時の鐘   作:生崎

85 / 251
ma cherie ⑥

 夕方を知らせる音楽が学園都市を柔らかく包む。

 

 薄っすらと朱に染まった学園都市をビルの上から見下ろして、額に浮かぶ冷たい汗を拭いますの。放課後、既に学校が終わってから一時間ばかり、「始めましょう」と不敵な笑みを浮かべたオーバード=シェリーと共に孫市さんにメールを送ってからというもの、驚くべき程に進展がありません。真っ先に孫市さんの寮に行ってみてもおらず、ボードゲームをしていた木山先生とインデックスさんに目を丸くされる始末。まだ学校に残っていたりするのかと行ってみても影もない。何故今日に限っていつも居るところにいないのか、オーバード=シェリーから何の連絡も来ないあたり、あちらもまだ見つけてはいないとは思いますけど、ただ消費されていく時間に焦るばかりで、焼けるような胸が痛いですの。

 

「初春」

 

 その不安と焦りを拭い去るように耳のインカムへと手を伸ばして風紀委員(ジャッジメント)の相棒の名を呼べば、すぐに返事が返って来ます。風紀委員(ジャッジメント)の仕事でもないただの私情に付き合わせるのは少し心が痛みますけれど、相手は世界一の狙撃手。使える手を使わずに使っていればと後悔するよりかは、使える手を全て使ってそれでも届かなかったという方がまだ納得はできますもの。負けるつもりは微塵もありませんけれど。

 

「見つかりまして?」

「残念ながら……、学校から出たところまでは防犯カメラの映像で確認できてるんですけど、その後一人で動いたようでして法水さんの困ったクセが……、何故か携帯を追うこともできませんし、電波塔(タワー)さんは頼れないんですか?」

「……今回は頼れませんわ」

 

 妹様はわたくしだけでなくオーバード=シェリーともお知り合いですからね、お姉様に連絡を取っていただいたところ、「今回はスイスのように中立でいさせて貰うよ。とミサカは明言」と返って来たそうで、妹様のこと、また孫市さんを玩具に楽しんでいるご様子。

 

 妹様が動かないとなるとライトさんも動かないでしょうからね。彼の携帯を追えないのはそれが原因でしょう。全く、ミサカネットワークに接続できる人工知能搭載型携帯なぞお持ちになってるのは孫市さんくらいのものですわよ。そ、それもお姉様の妹様の……ほ、欲しいッ。

 

 グッと握ってしまった手にちらりと目を落とし、そのまま口元へと持っていき咳払いを一つ。気を引き締め直しませんと勝てるものも勝てませんわね。初春の言葉の中から気に掛かった部分を拾い上げ、指でインカムを小突きます。

 

「初春、孫市さんの困ったクセとはなんですの? 初耳なのですけれど」

「法水さん一人の時は防犯カメラの死角を好んで歩くんです。狙撃手という性質か、誰かに漠然と見られることを嫌うようでして、路地裏とか、ビルの上とか、尚且つライトちゃんを手にしてからは、ライトちゃんに頼んで自分の通った防犯カメラの映像も改竄しているようで……。この学園都市に居て見つけづらい人の一人ですよ全くもう」

 

 本当に困ったクセですわね。プロとしては褒めるべきところなのでしょうけれど、味方でないとこれほど面倒だとは……。常住戦陣とでも言えばいいのでしょうかね? そんな風に気を抜けない生き方に身を浸す感覚がどんなものであるのか、風紀委員(ジャッジメント)という職業柄、わたくしも目の敵にされる事は多いですけれど、それとは根本的に重さが異なるでしょう。

 

 わたくしの場合は、問題児が先生を鬱陶しがるのと似たようなもの。孫市さんの場合は、ただ死が付き纏う。孫市さんが話してくれましたからね。狙撃手が敵に捕まった場合ほとんど殺されると。狙撃手だけは戦場の中でも特異な存在、一人離れたところで狭い世界を覗き相手を殺す。その時ばかりは、銃弾飛び交う世界の中でも一対一。戦場に住む兵士たちから最も恨みを買う兵士。

