「やだなぁ」と零した空気の抜けたような言葉は、すぐに空に伸びる光の翼に叩き落とされたかのように消えてしまう。それを横目に、能力の使い過ぎというわけでもなく情報処理が追いつかないといった疲れた顔で天使の翼を見ている黒子さんへと目を流し、相棒の銃身を静かに握った。
とあるビルの屋上。
いつ光の翼が空に線を引きビルを貫くか分からないが、狙撃するのなら開けた場所に居るのが一番。とは言え光の翼からの爆撃が怖いか怖くないかは全く別の話だ。当然怖い。
「……ここでいいんですの?」
「いい」
俺を横目に退屈そうに首を傾げる黒子さんの問いに即答する。目的の場所はまだ五百メートルは先である。が、それで構わない。五百メートルが俺の絶対狙撃距離。この距離ならよっぽどのことがなければ外さない自信があるし、なにより顔を見られ辛い距離というのが必要だ。
「ですが……」
「相手は暗部だ。どれだけしょぼかろうが凄かろうが関係なく、暗部というのが問題だ。俺の身元がバレるのは構わない。傭兵だし暗部でもあるからな。だが黒子さんに飾利さんは別だろう? 出来るだけ二人の顔がバレるのは避けたい」
「それは……わたくしだってそう思いますけれど、近付かなければ妹様が!」
「敵を全て殲滅してからでも遅くないだろう、
「多分じゃ安心できませんの!」
そんなこと言われても……。
……うん、ビルの上から辺りを見れば、砕けたビルに倒れ伏している人々、最小限とは言えそうにないが。
「妹様の場所が分かればわたくしがすぐに飛んで行って救出しますの。だからまずは妹様の場所を」
「分かっている。飾利さん、内部の様子は分かるか?」
「……先程から防犯カメラの映像を引っ張って来ようとしているのですが、なかなか防壁が頑丈で……流石に敵の懐です。もう少し時間を下さい」
「そうしたいのはやまやまなんだが……」
「は?」
「孫市さん? なにか?」
「なんだよそれくっそ!」
思わず口端から笑いが漏れる。
スコープの中の狭い世界、その中を横切る白い影。杖を突いて満足に動けないのでは? どこがだ! なんかショットガン片手に空を飛んでる白い奴がいるんですけど⁉︎ ビルのオフィスの一室目掛けて躊躇なく突っ込んでいる。
「白い男が行った! 援護する! 黒子さん飛び出す準備をしておいてくれ! 飾利さんは待機だ!」
「は、はい! 分かりましたの!」
「りょ、了解です!」
遠く砕け散った硝子を見て目を丸くしながらも、黒子さんたちから了承の言葉を貰えた。飾利さんの声の残響を頭から消してゆっくりと息を吸う。
砕けた窓の先に見える黒づくめの影が五つに、白い影が二つ。一人は白い男、もう一人は白衣の男。
そして見つけた。事務机の上に寝かせられた
誰から撃とうかと引き金に指を掛けたところで、不意に白い男の姿が搔き消える。俺が声を出すより早く、白い男は黒づくめの一人に肉薄し何かを投げる。僅かに見えた小さな四つの鉄球が四人の黒づくめにぶち当たり、数瞬後に目に痛い光景が描かれる。飛び散る肉片と血の飛沫。
……あの野郎、戸惑うことなく殺しやがった。
別に
衝撃はあるが音はない。
吐き出す弾丸の勢いで音を鳴らすこともできれば、
「……まあ音がしなくても気付くよな」
「孫市さん……貴方は」
「俺は殺しちゃいないよ。ゴム弾だ。
「……なぜですの?」
「あの中はちっとやばそうだ。わざわざ一方的に狙えるアドバンテージを消す必要がない」
相棒を握ったまま構えは崩さず、事務机の上で横になっている
迷わず
なぜ一緒に手榴弾と思しきもので吹き飛ばさなかった?
