時の鐘   作:生崎

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大覇星祭 ⑥

  走る。休憩もそこそこに、ようやっとオリアナ=トムソンの行方が分かったからだ。向かう先は第五学区、西武山駅。『使徒十字(クローチェディピエトロ)』の使用条件は未だ不明であるのだが、オリアナ=トムソンの姿を防犯カメラが捉えた。やはり学園都市の機械の力に全て抵抗するのは難しいらしい。オリアナ=トムソンの居場所が漠然とでも分かれば、探索の魔術『理派四陣』が使える。使用者を中心として、およそ半径三キロ前後のサーチを可能とする魔術。まるで潜水艦のピンみたいだ。使用条件として、ターゲットの使っていた魔術アイテム『霊装』が必要となるが、既にこちらはオリアナの単語帳ページを手に入れている。

 

「あー、どうする上条さん、目的地に近づくのは良いが、俺や上条さんじゃ魔術を使えん。土御門さん達より早く現場についていいものか」

「そうは言っても行くしかないだろ。他に俺達に出来る事なんてないし、地下鉄を使おう、地下鉄は最初にちょっと待たされるけど、一度乗っちまえばバスなんかより早く着く!」

 

  上条の意見に賛成だ。流石にビルの上を跳んで行くよりも地下鉄の方が早い。上条に小さく頷いてみせ、細い道を曲がりぽっかりと空いている地下鉄の入り口へと飛び込んだ。走らないでと注意してくる駅員の言葉を聞き流しながら、ハードルのように行く手を阻む自動改札に携帯を押し付けて飛び越える。ID認証で支払い機能を持つ携帯電話はこういう時便利だ。ホームに出れば丁度電車がやって来る。さっさと乗りたいのに電車が停車するまで扉が開かないので歯痒い。扉が開き中に入れば、今度は早く閉まれと歯痒い。追う側というのはどうも焦る。良くない傾向だ。扉が閉まってようやっと一息ついた。

 

「……土御門の言ってた西部山駅までは、二駅ってトコか」

 

  電車の扉の上に取り付けられたディスプレイを見て上条が呟く。すぐに見えて気がせっていると長く感じてしまう。周りを見て他の客がいないのを良い事に内ポケットから煙草を一本取り出し咥えた。

 

「ぎゃあ! 列車の中はマズイって。煙を感知したら緊急停車する事もあるし!」

「煙感知器の場所くらい知ってる。二駅くらいなら持つさ」

「そこまでして吸いたいわけ⁉︎」

「煙草は傭兵の必需品だよ」

 

  肩を竦める事によって上条に答え、紫煙をふかす。電車の行き先はもう決まっている。その足をこちらで早める事も出来ない。出来るのは待つ事だけだ。電車が一度止まり扉が開く。他の車両からは数人が乗り降りし、そしてまた扉が閉まり電車が動く。ああ忌々しい。この歯痒さが嫌だ。しばらく振動に揺られて再び電車が止まった。ホームに見える西武山駅の文字、扉が開くと同時にホームへ飛び出し煙草を踏み消し手近な出口へ向かう。

 

「土御門さん達はどこかな、もう着いてればいいんだが」

 

  走りながら携帯を操作する。地下な事もあって繋がるのか微妙なところだったが、思いのほかあっさり繋がった。

 

「土御門さん今どこだ?」

「にゃー。悪い。自律バスで駅の近くまで来てるんだが……この辺りの道は、一〇キロ走のコースに指定されてるっぽい。スケジュールの変更で、時間が早まっちまったんだ。バスが立ち往生しちまってるぜい」

 

  なにそれ。肝心の魔術師が二人とも遅れていては意味がない。暗部の力も思ったよりも融通が利かない。電話から聞こえる土御門の声の後ろで、ステイルさんのイラついた声と、呆れた青髮ピアスの声が聞こえる。うちの最大戦力が全部あっちにいるとはどうなんだ。

 

「そこからここまでの距離は!?」

「降りて走るとなると、ざっと一〇分ってトコか」

 