 

 ですが、今日ばかりは捕まえねばならない。わたくしの想いを包む殻を殺すために。一度口にしてしまった想いだから、届いて欲しい方に届いて欲しい。誰より早く彼の元へ。インカムを小突きながら頭を回す。どこにいるのか考えなさい。仕事でもないのなら、彼の行動範囲は決して広くはありません。考えられる場所は、まだ怪我が完治していないはずですから病院か、行きつけらしいパン屋か、それとも……。

 

「白井さん、取り敢えず私は佐天さんに今日の警備報告をして来ます。それさえ終われば今日はもう仕事もありませんから、私も十全に力をお貸しできますからね!」

「……悪いですわね初春。このようなこと頼んでしまって」

「他でもない白井さんの頼みですから! 私も力になれて嬉しいです。それに私もまだ法水さんに帰って欲しくはありませんし、一人だけ好き勝手やって勝手に帰っちゃうなんて、そんなの許しません!」

 

 そう言えば孫市さんに初めて仕事を依頼したのは初春でしたものね。全くわたくしになんの相談もなく……。通り魔事件の時も、初春には助けられてばかりですわね。癪ですので口には出しませんけど! 初春の言葉に口元を緩めながらインカムを小突き口を引き結び直します。

 

「初春の仕事が終わるまでわたくしは心当たりを回りますから。先に見つけてしまったらごめんなさいな」

「そうであるよう祈ってますよ。……それより白井さん、インカムを小突く法水さんのクセ感染ってますよ」

「……そういう事には気付かなくていいですの」

 

 無意識にインカムを叩いていた指を止め、その指を軽く擦り合わせます。自分に感染った彼のクセで彼を感じることになるなんて。いつもはインカムを小突かれる側ですからね、すっかりあのコツコツした音が耳に張り付いてしまってますの。だから……、その音をもう一度聞くために。

 

 必ずわたくしが! 

 

 

 

 

 

 

 

「なんでこんなところにいるんですか法水さん!」

「いや……佐天さんが授業料払ってくれるって言うから」

 

「白井さんとオーバード=シェリーさんが法水さんを探してるんですよ!」と言う飾利さんの言葉にふと動かしていた包丁を止める。「全くもう!」と口遊みながら鯖料理を食べる飾利さんを横目に、そう言えば結構前にそんなメールが黒子さんとボスから来たことを思い出す。取り留めもない内容だったから気にしなかったが、何故二人が俺を探しているのか、理由はあまり聞きたくない。なんか冷たい汗が流れる。

 

 俺マジでなんかしたっけ? 

 

 今日は特に予定もなかったはず、そんな中で黒子さんとボスという特に繋がりもなさそうな二人が同時に俺を探す用事など……一つだけ心当たりがある。時の鐘の新型決戦用狙撃銃。電波塔(タワー)と木山先生、時の鐘が作り上げたアルプスシリーズの一つを確か黒子さんに与えると電波塔(タワー)は言っていた。それもボスが直々に手渡すと。俺を立会人にでもするつもりか? 

 

 フレンダさんと並び、佐天さんの作ったサバの味噌煮へ箸を伸ばす飾利さんに目を向けて、「二人は?」と聞けば飾利さんは机を叩き強く俺を睨んで来た。口の中のものを飲み込んでから喋ってくれよ。

 

「さあ? ただ白井さんはもうここに向かって来ているはずです! でもなんで法水さんはそんなのほほんとしてるんですか! 緊張感ないんですか!」

「いや、そんなこと言われてもな」

「法水さん、オーバード=シェリーさんに捕まったらスイスに帰らなきゃならないんですよ!」

「……え?」

 

 初耳なんですけど⁉︎ 新型決戦用狙撃銃手渡すための立会人で俺を探してるんじゃないの⁉︎ 意味が分からない。ボスに捕まったら俺がスイスに帰る? 何故? 

