルギーを消費するが故に体がボロボロになると言われている。

 

 ただでさえ寝たきりの者が覆い被さってきた大箪笥(タンス)を持ち上げたという筋力のポテンシャルを、素のままで常人の火事場の馬鹿力を振るうようなエルキュール=カルロフが解放し始めればどれ程の怪力を誇るのか。

 

 通常、日常生活で二〇から七〇パーセント程しか使用していないらしい筋力の中でどれほどの……。

 

「……八割か?」

「いやぁ? 今で六割だ」

「そりゃあ……普段は随分と慎ましいな」

 

 一度鋭く短かな息を吐き捨て、軍楽器(リコーダー)を孫市は構え、カルロフは緩く拳を握る。傾いた外廊下に空いた大穴を跳び越え羨望と強欲がカチ合う刹那、土御門の部屋から飛び出した黒いヘドロと赤いボロ布が二人を巻き込み外廊下の外へと弾き飛ばす。

 

 空が下に地面が上に、ひっくり返った世界の中で、剛腕と軍楽器(リコーダー)を振り回し重心を強引に動かしながら空を舞った二人の悪魔が隣のビルの外壁へと剛腕と白銀の矛を突き立てる。ぐじゅちと粘質な足音を響かせて二体の異形が外壁を踏む音に合わせ羨望と強欲が共に外壁である大地を蹴る。

 

「……おいおい、人間て素のまま壁の上走れたかよ?」

 

 一人傾いた外廊下に残された獲冴(エルザ)は、月明かりの中で極彩色の黒いヘドロと赤い布の怪物が踊る中、壁に剛腕と軍楽器(リコーダー)を突き立て上っていく光景を呆然と見つめた。破壊音が響き続け、四つの色が入れ替わり立ち替わりマーブル模様でも描くかのようにビルの上へと走って行く。

 

「レイヴィニアさん!」

「パトリシア!」

 

 二人の声に呼応するように前に出た異形二体が衝突し、ギチギチとお互いを喰らい合う音を割るように悪魔の一撃が壁を砕く。細かな瓦礫の雨を振り落としながら呼吸荒く動き続ける孫市の動きが一瞬止まった。轟音の中に混じって一つの声が降り注いだ。

 

「待て法水‼︎」

 

 ()()()降って来た上条当麻の声と、何かを蹴る音。その二つを拾い上げ眉を顰めた孫市の上から影が一つ降って来る。

 

 ツンツン頭の少年の影を見上げた孫市とカルロフを追い越して、赤と黒の異形から伸びる無数の槍。舌を打ち壁を穿ち走る孫市と合わせて動いたカルロフの目前に光が差した。

 

 懐中電灯の光。映し出される巨大な右手の影絵。握り潰され消失する無数の槍。その隙間を擦り抜け落ちた上条当麻の伸ばされた右手が、黒いヘドロを引き剥がす。

 

 弾け飛んだ黒い飛沫の中落ちて行くパトリシア=バードウェイをレイヴィニア=バードウェイは追おうとするも動きを止め、それを抱き寄せる上条を尻目に、カルロフと孫市はそれを追って壁を蹴る。落ちるパトリシアを挟み向かい合ったまま二人は動かず、地面の手前で走り出した植物の蔦を目にするとカルロフは大きく舌を打った。

 

「結局奪いに来てんじゃねえか。相変わらず遅え」

「円周ッ‼︎」

 

 植物の網が降って来た者達を受け止め、孫市は木原円周の名を呼び、路上に仰向けに寝かされたパトリシアの体へと待っていた暮亞(クレア)が細い根のようなものを潜り込ませる。眉を顰めて足を伸ばそうとする孫市の肩に置かれるのは上条の右手。

 

「待て法水! 上里とは話をつけた‼︎ そいつは植物に近い性質を持った『原石』らしい! 人の身体に馴染む植物性脂肪を作り注ぎ込んで寄生生命体を押し出して貰う‼︎ 法水も言ってた案だ! だから」

「……そりゃ俺は構わないが、その子は医療の知識でもあるのか? 時間が取れるのなら垣根が到着するまで」

「一つ、二つ、三つ、四つ、五つ、六つ、七つ、八つ。該当箇所を確認。植物性脂肪の生成、形成、注入口の準備完了しました」

 