黒づくめの中にいて格好が違うことから、白衣の男は
「げッ……、あの白衣の男笑ってやがる。見たところ研究者っぽいのに能力者を前に随分余裕だな。ってかこっちに手振ってるんだけど……、なんだあいつ怖」
「もう撃ってしまってはどうですの?」
「いや、あの余裕な感じなにかあるのかもしれないしな……、下手に撃って白い男の邪魔になっても困る。なんの能力か分からないが能力者だし」
「……──能力なら、分かりますよ?」
「飾利さん?」
言い辛そうにゆっくりと、少しばかり震えたような飾利さんの声が鼓膜を揺らす。
一度防犯カメラで白い男の姿を捉えている飾利さんだからこそ、学園都市の学生ならすぐに飾利さんは調べることができるからだろう。統括理事会に侵入しデータを盗み見るような者の背後を少しでも風紀委員として探ったに違いない。俺の身元を探ったように。
だが、一々能力を知っただけでこうも弱々しい声になるのか? 白い男はそれだけ強大な能力者なのか。第三位と友人である飾利さんが言い辛いほどの能力者となると……。
頬を嫌な汗が伝う。
それほど強大な能力者ならば逆に心配いらないと思うが。銃を構えたまま黙っていると、一人で抱え込むのも嫌なのか、インカムの奥から「ベクトル操作」と少女の言葉が続いた。
「ベクトル操作? ベクトルって力の向きか? それを操作? おいまじかよ」
なにその理不尽な能力。さっき空飛んだのってひょっとして重力操作したってこと? なにそれ、なにそれ! ずるくね? 力の向きを変えられるって……それって狙撃無効じゃね? 俺絶対勝てない奴じゃん。これだから超能力って奴はよ……。
「
「高位どころか、第一位です。能力名は『
……………………ん?
呼吸が止まる。
おかしいな、今聞きたくない言葉が並べられた気がする。
なんか照準が定まらない。あぁ、手が小刻みに震えてるからか。
聞き間違いかな?
「飾利さん、今は別に標識の話なんかしなくても」
「してません! その白い人は学園都市第一位! 『
「嘘ぉ……、俺普通に……ああ見ちまった! 第一位って見たら死ぬんじゃねえの⁉︎ 俺あいつの能力見ちまったぞ! これで俺の
「ちょ、法水さん! 第一位の能力はベクトル操作ですって! 見たら死ぬってどんな能力ですか⁉︎ そんな人いたら学園都市滅んでますよ!」
「それもそうだ」
見たら死ぬなんて奴がいたらそもそも死んでいるんだから能力が伝わるわけもない。思わず相棒を手から落としてしまったが、慌てて拾う。マジで第一位? 俺普通に煙草とか黒パンとか買ってきてって頼みまくってたんだけど……。
「やべえ……今度超高級なコーヒー豆とか奢れば許してくれるかな? なあどう思う──ッ⁉︎」
身を削るような殺気を肌に感じ思わず目を見開く。
しまった!
あまりの迂闊さに奥歯を噛み締めながら手を伸ばす。
殺気の出所。白い男でも、白衣の男でも、天使でもなく俺の隣。
「白井さん?」と飾利さんが名を呼ぶ少女に向けて。目を見開き、歯を噛み締めすぎて口端から赤い線を垂らした少女に向けて。
間一髪、黒子さんの手を掴め、視界が一気に掻き混ぜられた。急に増えた予定外の質量に転移先が変わったらしく、空中に投げ出される。黒子さんの顔が歪む。能力が不発であるが故の頭痛か、怒りか。再度視界が切り替わることなく、黒子さんを抱えて地面に落ちる。
「っぐ⁉︎」
背中に走った衝撃と、黒子さんに挟まれ肺から空気が搾り取られた。そこまで高いところに
放してはいけない。今だけは絶対。ただ全ての力を黒子さんの手を掴むことだけに向ける。
「孫市さん放して下さいまし! アイツだけは! 第一位! アイツはお姉様のッ!」
御坂さんの妹達。望まず生まれたクローン二万体。
俺にとっては他人事。黒子さんにとってもそうではあるが、根元がまるで異なる。
当事者は第三位。御坂さんにとっては他人事ではない。筋ジストロフィーの治療のためとペテンにかけられ、一人苦しみ助けさえ求められなかった御坂さん。それを救ったどこぞの
一番近くにいながらなにもできなかったから。
一番慕っていると言いながらなにもできなかったから。
そんな中で自分の宝物を傷付けた者が目の前にいるという事実。
歯痒くて、苦しくて、情けなくて、それをぶつけていい対象が目の前にいるという事実が、黒子さんの顔を俺の見たくはない顔に歪めている。
「そんな顔した黒子さんを行かせられないな。だから行くな」
「だから行くな? だからってなんですの? なにがいいのか悪いのか、そんなこと誰だって知っているはずでしょう?
