第一位の背から伸びていた黒い翼は幻であったように消え去って、学園都市の街から伸びていた光の翼も、同じく夢だったかのようにその姿を消した。いつもより幾分も静かな学園都市の街を見つめながら、事務机に寄り掛かっている白い男へと目を流す。
「だ、大丈夫なのッ⁉︎」
「とりあえず、命に別状はなさそうだぞ」
第一位を心配する
街を今一度見る。
荒れた学園都市。侵入者、土御門曰く『神の右席』と呼ばれる魔術師の侵攻。シェリー=クロムウェルの時とは規模が段違い、何より既に外でニュースになっている。隠そうにも遅過ぎる。魔術と科学は交わらない。表向きはそうなっている。が、もうそれが効かないぐらいに事態は大きい。ボンドール=ザミル一人を人柱にしたぐらいで治る事態には思えない。この先どうなるのか考えただけで頭痛がする。
口に咥えていた煙草を離し、重い吐息が紫煙と混じり浮いて行く様を見つめながら頭を掻く。
科学と魔術のこともそうだが、第一位、御坂さん黒子さんに飾利さん、
さて、どれから手を付けるべきか。
膨大な量の仕事を押し付けられた時のことを思い出しながら、乾く唇を舐めていると、ノイズ混じりの怒号が聞こえ思わず噴き出してしまった。
『こら! 結局何がどうなったのよ!? 歌の時からこっちが何言っても全く反応しないし! あのでっかい羽もなくなったみたいだけど、本当にもう大丈夫な訳!? 黒ずくめどもは全部片付けたから、なんか手伝う事あればそっちに行くけど!?』
御坂さんの声が聞こえる。なんで? しかも
第一位がここにはいる、第一位が今回味方とはいえ、御坂さんと第一位が仲良いなんて都合のいいことがあるはずない。
さて、どうしたものか。なんとか御坂さんが来なくていいように
「まっ、待っててね。今お医者さんを呼んでくるから!! まごいち! 二人のこと見ててくれる? すぐ戻るから‼︎」
『ちょ、ちょっと聞いてんのアンタ⁉︎ って待ちなさいよ、まごいち? 今孫市って言ったのアンタ? またあの傭兵野郎まで出張ってるわけ⁉︎ なんでアイツといいそいつといいッ」
やべえ御坂さんに俺の存在がバレた。これまた面倒そうな……これだから
「……
出さなくても黒子さんなら力を貸してくれるだろうが、俺の名を出せばきっと黒子さんに俺の意図が通じる。
「くろこがいるの? 分かったんだよ!」
『黒子まで⁉︎ ちょっとアンタそいつと電話代わりなさい! 聞きたいことが──』
「急いだ方がいいぞ
「うん分かった!」
『ちょっと待ちなさいってば⁉︎』
走り去って行く
それに……、黒子さんの心の乱れはきっと俺より御坂さんに任せた方がいいはずだ。俺がどれだけ耳に痛い、又は心地いい言葉を並べたところで、それは傷の上に絆創膏を貼り付けたような応急処置でしかないだろう。御坂さんのために拳を握った黒子さんには、何より御坂さんの言葉が必要なはず。大覇星祭の時に光子さんにはたかれた頬を指で掻きながら、ちらっと第一位を見た後
力なく横たわっている
暗部だ闇だと『悪』を大義名分に掲げれば何をしてもいいわけではないだろう。第一位も、俺だって善悪の二元論の中では『悪』に属する人間ではあろう。だが、悪でも超えてはいけない一線がある。その一線を越えれば人でなくなり、獣や外道に落ちる事になる。その転落の道に善人よりも近い自覚があるからこそ、その超えてはいけない境界線は何より濃く強いのだ。一度超えたらきっと戻ってくることはできない。
「まあなんだ
…………返事がない。別に屍でもないのに。
ぽけらーっと俺と
それも幾つもの。
『
不意に響く声。だが、それは耳に届いた訳ではない。空気は震えず、体の中に直接送り込まれたような声に舌を打つ。
能力者。
全身を非金属の装甲に身を包んでいる者たち。
ただそれは
俺の名は含まれてはいなかった。
煙草を吹き捨て手を緩やかに振るう。ビルから飛び降りる手もあるにはあるが、それはそれで落下死の可能性があるからやりたくない。一度ビルから紐なしバンジーして死ぬ思いをしたし二度目は御免だ。一撃で
『『シグナル』のスイス傭兵……まさか貴方までいるとは。どういう経緯かは知りませんが構えは解いていただきたいですね。こんな場所でお互い殺り合いたくはないでしょう? 此方としてはどうしてもと言うのであれば構いませんが』
「……俺だって御免だ。全身を覆う
『お仕事……、と言うと暗部の、ではなく時の鐘のでしょうか。まあいいです。此方も時間がない。
「ご勝手に」
『シグナル』、発足から1ヶ月程しか経っていないというのにその名を口にすると言うことは、
ぐったりした
勝手に誰かの足枷にされるなど我慢ならない。
俺には分からないように、
どんな話をしているのか俺には分からない。だが、向けられた
「……
流石に
少しすると
────ガンッ!
