時の鐘   作:生崎

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ma cherie ④

 感嘆の吐息が鼓膜を揺さぶり、どうにも落ち着きませんわね。わたくしとお姉様と食蜂操祈。それに加えてもう一人、時の鐘の総隊長。あのタレ目を時の鐘に育て上げた世界最高の狙撃手、オーバード=シェリー。

 

 端麗なビスクドールのように整った顔。外国人特有の高身長。下手な雑誌のモデルよりも存在感がありながら、雪山のように静かに佇む姿はそれは目を引くことでしょうけれど、わざわざ昼間の学校に姿を現わすなんてどういう了見でありますのやら。軽い自己紹介をされてから、オーバード=シェリーは既に三分近く経っているのに口を開かず頼んだコーヒーを傾けるばかり。ただ、そんななんでもない所作一つが名画のように絵になるものですから、先程から遠巻きに立つ常盤台生からの悩ましい吐息の音が鬱陶しいことこの上ないですの。

 

 流石に服装は軍服ではなく黒いスーツ。気を使っているようですけど、無駄にいい容姿のせいで全く服装の意味がないですわね。お姉様も食蜂操祈も警戒なさっているようで何も言わず、ただ、時折懐に手を伸ばそうとしていますけれど、学校内で大きな騒ぎを起こすのは不味いと分かっておられるはず。何よりオーバード=シェリーがそれを許すとは思えませんけれど。孫市さんの言う通りなら、孫市さん以上に異常な方のようですし。

 

 まるで時が停滞してしまったかのような空間の中、数多の視線も気にされず(おそらく慣れているからでしょうけどね)、オーバード=シェリーはコーヒーカップの隣に置かれたドボシュトルタにフォークを沈み込ませると、口に運び小さく微笑みましたわ。

 

「流石に味は良いけれど、こうも値段が高価だと庶民の感覚は身に付かないでしょうにね。学舎の園だけで生活も成り立つでしょうけど、それでは箱入り娘のままね。いえ、箱入り娘にしておきたいのかしら? 『箱入り娘(プリンセス)』というブランドは男も好きでしょうし。一種の箔付けなのかしら? 私に言わせれば馬鹿らしいけれど。それを甘受していては人として堕落してしまうだけ。どうせ箱入り娘を演じるなら、フランスの首脳のように徹底して欲しいものだわ。まあ、貴女たちには関係のない話ね」

 

 大事に仕舞われておくことを許容できる質でもないでしょう、と何かしらの確信を持って言葉を続けたオーバード=シェリーはどういうつもりですのやら、『箱入り娘』なんてお姉様に最も相応しくない称号ですの。食蜂操祈にしたってそう。女王は女王でも深窓の令嬢なのは見た目ぐらいのものですし。わたくしは寧ろ箱に詰める方ですから。

 

 そんなたわいないお話でもしに来ただけなのかと、少し肩の力が抜けますわ。時の鐘、スイスの特殊山岳射撃部隊。戦争時にこそ重宝される武力の象徴。事実あの方も問題が起これば引っ張り出される立場にいますし、彼女が学園都市に来たのも仕事で。お姉様も知らないでしょう厄介ごとを解決するために来られたのでしょうに、こんなに呑気に観光? それもわざわざ常盤台に? お姉様と食蜂操祈が何も仰らないのであればこそ、わたくしが相手をするしかないみたいですわね。

 

「それで? 本日はどのようなご用件でいらしたのですか? 白昼堂々常盤台を訪ねて来られるなんて、孫市さんはご承知なのでしょうか?」

「なぜ私がいちいち孫市に許可を貰わなければならないのかしら? 知るわけないでしょう。それに孫市が知っていたところでどうせ常盤台の中には来られないのだし、ある意味丁度いいわよね、男子禁制なんていう馬鹿みたいなルールも」

「丁度いい?」

「分かるでしょう貴女なら」

 

 それは、あの男が居てくれては困るということ? それこそ意味が分からないのですけれど。そもそもあのタレ目の仕事も、オーバード=シェリーの仕事も常盤台は関係ないはず。お姉様と食蜂操祈に目配せしても首を傾げられるばかりで何をご存知の様子でもない。そうなると本格的になぜ彼女が来られたのか目的が分からないのですが。眉間に皺が寄るのを隠しもせずにオーバード=シェリーへと顔を戻せば、またドボシュトルタを一口食み、楽しそうに微笑みましたの。確か彼女は甘いもの好きだったかしら? 孫市さんの情報通りならですけれど。