なぜ生きてるの? そう続けられそうだった黒子さんの言葉を遮る。
「待て、言いたい事は分かる。だが今第一位は
「そんなこと! 一万人以上も殺しておいてッ! それにさっきも!
言いたい事は勿論分かる。分かるが俺には保証できる。
見ているから。
病院の一室で、不機嫌な顔をしながらも缶コーヒー片手になんだかんだ
だが、それを黒子さんに言ってもおそらく届かない。聞いてくれない。なぜならずっと、ビルから飛び出してから俺の顔を見ていないから。
「行ってどうする気だ黒子さん、
「そんなのわたくしは! 妹様の命の危険なら! わたくしはッ!」
その先は聞きたくなかった。
そして誰にも聞かせたくなかった。
その先だけは今の黒子さんの口から出て欲しくなく、耳についた自分と黒子さんのインカムを強引に取り外し握り潰す。
悪い、飾利さん。それに御坂さん。
大覇星祭の某日。光子さんを足蹴にされた日。あの日の俺もきっと今の黒子さんのような顔をしていたのだろう。誰かの為が積もり積もって行き着く先の成れの果て。行ってはいけない道に足を踏み出そうとする者の顔。ほんと御坂さんには頭が上がりそうもない。なにがいいのか悪いのか、勿論分かっている。分かっていてもやらねばならないことがあると、勘違いしてしまう時がある。
それは今じゃない。あの日の俺がそうだったように。
今、御坂さんに借りを返そう。あの日の返しきれない借りを。
身を起こす。黒子さんの襟首を掴み力任せに引き寄せる。振り向いた黒子さんの額に額を打ち付け、その血走った瞳を見つめて。
「俺を見ろ黒子、今は俺だけを」
「貴方なに言って……」
「第一位を殺すか? それは誰のためだ? 御坂さんの為とは死んでも言うなよ、御坂さんに御坂さんのために人を殺したと言うつもりか?」
「それは……でも!」
「そんなことにならないために御坂さんは何も言わなかったんだろ、他でもないお前に、黒子に、自分のために手を血で染める事がないように。黒子が御坂さんを大切に想うように、御坂さんにとってお前が大切だから。別に第一位は後で好きなだけ殴ればいい、それは止めん。だが、その先だけは言うな。お前は言うな。どうしても今行くのなら、俺を殺してから行け」
「なッ⁉︎ そんなこと……ッ‼︎」
黒子さんが言葉に詰まる。俺は大分理不尽なことを言っていることは分かっている。多分黒子さんができないだろうことも分かっている。
だから言う。
間違えそうな一歩を踏み出そうとしている黒子さんの一歩を止めるためなら命などいくらでも賭けられる。黒子さんが綺麗で強いことは知ってるから。それに黒子さんが気付いて欲しいから。
「第一位は人殺し、それは俺もおんなじだ。だから第一位を殺すなら俺も殺して先に行け、俺なら気が済むまで殴っていいから」
一度手を汚している俺だから、他の者の、素晴らしい者の手が汚れないために俺は動こう。彼らが戦場に出なくていいように。一時の感情で、絶対に間違った一歩を踏まなくていいように。
「ずるい……ッ。そんなのずるいですの……、そんな風に言われたらわたくしッ。でもだったらどうすればッ!」
「第一位は必ず
「ずるいですッ! 貴方は本当にッ!」
「知ってる。ごめんな黒子、俺は御坂さんのように気の利いたことは言えそうもない」
黒子さんの目から怒りの火が零れるように雫が落ちる。引き止めることは叶ったらしい。
だが──。
もう何度目だろうか?