銃口の向く先は白い男。ただ体に穴は開かず、放たれた弾はゴム弾であるらしい。意識を手放したと見える
『彼は殺しませんよ、話は無事終わりました。
「……俺の仕事は
『侵入者の件は片付きましたよ。
「……どんな話をしたかは知らないが、
『おや、意外と冷たいのですね』
冷たい? それは違う。
自分の道を進む
『暗部に連れて行かれるということがどういうことか、この街に来て長くなくとも貴方にだって分かるでしょうに』
「それを暗部でもある俺に言うのか? それにもしここで俺が助けたとして、事態はもっと悪くなるんじゃないか? 俺と
『なかなか聡明ですね、流石に傭兵、リスクマネジメントはお手の物ですか』
よく言う。そう考えるように言葉を運んでいるくせに。ここで動いても意味はないぞと、言われずともそれぐらい分かる。新たな煙草を咥えて火を点け、細く長く息を吐き出す。こういう連中と話していると、心の温度が下がってくる。ただ粛々と機械のように動く、戦場での記憶が蘇る。
『そう言えば傭兵の貴方に一つ質問があるのですが────』
その言葉を聞き流しながら、口から煙草を離して握り潰す。なにはともあれ仕事は終わりだ。侵入者は上条が倒したそうだし、
***
夜の街。
止まってしまったかのように静かに苛烈だった夜は一気に喧しさを増した。まるでお祭り騒ぎだ。元々動ける者たちや、意識を失っていた者も意識を取り戻し、瓦礫の駆除や怪我人の搬送などてんやわんやの大忙し。119番も110番もかけられ続ける無数の電話にパンクして、人海戦術で事に当たるしかないらしい。
そんな人々の流れを横目に、俺はただぶらぶら道を歩いていた。どこぞに転がって行ってしまっていた
口には煙草を咥えてぶらぶらぶらぶら。街の中で堂々と歩き煙草をしようとも、
そう高を括っていたのに、音もなく影が目の前に舞い落ちると煙草を引ったくられ消されてしまった。風に揺れるツインテールを目で追いながら、「
「お帰り黒子さん」
元の調子に戻ったようで。
そう口にはしなかったが、皮肉は通じたらしく鋭い目を向けられた。そんな風紀委員から目を背けて歩き出せば、黒子さんも俺に並んで歩き出す。横目に黒子さんの顔を伺えば、赤くした目元に、額には指先一つ分ほどの赤い跡を貼り付けている。俺の視線に気付いたらしい黒子さんは、バツ悪そうに赤くなった額を一度なぜ、重い息を吐き出した。
「……お姉様に怒られてしまいましたわ。私や孫市さんを見てなにも学ばなかったのかーと。全くご自分を棚に上げられて、それは貴方もですけれど」
「だからこそさ、同じ
御坂さんは御坂さんで無茶をして、俺は俺で道を脱しかけた。分かっていても破裂した感情に打ち勝てず突き進んでしまう。御坂さんはそれを上条に止められ、俺は御坂さんに止められた。止められて良かった。そして、黒子さんも止まってくれて良かった。
「誰かの為、麗しい言葉ですの。ですが行き過ぎた善は悪にもなりますか。結局わたくしが第一位をどうこうしたところで、それは既に終わったこと。今わたくしがアレの命を奪ったところでそれはただの私欲ですものね。人の為と言いながら結局は自分の為、自分の後悔がそれで帳消しになるのではと夢見ているだけ。だからわたくしがすべきは、もし次同じようなことがあったなら、その時こそお姉様を守ること。……とは言えアレを許すことはできませんし、未来永劫嫌いなままでしょうけれど」
「別にそれでいいだろうよ、俺だって苦手な奴はいる。
その輝かしさに目を惹かれるも、どうしようもなく眩し過ぎて見ていられない時もある。故に苦手。ポケットから新しい煙草を取り出したら黒子さんに奪われた。喫煙タイムはさよなららしい。
「……それで?」
唇を尖らせて歩いていると、そう黒子さんが切り出す。なにが? と目で訴えると、黒子さんは自分の目尻に指を当て下に引いた。
「なにかよくないことでも? 貴方のタレ目がいつもより垂れ下がっていますから。
「……黒子さんは俺の目尻を見れば俺の調子が分かるのか?」
「ご自分の癖くらい知っておいた方がいいですわよ? 貴方が仕事してる時の顔ですもの」
俺って仕事してる時、目垂れ下がってんの?