 

「そんな顔しなくたって別に公共の場で暴れたりしないわ。……そうね黒子、孫市は俺のタイプはなんてよく言うけど、あれを額面通り捉えてはダメよ」

「は、はぁ」

「あの子の言うタイプは理想であって好みとは別なのよ。タイプだから好きというわけではないの。ファンが近いのかしら。望む形はそうであっても中身は別。あの子は中身の方にこそ熱心になるもの。人は外見ではないなんて言葉があるけど、あの子はある意味それの極致ね。別に外見がオークでも、内が賢者であれば気にしないのよ」

「はぁ」

 

 つまり何が言いたいのか全く分からないのですけれど。急に口を開いたと思ったら言うことがそれって……、そんな事言われなくても分かってますのに。お姉様の美貌を前にしても別に普段と変わらず、食蜂操祈だってまあ外見はいいはずですのにお見舞いでお会いした時は苦い顔しかしませんでしたし。だいたいそうは言ってもこの方は……。

 

「……でも貴女は別なのでしょうに」

「なぜかしら? それこそ無意味よ。私はただ手を伸ばしただけ、それをあの子が取ったから、あの子にとって初めて掴んだものがそうだったから特別なだけで私だって変わらないわ。好みの話になるのなら私は例外よ」

「はぁ、えっと、それで結局貴女は何をしに常盤台に来られたのでしょうか?」

 

 なんとも取り留めもない会話ばかり、全く話が見えませんの。わざわざやって来てあの方のタイプがどうのこうのと。あの方の話をしにここへ? 時の鐘というのは無駄なことを好むとも思えないのですけれど。いえ、あのゴリラ女を思えばそうでもないのかしら? ただ観光にしたって……。

 

「貴女はあの子のことが好きなのかしら?」

「ぶッ⁉︎」

 

 はい? 急になにを言ってるんですのこの方はッ⁉︎

 

「孫市がどんな報告をして来てるか私も確認しているけれど、仕事以外の話だとだいたい学校のクラスメイトの話か貴女のことだしね。あの子が入れ込むなんて珍しい、それで貴女はどうなのかしら?」

「はい⁉︎ いや、べ、別にわたくしは!」

「あらそう、あの子を捕まえたと聞いたから期待していたのだけれど。ならなぜ貴女はそこまであの子の近くにいるのかしら? こう言ってはアレだけど、私たちの近くに居たいなんて異常よ貴女」

 

 ……時の鐘は傭兵部隊。必要があれば殺しすらする戦闘集団。分かっていますわ、例え誰が障害に立とうと、仲間でさえ時には撃ち抜くプロの傭兵。同じ時の鐘でさえそうなのですから、自分だけなんて楽観視はできないでしょう。いつ自分に銃口が向くかも分からない。そんな中で生きる気分とはどんなものなのでしょうね。わたくしには一生分からないかもしれませんわ。そんな者の近くに居る。それがどれだけ危険であるか……それでも。

 

「……あの方は目を離してはどこへ行くか分かりませんから。それに……誓いましたの」

「誓い?」

 

 ドボシュトルタにフォークを落とす手を止めたオーバード=シェリーの顔から目を逸らしお姉様を見る。目を瞬くお姉様。愛おしいわたくしのお姉様(ヒーロー)。いつもわたくしの一歩先に居る掴めるかも分からない凛々しい背中。普通に追っていては並べない。だから誰より遠くに手を伸ばす弾丸に乗って。

 

「彼がなにを見ているのか分かりませんけれど、それはきっと、誰より遠くだと思いますから。彼と共に高みへ、遠くへ、誰にも置いて行かれぬように。自分の並びたいものと並ぶために。自分の望む居場所に立ちたいのなら、自分で掴むしかないですもの」

 

 超能力があれば好きな場所に立てるわけでもなければ、何もしなくても得られるものなど多くはありませんわ。欲しいものがあるのなら、自分で自分を奮い立たせて前に進む以外にありませんのよ。でもそれは何をしてもいいわけではない。胸を張れなければ意味はない。自分の望む全てを手にできても、誇れなければ手にしたものに価値はなくなってしまう。その道標はいつも持っていますの、左腕に巻かれた腕章が、己が道を律してくれる。例えどんな時であっても。

 

「そう……、あの子も大概夢想家だけど貴女もなの。そして口だけというわけでもない。気が合うわけね。答えも見えない分からないのに飛んでいく。それは美点かもしれないけれど愚かでもあるわ。それであの子から離れないわけね。そう」

「ええ、で、ですから別に好きだのなんだのの話ではなくてですね、そう、どちらが先に望むものを掴めるかのライバルであって」

「なら勝負をしましょう」

「は、はい?」

 

 今なんと言いまして? 勝負? 勝負と言ったのかしら? 

