おかしいなあ。
今いる場所は病院近くのファミレス。高級店? 馬鹿言え、大覇星祭で学外から多くの保護者が来る関係で、有名店は軒並み予約一杯で全滅だ。俺の行きつけのスイス料理専門店でさえ、悪いねと店長からバッサリ切られた。残されたのはファミレスのみ。リーズナブルな料金の割に何故か各国の料理なんかを取り揃えていたり変わった料理が置いてあるファミレス。その座席の対面に座る若狭さん。だが、だけではない。俺の隣に座る包帯を巻いたツインテールの少女。若狭さんがコーヒーを啜り、黒子さんがティーカップを傾ける空間は非常に居心地が悪い。
二十三学区から
そんな中俺は治療も早々に学生服に着替え、約束を果たそうと若狭さんと病院を出ようとしたら黒子さんに捕まった。二十三学区侵入や銃火器使用の件を誤魔化すために
空気が重い。若狭さんは何も言わないし、黒子さんも何も言わない。なぜ若狭さんは黒子さんが付いて来る事を了承し、そもそもなぜ黒子さんはついて来たのか。俺がいる意味はないんじゃないか。というかもう帰りたくなって来ている俺はどうするべきか。戦場の方がマシだ。口を開けば狙撃されそうな空気の中、若狭さんがまた一口コーヒーを飲み、ゆっくり舌で唇を舐める。
「孫市、怪我はいいの?」
「慣れてますよ。今回は軽症な方です」
「貴方普段どんな怪我してますの? 軽症って」
「軽症だよ。前の怪我リスト見る?」
様々な骨折が並んだリスト。姐さんに粉々にされた俺の状態を黒子さんも見ているからか顔が引き攣る。ただアレは重症過ぎだ。『
「それで? そっちの子は?」
「ああ、彼女は白井黒子さん。学園都市で
「はじめまして白井黒子ですの。よろしくお願いしますわ」
「そう、孫市の彼女?」
ほら誤射が飛んで来た。頼んでいたコーヒーのカップを掴もうとしていた手が滑って机に打ち付けた。痛い。いや痛くないが痛い。この人は何を言っているのか。そんなんでジャーナリストが勤まるのか。黒子さんの顔をチラリと覗くと、優雅に紅茶を飲んで受け流している。
「まま、まさか! ま、孫市さんとはお友達ですの。お義母様ったら、ホホホ」
受け流してるよね? 受け流しているという事にしよう。窓の外を見て「あ、御坂さんだ」と言うと黒子さんは勢いよく俺の見ている方へ振り向き、いない事が分かると頭を叩かれる。よし、これで空気は戻った。
「そう、残念ね。なら誰なの?」
「いや、俺の女性事情とかどうでもいいでしょう。いませんよ彼女とか」
最初のどことなく張り詰めた空気も嫌だが、なんかこうふわふわした会話も嫌だ。ロイ姐さんも似たような事はよく言うが、それとは何となく方向が異なる。姐さん相手では何言ってんのこの人⁉︎ という呆れた感じだが、若狭さん相手だと何言ってんのこの人? と何か恥ずかしい。
「そうなの? でも誰だったかしら。あの包丁女に孫市が言ってた、そう、カレンだったっけ?」
若狭さんの口がまた盛大に誤射をする。おい、
「その名前は出すな。マジで。俺が世界一嫌いな女だ」
「そうなんですの? でもその方たまに貴方の口から出て来ますよわよね」
ジトッと細められた黒子さんの目が俺を見る。それは仕方がない。アレは俺の中では一種の基準だ。思い出せば思い出すだけイライラしてくる。
「忘れたくてもアイツだけは忘れられん。九年前にスイスで会ってから神神神神そればっか。食事の前も長ったらしいお祈りして、寝る前もお祈りしてるような奴だぞ。しかも毎日毎日剣の鍛錬しててそれも神のためって、自分のために何かしようって気はないのか知らないが献身的で涙が出るな。何よりあの野郎前に飼ってた牛に俺の名前付けやがって、ある日あの牛どうしたんだって聞いたら孤児に振る舞って食ったとか嫌がらせが陰湿なんだよ。褒められそうなところは髪色くらいだな、それ以外は……うぅー最悪。アレが俺の最低ラインだ。抹殺の仕事が来たら即決で受けるね」
口からずらずらと出て行くカレンへの文句に、興味なさそうに「へー」と若狭さんが相槌を打ち、余計に記憶の奥底からイライラがせり上がってくる。もう一種の呪いと同じだ。どうしてこうカレンは気に入らないのか。
