煙草を咥えてベランダ、夕焼けが背の高い高層ビル群を染める姿を眺めながら肩を落とす。部屋に帰って来てからというもの、俺の居場所はすっかりベランダだ。もう何時間こうしているのか分からない。手摺の上に置かれた灰皿にはすっかり小さな白い山が出来ており、風に吹かれても雪のように灰が巻い、隣からくしゃみが聞こえて来た。
「の、法水⁉︎ お前なんか事故に巻き込まれて一週間くらい入院って言ってなかったか? なんで普通にベランダで煙草吸ってんだよ⁉︎」
喧しい声にちらっと目を動かせば黒いツンツン頭。そんな事は俺が聞きたい。痛覚ほぼ死んでるし平気でしょ? と裁縫不得意なボスに麻酔なしで手荒く縫われた背中がチクチクして具合悪い。薄い人工皮膚を上から張っているおかげて、目に見える顔の傷は隠せているが怪我が治っているわけでもない。傷に響く喧声に身動ぎ、帰って来て早々干していた布団を取り込もうと手を伸ばす上条へと顔を向けた。
「事故ね、ああ凄まじい巻き込まれ事故に会ったよ。そして今も事故の真っ最中だ。だから早く
体を部屋の方に向けて手摺に寄り掛かる。「答えになってねえッ⁉︎」 と上条が部屋に布団をぶん投げる音を聞きながら、上条が学校へ行き不在中、木山先生に遊んで貰おうといつもやって来ては居座っている禁書目録のお嬢さんを見る。ゲコなんたらとか言うキャラクターの縫いぐるみを抱えてソファーに座るボスの隣、何を話しているのか知らないが、楽しげに興味深そうに頷いている禁書目録のお嬢さん。
ってかボスに抱えられている縫いぐるみが可哀想だ。嬉しそうににこりともしないボスに抱えられて、笑っている縫いぐるみの心境は如何なものか。部屋に来て早々ソファーに座りしばらく、縫いぐるみを睨み手に取ってから一度もボスは縫いぐるみを手放していない。気に入ったのか知らないが、縫いぐるみは狩人から逃げられなかった。
「だいたい法水、お前が事故に遭うなんて嘘だろ。お前なら車が突っ込んで来ても、別に慣れてるとか言って避けそうだし。何があったんだ?」
「上条さんは俺をなんだと思ってるんだ。まあ確かに慣れてるが、そこまで分かってるなら分かるだろう?」
口元を引攣らせた上条はそう言えば分かってくれたようで、地獄のような傭兵家業に想いを馳せているらしい。フランスから帰って来ても変わらずのほほんとしているが、後方のアックアに狙われているらしいというのを分かっているのか。多分分かってない。分かってなくとも数多の事故に巻き込まれるのが上条だ。
「まあそんなわけで上条さん、早く禁書目録のお嬢さんを迎えに来い。早く来い。マッハで来い。ろくろ首のように首を長ーくして禁書目録のお嬢さんが待ってるぞ」
そしてお前も事故に巻き込まれろ。男一人は肩身が狭過ぎる。
「いや、そこまで言うなら法水が呼んでくれよ。それとも何かあるのか?」
くそ、鋭い。
なんでこういう時ばかり千切れて飛んでったと思われる危機察知能力を発揮しているんだ。二つ返事に了承してさっさと来てくれればいいのに。少しの間空を見上げ、上条が呼びに来てくれた方が禁書目録のお嬢さんも喜ぶと言えば、唸りながら頭を掻いて部屋の中へと消えた。よしよし俺と共に不幸を分かち合おう。
煙草を小さな灰色の山に突っ込んで新しい煙草を咥える。部屋の扉が開く音がし、禁書目録のお嬢さんが手を振った。上条が一歩足を居間へと踏み入れ固まる。ボスが首を傾げて何かを言った。あっ、上条が頭を抱えて叫び出した。部屋が防音でよかったー。ボスに頭を掴まれ床に叩きつけられる上条。ゴロゴロゴロゴロ転がって、ベランダに這い出てくる。お疲れー。
「なんでお前のとこのボスが居るんだよッ⁉︎ 痛たた、しかも後方のアックアが俺を狙ってるって……意味が分からねえ」
