時の鐘   作:生崎

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幻想 ③

「共感覚性ねえ」

 

 救急車に乗った佐天さんたちを見送った後、すぐに俺は初春さんと合流して幻想御手(レベルアッパー)のこれまでの捜査結果を聞いた。幻想御手(レベルアッパー)という曲、聴覚から共感覚性を用いて五感に働きかけて能力を向上させる。幻想御手(レベルアッパー)とはそんなアップデートソフトのようなものらしい。そんなモノを作り上げられるとは、科学技術が数十年先をいっていると言われている学園都市ならではの代物だろう。

 

 幻想御手(レベルアッパー)に感心しながら今現在俺は初春さんと無人バスに揺られていた。向かっているのは、初春さん達に捜査の協力をしてくれている木山春生という大脳生理学の教授のところだ。早速捜査協力の仕事が来た。丁度初春さんは木山さんを訪ねようとしていたところで佐天さんから電話を貰ったらしい。バスの後部座席に座る俺の横では初春さんが難しい顔をして座っており、幻想御手(レベルアッパー)や俺のことでいろいろ思うところがあるのだろう。

 

「そこまで分かっているとはね。俺必要ないんじゃないですか? 護衛や殲滅は得意ですけど、調査や捜査って俺はあんまり得意じゃないんですよね」

「よく言いますよ。佐天さんたちを実験台にして、私まだ怒ってますから!」

 

 ツンとそっぽを向く初春さん。大分嫌われてしまったようだ。だがどうも初春さん自身に迫力がないため肩の力が抜ける。肩を竦める事で俺は初春さんに応えた。

 

「法水さんも仕事で仕方ないとはいえ、やっぱり許せません」

「ん? それは違いますよ。国際連合が時の鐘に頼んで来たのはただの監視。基本見ているだけでその報告をしろというもので今回俺が幻想御手(レベルアッパー)に手を出したのは個人的な興味によるところが大きいです」

「余計に非道いじゃないですか!」

 

 でしょうね。

 

 キッときつく目を尖らせて初春さんが俺に食ってかかる。とはいえ初春さんが言う通り一応はこれも仕事の範疇だ。傭兵という仕事柄多くの敵を作ることになることは分かっているが、初春さんのように人として正義に生きる者にはあまり嫌われたくないのが本音だ。この話をいくらしても俺に非があるため、誤魔化すように話を逸らす。

 

「それで俺を雇ってどうしたいんですか? 幻想御手(レベルアッパー)をばら撒いた首謀者でも殺します?」

「そこまでは……でも幻想御手(レベルアッパー)を作った方には早く眠っている人たちを助けてもらって、それで自分の罪を償って欲しくて」

 

 初春さんの表情を見るに、どうやら本気でそう思っているらしい。優しい。きつく言えば甘い。ここまで水面下で動いている首謀者がそんな簡単に改心するような者であるはずがない。とはいえ甘いのは首謀者も同じだろうが。幻想御手(レベルアッパー)を作った理由は分からないが、能力者の能力を引き上げて昏睡させることだけが目的ならば学園都市にある放送設備を使って幻想御手(レベルアッパー)を垂れ流せば済む話だ。それをしないのは変なところで良心が残っているのか。それとも別の目的があるのか。どちらにしても幻想御手(レベルアッパー)の副作用から見てお優しい相手であることは間違いない。

 

「まあいいですけど、俺は頼まれた仕事をするだけですから」

「……法水さんは学園都市に来る前からずっとこんな仕事をしてたんですか?」

 

 ふと初春さんがそんなことを聞いて来た。目的地に着くにはまだ時間があるし、気になったことをなるべく済ませておこうということだろう。俺の素性は別に隠すようなことでもない。とはいえあまり知る者が増えてもいいことではないが、初春さんは雇い主だ。

 

「そうですね。俺は七歳の頃にボス、ああ時の鐘の今の隊長に拾われてそれ以降はずっとこんな感じです」

「七歳……」

「別におかしいことじゃないですよ。どこにでも転がっているよくある話だ。ただ普通と違ったのは拾われた先が世界中の最高峰の狙撃手達を集めた傭兵部隊だったということだけでね」

 

 そうよくある話。

 