「……孫市さんその方と随分と仲良いんですのね」
そう黒子さんが的外れな事を言う。ボスもロイ姐さんもガラ爺ちゃんもドライヴィーまで仲良い仲良い勘弁してくれ。どう見たらそう見える。アレで仲良いなんて言うなら俺は
「孫市、写真とかないの?」
「写真? あぁあぁ、あるよ忌々しいが」
財布を取り出して札入れに入っている数枚の写真の中から一枚を取り出す。一度カレンと俺とハムとドライヴィーの四人で仕事をした時に未成年組集合とか言ってロイ姐さんが撮ったものだ。俺が一番隊に入って初めての仕事だった時のものなので捨てたくても捨てられない。テーブルの上に置いた一枚の写真を若狭さんと黒子さんが覗き込む。
「その紫陽花色のブルーチーズみたいな髪色した奴がカレンだよ。覚えておくと良い、会ったら殴っていいぞ」
「馬鹿ですの? 出会い頭に知らない人を殴るわけないでしょう。……それよりこっちの方は? この黒い方には前に会いましたわね」
「こっち? ああハムか。同い年で俺より凄腕の狙撃手だよ。本当なら俺と一緒に学園都市に来るはずだったのに全く来る気配がない。ハムが来てればもっと楽に仕事ができるんだが」
「信頼してるのね」
信頼? そりゃしている。俺が掛け値なしに信頼する事ができるのは時の鐘の仲間達だけだ。気に入らない者も中にはいるが、仕事となれば話は変わる。誰であろうと時の鐘の者ならば安心して背中を預ける事ができる。ただ最近は時の鐘以外にも似たような存在がポツポツ湧いてきてどうもむず痒い。
「時の鐘というのはキャバクラか何かなんですの? この前来たゴリラ女と言い無駄に容姿が良いですわよね?」
「ねえ黒子さん何か棘がないか? まあ良いけど、そう言うならこっちを見ると良い。時の鐘の全員が写ってる」
そう言ってもう一枚写真を出す。時の鐘二十八人全員で映った写真。同じ軍服を着て、ゲルニカM-003を背負い天に伸びる二十八の白い槍。スイス軍に出向いた時に記念に撮られたものだ。珍しく世界中に散らばっていた仲間が一堂に会した。このメンバーは今も変わらない。
「一、二、六人ですか。孫市さんと同い年の方からお婆様まで。随分幅が広いんですのね。それに国籍も様々みたいに見えますけれど」
「その通りだよ。時の鐘は実力があれば入れるからな。ただ誰もがスイスを第一、第二の故郷としているけどね」
「コレがゴリラ女、この方がハムさんでしたわね。他の方は?」
「こっちがラペルさん、こっちがキャロ婆ちゃん、こっちがスゥ、で、コレがボス、オーバード=シェリーだよ。うちの隊長」
「そう……この人が隊長なのね。怖いくらい綺麗な人」
若狭さんはそう言うとコーヒーを口に運ぶ。そして取り出した煙草を咥えて火を点けた。若狭さんがチェーンスモーカーなのは分かっていたので当然選んだ店は喫煙可だ。俺も続いて煙草を咥えようとして黒子さんに取られて握り潰される。次の瞬間には黒子さんの手から姿を消す。
「ちょっと」
「わたくしの前でスパスパ吸うのは許しませんの。いくらスイスでは認められていてもわたくしは認めません。後四年お待ちなさい」
「いや、じゃあ若狭さんは?」
「お義母様と比べるのは間違いでしょう。はい、それも回収ですのよ」
「ちょちょちょ」
俺の学生服の内ポケットに手を突っ込んで来る黒子さん。ゴソゴソと弄られた後にコトンと遠くのゴミ箱から音がなる。服の外側から触ってみても箱の感触がない。マジかよ。服の外側から黒子さんの手を掴んでみても持っていない。没シュートにしても酷すぎる。俺が黒子さんの手を掴むと慌てて手を引き抜いた黒子さんの動きに合わせて、俺の持っていたもう一枚の写真がテーブルにヒラヒラ落ちる。それを少しの間若狭さんは眺め、煙草を勢いよく灰皿に押し付けると写真を手に取る。
「これは……」
「ああ、それですか。それは俺が初めてスイスに来た時の写真ですよ。ボスがまだ一四歳の頃の写真で本当にレアなんですよこれが。しかも俺とボスの二人だけ」
「……孫市さんそのボスさんの事好きなんですの?」
