ma cherie ①
病院の一室は今や戦場のような様相を見せていた。祝日も終わり平日。見舞い客など来ているのは、学校? 知らね。と学園都市の学生にあるまじき『アイテム』の面々ぐらいであり、朝早くに、「じゃあ学校行って来るわ」と小萌先生に会いに完全回復した青髮ピアスのベッドを中心に浜面とフレンダさんがちまちま手を動かしており、そんな二人をただ残りの面々は傍観している。来て貰ってから既に数時間。限界でも来たのか、大きなため息を吐くフレンダさんに指を突き付けた。
「ほらもっとチャキチャキ動け! 時間がないんだよ時間が! 溜め息吐いたり余計なこと考えてる時間があったら手を動かし続けろ! 病室の飾り付けが全く終わらないだろうが!」
「かぁぁぁぁッ! もう嫌って訳よ! 朝から急に麦野に呼び出されたと思ったら色紙で輪っかを作る内職ってどういう訳よ! だいたい法水! アンタがなんで偉そうに命令してるわけ? 麦野と第二位と滝壺と絹旗はなんにもやってないじゃないの!」
「当たり前だろ! 滝壺さんは病人で! 垣根さんには後で
「え?」と動きを止める絹旗さんを滝壺さんが応援し、麦野さんと垣根が盛大に舌を打つ。そんな不機嫌ですという態度を取られても、やって貰わなければ俺の命が危ない。こんな満身創痍な状態でボスを出迎え、またまたボンクラ呼ばわりされても困る。ボンクラならまだマシな程下がったら目も当てられない。
ボスが学園都市に向かった、と笑いを押し殺したガラ爺ちゃんから電話を貰ってから一日。俺の危機察知能力が最大の警鐘を鳴らしている。このままでは、氷の女王のように冷気を口から吐き出しながら、ゴミ屑でも見るような目でボスに見下ろされ、「退役でもしたいのかしら?」とお小言を数時間に渡って言い続けられるに違いない、
僅かでもボスの気分が良くなるように最大限の努力をしなければ、具合悪そうな顔でベッドに篭っていたところで、「そんな風に育てた覚えはないのだけれど」とベッドを1080度くらいひっくり返されるに決まっているのだ。
フレンダさんは麦野さんを一度見て、ほんのちょっぴり第二位に目を走らせなんの言葉も貰えないことを察すると、目の前に座る浜面の顔をじっとりした目で見つめ出した。無言の視線に浜面は心地悪そうに身動ぎして、空気に耐えかねたらしく渋々と口を開く。
「な、なぁ法水、お前がスイスの凄え傭兵ってだけでもまだ信じられないんだけどよ。お前んとこのボスってそんなに怖い人なのか?」
「怖い? 馬鹿言えそんな可愛い言葉で飾れるような人じゃない」
断言できる。
怖いとかやばいとか、そんな漠然とした言葉で形容できる存在なのであれば、それこそこんな出迎え準備はしていない。学園都市で言うところの
勝てる? 勝てない? そんな次元ではない。
越えられない壁があるとして、その壁に手足が生えて目に見える存在として立っていると思えばいい。あまり絶対勝てないという事を言いたくはないが、俺にとって『絶対』があるならそれがボスだ。ボスの事なら誰より近くで見てきたからこそ。学園都市で過ごした半年の何倍も、十年近く側にいるのだ。
だからこそ、不発弾が吹っ飛んだりしないように、今やれる事をやらなければ、俺の首が物理的に飛ぶ事になる。外で戦争状態だっていうのに学園都市の内紛で大怪我して入院中? 許されるか許されないか誰より俺が分かっている。怒られるに違いない、が、相手は
「そんな訳で浜面さん、今こそ浜面さんのピッキング能力の器用さを飾り付けに使う時だ。うちのボスはああ見えて意外と子供っぽい事が好きだ。見た目がアレだから周りが遠慮してそういうことしてこなかったからな。だからこそ上手くいく。信じろ!」
「いや、ああ見えてとか言われても見た事ないんだが……だいたい麦野と第二位がだんまりなのはなんでだ? いいのかよ麦野。こんなのに『アイテム』集めちまって」
「黙れ浜面、その口溶接するわよ」
「なんでだよ⁉︎ おい! おい法水! 説明してくれ!」