 作業準備の早さに孫市は舌を巻く。やるならやるでもう仕方ないからさっさと終わらそうとばかりにメートル単位で爪を伸ばしパトリシアの肌へと突き刺していく暮亞(クレア)の姿に、休憩とばかりに不機嫌を隠さずカルロフは腕を組んでビルの壁を背に佇む、孫市は見慣れぬ波紋に目を細めた。

 

 パトリシアの体の内側で肉を押し分け蠢く不定形生物の流動音。パトリシアの皮膚の下を植物性脂肪に追われた黒いヘドロが泳ぎ回る。出口を探して彷徨い回り、皮膚の上へと顔を出す小さな真っ黒い水溜り。油田のようだと馬鹿みないな感想を抱く孫市の前で暮亞(クレア)は叫ぶ。

 

「出てきた所から順次潰してください! 再び宿主を追い求めるより前に、徹底的に!!」

「おいおい、それはいいがなお嬢さん。脂肪の侵入経路ちゃんと考えてるか? そいつ」

 

 パトリシアの肌に染み出す寄生生物を幻想殺し(イマジンブレイカー)で拭い取る上条と暮亞(クレア)の背を見つめながら、呟いていた口を孫市は閉じた。呟いたところで今更どうとなる事でもない。波の世界を見つめる孫市だけに見える景色がある。

 

「なにこいつ、この子の体内に入った私の爪も宿主の一部と誤認している……?」

 

 パトリシアの体に突き刺さる暮亞(クレア)の爪へと既に寄生生物は噛み付いた後。体の内側に寄生している者に打てる手を孫市は持っていない。両手を囚われ、どうするべきかと周囲へと目を泳がせていた暮亞(クレア)が背後へと振り返り固まった。

 

 黒い不定形の腕が地面を破り伸びている。路上に寝かされたパトリシアの背から伸びた不定形生物の最後の抵抗。

 

「いいや、もう植物の私だけじゃない。何でもかんでも口に入れて、試せる手は全部試すつもりですか、窮地に陥った虫が川に飛び込み、魚が水から跳ねるように!」

「分かってるからそのまま続けろ。脅威の相手はこちらでする」

 

 咄嗟に背後へと右腕を振おうとする上条の右肩へと孫市は右手を置いて押さえ付け、握る軍楽器(リコーダー)を背後に薙いだ。粘着性の水を撫ぜるような異音。断ち切れる事もなく弾いただけの感触に舌を打ち、孫市を巻き込み治療者を屠ろうと伸びる触腕の前に剛腕が伸びた。

 

「一足早く気付きやがるとはテメェはアレか? 擬人化されたレントゲンかよ? 言っただろうがパトリシア、オレから闘争を奪うんじゃねえ」

 

 太い腕に不定形生物を貼り付けながらカルロフは苦笑する。迫る触腕を全て鷲掴み、侵食される感触に舌鼓を打つように口端を横へと引き裂いた。

 

「次の宿主にでもなる気かお前?」

「馬鹿言えや。オレから奪おうとは片腹痛え。オレの体脂肪率はいくつだと思ってやがる? こいつが住める余剰なんざはなから存在しねえんだよ。なぁ?」

 

 ギチギチと固く閉ざされた鋼鉄の扉をヤスリで擦るような音が響く。呆れたような笑ったような何とも言い難い形で口端を孫市は畝らせ、「孫市お兄ちゃん‼︎」と叫び上から降って来た声に上を向く。落ちて来た木原円周を孫市は受け止める。

 

「あの子は茶寮ちゃんがベランダから蹴り落としたよ! それで、えーと、状況は良くないみたい?」

「だな。円周、心弾で寄生体の動きを止められるか?」

「どうだろ。パトリシアちゃんの動きを止めて相対的に止める事はできたかもしれないけどその感じだと……」

 

 意識を落としたパトリシアの意思とは明らか無関係に動いている寄生体を目に円周は顔を顰めて首を傾げた。可能か不可能か不明であると顔に描く円周を見る事もなく、「パトリシアを起こせ」とカルロフが答えた。

 