 平凡で戦いの才能が他の仲間と違って全くない俺でも、天才奇人の集まる時の鐘で十年も地獄の生活に揉まれれば時の鐘最弱とはいえある程度はできるようになる。生きる為の術を学べた。家族ができたという点で見ればこれほど幸福なことはない。二流映画みたいな人生を歩んでいるなと思わないでもないが、俺は今の自分の境遇を不幸だと思ったことはない。

 

「だからまあこの先荒事になっても多少は安心してください。相棒は持って来れませんでしたけど武器はちゃんと持って来ましたし、俺は能力者ではないですが能力者並みの戦闘力はあると思って頂いて構いません。傭兵は金で戦力を売る仕事ですから」

 

 そう言いながら俺は足の横に置いている細長いバッグを軽く叩く。相棒を入れている弓袋もそうだが、金属探知などを無効化し、二重構造になっているため軽い荷物検査も凌げる優れもの。中に入っているのは相棒ではない。あれは大き過ぎて目につき過ぎる。相棒が一番ではあるのだが、今回使うのは日本の三八式小銃をモデルに最新化されたモノだ。初春さんの顔が少し歪み、悲しそうに俯いた。

 

 傭兵を雇うとはそういうこと。人を殺める武器を扱い、時に人を殺める。

 

「法水さん。今回殺すのは絶対ダメですからね。法水さんがそういう仕事をしているというのは私も理解していますし、否定だってできるものでもない。でもここは学園都市で、私は風紀委員です」

「分かってますとも」

 

 白井さんと同じ。初春さんも風紀委員という市民を守る正義の執行者。その道を外れることはなく、確固たる信念をブラさずに自分の道を突き進む。だから俺はそんな彼女達をとても気に入っているのだ。

 

「それで初春さん。報酬の話なんですけど」

 

 と、言っても気に入っているどうこうとは別の話がある。

 

 俺達時の鐘は傭兵。金を貰って戦力を売る。

 

 ここをきっちりしておかないと、俺はただのシリアルキラーだ。俺が人でいるために、それは絶対外せない。しかし、時の鐘の基本料金は安くはない。一日の護衛だけでだいたい基本五万ドル。それだけの価値が時の鐘にはある。所属している兵士の質と時の鐘という名前。そして時と状況によってこの金額は上乗せされていく。今回は護衛だけでなく時に殲滅捜査の手伝いも含まれているため十万ドルはゆうに超える。それも一日でだ。初春さんに払える金額だとは思えないのだが、ケロッとした表情で「いつ払えばいいんでしょうか?」と言ってのけた。

 

「え? 払えるんですか?」

「はい。今回の件私は本気で怒ってるんです。学園都市の上の人たちも渋って動いてくれないからもうこんな状況で佐天さんたちまで巻き込んで。学園都市の中で流れている不正なお金の流れ、その中からちょろまかしてお支払いします」

「は? はっはっは! 初春さん、それ、駄目だろ! いや、初春さん見た目に反して怖いな。あー初春さんだなあの風紀委員の支部の防壁構築したの! いやー居るとこには居るもんだ! なあ初春さん学校卒業したら時の鐘に来ないか?」

「なんでそうなるんですか⁉︎」

 

 いやなんでってそれしかないだろ! 

 

 こんな逸材を放っておく学園都市は本当にもったいない。一風紀委員なんかに甘んじていい子じゃないだろう。ボスに話してみよう。きっとボスも気にいる。初春さんみたいな子なら俺は大歓迎だ。結局この後碌な話は出来ず、初春さんは何か言っていたが、目的地に着くまでの間俺は久々に笑った。

 

 

 ***

 

 

「そうか、この間の彼女まで……」

 

 木山さんの研究所に着いた後、初春さんの話を聞いて木山さんはそう言い、小さく肩を落とした。隈をこさえた切れ長の目を細める姿は表情に合っていて悲痛に見える。それに呼応するように今一度初春さんも肩を落とした。この話になると俺は何も言えないので口を噤む。幸い初春さんは俺のことは何も言わず風紀委員の協力者ということで通してくれたので、怪しまれている様子はない。

 

「私のせいなんです……」

「俺のせいなんです」

「そうですね……」

 

 おい。そうだけども。

 