俺は黒子さんを泣かせてばかりだ。
黒子さんは優しいから、きっとこの先も何度も黒子さんの泣き顔を見ることになるのかもしれない。俺と一緒に居たなら。離れればいいのかもしれないが、俺が学園都市にいる間はそれができそうもないから。俺から離れても、きっと唯一俺の間合いに容易に入り手錠を掛けてくる
だからせめて、彼女が泣く時は側にいる。
「……じゃあ……どうしますの? 第一位を信じて観戦でもするんですか?」
目元を擦る黒子さんの言葉にホッと息を吐く。額と額をゆっくり離し、少しだけ口端を持ち上げた。
「それもいいかもな、なんたって第一位、学園都市最強だ。ほっといても勝手に勝つだろうさ。静かに観戦しててもいいかもな」
そう笑みを黒子さんに向け、少し距離の縮まったビルのオフィスへと顔を向ける。ひょっとしたらもう終わっているかもしれないが。
「……殴られてますわね」
「あれえ?」
どういうこと? ちょっと第一位なにやってんの⁉︎
ベクトル操作は何処へやら、ベクトルを操れるなら、向けられる拳ぐらいその力の向きを変えられないのか? なんか普通に白衣の男に殴られている。
おいおい……。俺信じろとか言っちゃったんだけど。あ、倒れた。しかもなんか起き上がってこない。嘘……負けた? 嘘だあ⁉︎ 普通に殴られてノックアウトってなに? 観戦する前に終わったけど、終わったの意味が違う!
「黒子さん俺をあそこに飛ばせ! あーもうなぜこうなる⁉︎ 黒子さんの顔バレは不味いから取り敢えず俺だけ速攻で送ってくれ! くっそー! 相棒もどっかに転がってっちゃったしよ!」
「貴方って本当に……、もう」
ごめんね! 結局行くことになって! だって第一位が負けるとか思わないじゃん! ごめんね! だって御坂さんや
だから笑いながら呆れた顔を向けないで欲しい。
黒子さんの
「いきますわよ、あの……孫市さん」
「なんだ黒子さん?」
「……やっぱり今はいいですの。妹様のこと頼みましたわ」
「任せておけ」
切り変わった景色は赤く染まり、むせ返る血の匂いにため息を吐いて、血反吐を吐いて転がっている第一位と、醜悪に笑う白衣の男を捉えた。アクシデントによって第一位の援護ができなかったことを、協力すると言っておきながら多少申し訳なく思うが、そこは第一位のまいた種だ。黒子さんが突っ込んでいれば余計にややこしくなっていたことを思えば、寧ろ感謝して欲しい。白衣の男の目が俺へと向き、第一位の目も俺へと向く。
それに答えるように一歩を踏み出したところで、俺の足は止まってしまった。
部屋を叩く足音は二つ。
一つは俺だ。ならもう一つは?