 

「勝負と言ってもお遊びみたいなものよ、まだ授業もあるでしょうから、放課後、すぐには学校にいるでしょうし少し時間が経ってから、あの子に適当に逃げてもらって、どちらが先にあの子に触れるか。いかがかしら?」

「いや、いかがと言われましても」

「私が勝ったら、あの子はスイスに連れて帰るわ」

 

 ……なんですって? オーバード=シェリーの言った言葉に殴られたような衝撃が。冗談? 孫市さんをスイスに? 連れ帰る?

 

「ちょ、ちょっと何をそんな急に!」

「あら、ようやっと喋ったわね超電磁砲(レールガン)。いけないかしら? あの子も時の鐘。外が戦争状態に突入しそうなことくらい貴女たちだってニュースで知っているでしょう? 人手がいくらあっても足りないわ。学園都市の情報は有用ではあるけれど、一人分手が空くことになるのも事実。あの子も時の鐘に居て長いもの、他の子を使うより時の鐘としてはずっと役に立つ。そんな人材を放っておく方がもったいないでしょう? 何より時の鐘の総隊長としては看過できないわ。別にやらないのなら、それならそれでただあの子を連れ帰るだけよ。どうかしら黒子?」

「……なぜわたくしなんですの?」

「言わなければ分からないの? やるかやらないか今決めて、ただしやるなら一対一よ」

 

 オーバード=シェリーの顔を見る。笑いもせずに首を傾げたその顔を。正直意味が分かりませんわ。急に勝負などと言われて、負けたら孫市さんがスイスに帰る? それも今決めろですって? そんなの……。

 

「わたくしは……」

 

 それも……いいのかもしれませんわね。学園都市に居ても彼の心はいつもスイスにありますもの。遠くどこにいようとも、心は仲間と共にある。わたくしよりも近いところにいるでしょう類人猿や、土御門という方や、第六位と共にいようとも、彼の居場所はスイスにある。結局ここは仕事の場所で、彼にとっての家はスイスにだけ。わたくしが孫市さんの側に居たいのはわたくしの夢のためであって、彼もスイスに帰れば無茶をせず、気も張らず、今よりもっと……。わたくしのしたいことは学園都市でなければ無理でも、彼にとってはそうではないでしょう。それならば……。

 

「わたくしは……」

「黒子はやるわよ」

「……お姉様?」

 

 テーブルに手を打ち付けて立ち上がったお姉様がオーバード=シェリーを睨む。なぜ? なぜお姉様が言いますの? わたくしは……。きっと孫市さんにとってはその方が。

 

「黒子、アンタも言ってやりなさいよ。喧嘩を売る相手を間違えたって。黒子だってアイツをスイスに帰したくなんてないんでしょ? それだったら言ってやりなさいって」

「そんな……わたくし」

「ならなんでそんな顔してるのよ」

 

 わたくしの顔? お姉様に言われて頬に手を触れる。そんな顔とはどんな顔ですの? 少なくとも笑ってはいない、ではどんな顔なんですの? あぁ、もし今鏡があっても見たくないですわ。その顔を見てしまったらきっと……。

 

「黒子がそんな顔してるの私は見たくないわ。私の可愛いたった一人の妹分だから。いい加減素直になりなさいよ。風紀委員(ジャッジメント)の黒子でも、夢を追う黒子でもなくて、今の黒子はどうなのよ。アイツと一緒に居たいか居たくないか、それだけでしょ。さっさとスイスに帰ればいいと思ってるならそんな顔はしないでしょうが」

「お姉様わたくし」

「言い訳なんて、言おうと思えばいくらでも想像力のおかげで言えるものだけどぉ、貴女だって本当は分かってるんじゃなぁい? ……会えなくなってからでは遅いのよ? 見てくれてる内が花なんだから」

「わたくしは……」

 

 一緒にいたいかいたくないか? だってそんなの……。

 

「……いたいですの」

 

 自分のことにただ必死で、いつも前だけを向いている。自分のためと言いながら、結局目についた誰かの為に引き金を引く。わたくしの時もそう。姿は決して見えなくても、必ずそのどこまでも遠くに届く手を伸ばす。わたくしがわたくしでいたいと言う言葉を否定せず、なら行こうと手を伸ばす。お姉様に触れられた時は身の内に電流が流れたように痺れますけどそれとは違う、孫市さんに触れられると撃ち抜かれたように心にぽっかり穴が空きますの。その穴が冷たくて、寂しくて、彼が触れていてくれなければ塞がらないのは何故なんですの? 