  上条の問いへの答えは十分。普段なら何でもないような時間だが、今の状況を考えればかかり過ぎだ。青髮ピアスだけなら一人走ってもっと早く着くだろうが、青髮ピアスは魔術を使えないのだから意味はない。

 

「仕方がないぜい、『理派四陣』はここから使う。なぁに。徒歩一〇分の距離なら、致命的な誤差ってほどでもないぜい。わざわざ時間をかけて駅まで行くより、この場でやっちまった方が得策だ。オリアナだって地下鉄や自律バスを使って移動している可能性もあるんだからにゃー。探索は手早くやった方が良い」

 

  予定とは違うがその方が良いだろう。俺と上条だけでは追うものも追えない。了承の言葉を伝えると、すぐに次の指示が飛んでくる。

 

「『理派四陣』の結果はケータイでそっちに伝えるにゃー。孫っちはカミやんと一緒にオリアナを追撃・捕縛してくれ。『使徒十字(クローチェディピエトロ)』はオリアナではなく、リドヴィアが持っているかもしれない。できれば生かして捕まえて欲しいぜい」

 

  また難しい注文を。一枚紙を破く毎に色とりどりの魔術を放ってくる相手を生け捕りとは。上条がいるからこそまだ何とかできるかもしれないが、いなければ却下したい注文だ。怪我も負っていない頭が痛くなる。

 

「生け捕りだってさ上条さん、難易度が上がったな」

「いや元々殺す気なんてねえよ、法水もあんまりそういう事言わないでくれ、いつもドキッとするんだ」

「そりゃ悪かったな」

 

  電話は繋ぎっぱなしにして、入り口から外に出る。太陽の眩しさに少し目を細めていると、すぐに土御門から新たな連絡が来る。ひと気のない場所に移動し『理派四陣』を発動させたとの事。休み時間は終わりだ。これからは延々と走る事が仕事。

 

  第五学区は高校や中学の多い第七学区と違い、大学や短大が多い。どこか雑然としている第七学区と違って洗練されたイメージだ。能力者よりも科学者が多いからか大覇星祭でもどこか整理されていて走りやすい。土御門の指示に合わせて足を動かす。

 

「……オリアナは気づいてるな。動きが急に変わった。今は北西に向かってる。距離は三〇〇から五〇〇メートル。……待ってろ、すぐに絞り込んでやるぜい」

 

  思ったよりも遠くに行っていない。五〇〇メートル。周りに人がいなければ目視できるし、邪魔が入らずに本気で走っていければ俺の足なら二分もかからない。

 

「法水、狙撃できないのか?」

「人が邪魔だ。高いところに行ければ別だが、建物の中に入られればアウト。それに登ってる間に逃げ切られてしまうかもしれない。このまま足で追い詰めた方が早い。追い詰められればだがな」

 

  上条の意見に返して先を急ぐ。俺だって本当ならさっさと狙撃して終わらせたいがそうもいかない。ここで銃を取り出すのは流石に目立つ。それによって逆に人垣が避けていってくれるかもしれないが、それは最終手段だ。

 

「反応が出たぜい。オリアナはカミやん達の地点から……方角は、やっぱり北西をキープ。距離の方は三〇九メートルから、四三三メートルの間にいる。とりあえず直線的に追跡を振り切ろうとしているみたいだにゃー。急げよ、有効範囲外まであと一七〇〇メートル前後だ」

 

  風紀委員(ジャッジメント)が配っている大覇星祭のパンフレットを走りながら掻っ攫い、パラパラとめくっていく。北西に三〇九メートルから四二三メートルの位置にあり、オリアナが利用しそうな施設はただ一つだ。隣を走る上条も同じ結論に至ったらしい。

 

「もしかして、これか……? ここから八〇〇メートルぐらい先に、モノレールの発車駅がある。第五学区の中をぐるりと回る環状線だ。これに乗り込まれちまったら、三キロなんてあっさり抜けられちまうぞ!!」