「いた‼︎ あの子だ‼︎」
血濡れの空間に似つかわしくない明るい声。ペタペタずりずりこれまた場違いな音を引きずりながら、白い
「はぁ⁉︎」
思わず間抜けな声が出たのはもうどうしようもない。だって意味が分からない。第一位に白衣の男。そして横たわっている
やばい胃が痛くなってきた。
「まごいち⁉︎ なんで⁉︎」
「俺が聞きたいよ⁉︎」
「おおおゥゥあッ!!」
叫び立ち上がる第一位。白衣の男の進行方向に立ち塞がるように立ち上がる。まだ第一位は諦めていない。その姿につい笑ってしまうが、最早傍観している時間もない。俺はなにもせずとも展開は勝手に動いていく。なぜ
「まごいち! ごめん、お願い守って!」
「自分からやって来といて守れ⁉︎ ったく分かったよクソ!」
折角ボンドール=ザミルを潰したのに、ここで
見るからにフラフラの第一位だけでは心許ない。少なくとも白衣の男に今対抗できそうなのは俺一人。しかも相棒どころかゲルニカM-002も急だったために手元にない。残された拳を握り締め、第一位が力を振り絞り白衣の男にしがみついたのを見送りながら男の顔に向けて拳を振るう。
が、感触がおかしい。
「テメェ‼︎ 『シグナル』かァ! 対暗部の傭兵がなにしに来やがった‼︎ 金貰ってわざわざスイスから俺でも殺しに来たかァ? アァッ!」
「おっかないな全く。どうして暗部にいる奴ってのはこうも口が悪い」
それよりも。
当たった拳を握り直す。インパクトの瞬間首を捻り衝撃を逃しやがった。白衣なんか来てるくせにこいつは相当慣れている。喧嘩の達者か格闘経験者なのかは緩い白衣が邪魔で体格が分かりづらいため推測が難しいが、どうせやらねばならないのだし関係ない。
第一位がぐらつく体で尚、白衣の男に肉薄し隙を作ってくれることに感謝しながら再び拳を出した。散乱した部屋の小物が邪魔で踏み込み辛く、威力が満足に出せないが充分。再度白衣の男の顔に拳が当たったのを確認したのとほぼ同時。
俺の視界が跳ね上がる。
「んな⁉︎」
カウンター⁉︎
白衣の男の拳が俺の顎を跳ねた。痛みはほとんど感じないが、意識は乱れる。なによりも第一位を挟みながら合わせて来た事が信じられない。顔を左右に小さく振った先で、地面に口の中の血を吐き出しながら白衣の男は笑みを深めて馬鹿にするように、第一位を得意気に殴り飛ばした後、一本突き出した人差し指を左右に振るった。
「んだその顔は? 殴られると思ってませんでしたってかァ? 意図の読めねえ素人同然の動きより、テメェみてえなある種法則のある動きなら読めんだよ! カンフーってやつかァ。必死こいて修行とかご苦労さまなこった! 積み上げられたモンをぶち壊すのは堪まらねえねえなァオイ!」
こいつ……。
過去からの経験が男の正体を訴えてくる。
名前は知らないし、男の素性だって俺は知らない。だが男がなにかは分かる。スイスで何度も隣り合い、嫌という程思い知っている存在。
天才。
たった二度、それも確かな形も描いていない拳二発で、時の鐘の軍隊格闘技が中国武術であると当たりを付けやがった。そしてそれにカウンターを合わせる度胸と見切りの良さ。こんなのがいるからやってられない。第一位が殴られたのにもそこに原因がありそうだ。
この状況。俺の仕事は
「『シグナル』、テメェらに今指令は下りてねえはずだろ。なんでここに居て、しかも俺の邪魔してんだよテメぇは! 分かっちゃいたが、アレイスターの野郎も信用ならねェ。さっきの狙撃といいよォ、なんでテメェはそいつと組んでんだ? まさかお友達か
汚い笑い声の中、床に転がりながらも立とうとしている第一位へと目を落とせば、丁度赤い瞳と目が合った。
第一位、
御坂さんのクローンを殺し、上条と喧嘩して負けた殺人鬼。
白い男。
病院でなんだかんだ話し相手になってくれた、打ち止めさんと仲のいいぶっきらぼう。