 

 帰還命令など出ていないし、そもそもそんな用事があるのなら、ボスと会った初日に言い渡されているはず。緊急なら、ボス以前に時の鐘本部から何かしら連絡があるはずだ。だというのに、何がどうなると俺がボスに捕まったらスイスに帰ることになるのか。スイスに帰るのは嫌ではないが、世界情勢を思えばこそ、理由が分からなくては気持ち悪い。料理を終えてエプロンを外して席に着く佐天さんを見送りながら、その背を追い越し飾利さんに何故と投げれば、予想の斜め上の答えが返ってくる。

 

「白井さんとオーバード=シェリーさんの勝負の所為です」

「ボスと黒子さんが勝負⁉︎ なんの勝負だ‼︎」

「だから法水さんをどっちが先に捕まえるかのッ‼︎」

「どういう勝負⁉︎」

 

 だから捕まえるだの鬼ごっこだの書かれてたのか! もっと詳細なメールを送れ! ってかなんで俺に断りもなく俺を標的にした勝負が開催されてるんだ!

 

 寝耳に水過ぎて文句を言おうにもどんな文句を言えばいいのかも分からない。何故そんな意味のなさそうな勝負の結果の一つが俺のスイスの帰還なのか。どんな話をし合えばそんな勝負の話になる。

 

「ちなみにそれ黒子さんが勝ったらどうなるんだ?」

「法水さんがスイスに帰らなくてよくなります」

 

 ますます訳が分からない。黒子さんにはこの勝負を受けるメリットがあるのか? 理由もよく分からない俺のスイスの帰還を賭けて黒子さんが勝負を受けた理由はなんだ? だいたいスイスに帰還などという話になっていることこそ意味不明だ。仕事なのならしょうがない。言われれば帰る。だが、わざわざ勝負にするという事は、帰る必要があるわけではないはず。ボスは時の鐘のトップ。仕事に私情はほぼ挟まない。だとすると、この勝負は単なる私情なのか?

 

 頭を回しながら首を傾げてエプロンを外していると、「……白井さんに勝って欲しいですか?」と飾利さんは聞いてくる。今日はなんともそんな話ばかりだ。

 

「ボスと黒子さんのどっちに勝って欲しいかって ……いや、そんな事俺に聞かれても」

「いえ、法水さんだからです。法水さんには決めて欲しいんです。白井さんと、オーバード=シェリーさん、どっちに勝って欲しいんですか?」

 

 飾利さんの真剣な目を見て、佐天さんとフレンダさんは押し黙る。茶化せるような雰囲気ではない。風紀委員(ジャッジメント)としての職務を全うしている時のような飾利さんの身から滲む空気を受けて、俺も僅かに目を細めた。何故そんな勝負になっているのか、どうしてスイスへの帰還が賭けられているのか俺には知る由もないが、ただ、それを口にする飾利さんの表情は知っている。なにか大事なものが懸かっている。それが何かは分からないが、ボスと黒子さんどっちに勝って欲しいのかなど……。

 

「……それは、俺の決める事ではないな。なにか大事なものが懸かっているという事は飾利さんの顔を見れば分かる。だが、その勝負はボスと黒子さんがやっているのだろう? なら俺の役割は、どちらにも勝たせない事にあるはずだ。違うか?」

「……懸けられているものがなんであろうとですか?」

「命を懸けているわけではないのだろう? だからこそ、それより大事なら、それこそ俺が関与していい事ではない」

 

 黒子さんの物語。ボスの物語。誰かの必死は誰かだけのものであり、その感情の振れ幅に感化される事があったとしても、俺がボスや黒子さんになれるわけではない。俺は俺で、黒子さんは黒子さんで、ボスはボスだ。俺が何より欲しいものであればこそ、他人のそれを踏みにじる事も、掠め取る事も許されない。

 

 だから懐から軍楽器(リコーダー)を取り出し煙草を咥える。ギョッとする佐天さんに火は点けないと手を振って、親指で白銀色をした軍楽器(リコーダー)の肌を撫でながら、残り七つを宙に放り連結させた。

 

「佐天さん、先に謝っておく。悪いな。よく分からず標的にされたとは言え、誰かの必死が懸かっているなら、相手がボスと黒子さんという事も関係なく殺す気でやる」

 