「あまり自分を責めるものではない。少し休みなさい、コーヒーでも淹れてこよう」

「そんな悠長なことしてる場合じゃ!」

「是非お願いします」

「ああ、それがいい」

 

 初春さんに睨まれた。しかし感情が高ぶっている時に物事を進めるのはあまり良くない。物事を裏で進めている首謀者の思う壺だ。コーヒーの一杯でも飲んで気分を落ち着けた方がいいだろう。木山さんも同じように思ってくれているはずだ。少し優しい顔をして木山さんは、笑顔を残して部屋を出て行った。

 

「少し落ち着いた方がいいぞ初春さん」

「急に馴れ馴れしくしないでください法水さん」

「未来の仲間だ」

「絶っ対! ないですから!」

 

 そうかなあ。そんなこと絶対ないとは言い切れないないと思うが。

 

 例えそうならなくても初春さんとは仲良くしておきたい。この可愛らしい特A級のハッカーは敵に回したくはない。現代の戦いで最もウェイトを占めるのは情報戦。風紀委員の支部に構築されていた防壁の出来を見るに、彼女に勝てるハッカーは時の鐘には存在しない。この科学の街学園都市にもいるかどうか。ゴロゴロいても困るが。できるなら初春さんをスカウトしておきたい。

 

「あれは……?」

「どうした?」

 

 俺の誘いを無情に蹴っ飛ばしてくれた先、顔を背けた先で初春さんは何かを見つけたらしい。出来た女というような木山さんのデスクで何か気になるものでもあったのか。整理整頓され小綺麗な部屋の中で目に止まるようなものは俺にはない。難しそうな本が本棚に並んでおり、背表紙を見ただけで頭痛がしてくる。

 

 徐に席を立った初春さんを追って俺も席を立つ。初春さんが向かう先は一つの本棚。初春さんの頭の上から覗き込むように本棚を見れば引き出しから一枚の紙がはみ出している。明らかな乱れ。整理された部屋の中で、これは確かに目に付く。表に覗いた文字、『synesthesia』という単語は日本ではそう見ることもない。日本語での意味は、

 

「共感覚……いやにタイムリーだな。木山さんは共感覚の研究を?」

「いえ、木山先生の専攻はAIM拡散力場のはず。共感覚のことを木山先生に伝えたのもついさっきですし……」

 

 初春さんと顔を見合わせる。難しい顔の初春さんは俺と同じことを考えているのかもしれない。初春さんの話では幻想御手(レベルアッパー)と共感覚性の繋がりを知っているのは初春さんと白井さん、俺とまた名前を聞くことになった御坂さんを含めた四人だけ。その共感覚性の資料をこう都合よく見つけられるものだろうか。

 

 嫌な予感がする。棚からぼた餅のような嬉しいものではない。棚にあるかもしれないのは手榴弾、手を伸ばした拍子にピンが外れでもしたらどうなるか。ここは木山さんのデスクなのだ、何があるかは分からない。慎重にコトを進めよう。

 

 そう思い初春さんを見れば、初春さんは紙が覗いている引き出しに手を掛け引き出していた。

 

おい⁉︎ 罠とか考えないのか⁉︎

「す、すいません考え至らずでした。気になってしまって。でも法水さんもでしょう」

「それはそうだが、鬼が出ても知らんぞ」

 

 引き出しの中は当たって欲しくはない予想通りだ。びっちりと入れられた資料を纏めたファイル。どの資料も共感覚と脳に関してのことが書かれていた。一つファイルを手にとってパラパラと捲っていた初春さんも冷や汗を流し、驚愕に声を詰まらせる。

 

「音楽を使用した脳への干渉⁉︎ さっきの今でこんなに資料があるなんて」

「おかしいな、まさか」

「いえそれは、たまたまかも……An involuntary movement? これは」

「いけないな、他人の研究成果を勝手に盗み見ては」

 

 やばい⁉︎

 

 背後から木山さんの声がかかる。資料に気を取られて木山さんが戻って来ていたことに気が付かなかった。振り向くのは時間の無駄。下手をすれば次の瞬間やられる。背中で背後にいるものを吹き飛ばすように後ろへ下がれば、木山さんは初春さんの後ろ側にいたらしいため直撃はしなかったものの木山さんの体を掠めてバランスを崩せた。僅かに驚いた木山さんの顔が見える。俺が反撃してくるとは思っていなかったのだろう。俺と初春さんの勘違いならそれで良かったのだが、木山さんはコーヒーを淹れに行ったはずなのにカップを持っておらず、何よりはためく白衣の下、腰に差した拳銃が見える。木山さんの細めた目が俺に向き、研究者らしい細い手を拳銃に伸ばした。