「なに?」

「そいつを起こせっつったんださっさとしろ。この野郎を出し切るまで時間がいると吐かすならパトリシアに止めさせろ。テメェの体から生えてんだ。テメェの力で止めさせろ」

「な、何言ってるんですかあなた⁉︎ ここまでなに見てたんですか⁉︎ それができたらそもそも」

「うるせえむっつり丸メガネ。テメェの意見は聞いちゃいねえ!テメェらこそここまでなに見てやがったんだぁ?」

「むっつり丸メガネ⁉︎」

 

 素っ頓狂な声を上げる暮亞(クレア)に肩を落としながらカルロフを一瞥し、孫市は円周の肩を叩いた。了承の合図を受け、手にしていた狙撃銃を地面に置いて円周は両手の指をパトリシアの頭へと添える。指の衝撃で直接意識の覚醒を促す人型学習装置(テスタメント)の弾丸にパトリシアの瞼がゆっくりと持ち上がる。

 

「カハ……ッ」

 

 慣れぬ感触に全身を覆われ、噎せて身動ぐパトリシアを肩越しに見据えてカルロフは口を開いた。

 

「起きたなぁパトリシア。起きたら起きたでさっさとこいつに勝手に動くなと差し押さえろ。テメェならできるはずだぜ」

「な……に……っ? そんな……の……ッ」

 

 声のする方へと瞳を移しパトリシアは目を小さく見開いた。カルロフを喰らおうと腕や足を覆う黒い不定形生物。噛み切れぬ肉を噛み続けるような異音が空間を埋めている。乱れたパトリシアの鼓動に合わせ、新たに地面を割って触腕が伸び孫市は舌を打つ。軍楽器(リコーダー)が寄生体を叩く音に乗ってカルロフは舌を打つ。

 

「さっさとしやがれ。休憩時間も長えと飽きるぜ」

「で……もっ」

「でもだぁ? できねえとでも吐くなら奪ってやるよ不可能ってやつをなぁ。パトリシア、テメェの危険の時に反応して動くそいつを率先して姉との闘争に使ったのはテメェだろうが。同じことだ。これまで体を貸してやってたんだ。これまでの家賃さっさとふっかけて搾り取れ。奪われてねえでさっさと奪えや。奪うと決めたんだろうがテメェはよう? テメェの命だ。テメェで奪えよパトリシア」

「う、あ、ああ……ぁぁぁぁああああああああああああああああッ‼︎」

 

 パトリシアの叫びに黒い触腕達が跳ねる。感情の発露に、それが脱線せぬように円周は手を添え弾丸の形に整える。小刻みに震える触腕が僅かに停滞しだしカルロフは笑みを深めた。

 

「早く仕上げろむっつり丸メガネ。後はテメェの仕事だぜ」

「急かさないでくださいッ‼︎ そんな急かされたってすぐには終わらな」

「うるせえ呼び鈴だなピーチクパーチク。場所を教えるにももっとマシは方法なかったのか? おい法水?」

 

 バサリと翼の音が一つ。舞い散る羽を横目に見ながら、孫市もまた笑みを深める。が、それはそれ。ゆるゆるとのたうち回る黒い触腕を軍楽器(リコーダー)で払いながら言葉を返す。

 

「対象はそっちだ。その子と協力でもなんでもしてさっさと終わらせてくれ」

「協力だ? …………なるほどな。必要ないぜ協力なんぞは。俺を呼んだのはある意味正解だったな。っち、どこだ出どころは? まあいい、一瞬で終わらせてやる。後片付けはその後だ」

 

 羨望と強欲が盾となり、未元物質(ダークマター)が地面に降り立つ。奇跡など必要ともせずに、積み重ねたモノ達が正体不明を塗り潰す。磨いてきた技術と技と力と衝動で。

 

 パトリシアは咆哮を吐き出し切り。

 

 そして、そして、そして────。

 

 

 

「…………休憩は終いだ。魔神どころか天使まで降って来やがるとはインターバルとしては悪くねえ余興ではあったぜ。なぁ?」

「天使じゃなくてアレは仲間だ俺の。よかったのか? パトリシア博士に挨拶もなしに」

「またまた気絶した奴になに言えってんだ? パトリシアは闘争への切符としての役目を確かに果たした。それ以上の使い道はもうありゃしねえ」

 

 パトリシア=バードウェイの体から寄生生命体を絞り出し、体の脂肪分を補いながら呆気なく垣根帝督が寄生生命体を握り潰し幕は閉じた。寄生生命体が実は『未元物質(ダークマター)』由来の実験の産物であったとか諸々は全て小事。隠されている真実がなんであれ、バードウェイ姉妹を取り巻く一件は寄り道以上の何モノでもない。