 本気で殺す気はないが、それだけ振り絞ってようやく俺は才能のある者に指先を掛けられる。積み重ねて積み重ねて、手にしたものを潰す勢いで握り締めなくては、きっと零してしまうから。必死には必死を返さなければ、それが俺が望む俺だからこそ。インターホンも鳴らず、かちゃりと静かに開いた玄関の扉に向けて笑顔を返した。

 

「見つけたわよ孫市」

「……ようこそ、ボス」

 

 誰かがボスの名を叫んだのを背に聞きながら、軍楽器(リコーダー)で肩を叩く。踏み躙らないし掠め取りもしない。ただ俺が標的だと言うのなら、せめて、少女の勝負の行方と必死を見せてもらおう。

 

 

 

 

 

 

 

「ぐっ⁉︎」

 

 噛み締めた奥歯が軋む事も気にせずに、歯を食いしばり続けただ先に飛ぶ。初春から連絡を受けてなぜ佐天さんのところになどといった疑問も、次に届いた知らせによって綺麗に吹き飛んでしまいましたわよ! 能力もなく、魔術もなく、どうやって誰より早くオーバード=シェリーは孫市さんを見つけたのか。見つけられたという焦りより、わたくしより早くオーバード=シェリーが辿り着いたという事実に嫌気が差しますの。

 

 過ごした年月の差とでも言うのか、抱えている想いの強さでなら負けない自信はありますのに、わたくしよりも尚オーバード=シェリーの方が孫市さんの近くにいる。いつもそう……、わたくしが大事だと思う方の近くには、わたくしよりも近しい方がいる。

 

 お姉様にはあの男が、孫市さんにはスイスの仲間が、初春には佐天さんが。それに怒りを覚えるような事はないですけれど、少しばかり寂しくなりますのよ。わたくしにとっては誰もが大事、お慕いする方たちと、大事な相棒。その方たちが幸せならば、それだけで十分ではありますけど、他人の幸せを願うほどに、自分の幸せからは遠ざかる。

 

 都合のいい女、聞き分けのいい女、それならそれでいいと割り切れるような性根であればよかったですのに、わたくしは隣に並びたい。近くに居たい。見て欲しい。誰かの世界の中でその隣に。どこにでもわたくしは行けるくせに、いつも必ず一歩離れたところにいますの。

 

 お姉様には追いつけず、孫市さんは見失って、初春にも苦労をかけてばかり。

 

 でもそれは、彼らに彼らの信念があってこそ。

 

 それを捨て置いてわたくしだけ報われたいなどと喚くような口ならば、わたくし自身で引き千切ってしまいますのよ。一番でなかろうと、大事な方の中にわたくしはもう存在している。お姉様も孫市さんも初春だってわたくしを見てくれている。誰かの一番でなかろうと、誰かの一番じゃなくても、でも、今だけは────。

 

「孫市さん‼︎」

 

 夕日がその身をゆっくり沈ませ、夜が帳を下ろそうとする中、自然の流れに逆行し、細かな粉塵が弾けて宙を舞いますの。佐天さんの部屋に大穴を開け、沸き立つ砂煙を従えて、大地に足を落とす男が。踏み出した足がアスファルトを砕き、地に突き立てられた軍楽器(リコーダー)が、細かく瓦礫の欠片を震わせて宙に浮かせた。

 

 カツリッ、と足を前に一歩出し、粉塵を切り裂き歩く狙撃銃を背負った軍服姿のオーバード=シェリーが空を見上げ、わたくしに気付くと小さく笑いました。その笑顔は勝利の確信か、それとも哀れみの微笑なのか、顔を見ただけで「遅かったわね」と言うオーバード=シェリーの声が聞こえた気がしましたの。目で捉えられれば、ただわたくしの方が先に行ける。見たところまだオーバード=シェリーは孫市さんに触れてはいらっしゃらない様子。小さく息を吐き出して、落ちる瞼が視界を切り替えずとも視界が一気に変わります。

 

「ッ⁉︎」

 