 

 が、

 

「甘い」

 

 人には長所と短所がある。

 

 木山さんは研究者らしい高性能な頭脳。

 

 初春さんは情報戦に向いたハッカーとしての腕。

 

 俺にはそのどちらもないが、代わりに俺には戦場とスイスで培った戦闘技術がある。ここで役に立てなければ俺がここにいる意味がない。給料分はしっかり働かなければ。木山さんに肉薄し、両手で素早く拳銃を持った手を掴む。捻りこむように木山さんの手から拳銃を奪いながら、本棚に木山さんを叩きつけるように押し付けた。銃を持っていた左腕を極め、顳顬に銃口を突き立てれば終わりだ。

 

 彼女の命は、今俺が握った。

 

「……驚いたな。油断したよ、急に彼女が見たこともない男を連れて来たからには何かあると思っていたが護衛だったか」

「喋るな。喋るのはこっちが質問してからだ。さもなくば殺す」

「ちょ、ちょっと法水さん!」

「これが俺の仕事だ。ただ雇い主は初春さんだからな。彼女を離せというなら離すが、このままの方がいいだろう」

 

 木山さんの手を捻りあげる。こんな状況だというのに彼女は余裕の表情を崩さず、薄く笑みを作り軽く呻くのみで声を上げない。俺がその気になってあと少し手に力を込めれば木山さんの左腕は綺麗にへし折れることだろう。だというのに薄っすらと笑う木山さんが不気味だ。

 

「ふふ、その銃が本物だという証拠は? 私が君たちを驚かすために持ってきた玩具(おもちゃ)かもしれない」

「残念、俺の本業は学生ではなく傭兵でね。本物かどうかは分かる。それとも引き金でも引いてみせようか」

「法水さん‼︎」

 

 初春さんに怒られた。

 

 こんなのはよくある軽口だろう。やはりどうもこういう場合においてはお優しい依頼人とはあまり合わない。嫌いじゃあないがね。

 

「で、初春さん何を聞く。この様子だと彼女が黒幕だ。酷いシナリオだよ。推理小説ならバッシングされそうだ」

「まず幻想御手(レベルアッパー)はなんなのか。どうしてこんなことをしたのか。眠った人たちはどうなるのか」

「矢継ぎ早だな、はあ」

 

 木山さんは抵抗する気もなく喋る気らしい。何か奥の手でもあるのか知らないが全く余裕を崩さない。俺は周りを気にしながら少し喋りやすいように手の力を緩める。だが突き立てた銃口は外さない。

 

「まず幻想御手(レベルアッパー)だが、複数の人間の脳を繋げることで高度な演算を可能にするものだ」

「繋げる?」

 

 はい、もう俺にはさっぱり分からない。幻想御手(レベルアッパー)の名前と全然関係ないじゃん。

 

 木山さん曰く幻想御手(レベルアッパー)によってチューニングされた使用者が、同じ脳波のネットワークに取り込まれることによって演算能力が上がり能力の幅が上がるそうだ。頭のいい人間は何を考えているのか意味不明だ。

 

「あるシミュレーションを行うために。『樹形図の設計者(ツリーダイアグラム)』の使用申請をしたんだがどういうわけか却下されてね。代わりになる演算機器が必要なんだ」

「それで能力者を使おうと?」

「ああ一万人ほど集まったから大丈夫だろう」

 

 一万⁉︎ 思ったよりも多い数字だ。それだけの学生が能力に悩んでいるということか。

 

 そういう意味では幻想御手(レベルアッパー)という名前自体に手を出しやすくするための効果があったんだろう。それほどの数が昏睡しているわけではないだろうが、近いうちにそうなるはず。そう考えると事態は思ったより悪い。初春さんの顔も険しくなり、木山さんを睨んでいる。

 

「そんな顔をするな。シミュレーションが終わればみんな解放するのだから。だから君、そろそろ手を離してくれないかな。銃もね。私がいなくなっては困るだろう。約束するよ、手が痺れてきた」