「青髮ピアスはそこから間に合わないのか? 空飛んだりして」

「あー……できなくはないそうだぜい。ただそれには本気出さなきゃいけないらしくてその後ポンコツになっても良いならやるそうだにゃー、まあやめた方がいいな」

 

  青髮ピアスのトラウマか。超能力者(レベル5)でありながら本気で能力を五分ほどしか青髮ピアスは使えない。おそらく空を飛ぶような肉体変化(メタモルフォーゼ)はよほどエネルギーを使うのだろう。無能力者集団(スキルアウト)を蹴散らした後の青髮ピアスの状態を思うに、ララ=ペスタロッチも未だ健在な事を考えると温存した方がいい。

 

「いや、待て。オリアナが急に向きを変えた。そのモノレール駅に向かうルートとは直角に曲がってる。オリアナの行き先は発車駅じゃないようだ───ッ!! なんだコイツ、いきなり速くッ!?』

 

  土御門の焦った声に足が止まる。足が止まらず少し先を行った上条の足も止まり俺の方へと振り向いた。嫌な予感がする。このままこっちでオリアナを追っていていいのか。土御門が焦るというのはよっぽどだ。

 

「このルートは……くそ、そういう事か! オリアナの野郎、まさか───ッ!!」

 

  その土御門の叫びを最後に何かが砕け散るような音が携帯から響き音が消えた。画面を見ると通話が切れている。良くない予感が的中だ。これで俺と上条は目を失った。このままモノレール駅に向かってもオリアナはいないだろう。

 

「どうなってんだ?おい法水、携帯電話のアンテナは!?」

「いや、切れた」

 

  考えられる事はただ一つ。

 

「……おそらく逆探知を逆探知されたな。こっちが相手の居場所を分かってるんだ。相手だってこっちの居場所は分かる。加えてあっちは動いていて、前に見た『理派四陣』の使い方から見てこっちは動いていない。狙うなら当然それを狙う。ただ土御門さんに加えてあっちにはステイルさんに青髮ピアス、ただ負けるような事はないと思うが」

「なら、俺達はどうする?」

「大人しく待つ、とは言ってられる状況じゃないな。だが、それしかないか」

 

  超能力者(レベル5)にステイルさんも一級の魔術師。死ぬような事はないだろう。ただ俺が気になるのはララ=ペスタロッチの動向だ。オリアナ=トムソンに同行しているのか、それとも単独で動いているのか。影も形も見えないララの方が不気味だ。いつ出て来るのか分からないララの恐怖の方が大きい。おそらくだが、ララはオリアナとは一緒に行動はしていないだろう。あの頑固者集団の一員が素直に他の者と一緒に動くとは考えづらい。ララが言う事を聞くのは『空降星(エーデルワイス)』の隊長かローマ教皇のみ。意見を聞いても『空降星(エーデルワイス)』のメンバーがほとんどだ。執着を見せた上条の方を放っておくとも思えない。

 

  上条の「くそッ!」という悔しそうな声を聞きながら周囲を警戒する。三人の連絡を待つしか今はなさそうだ。

 

 

 ***

 

 

  その後連絡があったのは少しして、それも青髮ピアスからの連絡だった。土御門の携帯はやはり使えないほど大破してしまったらしい。最初の奇襲でかなりの大技を食らったそうだ。結果、携帯電話と一緒に逆探知の術式『理派四陣』は完璧に破壊され、何より『理派四陣』に必要なオリアナのページも破壊されてしまったという話だった。単なる魔術戦ではなく、追撃と逃走が元になっているこの戦いはオリアナに分があるらしい。

 

「最悪だな。追う手がかりがなくなった。このまま棒立ちしてるか?」

「まあ一個だけ分かってんのは、オリアナは今注意を払いつつ疑念を払おうとしつつそれでも高い確率で「とりあえず」ここから距離を取ろうとしているって事。実はちょっとばっかりハッタリ利かせたからにゃー。となると徒歩はない。コースの決まった自律バス、地下鉄、電車、モノレール環状線なんかを終点まで一気に行くと思うんだが……」

