兄弟は両の手 ①
十二月四日。
十二月四日の誕生花は『アベリア』という花なのだそうだ。中国原産の釣鐘状の小さな花を多数咲かせるこの植物は、ガクが羽子板の羽に似ている事から『
「法水君、学校はどうするんだい?」
「……がっ、こう?」
昨夜未明、というかまだ深夜である以上十二月三日と言っても差し支えない気もするが、植物の特性を持った人間だかなんだかと出会った影響だとでもいうのか。全身を覆っている包帯に身動ぎながら軋む体を横になっていたソファーから起こし、木山先生へと顔を向け、再びソファーの上へと体を倒す。
レイヴィニアさんとパトリシア博士の問題が解決し、エルキュール=カルロフと最後やれるところまではやってやると衝突したことまでは覚えているのだが、気付いたらボコボコになって道端に転がっていた。全身ぼろぼろで、軍服は千切れてるは、満遍なく軽度の打撲に擦り傷の盛り合わせといった具合であったが、奇跡的に骨や内臓の類は無傷だそうで、入院には至らなかった。これこそ『強運』の日が為せる技なのか、そうでなければ逆に悲劇だ。帰って来た途端余り物のよく分からん鍋まで食わされるし。
「君が帰って来てから生返事ばかり返すものだから上条君達は先に寝てしまったよ? 留年がなんだかんだと騒いでいたが、君は明日は学校に行かなくていいのかい?」
「……りゅう、ねん?」
「法水さんガチで大丈夫っスか? 一人が寂しいそんなあなたに、返事してくれるペットロボットってな具合に語彙が死んでるっスよ?」
それは学園都市製のペットロボットを舐め過ぎなのではないか。路上販売している物を数度見た事があるが、設定にもよるらしいが落語家ばりの語彙力を発揮していた。俺なんかよりもよっぽど饒舌でマルチリンガルだ。とか、そんな事はどうでもよろしいッ!
「孫市お兄ちゃん?」
「分かってる分かってる聞こえてるよはいはいはい! こんだけ風通し良くて上条、土御門とプライバシー皆無の空間にリフォームされちまってッ、壁もなければ窓もねえ! 玄関はハリボテだし外廊下は傾いてやがるし! 修繕費誰持ちなのこれってさあ‼︎ おまけに問題を投げてきたネフテュスはいねえってなにそれは‼︎ あいつどこ行ったの? 神様だってなら文句ぐらい聞いてからせめてどっか行け!」
「孫市お兄ちゃんもそのリフォームに加担したんだよね?」
「ぐうの音も出ねえ……ッ」
「と言うかもう少し声のトーンを落とさないと隣人から文句が来ると思うのだが」
木山先生の正論に言葉が詰まる。事務所の防音設備も今だけはさようならだ。キングサイズのベッドでぐうすか寝息を立てている上条達のことなど知った事ではない。
まったく魔神護衛の依頼の出費が毎回馬鹿にならない。魔神自体の規模の所為もあるが、一時的にとは言え世界を敵に回すハメになるわ、事務所どころか寮のアパートがぼろぼろになるわ、それでいて全くその仕事の収入はないのだから商売上がったりだ。
加えてエルキュール=カルロフとも決着ついてないわ、上里何某達勢力一味もいつの間にかいないわで神は神でもやって来たのは疫病神に違いない。それこそ不幸だ。しかもオティヌスが未だいる以上、魔神と上里何某達との問題云々も終わっていないということ。
憂鬱にもなる。『留年』も問題ではあるが、現状に対する面倒臭さの方が遥かに上だ。それを分かっているのかいないのか、分かっていると思うのだが、そんな中で学校を優先するあたりは流石上条当麻とでも言うべきか。この先修繕費諸々の出費を思えばこそ、胃が痛く学校になんて行っている場合でもない。
「そもそも学校って言ってもな、昨日僧正にぶっ壊されたままだろ絶対。一夜城ってな具合に学校が謎の復活を遂げているのなら是非もないが、そうでないなら登校する意味ないんじゃないか? 寧ろ馬鹿正直に登校したところで『学校が直るまで自宅学習なのですよー』とか小萌先生が言ってるかもしれん」
「うーん、月詠小萌なら」
「やめなさい円周、現実を聞きたくない」
