時の鐘   作:生崎

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大覇星祭 ⑧

「ほら!貴方達死ぬ気で走りなさい‼︎」

 

  じ、地獄だ。

 

  吹寄さんの声が痛む身体に突き刺さる。声援ではない。命令だ。

 

  大覇星祭二日目、前日第二競技であった大玉転がしを終えてから姿を消していた俺、上条、土御門、青髮ピアスの四人。俺がオリアナ=トムソンの策を破るために玉入れ競技のポール籠を狙撃したその場所で、オリアナの『速記原典(ショートハンド)』を回収しに行った上条と土御門だったが、ちゃっかり吹寄さんに見つかっていた。おかげでこの有様だ。

 

  首輪を付けられた飼い犬のように競技場から出してくれない。吹寄さんの監視がつき、移動は競技場から競技場のみ。トイレタイムを装って脱走しようと試みた青髮ピアスや土御門はすぐに捕捉されて引き摺られて帰ってくる有様。本気で逃げてるわけではないんだろうが、吹寄さんの追跡能力はどうなっているのか。もう彼女にオリアナを追わせていればすぐに終わったような気さえしてくる。

 

  午前中の競技も中盤。それがようやく終わり俺達四人は控え選手エリアに倒れ込んでいる。もうだめだ。戦場より、というか下手したら大覇星祭一日目よりも辛い。

 

「マジでヤバイですよこれは。吹寄の奴マジで全競技に俺達の名前書いてやがる」

「昨日サボってたせいでオレらの学校得点低いからにゃー、残り六日で取り戻させる気だぜい」

「それよりつっちーと孫っちはここに居てええんか? 入院しないといかん言われてたやん」

「言われたな。確かに言われたわ」

 

  そう、何より地獄なのはそれだ。大覇星祭二日目。一応俺も土御門も動きはできるという事で普通に競技に参加している。死ねる。大覇星祭一日目の裏であった事件なんて何もないのさと言うように、俺も土御門も体操服の内側に巻かれた包帯をなんとか隠して参加している。この状態で吹寄さんの鬼の命令をこなすのは地獄だ。ついさっきも能力で吹き飛ばされた時死ぬかと思った。これで残り約六日。保つわけがない。だからたったの数時間で生きた死体みたいになっている。

 

「貴方達何を寝転がっているのよ!隙を見たらサボるんだから。こういう時に活躍せずにいつ活躍するの」

「活躍したよ。吹寄さん見てただろ。俺はさっきの競技一位だった」

 

  つい先ほどの競技、障害物競走。障害物とは何かという哲学に襲われた競技だった。対能力者用の最新障害物とかいう名目で、さながら戦地を駆け抜けていたに等しい。背後や横からは能力が飛んでくるし、いや死ぬからみたいな巨大なハンマーじみたものが横合いから飛んでくる。大能力者(レベル4)もいた中で一位になった俺を褒めて欲しい。なのに吹寄さんは当然という形で首を振るだけだ。ハードルが高い。

 

「貴方達にはそれくらいして貰わないと。前日の遅れを取り戻すのよ」

「いやそれはいいんだけどさ吹寄、流石に上条さん達も限界ですよ。何卒休憩を、俺も土御門も青髮ピアスだって午前中は何だかんだ個人競技は結構一位取ってるんだしさ」

「そこなのよね。個人の成績は良くてもクラス対抗や学校対抗になると勝率は半々だし、どうしたものかしら。まあいいわ、午前中は確かに頑張ってたし、少しはゆっくりしなさい」

 

  鬼教官からお許しが出た。バンザーイ! と四人で両手を上げてそれぞれ思い思いの場所へと散っていく。上条は禁書目録(インデックス)のお嬢さんのところだろう。昨日ほとんど一緒にいなくてしかも魔術師の事を隠していたからか相当むくれていた。今日は一日禁書目録(インデックス)のお嬢さんと一緒にいるそうだ。土御門と青髮ピアスは知らん。どうせ義妹と誘波さんのところとかだ。

 