「そう言われても、まずお前の言うことを信じる理由がないな」

「だったらそのためのものを渡してもいい。どうかな?」

 

 初春さんを見る。どうするのか決めるのは初春さんで俺ではない。この場での俺は初春さんの銃であり、銃は一人で勝手に動いたりしない。木山さんが初春さんに乱暴しようとすれば別だが。

 

「私は幻想御手(レベルアッパー)をアンインストールする治療用のプログラムを持っている。後遺症はない。全て元に戻る。誰も犠牲にはならない」

「信用できません、臨床研究が十分でないものを安全だと言われてもなんの保障もないじゃないですか」

「ハハ、手厳しいな」

「それに一人暮らしの人やたまたまお風呂に入っていた人はどうするんですか」

 

 うおっと! なんか急に木山さんが蠢き始めた。少し驚いたが顔には出さず強く本棚に彼女を押し付け手を捻る。呻くような声を上げて少しすると木山さんはおとなしくなった。

 

「……まずいな。学園都市統括理事会に連絡して全学生寮を見回らせなければ」

「想定してなかったんですか⁉︎」

 

 なんか。なんかなあ……。

 

 手を掴んでいるからこそよく分かるが、彼女の動揺は本物だ。これが木山さんが幻想御手(レベルアッパー)を大々的に垂れ流さなかったことに繋がるのだろう。彼女の隠しきれない人の良さというか、陰謀家ぶっているが悪い人間になりきれてないあたりがまさにそれだ。

 

「初春さんどうする? なんか拍子抜けというか力が抜けちゃったんだけど。多分その幻想御手(レベルアッパー)のワクチンというのは本物だ。とりあえずモノだけでも受け取っておいたらどうだ」

「それなら私の白衣のポケットだ」

 

 手の拘束を解いて木山さんの白衣へ手を伸ばす。左にはない。右のポケットに手を入れれば、小さなチップのようなものとiPodが確かにあった。それを初春さんに投げ渡す。

 

「はあ、まいったよ。私の部屋は普段誰も立ち入れないようになってるし来客もほとんどなかったからね。君たちみたいなのが来るのに少々無用心だったな」

「なに? それじゃあ資料がはみ出していたのは罠とかじゃなくただのうっかりか?」

「……そうだ」

 

 木山さんは恥ずかしそうにそっぽを向いて先程まで極められていた手を振り誤魔化すように頬をかく。うーん、やり辛い。これまで仕事でいろいろな人間を見てきたが、どうも木山さんが相手だと調子が狂う。ここまで頭のいい相手がいなかったのと、またここまでうっかりな相手もいなかったためだ。庇護欲を掻き立てられるというか、どうも放っておけない性格をしている。

 

「さて、治療用のプログラムは渡した。だがそのプログラムを使うのは私のやることが終わってからにして欲しい」

「そんな! そんな自分勝手なこと」

「それが出来ないのであれば今眠っている者たちを永遠に眠らせたままにもできるぞ」

「くっ!」

 

 木山さんが余裕なわけはコレか。幻想御手(レベルアッパー)を一人でも使った者がいれば、それはそのまま木山さんの人質になる。これまでの木山さんを見るに出来たとしてもそんなことをするとは思えない。が、初春さんのようなタイプの人間には効果がある。見るからに初春さんは動揺して、口を真一文字に引き結んだ。

 

「初春さん。おそらく彼女はできないよ。貰うものは貰ったし制圧するか?」

「それは」

 

 銃はこちらの手にあり、いつでも撃つ準備はできている。初春さんの横に立ち小声でそう伝えるが、返ってきた返事は渋ったもの。

 

「まだ幻想御手(レベルアッパー)のことが全部分かったわけではありません。今ここで木山先生を捕まえることが出来たとしてもなにが起こるか」

「じゃあ見逃すのか?」

「それは……」

「話は終わったかな? 風紀委員や警備員(アンチスキル)に連絡をされても困る。君たちには私と一緒に来て貰うよ。ここから出てすぐに治療用のプログラムを使われても困るしね」

 