 

 道は最初から変わらない。上里勢力の狙いは魔神であって、その問題には何のケリが付いた訳でもない。だからこそ、寄生生命体が消滅したのを見送って、孫市とカルロフは二人揃ってその場から逸早く距離を置いた。

 

 理由は単純。他を巻き込まない為であり、また、邪魔が入らないように。

 

「いいのか法水孫市? 一人のこのこ付いて来て? 時の鐘はお休みかぁ? 第二位の野郎を使わねえとは合理的とは言えねえなぁ?」

「一々言って欲しいのか? お前の必死(とうそう)に乗ってみたくなっただけだ。一対一の方が分かりやすくていいだろう? どうせ上里の相手は上条がするんだろうしな。仕事にも良い仕事と悪い仕事がある。今回ばかりは、非合理だろうが損だろうが、俺はお前の相手をしてやるよ」

 

 ただの暴力馬鹿であったなら、純粋に数の暴力で潰している。ただ、そうではないからこそ。優しさに見えなくもない一種の美学に敬意を表したくなっただけ。

 

 己が闘争の邪魔はさせず、ただ他人の闘争の邪魔もしない。最後までパトリシア=バードウェイに立ち向かわせたエルキュール=カルロフを悪と呼ぶべきか善と呼ぶべきか。

 

 結局見方の違いでしかないと口には出さず結論付け、その行動原理が己が衝動が全てであればこそ、それはそれとして悪でしかないのだろうと重ねて自己完結する。

 

「人間は欲望や衝動に従えば『悪』と呼ばれる生物などとうちの居候の一人が言ってたんだがどう思う?」

「んなこと聞いてる時点でテメェがそうだと思い込みてえだけだろ? 無駄な問答だな。そもそもそれにゃあ穴があんぜ。お互いがそうであるなら、そもそも『悪』なんつう概念は必要ねえ」

「言えてるな。じゃあ……まあアレだ。死んでも文句は言うなよ?」

「お互い様だ。時世の句なら今のうちに言っとけ」

 

 二人揃って足を止め、夜闇に赤い瞳が四つ浮き上がる。はち切れんばかりの衝動に少しばかりの理性を乗せて。二体の魔王が動き出す。今宵限りは引き留めるなにも存在せず、足を止める理由もない。お互いがお互いに出し惜しむ必要はないと心に決めて。

 

 まるで人ならざるモノのような咆哮が二つ学園都市の一画を吹き抜ける。今だけにただ没頭し、精神が肉体を凌駕する。真っ逆さまに落ちる破滅への道。刹那的な感情が全てを崩壊へと転がり落とす。

 

 地獄への門を叩くような遠くで轟く音を拾いながら、ネフテュスはインデックスの背の上で力なく独り言ちた。

 

「……だから嫌いなのよ」

 

 アダムとイヴが悪魔に唆されるままに知恵の実を貪り楽園から追放されたように、神を敬いながらも人は悪魔と手を握る。誰もが持ち得るモノを振り翳し、不可能はない、奇跡もいらないと邁進する。信じるのは己のみ。神など必要ないとばかりに体で表す者達を気に入らないと考えてしまうのは、傲慢であるが故か、それとも神であるという自覚が故か。

 

 そうであればこそ、神らしくありたいとネフテュスも思う。ネフテュスがかつて王の副葬のためにピラミッドに閉じ込められた召使い達の群れであったとしても、それはそれとして今は神であるという事実は変わらない。神様らしく、奇跡の一つでも起こしたりして。何も為せずにただ消えてはなにが神か。

 

「嫌いだわ……否定はしないけどね」

 

 理想送り(ワールドリジェクター)に削り取られ、残されていた時間がゼロになる。小さな笑みを残してインデックスの背の上から静かに重さが消える。

 

 衝動のままに必死を追い求めるなれ果てを奪うように、朝になれば路上に転がっているだろう二つの死体の未来を奪い去る。最悪だけはやって来ない。気付いた時に頭を抱えたりすればいいと、当て付けとばかりに少しばかりの奇跡を残して。覆い隠すように一陣の砂嵐が魔王達の闘争を緩やかに包み込んだ。

 

 

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