  俺はふらふらと立ち上がってお目当ての場所へ向かう。競技場を出れば壁を背にカメラを手に待っている若狭さん。昨日のスーツ姿と違い今日はワイシャツにタイトなスカートとラフな格好だ。大覇星祭中は普通に家族っぽく過ごそうという事になり、こうして一緒に行動している。若狭さん的にも俺の競技に合わせて学園都市をうろつくのは、来たばかりで道を覚えるのに都合が良いとのことだ。

 

  俺を若狭さんは見つけると小さく手を振ってくる。それに手を振り返すがどうも少し恥ずかしい。

 

「見てたわ、流石ね傭兵君」

「まあ爆心地を走るのは慣れてるからね」

「それはまあ何というか……それより怪我は平気?」

「平気じゃないが平気だよ」

「ふふ、何よそれ」

 

  何というかすごく親子っぽい。血のなせる業なのか、若狭さんと打ち解けるまでに半日かからなかった。そう、これまで一緒に過ごして来なかったはずなのに、若狭さんとは好みが凄い似通っている。今朝同じ馬の馬券をお互い持っていた時には笑った。ちなみに馬券は紙くずになった。今日の昼休みも昼食を一緒に取る。場所は結局ファミレスだが、場所はどうだっていいだろう。

 

「今日の昼食は黒子さんの他にも貴方の知り合いが来るのよね? 楽しみ」

「あー、そうね」

 

  昨日の食事の後に、時の鐘の仲間は無理でも学園都市の俺の知り合いに会ってみたいと俺の交友関係が気になるらしい母の注文に応えたのは黒子さん。ありがたいが少々気が重い。来る面子に男がいない。初春さんに佐天さん、春上さんに枝先さんに木山先生、婚后さんに湾内さんに泡浮さん、御坂さんと、そして美鈴さん。何なんだろうこのラインナップは。明らかに俺が必要ない。俺の立ち位置は女子会を守る警備員のようだ。大覇星祭が終わっても仕事で学園都市にいる若狭さんの事を思えば彼女達、それも歳が近い美鈴さんや木山先生と知り合えるのはいいだろう。折角母と仲良く慣れたのだ。できないと思っていた親孝行だと思えばこれも我慢だ。

 

「そう言えば黒子さんがこの後学園都市を案内してくれるって言ってたんだけれど、まだ来ないのよ」

「黒子さんも風紀委員(ジャッジメント)の仕事で忙しいんだろう。一応前の休憩時間にメールしといたんだけど、返って来てないな」

「あら、なら電話してみるのがいいかな。少し待ちなさい」

「え? 黒子さんの電話番号知ってるの?」

 

  いつの間に。そう聞く俺に「学園都市に早く慣れるように何でも聞いてって」と若狭さんは言ってすぐに携帯を耳に当てる。俺よりも黒子さんの方が若狭さんと仲良くなっているんじゃないだろうか。俺をそっちのけで楽しく話しているようで何よりだ。若狭さんは携帯を閉じると煙草を咥える。学園都市は全区画路上禁煙のはずなのだが、こういうところは豪胆だ。

 

「何でもパトロールの巡回ルートを間違えて遠回りしちゃってるんだって。でももう近くまで来ているそうよ。お友達も一緒に」

「お友達、初春さんかな。黒子さんと同じ風紀委員(ジャッジメント)なんだ」

 

  そう言っていると向こうから花畑が歩いて来る。初春さんが歩いていると凄く目立つのですぐに分かる。初春さんに車椅子を押されて黒子さんと一緒に佐天さんまでやって来た。俺に気付くと佐天さんが元気よく手を振ってくれた。

 

「法水さん! さっきの障害物競争見ましたよ!さっすが師匠!」

「誰が師匠だ、誰が」

「えー、だって法水さんに能力の特訓ちょこちょこ手伝って貰ってますし師匠でいいじゃないですか!」

 

  良くない。能力者の師匠が無能力者(レベル0)ってのはどうなんだろう。日常生活では度々騒音被害で黒子さんにしょっぴかれ、風紀委員(ジャッジメント)の支部で佐天さんと会う事はしょっちゅうだ。夏休みが終わり入院しててもお見舞いがてら能力の特訓に付き合っていた結果、佐天さんの俺の呼び名が師匠になった。何の師匠なんだ。十六でそんな年寄りみたいな愛称で呼ばれたくない。

 