 頬を軽く擦る冷たい鉄の感触。突き出された軍楽器(リコーダー)の切っ先が顔の横を通過するのを目にして、伸ばそうとしていた手が止まってしまいましたの。おろし金で骨を削られているかのような刺々しい殺気。少しでも触れたらそのまま首をへし折られそうな圧に思わず呼吸が止まってしまいます。

 

 中世より欧州で最強と謳われたスイス傭兵の歴史を引く現代最高峰の傭兵部隊。スイス特殊山岳射撃部隊『時の鐘(ツィットグロッゲ)』、その最高戦力たる一番隊の一人。遥か遠くからたった一発の銃弾で命を奪う事を生業とする狙撃手の殺気に身が竦む。

 

 不良がお遊びで殺すなどと言うのとは違う。科学者がモルモットに死んじゃうかもねと言うのとも違う。癇癪で、なんとなく、思わずといった感情や不幸な偶然などが入る余地などないような、殺ると言わずともこれは殺ると肌で分かってしまう。まるで生きている世界の違う住人の姿に呆けていると、横薙ぎに振るわれた蹴りに弾き飛ばされ、慌てて地を転がった体を起こします。

 

「孫市さん……」

「必死には必死を返さないと失礼だろう? 俺を捕まえる? そう簡単にいくと思うなよ? 幻滅したか?」

 

 身を包む空気は変わらないのに、口調だけはいつも通り。口の端を小さく吊り上げて、軍楽器(リコーダー)の先端で地を小突きながら孫市さんが一歩を踏む。

 

 孫市さんの本気の本気。この空気は一度感じた事がありますの。今と同じ、目の前にしていながら、手すら伸ばせませんでしたわね。同じ時の鐘、ロイ=G=マクリシアンと手と手を手錠で繋ぎ殴り合っていたあの時と。殺そうとしても死なないだろうと分かっているからこそ、遠慮はせず、躊躇もしない、時の鐘の孫市さん。

 

 時の鐘だけ。向かい合えばいつでも孫市さんから必死を引き出す。わたくし一人を前にした時は絶対に見せはしない姿。彼の口から話を聞いただけでは足りやしない本当の彼。

 

 ……足が小さく震えますの。学園都市に居ようと居なかろうと、お姉様だって、初春だって、ここまでの殺意の渦の中に巻き込まれる事などそうないでしょう。でも、オーバード=シェリーはその中にいる。あのロイと言う方も。きっとハムと言う方も。ドライヴィーと言う方も。こここそが彼の居場所。幻滅したですって? 初めて見るならまだしも二度目。だからこそ分かることもあります。

 

 その殺意は、別に他人に向けたものではないと。それは己に向けたもの。必要なものを必要なだけ。己を殺し必死を掴むため。ただ触れる者を誰彼構わず殺すために殺意を吐いてる訳ではないと。だから。

 

「……少し驚いただけですの。器物破損に騒音被害、逮捕ですわよ孫市さん。だから……わたくしのお話、聞いてくださるかしら?」

「後からやって来て横入りはひどいんじゃないかしら? 引っ込んでなさい黒子」

「あら、貴女も逮捕ですわよオーバドゥ=シェリー。貴女ともゆっくりお話したいですわね」

「私をその名で呼んだわね、死にたいの貴女」

「俺を挟んで楽しそうだな、混ぜておくれよ」

 

 ゆらりと崩れ落ちた孫市さんを目に、空間移動(テレポート)を使い距離を大きく取ります。地に滑らせるように円を描き振るわれた軍楽器(リコーダー)を身に受けたら不味いと知っているのか、軽く跳んだオーバード=シェリー目掛けて、体を跳ね起こした孫市さんの手から弾丸のように突き出される棒の先端。

 

 触れれば多少でも振動で身を崩される音の破壊棒を目に、肩にかけていたゲルニカ-003の紐を手に大きく降って、重心の移動を用いて身を捻ったオーバード=シェリーの身の横を、軍楽器(リコーダー)は当たる事なく通過しました。ただ一度の動きを見れば分かるセンスと運動能力の高さ。孫市さんがあれこそ怪物と言う所以が分かりますわね。限界を感じさせず、表情に変化なく余裕でそういう動きをする訳ですか。