「ね? なんでだろうね? ただボスが護衛に来たんだから安心だろうさ」
「え? あの人それで来たの⁉︎ ……あれ? ひょっとして超大事?」
まあ前回ボスが動いたのは御使堕しの時だし、イタリアの時もそうだったか。ボス個人が動く事は滅多にない。普段はやりたくもない書類仕事に埋もれているからなぁ。それでも尚ボスが動くということは、それだけの事態であるというのは間違いない。学園都市統括理事長アレイスター=クロウリー、ローマ教皇とも違い、ヤバイ状況、ボス曰く楽しい状況の時は自身がいの一番に動く。その点こそボスの誇るべき美点の一つだ。
よろよろ立ち上がる上条は俺の隣に立ち、肩を落として手摺に肘をつく。フランスでも『神の右席』に会ったそうだし、上条は『神の右席』から大人気だ。全く欲しくない人気でもある。
「……なんでそう男子高校生一人を狙ってやって来るんだろうな? ローマ正教って暇なのか?」
「さてねえ、上条さんはもう二人も『神の右席』とやってるんだし、元々禁書目録の守護者でもある。狙われる理由が多過ぎて分からないな。ただそう言われると不思議だな」
前方のヴェントと左方のテッラだったか? この二人の動きは戦争の始まりと戦時中の動きとしては納得できる。どちらも学園都市を狙っての動きだ。ヴェントの動きで事態は一気に加速したし、テッラの動きで事態は世界全体に広がった。が、アックアは? アックアが動き戦線が一時停止したとボスは言っていた。同じ『神の右席』であればこそ、動けばまた何かしら世界に歪みを生むだけの動きを起こせるはずだ。ところが実際は?
「戦争の動きを一時停止させてまで狙いは上条? なぜ学園都市じゃない? 『神の右席』を二度も退けたからか? だがなら先になんで書状なんて送ってきた? 理由はなんだ……初めから上条を狙うならまだしも遅過ぎる宣戦布告だ。だがそれなら学園都市とローマ正教の戦争状態をどう説明すればいい、まるで全然狙いの違う二つが同時進行しているような気味悪さだな」
学園都市とローマ正教。上条は分けて考えた方がいいのだろうか。それとも二つに繋がりがあるのか。繋がりがあるのならどちらに重きを置くべきか、学園都市と上条当麻。相手の幹部らしい奴の指定して来た相手は上条当麻。戦争とは勝てば何かしらの利益を得られるからこそ起こる。上条に勝てたからと言って、戦争に勝てるか? それとこれとは話が別だ。寧ろ戦争に勝つのが目的なのならば、学園都市の
それとも上条を囮にすれば
もしそれが狙いなら。もし……もしもこの戦争さえも特大のブラフだとしたら……ローマ正教の狙いは元々──。
「お、おい法水?」
心配そうな上条の声を聞き、無意識に煙草を握り潰していた手を見る。少々考え込み過ぎていた。そもそもなんら仕事を受けているわけでもないのに頭を回し過ぎた。頭を振って新たな煙草を咥えて火を点ける。その苦い味で軽やかに動く頭を鈍らせるように。
「ま、なんにせよ、ボスが護衛なら俺より安心だ。よかったな上条さん。俺もゆっくりしたいし、いつ外の戦争が激化して忙しくなるかも分からない。お互いが掲げた戦争の理由的にお互いがお互いを滅ぼさない限り終わりそうにないし。いや、状態が末期になる前にそれとも講和でもするのか、なんにせよこの戦争は長期化しそうだ……そうだな、そうなんだ……このままだと普通はそうなるんだろうが……誰だってそう思う。だからこそなぜ今」
「の、法水? 勘弁してくれよ、法水がそういうこと言うとシャレにならない。傭兵から学生に戻ってくれ」