目尻を軽く擦りつつ、先程ビルの中で投げ掛けられた質問を思い出す。思い出すだけで気が重い。それは目を向けなければならないことではあるが、あまり目を向けたくはないこと。だが、目を向けねばならない。近い未来必ず訪れるだろう厄災に。
「……ビルの中で暗部に聞かれた。傭兵の俺から見て、これから戦争が起きると思うかとな」
「……起きますのね」
俺の様子から先に黒子さんは答えを察したらしく、俺は静かに目を伏せた。まだ実感がない。だが、姿の見えぬダイナマイトの導線に確実に着火した。
「ロイ姐さんと共にやって来た魔術師が学園都市で暴れた時はまだ詳細な情報が外に漏れず上手くやれた。故に戦争までには至らなかったが。今回は既に外に情報が漏れ、ニュースとして世間の目が集まっている中での天使の出現。そこまで目立っていなければ、ボンドール=ザミルを人柱に、難癖つけて有耶無耶にできただろう。国連の思惑もそこにあったはずだ。が、学園都市側からそれを蹴った。相手は外部からの侵入者、学園都市の能力者だと嘘は付けない。いや、付く気もないかもな。明らかになにかを標的に暴れた天使、あれ程の兵器で迎え撃った相手が何者か。説明を求められるだろうよ」
「……まさか、魔術を世間に公表すると孫市さんはお思いなんですの? ですがそんなことをしたなら」
そう、そんなことをすれば暗黙の了解が崩れる。これまで学園都市の中で水面下で繰り広げられていた闘争を隠さなくてよくなる。つまり大手を振るって魔術師が自分は魔術師だと力を振るえるようになる。魔術を世間に公表してもすぐに信じられることはないだろうが、公表したという事実があれば信じようが信じまいがどうでもいい。だって魔術の存在聞いてるでしょ? で全て片付く。
魔術師は科学を嫌う者が多い。なら表立ってその核である学園都市を潰そうと動いてもおかしくはない。その時学園都市側は? 一方的に殴られて黙っている聖職者なわけもないのだ。当然反撃するだろう。そうなれば結果的に戦争が始まる。
それも学園都市側からすれば、やられたからやり返したと大義名分を掲げることができて。その大義名分を得るために、
まるで学園都市側から戦争をしたいように見える。誰もが戦争を止めようと思い動かなければ、戦争とは止められない。わざわざ戦争を起こして学園都市側にメリットがあるのか? お偉い奴らの思惑など知りたくもないが、知らなければ全貌が見えないのも事実。下手すればそれを探れと仕事が来るかもしれない。
それを思えば気が重くなるのも当然だ。
「時の鐘本部とも話し合わなきゃならないだろうし、何よりボンドール=ザミルを送り付けて来た『
「お姉様を交えて話す算段は付けましたの。その時は佐天さんも交えて話す予定です。孫市さんはどうします?」
「女子中学生四人に混じりたくはないな。それにそれなら俺よりもその件に詳しいだろう上条さんが一緒の方がいいだろうし」
「類人猿なんていりませんの!」
「なら俺もパスだ」
「戦争か、俺は慣れてるが、黒子さんはどうする? バイト止めるか?」
俺の道に寄ると黒子さんは言っていたが、戦争が始まるとなるとこれまで以上にスイスに居た時と同様、いやそれ以上に引き金を引く機会が増えるだろう。その時俺はきっと躊躇しない。ただ骸を積んでいく。そんな俺の近くにまだいるつもりなのかと黒子さんに投げ掛ければ、難しい顔で唸った後、自分の腕に付いている腕章を見つめて軽く引っ張った。