「土御門達は今地下道にいるんだったな」

 

  そう上条が言って大覇星祭のパンフレットを見る。土御門達がいるのは地下道。最も近いのは地下鉄、それも第七学区に繋がっている。行ったり来たり、二度手間も甚だしい。オリアナはこちらをおちょくるのが好きらしい。もう生け捕りとかどうでもいいから撃ち殺したい気分だ。

 

  急いで来た道を戻り再び電車に乗り込む。競技に観客が集中してるからか、相変わらず人は少ない。だが先程と違って今回は行き先がハッキリしない短い旅。来た時と同じように煙草を咥えると、今度は上条は何も言わなかった。

 

「法水、傭兵のお前から見てどうなんだ? 今のオリアナの動き、何か分かる事はないか」

 

  上条にそう言われて思いつくのは、やたら似たり寄ったりな場所を行き来しているという事か。ただ逃げるなら似たような場所に行くのではなく遠くに行けばいい。灯台元暗しを狙うにしては同じ場所に居過ぎる。オリアナが学園都市に詳しくないという事も要因になっているのかもしれないが、それにしたってどうもおかしい。

 

「そうだな、まず第一に引っかかるのは、土御門さん達に反撃した点だ。確かに追っ手を巻くには追っ手を潰すのが早いが、だって相手に何人敵がいるのか分からないんだぞ? それに自分を追えるものを破壊できたらすぐに去ったと土御門さんは言ってたな。『使徒十字(クローチェディピエトロ)』がどういった条件で使用できるのかは知らないが、再びオリアナが第七学区に向かったのも、どれだけ小さな手掛かりだろうと残しているのも、わざと追わせているようにしか思えない」

「わざと? いったい何で?」

「さて、何でかな。思い付くのは時間稼ぎか。もう一人の魔術師、リトヴィアさんとやらに目を向けさせないためか。ただ言えるのは、逃げるにしてもプロのくせに少々手掛かりを残し過ぎなところがおかしいな。大きなヒントはくれないが、小さなヒントはくれると」

 

  そう言うと上条は唸ってツンツン頭をわしわし掻く。考えても答えが出ない。一番良いのは『使徒十字(クローチェディピエトロ)』の使用条件がさっさと分かる事だ。それさえ分かればオリアナの行く先をかなり絞り込む事ができるかもしれない。

 

  電車が一度停車して扉が開く。これが閉じればもう後一駅で元の場所だ。ただ、ボーっと外の景色を眺めていると、景色の違和感が引っ掛かる。電車から降りる人の姿がない。それに加えて乗る人も。ホームには電車を待つ人の姿があるというのに、目の前に停まっている電車に全く気付いていないように。それを眺めている間に扉が閉まってしまう。揺れ始める電車。背中に冷たい汗がツーっと伝った。口に咥えていた煙草を握り潰し、上条へと視線を送る。

 

「……おい、上条さん。窓から離れて真ん中辺りに来ていた方がいい」

「へ、何で?」

「来た」

 

「何が?」と言う上条の言葉は鉄を突き破る刃の音に掻き消された。電車の天井は切り裂かれ、切り口から見える黒い空間に浮かぶ白い影。腰に差していた相棒を抜いて弾丸を放つ。暗闇の中に六つの火花が散り、十二の欠片が車内に転がるのに合わせて、『白い婦人(ホワイトレイディ)』が舞い降りた。赤い瞳を俺に向け、続けて上条の方へと流す。

 

  やられた。オリアナがわざわざ第七学区に戻ったのはこのためか。一度第五学区に移り俺達の移動ルートをララが把握。踵を返して第七学区に戻れば、何もなければ同じ道を辿るのが当然。レーダー役は同じく位置の分かるオリアナが潰し、残りの追っ手はララが潰す。よくできた作戦だ。それに加えて地の利はララの方にある。狭い車内。俺は相棒は使えないし、ここでは満足に銃身も振り回せない。ゲルニカM-004も使い終え、ゲルニカM-006も単品では武器として効果が薄い。残されているのはゲルニカM-002と拳のみ。これだけで『空降星(エーデルワイス)』の相手は厳しいとしか言えない。

