『
湾曲した刃を持つショーテルは円の動きと相性が良い。相手の技を反らしながら、針の穴を通すようにショーテルの爪先を相手の急所に死角から滑り込ませる。ラルコの剣技はそういうもの。分かってはいる。が、実際相手をするとやり辛くて仕方がない。
くるくる回りながら振るわれ続けるラルコの刃は打ち払うしかない。剣で受けたとしても、弧を描いているショーテルの剣先が肉を抉ろうと伸びて来る。故に打ち払う他ない。だが、上がって行く回転数に、徐々にこちらの手が押され始める。一撃の威力なら私の方が上なのだが、当たらなければ意味がない。円の中心を穿つように突き出した剣は、ラルコがくにゃりと身を捩ることで避けられ、その背後、死角から鋭利な鉤爪が大振りに振るわれる。手首を返しなんとか弾くが、ギャリギャリと耳障りな音を立て、ラルコが身を引く動きに合わせて肩口が引っ掻かれる。
視界の端に映り込む銀の飛沫と火花を見送りながら、強く短く息を吐いて足を踏み込む。剣が弾かれるのならば、弾かれない強い一撃を放てば良い。手首を返したまま、剣を青い床に擦るように下げたまま距離を詰める。青い破片が宙を舞い、舞い散る火花を叩きつけるように剣を振るう。
反動を用いた強剣。空気を裂く重い一撃は、しかしラルコには当たらず、目の前を覆った青い壁に阻まれる。『女王艦隊』を守る氷の騎士、ラルコを守るために立ちはだかったのではない。背後に引いたショーテルの爪先をラルコは青い鎧に引っ掛けて氷の騎士を引き倒した。重く鈍い音が響き、ゆっくりと上半身が砕けて青い床に青い巨像が転がった。その影に隠れるように、ラルコは大きく後ろに飛び、スルスルと宮殿じみた船の上に登り腰掛けた。目下に広がる小競り合いをただの観戦者のようにラルコは眺め楽しそうに手を叩く。
「流石は
「ふん、貴様に褒められても嬉しくはないな」
「そういうなょ。俺と違って剣の才能があるんだから、事実を言って何が悪い」
「馬鹿な、それが今の『
剣の才能など『
「この腕で才能がないなど、傲慢な」
「いやいや本当だょ。普通の魔術結社と違い『
ピクリと眉が動く。私と同じ。ラルコが言うように『
「大人も入り乱れての大会、十歳の少女が良く優勝できたものだょ。あの時は最後
しみじみと思い出すように夜空へ目をやるラルコに舌を打ち、私にメイスを振り下ろしてくる氷の騎士の一撃を避けて首をハネる。
「なんだ、自分は無傷で優勝したという自慢か?」
私の言葉にラルコは一度パチクリと瞬きをすると、腹を抱えて大きく笑い出した。ここが戦場だと忘れているのか、心底楽しそうに周りの目も気にせずに笑い声をあげる。あまりの場違いさに、天草式の面々も足を止めてラルコの方へ目をやった。
「ったく、なんなのよアイツは」
「奴の行動は気にするだけ無駄だ。それより気は抜くな」
「分かってるのよ!」
ラルコが止まっていても数十に及ぶ氷の騎士の動きが止まるわけではない。ラルコの場違いな笑い声が響く中、その合間に随所で打ち鳴る剣戟の音。天草式も弱くはないが、相手は命があるわけでもない無限に湧き出る氷の騎士達。『
背筋が凍る。屋根から降りた音はしなかった。それに笑い声は今も響いていた。氷の騎士達に反響するように右に左にどこにいるのか分からない。これで才能がないとはよく言う。見回しても黄色い瞳はどこにも見えず、青い色が視界の中を満たしている。
「どうしたょ、迷子か
剣を握る手が僅かに緩む。指先が痺れたように動き辛い。ブレる視界に映る氷の騎士が二重に見え、頭を振って視界を正す。嫌な魔術だ。『
「チッ、それで良く才能がないと言えるな!」