 

 時間を掛けるだけ此方が不利。勝利の条件は触れること。怖くても、あれが孫市さんの世界。その世界に足を踏み込まなくては、そもそも勝ちは拾えない。小さく息を吐き出しながら空間移動(テレポート)を繰り返し、孫市さんの背後に跳ぶ。

 

 ギョロリ、と音が聞こえた気がする程、即座にわたくしに目を落とす孫市さんは、地を小突く振動でわたくしの位置を把握しているのか、それとも視線を感じて反応でもしているのか、これで無能力者(レベル0)などと、人間舐めるなという言葉が身に沁みますわね。孫市さんが軍楽器(リコーダー)を振るうまで待ち、ただ落ち着けと胸の前で手を握る。動く前に此方が動いては、また後をすぐ追われるだけ。だからこそ、自分に迫る軍楽器(リコーダー)を目に、目に見える孫市さんの背後に向けて。

 

「見積もりが甘いぞ黒子」

「いッ⁉︎」

 

 軍楽器(リコーダー)を突き出す勢いを逃すように、蹴り出された後ろ蹴りがわたくしの肩にめり込み大きく弾かれる。搔き混ざる視界と、軋む鎖骨の音を振り払って立ち上がれば、ダラリと右手が垂れ下がったまま動かない。これは折れ──。

 

「外れただけよ、感謝なさい」

「つッ!」

 

 ガゴン、とオーバード=シェリーに肩に手を置かれた瞬間、骨の嵌った音が身の内に響く。痛みに膝を折り目を上げれば、変わらず微笑を浮かべたオーバード=シェリーが立っていて、わたくしから顔を外すと彼を見ましたの。わたくしもそれに合わせて彼を見ます。躊躇ない一撃。彼の本気。柔らかく名を呼ぶ余裕もない。わたくしもまた今は彼の世界にいる。それが少しばかり嬉しくて、口元を緩ませようとした途端、外れていた方の肩を小突かれました。

 

「貴女はそうではないでしょう?」

「……なにがですか?」

「聞かないで。言いたくないもの癪だから。自分で勝手に知りなさい。……そろそろ終わりにしましょうか」

 

 そう小さくオーバード=シェリーが零した瞬間、ずるりと地に溶けるように彼女の体は沈み込み、目で追った先に彼女の姿はもう見えません。金属同士の打つかる音に引っ張られ顔を向けた先で、軍楽器(リコーダー)狙撃銃(ゲルニカM-003)を打ち付け合う二人の姿を見たのも束の間、孫市さんの脇を掬い上げるようにゲルニカM-003を振り、オーバード=シェリーはそのまま静かに引き金を引きました。

 

 

 ────ゴゥンッ! 

 

 

 聞き慣れた鐘の音が彼の肩に穴を開ける。彼が落ちるまでに二度三度、足や脇腹を削り取り、わたくしとオーバード=シェリーの間に転がり落ちる孫市さん。

 

 力なく大の字に、軍楽器(リコーダー)さえ手放して仰向けに倒れた孫市さんを目に、あぁ、終わったんだと思いましたの。

 

 

 

 

 

 

 

 

 重症だった体が、さらに重症になった。

 

 こんなことある? 黒子さんとボスの勝負だと聞いてはいたし、俺が標的だとも聞いていた。ただ撃たれるとは聞いていない。無理矢理俺を退院させた挙句さらに穴を開けられるとか、急所は外れているようではあるが、これ出血マジでやばいんじゃない? 捕まえるというのは、お前殺すぞの隠語なのか知らないが、もうはっきり言って動きたくない。このまま救急車に乗って病院に行きたい。

 

 俺の横に立ち見下ろしてくるボスの微笑が恐ろしい。俺の体に四発。一秒と掛からず弾丸を撃ち込むなんてどんな身体能力なら可能なのだ。それも拳銃ではなく狙撃銃で。早撃ちとは訳が違うというのに、余裕な顔でそういう事をしないで欲しい。やっぱり超能力者(レベル5)よりボスが怖い。そんなボスは手に持っていた狙撃銃を肩にかけ直し、首を小さく横に傾げた。