浜面の叫びに肩を落とし、仕方ないので説明をしてやる。垣根と麦野さんを言い包めた方法は簡単だ。全ては昨日の
そう言ってやれば理解したようで浜面は口元を歪め、渋々と輪っか作りを再開する。滝壺さんと暗部を抜けるために打てる手は打っておきたいのだろう。『アイテム』は『アイテム』で減った人員もなく未だ健在。何食わぬ顔でなにもなかったと振る舞うことができる。滝壺さんの容態はよくないようだが、滝壺さんには『体晶』を使わせずに仕事を済ませてしまえばよい。
いつも通りに振る舞いながら、暗部から抜ける隙を伺うのは、『グループ』と『アイテム』が最も取りやすい手だ。ただ問題は残った垣根だが、なんでも『スクール』をコントロールできなかった所為で今の上司はクビになったとか。退職したのか物理的に首だけになったのかは俺の知るところではない。
そんな『スクール』の状態は今は保留であるらしい。使い所でも見極めているのか、新しい上司を決めている最中なのか知らないが、動きがない方がかえって安心ではある。ただ垣根は暇なのか、昨日から口数少なくあんまり喋らないが。
浜面たちの疑問は解消されたようで作業を再開。だが、今度は絹旗さんが一歩こちらに寄って来る。ボスへの第一声を考える邪魔をしないで欲しい。
「それは分かりましたけど、私を盾に使うというところが超気になるのですが、だいたい時の鐘って外部の組織でしょう? そのボスさんも
この子はなにを言ってるんだろうか? 抑える? 俺が? 負けることはあっても勝つ確率など皆無だぞ? 理解できない絹旗さんの言葉に大きく首を捻り、隣で垣根が小さく鼻で笑った。
「おいおい、そんなこと言ってたら『アイテム』の情報収集能力の底が知れるぞ。表世界最高の狙撃手集団の総隊長だぜ? 上で胡座掻いてるだけの置物なら良かっただろうが、残念ながら世界最強の狙撃手だ。学園都市230万どころか世界でだぞ、少なくとも弱くはねえ、ただ気になんのはなんでオーバード=シェリーなんだ? 正式な呼び名だとオーバドゥ=シェリーだろ?」
「いや、オーバドゥって有名な女性下着メーカーがあるだろ? それと被るから嫌なんだと」
だから誰もボスをオーバドゥ=シェリーとは呼ばない。唯一ロイ姐さんだけがバドゥと愛称で呼ぶのを許されているぐらいで、俺が呼んだらぶっ飛ばされる。それにしても垣根よく調べたな。スナイパーを探していたからか、
「なんか聞けば聞くだけしょうもないんだけど。そんな警戒する相手なわけ? これで雑魚だったりしたら穴空けるわよ」
「雑────ッ⁉︎」
そんな一番ボスに似合わないような事を! 麦野さんの不敵な笑みが逆に心配になる。即座に否定しようと口を開こうとしたが、静かな病院に打ち鳴らされる靴の音を聞き動きを止めた。リズム良く一歩づつ、歩いて来る足音。間違いなくこちらに歩いて来ている。唾を飲み込み手を叩く。周りの意識を俺に集める。飾り付けが終わってないのにもう来やがったッ! 仕方ないので浜面たちのもとにかっ飛び作りかけの色紙を引ったくって垣根に投げた。そしてベッドに戻り出迎えの準備。
「作戦変更ッ! 垣根さんはその色紙細切れにして紙吹雪と羽を散らしてくれ! 麦野さんも準備! 来るぞ!」
病室の扉がガラリと音を立てて開く。紙吹雪と羽が病室の中を彩った。パラパラと舞い落ちる羽と紙吹雪を弾いて小さな光球が弾ける中、俺を強く手を叩き歓迎の言葉を口にする。
「遠路はるばるお疲れ様ですッ! ようこそおいでくださいました!」
黄色い声が部屋の中を埋め、丸い目がパチクリと瞬いた。蛙のような大きな口を引き結び、つるっとした頭を指が掻く。
「……まあ、仲良くやってるようでなによりだね?」
「って先生かよ⁉︎ 紛らわしいなおいッ‼︎」
俺の咆哮が届く前に病室の扉は閉められた。なんでこれみよがしにゆっくり歩いて来るんだ! 回診なのか知らないけど速攻で帰るし! なに? なんの確認? なんで来たの? 別にいつもみたいに病室抜け出したりしないよ! そんな状況でもないのに!