そう黒子さんに言われてボスの事を考える。ボスとは今の俺の人生の半分を一緒に過ごしてくれた人で、そして俺を時の鐘に引っ張って来てくれた人。射撃を教えてくれた人。料理を教えてくれた人。言葉を教えてくれた人。俺に全てを与えてくれた人だ。それを少しでも掴めるようになるまで死ぬ程苦労したが。そんなボスの事は好きは好きだが、これは恋などではない。
「好きだけど憧れかなあ。黒子さんで言う御坂さんみたいなものかな。俺の場合は掴めないからこそずっと側に居たいと言うかそんな感じだ」
「あら珍しいですわね、貴方が諦めるんですの?」
「いや諦めると言うか。うーん言葉にすると難しいんだが、と言うか黒子さん何か安心してないか?」
「は、はあ⁉︎ あ、安心なんてするわけないでしょう! 変な事言うとぶちますわよ!」
なんでだよ。怖いよ。どうもたまに黒子さんは情緒不安定になる。俺の周りにはこういった女性が居なかったからどうしてこうなるのか分からない。ボスやキャロ婆ちゃんあたりに聞けば分かるだろうか。そんな俺と黒子さんのやりとりを見て若狭さんが小さく笑った。若狭さんが笑ったところを初めて見た。何とも不思議な気分だ。
「ふふ、そう、孫市、楽しそうで良いわね。それに貴方……いやよしとくわ。そういうお節介は早そうだしね。それにコレが貴方なのね。まだこんなにも小さい」
写真を見ながら若狭さんは、写真の中の小さな頃の俺を指でなぞる。
「そりゃあ俺も人間ですから子供時代はありますよ」
「そう、でも、そうね。……ただ、ごめんなさい。もっと早く言うべき事よ。私は貴方の小さな頃を見れなかった。覚えているのはまだ誰かも分からぬ小さな貴方。私の腕の中で私を見ていた」
そう言って若狭さんは煙草を咥える。その口は小刻みに震えている。黒子さんがこちらを見てきて車椅子に移ろうとするが、その肩に手を置いて引き止める。なぜか、なぜか一人は嫌だ。そう思っていたのに黒子さんはため息を吐くとするりと姿を消した。辺りを見回すと少し離れた席に座る黒子さんが見える。仕方がないので一度座り直し、一度黒子さんに探られたポケットとは別のポケットから煙草を取り出す。予備を常備していて良かった。紫煙が二つ天に登る。
「あぁ、うんそうですか、そう、あまり俺は気にしてなかったんですけど、聞いた方がいいんですかね。そう、何で俺を」
「……捨てたのか?」
「そう、そうそれだ」
そう言って俺はコーヒーを飲む。同じように若狭さんもコーヒーを飲み、カップの置かれたかちゃりという音が二つ重なる。他の客の話し声が遠退いた気がした。店に掛けられた時計の秒針が動く音だけがしばらく響く。若狭さんが一度大きく息を吐き、また吸う。
「若かった。言ってしまえばそれが答え。今思えば結論を出すのも早すぎたわ。貴方の父親に惹かれて、あの人にとっては浮気だと分かっていたけどそれも若さのせいにした。貴方を身籠ってから親に勘当されて、あの人も私を捨てた。当時まだ貴方と同じ高校生よ。負けた気がして嫌だったから産みはしたけど、すぐに思った。育てるのは無理。だからあの人の家を頼ったのよ。古い家で格もあって金持ちよ。きっと上手くいくと思ってた。祖母だけが味方になってくれて、ジャーナリストになってから貴方を迎えに行ったらもういないと。必死に聞けばトルコに送って帰ってないなんて聞かされて……自分の無能さを呪ったわ」
そこまで言って小さく笑うと言葉を切ってまた若狭さんはコーヒーを一口飲む。俺はただ若狭さんの話を聞く。何も言わない俺を見て若狭さんは話を続ける。
「……それで私は国内のメジャーな雑誌社から宗教だの科学だのを追うオカルト雑誌社に移ったの。理由は世界中を回れるから」
「……俺を探すためか」
「ええ、ええそう、調子いいでしょう? 自分で捨てた癖に。そして貴方を見つけたのはスイスの傭兵団を調べていた時。まさか時の鐘なんて、世界有数の傭兵部隊の写真を見た時一目で分かったわ。でも見つけても行けなかった。だってどんな顔をして会いに行けばいいか分からなかったから。馬鹿でしょう? 愚かよね。貴方に殺されても私は構わない」
そう言い切って若狭さんは黙る。俺は煙草の煙を吐いて、少し天井を眺めた。その目を落として若狭さんを見る。俺には似ておらず美人なものだ。母と違い父の顔はスイスに行く前から少しは覚えている。これほど美人ならそりゃ手を出す気にもなるだろう。俺と同じなのは髪の色と少し垂れた目だろうか。