 

「強くなったわね孫市。『軍楽隊(トランペッター)』、ようやく目指すものを見つけたようでなによりよ。時の鐘の軍楽隊、特別に認めてあげるわ」

「そっすか……」

「あら、もっと喜びなさいよ」

 

 喜べないよ。だって今まさに肩に穴空いてて傷口塞ぐのに忙しいんですもの。ボスが認めたということは、正式にそう名乗れるとは言え、試験だったのかなんなのか知らないが、こんな痛い試験は二度とやりたくない。訓練でボスからペイント弾をしこたまくらったことはあれど、実弾は流石に初めてだ。遠く座り込んでいる黒子さんを仰向けのまま見つめていると、顔に影が差したので目を戻した。

 

「さあ、だから行くわよ孫市」

「行く? どこに?」

「スイスに。我らが故郷。貴方もハムもドライヴィーも、一番隊には上げても半人前がいいところだったけれど、貴方が一番先に一歩上へと上ったわね。だから貴方の力を貸してもらうわ。我らが故郷で。ねえ孫市?」

 

 緩く手を伸ばすボスを見上げて、立ち上がる。ボスにここまで褒められたのはいつぶりか。一番隊に上がった時ぶりな気がする。スイス、俺の居場所。俺の戦場。毎日隣り合うことを夢見た者たちが待っている場所。その場所へ。俺をトルコの路地裏から連れ出してくれた時と同じように、ボスが手を伸ばし待ってくれている。そうだ、確かボスはあの時俺に向けて────。

 

「孫市さんッ‼︎」

 

 少女の声が背にかかる。俺のよく知る少女の声。ただ、その声はいつもと違い震えていた。力強い少女の声ではない、今にも消えてしまいそうなか細い声。そのか細い声を追って振り返れば、手を弱々しく伸ばす少女が遠く座り込んで待っていた。

 

 上ったばかりの白い月明かりに反射して、少女の目元で輝く雫。

 

 何を泣く。何故手を伸ばす。

 

 いつも俺は彼女を悲しませてばかりいる。彼女の懸けていた何かが崩れてしまいそうなのか、今にも消えてしまいそうな彼女を支えてやらなければ、このまま本当に消えてなくなってしまいそうに見えた。

 

 だから無意識に手が伸びた。

 

 小さく上がった自分の手を見つめ、佐天さんとの会話を思い出す。伸ばした手はなんなのか、見てるだけでは我慢ならず、そのまま崩れて消えてしまいそうな、儚い少女に伸ばす手が恋なのか。答えはもう分かっている。俺の狭い世界の中で一度狙いを定めたのなら、もう目を逸らすことはない。

 

 伸ばした手を握り込み、俺は愛する少女へ目を向ける。少女の中にどんな想いが詰まっているのか知る事は叶わなかろうと、俺の心は決まっている。

 

「断る‼︎ ……俺は、スイス特殊山岳射撃部隊『時の鐘(ツィットグロッゲ)』一番隊所属、法水孫市だから ────」

 

 

 

 

 

 

 

 そうはっきりと孫市さんは口にした。されてしまいましたの。わたくしは彼の名を呼んだだけ。それだけで想いは伝わったのか、目の端から溢れるなにかを止めることは叶いません。拭っても拭っても止まってくれず、このまま止まることなく溢れ続けて消えてしまえればいいのにと、ただ寂しくて悲しくて、無力で、どうしようもなくて、結局わたくしはいつものように間に合わず。

 

 

「────お前は誰だお嬢さん」

 

 

 ポツリと続けられた彼の言葉に、顔を上げた先で、彼は少しの間佇むと背を向けました。

 

『お前は誰だお嬢さん』

 

 不機嫌な顔をして、地に寝転がりながら確か彼はそう言った。初めて彼と会った時に。わたくしはその時なんて返しましたっけ? 学生の分際で競馬などを聞いて叫びながら、引っくり返せばやたら上手く受け身を取られて。眉間にしわを寄せる彼の前で、わたくしは肩の腕章を掴んで確かに言いましたわね。

 

「……風紀委員(ジャッジメント)、白井黒子ですの」

 

 そうですの。あの日から、新学期になって馬鹿をしていると思っていた殿方一人を補導したあの日から。わたくしは風紀委員で彼は傭兵。きっと一生終わらぬ鬼ごっこが始まってしまったんですのよ。

 

 孫市さんが逃げ、わたくしは追うそれなのに。

 

 わたくしはわたくしそれなのに。

 

 先程伸ばした手はなんですの? 