どこどこの誰々まで思考パターンを拾い集めているのか知らないが、初めて出会った時でさえ鞠亜から上条まで、小萌先生まで完備しているとなると、吹寄さんや雲川先輩辺りの思考パターンまで拾っているのかもしれない。その辺りの者達の思考パターンからの答えは絶対聞かない事にしようと心に決めながらため息を一つ。上半身を起こしながら呻き、反対側へと身を倒す。
「留年、留年……最早呪いの言葉だ。だいたい留年第三候補筆頭間違いなしだろう土御門は絶対この忙しさだと今日朝になったところで学校行かねえぞあいつ。留年しないコツを教えて欲しいもんだよ。舵の切り方を変えようじゃないか。矛盾した真面目さで正攻法で留年攻略するよりもだ。土御門に師事して留年回避した方がよくないか?」
「なにをしようとしても沈没しそうな泥舟じゃのう。そもそも学び舎に通うことが社会に出る準備であるならば、貴様には必要なかろうが」
「揚げ足取るなら寧ろお前らは学校に行け、あぁそうだ。うちのボス達が常盤台中学とかいうお嬢様学校で教師をしていてな。入学条件満たしてるなら渡りぐらいつけてやろうか?」
「ほう、御坂美琴のいる学び舎か。それはそれで退屈はしなそうだな」
こ、このやろう。途端に苦い顔を浮かべた鰐河さんの方が可愛げがあるというものだ。ニヒルに笑う春暖さんが皮肉に皮肉を返しているだけなのか、それとも本気でそれはそれで面白そうとでも思っているのか。表情からは読み取れないが、お生憎俺にポーカーフェイスは通用しない。鼓動を手繰ろうと目を細める俺の肩を釣鐘が突っついてくる。
「それって編入費や授業料誰が払うんスか?」
「……釣鐘じゃね?」
「この話はおしまいっス!」
「ケチだのう」
「なんで俺がお前らの授業料払わにゃならねえんだよ!」
なんで俺の部屋に居候してくる居候ってのは厚かましいんだッ。上条の部屋に居候している連中を見習って……欲しくもねえな別に‼︎ 魔神が居候しに来たら寝込む自信しかないッ。それを思えばただの学生の居候なら可愛い……くもないなッ。少年院から引っ越して来ただけだったわ。
「そうだ! 寧ろ木山先生に授業して貰えばいいんじゃないの! 我ながら完璧! ってか木山先生の理論を俺が実証してる訳だからそれをレポートにでもして発表すれば単位の足しになんじゃね? 留年回避だ!」
「ふむそれだと色々計器が必要になるかな。結果を数値として提示した方が信憑性は上がるからね。それに多くの能力者に対する反応の差異などを」
「やっぱやめよ」
駄目だ。留年回避までにレポート作成できる気がしなければ、諸々必要なのだろう計器の値段を聞いただけで間違いなくやる気が失せる。学園都市製の機械高えんだ。
本来なら日本の義務教育期間中の少女の多い時の鐘学園支部並びに居候の面々に対する授業は木山先生の授業でどうにかなっても、俺の留年に対してはどうにもならない。『留年』、ああ全く未知の相手である。あまりに強大すぎて笑えてくる。うだうだ考えている暇があったらさっさと学校に行くべきか。ゆっくりと身を起こしたところで、不毛な会話を断ち切るように「そう言えば」と円周が言葉を挟む。
「昨日の、日本刀持ってた子ってお兄ちゃんの妹なの?」
ぴたりと動きを止める。そんな俺の代わりに円周に顔を向けるのは釣鐘。
「あー、前も絡んで来たっスよね。前は『グレムリン』と組んでたみたいなのに今度は上里何某っスか。拙僧ないっスねなんか。あの法水さんに似てない妹さん」
「……そうだな」
ソファーの縁に掛けてある毛布を手に取り、ワイシャツの上に羽織る。無言でもう寝ます宣言をする俺に視線が集中するが誰も何も言わず、そのまま就寝を見送られる空気の中で、どうしようもなく滲んでしまう不機嫌な空気を察せられて気を遣わせている現状がなんとも気まずい。天井を見つめてため息を吐き、ゆっくりとソファーの上から身を起こした。
「……名前は北条八重、今年で十四になるはずだ。俺の記憶が正しければだが」
「……九人兄妹なの?」