 

 残骸(レムナント)を追った時、あの空間移動能力者と戦った時、窓をぶち破って飛んで来た彼の姿を見た時に、なぜ来たのかとも思いましたけど、同時に来てくれた時に安堵しましたのよ。冷淡に見えて必ず彼は飛んで来る。わたくしが一人でか細い時に必ずいつも飛んで来る。わたくしの不安も、後悔も、たった一発の弾丸で打ち砕いてしまう。

 

 だからついつい甘えてしまうのですわ。

 

 お姉様にはカッコ悪い姿など見せたくない。お姉様ならきっとそのわたくしの弱さを背負って、笑って、大丈夫だ任せろと言ってくれると分かっていますから。でもわたくしはそれが我慢なりませんの。それでは、いつまで経ってもお姉様に任せてばかりでわたくしは隣に立てないから。

 

 でも彼は? 孫市さんには見せてしまう。彼はそんな弱さを飲み込んで、何してるんだお前は白井黒子だろうと言うと分かっているから。弱さも情けなさも、後悔も、それはお前だけのものだと口にして、ほら行くぞと風穴空けて突き進む。だから弱さを見せてしまう。弱いわたくしをそれでもわたくしだと言い切るから。

 

 お姉様と一緒に居る時のわたくしとも違う、初春と一緒に居る時のわたくしとも違う、孫市さんと一緒に居る時のわたくしは、ただの白井黒子でいられるから。融通が利かなくて、自分勝手で、刹那的で、夢見がちで、無鉄砲で。でも孫市さんがなんでもない時にわたくしの名前を呼ぶ時は、空いた穴が埋まりますのよ。

 

「だってわたくし……孫市さんのこと、お慕いしてるんですものっ」

 

 あぁ……言ってしまった、言葉にしてしまった。これまでずっと隠していましたのに。だって口にしてしまったら、わたくしはきっともう止まれませんもの。彼は傭兵でわたくしは風紀委員。必要なら彼を捕らえなければならない立場にいますもの。お姉様より誰よりも、学園都市の敵になり得るかもしれない彼なのに。友人以上に慕ってしまっては。手錠を掛けるはずなのに、自ら手に掛けてしまっては……。

 

 でももう遅い。きっと、残骸(レムナント)を追ったあの時から、わたくしはもう撃ち抜かれている。あの英雄好きな狙撃手に。

 

「黒子……」

「あらあらぁ」

 

 お姉様の顔も食蜂操祈の顔も見ることができませんの。秋なのに真夏のように暑いですわ。だってこんなの、だってそんなの、お姉様に言ってしまっては。わたくしはずっとお姉様だけを見ていましたのに、お姉様が居た場所に、流れてきた銃弾が一つ。空けられた穴は埋まりませんから。

 

「……心の底から大切なものが二つなど。欲張り過ぎではないのでしょうか」

 

 恥ずかしく縮こまってしまう体は止められず、ただただ消えてしまいたような中、ふわりと体を覆う熱。柔らかく暖かなお姉様の腕が。あぁ、お姉様のぬくもりが。

 

「いいじゃない黒子。大切なものがないよりも、多い方が素敵じゃない。きっとこれからも増えていくものがちょっとだけ早く来ただけでしょ? 黒子が幸せなら私も嬉しいわよ」

「お、お姉様。……うぅ、お姉様ぁぁぁぁッ!!!!」

「ちょッ⁉︎」

 

 あぁあぁお姉様が! お姉様がこんなに近くに! 優しく抱きしめてくださるなんて! もう黒子は辛抱堪りませんの! 孫市さんに抱き付いたところで死んだ目を返されるだけでしょうからね! 孫市さんは本当にもうそういった事に気が利きませんから!