「そう言う佐天さんはどうだったんだ?」

「ふっふっふ、スカート捲りの要領で相手の服を捲ってやりましたよ! 師匠に見せたかったです。あの阿鼻叫喚を!」

「法水さんのせいですからね! 前の競技風紀委員(ジャッジメント)まで出動してもうてんやわんやだったんですよ!」

 

  くそ、初春さんは俺が佐天さんにアドバイスしたのを根に持ち過ぎだ。だいたい空力使い(エアロハンド)をスカート捲りに特化させた佐天さんがおかしいのだ。でも最近は特訓の成果なのかより大きなものも捲れるようになっており、ひょっとすると近いうちに異能力者(レベル2)強能力者(レベル3)になるかもしれない。そんな佐天さんを見ていると俺も頑張ろうと思える。佐天さんには折れずに是非頑張って欲しい。

 

「孫市、貴方女の子の知り合い多いのね」

「法水さんこの方は?」

「俺の母だよ」

 

  そう言うと佐天さんと初春さんが固まる。うん、もう慣れた。土御門や青髮ピアスまでそうだった。青髮ピアスがナンパじみた事をし始めた時は殴ってやったが、佐天さんと初春さんならその心配はない。が、「HAHAァ⁉︎」の叫びには慣れないのでやめて貰いたい。そんなに俺に母親がいるのがおかしいのか。

 

「の、法水さんお母さんがいたんですか⁉︎ あ、初春飾利っていいます」

「師匠のお母さん超美人! 佐天涙子です!師匠にお世話になってます!」

「よろしくね。孫市ったら女たらしなのかしら。はあ、あの人に似たのね」

「マジでやめろ。アレには似ない。え? 似てないよね? 若狭さん? ちょっと」

 

  いや、いやいやそれだけは嫌だ。若狭さんに目を向けていると、肩に手を置かれて「一人にしなさい」と嬉しくないアドバイスをされる。何が一人なのか。というか俺は俺に手一杯で一人さえまともに掴む事はできない。大きくため息を吐いていると、何とも不機嫌そうな黒子さんの顔が目に映る。珍しい。そういえばここに来てから一度も黒子さんは喋っていない。

 

「黒子さんどうしたんだ? ああ、お姉様成分が足りないのか」

「お姉様? はあ、孫市さん何を言っていますの? 誰ですかそれは」

「は?」

 

  何? 今黒子さんはなんて言った? ちょっと思考が追いつかない。昨日の夜も最後は御坂さんにくっつきながら帰っていたはずだ。眉を吊り上げる黒子さんの顔をしばらく眺めているとようやく思い立った。ああそうか、

 

「びっくりした。黒子さんもそういう冗談言うんだな。いや、異世界にでも迷い込んだのかと思ったよ。ほんと」

「はあ、もう孫市さんまでわけのわからない事言わないで欲しいですの。さっきも『超電磁砲(レールガン)』に難癖つけられましたし」

「衛生兵!!!! 怪我人! いや病人だ! しっかりしろ黒子さん!」

 

  黒子さんの額に勢いよく手をつけてみる。間違いない。風邪か怪我が悪化でもしたのか。残骸(レムナント)を追った時に頭を打った後遺症でも出たのか。額に手を置いていると黒子さんの顔がみるみる赤くなる。マズイ! これは早く病院に連れて行ったほうがいい。大覇星祭などよりこっちの方が大事だ。吹寄さんには悪いが早く黒子さんを病院に連れて行かねば。救急車を呼んだのでは遅いかもしれない。黒子さんの名を呼んでも返事もなく動かない。呼吸でも止まったのか。黒子さんの顔に顔を近づけて呼吸を確認する。

 

「クソ! 黒子さん大丈夫か? 息はしてるな」

「い、息ってそんなの、当然ですの。べ、別に問題ないですわ」

「いや問題だ。声が変だぞ、あまり喋るな」

 

  明らかに黒子さんの声が上擦っている。喋るのも辛いのか。両手で黒子さんの頬に手を添えて角度を変えて眺めてみるが、確かに問題はないように見える。傷も開いたりしていない。だが黒子さんの体温が異様に高い。さっきから体温が上がり続けているように感じる。季節外れのインフルエンザか。もし破傷風だったりしたら最悪だ。仕方がない。安易に考えるのは良くないだろう。携帯を出して救急車を呼んでる時間も惜しい。黒子さんの腰と足に手を滑り込ませて車椅子から抱えて立つ。