周りから冷たい目を突き刺される。俺だって間違えることくらいある。そんな目で見られても結果は変えられないんだからどうしようもない。どうしようもないから垣根さんはそろそろ翼をしまって欲しい。なぜ麦野さんは手に光球を浮かべているのか。何故にじり寄って来るのか。再び病室の扉が開く。ほら暴れるからまた先生が来たじゃないか!
「随分楽しそうじゃない。素敵なお出迎えね、ねえ孫市?」
数度温度が下がった気がした。時が止まったかのように錯覚する。浜面もフレンダさんも絹旗さんも滝壺さんも病室の入り口を向いたまま動かない。「へぇ」と麦野さんが薄っすらと口端を持ち上げ、垣根が口笛を吹く。
森で染めたような深緑の軍服。V字を描く白銀のボタン。肩口に輝く小さなスイス国旗が風を切り裂き、一歩甲高い靴音が病室の中に捻じ込まれた。長いアッシュブロンドの髪を振り、病室に踏み入り見惚れて固まっている浜面の顔を覗き込むと翡翠色の瞳を細めた。
「浜面仕上、第四位を退けた男。貴方がそうね?」
「う、うす……えっと」
微笑を浮かべたボスの顔を真正面に見据えて浜面が顔を赤くする。馬鹿、初対面でボスが笑ってるのに照れるんじゃない! ボスが笑うという事は──静かに伸ばされた白魚のような人差し指が浜面の額の中心にとんッと当てられ、ボスが指を振ったと同時に浜面さんの頭と足の位置が上下逆になる。そのまま頭を床に打ち付け、浜面は大の字に病室の床に転がった。
「足元がお留守よ。それで貴女が」
「ちょ、ちょっとタイム! タイムって訳」
手を前に突き出しぶんぶん振るフレンダさんの手がボスに吸い込まれるように掴まれる。フレンダさんの手を無理矢理開かせ、その指にボスは目を這わせると「そう」と冷淡に吐き出しながら首を傾げた。フレンダさんの顔から一気に血の気が引く。
「『
「は、はい……」
するりと手を放され、にこりともしないボスの視線から逃れたフレンダさんがペタリと床にへたり込む。舌舐めずりする狼から命からがら逃れた獲物のようにフレンダさんの膝が笑っている。歩く姿は百合の花。窓辺から射し込む日の光に純白の肌を煌めかせながら、足音をカチ鳴らし五歩。ボスは絹旗さんの前に立ち、絶対零度の目が落とされる。
絹旗さんの見上げる顔を見下ろして、突き出された指が絹旗さんの手前で止まった。それから数度、絹旗さんに向けて全く別々の場所へとボスは指を突き出して、最後一発捻りの加えられた指先が絹旗さんの頬を優しく突っつく。
「は? え? えッ⁉︎ な、なんでそんな弱いところばかり狙え⁉︎」
「見れば分かるわ『
滝壺さんへと目を流し、肩を跳ねさせる少女を見送ってボスは麦野さんと垣根の間に立つ。滲む
「
「……はい」
「死になさい」
「ですよねー」
急に破顔しにっこり笑ったボスの足が振り上げられる。その足が落とされたベッドはくの字に曲がり、後ろに転がるように避けた後、折れたベッドの勢いに乗って飛び上がった。懐から取り出した
下手に転がれば終着点を撃ち抜かれるは必須。払われた
「ぐぇッ!」
ヤベェ背中の傷開いた。
「さっさと立ちなさい孫市。でなければ死になさい」
「立ちますッ!」
スッと立ち右手を頭の前に敬礼の形。本当ならもう寝っ転がりたいが、そんなことしてたら死ぬ。口端を一気に落としたフレンダさんと絹旗さんに見つめられる中、ボスは煙草を取り出し咥えると再度麦野さんと垣根さんの方を向く。
緊張の糸が引っ張られるのは俺の中だけの話であるようで、ボスは気にした様子もなく身を翻し窓辺に寄ると窓を開け放ち煙草に火を点けた。秋風に波打つカーテンに挟まれた中煙草を吸うボスの姿はそのまま雑誌の広告ページに使えそうだ。立ち上る紫煙が風に巻かれて空へと消え去るのをしばらく見つめた後、病室へと顔を戻したボスは細く息を吐き出し首を擡げる。