確かにベランダで男子高校生二人でするような会話でもない。外面の表面だけ削り取って見てみれば、学園都市のなんでもないとある高校に通う無能力者である男子高校生二人。ただ内を見てみれば、あらゆる異能を打ち消す右手を持った魔術と科学を殴り抜けて来た男と、スイスを拠点に戦場を行ったり来たりしている男だ。それを考えるとそうおかしくもないと思うが。
鼻の頭を掻いて「インデックスがアレだから今日は一緒に晩飯にしようぜ」と、遠回しに俺に晩飯作れとタカリに来ている友人の顔を見つめる。平和そうな顔をした友人の顔を。
「……なあ上条さん、もしだ。もしこの戦争の目的が個人にあり、その個人さえ死ねば戦争が終わるとして、もしそれが上条さんだった場合どうする? 自ら命でも断つか?」
なるべく軽い感じでそう言ってはみたものの、途端に上条は真面目な顔になり口を引き結ぶ。言っている内容が大分アレであるという自覚はあるが、ローマ正教の狙いも分からないが、どうしても聞きたくなってしまった。不安を振り払うため、きっと上条なら──。
「……あんまり馬鹿にするなよ法水。もしそうだったとして、もう多くの奴が悲しんでんだろ。フランスでも学園都市でも。今更一人で終わるならとか、そんな話じゃねえだろ。どんな理由があったとして、そんなことで戦争起こした奴がいるってんなら、そいつを俺はぶん殴る」
俺の襟首を掴む上条の顔を見て噴き出した。当たり前だ。そんな事で命を投げ捨てていられるか。俺だったら見も知らぬ誰かのために
「ったく何笑ってんだよ……、訳分かんねえこと急に言ったと思ったら、だいたい、そんな事したらインデックスが悲しむだろ。約束しちまったからさ」
「禁書目録のお嬢さんがもう悲しまなくていいようにか……くひひッ、あっはっはっは!」
「な、なんだよ⁉︎」
「よしよし今日はうちで晩飯を食っていけ上条! もうバリバリディナーを作ってやる! さあ行こう! すぐ行こう! さあ今日の晩御飯は何かな〜?」
インデックスが笑ってこれからも過ごせるように、例え神が相手でも。あれから一ミリも変わらない。禁書目録のお嬢さんが学園都市に居れば上条は大丈夫だろう。そしてそれと同じように、上条が居ればきっと禁書目録のお嬢さんは大丈夫だ。戦争の目的がなんであれ、上条は道を違えない。誰かに死ねば世界が救われると言われても、泣いてしまう少女が少なくとも一人上条の側にいることを上条自身が知っているから。この最高のお人好しは、命を捨てるぐらいなら命を拾い誰かを救う。それは俺にはできない事だ。だから上条は最高なのだ。誰もが知っている綺麗事を、綺麗事のままにはせずに形にしてしまう男なのだから。
「あら、随分機嫌良さげに帰って来たわね孫市。何かいい事でもあったのかしら?」
「ええとっておきのいい事が。そんな訳で晩御飯をバリバリ作っちゃいますよー!」
「あっ! なら私も手伝うんだよ! ラザニア作ってあげる!」
「カレンの奴そんなのまで教えてやがるのか?」
「ううん、私が覚えたの! とうまの好物なんだ!」
「へー、ほー、上条の好物ね。ふーん」
「……なんだよ法水」
いや別に? ただ思った以上に仲良くやっているようで何よりと言うか。これはなんだ? 遠回しにちゃっかり自分は好物作ってくれる女の子がいるんですよというアピールを俺はされているのか? そういやもう上条の部屋の家事はほぼほぼ禁書目録のお嬢さんがしてるんだったな。なにそれ、それもう奥さんかなにかじゃないの? これもう無理だわ食蜂さん、俺カボチャの馬車になる自信ないよ。どうしてもそれをしたいなら先に魔法使いを連れて来てくれ。だから俺は上条の肩に優しく手を置く。
「上条、俺の部屋防音だから気にするなよ」
「な、なにがですか?」
「ただ相手がシスターだからなぁ、神様から奪わなきゃいけないんだから大変だな!」