 

「ちょ、ちょちょっと⁉︎ 孫市さん⁉︎」

「喋るな、大丈夫だすぐに静かなところへ向かう」

「そそそそれは大丈夫じゃ、なな何で静かなところに⁉︎」

「黒子さんのためだ」

 

  息が詰まったように黒子さんは口を閉じる。頭から煙が出る程に顔が赤くなっている。クソ! 時間があまりないかもしれない! 昨日も俺の頼みを聞いてくれたというのに、黒子さんが寝込むような事になったら目も当てられない。カエル顔の医者に見せれば、きっとあの人なら黒子さんを助けてくれるはずだ。初春さんも佐天さんもアワアワしていて動けていない。……というか笑ってないか? いや気にしている余裕はない!

 

「黒子さんしっかり掴まっていてくれ、大丈夫だ。俺に全て任せろ」

「ま任せろって、まま任せろって、ま、ままま、まだダメですの‼︎」

 

  目の前にいたはずの黒子さんの姿が消え、空が下に見える。上を向けばアスファルトが映り、そのままアスファルトの大地が顔に突っ込んで来た。空間移動(テレポート)。その事実に気付くまでに数秒の時間を要する。黒子さんめちゃくちゃ元気じゃないか。顔を上げた先で顔を赤くしてそっぽを向いた黒子さんが車椅子の上でふんぞり返っている。

 

「もう何なんですの! 孫市さんまで急に変な事言って! 『超電磁砲(レールガン)』といい婚后さんといい今日はおかしいですわ!」

「……元気そうで良かったよ。なんだ、黒子さん光子さんとも喧嘩したのか?」

「は? 光子さん? 貴方婚后さんとも仲がよろしいんですの? いったいいつの間にやら。へー」

 

  おかしいな。黒子さんの顔の赤みがとれて代わりに角が生えたように見える。重力に逆らい畝ったツインテールがそう見える。それにいつの間にって光子さんを最初連れて来たのは黒子さんだろうに。夏休みの最終日にスイス料理店に遅れて来た御坂さんとあれほど煽って来たくせに忘れるか普通。

 

「い、いや黒子さんも知ってるだろう。光子さんからそう呼んでくれってさ」

「へー、ほー、そのくせわたくしに言い寄ったわけですか。へー」

「いやいや言い寄ったって何言って」

「お仕置きですの」

 

  黒子さんがスカートを少したくし上げて太腿に付いた金属矢のホルダーに手を伸ばす。マジかよ。黒子さんがそれに指を這わせると、次々と金属矢が消えていく。横に転がれば、俺の影を追って金属矢が降り注いで来た。アスファルトに当たり弾ける黒い破片。マジで狙って来てやがる。

 

「ちょ⁉︎ そこまでするかよ⁉︎」

「乙女心を弄んだ罰ですわ」

「意味分からん⁉︎ 乙女心って何⁉︎ 弄んでなんかいねえ! おい助けてくれ!」

 

  俺の叫びに返される言葉はない。ただ俺を追って四方八方から飛んで来る金属矢。初春さんも佐天さんさんも若狭さんまで呆れた顔で肩を竦めるだけだ。無理な態勢で金属矢を避け続けたせいで身体の内側が軋む。障害物競争よりもよっぽど厳しい。休憩が休憩じゃなくなった。弁明する暇もなく四人の姿が見えなくなるまで走る羽目になった。

 

 

 ***

 

 

  黒子さん達から離れたビルの影、呼吸は落ち着いた。携帯を取り出して電話帳を開く。時の鐘の仲間を除けば俺が電話番号を知っている相手など十人ほどしかいない。か行を見て黒子さんの名前の下、光子さんの名前を押す。

 

  黒子さんが怪我でも病気でもないのならさっきの黒子さんの様子は明らかにおかしい。御坂さんを『超電磁砲(レールガン)』と不機嫌に呼ぶ黒子さんなんて初めて見た。俺と会う前に光子さんと何かあったのならば、光子さんは何か知っているかもしれない。数回の呼び出し音の後、携帯から光子さんの声が聞こえてくる。走ってでもいるのか息が荒い。