聞こえているかは分からない。ラルコのようにただ毒づくしかできない。しかし、それは届いていたようで、どこからかラルコの声が響いてくる。
「はっはっは! ないょ、俺には!」
ラルコの声に合わせて足が痛む。目を落とせば切り裂かれたズボンと白い肌。上手く斬ってはいない。雑だからこそ痛みを感じる。綺麗に斬れば痛みもなく分かれて終わりだ。足の調子を確かめるよりも早く、新たに視界の端に光る銀閃、肩口が切れて血が滲む。楽しんでいる。相手を傷付ける事をただ楽しむなど、『
「俺があの剣術大会に参加したのは四十年は前の話だょ、俺は二回戦敗退だった。その前は初戦敗退、一番良くて三回戦までかな」
「何?」
嘘だ。そう言いたかったが、背後から伸びて来た三日月に脇腹を引っ掻かれて口も開けない。今の実力とラルコの言う戦績が一致しない。私の考えなど分かると言うようにラルコは笑う。
「俺は別に優勝とかどうでも良かった。でもある日確かめたかったんだょ、優勝者がどれだけ強いのか。きっと素晴らしい腕を持つはずだ。そしてその精神も。でも、試合と闘いは違った。呆気なく相手は死んだ。俺より才能があるはずの者が。その次の年も、その次の年も、五年もそんな事をしていたら、いつの間にか『
楽しそうに話しながら、影からラルコの爪が伸びてくる。服を裂き、肌を裂き、青い床が赤の雫でほんのりと染まる。
「何が言いたい」
「別に、ただの暇つぶしだょ。なあ
「なんだその無意味な質問は」
「無意味? いやいや、これこそ『
意味が分からない。神とは何か。それは人を超えた大きな意志、それ以外に何があるというのか。ララさんも隊長も良い人達だ。寧ろその二人を嫌っていそうなラルコが二人を認めているというのには驚きはするが、だからどうした。私の気を乱すための戯言だ。
「豚が、思考を止めるなょ」
太ももに深く剣が突き刺さった。強い痛みが芯に響く。引き抜かれた剣の軌跡をなぞるように赤い雫が宙を漂い、歪んだ視界の中に足が飛び込む。腕を盾に直撃は防ぐが、体は宙を舞い青い床の上を転がった。その動きは上から落ちて来た衝撃に止められる。その正体はラルコの足。これまで姿を見せなかったラルコのニヤケ面が空に浮かぶ月の下にある。
「良い格好じゃないか」
「……っく、貴様は何がしたい」
「暇つぶしだょ、
何を聞く。神とは何かなどと、ラルコもローマ正教であるならば、教義の中に答えはあるはず。ラルコの口の端が下に落ちる。望んでいないものを見るように。
「おいおい何を悩むょ。答えは出てるはずなのに相変わらず『
「……意味が分からん、なら貴様にとって神とは何だ」
私の問いにラルコは答えないと思ったが、大きく笑って再び私を見る。何が可笑しい。ラルコの足を払い除けようと足を掴むが、痺れて上手く力が入らない。薄っすら頭の奥を引っ掻くような痛みが鬱陶しい。体の内側に渦巻く毒素が抜けない。
「血だ」
焦点が上手く合わない視界の中で、ラルコの短な言葉が落ちる。口は笑みの形だが、目がまるで笑っていない。本気も本気、ラルコは心の底からそう言っている。
「……血だと?」
「そうともょ、この星は絶えず風が流れ水が流れ動いている。なら人は? その身に流れる偉大な力、それが血液、それが人を動かすのならば神と言わずになんと言う」
「馬鹿な⁉︎」
なんだそれは、内に流れる血潮が神など意味が分からない。だが、ラルコは嘘じゃないというように大きく笑う。自分の考えに疑問の差し込む隙間などありはしないと大きく手を広げて大きく笑う。
「馬鹿とは何だょ
そう言われても思い至らない。神に神以外の意味があるのか? 何故今それを私に聞く?