「第二位『
そう言ってボスが目を柔らかく曲げた途端垣根は両手を軽く上げ、麦野さんは自分のベッドの上に腰掛ける。ただし顔は二人とも不敵なまま。全くボスの台詞は病室で言うような台詞ではない。垣根や麦野さんより尚強く牙を突き立てるような殺気を振り撒いて、ボスはああ言いながら誘っているだけだ。
総隊長である自分から
「……ありゃなんだ? 何人どういう風に殺せばああなる? 強い弱い、悪党善人以前の問題だろ。人殺しとしての年季が違ぇ」
「……学園都市の科学者より冷めた目するわね。アレこそ暗部でしょ」
「当たり前でしょう、私は狙撃手よ? 片手間に殺す? 気に入らないから? 手を抜き過ぎね。狙撃手なら微生物を潰すのにも全力を出すものよ。ねえ孫市?」
「流石ですボス」
「テメェな……ってかなんで聞こえてんだ」
アルプスの山々で幼少の頃から狩りばっかしてた人だぞ。姿は見えなくても獲物の息遣いが聞こえるとか訳分かんないこと言う人だもん。ボスの目の前で内緒話とか自殺行為だ。あの地獄耳とレーダーみたいな目からは逃れられない。だから俺に意見を求めるのは止めろ。下手に口滑らせたら殺される。
誰もが口を噤み静寂が流れる中、掛け時計の秒針が時を刻む音だけが病室を支配する。ボスは部屋の中を漠然と眺めたまま、腕を組むと小さくため息を吐いて肩を竦めた。面倒くさそうな空気を隠さず、懐から一枚の紙を取り出すと床へと滑らせ、俺の見える位置で停止。俺が見えるということは、勿論垣根にも麦野さんにも見える。ラテン語で書かれていたが関係ないだろう。
「『神の右席』、後方のアックアが学園都市上層部に送り付けて来た書状よ。『
「ちょ」
何を急に言ってるんですかマジで。『
「もう戦時中なのだから敵の情報を隠す必要もないでしょう。堂々と学園都市に攻めて来ると言ってくれてるわけだし、おかげで戦線は一時停止、私の動ける時間ができたわ」
「あーっと……、それでボスは今回」
「仕事よ。久々の。私でなければ無理だからと学園都市から依頼が飛んで来たわ。邪魔しちゃダメよ孫市」
「い、いや邪魔って」
待て待て。ローマ正教が上条個人を狙ってやって来るのに動くなと? いや、確かにそんな話が来てたとして俺に依頼は来ていない。だからと言って邪魔をするなと言われても、後方のアックアが学校に突撃して来たらそうもいかないだろう。一般人狙って突撃して来る奴に遠慮は必要ないだろうし──。
「邪魔したら……分かってるわね孫市。私の狩りを獲物以外が止めることは許さない。手を出すなら────」
「出しません!」
ボスが手に咥えた煙草を手に握り潰し、窓の外へ投げ捨てた。うん、まだ死にたくないもん。後方のアックアを止めるためにボスとやらねばならないとなると、命が幾つあっても足りやしない。だいたい仕事で来たボスを止める理由がない。時の鐘の正式な仕事なら、それは絶対だ。ってか俺が上条守るよりボスが守った方が確実だろう。
「そんな訳だからしばらく学園都市にいるわ。行くわよ孫市」
ん? 行く? どこへ? いや待て、だいたいしばらくいるって言いませんでした? なぜしばらく? 後方のアックアがいつ来るか分からないからか。答えが出たのと同時に病室の入り口で打ち鳴る足音。カエル顔の医者がへし折れたベッドを眺めて肩を竦め、真反対にいるアッシュブロンドを見つめて一枚の紙を差し向ける。
「全く、急に退院届けなんて渡されても困るね? 彼が一番重症なんだよ?」
「体を痛めた時の体の動かし方が分かっていいじゃない。私も上に立つ者よ
「悪童たちにも困ったものだね? 好んで敵としての象徴になりながら親切な者には親切にかい? まあ君たちに対して必要のない心配はしないよ。死なないうちに来るといい」