「俺には兄が二人に姉が三人、俺は六番目の三男で弟が一人に妹が二人いる。一応な」
冷やかすような口笛を釣鐘は吹き、恐る恐るといった具合に円周と釣鐘が近くに寄って来る。わざわざ話すことならば必要な情報であると判断したが故か、それが間違いでない以上、変に気を遣われるぐらいならさっさと口を開いた方がマシだ。俺の問題以上に、これはもうその範疇を超えている。
「本来なら
首を傾げながらも椅子に腰掛ける円周達を待ち、大きくため息を一つ、憂鬱だ。実家の話をわざわざしなければならないなど精神がすり減る気しかしない。『思惑』と言う部分に首を傾げる釣鐘達を一度見回し、長話したくないので要点だけを告げる。
「簡単な話、『北条』の当主が邪魔になったから学園都市にその対抗策を探しに来てるらしい」
「『北条』の? 当主? えーっと、それが法水さんと関係あるんスか?」
「俺は一応北条本家に居たからな。つまり俺をトルコの裏路地に放り出してくれたのは『北条』という家だ。俺は若狭さんの姓を名乗っているが、一応は『北条』の人間で、あぁ……血筋の話はここまでにしよう」
不毛も不毛だ。そんなところを深掘りしても全く良い気分ではないし、俺はもう『北条』の一族とは縁を切ったに等しい。何より時の鐘学園都市支部の面々にそんな話を一々覚えていて欲しくもない。ので、さっさと話を本筋にシフトさせる。必要なのはその部分。
「北条の当主は、まあデタラメらしくてな。曰く御伽噺を一つ終わらせたんだと。つまりだな。魔神に対しての
「そうなの?」
「そうっスね」
「曰く当主を永久に追放できるかも的な事を言ってたが知らん。昨夜は逆に上条など眼中にないみたいだったし」
上里の存在を知り、
「兎にも角にも『北条』は力を求めてるって事だ。常識外の力をな。それを思えばこそ、上条以外にも
「前に近江様が病院に報告に来てたっスよね? 四人に加えて化け物が一匹入って来てるだか」
「今はもう少し多いよ、分かってるだけで二二人は確認できてる。とは言え俺が知らない相手も多いが」
胸ポケットのライトちゃんを小突き、近江さんに送って貰っていた北条の人間の写真を空間に映し出す。とは言え、俺が知る相手は兄妹がほとんど。残りの者達はなんとなく見覚えがある者もいるが名前を知らない者もいる。何よりその中から十人以上学園都市から既に去ったらしく、余計に『北条』の動きは意味不明だ。が、問題は兄妹達。その四人はまだ学園都市から出たと確認できていない。
「北条金角、北条くるみ、北条千歳、それと八重、学園都市に潜伏しているらしい兄妹達はそれで全部だ」
「全員顔似てないんスね」
「全員半分しか血が繋がってないからな。戸籍外での話になるが、俺には一応母親も九人いる事になる」
「……日本では一夫多妻は認められていなかったと思うが」
全くその通り。流石は木山先生話が早いと拍手の一つでも送りたいが、げっそりと生気を失いそうなのでやめる。と言うかここまで来ると笑わなければやってられない。いや、笑えん。
「孫市お兄ちゃんのお父さんはお盛んなんだね」
「お盛ん? 馬鹿言えよ、あのクソ野郎のただの趣味だ。妻も子も蒐集品ぐらいにしか思ってねえのさ。事実金角の野郎は金太郎の子孫との子だの、くるみは
「法水君」
言葉の速度が増していく中、木山先生に嗜められ深呼吸を挟む。肩を強張らせる円周達の姿に肩を落とし、クールダウンする為に一度ソファーに沈み込んだ。今熱くなったところでどうしようもない。あのクソ野郎に限って言えば、仕事どうこう以前に怒りしか湧いてこない。アレに並ぶなんて真っ平だ。
「……兎に角、これまで大きな動きを見せなかったから半ば放って置いたが、上里勢力と手を組んだのであれば話は別だ。この先余計に絡んで来るようならなるべく俺が潰しに動くが、一応危険人物と認識して留意しておいてくれ。連絡くれれば俺がすぐに向かう」
「法水さんが間に合わなかった時はどうするっスか?」
「……その時は」
──────ピンポーン。