「だからなにがだ⁉︎」
「全く君たち、あまり教師の前でそういう話をして欲しくはないのだが。止めた方がいいのかな?」
「別にいいじゃない。貴女も馬に蹴られたくはないでしょう? 必要のないお節介はするものではないわ」
「いやなんなんだ急に⁉︎ お前らその口元に浮かべた微笑をやめろ! インデックス! インデックスさん⁉︎ お前からもなんとか言ってやれ!」
「……とうまのえっち」
「なんでそうなる⁉︎」
不幸だぁぁぁぁッ! の叫びを聞きながらさっさとエプロン付けて準備をする。多少は家事のできる上条も今回はお払い箱だ。隣に立つのは禁書目録のお嬢さん。上条の好物らしいラザニアを作ってくれるそうなので、スープでも俺は作ってやろう。
スイスのスープならビュンドナーゲルシュテンズッペだ。要は大麦のスープ。
玉ねぎ、パセリ、パプリカ、インゲン、シャントレルを細かく切り刻み、火にかけバターを溶かした鍋に投入。本当なら干し肉を使いたいところだが、スイスで手製で作ったものがあるわけでもないので、市販の燻製ベーコンを刻み入れる。しばらく経ったら水に漬けておいた麦の水気を取って投入し、水と調味料をぶち込んで煮る。もう後はとにかく煮込んで味を整えるだけだ。
スイスの山岳地方で食べられていた保存食の一つ。栄養価が高く口当たりがいい。本当は使う野菜も乾燥野菜だったりともっと保存食っぽいが、新鮮な野菜がいつでも手に入る現代はいい時代だ。まあ乾燥野菜の方が甘みが増していたりといい点もあるけれど。
にしても……。
隣でフライパンを持つ禁書目録のお嬢さんをちらりと見る。
「あっ、まごいち、パルミジャーノ=レッジャーノとバジルソースが欲しいかも!」
「……ああ、どっちもあるよ。ただラザニア用の型はないんだが」
「それなら前にでぱーとで買ったから大丈夫! とうま取って来て! いつもの場所に置いてあるから!」
「おう、あそこな」
なにこの子。なんなの? これが一ヶ月前くらいには俺と木山先生に料理をせがみに来ていた少女と同一人物とは思えない。完全記憶能力って本当にズルイんじゃなかろうか。カレンはなにをしてくれちゃっているのだろうか。これもう俺より料理上手いんじゃないの? 超能力より魔術より、完全記憶能力を研究した方が世界のためになる気がする。
そうして一時間後、見事な料理が食卓を彩った。綺麗な形に焼き上がったラザニアは、大きな宝石のようだ。夕陽色をしたトパーズの上にエメラルドの川が流れているとでも言えばいいか。見事。食べるのがもったいない。のに、普通に上条はナイフで切り分けフォークをぶっ刺し口にほうばっている。
ああそう、いつでも食えるもんね。もったいないとか思わないよね。俺もおそろおそるラザニアを一口に放り込み崩れ落ちる、
「……孫市、貴方腕落ちたんじゃないの?」
「いや、もうこれ俺の腕どうのこうの問題じゃないでしょ。なら今度ボスが作ってくださいよ」
「いやよ、狩りした後の獲物を調理するならまだしも」
「さいですか……」
俺の仇をボスは討ってはくれないらしい。そうですか。でも俺別に料理人じゃないし別にいいけどね。一ヶ月で料理の腕を抜かれるとかもう本当にこれだから天才って奴は……。これはもう土御門に頼んで絶対王者に任せるしかない。俺は白旗を振る。
そんな事をしていると、不意にインターホンのベルの音が部屋を満たした。
「おや法水君、来客のようだよ」
「みたいだけど、今? こんな時間に?」