 

「ま、孫市様! お電話は嬉しいのですけれどちょっと今は」

「悪い、すぐ済む。黒子さんの様子がおかしい。心当たりはあるかな?」

 

  そう言うと光子さんの息を飲む声が聞こえる。走っていただろう足音が弱くなり、そして止まった。光子さんは嘘がつけない性格だ。おかげで何も言わなくても分かった。電話越しから分かる緊張。何かは分からないが知っている。そして何かがあった。光子さんが走っていたのはそのためだろう。

 

「えっと、あの、気のせいでは?」

 

  そう光子さんは言うが、明らかに声の調子がおかしい。隠し事があるのがバレバレだ。つまり言いたくない事。光子さんがふざけているとは考えづらい。嫌な予感に体に力が入る。

 

「嘘はいい。何があった?」

 

  沈黙が流れた。少し低くなってしまった自分の声に少し焦る。別にこれは仕事というわけでない。黒子さんの様子は変だが、別に命に問題があるわけではない。ならそこまで強く聞くこともないんじゃないか。はずなのだが、自分の理性と本能の剥離に俺の方が焦ってしまう。「いや、いい」と言って通話を切ろうと思ったが、それより早く光子さんが口を開いた。探るような低めの声。

 

「……孫市様、信用しても?」

 

  わざわざ確認をするという事はそれほど切羽詰まった内容なのか、少し思案して、

 

「いや、どうかな。しない方がいいかな」

「ふふ、孫市様は初めて会った時から変わりませんわね。初めて会った時も仲良くしていただけます? と聞いたらしない方がいいかなって言っていましたわよ?」

「そうだっけ?」

 

  よく覚えているものだ。俺はすっかり忘れていた。光子さんは少し笑うと、一度咳払いをして真面目な声になる。凛とした光子さんの声に背筋が伸びる。何かを決めたそんな声。

 

「食峰操祈、ご存知ですか?」

「知ってる。御坂さんと同じ常盤台の超能力者(レベル5)。能力は精神系能力者だったかな? それが?」

「御坂さんの妹を誘拐しましたわ。それに、白井さん達の記憶も操作して」

「何?」

 

  ピシリッと手に握った携帯から音が響いた。強く携帯を握り過ぎた。記憶を操作? これまで辿った人生を弄る? もうそれだけで気に入らない。それも黒子さんの記憶を操作だと? 御坂さんを追う黒子さんは強く綺麗だ。それを他人が搔き消すことなど許されない。口が歪むのが分かる。光子さんから齎された短い言葉だけで俺の気分は地に堕ちる。他人の人生(物語)を否定するのはいい。他人の人生(物語)を嫌うのもいい。だが他人の人生(物語)を消すのはダメだ。それも既に辿っている道を。

 

「本当か?」

「御坂さんからの情報です。御坂さんには食峰操祈の能力が効かないそうですから間違いないかと。既にわたくしが記憶を弄られていなければの話ですが」

 

  確かにそうだ。光子さんは普段抜けているようで思ったよりも実戦的な思考回路をしている。精神系能力者の相手など俺もした事がない。どこで自分が操られているのかも分からず、今自分のしている行動が果たして自分で考えた行動なのか。食峰操祈の能力を考えるだけで疑心暗鬼だ。小さく舌を打って口を開く。

 

「それで光子さんは? 食峰操祈を追っているのか?」

「いえ、わたくしは御坂さんの妹さんを追っていますわ。情報ではなく本人を連れ戻せれば信用も何も関係ありませんから。ただどこにいるのか。孫市様は大丈夫ですか? 御坂さんと知り合いですし、白井さんとも仲がいいですから」

「いや、大丈夫だろう。じゃないと電話しながらここまでイラつかない」

 

  記憶を弄れるなら記憶も覗けるはず。わざわざ暗部にいる俺を怒らせるような事をして放っておくとも思えない。いや、超能力者(レベル5)なら無能力者(レベル0)など放っておくか? 何にせよ分かるのは俺が思うよりも俺はイラついているらしいという事だ。俺が思うよりも学園都市にいる友人達はずっと俺に近いらしい。それが少しむず痒い。