 

「ば、馬鹿ッ! アンタこんな時にどこ触ってッ⁉︎」

「穴はどうしようもなく埋まらないですけれど、その分お姉様に慰めていただかなくては! あぁ! お姉様の慎ましいお胸が! あ゛ー! もう孫市さんのばかばか! いっつもわたくしを悩ませて本当に酷いんですの! だからぎゅっと! もうぎゅっと! お姉様! お姉様! お姉様ぁぁぁぁ〜! 壊れるくらい抱きしめてくださいましッ!」

「壊れてんのはアンタでしょうがァァァァッ‼︎」

「あばばばばッ⁉︎」

 

 視界の中をのたうち回る稲妻。こ、これはまた強烈な。お姉様ったらそんなに照れなくてもいいですのに……。ま、孫市さんよくお姉様の電撃受けながらあんなに動けますわね羨ましい。わたくしももっと鍛えた方がいいのかしら。

 

「全くアンタは! お慕いしてるとか言いながら結局はやってる事変わってないじゃないの! どうなってんのよアンタの頭は!」

「お、お姉様は別腹ですの……、だって……殿方に抱き付くなんてはしたないことは……わたくしだって恥ずかしいですの」

「女ならいいってもんでもないでしょうがッ! アンタの倫理観どうなってんのよ!」

「面白いわぁ、本当見てて飽きないわねぇ」

「アンタ他人事だと思って……」

 

 もうお姉様ったら。食蜂操祈のニヤついた顔が癪ではありますけど、でも……そうですの、大切なものが増えたからといって別にこれまでが変わってしまうわけでもない。お姉様が居て、初春が居て、佐天さんが居て、そんな中に一人、どうしようもなく側に居て欲しい方が増えただけ。きっとこの先も一緒に歩いていたい方が。

 

「……それじゃあ答えは、もう聞かなくてもよさそうね」

 

 冷や水をぶっかけるかのような冷淡な声に身を叩かれ、痺れる体を揺り起こしオーバード=シェリーの顔を見つめる。答えはもう決まっていますの。わたくしはもう迷わない。誰より先にお姉様がわたくしの心の底に隠していた想いを口にしてくださったのですから。

 

「その勝負受けて立ちますの。オーバード=シェリーさん。貴女が孫市さんの姉代わりで母代わりである事は知っていますわ。でも……わたくしの方が絶対お慕い申し上げておりますから」

「あら? 私よりも孫市のことに詳しいつもり?」

「ええ勿論ですの。少なくとも昨日から」

 

 トルコでの出会い、スイスでの日常、世界での仕事。時の鐘への想い、自分の夢。きっと仲間には面と向かって話せないようなアレコレも、何時間にも渡って聞かせてくれましたもの。正直嫉妬はしましたけれど、多分きっと、全てを聞いたのはわたくしだけ。わたくしだけですのよ。

 

Le véritable voyage de découverte ne(発見の旅は真新しい) consiste pas à chercher de nouveaux(景色を求めることではなく) paysages, mais à avoir de nouveaux yeux.(新しい目を持つことにある)*1

 

 そう言えば、オーバード=シェリーは一瞬呆けた後、大声を上げて笑い出しました。お姉様も食蜂操祈も目を丸くする中目尻に涙まで浮かべて。孫市さんに言葉を教えるのに、多くの物語や格言をオーバード=シェリーが教えた中で、孫市さんが気に入っているものの一つ。スイスに着いて真っ先に言われた言葉。彼のこれまでを変えた言葉。

 

「ふふっ、なるほど結構だわ。私と貴女、素敵な狙撃手対決といきましょう」

「狙撃手対決? わたくしは風紀委員ですわよ?」

「あら、貴女だって狙撃手よ。寧ろ貴女は私たちの理想に近いところにいるのよ? 空間移動(テレポート)、それは狙撃の理想形。目に見える景色に点を打つ。それこそ狙撃だわ」

 

 自分と相手、点と点。それを合わせるか線で結ぶかの違いでしかないということですのね。なるほど確かに手法が違うだけで得ようと思う結果は同じ。わたくしもまた狙撃手ですか、面白いこと言いますわね。彼と同じ。悪い気はしないですけれど、狙撃手を名乗るほど隠れて動く気はないですのよ。

 

「私は狩人。狙った獲物は逃しはしないわ。聖人? 超能力者? 悪魔? 天使? 例え誰が相手であろうとも、狩れない相手など存在しない。この世にいて、目に見えるとはそういうことよ。私の狩りに付き合える?」

「わたくしは風紀委員(ジャッジメント)ですの。誰であろうと捕まえるのがわたくしの役目。どれだけ遠くに離れていようとも、誰より早く辿り着くのがわたくしですの。かくれんぼがお得意でしたらどうぞお好きに、置いて行ってしまいますから」