 こちらにバレたからか木山さんも多少は焦っているらしく急かしてくる。おそらくこのままそのシミュレーションとやらをやるのだろう。ただ気に食わないのは木山さんの方が立場が上だと思っているところだ。俺は持って来ていたカバンを拾いライフルを取り出して、木山さんに向けて突きつけた。相棒程ではないが、使い慣れた銃の方がいい。

 

「初春さんが従うなら俺も付いていく。ただあまり下手なことを考えるなよ。俺は動く相手でも五百メートル以内なら外さない。動かなければ五キロでもな。死にたくなければおとなしくやることやって終わりにしよう。その方がお互いいいだろう?」

「なるほど、それが君の能力か?」

「俺は無能力者だ。これは技術さ」

「何? 本当か? すごいな」

 

 そっちで驚くのか。これだから学園都市は……。

 

 能力能力、それが大事なことは分かる。凄いとも思うし、その能力こそがステータスだ。だが学園都市に住む者はそれに囚われ過ぎている。人間の能力というのは馬鹿にできず、超能力なんてなくたって素晴らしい力が人にはある。例えば超能力者を作ったりなんていうのは正にそれだ。だというのにあまりそれを見ない。

 

 見るのが嫌なのか。見ようとしないのか。それとも見ていないのか。

 

 どれにしたって急に目に付いたからと言って褒められても嬉しくない。どうせならボスに褒められたい。まあボスに射撃の腕を自慢しても「死にたいの?」で終わってしまうが。

 

 話もまとまり、木山さんに連れられて俺と初春さんは駐車場まで足を運んだ。俺は銃を手にそのまま研究所内を歩いていたが、教授と風紀委員の護衛ということでゴリ押したら意外といけた。こんなんで通ってしまって大丈夫なんだろうか。学園都市の場所ごとのセキュリティの差に少し頭痛がしてくる。だが、さらに頭が痛くなったのは駐車場で待っていたのがランボルギーニ・ガヤルドだったことだ。

 

 これ二人乗りだよ。俺も運転はできるのだが、いざという時を考えると俺が運転するのはやめた方がいい。

 

「一人留守番か? 初春さんドライブでもする?」

「おいおいこれは私のクルマだぞ。それに君は免許を持っているのか?」

「持ってるよ。スイスのだけどな、ボスのジャガーなら転がしたことがある」

「ならダメだろう。運転は私がする。その方が君も銃を手放さずに済んでいいはずだ。なに君が助手席に座り、その上に初春君が座ればいい」

「ええ! なんですかそれ⁉︎」

 

 と渋る初春さんを説得し、なんとか三人乗ることには成功した。成功したのだが、

 

「初春さん、頭のそれどうにかならないか? チクチク刺さってすごく鬱陶しい」

「私も以前から気になっていたんだが頭のそれは何なんだい? 能力に関係あるのかな?」

「答える義理はありません! 法水さんも動かないでください! 変なことしたら逮捕しますからね!」

 

 そう言われてももう凄い首とか顔に当たるんだが。ただの飾りならば取って欲しい。そうでないなら、そうでないなら一体なんだ?

 

 木山さんが法定速度を無視してかっ飛ばすランボルギーニが小石で跳ねるたびに初春さんの頭の花飾りが俺の気力を奪っていく。銃も初春さんに持って貰ってるし、これは木山さんにとってかなり好都合なんじゃないだろうか。木山さんが極悪人なら次の瞬間殺されそうだ。

 

「どこに向かっているんだ?」

「それは君にはどうだっていいんじゃないかな。別に本気で気にしてるわけでもないだろう。君にとって大事なのは彼女みたいだからね」

「依頼人の安全を確保するのは当然だろう。このまま地獄に向かっていると言われても困るからな」

「地獄か……ハハハ、ハズレではないかもしれないな」

 

 そう言って木山さんは笑った。出会ってからこれまで余裕を崩さなかった彼女だが、地獄と言った時の顔だけは憂を帯びて見えた。よくよく考えればただの一研究者がここまでの事をやるとなるとそれ相応の理由があるはず。木山さんのこれまでを見ても、そこまで悪い事をするとは思えない。

 

「なんだ死ぬ気なのか」

「結局はそうなるかもしれないという話さ。だがそれでも私にはやらなければならないことがある」

「それは何なんですか?」

「別に楽しい話じゃないさ。だが目的地に着くまでの暇潰しに、君たちになら話してもいいかもしれない」

 