 

「わたくしは今御坂さんが妹さんと最後に分かれたという場所に向かっていますの。孫市様は、えっと、その」

「協力しよう。知ったのに見て見ぬ振りも気分が悪い。それに食峰さんとやらに言いたい事もある」

「でも危険ですわ。話はしましたけれど孫市様に何かあったら、それに孫市様には関係ないのに」

「こう見えて荒事には慣れてる。それに関係ないのは光子さんも同じじゃないかな?」

「そんな事ありませんわ‼︎ だって御坂さんも白井さんも、その、お友達ですもの‼︎」

 

  強く言い放たれた光子さんの声に耳がキーンとする。光子さんの心からの声。その強さに口元がにやけてしまう。どうして俺の周りにはこう強い女の子が多いのか。見惚れてしまって仕方がない。

 

「分かった。なら黒子さんとは俺も友人だ。場所は……そこはここからだと遠いな。光子さんは先にそこに行ってくれ、その後でどこかで合流しよう。一区切りついたらまた電話してくれ。それでどうかな」

「……分かりましたわ!実は一人で少し心細かったんです。 孫市様がいてくれるなら百人力ですわね!」

 

  そうアテにされると困るのだが。光子さんは大能力者。格闘能力は置いておき、地力では俺よりも強い。携帯を閉じてポケットにしまう。どうも話がキナ臭い。超能力者(レベル5)が動いている。それも二人だ。時計を見れば俺が出る次の競技までまだ少し時間はある。

 

これも時の鐘の宣伝だ

 

  どうしようもない時の魔法の言葉を呟いてその場から離れる。向かう先は黒子さん達のところではない。向かうのは寮の自室。何かあった時のために闘いの準備が必要だ。超能力者(レベル5)が二人動いて大人しく終わるとも思えない。だが二日続けて軍服はマズイ。俺が傭兵だと知っている者に見つかれば何かあったと思われる。それにララにやられて軍服はボロボロだし、学生服しかないだろう。

 

  寮の自室へ入れば誰もいない。木山先生は二日続けて教え子達の応援に周り、部屋は静かなものだ。本を押し込めば部屋は武器庫へと姿を変えた。学生服に着替えて相棒の銃身を換える。昨日使ったものはララとの戦闘で後何発か撃ったら折れてしまいそうだ。換えの銃身だけなら何本も予備がある。その内の一つを手に取って嵌めれば相棒は復活。ゲルニカM-002とゲルニカM-004を腰に差してゲルニカM-006を腰に巻く。そうしているうちに電話が来る。随分早い。まだ三十分も経っていないのだが。画面を見れば光子さんから、出ると元気のいい声が響いて来た。

 

「孫市様! やりましたわ! 手掛かりゲットです!」

「早いな。俺は必要なかったかな? ちょっと準備し過ぎた」

「あ、いえ、御坂さんの妹さんが連れてらした黒猫を保護しまして、湾内さんの知り合いの方に読心能力者(サイコメトラー)の方がいるそうで、それで御坂さんの妹さんの居場所が分かるかもと、ふふふ、御坂さんに褒められてしまうかもしれませんわね!」

「そりゃ凄い」

「湾内さんには法水様の事も言っておきましたから来てくださいませ」

 

  読心能力者(サイコメトラー)というのは動物の心まで読めるのか。相変わらずこの学園都市にいる能力者というのは何だってアリだ。まあ『幻想殺し(イマジンブレイカー)』だの『原石』だのが転がっているような場所なのだから動物の心が読める読心能力者(サイコメトラー)がいてもおかしくはない。場所を聞いて合流場所を決める。場所は第七学区の大きな公園の近くの広場。ここからなら急げば十分で着く。これなら思ったよりも早く食峰操祈に辿り着けるかもしれない。

 

  大覇星祭二日目は一日目と比べれば人の流れはだいぶ整理されている。一日目の人の動きを元に人の流れを整理しているためらしい。人の流れに乗って目的地まで急げば、湾内さんと泡浮さん、そして常盤台生らしいもう一人の少女の姿がある。だが、光子さんの姿がない。ここまで来るのに十分程しか経っていないのだが、光子さんはどこに行ったのか。辺りを見回してもそれらしい姿はなかった。