木山先生に言われて外を見れば、もうすっかり日も落ちた暗い夜空。こんな時間に来客とか、土御門か? ボスも居るし居留守でも使おうかと思ったが、禁書目録のお嬢さんが立ち上がり入り口の方へ走って行ってしまう。その無駄にレベルの上がった家事スキルを披露しなくていい。が、既に遅し。玄関の方で扉を開ける音に加えて、「あ!」と声を上げる禁書目録のお嬢さんの声が聞こえる。
「くろこだ。どうしたの?」
そして盛大に噴き出した。
「ちょ、待っ、ぶっ⁉︎ なんでだッ⁉︎」
勢いよく玄関へと走って行けば、風に揺れているツインテール。眉を大きく吊り上げて既にもう大変御立腹であるらしい。俺の顔を見て黒子さんは手を伸ばし、その手が俺の頬を抓った。
「貴方……なんで重傷の怪我人がもう退院してるんですの! 仕事がとか言ったらぶちますわよ!」
「いやちょ、それは俺が聞きたいって言うか! 黒子さん門限! 門限は⁉︎」
「お姉様に任せて来ましたの! 門限破りはお姉様の得意技ですからね、たまにぐらいはわたくしにも協力していただきませんと。それで弁明でも?」
いや弁明もなにも俺だって色々言いたい事があるわけだが。ちらっと禁書目録のお嬢さんに目配せすれば、音もなく居間の方へと戻っていた。なんでだ⁉︎ 自分から出迎えたくせに俺を置いて行くんじゃない! 頬から放した手を擦り合わせた黒子さんが俺を見上げて首を傾げる。その弱々しい動作にどうも落ち着かない。
「……本当に仕事ではないんですの? ……本当に?」
「……本当だよ。こんな状態で引き受けられるか」
「なら約束なさい。怪我が治るまでは仕事はしないと」
「いやそれは」
「約束ですの。依頼でもなく約束ですのよ。いくらわたくしでも……死人は追いかけられませんから」
言葉に詰まり少女を見る。急いで来たのか髪が乱れているのに気にもしてない。なにかを待つように口を引き結ぶ少女を見つめ、頭を掻いて小さく息を吐き出した。ただでさえ料理で禁書目録のお嬢さんにぶち抜かれた後だというのにこれは効く。約束? 依頼でもない誓いを俺にしろというのか。金で戦力を売る。この世はプラマイゼロ、等価交換だ。なにを支払ってる訳でもないのに、なにかを結ぶなど、そんな事多くはない。目に見えない何かに重きを置くというのは不安で心配で歯痒いものだ。だから、まあ。
「……約束しよう。黒子さんの信頼にそれを払おうか。それでフランスでの事とか許してくれると嬉しいんだが」
「全く貴方は、もう少し気の利いた事が言えませんの? まあ分かっていますけどね。はぁ、貴方は本当に心配するだけ損ですわね」
「そう言われても……あぁ、今丁度晩御飯の最中なんだけど食べてくか?」
「まさか、もう帰りませんとお姉様では長く保たないでしょうし、もう行きますわ」
「そうかい」
そう言って、踵を返す黒子さんに、「ちょっと待った」と続けて声を掛け部屋に戻る。ボスや木山先生がなんかにやけてるがどうでもいい。楽しい事でもあったのか? 二人の視線を振り切るように上着を持ち、「少し出てくる」と言い捨てて玄関へと戻った。
「送って行こう、折角来てくれたんだしな。それぐらいの甲斐性はあるさ」
「……ま、別にいいですけれど。それより何か賑やかでしたわね」
「ああ、うちのボスが来てるから」
「は?」
ぽかんと口を開ける黒子さんの横を通り過ぎ、行かないの? と廊下の外の空へと指差すが、黒子さんは俺の目の前を通り過ぎ廊下の先へ向かう。
「ボスって……時の鐘の? やっぱり仕事なんじゃないですか」
「いや、ボスの方が仕事で来ただけで。まあ約束って言っても時の鐘の仕事なら俺も出なきゃいけないからあれだが、そうでないのに約束なんてするかよ」
「あぁそうですか。……でもいいんですの? ボスさんが来てるのにわたくしを送ったりなんかして」