「はぁ、その時は殺りに来たならさっぱりと」
──────ピンポーン。
「もうなんだよ深夜だぞッ、昨日から災難続きで全く良いことがないッ。こんな時間にどこのどいつだ?」
急ぎソファーから腰を上げてぼろぼろの玄関に向かう。昨日からの疲れでも出たのか、ぐっすり寝ている上条達が起きて来ない事が唯一の幸いだ。急ぎ玄関の取っ手に手を掛け開けば、限界を迎えてかガラリと崩れた玄関扉が斜めになった外廊下の上を滑って行き夜の暗闇に消えて行く。ガラガラと喧しい音を奏でる玄関に肩を小さく跳ね上げた横から、「こんばんは」と柔らかな声が投げられた。
突っ立っていたのは新聞などの勧誘員には見えないリクルートスーツの上に白衣を纏った若い女性が一人。初めて見る相手だ。こんな時間になんとも言えない格好で絶賛アスレチック化している学生寮の俺の部屋に一体何の用事があるのか。嫌な予感がするのでさっさと扉を閉めたいが、残念ながらその扉はついさっきお亡くなりになった。
「法水孫市ですね、『時の鐘』の」
その言葉に思わずほんの小さく舌を打つ。相手は此方を知っている。それでいて、波紋から僅かに怒りの色を感じる。
「抑えていたつもりですけど想像以上に目敏いですね。まあいいです。ここに居ますよね?」
「……誰がですか?」
「木原円周」
その名前に思考が鎮まる。円周が目的? なぜ?
「……それが?」
「身構えなくて結構。こちらに戦闘の意思はありませんよ。そもそも、円周ちゃんが時の鐘預かりの現状を許容したのはこちら側ですし。下手な場所に預けるよりは安全だろうと判断したからこそ。別に取り上げに来た訳ではありません。ちょっとお手伝いを頼みたいと思いまして」
「お手伝いですか」
「お手伝いです」
「…………円周」
女性から目は離さずに肩越しに円周の名を呼ぶ。
パタパタ俺の隣へと寄って来た円周は女性を見ると小さく首を傾げた。
「……唯一お姉ちゃん」
「元気そうですね円周ちゃん。もう壁に落書きはしないんですか?」
「うん、少し書いただけで壁紙代が馬鹿にならないって孫市お兄ちゃんに怒られちゃうし、すぐ貼り替えられちゃうしね。それにね、今は孫市お兄ちゃん達と一緒に研究してるんだよね。波の技術の研究! 私が共同研究だよ!」
「……そうですか」
まったく興味なさげに唯一と呼ばれた女性は円周の話を聞き流しながら、玄関口から見える部屋の景色から視線を外して円周へと目を戻す。
「それはそれとして、実は円周ちゃんにちょーっとお手伝いをして貰いたいと思いまして。まだできますよね? 『木原』ならこうするんだよね、ってヤツ」
「できるけど。どうして?」
「んふ。私は誰にも追い着けない唯一になれという命題をいただいているのだけど、それでもやっぱり即戦力が欲しいんです。木原脳幹。私が越えるべき
「えーっと……」
言い淀みながら円周が俺へと目を移し見上げてくる。「どうした?」と返せば、円周は首から掛けている携帯端末を指でくるくると弄る。
「私はもう時の鐘なんだよね。お仕事の依頼ならお金貰った方がいいのかなって」
「それは……円周が決めればいいんじゃないか?」
「『木原』としては仲良くしたいけど、『時の鐘』としては技術を貸すのはお仕事だし。こういう時孫市お兄ちゃんならどうする?」
「わざわざ円周ちゃんがそれを聞くんですか?」
聞かなくても円周なら分かるだろうと言いたげに、唯一さんが眉を顰める。それはそうであるのだが、仮に仕事の依頼なのだとしてもなぜクライアントの前でそんな話しをしなければならないのか。お宅の教育どうなってるんですか? とでも言われたら言い逃れできないッ。
にしても『木原』としてはと円周が言うということは、唯一さんのフルネームは木原唯一で間違いなさそうだ。円周やベルシ先生と『木原』とは何人かと会いはしたが、これまたタイプの違そうな人がやって来たな。
「身内からの依頼ではなく頼みなのなら、お金の話は別じゃないか?」
「お兄ちゃんも妹からの頼みなら受けるの?」