「血とは力だ。人を動かす原動力、その力が弾ける音を聞かせてくれょ。その神の流れる器が優れている程きっと綺麗な音が鳴る。神に捧げる賛歌だよ。何、すぐに他の者も隣に並べてやるょ」
「ぐッ」
それは駄目だ。ここで私が負けたら、オルソラやアニェーゼに鉤爪が突き立てられる。都合良く助けが来るなどとは考えない。今この場にいるのは私、私が負ければ友が傷付く。掴んだラルコの足に力を込めて、剣を振るうように体を動かす。振り抜くよりも先にスルリとラルコは手から逃れて少し離れた所に足をつける。
「まだ動けるか。頑張るねぇ、ずっとそうだったんだろ? 剣術大会に出た時から。それが
原点、神、小さい頃の事などあまり思い出したくない。惨めだから。私は弱い。今よりもっと弱い頃の記憶。
視界の端で氷の騎士がメイスを振り上げ迫って来る。痺れた腕を振りかぶろうとしたが、目の前を飛んで行った羽の生えた皮袋が氷の騎士の兜を砕く。
「だ、大丈夫ですか?」
シスター・アンジェレネと言ったか。船の中は狭い、機動力を考えてアニェーゼの元へ向かったのは上条当麻とオルソラ、禁書目録だけらしい。
私の前に立つ小さな背中、ローマ正教の修道服の後ろ姿。私の持つ最も古い記憶の景色とそれが重なる。
気付いたときには親が居なかった。戦争で死んだのだと聞いたのは人伝てから。物心ついてから目についたのは小さな古い教会の壁。私は良く壁を見ていた。話し相手などほとんどいなかった。誰もが私を疎んだから。私の持つ紫陽花色の髪はおかしいと、教会にいた他の子供達持つ口々にそう言い、私を気に掛けたのは教会にいた一人のシスターだけ。石飛礫を投げられる時もあったが、いつもそのシスターが身を呈して私を守った。その時に目に映ったのは、いつも「大丈夫ですよ」と言うそのシスターの後ろ姿。
強い姿だ。だが私はその強い姿に答えるものを何も持っていなかった。だから私は強くなりたかったのだ。私がその時持っていたのは、嫌いな青い髪と、親の遺品という一本の剣。私の親は伝統的なスイス傭兵の一人だった。だったら私もそうなれる。だから私はなろうと思った。私のためなんかじゃない。私を信じてくれるシスターのため。
雨の日も雪の日も剣を振るった。剣術大会で勝つためではない。全ては『
そして私を見る目が変わる。誰もが悪魔の証だと言った紫陽花色をした髪は、いつしか神に与えられたものと呼ばれ、私を信じたシスターは、見る目がある偉大なシスターだと褒め称えられた。それが嬉しかった。私が讃えられる事がではない。何よりシスターが褒められる事が。だから私は剣を振るった。嫌な事でも、それが私を信じてくれる者の力になれる。
私は選ばれたのだ。神に選ばれた。私を信じてくれる者、それが神。オルソラが私を信じてくれる。護衛として剣を振るえば、あれほど強い騎士が護衛につくとは凄いシスターなのだと讃えられるオルソラを見るのが嬉しい。アニェーゼが私を信じてくれる。部隊を率いる隊長の友は強い騎士なのだと一目置かれるアニェーゼを見るのが嬉しい。
「あ、あの」
シスター・アンジェレネが心配そうな顔で私を覗き込んだ。心配されるなどあってはならない。心配されていては力になれない。私を守った小さなローマ正教の同胞に、私は心配されてはならない。私を守ったこの小さなシスターは素晴らしい事をしたのだと言われるように。
シスターの背後で復活した氷の騎士がメイスを構える。伸びた影に気付いたのか、振り返る小さなシスターの後ろで、体の内に潜む毒素を全て吐き出すように長く深く息を吐き出し剣を振るった。弾けた青い結晶を返しの刃で振り払う。
「大丈夫だ。私は大丈夫」
体の痛みは消えた。滴る血液も気にならない。
「さあ
四度ラルコは問うた。神とは何か。にやけたラルコの顔が不思議と鬱陶しくない。子供にような無邪気さが見える。
「私は弱い」
「何だって?」
迷いはない。答えは得た。あの男が言うように、私は何かに縋らなければ闘えない。だが、それなら私は闘える。自分のためには剣を振れなくても、誰かのためなら私は剣を振えるのだ。
「だが弱くても私は闘える。『
「それが答えかょ……悪くねえょ『
勝負は一瞬だ。長くは続かない。私の体の状態から考えても、長期戦は無理だ。ゆっくりと両の手に力を込める。私は刃、刃は私。私はこれから始まった。その刃を研ぐのは私を信じる者の意志。