 

「貴方達がこちらで良かった。魔術師より能力者よりもまず貴方達を穢れから解放しなければ」

 

  そう言って包丁を擦り合わせるララはすっかり本調子らしい。回復魔術でも使ったのか知らないが羨ましい。ただいい事もある。上条にララの目は効かない。ここで見られたのは実質俺だけだ。ならここで俺がララを引き止めれば、被害は最小限に抑えられる。

 

  俺と上条を挟んで中央に立つララとの距離は三メートル。ゲルニカM-002に新たな弾丸を装填している時間はない。かと言って無理に刃の檻へと手を突っ込めば、ララの言う禊の通りになってしまう。電車が止まって扉が開く。だが動けない。下手に動いて背を見せれば、それを合図に凶刃が飛んでくる。ララが動くとすれば背を見せた時か、もしくは。空いている左手をポケットへと突っ込む。欲しい弾丸はアレだ。扉が閉まるのと同時に、握った弾丸達をララに向かって放り投げた。

 

  上条に目を向けながら突っ込もうとララは姿勢を落とすが、迎撃装置が動き出し降りかかる弾丸を切る。

 

「ッ!」

 

  放り投げたのは凍結弾。これで凍結弾は弾切れだ。たとえ撃ち込めなくても、弾丸の中の液体窒素がララへと降り掛かり動きを鈍らせる。その瞬間に足を踏み出し、一気に距離を詰めると上条に向かって突き上げるようにタックルを見舞った。

 

「上条さん! 土御門さんと合流しろ!」

「な⁉︎ 法水⁉︎」

 

  上条の伸ばされた腕は宙を泳ぎ、電車の窓を突き破って駅のホームの上を転がった。ゆっくり動いていた電車は上条の姿を小さくしていき、地下鉄の暗い壁に阻まれて上条の姿は見えなくなる。振り返れば白いドレスに僅かに貼り付いていた霜を手で払っているララの姿。その目は呆れたように小さく伏せられた。

 

「美しい友情……でしょうか。孫市、貴方一人で勝てるとお思いですか?」

「やってみなきゃ分からないさ。ララさんだって肋骨折れてるのに激しく動いていいんですか?」

「ご心配どうも。もうくっついているので平気ですよ。全く貴方はスイスに居た頃から困った子でしたが、こうも私の邪魔をするのなら、ここで禊を終わらせましょう。貴方に祝福を」

 

  ララが包丁を擦り合わせる。その音に紛れ込ませるように舌を打った。本当に全快しているとはやってられない。肩に掛けた弓袋を床に置き、ゲルニカM-002を腰に差して軽く手を振ってみる。まだこの両腕とおさらばはしたくないが、手を出さなければ勝てもしない。

 

  電車が一度大きく揺れ、それに合わせてララが突っ込んで来た。振るわれる刃にむしろこちらから突っ込んで腕と腕を当てて弾こうとするが、擦り上げるように振られたララの刃に腕を斬り払われ鮮血が舞う。二つ目の刃は脇腹を擦り、振り下ろした拳を滑るようにララは避けて太ももの外側を斬られる。

 

  一瞬で三撃、だがどれも浅い傷だ。血こそ出ているが芯まで届いてはいない。すぐに距離を詰めようと動くも、後ろに下がる動きに合わせて肩口を斬られる。拳を振るい斬られ、拳を振るい斬られ、こちらの拳は当たらず増えていく傷。その合間を縫って溢れる血液をララは舐めとる。気色悪い。まるで血を啜る吸血鬼だ。

 

「くそ、人をいたぶって楽しいですか?」

「まずは貴方を知らないと、可哀想に、トルコの路地裏に転がって、行き着いたスイスでは血に浸かり、学園都市では合わない学生生活に葛藤する。貴方には合わないのでしょう? 傭兵も学生も、でもそんな貴方をローマ正教は受け入れますよ。そして私も」