「ん……」
円周の問いに口を閉じる。
「……その頼みに間違いがないなら引き受けるさ」
「そっか」と呟いて円周は小さく頷き、「いいよ」と円周は唯一さんに向き直ると返した。少なくとも、円周にとって唯一さんの頼みは間違いではないらしい。それとも『木原』としての力を借りたいという誘いが純粋に嬉しいからか。
「では行きましょう」
そう唯一さんも円周に返し、俺は噴き出した。
「い、今からですか?」
「はい、今からです」
「深夜ですよ? バリバリ皆寝ている時間ですけど」
「それが何か?」
それが何か? ゲリラ戦してる兵士か何かか? 頼むにしたって時間帯というものがあるんじゃないのか。魔神の襲来や上里何某の諸々があったとしても、そんな急を要する事態でも迫っているのか。相変わらず学園都市は暇しない。「準備して来るね」と逞しく身を翻す円周の背に、俺の学ランの上着も取って来てくれるように頼んだ。
「……あなたも来る気ですか?」
「何か問題が? 傭兵部隊とは言え、深夜に女子中学生みたいな子を一人送り出したら色々なところから怒られそうですからね。ただでさえ少年兵、少女兵の扱いは国際的にデリケートな問題ですし、一応は私が名目上は保護者のような立ち位置ですし、昼間ならまだしも、昨日の今日で深夜に学園都市上層部に関わりありそうな方からの頼みとあっては気になる部分もある」
「私がお手伝いを頼んでいるのはあなたではないんですけどね」
少し苛ついた空気を滲ませて唯一さんは目を細めるが、俺も引く気はない。これまで学園都市からの仕事と言えば土御門経由であったのに、それを介さずに直接お宅訪問など客観的に見れば異常事態だ。教師の家庭訪問とは訳が違う。ただでさえ未だ問題が燻っている中で不要な心配は極力削っておきたい。
「護衛の依頼をしている訳ではないのですけれど」
「別に後から金払えなんて言いませんよ。円周に頼んでいるのは『お手伝い』なんでしょう? それとも学園都市の存亡に関わるなんたらだったりするんですかね? 時の鐘をご存知なら、振られている仕事も存じていると思いますけれど」
「自ら蠱毒に手を突っ込もうとしていると察しているのであれば、近付かないのが吉なのでは? 一歩離れて見てください。円周ちゃんに、第二位、春暖嬉美、木山春生、およそ問題児の収容所のようなこの場所が無事である今を壊したくはないでしょう?」
「ちょっと、その白衣のポケットにあるスタンガンみたいなものに触れる気なら流石に暴れますよ私も。こっちは丸腰でお話してるんですから」
唯一さんが小さく舌を打つ。音が聞こえる訳ではないが、困った事にその音が俺は見えてしまう。笑顔に顔を固めるがどうしても口端が引き攣る。やべえ、俺の想像以上に唯一さんは学園都市内で上にいる可能性が高い。ただ問題児としてわざわざ名を上げるのが春暖さんなのはなぜだ? 少年院脱走の首謀者らしいが『書庫』によれば
「そもそも学園都市が蠱毒状態なのは知っていますよ最初から。危険の落ち続ける滝つぼだからこそ、私が派遣されたのですし」
「口だけの国連からですけどね」
そこまで知ってる相手なのかッ、情報戦では勝てる気がせんなッ。多分手札は相手の方が多い。こういう手合いはクリスさんやゴッソがだいたい対応してくれていたのだが、今はいないしッ。
「それに私は『時の鐘』をよくは思っていませんので」
「悪感情を向けられるのは慣れているのでご心配なく。マジでやばい案件であるならば、少なくとも口外しないだけの守秘義務は守りますよ。でなければ傭兵稼業などできませんから。逆にあなたが『脅威』側であると言うのであれば、円周を向かわせるのは反対ですね」
「あなた一人が反対したところでどうにかなると?」
「例えここで死ぬ事になったとしても、目にする貴女ぐらいは道連れにできると保証しましょう」