 

 行かないでと、ただ(すが)ろうと伸ばした手?

 

 掴んで放さぬのがわたくしなのに、こっちに来てと、わたくしを見てと、抱きしめてと、さめざめ一人涙を零して。地べたに座り込んで待っているだけ?

 

 彼と共に高みへ、遠くへ、誰にも置いて行かれぬように。

 

 そう誓ったのは他でもないわたくし。

 

 それでも、彼の側にいるだけで、一歩でも先に進めたのだと、別にそんなこと思っていなかったと言えば嘘になってしまうでしょう。

 

 わたくしでは知り得ぬなにかを知ることができて。

 わたくしでは行けぬところに進むことができて。

 でもそれは彼が居たからで。

 結局わたくしはまだ一歩も踏み出せてはいませんのね。

 

 そうしてまた、彼は一人行ってしまう。

 

 わたくしの手が届かぬ向こうへと。空間移動(テレポート)の空間さえ越える一歩でさえ届かぬ先に。

 

 そうですのね、そうですのよ。

 

 待ち人を待つなどわたくしではない。

 

 座り込んでただ泣いていることをよしとするなどわたくしではない。

 

 欲しいものを掴めるのは自分だけ、見て欲しい、側に居て欲しい、抱きしめて欲しいなら。いつも彼が手を伸ばして触れてくれるから、どこか安心してましたのね。例え風紀委員(ジャッジメント)でなくてもわたくしなら、白井黒子なら、だから孫市さんは……。

 

「だからわたくしは貴方を────」

 

 

 

 

 

 

 

「────捕まえられますのね」

 

 ボスに伸ばした手を止める。

 

 柔らかな声が耳元で弾け、少女の細い腕が俺を包む。

 

 背に感じる少女の体温に、口元に浮かぶ三日月をどうにも消せない。

 

 縋るように手を伸ばし、泣いて座り込む少女など俺は知らない。どこまでも突き進む少女しか俺は知らない。

 

 だからそう。

 

「お帰り黒子。俺の好きな黒子に戻った」

「馬鹿言わないでくださいません? ……わたくしでなければ、絶対追ったりしませんの」

「知ってるよ。俺は黒子のことそこまで知らないかもしれないけど、知ってるのさ、黒子が黒子だってこと」

 

 空間移動(テレポート)の距離の限界を越えていたとして、それでも限界さえ飛び抜けて飛んで来ると信じていた。理由? そんなものは白井黒子だからだけで十分だ。他の誰でもない黒子だから。俺を包んでいる暖かさが、他でもない真実だ。

 

 後ろから首に腕を回す黒子の身長では、地に足着かず危なっかしい。目の前のボスの微笑から目を外し、俺に体を預けるように抱き着く黒子へと手を回して抱き抱えた。

 

 月明かりに照らされて、黒子の顔がよく見える。その顔を見上げながら、目元の涙の跡へと指を這わせる。熱く柔らかな少女の頬に。

 

「……孫市さん、……わたくしのお話聞いてくださいますか? きっと……長くなってしまうかもしれませんけど」

「あぁ……いくらでも付き合うさ」

 

 一日でも二日でも、語りつくせないのなら何年でも。

 

「君が俺の必死だ、気が付いたんだ今夜。黒子は綺麗だな」

 

 背にする月の何倍も。

 

 その輝かしい綺麗な少女の瞳に吸い込まれるかのように、俺はゆっくり瞳を重ね合わせた。

 

 決して目を離さぬように少女の熱い吐息を吸い込んで。


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。