「余計なお世話だ」

 

  振るった拳は、今度こそ全く当たらず最小限の動きで避けられてしまった。まるでそこに来ることが分かっていたように。抱きつくようにララは俺の背へと刃を突き立て、肩口の傷に舌を這わせる。振り解こうとするのだが、上手く力が入らない。体はまだ平気だ。なのに力が抜けていく。

 

「もう無理ですよ。貴方の事を多く知れれば考えも読める。子供が母には嘘を見抜かれてしまうように。大丈夫、安心して私の腕の中で休みなさい」

 

  電車が止まって扉が開いても、足に力が入らない。心の内側に感じる知らない感情。何とも言えぬ暖かなコレに名前があるとすれば何であろうか。小さな頃にボスに手を引かれた時に感じたものに少し似ている。扉が閉まり電車が出る。俺はただそれを見ているだけ。加速していく暗闇の中で、ただ視界に見慣れぬものが映った。それは大きく、角が生えた、

 

「孫っち! 捕まりい‼︎」

 

  いつもの何倍も低く聴こえる雄叫びのような声に合わせて、青髮ピアスが電車に体を打つ。車体は大きく凹み、窓ガラスが割れて四散した。その衝撃にララが離れると、薄い鉄板を大きな腕が引きちぎり姿を現したのは正に悪魔だ。

 

  捻じ曲がった大きな二本の角。白い山羊のような骨格に覆われた頭。目測で三メートル近い身長。体は人間以上の筋肉に覆われ、ところどころ骨が鎧のように体を覆っている。電車の床に蹄を打ち鳴らして、ララに向かって突き出された拳をララは何とか包丁を盾に反らそうとするが、受けた衝撃で電車の壁を突き破って姿が消える。それを追って穴から外を覗いてみてもララの姿はない。それを確認して電車の床に寝転がった。

 

「青髮ピアス……マジで助かった」

「まあこのくらいの距離ならな、カミやんから連絡受けて全速力で何とか間に合ったわ」

「その姿で普通に喋るの止めてくれよ、悪夢を見てるみたいだ」

「ハハ、それもそうやね、それにボクゥも限界や」

 

  砂絵のように崩れる体。学生ズボンと服に見合わぬ体格になっていたためか引きちぎれたワイシャツを着た青髮ピアスの姿に戻る。へたり込んだ青髮ピアスが着けていた仮面を外せば真っ白くなった顔が出て来た。

 

「大丈夫か?」

「まあ……吐くほどやないな。カミやんは無事につっちー達と合流した。孫っちはどうするん?」

「俺はララさんに見られた。上条さんは平気だ。青髮ピアスは、肉体変化(メタモルフォーゼ)中に見られて平気かどうかは分からないな。というわけで俺は上条さん達の近くにはいない方がいいだろう」

「ならボクは孫っちと一緒に行動した方が良さそうやね。とは言えまずは孫っち治療せんと血の池や。それにボクも休憩せんとしばらくは動けん」

 

  それに加えるとこの電車をどうするか。俺と青髮ピアスが乗っている車両に他に人がいないのが幸いだ。この車両だけスリラー映画。怪物に引き千切られたようになっているこの鉄くずをどうするか。結論はどうする事も出来ないだ。

 

  次の駅に停車し、腹が裂けた電車から血塗れの俺が降りてきたのがどうホームで待っていた客の目に映ったのかは分からないが、ただ言える事はその電車には誰も乗る事がなかったのと、警備員(アンチスキル)風紀委員(ジャッジメント)でさえ間抜けに口を開けるだけで俺と青髮ピアスを引き止める事はなかった。

 

  降りた場所は上条達と同じ第七学区であるのだが、距離はだいぶ離れている。駅からは青髮ピアスが下宿しているパン屋が近いので寄ってそこで治療をする。とはいえ傷口を針と糸で縫って包帯を巻くだけだ。背中は青髮ピアスに縫ってもらった。鏡に映る俺はまるで古着を縫い合わせたボロ雑巾だ。