 

「やあ湾内さんと泡浮さん。光子さんからここに居るって聞いてたんだけど、光子さんの姿がないな」

「あ、法水様。はい、わたくしたちも婚后さんからここで待っていると聞いていたのですけれど」

「少し探してみたのですけれど見当たらなくて。おかしいですわ」

 

  そう泡浮さんは言って肩を落とした。光子さんは友人との約束を何もなしに破るような子ではない。四歳の頃の友人との思い出をしっかり覚えているほどだ。そんな光子さんが約束をふいにしてまで姿を消した理由は何だ? 襲われたか。それにしては周りが騒がしくない。攫われたか。以下同上。ならばきっと、光子さんが離れた理由は同じく友人のためのはず。生憎御坂さんの電話番号は知らない。黒子さんに電話をかけてみるのがいいか。

 

  悩んでいるともう一人いた常盤台生の少女は「その方が見つかったらまた声をかけてください」と嫌な顔もせずに離れていった。光子さんがここにいないのに留まっていても仕方がない。

 

「俺は光子さんを探すよ。二人は」

「わたくしたちも探しますわ」

「ええ、婚后さんは何も言わずに居なくなるような方ではないですから、それに何やら焦っていたみたいですし、御坂様の妹さんの行方が分からないというのも引っかかりますわ」

 

  俺は湾内さんの言葉の方が引っ掛かる。黒子さんには俺が口を滑らせてしまったが、光子さんと湾内さん、それに泡浮さんにバッチリ『妹達(シスターズ)』の存在がバレている。いいのだろうか。まあおそらく御坂さんのクローンだという事は知らないのだろうが、ここで俺がこの二人を止めるのは不自然か。それに友人のために動こうという者を止める権利は俺にはない。だが超能力者(レベル5)が二人動いている案件。危険な匂いがするのも確か。どうしよう。どうも仕事でないと上手く頭が回らない。だから黒子さんにも仕事に逃げていると言われてしまうのだ。

 

「あ、師匠こんなところにいたんですか? みんなで探してたんですよ? 」

 

  三人集まって顔を突き合わせて唸っていると、丁度佐天さんが歩いて来た。いかん。弓袋を背で隠すように佐天さんに体を向けるが、大きな弓袋は当然俺の頭上に伸びている。湾内さんと泡浮さんにならいざとなればライフル射撃部の競技がとか嘘のつきようがあるが、佐天さんにはそうもいかない。佐天さんの周りに目を散らすが、初春さんや黒子さん、若狭さんの姿はなく佐天さんだけのようだ。黒子さんや若狭さんがいたりしたら一発でアウトだった。食峰操祈に記憶を操作されているらしい黒子さん、初春さん、佐天さんの三人を今回は頼るわけにもいかない。どこでどう転ぶのかも分からない。

 

  俺が警戒する横で、湾内さんが佐天さんに光子さんの居場所を聞くとすぐに答えが返ってくる。

 

「婚后さんならさっき知らない男の人と公園の方に歩いていったけど」

「知らない男? 誰だそれは」

「いやだから知らないですって師匠」

「師匠言うな」

 

  このタイミングでよく分からない男が光子さんに接触して来た。ナンパの類なら今友人のために動いている光子さんが引っ掛かるとは思えない。ならその男について行った理由は、

 

「光子さんは常盤台生、男の先輩はあるわけないな。となると先生や警備員(アンチスキル)風紀委員(ジャッジメント)か?」

「いや、普通の学生みたいでしたけど」

 

  これで選択肢が大分削れた。ただの一般学生が今の光子さんを連れ出すには、今光子さんが欲しいものを持ってる以外にありえない。すなわち御坂さんの妹さんの情報か食峰操祈の情報。だがなぜ御坂さんではなく、光子さんを狙うのかが分からない。光子さんに妹さんの捜索を頼んだのは御坂さんで、他にそれを知っているのは俺だけのはず。嫌な予感がする。舌を打って佐天さんに詰め寄る。

 

「向かったのはどの公園だ? 場所は?」

「えっと、あっちですけど、師匠どうかしたんですか?」

「いや、何でもない。俺が行こう」

 