「俺は若狭さんが嫌いだよ」
そう言うと若狭さんは目を瞑る。好かれているとは思っていなかっただろうが、実際言葉で聞きたくはなかったのだろう。それでも俺は言葉を続ける。
「正確にはそう思っていたが正しい。だって俺を捨てた親だ。好きにはなれない。が、嫌いになる程記憶にない。俺が若狭さんを見て嫌だったのは、そう、きっと俺に母親がいるという事を自覚したくなかったからだ。どこか俺の世界は時の鐘だけで良いと思っていた。時の鐘の仲間さえいれば良いと。だがそれも学園都市に来て変わったよ。そうは思わなかったがな。若狭さんは母親だよ。よくララ=ペスタロッチの前で俺の手を離さなかったもんだ。俺でも『
「……良いの?」
「良いとも、ただ父親は別だ。あの野郎マジで俺が殴られてても傍観してやがった。今度会う機会でもあったら二人で殴ろう」
「ふふ、ええ、ええそうね。ありがとう孫市」
二人で笑い合ってコーヒーを飲み干す。二つのカップ音がファミレスに響く。
「そう孫市、それで良ければなんだけど、もし良ければ一緒に」
「いや、それはやめとこう」
若狭さんの話を遮るように口を挟む。きっと続くのは一緒に暮らさないかとか、とにかく一緒にいる機会を増やそうみたいな事だろう。こういう形でたまに食事をするくらいならいいが、だが一緒に暮らすなどは駄目だ。若狭さんは苦い顔をして少し俯く。
「そうね。それは流石に」
「いや若狭さんは関係ない。俺が
時の鐘は傭兵で。どんな理由があろうと俺は人殺し。多くの恨みを背負っている。セキュリティが厳しい学園都市だからこそ比較的外から殺し屋みたいなのが来ることはないが、スイスにいた時はそこそこいた。とはいえ相手は能力者や魔術師ではなく普通の殺し屋がほとんどだったが。俺を狙う相手がいつどこから来るのかは俺も分からない。その時若狭さんを狙われて守り切れる自信は俺にはない。俺と若狭さんの繋がりを知る者なんてほとんどいない。時の鐘でも知る者はいないほどだ。ならそれはそのままでいい。その方が俺も安心できる。母と認めたこの人が危険に晒されるのは俺も困る。
「俺は傭兵で、今の境遇を気に入ってもいる。今の俺が俺なんだ。だからそう、俺はこのままがいい」
「そう、なら私に言える事はないわね。ただ、そう、あまり言うべきではないのかもしれないけど頑張りなさい。例え貴方が何をしても私は味方」
「勿論。俺は夢を掴むまで頑張るさ」
柔らかく笑う若狭さんは詩菜さんや美鈴さんと同じ顔をしている。母親の顔。俺にも母がいた、それだけの話。それがどうにも嬉しいのだから不思議なものだ。もっとギスギスするかとも思ったが、そんな気は若狭さんと話していると薄れた。
「さて、そろそろ何か食べるとしよう。コーヒーと紅茶だけじゃあ店員に怒られそうだ」
「そう、なら黒子さんも呼びましょう。あの子いい女になるわよ。私よりもずっと。私はあの子が良いと思うけど」
「相棒に? もうそうだよ」
「そうじゃないんだけどまあ良いわ。黒子さん、もう良いわありがとう」
若狭さんが呼ぶとぽすりと俺の横にまた黒子さんは飛んで来た。俺の顔を見てくる黒子さんにニカッと小さく笑って見せると、口に咥えていた煙草を引っ手繰られて灰皿に没シュートされる。
「えぇぇ」
「孫市さんは怪我人なんですからもうスモーキングタイムは終了ですの。それよりまだ持ってますのね。全部出しなさい!」
「わー! 馬鹿馬鹿そこまで手を突っ込むな! はー⁉︎ 全部ゴミ箱に行っちまった⁉︎ 能力の悪用は禁止だろ!」
「これは正当な行為ですのよ! 怪我人は怪我人らしくしていなさい!」
「それブーメラン! ほら傷が開くぞ! っておわあ! 俺の方が開いた!」
俺と黒子さんを優しく見つめながら若狭さんは大きく笑う。過去は大事だが、それよりも今と先が何より大事だ。変えられないものを見つめているより俺は前を見つめていたい。俺の欲しいものは前にしかない。だから俺は前を見る。俺は若狭さんの息子であり、そして若狭さんは俺の母なのだ。