ふらりと揺れたラルコの刃が首に伸びる上へと打ち払えば、刃に流されラルコはくるりと回る。その動きに合わせて大きく足を踏み込み体を沈ませた。頭上を通り過ぎる鉤爪は、私の髪の毛を数本断ち切り通過する。それに合わせて肩口でラルコを突き飛ばす。想像以上に大きく後ろに飛ぶラルコ。自ら後ろに飛んだか。
「かは! もう効かねえか!」
「貴様はそれが得意なのではなく、それしかできないのか」
「そうだょ、悪いか天才ちゃん」
「悪くはないさ、才能がないのが悪い」
「ヒッヒッ! 皮肉も効かねえかょ」
氷の騎士の影へとラルコが消える。だがそんな事は関係ない。小さく息を吸い、そして吐く。規則正しく。船の周りで響く轟音も、氷の騎士達の剣戟も、全てをただ風のように聞き流す。あの男が言っていた狙撃のコツ。規則正しく、決してぶらさず、体全体で全てを感じる。触覚がほとんど死んでいるからそこまで上手くはできないとあの男は言っていたが、私は違う。肌を細かく叩く振動も、鼻を擽る潮風も、全てを口に含み息を吐く。
その隙間に滑り込むように迫る僅かな殺気。左拳を強く硬く握り込み、その方向へ突き出した。腕に滑り込む冷たい感触。
「何⁉︎
捉えた。奥歯を噛み締めて、ショーテルの剣尖が抜けないように肉で噛む。残った右手で剣を振るう。ただ強く、早く、ラルコの鱗模様の入った鎧を押し砕き、赤い血が青い床に飛び散った。何故手を離さないのか、ショーテルを握ったままズルリとラルコは床に崩れた。
「お、おかしいと思ってたがょ、
「どこぞの男に多対一の戦場では弱点になると言われたからな。おかげで剣より先に手が出せた」
『
「あ、
「仲良くない!」
「へ、そうかょ、俺はあいつ、嫌いじゃないけどな、意外と俺と話し合うんだぜ、孫市はそうは思ってないけどょ」
「いらん情報だ」
死にかけで言う言葉がそれなのか。こんな時でもあの男は一々邪魔してくる。ラルコはもう助かるような傷ではない。命が尽きるまでもうすぐだ。だがその前にどうしても聞いておかなければならない事がある。
「ラルコ、貴様はどうして教皇を裏切った。命もなくここまで大きく動くなど、私は貴様が好きではないが、これまで神の命に背いた事はあるまい」
ラルコは誰が見ても狂人と言われようと、しかし最低限のラインだけは守ってきた。それが急に命を捨て、大艦隊に組し動くなど考えられない。腐っても『
「アッハッハ! カハッ、今じゃなきゃ無理だから、だょ、今の、『
「何? どう言う事だラルコ? なぜ私があの男を頼らねばならん‼︎」
「気にするとこそこかょ」
そう言ってラルコはまた笑った。
「おい、ラルコ! 笑ってないで答えろ!」
「アッハッハ! 俺自身供物にゃ向いてねえょな! テメェらには供物はやらねえょ!」
ヨタヨタ立ち上がったラルコがショーテルを構える。月明かりを吸い込むように輝く出すラルコの刃、朝昼夜の光を放つ時の剣。それを大きく振るい、ラルコは迷いなく突き立てる。
自分の胸へと。
「ラルコ⁉︎」
「聞きたきゃあの世までやって来い! 黄泉路の端で待ってるぜ! 彼岸花でも眺めながらょ!」
ラルコの笑い声が薄くなっていく。早送りされたように体が崩れ、血の一滴も残らない。青い床に転がるのは傷だらけの白い骨、虚しくカランと軽い音を立てて頭蓋骨の暗い穴が私を見る。それを見届けて、体の力が抜けて膝が折れた。
「わ、わ! だ、大丈夫ですか!」
「大丈夫だ、死にはしない。それよりこの場はもういいだろう。アニェーゼの元に行かなければ」
剣を杖代わりに立ち上がろうとするが、上手く力が入らない。血を流し過ぎた。しかし、今動かなければ意味はない。私を信じてくれる者が待っている。そんな私の肩に手が置かれた。振り向けばシスター・ルチアの姿。ただ目はこちらを見ていない。シスター・ルチアの目を追って周りを見れば、氷の騎士達が崩れ去り、『女王艦隊』の旗艦にヒビが入ってきている。
「……やったのか」
「はい、きっと彼が」
全く、どうして私が気に入らない者達はこうも私がしたい事をやってくれるのか。手の力が抜けて床に身を投げる。心配そうに私を覗き込むシスター・ルチアとシスター・アンジェレネには笑みを返してそれに答えた。私は大丈夫だ。私は神の剣。信じてくれる者のために剣を振るう。砕けていく青い帆船の結晶と、赤い雫に染まった床が月明かりに混じり合い、紫陽花色に光った気がした。
女王艦隊編、終わり。ここまで読んでいただきありがとうございます。