  そう言ってやんわり三人から離れようと思ったが、湾内さんと泡浮さんは小さく首を振る。

 

「いえ、それでしたらわたくしたちも行きますわ。御坂様の妹さんも行方不明と言いますし」

「はい、早くしましょう。怪しいですわ。もしもその男の人が同じ誘拐犯だったりしたら」

「え? 御坂さんって確かさっきの……その人の妹さん? ていうか誘拐って」

 

  あぁ、こうやって秘密とはバレていくのか。湾内さんと泡浮さんの顔を見る。本気で心配している顔を見ると、ついて来るなとは言えそうもない。第一これは別に仕事でもない。何とも煮え切らない想いをため息として吐き出して、佐天さんを案内役に道を急ぐ。佐天さんには説明している時間もない。

 

  公園へと向かう道のりは、進めば進むほどに人の姿が少なくなった。丁度辺りで何かの競技が始まっているらしい。公園の中に入ると、それに合わせて携帯が振動する。時の鐘からではない。見れば相手は上条から。『もうすぐ競技が始まるのにどこ行ってんだコラ、吹寄がめっちゃ怖い』とかそんな内容だ。だが今競技に向かうわけにもいかないので、適当に誤魔化してくれとメールを打とうとした瞬間、「婚后さん‼︎」と誰かが叫んだ。

 

  だれが叫んだのか。そんな事はどうでもよかった。公園の池の上に架かった桟橋の先。そこで地面に横たわっているのは、ボロボロに擦り切れた光子さんの姿。足が止まる。戦場では何度もあった。見知った相手が動かなくなってしまう姿を見る事。光子さんの胸を見るに動いている事から死んではいない。だが、その擦り切れた姿が戦場に転がる死体と一瞬重なる。それだけで、

 

「ゴミクズがどうなろうとどーでもいいだろ」

 

  ビキリと握っていた携帯が砕け散った。目の前にいる男がニヤついた顔で言い放った言葉の意味を考える。ここにはゴミクズなどないはずなのに誰に言った言葉なのか。まさか光子さんではあるまい。友人のために、褒めてもらえるかもしれません、なんて可愛らしい理由で俺でも躊躇するような事に自ら手を伸ばす光子さんがゴミクズなわけがない。仕事でなければ動かない俺なんかよりもよっぽど、よっぽど。

 

  時の鐘なら戦場以外で味方が理由もなく殺されれば報復に動く。それも仕事だ。だが、だがこれは違う。だからといって俺はただ見ているだけなのか。視界の中で湾内さんと泡浮さんが拳を握り前に進むのが見えた。なら俺は? 傷だらけの光子さんを眺めるだけで終えるのか。手に持つ相棒は何のためにある。ここで拳を握りただ立ち止まっているなどと。そんな事は、できるはずもない! 友人がやられただ傍観していた。そんな人生クソだ。俺がゴミだ。前を行く二人の少女が道しるべ。俺が進むべき道を先に行く。その強い輝かしい二つの背中に、口が勝手に弧を描く。

 

  なら、俺は。

 

「佐天さん、申し訳ありませんが婚后さんと猫さんを安全な所まで運んでいただけませんか?」

「でも⁉︎」

「その猫を守らなければ婚后さんの努力が無駄になりますから。それに……友人への侮辱に怒りを抑えられそうにないのは」

「わたくしたちも同じですから」

 

  湾内さんと泡浮さんの言葉を聞きながら、弓袋を投げ捨てる。通りすがら見た光子さんの顔は、鼻血と口から垂れた血に塗れて綺麗な黒髪もボサボサだ。そんな光子さんの頬を指で撫で、指に付いた血を舌で舐めとる。湾内さんと泡浮さんの背の池が海鳴りのような音を奏で、二人の間に立つ俺を見て男の上がっていた口角が下に落ちた。

 

「おま、まさか時の(ツィット)、お前が〈シグナル〉の⁉︎」

「これは仕事じゃない。だが、いや、だからこそ」

 

  湾内さんと泡浮さん。二人の横に並んだ時、今まで超えてこなかった線を一つ超えた気がした。

 

「殺す」

 


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