 君達、ではなく初春さんにだろう。人の身の上話を聞いて一々心を乱すような感情は俺にはもうあまりない。そんな俺の内側を俺の顔を見て木山さんは分かったのか小さく鼻で笑った。余計なお世話だ。

 

「学園都市で君たちが日常的に受けている能力開発、アレが安全で人道的なものだと君たちは思っているか?」

「思ってない」

「私は……」

 

 初春さんは言い淀んだ。初春さんは頭がいいだろうから分かっているのだろう。学園都市に流れる不正な金の流れを把握しているくらいだ。俺は、いや時の鐘は思っていないからこそ学園都市の監視任務の際に俺の能力開発を免除させた。下手に頭を弄られて狙撃の腕が狂っても困るからだ。

 

 超能力よりも毎日研鑽した技の方を重んじるのが時の鐘。だからこそわざわざ最新式の銃を作成してもボルトアクション方式を採用し、人の手が入る余地を残している。使う拳銃もシングルアクションリボルバーという徹底ぶりだ。

 

「学園都市は能力に関する重大な何かを我々から隠している。学園都市の教師達はそれを知らずに百八十万人にも及ぶ学生達の脳を日々開発しているんだ。それがどんなに危険なことか分かるだろう?」

「そんなことは分かっている。俺も、それにきっと初春さんもな。つまり何が言いたい」

「つまり、私もそんな教師の一人だったということさ」

 

 木山さんは自嘲の笑みを浮かべながらそう吐き捨てた。初めて見せた木山さんの奥底。感情が膨れ上がったことがその姿からよく分かる。苛立たしげに強くハンドルを握り込み、発散させるようにアスファルトの上に車を滑らせる。ドリフトの衝撃で初春さんの花飾りが俺の首元に刺さる。

 

 ……痛い。

 

「私が関わったある実験、後で知ったが暴走能力の法則解析用誘爆実験と言ったかな。能力者のAIM拡散力場を刺激して暴走の条件を探るというものだった」

「聞くだけで危険だと分かるな」

「ああ全くだ。初春君、前に私は教鞭を振るったことがあると言っただろう? 実験に参加したのは、私の教え子たちだった」

「そんな‼︎ だって、それは、そんなの‼︎」

「人体実験か」

 

 胸糞悪い。俺でもそう思うのだから初春さんが受けた衝撃は相当なものだろう。何かを成すには犠牲がつきもの。そんなことは俺だって嫌という程知っている。平和のために。利益のために。世界のために。あらゆる理由で俺も人を撃ってきた。だがいくら俺でもただの子供を撃ち殺したことはない。仕事でもだ。そういうゴミみたいな仕事を持ってきたクソ野郎には返事の代わりに銃弾をやった。いくら金を積まれようと時の鐘はそういう仕事を絶対しない。

 

「二十三回、二十三回だ。意識を失ったあの子たちの快復手段を探るためシミュレーションを行うために『樹形図の設計者(ツリーダイアグラム)』の使用を申請して却下された回数だよ」

「バレたら困ると」

「ああ、統括理事会もグルなんだ。笑えるだろ?」

「ああ大爆笑だな」

「ちょっと法水さん!」

 

 初春さんが勢いよく振り向く。危ねえ、花飾りが目に刺さるところだった。しかし、街ぐるみで人体実験をやっていると言われれば笑ってしまうのも仕方ない。というか笑うしかない。どうやら学園都市は掘れば掘るほどヤバイ話が転がっていそうだ。国連が見ているだけにしろと言っている理由がよく分かる。

 

「だから私はあの子たちのためならなんだってするさ」

「木山先生……」

「初春さん、同情はしても共感はするなよ。初春さんは風紀委員だろう? 自分の軸はそう簡単にブラすもんじゃない。木山先生のやっていることも分かるが、そのおかげで一万人が昏睡だ」

「っ⁉︎ 分かってます!」

「厳しいな君も」

「人間なんていうのは結局自分の欲求に素直に生きるべきだ。そうでなければ欲しいものには手が届かない。俺だってそうだ。俺が傭兵家業で学んだ数少ないいいことさ。そのためだったらいくらでも引き金を引く。だがそれは自分の信念に準じていなければならない。そうでなきゃ人ではいられないから。そういう意味では俺は木山先生を気に入っているよ。でも生憎今は仕事中でね」