苛つきからかポーカーフェイスの崩れだす唯一さんを前に背筋を冷や汗が伝う。相手が『木原』の一人であればこそ、どんなびっくりドッキリメカを隠しているのか分かったものではない。見たところ狙撃手や能力者の類は控えていないらしいが、超遠距離からの狙撃兵器の類でもあるなら見つけるのは難しい。例え先手を打たれてもギリ即死を免れ相打ちぐらいならいけるか? 相手の戦力が不明過ぎて切れる手札がマジでない。
「それは宣戦布告ですかね?」
「まさか、貴女が持って来た話はそれともそんなお話なんですか? 誰にも追いつけない唯一となれという命題と仰っていましたけれど」
「あなたには関係ありませんね、こちらとしてもできるなら不必要な被害は出したくないのですけれど」
「『木原』がそれを言いますか」
「それが
……なんのこっちゃ。ロマン? 浪漫? 感受性や主観に重きをおいたロマン主義者だとでも言うのか唯一さんは。『木原』の特性は漠然と知っているが、何をもってロマンと言うのか。被害を出さない事が『木原』にとってのロマンだとでも言うのか? それはなんとも……意味分からん。
「つまり、エキゾチシズムやオリエンタリズム、神秘主義なんかの哲学が唯一さんの専攻だということですか? 私も好きですよ、ショパンやメリメ、ドラクロワとか」
「なにを言ってるんですかあなたは?」
全然違うっぽいわ。すごい馬鹿を見るような目で唯一さんに見られる。
「唯一ちゃん見て! 時の鐘の学生服!」
そんな冷えた空気を押し出すように、準備を終えた円周が纏う深緑色の学生服を模した軍服を纏いやって来る。学ランの上着を受け取り羽織る俺と円周を唯一さんは見比べて。
「あなたは円周ちゃんに何を教えてるんですか? 随分とまあ落ち着いちゃって」
「え、いや、狙撃とか?」
「それでこうはならないでしょう。そもそも狙撃なんて教わらずとも『木原』ならやろうと思えば勝手に上達するでしょうし、なんなんですか?」
「なんなんですか? と言われても……時の鐘?」
「はぁ…………はぁ……」
溜め息を吐かれた。それも二回も。そんなこと言われても俺が教えられることなんてそれぐらいしかないぞ。別に俺は教授や教師じゃねえし。肩を落とす唯一さんと俺の間を割って「それじゃあ行こう」と足を出す円周の後ろで揺れる黒いおさげの少女が一人。そっちの襟首を引っ掴み引き留める。
「なにするんスか⁉︎」
「お前がなにしてんだよ! お前は留守番だよ! 無言で着いてくればバレないとでも思ったのか? 馬鹿なのかな?」
「円周と二人で楽しもうなんてズルいっス! いいじゃないっスか、円周と私はもう仲良しっスもんねー!」
「ねー!」
「わぁ仲良さそうで良かったねー、じゃあお前は留守番な」
「無慈悲‼︎」
当たり前だろうが‼︎ 遊びに行く訳じゃねえんだよ‼︎ 見ろよ唯一さんの顔を‼︎ 怒りを通り越して呆れてるよ‼︎ 襟首を掴んだまま釣鐘の首の裏を人差し指で叩く。『事務所周囲の警戒を強めろ』とモールス信号を送りながら。
「工場見学に行く訳でもないんだから諦めろ。俺は一応あれだ。支部長だから」
「職権濫用っス!」
「職権濫用してなにが悪い! お前は留守番だ留守番! ほら、玄関扉の代わりにそこに立ってろ!」
「DVっス!」
「DVではねえよ!」
「うるせえぞ! 何時だと思ってんだ!」
わあほら! 近隣住民の方から苦情が来やがったッ! 釣鐘の両手を持って気をつけの姿勢で玄関に立たせ、斜めに傾いている外廊下の上を円周と唯一さんの背中を押して進む。騒音被害の苦情が来たとかで黒子まで来でもしたら堪らない。
「本気でついて来る気ですか」
「あんまりまごついてると野次馬根性出して全員ついてきかねないですよ。私一人の同行を許すだけで時の鐘学園都市支部の納得を得られると思えば安いのでは?」
「まぁ……いいでしょう。ただ、ついて来る以上は使い潰すのでそのつもりで」
「最低限の力はお貸ししましょう。そこは期待してくれていいですよ」
僅かに唯一さんと視線を交差し肩を落とす。今からもうすごい気が重い。が、そんな中で円周だけは一人にこにこと微笑んでいた。