「ふふっ、ふふふっ! そう、言うじゃない。ならそう、ルールを決めましょう。喧嘩ではないんだし、お互いを攻撃するのは禁止でどうかしら? それとスタートの合図以外に孫市に直接連絡を取るのは禁止ね」

「構いませんわ。ではわたくしからも。彼に触れるのは手で直にでどうかしら? 流石のわたくしも最強の狙撃手の狙撃相手は御免ですもの。それに情報収集は好きにしてもいいですわね?」

「あら、いいわよ」

 

 思ったより簡単に了承しましたわね。それだけ自信があるのかは知りませんけれど。時の鐘の一番隊二十八人は全員五キロまでならヘッドショットを決めることができるそうですし、中でも総隊長のオーバード=シェリーは最長狙撃成功距離が十キロを超えるとか。流石にそんな出鱈目な狙撃を相手にしては勝負になりませんからね。わたくしの空間移動(テレポート)はだいたい八十メートル前後ですし。

 

 オーバード=シェリーは残りのドボシュトルタを頬張りコーヒーを飲み干すと、微笑みながら席を立ちました。多少行儀が悪くても絵になるのが腹立たしいですわね。

 

「ではまた放課後に会いましょう黒子。常盤台の校門で待ってるわ。もしやっぱり辞めたくなったのなら、そのまま帰ってくれてもいいのだけれど」

「そのお言葉、そっくりそのままお返ししますの。スイスにはどうぞお一人で帰ってくださいまし。孫市さんは渡しませんから」

「あははっ! ええそう、チケット二枚買って待ってるわね」

「あらまあ、一枚無駄になさいますのね」

「……ちょっと、なんか怖いんだけど」

「まあまあ御坂さん、私たちは高みの見物といきましょう? これは楽しくなって来たんだゾ☆」

 

 遠くなっていくオーバード=シェリーの背中を睨み、その姿が消えるのを確認してお姉様の手を握ります。途端襲ってくる電撃。バリバリバリと骨に響く音を聞きながら、体が勝手に崩れ落ちましたの。な、なぜ……。

 

「全く隙あればそんなことして、スキンシップしてる場合じゃないでしょうが。黒子アンタ勝つ気あるわけ?」

「わ、分かってますの。今回追うのはわたくしだけでも情報を集める分には好きにしていいそうですから。妹様のお力や初春にも力を貸していただこうと思っただけですのにぃ」

「あぁそういう……悪かったわね、ついいつもの癖で」

 

 いくらわたくしだって今回は真面目になりますのに。お姉様ったら、まったくもう、そこまで期待されては仕方ありませんわね! そんなに遠回しにお誘いになられなくても黒子はいつでもウェルカムですのに! 戦いのためのエネルギーを充電するため! 今こそおぅねぇさまッの熱い抱擁を今一度ッ‼︎ 今一度ぉッ!!!! 

 

「お姉さ゛ま゛ぁぁぁぁ!!!! あばばばばッ⁉︎」

「勝負前に思う存分頭を冷やしておきなさい黒子‼︎」

「あらぁ、頭ショートしてリタイアだけはつまらないからやめてよねぇ」

 

 アーンお姉様のイケズぅ。

 

 

 ***

 

 

 ブー。ブー。ブー。

 

 ライトちゃんが点滅している。メールが二件? それも同時に? 放課後のこんな微妙な時間にわざわざ一体誰何かと開いてみれば、ボスと黒子さんの二人から。この二人から同時にメールなんてエラく珍しい。

 

『鬼ごっこの始まりよ、せいぜい逃げ回りなさい孫市』

『孫市さん、今日こそ貴方を捕まえますの。きっとわたくしが』

 

 なんじゃこれ、物騒なメールだ。俺なんかしたっけ? 

 

「師匠どうかしたんですか? それより何作ります?」

「スイス風サバサンド」

「いやいやカレーね! 結局サバカレーが最高にキてるって訳よ!」

「ああそうかい、じゃあ座ってないで手伝えお前も。ってかなんでフレンダさんいるの?」

「それはコッチのセリフだから⁉︎ 佐天アンタ何者な訳!」

「いや、それ私の台詞なんですけど」

 

 積み上げられた大量の鯖缶と佐天さんとフレンダさん。絵面がなんとも……。佐天さんマジで暗部じゃないんだよね? ひどくシュールな報酬を受け取ってしまったらしい。

 

*1
フランスの小説家、ヴァランタン=ルイ=ジョルジュ=ウジェーヌ=マルセル=プルーストの言葉

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