「なるほど、それが君の矜持か」

 

 もし俺が傭兵でなく、時の鐘にも所属していないどこにでもいる一般人なら木山先生に協力してもよかった。だが俺は傭兵だ。仕事で俺はここにいる。

 

 それが全てだ。

 

「初春さんが貴女に協力しろというなら協力するが。向かっている先も分かったしな。その子達のところに向かっているんだろう?」

「まあね、そう言うことならどうかな初春君」

「わ、私だって木山先生の気持ちは分かるしその子たちのこともどうにかしてあげたいと思います! でも、でも私は風紀委員です! その話が本当でも、幻想御手(レベルアッパー)の件も本当です! だから私は、木山先生を捕まえなくちゃ!」

「……そうか、はあ、だろうね」

 

 木山先生も分かっていたんだろう。初春さんの叫びに大きく息を吐く。すごく初春さんの頭をわしゃわしゃしたいが辞めておく。絶対手が血塗れになる。そんなことをして初春さんに目を落としたところで、小さな音と共に車内のカーナビに突如文字が浮かんで来た。

 

「もう踏み込まれたのか。別のルートで誰かが私に辿り着いたな」

「尻尾を掴むと学園都市は早いな」

「所定の手続きを踏まずに機材を作動させるとセキュリティが作動するようにプログラムしてある。これで幻想御手(レベルアッパー)に関するデータは全て失われてしまった。もはや幻想御手(レベルアッパー)の使用者を起こせるのは初春君が持つモノだけだ。大切にしたまえ」

「それはいいんだが、アレはどうする?」

 

 高速道路の先、道を塞ぐような形で車を置き、黒い防護服に身を包んだ連中が立っている。警備員(アンチスキル)。風紀委員と共に学園都市を守る警察組織。車で突破するのは不可能だろう。木山先生もそう考えたようで、幾分か距離を取って車が止まる。

 

警備員(アンチスキル)か。上から命令があった時だけ動きの速い連中だな」

 

 ウンザリするように木山先生はそう吐き出した。すぐに拡声器を通して警備員(アンチスキル)が木山先生に投降を呼びかける。その言葉の中に幻想御手(レベルアッパー)という言葉が混じっていることから、しっかり分かって来ているようだ。

 

「どうするんです? 年貢の納め時みたいですよ?」

「さっきの俺みたいに期待するなよ。初春さんが優しいから良かったが、あっちはきっと有無を言わせず撃ってくるぞ」

「分かっているさ。それと、私も言わなかったことだが幻想御手(レベルアッパー)は人間の脳を使った演算機器を作るためのプログラムだ。それは使用者に面白い副産物を(もたら)すものでもあるのだよ……。ではな、君たちとの会話は楽しかった」

 

 最後にそう言って木山先生は散歩にも出掛けるように車を降りていった。どう言う意味なのか俺にはさっぱりだ。初春さんもそうらしい。両手を頭の上で組みゆっくりと警備員(アンチスキル)達に向かって歩いていく木山先生。これで終わり。俺も初春さんだってきっとそう思った。しかし、

 

 

 バババ。

 

 

 文字にするとそんな間抜けな音がした。

 

 俺には聞き慣れた発砲音。木山先生が撃たれたわけではない。

 

 警備員(アンチスキル)はしっかりと銃を両手に持ったまま、警備員(アンチスキル)を撃っている。

 

 裏切り。

 

 警備員(アンチスキル)の中に木山先生の同士がいたのかと一瞬勘繰るが、見える警備員(アンチスキル)達の必死の形相からその線を消す。

 

 そうでないなら、だがしかし、いやこれは。

 

「能力者だと⁉︎」

 

 警備員(アンチスキル)の野太い叫び声を最後に、爆発的な光が視界を覆った。

 

「初春さん‼︎」

 

 俺にできることは初春さんを守る為に上から覆い被さることだけで、初春さんの花飾りが俺の体をザラついた感触で撫でたのを最後に、身体中を叩く衝撃波に身を包まれて俺の意識は弾き飛ばされた。




*偉そうなこと言いながら主人公も人体実験してる定期

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