どちらも同じ人間で、悪か善かなどどうでもいい。第一位はきっと、自分の生き方を決めた男だ。俺は狙撃手。自分の見たことしか信じない。第一位の悪行も本当なのだろうが、俺にとっては不器用で愛想の悪い白い男。それでいい。白い男とのこれまでを思い出しながら、白衣の男の言葉に頷いて見せる。
「友達かはさて置き入院仲間だ。まだ第一位には黒パン買ってきて貰った借りがあってな、缶コーヒーをまだ奢ってない。それで十分だろ?」
報酬もらったなら、やることやらなきゃ傭兵の名が廃る。
「はァ? なんだテメェ、意味分からねェ」
「お前には言ってない」
目を落とした先、白い男は少しの間俺を見上げ、その顔はほとほと呆れているような顔に見えた。
そしてそれで十分だ。
重心を落とし両足を踏み込む。
俺が撃つべき相手は目の前にいる。
コンクリートの床が凹み捲れ、耳痛い音を響かせる中。
そんな中、一歩踏み出そうとした足が縫い止められた。
「木ィィ原ァァあああああああああああッ‼︎」
白い男の叫び。
これまで静かだった白い男の咆哮に足が押し止められる。転がるように走り白衣の男に殴りかかる満身創痍の白い男。誰が見たって無茶だと分かる。喧嘩に慣れた、ましてや武芸者や軍人の動きではない近接格闘素人の動き。白衣の男とやり合えばどちらが勝つかは結果は見ずとも分かる。
だがそれでも、白衣の男に殴られようと止まらず、白い男は木原と呼んだ男の顔を殴り抜いた。
ぼろぼろで、今にも止まってしまいそうなのに止まらず、倒れようと諦めず、見た目滑稽でも動くことをやめない白い男の背中が言っている。
『俺がやる』
言われずとも伝わった。どんな想いが彼の中にあるのかは分からないが、それだけは分かった。
自分が救う。
自分がやる。
他の者ではなく、今正にここにいる己が。
俺はそれを止められない。手を出すこともできない。俺が白衣の男をこれ以上殴ることは許されない。
なぜなら、今この瞬間こそがきっと、白い男の『必死』だから。
俺が恋い焦がれる瞬間に立っている者の刹那を邪魔することは絶対にできない。
白衣の男の一撃に、一回転し床に転がった白い男に追撃の蹴りが無数に落とされる。飛び散る血と骨が軋む痛い音。蹴っていた方の白衣の男の方が疲れるような有様で、何度も繰り返されボロ雑巾のようになりながらも、白い男は指を床に這わせて立ち上がろうとする。
例え殺されても動き続けそうな白い男の執念に、意識せず口から感嘆の息が漏れた。
俺の望む必死に沈んでいる白い男から目が離せない。何があろうと彼ならやりきると断言さえできてしまう。そんな英雄の姿に見惚れる中で、ポトリ、と小さな鉄球が白い男に向けて落とされた。白衣の男の手から放られたそれは手榴弾。
数瞬後には四散してしまうだろう光景を思い描き、俺はため息を吐きながら行き場を失っていた一歩を踏む。俺は白衣の男は殴らない。それは白い男がやる。きっとやる。だから俺はその道が切れてしまわぬように一歩を踏む。
「……羨ましいな、掴めよ
手榴弾を足で掬い、窓の外へと蹴り飛ばす。鉄製の汚い花火が空に花開く中、俺の横をいつの間にか立っていた白い男が通り過ぎた。その口元には微笑を浮かべて。
「……っ」
その背に黒い翼を背負って。
なにそれ……そんなの生えてたっけ?
まるで抱え切れなくなった感情を推進剤として噴出しているかのように、世界に筆を走らせたような黒線が白い男の背から伸びている。差し伸ばされた手は白衣の男の顔を鷲掴みにし、万力のように締め付けた。くっ付いているかのように離れない白衣の男は絶叫を上げ、黒線が手から噴き出したと見えた瞬間、白衣の男は空の彼方に消え去った。
夜空にオレンジ色の彗星が尾を引くのを見つめ、ポケットから煙草を一本取り出し口に咥えて火を点ける。
なるほど、やっぱり第一位が一番化け物だ。缶コーヒーちゃんと奢るから俺は殴らないでね。てかこんなのと殺り合う仕事とか来たらもう俺スイス帰るわ。