 

「終わったで、つっちー達に連絡して指示を仰ぐのがええかな」

「ああそれがいいな。というかそれしかないか……」

「どかしたん? 何か元気ないなあ」

「いや、ちょっと考え事だ」

 

  ララ=ペスタロッチの『白い婦人(ホワイトレイディ)』。ただ未成年の居場所が分かるだけではなさそうだ。対象の血液をより大量に得る事ができれば考えている事も分かるとは。それにおそらくそれだけではない。ララに触れられた途端に力が抜けた。いや、力が抜けたというよりも、力を向けてはいけないと身体が拒絶したようだった。あの時の感情が何だったのか俺には分からないが、とにかくララに触れられるのは危険だ。アレが多量に血を取られた事による更なる効果なのか。まさかララに惚れたなんて事は絶対にない。

 

  煙草を咥えて気を紛らわせる俺の横で、青髮ピアスが電話をかける。相手は上条。数コールの後にすぐに上条は出た。

 

「カミやん、そっちは大丈夫か?」

「……ああ」

 

  青髮ピアスと顔を見合わせる。上条の声がおかしい。この声には聞き覚えがある。禁書目録や『御使堕し(エンゼルフォール)』の時と同じ。上条が本気で怒っている時の声。俺や青髮ピアスが聞くよりも早く、低くなった上条の声が続く。

 

「姫神がオリアナにやられた。姫神は何もしてないのに。オリアナの野郎、間違えて姫神を襲ったんだ。ステイルと土御門がいなかったら死んでてもおかしくなかった……。それが、それがただ間違えてだぞ‼︎ 」

「……そうか、だが大丈夫なんだろ? 土御門さんがいるんだ。土御門さんが見捨てるはずがない。だから少し落ち着け上条さん。今拳は握るな、拳を握るのはまだ先だ」

「ああ、ああそうだな悪い法水。分かってる、分かってるよ、土御門にも同じ事言われた。だけど、それでも!」

「カミやん、ボクはつっちーや孫っちと違って我慢せえとは言わへんよ。でも、やる時やれなかったら嫌やろ?」

「ああ、そうだな。悪い、少し頭を冷やす」

 

  そう言って上条は電話を切った。今はオリアナやララの話をするのは悪手だろう。俺や青髮ピアスが居場所を知っているわけでもなく、土御門とステイルさんは姫神さんに掛り切りのはずだ。それに、青髮ピアスも少なからず思う事があるんだろう。強く拳を握りこむ生々しい音が聴こえる。

 

「青髮ピアス、お前も落ち着けよ」

「分かっとる。でもなあ孫っち、ボクもカミやんと同じ、つっちーや孫っちみたいにそうそう割り切れん。女の子は笑顔でいるべきや。そのきれいな顔を見れるだけでボクは一日ハッピーなんや。それを、それも知り合いがやで?」

「……俺だってそう割り切れるものでもないさ。戦う理由が増えたな。例えどんな理由があろうと一般人を巻き込む事はあってはならない。それにオリアナはプロだ。生け捕りなんて条件がなければ撃ち殺したいところだが、そうもいかないのが癪だ」

 

  感情だけで走るのが愚かだという事は分かっているが、すっぱり割り切れるものではない。俺は姫神さんの事なんてほとんど知らないが、姫神さんだけじゃない。いつ誰がオリアナの凶刃に晒されるか分からない。もしかすると初春さんだったり、木山先生だったり、黒子さんだったりしたかもしれない。誰であろうと違いはない。オリアナは一線を超えた。弓袋から取り出した相棒を強く握る。俺にはコレしかないけれど、コレで出来る事もある。俺は俺の責務を果たさねばならない。相棒に弾丸を装填し、ボルトハンドルを強く押し込んだ。拳は握らない。代わりに俺は引き金を引く。

 


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