なにやらジトっとした目で黒子さんに睨まれ、足早に階段を降りて行ってしまうので慌ててそれを追う。なんとも機嫌が悪そうだ。何故だ。
「別に黒子さんを送ったところでボスが帰るわけでもないし、それに最近黒子さんとは二人で話す時間も取れなかったからな。丁度いいだろう」
「……話?」
「主要な暗部の多くが潰れ、どうにも外の動きにも違和感がある。学園都市の表での情報は黒子さんと飾利さん頼りだからな。情報の擦り合わせがしたいと思ってたんだ。魔術を公に認めた学園都市が表ではどう動けと指示してるのかとか聞いておきたい」
そう言うと黒子さんは僅かに足を緩め、なんとも盛大なため息を吐かれた。なんなんだいったい。電話で話す内容でもないから会って話せた方が俺としては得だからいいのだが。
「それじゃあ、何の仕事でボスさんは来られたんですの? 話せる内容なのかしら?」
「黒子さんには知っておいて貰った方がいいさ。ローマ正教が攻めてくるらしい。『神の右席』の一人がな。またどこかで爆発騒ぎとか起こるかもしれないから気にしておいてくれ」
「また面倒な……、いつかは分かっていますの? 分かれば先に避難を呼び掛けたりできますけれど」
「さてね、だからボスもしばらくこっちにいるとさ。なんか常盤台に行きたいとか言っていたぞ」
そう言えば今度こそ黒子さんは足を止め怪訝な顔で俺を見た。そんな顔されても……。別に俺が勧めた訳でもないのだから聞かれてもそうらしいとしか返せないぞ。再度歩くのを再開した黒子さんの足取りが重くなった。
「なんでそうなったんですの? はぁ、また聞くだけ面倒そうですわね。貴方はいつもわたくしを悩ませてばかりですの。自覚がおありなのか知りませんけれど」
「いやまあ大分厄介ごとを頼んでる自覚はあるが、そんなに?」
「わたくしに聞かないでくださいまし、……わたくしだって分かりませんのに」
えぇぇ……悩ませてるって言いながら分からないってどういう事なの? それこそ意味不明だ。やはり女の子っていうのはよく分からない。下手に突っつけばまた怒られそうだし、とは言えなにも言わなくても怒られるような気がする。まったくもって複雑怪奇だ。
寮から離れた公園に差し掛かり一度足を止め、そう言えばと黒子さんの背を見つめる。少しの間黒子さんは一人歩いていたが、俺が足を止めたのに気付くと首を傾げて振り返った。
「どうかしましたの?」
「いや、
「……たまにはいいでしょう。それよりも、わたくしは仕事の話よりも貴方の話が聞きたいですわね。ダメでして?」
「俺のって、……なんの話?」
そう聞けば、数瞬考え込むように黒子さんは街灯の灯りを見つめ、すぐに見上げていた顔を下に下げた。左手でツインテールの毛先をそっと弄りながら、僅かに目を横に逸らす。
「スイスでの事ですとか、ボスさんとの事ですとか、あまり詳しく聞いたことありませんでしたから。ダメでしたら別にいいのですけれど……」
ダメということもないが、あまり俺は自分のことをそう長く誰かに話したこともない。特に面白い話という訳でもないし、聞きたいというものでもないだろう。くるくる毛先を弄り続ける黒子さんが何故今になって俺の事など知りたいのかよく分からないが、黒子さんになら別に話してもいいかと考えてしまうあたり、俺はどうにも黒子さんを信頼しているらしい。
「まあ、こんなことがあってもいいさ。どこからがいいかな……、楽しくはないかもしれないが長くなるかもしれないぞ?」
「歩きながら聞きますの。時間はあるのですからね」
常盤台の寮までの夜道。
ただ、帰りが朝になったのは予想外だ。歩き過ぎて足が痛え。
「少し出てくる? そう言ったわよね孫市」
「教師としてはあまりこういう事は言いたくないのだが」
「もういっそ俺を殺せ」