「先生、俺傷が開いたみたいなんですけど、背中の」
「そんなの後で私が縫うわ。行くわよ孫市」
え? 俺退院? 全然全快してないんですけど。なんで垣根と麦野さんより早く俺が退院なの? しかも行くってどこ? 俺どこに行くかも分からないのに退院しなきゃいけないの? 「通院してくれればいいよ」って先生、患者に必要なものを揃えてくれるのが先生じゃないんですか? 俺に対して適当過ぎませんか? 全然必要なもの揃えて貰えてないんですけど。
「いや、あの」
「行くわよ孫市、孫市が世話になったわね
「ちょ、ちょっと! 絹旗さん! 今こそ絹旗さんの出番だ! あれ? 聞いてる? ちょ、ちょっと」
病室の扉が無情に閉まる。病室が怪我人を締め出すとかそんなことある? ここ病院だよね? いつの間にか掲げる看板変えた? 誰も助けてくれることなく、ボスにズルズルと引き摺られ、逃げることも叶わない。だいたいどこに向かうのかも分からない。引き摺られたままボスを見上げれば、揺れ動いた瞳が俺を見る。
「ホテルを取るのも面倒だから貴方の部屋に案内して。学園都市製の超高速旅客機、便利だけど乗り心地をどうにかして欲しいものだわ。それにサービスも悪いしね」
「俺にそれを言われても……、いや、それよりどこに案内してって言いました?」
「貴方の寮よ。泊まれる部屋があるのにホテル代出すなんて馬鹿らしいじゃない」
俺の部屋? あのやたらファンシーな俺の部屋? いや、いやいやいやいや。俺の部屋にご案内したら間違いなく俺の首が飛ぶ。ホテル取ればいいじゃない。別に時の鐘は資金に困窮しているわけでもない。阻止だ。絶対阻止だ。阻止阻止阻止阻止ッ。
「誰が貴方の後見人だと思っているの? 私とガラよ。別に貴方の部屋に泊まり込んだところで
よくないです。酷いロードマップを見た。学園都市での俺の行動範囲しらみつぶしに紹介しなきゃならないとはなんだ。だいたい常盤台と柵川中学に行く気なの? 俺だって中に入ったことないのに? ボスは女性だし学舎の園にも入れるのかもしれないが、急に軍人が来たら取り押さえられるんじゃ……。
俺の心配をよそにどんどん景色だけが流れて行き、止まったと思った時にはタクシーの中であった。車の揺れが気持ち悪い。酔ったのかもしれない。なので歩いて行こう。そう思いボスを見ても顔さえ向けてくれず、再びボスは煙草を咥えた。タクシーの運転手が口を開けなにかを言いかけたが、ボスに睨まれ口を閉じる。おいちょっと、仕事しなさい。言えばボスはなんだかんだやめるから。
「それで孫市、黒子だったかしら? どうなの?」
口から変な息が漏れた。なんでそれを今聞く。しかもどうなのってなんだ。変な汗が滲む。なんか寒い。もう十月だし冷房なんてついてないはずなのに寒い。
「黒子さんはいい子ですよ? あの子こそ
「貴方女の好みがようやくできたのね」
「はい?」
あれそんな話? 障害になるかどうかとかの話じゃないの? いや、それよりこれってなんの話? 俺の話? 黒子さんの話? 手にじっとり浮かぶ汗が取れてくれない。手と手を組んで擦り合わせ、ボスの顔を見る。
「いや、俺のタイプは────」
「ma cherie. 大切になさい孫市」
口にボスが咥えていた煙草を突っ込まれ、ボスは優しく微笑んだ。
トルコの路地裏で、初めて見たボスの顔と同じ。
そう言えばあの時ボスはなんと言って俺の手を引いてくれたのだったか。
ボスの手の暖かさに気を取られていたからよく覚えていない。
寮に着くまでの数十分、俺は窓の外へと顔を向けてただ景色を見つめていた。どうにもボスの顔を見る事ができなかったから。寮の前、タクシーから降りてボスを見る。『
「……ねえボス、ちょっとツインテールにしてみませんか?」
「死になさい」
ダメだった。