「わたくしは
「お互い頑固者だな、黒子さんはそれでいいさ」
きっとそれが楔になる。
俺が人で居続けるための楔に。
俺が相棒を手放すようなことや時の鐘を辞める事はないであろうが、人を辞める事もないように。小さな正義の少女が、俺の間違った一歩を引き止めてくれるだろうから。そんな風に考えてしまうくらいには俺は黒子さんを信頼しているようで、どうにも恥ずかしくなってくる。
「まあなんにせよ、これまで通りだな取り敢えずはだが」
「そうですわね。……ただ」
「ただ? まだなにかあるのか?」
「……孫市さん、ビルからわたくしが飛び出した時、わたくしの名を呼びましたでしょう? 黒子と」
「そうだっけ?」
「ちょっと」
ちょっともなにもあの時は黒子さんを止めるのに必死でなんと言ったかよくは覚えていない。そう言われれば呼んだような呼んでないようなと首を捻っていると、黒子さんに袖を摘まれ引かれた。
「……べ、別にそう呼んでくれても構いませんけれど」
なぜそっぽを向く。
「それって御坂さんの特権って言ってなかったっけか?」
「そりゃそうですの! お姉様ならあ〜んなことやこ〜んなこともまるっとオッケーですのよ! 許可証要らずの顔パスですもの!」
「俺スイスの娼婦に似たようなこと言われたことあるわ、チップはずんでくれればって」
「誰が娼婦ですかッ! って言うか貴方未成年の分際でなにやってるんですの⁉︎」
「仕方ないだろ娼館の防衛を頼まれたことがあったんだよ、しかも時の鐘の男どもの行きつけとかで断れなかったし、俺は中に入ったことないけど」
だいたいボスのいるスイスで、ボスの前でズカズカ娼館に入るわけがない。お前は女を知らずに死ぬのか? と、なぜか俺の行く末に終止符を打つ時の鐘の男どもなど知らん。だいたいドライヴィーだって利用してないし。あの時の男衆の鬼気迫ったやる気はなんだったのか。ボランティアにしたって酷すぎる、一夜でマフィアが一つ滅んだ。
「それになぁ……」
なんでもない時に名前を呼び捨てるのは少し戸惑われる。どうだっていい程度のことかもしれないが、俺は普段時の鐘の仲間たちしか名前を呼び捨てない。
隣を歩く黒子さんを見る。天を仰ぐ。もう一度黒子さんに目を落とし、
「なあ黒子」
「は、はぃ?」
「……なあ黒子」
「な、なんですの?」
「黒子」
「だ、だからなんですかと」
「思いの外……、言えるもんだな。そもそも時の鐘に入ってからこんなことなかったもんなぁ……。うん、でも黒子さんでいいや」
「なんなんですの貴方はッ⁉︎」
サマーソルトキックッ⁉︎
黒子さんの足が俺の顎を蹴り上げる。なぜだ⁉︎ 俺なにも悪いことしてなくね? 顔を赤くして、怒らせてしまったらしい黒子さんは俺を気にすることもなくズカズカ歩いて行ってしまう。どっか行くなら
戦争が始まる。きっと始まってしまう。
見えない境界線をどれだけ引いたところで、世界のうねりは関係なくやすやすとそれを越えてくるのだろう。
そして、俺がどれだけ俺の中で線を引こうが、あの風紀委員は
どうしようもないこともある。良いことであろうが悪いことであろうが、どうしようもなく始まってしまうなら。
俺はいつも通り────いや。
「これまで以上に全力でやるだけだ」
戦争の始まり編、終わり。ここまで読んでいただきありがとうございます。